はてなキーワード: 喫茶店とは
昭和時代のモノをもてはやす傾向がここ数年は世の中にあって、自分もけっこう好きだったが、最近は飽きてきてしまった。
こぢんまりとした、こだわりのメニューがある、昔ながらの喫茶店、内装が半世紀ぐらい変わっていないレストラン、今では見られないデザインのビル、いまだに回転ベッドなんかがあって、バブル期の遊び心をほうふつとさせるラブホ。ツイッター上ではこういったものをもてはやす界隈があって、私も関連アカウントをたくさんフォローして、タイムラインを昭和のレトロな文物でいっぱいにして悦に入っていたものだった。
脂っこいばかりで割高な洋食を出す昭和のレストランや喫茶店に行くぐらいならデニーズやサイゼリヤに行く。なんだったら日高屋でもいい。
この昔ながらの趣がある店内がよいなら、まず毎日掃除をしようよ。それから、せめてボロボロになった什器を替えようよ、できるなら、いまの内装の良さを残して改装すればいいじゃない。と思ってしまう。
昭和レトロの正体は、昔の温かみのあるデザインを楽しむのではなくて、日本がたんに貧しくなって、さまざまなもののアップデートがもう追いつかなくなっていて、それに対して一部の人が趣味的な視線を注いでいるだけじゃないのかと思えてきた。
喫茶店でオッサンと若者が喧嘩、古い価値観のオッサンを若者が言い負かす!
と、それを聞いていた女子高生が若者の無意識な男性中心主義を鋭く指摘、店内は拍手に包まれた…
後日、その話を会社でしていると、同僚(東大卒)がその女子高生の指摘には論理的な誤ちがあることをさらりと論証、さすがに東大は違うわ
と思いきや、ちょうど出張してきていたドイツ人の同僚が世界的な思潮に基づいた意見を述べてきた!東大スゲーなんて言ってる場合じゃない、日本って遅れてるな、海外に追いつかなきゃ…
と、ここまでの話をパートナー(黒人、男性、ゲイ、google勤務)にすると、議論の根底を覆すようなスゴイ発想が出てきて仰天!この発想に至れていれば、そもそもケンカなんてしなくてよかったのになあ。世界を引っ張るGoogleの力はさすがだね。
帰省したとき、こんなことがあったんだよと父親(退役軍人)に話してみた。すると長い沈黙のあとボソッとひとこと。そのひとことに含まれた含蓄といったら、これまでの全てを吹き飛ばすパワーがあったんだ。亀の甲より年の功…あながち間違いじゃないのかもね。
そう思った矢先に現れたのは6歳の姪っ子。なんの話してるのー?と好奇心を見せるので、ここまでの話をかいつまんで伝えた。それに対する答えにビックリ!子供の柔軟な発想こそが次世代を作るのかもなあ。
コロナの影響もあってか店内はいつも空いていて席も広くとってあるので行きやすい、軽い軽食を出す喫茶店だ。
だいたい同じ時間帯に行くのだが好きな席があるので心のなかでここは俺の席と思っている。
しかし、その同じ時間帯に俺の席に座ろうとするもうひとりの常連客がいる。
そのおっさんは恐らく俺より以前からその店の常連で、新参である俺が先にその席に座ってると
「また俺の席に座ってるやんけ」という顔をする。
予約席というわけではないのでもちろん俺は譲る気はない。
逆の場合もある。いつもの席に向かうとおっさんが俺の席に座っている。
(やられた)と思う俺をおっさんは一瞬見る。表情にほぼ変化はないが俺は見逃さない。
おっさんの目が、ほんの少しだが満足げに鈍く光るのを。
こうやって先に座られたほうはしぶしぶ別の席に座る。
空いてるのでハッキリいって別の席でも快適だ。
おっさんより早く席に座るために早く行くというのはいやなのだ。
おっさんも恐らく同じタイプで、自分より後から常連になった俺のせいで
早めに店に来るということはしたくないらしい。
というわけで毎回どちらが先に座ってるかはタイミング次第となっている。
俺はリモートワークで自由時間増えたから平日にもこうやって住宅街にある店に来てるけどさ。
なんかあれか、家に居場所がないってやつか?
