はてなキーワード: 処遇とは
一緒に暮らそうと話をしていた女の浮気が発覚したのは、日本を出る1年前のことだった。
「そっか」
これが素直な感想だった。薄々気付いていたし、当時の僕のオトモダチもお行儀がよろしくない奴等ばっかだった。予想通りお相手はオトモダチの一人だった訳だ。純朴とまでいわずとも、世間知らずというか抜けている癖して、親や世間にヘイトを抱えた二十歳そこそこの女が周囲に靡くのは自然の摂理といえた。
発覚した原因はオトモダチの、名目上は交際相手であるアヤからの密告だった。
「そっちは別れんの?」「いや別に、誰とセックスしようと私の知ったことじゃ無いし」「すげぇね。俺は無理」「意外と純粋なんだ」
わざわざ教えてくれた、というか証拠を用意してくれた辺り、表面上はアヤも素直な面が残っているように思えた。
擦れ切っても残ってしまった残骸こそがその人の持つ本質なのだろう。アヤの母親がもう少しまともであったら、アヤはどんな人生を歩んでいたんだろうかと考えつつ、当の浮気女とオトモダチの処遇をどうするか考えて、とりあえずラインをブロックした。
散々酔ったアヤをタクシーに押し込んで、アパートまで向かう。腹いせにコイツを抱いてやろうかと思い、でもこいつブスだしオトモダチが出し入れした所に愚息を突っ込むのも気持ちが悪くて、仕方が無いからひとり床で寝た。
月曜になって出社していつものように働いてる内に「もうこういう宜しくないオトモダチと関わるのもやめにしようといけない」と考えた。
お互いに、お互いがどうでもよくて、そういう無干渉なのが心地よかったんだけど、良い年だし大人にならなきゃって思った。
続くかも
中国では新型冠状病毒肺炎诊疗方案(试行第六版)つまり新型コロナウイルス肺炎の診断と治療計画を短期間の間に6回バージョンアップして公開しています。
全文翻訳はしませんが、5から6でどのような修正があったのかをまとめた資料がありますので、それを日本語にしてみました。
急いで翻訳したので、日本語がおかしいところもあるかと思いますがご容赦ください。
新型コロナウイルス肺炎の診断と治療計画(Version 6)
2020年2月19日に、中国の国家保健衛生委員会は「新型コロナウイルス肺炎の診断と治療計画(Version 6)」(以下「Ver.6」と呼びます)を発行しました。
I.感染
感染経路が「咳やくしゃみなどの飛沫感染と接触感染が主な感染経路」から「飛沫感染と密着接触感染が主な感染経路」に変更されました。「接触」の前に「密着」という言葉が追加されました。
また、「比較的閉鎖された環境で高濃度のエアロゾルに長時間さらされると、エアロゾル感染する可能性」を追加しました。
II.臨床症状
重症の患者では、「急性呼吸窮迫症候群(ARDS)、敗血症性ショック、治療が困難な代謝性アシドーシス、凝固機能不全に急速に進行する」ことに加えて、「多臓器不全」も発生します。
臨床検査では、「核酸検出の陽性率を高めるために、できるだけ患者に気管挿管を行って下気道分泌物を採取し、採取後できるだけ早く検査に送ることが推奨される」と強調しました。
III.診断基準
Ver.6は、湖北省と湖北省外の他の州との区別を排除しました。新しく「疑わしい症例」と「確認された症例」の2つのカテゴリに分類されます。
「疑わしい症例」には2つあります。 1つ目は、「疫学歴のいずれか1つを持ち、臨床症状のいずれか2つを満たす(発熱および/または呼吸器症状;
上記の肺炎の画像特性を有する;疾患の初期段階の白血球の総数は正常または減少し、リンパ球数が減少する)。
2つ目は「明確な疫学歴がなく、3つの臨床症状に適合している(発熱および/または呼吸器症状;肺炎の前述の画像特性を伴う;疾患の初期段階における白血球の総数は正常または減少、リンパ球数減少)。
Ⅳ. 臨床分類
依然として「軽度、中等度、重症、重篤」に分類され、動脈血酸素分圧(PaO2)/酸素濃度(FiO2)≤300mmHg(1mmHg = 0.133kPa)および肺の画像で病変が24〜48時間以内に50%以上進行している場合重症になります。
高度1000メートル以上の場所では PaO2 / FiO2は、次の式に従って修正してください。:PaO2 / FiO2 [[大気圧(mmHg)/ 760] "。]
Ⅴ. 識別診断
