はてなキーワード: 学費とは
とにかく経営能力が欠如しているという印象です。大学改革関係の記事やツイッターを調べると、「会議が増え、研究時間が削られている」という意見を目にしますが、見ていると仕事の段取りが悪い。
・ミーティングを定刻に始められない。平気で遅刻してくる。こっちはスーツ着用で、定刻の2時間前には現場に乗りこんで待機していたにも関わらず。
・プロジェクターの調子が不調だったのですが、そのプロジェクターを直すことを優先しようとしてくる。これも准教授。事前にプロジェクターの動作確認を済ませておくこと。プロジェクターの不調を理由にミーティングの時間を削らないこと。
・「先行研究を押さえていないのではないか」と指摘したところ、「どの本を読めばいいのか?」と質問してくる。特定の一冊だけをピンポイントで読むのではなく、アマゾンでその学者の名前で検索して、その人の本は全部読んでください。それがプロの仕事です。
・「〇〇さんが言っている批判に似ている」と、まるで既知の問題かのような言い方をされたんですが、批判されたことがあるなら一発で直してください。だらしない。
貴重な血税を毎年東京大学に800億円、学費として渡しているはずなんですが、コスパが悪い。
もともと受験エリートから選抜された集団なので、アンチョコを知ろうとか、できるだけ手抜きをしようと考える癖がついている人たちなんだと思う。
地道に足で稼ぐということをしない。でも本当の教養って、泥臭く手を動かさないと身につかない。
こちらは病人なのに、地元の図書館に通い、本を借りてきて、「ああ、この行に書いてあることは、あの現象と同じことか」と気づいて、そのたびにメモに起こすという地道な作業をしている。めちゃくちゃ負荷がかかる。
当事者研究というのは、プロフェッショナルである職業研究者や対人援助職が、アマチュアである当事者並みに手抜きをしていいということではない。
お給料を頂いて、何か仕事をするということは、職業倫理というのが発生する。その自覚が欠如している。大学改革はもっと積極的に既存人員の首を切っていく必要があると思う。
俺は俺で二回も留年してるから二年分の生活費と学費を無駄にしてるし、しかも中学時代から定期的に引きこもってみたり精神的な心配や苦労を多大に掛けたからゴミクズだよ。
あと怒られなかったとしてもなんかおかしいやつ感丸出しなところを同期に見られるのが嫌だ。
大学入学後、すぐに中島らもにハマった。本はほとんど読んだ。リーマン時代の話は何度読んでも面白い。
今はほとんど処分してしまったけど、最も心に残っているのは「労働とは人生のうちの3分の1を売って金をもらうこと」(大意)という考え方だった。
なるほど、売りたくないなと思って大学を辞め、芸術系の大学で2度目の入学式、はじめての卒業式を終えた。
文系大学院生という地獄の道を歩むことを自ら選択し、もう就職への道はほとんど消えてしまった。
社会不適合者としてはいい道を歩んでいると思う。もし研究者になれなければ野垂れ死ぬだけだ。
もともと真面目な性格ではなく、研究が楽しいという理由だけで大学院進学を決めたので、破綻の予感はある。
それでも、毎日のように死にたいと思う人生にはならなさそうだから、仮にダメでも納得はできる。
中島らもには感謝している。辛くなったらまたエッセイを読むよ。
■追記
この話にどうしても乗っかりたい。
元増田が書いた話は元々増田の主張とずれてる気がするけどお金の話なのでここに付けちゃう。
うちは専業世帯で都内の賃貸マンション暮らし。都心駅徒歩3分に住んでる。必要なものが全て徒歩圏内にある。そのかわり家賃が高い。