しかめっ面で見るからに融通が効かなそうだもんな、年頃の娘とかいたら絶対嫌われてそうだなおっさん。
お前たまに店員と話してるけど話もつまらないぞ。だいたいそういうので常連アピールしてくるのがせこい。
俺がいるからわざわざそういう話してんだろ?わかってるんだぞ。
なぜ俺はおっさんの事を考えてるのか。せっかくのゆったりできる時間をおっさんの事を考えるのに使うなんて最悪である。
俺は緊張しておっさんの顔が見れなかった。
おっさんも俺の顔を見ようとしなかった。
お互いの緊張が伝わるようだった。
いっそのこと話しかけたりしちゃえば、じゃあ俺はこっちに座るようにしますね、みたいな展開もあり得るのかもしれない。
まず1つ謝罪しておく.以下の文章は単に非モテが夜中のテンションで,半泣きになりながら書き殴ったものだ.だから大した収穫はないし,きついなあやめたいなあ,で終わる.
僕のスペックは22歳男性(異性愛,体の性は男性)大学生である.留年を1度経験した.これまで恋愛に全く縁のない暮らしをしてきたが,それゆえに渇望している.
だが生憎僕は出っ歯で一重でエラが出てて,そのうえニキビがひどい.プロ○クティ○を買って試したこともあったけども,あれは少しでもやめるとすぐに戻ったし,効果だって覿面ではなかった.
とても恋愛なんて望めるスペックじゃない.頭だってあんまりよくない(中の下).教養も知識もないし,女性を喜ばせるためのトークスキルだってたぶんない.
ウジウジしててごめん.でもこうするしかないんだ.僕がかろうじて人間としての心を保つためには,たまに文章で発散するしかないんだ.
そしてそんな僕が
https://ch.nicovideo.jp/hosirin/blomaga/ar1936473
を読んだ.ニコニコ動画のブログマガジンというものらしい?初めて知ったので驚いている.こういうプラットフォームもあるのだな.
そんな感じで書かれたものらしいが.
自分も恋人が欲しい、恋人とセックスがしたい、なのに恋人が出来ない、セックスできない、という欲求不満が、憎悪や憤懣と現状合理化がない混ざになって醜い言論を生み出す。
見た限り、この手の弱者は理屈に走りやすい傾向がある。そういう人は立場は弱者であっても頭の中はなぜかマッチョなので、屁理屈もりもりのマッチョマンになっていく。
ミソジニスト(だったっけ)の多くがインセルになる理由に,この人は恋人がほしいのにセックスしたいのにできないというのを挙げているようだ.
なるほどそれは僕も否定できないところがある.さすがにTwitter垢を取得するほどにミソジニストということはない.しかし欲求不満が醜い言論をと言わても否定すること能わず.
とあるtwitterアカウントで「レイプ男の方が恋愛競争において有利というのは妥当性の高いファクト」とツイートしてる奴がいて
○○も氏と思う.統計資料やレポートをもとに,女性に対する啓蒙活動?女性は男性にあんまり夢を見ないでほしい,と述べているからだ.僕はそれについてどうとも思わない.
「誠実に生きていればパートナーは見つかる」というのが私の持論
誠実に,ってのの定義があんまり頭に入ってこなかったんだけど,これってつまり僕ら非モテにパートナーがいないのって誠実でないから,ってことなのか?それとも僕が言い訳をしているから?
もしかしてこの発想が既にミソジニストってことかい.それなら確かに救いはないんだろうな,って思ってしまう気持ちが,僕には否定できない.
それでここらへんでこの文が僕にとってnot for meであると気付いてしまった.これはいわゆる,恋愛しようと思えば,まあ3ヵ月ぐらいでできちゃいます(アプリとかあるからね)って人向けのものなのか,と.
恋愛経験は全くないけども,僕にだってうーん,何となくそれぐらいはわかる.たぶん多くの人(この言葉あんま好きじゃないゴメンね)は僕のように,告白されたと思って喜び勇んで帰宅してから『ゴメンあれ罰ゲームだよ笑笑信じたやろう❕笑』ってラインを受け取ったこともないんだろうな.それでお風呂で泣いてたらお母さんがやってきて男なら泣くなって言ってきたこともないんだろうな(これ関係ないか).
大学に入って,頑張ってアプリを始めて,2ヵ月で彼女ができた友人に聞いて,色々アドバイス貰って自己紹介文とか写真とか工夫して,普段行かない美容室に行って,恥をしのんで店先のマネキンと同じ服をセットで買ったりして・・・それでようやく3ヵ月の「イイネ」が2だったみたいなこともないんだろうな.また泣いて泣きながら自転車漕いでたらスリップして前歯一本欠けたこともないんだろうな.