つまり、新型コロナウイルス感染症の軽度の症状は、他のウイルスによって引き起こされる他の呼吸器感染症と区別する必要があります。新しいコロナウイルス肺炎は、主にインフルエンザウイルス、アデノウイルス、呼吸器合胞体ウイルスおよびマイコプラズマ肺炎感染症などの他の既知のウイルス性肺炎と区別される必要があり疑わしい症例は、可能な限り、一般的な呼吸器病原体を検出するための迅速な抗原検出やマルチプレックスPCR核酸検出などの方法でテストする必要があります。
Ⅵ. 症例報告
湖北省における臨床診断症例の処遇要請について”を削除します。
“疑似症例”基準は削除し、疑い例の隔離解除の基準は“隔離解除基準”と一致させました。
1. 病状により治療場所を決定する。“疑い例と確定症例”を前バージョンから削除し、“適切な隔離条件と保護条件を備えた指定病院で隔離治療を行うべきであり、確定した症例は多くの人が同じ病室で治療することができる。”に変更しました。
2. 抗ウイルス療法:薬剤を試験的に削除。“現在有効な抗新型コロナウイルス治療法は確認されていない。”と、するとともに、追加でリン酸クロロキン(成人500mg,1日2回)とアビドール(成人200mg,1日3回)”を追加しました。
リバビリンはインターフェロンまたはロピナビル/リトナビルとの併用が推奨される。治験薬の投与期間はいずれも10日以内である。臨床応用において現在試用している薬物の治療効果を更に評価することを提案する。
3種類以上の抗ウイルス薬を同時に使用することは推奨されず、重篤な毒性、副作用が現れた場合は使用を中止すべきである。
3. 重症、重篤病例の治療。“回復者血漿療法”を追加し、進行の速い患者、重症患者、および重症患者に推奨する。用法用量については《回復期血漿療法(初版)》を参照すること。
4. その他の治療措置:高炎症反応の危篤患者に対し、“条件付きで体外血液浄化技術の利用が考えられる。”を“血漿交換、吸着、灌流、血液/血漿濾過などの体外血液浄化技術の使用が条件的に考えられる。”に修正した。
5. 漢方医治療について。患者に対する治療観察を通じ、全国各地の漢方医の診療方案をまとめて分析し、各地の漢方医の治療経験を整理し、有効な処方を選択した上で、すでに印刷・配布した《新型コロナウイルス感染肺炎に対する中西医結合医療の推奨“清肺排毒湯”の使用に関するお知らせ》、《新型コロナウイルス肺炎重症、重症病例の診療方針(第二版)》と《新型コロナウイルス肺炎の軽度、普通型の病例管理規則》などを総合し、《新型コロナウイルス肺炎の治療計画(Ver.5)》に対して調整と補充を行った。前の版に引き続き疾病の全過程を分け、漢方医治療を医学観察期と臨床治療期(確定症例)に分け、臨床治療期を軽度、中等度、重症、重篤、回復期に分けた。漢方製剤は医学的観察期間に推奨される。臨床治療期に普遍的処方“清肺排毒湯”を推薦し、そしてそれぞれ軽度、中等度、重症、重篤、回復期に臨床表現、推薦処方及び投与量、服用方法の三つの方面から説明を行った。同時に、計画に重症、重篤の症例向け中成薬(漢方薬注射剤を含む)に適用する具体的な用法を追記する。各地は病状、現地の気候特徴および異なる体質などの情況により、推薦した計画を参照し、弁証論治を行う。
1.平熱に戻って3日以上;
4.連続二回の気道標本核酸検査で陰性(少なくとも間1日は空けて);
1.指定病院は患者居住地の基層医療機関との連絡をしっかり行い、カルテ資料を共有し、速やかに退院患者の情報を患者管轄区或いは居住地の住民委員会と基層医療衛生機関に送る。
2.患者が退院した後、回復期には機体の免疫機能が低下し、その他の病原体に感染するリスクがあるため、14日間の自己健康状況の監視測定を続けることを提案し、マスクを着用し、条件が整った風通しの良い個室に居住し、家族との近距離の密接な接触を減少し、食事を分け、手を衛生的に保ち、外出活動を避ける。
会社での昇進とか、そういうところでの女性と男性の待遇差とか、
そういうところちゃうの?女性差別問題で議論しないといけない課題って…。
「ラブライブ」の女の子のスカートにシワが寄ってることと、企業での性別による待遇差に因果関係ってないでしょ。
そもそも、そういう古い慣習が残ってる大企業で、社員の処遇を決めてるヤツって大体、40代とか50代以上のおっさんじゃないの?