食品を買うスーパーはマンションの下階にあるから買い物がすごいラク。エレベーターで降りるだけ。そして高い。生鮮食品、惣菜、日用品、全てが地元と比べるとやはり高いそうだ。
とはいえ家計に打撃を与えるほどの金額ではないのでそこで全部買う。チラシ見て安いスーパーに行く必要はない。お米、水が重たいときは有料で届けてもらったりネットスーパーで玄関まで運んでもらうことができる。
スーパーの他にレストランもあるので遊びに出かけて疲れた日は外食になる。
こどもの習い事も全て徒歩圏内。塾やプール、学校もすぐ近く。小2からは自分で行って帰ってくるようになった。小さい頃は妻が送り迎えしてたけど不要になった。
幼稚園を決めるときも弁当を作るのは大変だから給食ありの私立幼稚園にしたいとのこと。受験は必要はないが高かった。
家事は食洗機とルンバと乾燥機能付きの洗濯機?を買いそろえるとそこそこの金額するよね。
生活費のやりくりとか学費の計画とか保険とか資産運用とかローンなんか妻は全てノータッチ。
「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」という気はないけど
私は以前、ガイナックスというアニメ会社を起業し、社長をしていました。アニメを作るたびに赤字になり、それを救ってくれたのがパソコン用のエロゲーム開発でした。最初に作ったのは『電脳学園』。クイズに正解すると美少女が脱ぐという内容です。よく売れて会社を経済的に救い、同時に私たちはエロであろうともゲーム作りの楽しさを知りました。シリーズ3作目の『電脳学園Ⅲ』では、自社の人気アニメ『トップをねらえ!』のキャラクターを脱がせました。実際のアニメ監督がゲームの監督もしたので、絵は非常に高レベルで評判も高かったのです。ログイン前の続きそのエロゲームの監督こそ、庵野秀明さん。いまや『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』で世界的に有名な大監督です。私も庵野監督も、エロゲームを作ったことを恥ずかしいと思ったことも、隠したこともありません。その後の活動に支障をきたしたこともありません。というわけで、経験者としては、息子さんの説明も「一理ある」と思います。
同時に、あなたの「息子には人を傷つけるもの、子どもに見せられないものを仕事にしてほしくない」という価値観にも「一理ある」と思います。だから「そんな仕事に加担したくないから、残りの学費や生活費を出さない」のもしかたないでしょう。正直な話、18禁ゲームに関わってる程度で「海外に留学」というのはなんでやねん?と思っている私もいます。
この理由で学費援助をやめても、あなたの望む効果はありませんよ。
アニメ業界では学歴はあまり関係ありません。現に、僕も庵野監督も、大学中退です。
なので大学を辞めたとしても将来、息子が大成功して庵野監督のようにメジャーになるかもしれません。
鳴かず飛ばずのままかもしれませんが、それはしょせん、本人の才能と、やる気と、運次第です。
ただし、どっちにしても
息子は、あなたが自分のやりたいことを認めず学費を止めたことで、非常に傷つき、あなたを恨むでしょう。
おまけに学歴は関係ない業界だから、息子は自分の望む世界に行く可能性は高いです。
まずは話し合いですよね。「あなたにあきらめられない夢があるのと同じに、母には譲れない信念がある」と。どちらも正義はなく、単なる好み・ポリシーのすり合わせと割り切って、話し合ってみてください。
不要物だからって生徒の私物を取り上げるのは恐喝、強盗、窃盗!髪を切らせるのは傷害罪!暴言は名誉棄損!その他諸々どんどん事件にしていくべき!学校だからって刑事事件になるようなことがお咎めなしになるのはおかしい!