みんなが恋愛の入り口に入っていくのに僕にはその入り口が見えないんだ.
僕はこの人のように誠実に努力していただろうか.それとも結果を伴わなければ誠実さなんて評価されないんだろうか.
こうやって夜中に書いてるのが不誠実なのだろうか.この人はいいよなぁ僕みたいな容姿を持ったことがないからわからないのかなぁとか色んなこと考えちゃって.
でもムカつくんだよなやっぱり反論できないし.この人が言ってること正しいもん全部.こうやって拗らせてっと手遅れなるぞってことなんしょ.そりゃ手遅れだよわかってるって.わかってるってば.
でも手遅れな僕は一体どうやって恋愛すればいいのか.僕だって恋愛がしたいのに.クリスマスにUSJを歩いて寒いねって言って,彼女のコートの中で手をつないで幸せを育てたいよ.ラインで喧嘩した後のデートで思いきり謝罪して,その後喫茶店でパフェ奢りたいよ「○○怒らせちゃったから俺が全部出すよ出させて」とか言いたいよ.
こんな妄想丸出しでごめん.でもこの人の正論を僕は跳ね返せないかもしれない.そのうち僕は自己なきインセルへと吸収されていって,有象無象の女性蔑視発言のうちの幾らかを担うようになるんだろう.
それじゃいけないってわかってる.全て自己責任なんだろ?
そういえば昔ワキガだったな、というのを久しぶりに思い出したので。思い出語りです。
19歳、専門学校の夏休み期間。術後しばらく両腕が使えなくなるので長期休みにやる必要があった。
ありがたいことに親が負担してくれた。他の兄弟も2名(兄と妹)手術済。ちなみに親もワキガ。ワキガ一家じゃん。
剪除(せんじょ)っていう、ワキを切開して汗腺を切除していく方式。局部麻酔だから意識があって、謎の器具でゴリゴリされている感じが怖かった。手術中は、なぜかおぎやはぎの矢作さんのことをずっと考えていた。
痛みはほとんどなかった。両ワキが開かないようにガチガチに固定されるので動きにくい。何週間か通院していた気がする。病院の帰りは毎回お母さんと喫茶店でパフェを食べた。
臭いがなくなった!!!!!すごい!!!!ゼロではないけど、運動後の人並みの汗臭さって感じ。脇毛も少なくなった。まったく生えなくなる人もいるらしい。傷跡も残ってない。
通販で買った消臭クリームと無香料の8×4。8×4は休み時間ごとに。夏は制服を毎日洗濯、冬服は自宅で洗えないから帰宅後すぐに消臭スプレーしてた。
高校3年間付き合ってた彼氏は、わたしの臭いを気にしているような素振りはなかった。実際のところは不明。卒業直前にわたしから別れたけど、臭いについては最後まで怖くて聞けなかった。
とにかく学生時代はいつも臭いを気にしてびくびくしてた。「ワキガの奴は自分の臭いがわかんない」って言われたりするけど、わたしは自分自身が臭いって常に感じてた。通販のクリームをつけるようになってからはかなりマシになった。
手術代を出してくれた両親には本当に感謝してる(まぁ親の遺伝でワキガだったんだけど)
親がお金を出してくれなかったとしても、20代のうちには絶対手術してたと思う。保険も効くので、バイト代でもなんとかなる金額だし。というか調べたら切らなくてもいい治療法もあるんだね。
精神科医からサイコパスでないと言われたが、自分のことがサイコパスじみていると思えて仕方ない。
僕は、他者の「顔」を感じられない。
ここでの顔を感じないとはつまり、痛い思いをしている人間を目の当たりにしても、感覚的に生じる痛ましさや、何かしら自分が行動することでこの人を助けなければならないという使命感が、僕には感じられないということだ。
僕は親切ができないわけではない。むしろ、どちらかと言えば他人に気を回すことが多い人間だ。
コンビニやスーパーでは帰り際にお礼を言うし、エレベーターでは開閉ボタンを積極的に押す。
知人の相談事も無下にせずなるべく聞くし、安易に考えや価値観を否定しないよう心がけている。(自分の話に持っていって結果うやむやにしてしまうことはある。それに対して申し訳ないと感じることはできる。)
ただ自分の言動によって傷つけてしまった人が、目の前で悲しんでいる、苦しんでいる、痛みを感じている様を見た時、本当にどうしたらよいか分からない。そして、何かをしたいとも思えないのだ。