そんなヤツが「ラブライブ」にハマってるとはどうしても思えん…。むしろ、オタク嫌悪勢じゃねぇーのか。。
まぁ、「私が言いたいのはそうじゃない!」「企業の待遇格差と因果関係があるなんて一言も言うとらんわ!いちゃもんつけるな!」ってフェミから言われそうやけど、
それやったら、具体的に、「ラブライブ」の女の子のスカートと、男女差別の問題の、「何と」因果関係があるのよ。
「フェミニスト」には、「社会学者」とかいう肩書きがついてる人がいるのに、
あらすじ:ムーア(妖精の王国)とアルステッド(人間の王国)が なんやかやあって戦争状態に突入、最後は仲直りしてめでたしめでたし。
悪いことは全部アルステッドの女王イングレス(アベンジャーズシリーズで先代ワスプを演じたミシェルファイファー)の陰謀なのです。
夫(アルステッドのジョン王)を傷害し、それをマレフィセント(元ララクロフト)のせいにしたり。手下も脅したりだましたりで戦争にもっていくのね。
けっこう激しい戦争になって、モブがいっぱいターミネイトされるのですが※、
「全て女王(元キャットウーマン/セリーナカイル)が悪かった」ということが白日の下に晒され、オーロラ(ムーア所属)、フィリップ王子(アルステッド王国所属)たちが皆を説得し戦争は終わります。
で、両陣営のモブたち、めっちゃ仲良くなる。おたがい助け合ったり手を差し伸べあったり。
いやいやいや
「人が死んでんねんで」(モブ妖精ズも、死ぬに等しい消滅させられる。大量に。)
騙されていたとはいえ、復讐心捨ててそんなにあっさり赦せるの?<ココ
女王の手下で悪事を働いていた人物が改心してマレフィセントにアドバイスしたりする。けど突然すぎて「キミ改心するきっかけ何?CM中になんかあった?」
悪事が露見した女王の処遇、シシオ並みの悪人なので普通のドラマだと死ぬしかないわけですが、本作品なりのうまい落としどころだと思いましたね。納得は行きませんけど。
※
後日、続編に出たり、キャラグッズになりそうなレベルの登場人物は死にません。女王が死なないのも今後ヴィランズに出演したり、かばんにプリントされたりする予定があるのでしょう。
胸が性的かどうかを思春期以降に知って欲しいっていう性教育をしたいと思う自由も欲しいよー。
自由ってなんだ??