みたいなのよく見るけど
見た目も持ち物も言葉遣いも生徒は自由、教師は生徒のやることを一切否定するななんてことになったら
クソガキが授業中に自慢げにタバコやナイフやコンドームちらつかせて真面目なオタクくんをビビらせて
でも強盗にあたるので先生は何もできませーんってことになるけどいいんだろうか
なぜか「にっくき教師を懲らしめればオレたちアタシたちオタクの天国ができる」と思ってるみたいだけど数が多くて声がでかい奴らがもっともっと得するだけなんだよなあ
高専とかだと違うんだろうけどおとなしいオタクくんよりウェイウェイしたクソガキの方が多いだろ
受験だの学費だのそういうふるいにかけられてない小中学校は特に
じゃあ糞教師だけじゃなくて不良生徒もさっくり通報()さっくり退学()できるようにしよう、そうすれば真面目な生徒と先生が守られる、なんてのがまかり通るようになったら
学校から追い出され野に放たれた奴らが平日の昼間や夜中にその辺うろついて盗んだトラックで走り出して受験の前日に事故起こして全国ニュースで報道されることになる
今は、お堅い会社でOLやってるけどつい2年前まで兼業風俗嬢だった。
学生の頃からで、ピッチピチの10代から随分長いことやっていたものだ。
やってた理由は単純に金。
学費も生活費も自分で賄っていたので、割りのいいバイトが必要だった。
だけど、普通の接客業のバイトも掛け持ちしていた。酷い時は学生 兼 風俗嬢 兼 パン屋 兼 カラオケ屋店員 兼 派遣バイターだった。何が本業なのかわからないくらい寝る間も惜しんで働きまくった。
稼ぎたいだけなら風俗一本でもいいけど、心も体ももたなかった。だから、いろんなバイトをして安らぎを得ていた。
今振り返ってみると、よくやっていたなと思う。今、おっさんのちんこしゃぶれと言われても無理だと思う。
けど、仕事自体はそこまで嫌いじゃなかった。接客業の延長だから?常連も沢山いて、意外と楽しくやっていた。
ストレスで耳管開放症になり、ハゲるし、日に何度もシャワー浴びるせいで全身ガッサガサだし。性病はもらわなかったけど、カンジダが再発しまくるし。
ああ、わたしにはやっぱり向いていない。そう思った。
幸い、豪遊していたわけではなかったので金銭感覚はそこまでおかしくなくて辞める時もあっさり辞められた。
振り返ると不思議な時間だし、酷い経験も多く記憶が断片的な部分もある。
誰にも言えないし、こうやって増田に吐き捨てるくらいしかできない。
でも、なんだろう。後悔とかはない。
やっぱりその辺りは常人とは違うのだと思う。
かと言って、ガチ貧困家庭や虐待されてる小中学生限定、とかにしてしまうと
そこに通う子=かわいそうな特別な子、という烙印を押される事になるわけで、
そういう子にだってプライドがあるわけだから行きにくくなってしまう。
と言う事で敢えて利用者に制限はしていない、と言う所が多いそうだけど、
実際は何だかんだでこども食堂=かわいそうな子供用、と言うイメージがあるからまだ濫用されてないけど、
仮にそういうイメージが完全に無くなれば
それこそ別に金に困ってる訳じゃないけど親共働きだから食事作るの面倒、買って来たものより手作りのものの方が身体に良さそうだし、とか
食費浮いた金で私立校や金かかる大学の学費出したい、という親の子とかが殺到して崩壊するだろうね。
親も利用可の所なんかは親子で食ってく人殺到しそう、んでそういう親子に限ってやたら身なりが良かったりして
んでガチ貧困家庭の子に対しては「ああいう子がいたら環境悪くなるからああいう子には利用させないで」とか言い出す親とか出てきそう。
先月行われたピョンチャンオリンピック、羽生結弦のが見事金メダルを獲得しましたね。
そんな彼を応援しにきた人によってリンクに投げ込まれた大量のプーさん。おぞましい量でした。あれだけの量を本人に届けるのは難しいということで、スケートクラブの子供達や児童養護施設に贈られたそうですが、正直私はこれには納得がいきません。もっといい方法があったはずです。
まず、羽生結弦の使用済みプーさんをオークションなどで売ります。ぬいぐるみの使用とはどういうことなのかいまいちよくわかりませんが、羽生結弦に1日1プーさん抱いて寝ていただきます。その使用済みプーさんをファンに売るのです。確実に一度はプーさんが羽生結弦のもとに届く上に、使用済みのプーさんが手に入るのは、嬉しいことなのではないでしょうか。(私は特に羽生結弦が好きなわけではありませんが、私だったら嬉しいと思います。実際のファンの方の意見が聞けたら嬉しいです。)
そしてその収益をスケートクラブや児童養護施設に寄付するのです。プーさんをそのまま寄付するよりも、お金を寄付した方が自由に使えるので良いのではないでしょうか