痛ましいとか、悪いことをしてしまったとか、そういう罪悪感のようなものも感じられない。後になって、罪の感情が湧いてこないことに対して苦しむことはあるが、それでもまた別の場で似た状況に陥った時に、自身の心の内に「顔」を感じる器官が芽生えるかというとそういうことは全く起こらない。
先日も、僕の前で俯き顔をしかめた人間を目の前にして、何が正解なのか、どう動くことが求められているか、頭の中でぐるぐるぐるぐる、答えなんてあるはず無いのに探し回っていた。
喫茶店で1時間ともに過ごしたけれど、交わした言葉は一言二言で、あとはお互いにずっと黙りこくっていた。
背中を撫でてやろう、それがいいかもしれないという思いが浮かんだが、それが相手のためを思っての考えなのか、ただ自分が相手のために何もやっていないことが耐えがたいがためにやろうとしていることなのか、分からなかった。
ここまでに至る相手との関わりの内容から、自分の態度や行動によって相手を苦しめていることは明らかだった。
そういったある種の客観的情報から推測することでしか、自分によって他者が痛ましい思いをしていることを僕は理解できない。
大学院生にもなって直近で2回も言われた。
周りの知性ある人達に言われるのだから、これは自分でコントロールできない人物への八つ当たり的な用法ではなく、事実として人の心がないように見えるということなのだろう。
いや、本当のところ、その人たちが知性ある人格者であるからと言って、そのように信じる根拠はそれほど強くはないとも思われるのだけど。
人間は感情を伴っているので、常に感情に振り回されて浅はかな言動を行ってしまう余地を残している。
それでもとにかく、僕は思いやりのない冷血人間であるということらしい。
それらの指摘を素通りできないのは、上記の性質や経験から、心当たりがあると感じるからだろう。
他人を慮る心を持っていないと突きつけられ、自分のそれは直らないだろうと自覚する時、人は、その突きつけてきた相手との交渉を諦めなければならない。
そうやって可能性を見限ることが、健全であり、効率的に人生を歩むことにつながり、双方にとって善い選択なのだ。
聡い人、人間関係にまつわる人生経験がそこそこにある人は、そのように勧めてくるはずだし、実際に幾人かに勧められて久しい。
それに納得していない自分は、分からず屋で、幼稚で、現実を見ていない愚かな甘ったれなのだろう。
地方都市の車通勤なんだけど、勉強できるスペースってどこかないかね
7時30分くらいまで空いている場所
図書館は閉まっているし、喫茶店やマクドナルドはコロナのせいで長く居づらい
大喜利で「家」と答えた人は電源抜くよ
シナチクがたっぷり入った中華そばを食べながら「そういえば社畜とシナチクって似てるよな」と考えた
そもそも中華そばとラーメンは何が違うのか?この店には中華そばとラーメンがあるのだが、中華そばしか頼んだことがない
そういえば唐揚げとご飯がついてくるAセットにしたはずなのだが、いつまでたっても出てこない
ちゃんと注文が通ってなかったのかしらんと思い、諦めて中華そばをほぼほぼ食べ終わったところで唐揚げとご飯が出てきた
噛むと本当に体に悪そうな油がじゅじゅっと染み出てくる唐揚げ ジューシーというよりは獣臭 ブラジル産の鶏肉なんだからちゃんと下処理しろ
しかしまあこの店のメニューは何もかもが微妙だなと思いながら850円を払って店をあとにした
口直しに喫茶店でアイスコーヒーを飲みながらスポーツ新聞各紙を隅から隅まで読む
今日は暑いしこのまま直帰したいところだが、上司はずっと社内に居るはずなので明日の朝が気まずい
帰社するなら定時スレスレがベスト、今戻ると中途半端な時間なので汗を流すため銭湯へ向かう
この夏は食べずに見守る流しそうめんが流行りそうな予感がします。
道端に落ちているマシュマロをじーっと見つめている少女よりずっとずっとシュールだわ。
きっと用水路を見に来る人にめちゃくちゃ怒られると思うの。
なんか小金持ちのユーチューバーが四万十川に素麺流してみました!みたいな動画が上がりそうだわ。
しかし
もう素麺なんて、
食べたいと思ってもあの一つかで何キロカロリーあると知ってからは、
急に素麺を勧める箸が止まっちゃうぐらい結構カロリー高いのよね!