割と本質的な問いだと思うので真面目に答えると、アイザイア・バーリンという哲学者が「消極的自由」と「積極的自由」という概念を提唱している。
詳しくはWikipediaでも読んでほしいけど、要するに
の違いね(cf. anond:20191017201230)。
現代の自由主義では、色々と議論はあるけれど、おおむね消極的自由の方がより重要な自由とされている。
これは増田もそうだろう。「俺が六本木ヒルズに住む自由を実現するために家賃を補助しろ」と言われたら、おかしい、と思うよね。でも、「金持ちの俺が六本木ヒルズに住んで何が悪いんだ? 俺の自由だろ」って言われたら、当然、って思うんじゃないかな。
というのは積極的自由に属する。
その環境を増田が個人の努力あるいは財力に頼って実現する(例:ひきこもる、ゲーテッドコミュニティを作る)のはもちろん自由だ。でも、それをもって他者の消極的自由を制約しようというのなら別の話になる。
積極的自由と消極的自由ならば、基本的に後者の方が重い。よほどの理由がない限り、前者を理由に後者を制約すべきではない。そして、増田が子供にどんな教育をしたいかという話は、「よほどの理由」ではない。
(「よほどの理由」が認められるかどうか争いになっている事例として、たとえば、「感染症にかからず健康に生きていきたい」という積極的自由と、「どんなワクチンを打つか政府に強制されたくない」という消極的自由が対立する局面を考えてみよう)
ところで、
思うだけなら自由ですよ? それは人を殺したいと思おうが誰々くんとセックスしたいと思おうが日本は天皇中心の神の国だと思おうが自由なのと一緒。そこの自由を制約している人はどこにもいないよね。どうぞご自由に思っていてください。
その思いを他者への要求として口に出す(増田に書く)から他人の自由に口を出すなと言われるわけで。
なので、
思春期前の子供に見せたく無い自由は?献血ルームにあるのは別に良いんだけど、公共の場にあるのを見たくない人の多様性はどう思う?
「見せたくない自由」というのも、ご家庭の中でお色気漫画は読ませないラッキースケベアニメは見せないとかそういう話ならどうぞご自由に、お子さんの教育に関しては親御さんに自由裁量があります、という話だけど、他人が自分の敷地に(あるいは借りたスペースに)設置したポスターを取り外させようとするなら、それは他者の消極的自由を侵害してよい理由にはならない、という話になる。
何度も書いているように、積極的自由より消極的自由の方が重いので。
「多様性を見たくない人も多様性に勘定すべきか」というのは難しい議論だけど(「戦う民主主義」を調べてみよう。民主主義を破壊しようと主張する政党を民主的選挙に参加させるべきか?)、そういう多様性も認められるべきだとは思う。他者の消極的自由を損なわないという前提のもとで。
なので、そういう多様性の持ち主がゲーテッドコミュニティ作って暮らす分には、そこにわざわざポスター貼りに行こうとは思いません。ご自由にどうぞ。そういうコミュニティが存在するのも多様性の一貫だとは思うので。アーミッシュのコミュニティとかと同じで。
ところで、私たちが暮らすこの日本はゲーテッドコミュニティではありません。
人を殺す自由はない。人を殺せば刑務所行きになる。他人を誹謗中傷する自由もない。誹謗中傷すれば民事裁判で敗訴し賠償金を科せられる。
既に自由は整えられているのでは……? 現状の日本が無法地帯じゃないのは、ある程度自由が制約されて整えられているからだよね?
私は宇崎ちゃんの胸は揉みたい感じの魅力的なおっぱいに見えるのでやっぱり子供に見せないように気をつけて歩きます!!!自由!!!
はい、それもあなたの自由ですね。宇崎ちゃんのポスターなり看板なりを見かけたら子供の目をふさぐとか、子供に声をかけて注意をそらすとか、見て見て~と逆方向を指差してそちらを見せないようにするとか、そういう自由をどうぞ行使なさってください。誰もそれを邪魔したりなんてしないから。
これはそのとおりで、要望する自由はあるし件のポスターを批判する自由もある。要望を無視したり批判に反論したりする自由もあるというだけの話なので、気にくわないなら文句をつけてりゃいい。今回の増田は「自由」について混乱しているようだったから雑な説明になっちゃって、そこは申し訳ない。ご指摘ありがとう。
消極的自由をより重視するのはどちらかというと英米系で、大陸系だと「政治参加の自由」とか「健康で文化的な生活を追求する自由」とかの積極的自由も重点おいてるんでわ。
いや、積極的自由を重視する人たちも、積極的自由より消極的自由の方が重要という点では一致しているでしょう。意見が分かれるのは、積極的自由はどこまで保障されるべきか、とか、ある行為が消極的自由か積極的自由か、とか、そういう点では。積極的自由の保護自体には私も異論ないですよ。特に社会権は国家がケツを持って下支えしないと自由が掘り崩される。そういう意味で夜警国家やリバタリアニズムは支持できない。
ポスター非難派の言い分はとどのつまり「他者の消極的自由よりも私の積極的自由のほうが優先されるべき(少なくとも対等)」なので、なぜ前者が後者に優越するか、そこにどういった議論があるのか説明しないと無意味
上で色々例を挙げたけど、わかりにくいかな。
じゃあ「山間部の過疎地に政府が十分なインフラを整備していない」と「政府が過疎地の住民を強制移住させる」だったらどうよ。
前者ももちろん問題だけど、どっちがより重い問題? って聞かれたら後者の方がより重大な問題だと答えるのが普通だよね。
言わずもがなのことだけど、前者が積極的自由の侵害で後者が消極的自由の侵害です。消極的自由が積極的自由よりも重要な自由であるのは当然ですね?