。プーさんはかわいいだけです。ぬいぐるみが好きなら良いでしょうけど、正直ぬいぐるみは何の役にもたちません。それよりもお金として贈れば、スケートクラブであれば、必要な物を買ったり、良いコーチを雇ったりできるでしょうし、児童養護施設であれば、備品や子供達の学費、職員のの労働環境の改善のために役立てたりするのではないでしょうか。(スケートクラブや児童養護施設のことは正直そこまでよくわかっていないです。知識不足です。)
この方法ならほとんどの人が満足できるのではないか、と私は思います。
なので私は今回のプーさんの処遇がとても残念なのです。もったいないです。次回プーさんの大量投入が起こった時はもうちょっと工夫をした対処がなされることを願います。
愚痴を書かせてください。
私は、彼と同じ学術分野(文系)のQ教授の過去の研究内容に疑義があり、それを指摘するために本講座に参加している。
最近わかってきたのは、Q教授の研究はまさに先行研究だということ。彼らは先行研究だったのに押さえてなかった。つまり、タコツボだった……。
文科省の審議会の人文学・社会科学振興に関する平成21年の報告書を読んだのですが、
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/1246351.htm
基本的にこの頃から問題の性質は変わっていません。十年ぐらい叱られているのに、それでも克服できない。
昔の学者ってどうだったのかなと思って、マックス・ウェーバー『職業としての学問』を読んでみたのですが、当時のドイツの大学では、私講師という資格だけが与えられ、何を教えてもよく、給料は受講生からの授業料の上がりだけ、つまり出来高制だったみたいです。しかし医学や自然科学系の研究に巨額の資金が必要となり、アメリカでは研究者という仕事が月給制になった。ドイツでもアメリカナイズが進んでいるとウェーバーは書いている。ドイツ式だと市場原理が働くので、実力不足の学者は淘汰される。一方、アメリカ式だと雇用が保護されるので、官僚主義がはびこる。
日本で大学が設立された頃の事情ですが、福沢諭吉あたりが大学を創設した後、その後に官立大学を作ったみたい。2011年の東日本大震災で原発御用学者が社会的に批判を受け、国立大学法人改革で彼らは国家公務員ではなくなった。
いままで国は学者個人の自主性・自律性を尊重するとか言って、お金は出すけど口は出さなかった。しかし厚遇しすぎて、仕事をえり好みする人ができあがった。果たして障害者にフッサールを教えることが正しいのか? 私は、彼らがずっとサボタージュしてきたQ教授の過去の研究の批判という仕事の督促のためにやって来たのですが、彼らは、どうしてもフッサールを障害者に教えたいらしい。Q教授の批判という仕事は絶対にやりたくない。病人の私に押しつけたいそうです。病人の私がいまやらないといけないのは自分の病気を治すこと(自己保健義務)です。早く元気になって、勤労と納税の義務を果たすことです。Q教授の批判なんて、病気に障るからできるだけやりたくないのだが。
国が税金で複数の学者を雇っているのは、お互いをチェックさせるためなのですが、彼らはタコツボという自分たちの宿痾を克服したくない。どうしても大好きな哲学学を障害者に教える仕事だけをやりたい。私はいまQ教授が20年前に書いた悪書を読んで、問題点を洗い出す作業をしている状態です。泣きたいですよ。
文系って理屈っぽい。「理論上はこの結果がでるはず」と自説にこだわって、ありのままの事実を認められない。理想主義者なんですけど、理想論を学生にも吹き込む。そうするとモンスター障害者、モンスター高齢者ができる。大学教員もモンスター化しているともいえます。
東京周辺に在住している高齢障害者が熊谷さんの講義を何回も聞いている一方で、沖縄の子どもの貧困率は29.9%です。
いま医療費が年1兆円ベースで急増している。とても国民全員に熊谷さんの講義を何度も聞かせられる財政状況ではない。税金で喰っている哲学者と税金で喰っている障害者が学校を開いたら、そりゃあ「学ぶことはすばらしい」という結論になるでしょう。その学費を稼ぎだしているのは誰? 受講生は病人だから知らなくてもいいと思うけど、プロである学者がそんなことさえわからないとしたら、職業としてもう終わりだと思う。一度、マックス・ウェーバーの時代に戻すべきでしょう。
いまの文系の振興策、例えばこんな研究に三年間で一千万ぐらい使われちゃってるんですけど、
https://www.jsps.go.jp/jissyakai/data/saitaku/h25_houkoku/hamauzu.pdf
こういう税金の使い方、本当にいいのかな。
ッあぁ~~~これ書いたら大人の人にめっちゃ怒られるかもしれない。でももういいや。もういい。もう嫌だ。だから書きます。 口調とかもあまりきれいじゃないかも、ごめんなさい。 私は自分が絶対に正しいとは思わないし自分と違う考え方の人に対してどうこう言うつもりもないのでそこだけご承知願います!