しかも
簡単カップ麺タイプの素麺が出たら私売れると思うんだけどなぁ~って思いつつ、
さあ熱盛りで頂きましょう!って
なんか熱いまま食べる素麺ってのもそこはUFO形式じゃなくて、
きっとそうよ。
頭のいい人は考えていたけど、
やっぱりインスタントカップ形式の素麺って冷やすのが難しいよねーってなっちゃったのかしらね?
でもあれ流しっぱなしじゃなくて、
循環式にしたら、
でも循環式にしても、
うふふ。
最寄りの駅の駅そばを駅そばだけ食べていい?っつったら改札そのまま通してくれたわ。
さすが地元のよしみね。
皮ごと丸ごと使えますってキャッチコピーが書いてあるチリ産レモンを買ってスライスして仕込んでみた、
なかなか最近気の効いたお冷やがレモン水の喫茶店も少なくなってきたのかも知れないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まず予言するけど「明日からコツコツがんばるぞ」という決意は空振りに終わる。
これはもう9割5分くらいの確率で当たるから10万くらいなら賭けてもいい。
今からやるべきは、なんとかして自分を勉強机に向かわせるための試行錯誤だ。
それを実行して駄目だったなら、何が悪かったのか考えて、改善して翌日実行しろ。
実行できなかったのであれば、なぜ実行できなかったのか。何が邪魔しているのかを分析してそれを排除するんだ。
そうしてPDCAぐるぐる回して、環境を改善し、作戦を立てて、なんとか勉強できるように持って行く。
それをしないで漠然と「がんばる」なんて精神論に頼っても失敗する事は目に見えている。
一番良いのは環境を変える事だ。
おいスマホは置いてこいよ。何考えてんだ置けって。
「行こう行こう」と思いながら気づいたら夜になってんだろ。わかる。
ということで自宅での集中法を探るわけだが、はっきり言って地獄だ。
なんたって、自分専用にカスタマイズされたリラックス空間だからな。
自分のために用意した空間も娯楽も、勉強するとなると全てが「誘惑」と化して襲ってくる。
しかも、まず自宅での集中方法の一番効果的な手段が「ネットを絶つ」ことなんだが、
100均でいいからキッチンタイマー買ってこい。やむを得ずネットに繋ぐときはそいつで制限時間を設けろ。
あ?なにスマホ持ってんだ。タイマーアプリ?スヌーズできて便利?なに寝言いってんだ。
スマホは充電切れたままにしとくんだよ。うまくすれば充電ケーブルを繋ぐまでに正気に戻れる。
集中できない?ふざけんな自室じゃ集中どころか何一つ出来てないじゃねえか。
サイドテーブルみたいな小っちゃい奴でもいい。
完全に勉強用のスペースとして用意すれば、そこに座るだけで作業する気になれる。
今座っているPC用デスクは完全に「娯楽のためのスペース」として認識してるからなお前の脳は。
あとは目覚ましかけろ。
目覚まし鳴ったらネット閉じて動き始めんだよ。
なに「切りの良い所まで読んだら」とか言ってんだ馬鹿か。お前それで何度失敗したか覚えてないのか?覚えてねーよな数えきれねーもんな。
はてブでもブラウザの「開いてるページを全てブックマーク」の機能でもいいから放り込んで今すぐ閉じろブラウザを。
目覚まし延長なんかすんじゃねーぞ。1時間後に鳴っても同じように「切りの良い所まで読んだら」って絶対言うからなお前。
あとなー。
それをな。ブラウザ上で解いて提出しようとすんのな。やめな?無理だから。お前の場合。
ブラウザ開いてるって時点でもう禁断症状の出てるジャンキーみたいなもんなんだからお前の身体は。
デスクトップでも課題印刷すればどこでもできんだろ。それ持ってPCの前から離れろ。
アナログで解いて、それを打ち込んで提出しろ。二度手間だが出来ないよりゃましだろ。
プリンターが無いなら買ってもらえ。一大事なんだからそれくらい説得しような。
ネットに繋がったPCの前に座った時点で、負けがほぼ確定してっからな。
やむをえず充電する場合も充電時間はいいとこ5分10分だぞ。すぐ切れるようにしとけ。
そんなとこかなー。
とにかくな。自分の意思がいかに弱いかという自覚をすんだよ。そこからだ。