(前者は軽んじてよい、と言っているわけではないことに注意。19世紀的な自由主義が消極的自由ばかり重視し積極的自由を軽んじていたことに疑問を呈して積極的自由「も」重視すべきだと主張しているのが現代自由主義です。前者は気にしなくていいよって言ってるのがリバタリアニズム。でもどちらの立場にせよ、消極的自由の方が重いことは否定してないと思うよ)
わかりやすくて納得した。と同時にシートベルトを着用せずに自動車運転して事故即死亡する消極的自由が認められていないのはおかしい、、、のだろうか?とも思った。
レーガン大統領はカリフォルニア州知事時代にそういう理由でバイクのヘルメット義務化法案に拒否権行使してますね。
個人的には、子供には自己の生命・安全を危険にさらす方向での自己決定権を十全に認めるべきではないと思うので、チャイルドシート義務化には賛成。でも大人がシートベルトやヘルメットをつけるもつけないも個人の自由で(だって、究極的にはそれで損をするのは自分じゃん?)、法律で取り締まるのはおかしいと思う。自動車メーカがシートベルトしてないと警報が鳴る車を設計して売りに出すのは商売の自由。
概ね同意だけど、最後のシートベルト義務化の話、日本では車対車の事故で死亡事故だと相手の運転手は過失が多少でもあれば重い罪に問われるので、シートベルトをしない自由を制限する合理的理由があると俺は思うね
相手がシートベルトをつけておらず、それによって生死が左右された場合は情状酌量で減刑すればよいのでは……。
シートベルト義務化については社会的損失を低減する観点から合理性があると思うけどね。『それで損をするのは自分』だけじゃないわけで、治療費、障害、家族の貧困化など・・・結局は社会的負担になるからね。
ここでは合理性の話ではなくて、自由と自己決定権の話をしているので……。
そのへんを表す自由主義の言葉に、「善に対する正義の優越」というのがある。
何が「良いこと」かは人によって違う。倫理観や道徳観(=善)には多様性があって、政府が「お前たちはこの道徳に従え!」なんていうのは押し付けだ。
大切なのは、色々な道徳の持ち主が公平に処遇されること(=正義)だ。他人の自由を侵害しないかぎり、自分の道徳を追求する自由と権利がある。異なる道徳同士のコンフリクトは、公平な制度によって調整される。
だから私は一貫して、最初の増田がどんな性教育を子供に施すのか、については干渉していない。ある人がどんな倫理観を持っていて、それをどんなふうに子供に教えるのかは、虐待とかの形で子供の権利を侵害しない限りにおいて自由なので。
でも、それを口実にして他者の自由を制約しようとするなら反対する。それが自由主義者としての私の一貫した立論。
そういう意味で、自由主義って社会全体にモラルの共有を求める考え方とは水と油なんだよね。大政翼賛会にもスターリニズムにも反対だし、天皇の写真を焼いた! けしからん! も、巨乳を強調したイラストだ! けしからん! も、どっちの表現規制にもNOと言う(正確には、「けしからん!」と思ってもいいし「けしからん!」と批判してもいいけど、それを理由に作品を撤去させたりしてはいけない。右翼やフェミニストが雑誌やブログに「この表現がいかに許しがたいか」みたいな文章を掲載する分にはどうぞご自由に)。
オタクって自由主義者が多いと自分基準で勝手に思ってたんだけど、意外とそうでもないのかな? というのが最近わかってきて、ちょっと驚いてる。周囲のオタク仲間が社会問題でそのへんのおっさんみたいな保守的な認識を示したり、自分に興味がないイシュー(博打とか刺青とかね)だと平気で規制だとか口に出したり(ちなみに、わいせつ物頒布罪と同様に単純賭博罪は廃止すべきだと思ってる。賭博開帳図利罪も「無許可or無届けで賭博の胴元をした罪」とかに変更して民営賭博を合法化するべき)、BL好きの人たちが美少女のイラストをお気持ちで殴ったりしてるのを見てると、オタク界隈でも自由主義の理念は強固なものじゃないんだね……って感じになるので、リベラル派として自由主義はいいぞというのを地道に伝えていきたいですね。
しかし例えばリアルな死体や糞尿の画像をレストラン街の入り口に貼ったら、消極的自由だでは通らないだろう。これはゾーニングの問題で、線引きは色々。そう簡単ではないのでは?