人間って生まれてからたくさんのものを獲得して生きていくものだと思ってる。 たくさん選んでたくさん捨てて積み重ねてきた時間がその人を作る、よく聞く話。そんな中で生まれた瞬間から決まっていてどうしても覆せないものって一つだけある。
親
って言われているもの。誰から生まれるか、どこで生まれるかなんて誰も選べない。
逆に親も子を選べないのもまた事実で、これを皮肉って『ガチャで出てきたはずれが自分だ』みたいなこと言う人もたまに見かける。
そういうわけで『親を好きになれなかった』話について。
その引っ越し、自立とかきれいごと抜かしてるけど親との同居に限界を感じて決行したものだった。 実家がどういうところだったか、少しだけ書くと 2017年夏(当時20歳)の時点で
•自分の部屋がない
•昼間は机が置いてある2.5畳の仕切りのないスペースで生活
•就寝は祖母と一緒の布団
•窓を開けてはいけない
•カーテンも閉め切る
•オーブントースターの温度設定は使い終わったら母親の使う温度に戻さなければならない
などなど。
母親も祖母も私がいうことを聞かないとすぐに怒鳴り散らすのでとにかく怒らせないように生活するのに必死だった。それで今でも大声で人を怒鳴りつける人が苦手。
これでも成人してよくなったほうで小学生頃なんか今思えば地獄度段違い。
母親が19の頃にデキ婚で私が生まれて小学生のころに離婚していて、次の男が一時期実家に住んでいたこともあった。いわゆる『ママの彼氏』。
「これから私たちの生活を支えてくれる人」って紹介されたこと。
誰だったんだろうあいつ。
見た目的にはホストっぽかったけど今となっては素性はよくわからない。 私が8歳当時なら母親はちょうど30手前くらいで離婚もしてまだまだ遊べる年だったんだろうな、と。
最初のほうは仲良くしてたと思う。私の目の前でいちゃついてて、それ見てたら男が母親いじめてるみたいに見えて止めに入ったら怒られてのけ者にされたりした。懐かしいなぁ。 そんな生活も長くは続かず1年経たないうちに仲が悪くなって男は出て行った。
そっから家に男が入ってくることはなかったので本当に父親という存在を知らずに育ってきた。 だから好きになった人や付き合った人に父親みたいな安心感を求めがちなんだって最近になって気づいた。
祖母も同居することになったのはそのあとで働く母親の代わりに家事全般をやってくれた。 それだけでも本当は感謝しなきゃいけないというか、感謝はしてるんだ。それは本当。 働いて私を育ててくれたのは母親で、そのことも理解しているつもり。
祖母は祖母で私が拒食症になって口に入れたもの目の前で全部吐き出してしまった時はブチ切れて木の棒で全身あざだらけになるまで殴ってきたけど書くとさらに長くなるから割愛。(重視すべきは体調不良よりも作ってくれた親への敬意 という考え方)
そういうわけで『産み育てた恩があっても殺す権利はない』というのが持論で、言ってしまえばこの世に生まれた瞬間から、 へその緒を切られたその瞬間から私は母親の体の一部ではない一人の人間になったはずなんだ。 その事実を『感謝』とか『育ててくれた恩』とかとごちゃまぜにして見えないところに押し込むことは私にはできなかった。
そして労働に費やした分子供と親が触れ合う時間が減ることで親子という関係に不具合が生じるのもまた事実だ。
私は本当に親がわからない。
親もしばしば私のことを「わからない」と怒鳴りつける。
今歩み寄れないのは間違いなく幼少期に信頼の基盤がつくられていないからなのにまるで私が親を突き放しているかのような物言いで、 そこに「親不孝者」という便利な言葉を着せてことあるごとに罵られてきた。
母親の中には親子とはかくあるべし、という理想像があって、何もしなくてもそこに収束するのが普通だと思っているようだった。 だから自分は普通で私が異常なんだと言って私を矯正したがった。
生まれて何年たっても私はまるで親の一部かのように扱われていた。 いい学校に入っていい会社に入っていい大人になるための第一歩として幼稚園のころから通信教育の教材をやらされた。 幼稚園の頃病弱で、入院している私のベッドのそばで