そうすれば「ココロを入れ替えて明日からガンバル」なんて負け確の精神論なんか出なくなるから。
お前がやるべきは「根っからのやる気なし駄目人間のこいつ(自分)をいかにして作業に向かわせるか」というゲームなんだよ。
自分のことだと思うから駄目なんだよ。言う事聞かないゲームのキャラか何かだと思え。
そうすれば「ガンバレ」なんていう命令やら作戦やらを下すのが、どれだけ滑稽な行為かわかんだろ。
必要となるのは精神論ではなく効果の認められる具体的な手法。ライフハック。そのへんだ。
似たような「根っからのやる気なし駄目人間のこいつ(自分)」と数十年来で付き合ってる先輩からの助言だよ。
ここまでやってもまだロクに動いてくんねぇかんなこいつ。"やる気の問題"とか言って甘く見てると人生棒に振るぞマジで。
今まで怠け癖なんてなかったのに急に、という事なら
とある場末の喫茶店。分煙化の潮流が激しくなる中、そこは地元の喫煙家にとって未だ憩いの場であり続けた。
しかし、にわか雨に嫌われた市長が、その店に緊急避難したことで事態は急変する。コーヒーよりもケムリが優先された空間に市長は眉をひそめた。嫌煙家ほどタバコに暗い情念を抱いてはいない。それでも健全であろうとする身の上が、「何か言っておかなければ」という衝動へ駆り立てた。
そんな市長に対し、店内の空気は冷ややかであった。その店を利用している客たちは普段“わきまえている”者が多く、それぞれ喫煙について一家言ありつつも享受している集まりだ。対して、市長の意見はあまりにも周回遅れだった。ウンザリした客たちは、この場において自分たちの喫煙が正当な権利であると主張することにした。それに加えて、市長の展開する議論が如何に古くさく、偏狭に満ちているかも指摘したのである。
論理武装を整えている数名と、杓子定規な竹輪しか持っていない市長。どちらが煙に巻かれるかは火を見るよりも明らかだった。タバコ一本が吸殻になる間もなく、市長は逃げるように店から出て行った。こうして店内は以前の雰囲気を取り戻したが、所詮これがピュロスの勝利でしかないことを彼らは分かっていた。
それからしばらくして、この町に「禁煙法」が制定された。つまりタバコの全面禁止である。何とも極端な政策だと思うかもしれないが、市長のやることとしては日常茶飯事の範疇である。市長は善良で行動力のある為政者で有名だが、同時に無能で単純な政治屋としても有名だ。
地元の風土も考えず風力発電所を作ったり、「足が不自由な人を抑圧する」として公共での二足歩行を禁じたこともある。そんな市長を椅子に座らせ続けているのは自分たちなのだから、この程度で驚くようでは市民は務まらない(言い訳させてもらうなら、候補の中でこの人が一番マシだったんだよ)。
それに今回の場合、一般人たちの反応は概ね好意的といえた。なにせ自分たちの世代はタバコの有害性について耳たこレベルで教え込まれている。公共での分煙化も推し進められている真っ只中だったので、喫煙というものに社会的な有意性も、政治的な優位性もないと考えるのは自然の摂理といえた。市長のやることを訝しげに思いつつも、ほとんどの人はとりあえず賛成派だった。
一部、ヘビースモーカー達による署名活動やデモ等が小規模に行われることはあったが、せいぜいその程度。かの喫茶店の客たちも、この状況を心静かに受け入れていた。
禁煙法ができてから数週間ほど経つと、なんとも不思議なことが起きていた。タバコを禁止しているにも関らず、なぜか喫煙者は以前よりも増えてしまったのである。理由は色々とあるが、ひとつはタバコの定義について詰めが甘かったのが大きい。
そもそもタバコは植物であり、それを原材料にしたもの全般がタバコといえるのだが、市長はこの辺りの知識が乏しく、一般的に普及している紙巻きだけを禁止したのである。実際は多種多様であり。蚊取り線香のように炊くものや、ガムのように口の中に含む物などがあった。中には舐めたり、吹いたりするものもあるのだが、市長はそのことを知らなかった。
厄介なのは、そのほとんどが普及していた紙巻きタイプより“重い”という点だった。紙巻きタバコの代替として使用し始めた喫煙者たちが、より深刻な依存症を患ってしまったのである。