私はヴィーガンじゃないけど、ヴィーガンの人たちが肉フェスの前で動物の屠殺写真を展示するのは表現の自由だと思うよ。
肉フェスのときにこれは不法だ取り締まれって言ってた人たち大勢いたけど、私はそれに与しない。その写真の前で肉料理食べながら自撮りしてヴィーガンを煽るのは対抗言論なので表現の自由。なんでみんな、気に食わない表現に対して表現で対抗するんじゃなくて取り下げさせようとしたがるんだろう。
当たり前でしょう。刺青を入れるのは自由だし刺青を入れて公共空間を歩き回るのも自由。なぜならそこは公共空間なので。刺青を入れた人には公共空間を自由に歩き回る権利があるので。刺青を入れた人が公衆浴場に入れないのはおかしい。自由主義の理念に反している。
刺青を見たくない人は自宅風呂に入る自由とかお庭でビニールプールで遊ぶ自由とかを行使してください。
なんで「他人の自由な行動を見たくない自由」が「他人の行動の自由」を抑圧してまで叶えられるべきだと思っているんだろう。本当に謎。
自由を「権利」に置き換えてもいいよ。「刺青を見ることなく公衆浴場に入る権利」よりも「刺青を理由に入浴を妨げられない権利」の方が重要でしょ。少なくとも前者の人は、公衆浴場に入る権利は奪われてないよね。公衆浴場の光景が自分が望んでいるものではないってだけの話で。でも公共空間に自分が望まないものがあるのなんて当然なんだから、望んでいる光景を見る権利よりも誰かに望まれてないって理由で入浴を拒否されない権利の方が遥かに重要。
刺青も少女像も巨乳ポスターも、「(ある種の人にとっては)見ていて不愉快」程度の害しかない(ナイフで刺すみたいな具体的な加害ではない。ちなみに、私はどれもまったく不愉快とは思わない)。見たくないなら目を背けるなりすればいい。どうしてそんなに自由を制限しようとしたがるんですか?
ネタバレをする自由は当然あるので好きな作品はネタバレ踏まないように注意する派です。基本的にはネタバレ踏むのは自己責任だよね。ネタバレ踏んでチクショウって思ったこと何度もあるけどそれは踏む私が未熟なだけでネタバレ感想書く人のせいじゃない。
もちろんあなたのフォロワーにはネタバレを理由にあなたをリムる自由がある。
100字じゃ説明できないよね。ありがとう増田。原理原則から考えないと、金属バットや愛トレ、今回の胸などで手首がねじ切れちゃう。
ほんとにね。あいちトリエンナーレ問題で一緒に表現の自由のために戦ったはずの人たちからさんざん弾が飛んでくるの、裏切られた感がすごくて絶望的になるよ(公的な施設は抑制的であらねばならない、とか、お前それ愛知芸術文化センターでも同じこと言えんの? っていうね。TPOとかくっそ笑う。じゃあビジネスシーンではカカトの高い靴を履くのがマナーとか言われても文句言うなよと。まあ私はスーツの強制もヒールの強制も間違ってるそんなTPOはクソくらえって主張するけど)。左右の表現規制派からあいトリの天皇アートも日赤の宇崎ちゃんポスターも守り抜いていこうと改めて決意。とりあえず来週にでも久々に献血してくるわ。
日本の外交は専守防衛である。他所の国から「おまえらコレはどうなんだ?」と詰め寄られて初めて動き出す。いい加減それ、やめませんか?