「こんなに頭の悪い奴なんか見たことない!」と叫んで帰っていく母親の姿はなぜか今も鮮明に思い出せる。
小学生のころは学校のすぐそばに煙草を買いに行かされて、同級生に見つかって噂されて、勇気出してそれが嫌だと親に伝えたら 「身勝手な奴だ」と怒られ、「親のためにこんなこともできないなんて」と貶されたことがあった。
服は短くても1週間同じものを着せられてた。長いと1〜2ヶ月くらい同じものを着てたと思う。当時皮肉抜きで「その服本当に好きなんだね」って言ってくれた友達のことをたまに思い出す。大人になっても1度着た服を洗おうとするとめちゃくちゃ怒鳴られた。
私はとにかく母親の思い通りにならないと怒られてた。当時はよく泣く子供で泣くとさらに怒られた。 私が大きな声を聴くと自然と涙が出てくるなんてことを親は知らないみたいで、もうそのころからまともに意思疎通をはかろうなんて気持ちすら持てなかった。
中学生になるとひたすら成績を気にしだした。テストの成績はクラス順位5位以内でないと怒られた。「他の人はできるのにお前は何でできないんだ」が常套句だった。
幸いそのころは勉強が楽しかったので学校の成績は良かった。 しかし受験勉強が始まると私は親ではなく私のために勉強しなければならなくなった。過去問は学校のテストよりはるかに難しくて思うように点数が取れなかった。 もう手一杯で親のご機嫌取りのために数字を気にしている暇なんてなかった。数字が下がると怒鳴る頻度は上がって以前みたいに勉強が楽しいと思えなくなった。
結局中学の好成績を生かして公立の高校に推薦で入学した。 ひざ下まであったスカートをひざ丈まで上げたら烈火のごとく怒られた
「そんな恰好をするな!不良め!誰とつるんでいる!」 挙句の果てに「そんなに妊娠がしたいか!」と。 スカートの丈をひざまで上げただけで。 意味がわからなくて怖くてたまらなかった。
親のなかでは
ひざ丈のスカート
=男にもてたい
=恋人ができる
=セックス
=妊娠
という式があるらしい。
一番成績がいいのは1組、悪いのが7組だと信じて疑わなかったので3組になったときも説教された。いくら違うといっても聞く耳は持たなかった。
大学は必ず行け、しかし国立以外許さないと言われた。自分でも裕福じゃないのはわかっているから学費の負担を少しでも減らしたくて志望を国立に絞った。 しかしここでも親の謎理論は炸裂、大学に行ったこともないのに「私大は頭の悪い人間が行くところ。落ちこぼれが金で大卒の資格を買っている。」とご高説を垂れる。 この辺まで来るともう物事の判断がつく年齢になってしまった私には親のめちゃくちゃな説教は気持ち悪くて仕方なかった。 知らないものをぼろくそにこき下ろすのも、進路の悩む私に寄り添うどころか選択肢を狭めて重圧をかけるのも鬱陶しい。
結局興味のある分野に近いコースの国立大に入学して3年が経とうとしている。 実家から離れた大学に通うことも気に入らなかったらしい。 「もっと近くにあるだろうが」
帰りが終電になればまた怒られ、
「美術なんかやって何になるんだ」
といった風な小言も絶えなかった。
掘り返せばきりがないくらいこの手の嫌な思い出は出てくるのでこの辺にしておこう。積もり積もって今の私を形作っている思い出たちだ。
場所もない、理解もない、朝は母親と祖母による自分の悪口で目が覚める。 ストレスばかりが溜まって心も体も限界だった。
2年次の後半はほとんど学校に行けなかった。 家にいると親に対する嫌悪感で頭痛や吐き気が止まらなかったので出来るだけ外にいた。
学校終わりはバイト、予定のない日は大きい本屋をうろついてたまに本を買って近くの喫茶店で読んだ。
もうどうしようもないと思って3年次は休学手続きを取って1年間フリーターみたいに働きながら家を出た。
講評の当日深夜につらくて泣きながら教授に「授業を休ませてください」という旨のメールを送った日からもう1年が経ったらしい。