それから何とか定義し直しても、今度は企業とのイタチごっこが待っていた。再定義されても、その度に企業はわずかな隙間を抜けて新たな“タバコのようなもの”を作り出す。特に煙屋が発明した「臭そうで臭くない少し臭い草」は革新的だった。どうすればこれを禁止に出来るかは、今なお思考実験として人気である。
そして取り締まりの問題もあった。何度も再定義するせいで現場の役員は対応しきれず、時に無用なトラブルに発展することもあった。結局、後手に回り続けるしかなかった市長は痺れを切らし、企業そのものに圧力をかけることで流れを止めたのである。
しかし、この選択は逆効果だった。既に喫煙行為は有名無実化している状態であり、市場に出回らないのなら個々人で賄おうとする動きが活性化したのだ。“タバコっぽいもの”を密かに楽しむ人が増え、時にはそれを売り叩こうとする者までいた。栽培そのものは禁じられていなかったため、取締りが後手に回りやすかったのも大きい。
「第一次タバコ自作ブーム」の到来である。このブームを最も苦々しく思う者たちがいた。政府に圧力をかけられたタバコ企業と、それに属する元組合たちだ。タバコの販売ルートは組合で決まりが存在していたのだが、禁煙法でそれが丸ごとなくなってしまった。それをいいことに私腹を肥やす人間が跋扈しているのだから、元組合の者たちは不満を募らせる。
そこで彼らは一念発起し、対抗すべく新たな組合を結成した。「サクリムケ組合」はこうして誕生したのである。組合は市場に出回る粗悪品を排除し、よく出来たタバコを作っていた者はスカウトして組織を大きくしていった。
当然、サクリムケ組合の統制を快く思わない者も多かった。そういった者達で立ち上げられたのが、悪名高き「シューリンガン互助会」である。こちらは烏合の衆の過激派であり黒い噂が絶えない。サクリムケ組合とはしばしば小競り合いが発生しており、そこに役員が介入した日には収拾がつかないことも珍しくなかった。
この頃になると、非喫煙者の間でも「禁煙法は失敗だったのでは?」という意見が蔓延し始めていた。撤廃されるのは時間の問題といえた。いま思うと、あの喫茶店の客たちが妙に冷静だったのは、いずれこうなることを予期していたからなのだろう。
そして某日、いよいよその時はやってきた。サクリムケ組合とシューリンガン互助会による大規模な抗争である。嫌煙家に「副流煙と中年ヘビースモーカーの方がマシ」とまで言わしめた激しい争いだった。禁煙法によって生まれた組織を解体させるには、禁煙法を失くすしかなかった。
これが禁煙法による大まかな歴史だ。喫煙問題が取り沙汰される度に、この出来事を挙げる人間は多い。その対象が如何に有害であっても、権利そのものを奪えば支障が発生する。その典型的な事例である、と。
だが、この出来事には裏事情がある。禁煙法を撤廃する代わりに、タバコの税率が大幅に上げられたのだ。そして、これは政府にとって予定調和だった。というより、タバコの税率を上げることこそ本命だったらしい。市長は人々の健康を願って「禁煙法」を提案していたが、政府の思惑はもっと別のところにあった。
税金を何とか工面したい、市民にもっと納めて欲しい状況。だが、税金には大義名分が必要だ。喜んで負担するとまではいかずとも、「仕方ない」と思える程度の理由がいる。かといって、あまり踏み込んだ話をすると国民は警戒してしまう。注意を逸らしつつ、実際に論じるべき問題から遠ざける必要があった。その条件を満たすのに、タバコは丁度よかったのである。
だからといって皆にスパスパ吸われても、それはそれで困る。不健康になって医療費が嵩んでしまっては本末転倒だからだ。タバコによって不健康な人間を増やさず、その上でタバコで儲ける。このパラドックスを成立させるには、タバコに対する問題意識を国民にしっかりと持ってもらう必要があった。義務教育でしつこく教わるのも、分煙化の潮流もその一環だろう。
それらを踏まえると、「禁煙法」なんていう突拍子もない政策が通ったのも納得がいく。本当の目的は、喫煙に関する問題意識の植え付けと、税金徴収の大義名分を手に入れるための物語作りにあったのである。喫茶店の客は、後にそう語っていた。