実家を出ることに関しては強行突破でかまわないくらいの心意気だった。 どのみち自分には帰る場所なんかないのだから居場所を作るしかないと思ってのことだった。
親には一言も伝えずに休学、
お金を貯めて部屋まで決めて、
もう後に引けない状態で家を出ることを伝えた。
自分の判断能力と精神的の限界、苦しみ続けた20年間を鑑みてもうこれが自分に残された最後の、そして最善の手段だと思った。
「自立したくて家出た」なんていうと「行動力があるね」と言われることがあるけれどその実
ただ「実家にいたらいつ精神崩壊するかわからないから生きるために逃げ出してきた」くらいが正しいんだろう。
少なくともこの半年、
「家に帰りたくない」なんて1度も思わなかった。
時間潰すために夜の公園で電池なくなるまでスマホいじることもなかった。
自分だけがいる部屋で誰の目も気にすることなく笑ったり泣いたりできた。
窓を開けて部屋の換気ができた。
たったそれだけの事だ。
私はたったそれだけのことをするのに21年苦しんだ。
春の暖かい風が部屋の中に吹き込んできたとき「生きててよかった」と心から思った。 ようやく自由になれた気がした。
家を出たら出たで大変なことはあるけど、少なくとも今のところは後悔なんかしていないと言い切れる。 誰かが掲げてた『苦労はできるだけ少ないほうがいい』という主張はまったくその通りだと思う。 部屋の窓を開けるのに21年かかるなんてばかばかしくてやってられない。
ただ、21年かけて開けた窓からは確かに未来が見えた気がした。 自分の人生はこの1度きりしかないのだから、自分が幸せになるために生きなければもったいない。
4月から大学に戻る。仕送り0で学びながら働きながら「家賃を払わず整形手術のローンを組む同居人」と共生、というか矯正。それから休んだ1年分の学費を貯めなければならないのでやることは山ほどある。大好きなお絵描きができないかもしれないがそういうフラストレーションは学校の課題へのモチベーションに変えよう。
レールを外れて生きていくっていうのはそれ相応の覚悟が必要で、残念ながら社会はそういう人間には優しくない。
こんな文章垂れ流したら知らない人に「この程度で甘えんな」「自分なんかもっと大変だ」「大学まで行かせてもらってるくせに」って言われそうだけどそれでもいいや。
中年新卒の出直しって色んな人に希望与えるんだなーと分かったので、夫の話もしたい。
言っとくが看護師ではない。
看護学校も受けたのだが、コミュ力が無さすぎて、圏内の専門学校は全落ちした。
笑うしか無かったけど、なんとか別のコメディカルの学校に滑り込めた。
私はブラック企業の正社員と副業をゴリゴリやって、でも世帯年収は300万切ってた。
地方都市で家も車もない。
とにかくランニングコストが低ーい一家だったので、なんとかやっていけた。
学費は夫の親に頼み込んで、最後のチャンスって事で出してもらった。
これがほんとに助かった。
奨学金を借りるか借りないかギリギリの選択だったけど、いま多少身軽に生きて行けるのは、この時の借金が無かったから。
夫、四十路でのこの生活。
寿命を縮めたかもしれないけど、本当によく頑張ったなあと思う。
夫婦仲もずっと良かったので、ネズミが出るような借家暮らしだったけど、あんまり悲壮な思い出も無い。
私も生まれてからずっと貧乏暮らしだったので慣れてるんだな、こういう生活。
ただ、うちの夫の圧倒的アドバンテージとしては、勉強がめちゃできる。
大学中退すること20年でも尚、ステータスを学力に全振りしてる。
コメディカルの中でもかなりお勉強寄りの資格なので、定期試験、卒業試験、国家試験をトントンと進めた。
同級生に中年学生は多かったみたいだけど、そもそも国試前の卒業試験が通らない人もチラホラいた模様。
それまでの4年間を考えるとこれは本当にキツい。
就職も学校が斡旋してくれるので、2社くらい?の面接で決まった。
人手不足で、職業人生のこり20年切ってる中年でもいけるんだな。と感心した。
やっぱりコミュ力が無い中年ってのはそれなりに大変で、2年目くらいまでは上司の当たりがキツい的な事は言ってた。
何も言わずに黙々と邁進するこういうところ、本当に尊敬してる。
ストレス溜めてるかなーと思いつつ、いたわる日々。
ただまあ、夢も希望も無い事言うと、夜学にかよって国家資格取って数年勤めても、まだ基本給は月20万切ってる。
泣けちゃう。
でも中古マンションのローンは組めた。
実家か嫁か。
3年か4年食わせてくれる人がいれば、こういう道もある。
なぜ結婚した…って言われたが、リアル友人にも言われた事ある。
金はこっちが稼げるじゃん。(ちょっとだけど。)
母も定年まで勤め上げたし、一生二馬力で働くのが前提だから、夫に期待するのは優しさだけで済んでるんだろと思う。
でもこれ維持するには二人とも健康でいなきゃねー。
母ひとり子ひとりの家庭で育ち、先日母が亡くなったため天涯孤独になった。
父親は生死も知らない。親戚というのもおそらくどこかには存在しているのではないかと思う。その気になれば調べられるのは知ってるけどその気はない。
母子家庭になったのも親戚と縁を切ったのも、父親の暴力が原因なので。
幼い頃からいずれこういう状況になることはわかっていたので覚悟はしていたつもりだったのだけど
いざひとりになると、心もとなさがすごくて驚いている。
悲しさとか寂しさは想定してたんだけどな。
まさに根無し草になった気分だ。
病気がちで最後は寝たきりの母だったけど、思っていた以上に頼っていたのだと知った。
葬儀の時、母の友人に
と言われてハッとした。
今まで母の介護のために上京も就きたい職種も我慢していたけど、もう何でも好きにやっていいんだ、と。
でも、今は会社が私にとって社会との唯一の接点のように感じられる。
年齢的にも微妙だから、もし転職なりの行動を起こすなら今しかないんだけどな。
これまでは要介護者付きの母子家庭の女なんて…と、そして今は身寄りのない女なんて…と尻込みしてしまう。
しかも進学費用や介護費用の借金も残っている。ネットで言うところの地雷物件だよ。
ひとりになったら自由に動けるかと思ったけど、案外ままならない。
でもこうしてつらつら書いてみて気付いた。理由は全て私の内面にあるんだよね。
幸か不幸か、迷惑をかける人はもう自分以外いないので、やりたいようにやってだめだったらそれまでの精神で生きてみようかな。
元々一人になる恐怖から逃れるために「母が亡くなったら自分も後を追えばいい」と思って生きてきたので、ちょっと寄り道するくらいの気持ちで。
吐き出しのつもりだったのに、書いているうちにすこし前向きになってきた。不思議だ。
卒業間近になり卒論だの就活だので時間的にも金銭的にもいよいよどうにもならなくなってやっと風俗という選択肢に気付いたんだけど、もっと早く気付きたかった。
折角大学に行ったのに、勉学に打ち込む余裕もなく、最低限の単位を取るだけで精一杯になってしまった。
でも風俗は心身ともにきつい仕事だし、長く続けたら同じように心が折れていただろうとも思う。
そしてなんとか大卒の資格を手に入れたけど、高校から借りていた奨学金は結構な額になっていて、返済しながらの生活はまだ豊かなものとはいえない。
私も貧乏の連鎖から抜け出したくて藻掻いたけどなかなかままならないね。
貧乏は本当に嫌だ。
親に学費や生活費を援助してもらって大学生活を満喫できる友人たちを羨ましく思ったりして、そんな自分の性格の悪さも嫌になった。
大卒になれば生涯年収全く違うし仕事だって自分の好きなの選べるし借金してでも出ておくべきでしょ。
高専卒や中卒は、それぞれにやりたい事や技能や事情があるからいいよ。
だって俺わざわざ大学に行って6年分学費払って結局高卒で今派遣社員で肉体労働してるもん。
馬鹿だよ
最終的に61支援、46,900円という結果になりました。
まぁまぁですな。
…と思ったらツイではボロカスか。
https://twitter.com/search?q=ishiko_141
動画が一本
https://www.youtube.com/watch?v=RgVID_LzW1o
観たくない人のためのまとめ
・どうでもいい経緯の説明
ほんとにこれだけ