例えば捕鯨、例えば死刑制度、例えば児童ポルノ。「海外からかかる圧力」はあっても、「日本が海外にかける圧力」はまるで聞かない。自称愛国者はそんな日本を「謙虚だ」と褒め称えるんだろうが、国民を守り国を支える上で表面的な謙虚さなんて要らないんだよ。
私は死刑反対派なので、海外からの圧力なんてあろうがなかろうが死刑はなくすべきだと思っている。一方で、死刑ごときで海外から「野蛮な国」呼ばわりされる筋合いもないと思っている。日本にも「銃の管理が世界一厳しい」っていういい所もあるんだよ。気軽に発砲、容疑者を銃殺する国とは違うんだよ。
そういった論点は、ネットではよく聞く割に海外には届かない。私が死刑反対派であるとか以前に、国として死刑にこだわる必要なんてぶっちゃけないのにね。ただ、「無条件で日本が屈した」という前例にしてはいけないとは私も思う。国と国は常に「合法的な内政干渉と治外法権」を求め合っている。それが外交なわけ。
海外にだって日本人は住んでるし、旅行にだって行く。人ごとじゃないんだよ。えっ、「犯罪者の処遇なんて一般市民には関係ない」って? あるんだよ。直接的には麻薬の運び屋云々とかもあるけど、ここで話題にしたいのは間接的なこと。国際社会の中で日本の存在感を高めていくには、日本の価値観が世界に浸透することが必要不可欠。もちろん日本にも海外にもいい所もあれば悪い所もある。悪い所は変えていけばいい。その代わり、いい所は広めていこう。
また予め言っておくと、私は鯨肉が嫌いだ。一度食べたことがあるが、この世の地獄かと思うほど生臭くて吐きそうになった。二度と食べない。ネットを見るとやはり鯨肉は人気がないようだ。
しかし、「食べるために殺す」ことを悪とする理屈は危険である。批判者はなぜか牛や豚は例外とするのだが、もちろん命に例外はない。人間社会の内部である限り、取り扱いに関する例外は人間自身と、その"所有物"だけである。
しかし、「平等に慈しむ」という観点から(多くの人が)許容できない行為があることも事実だろう。「食物として命をいただく」ことは許容されても、劣悪な環境で飼育することはやはり許容できない、"ということになっている"はずだ。しかしこうしたルールはしばしば守られない。
これは、単なる動物愛護の視点のみから問題視しているのではない。ルールがルールである以上、それは守られなければならない。公正な競争から外れた違法なルートを用いて儲けている業者があるなら、それは批判されなければならない。これは市場と経済の問題でもある。
例えばフォアグラの生産方法の残酷さは有名である。フォアグラは確かに美味しいのだが、美味しいからこそ問題なのである。つまり、日本はフォアグラを輸入するという立場にあり、フォアグラは「日本製の食品と競合する」立場にあるからだ。その生産方法に「公正であること」を求めるのは、貿易において日本が主導権を握るために必要なことだ。
例によって予め言っておくと、私は児童労働の観点から「児童ポルノ」にも「子役」にも反対だ。性的であるかどうかに関わらず、児童を用いて商売することは全て搾取であるとする立場である。何なら私は人間を性的に見ないセクシャリティを持つので、「年齢に関わらず人間と人間が性交渉することに反対だ」と言ってもいい。それらの是非はあなた方が勝手に議論してくれればいい。私は興味がないので。
最も大きなねじれが観測されるのは、やはり「架空の児童」を対象とするポルノに関する議論だろう。LGBTの議論は「クィア」なる言葉が出てきた頃から現代社会の遥か先を行くようになった。「クィア」とは日本語では「変態」とも訳すべき言葉で、あらゆるペドフィリアも含む性的嗜好を内包し、「セクシャルマイノリティ」を理解するための新しい視点を提供した。
とかまあそういうことはどうでもいいのだが、そうした文脈を通ってみれば、「架空の存在を性的に見るセクシャリティ」もまたここに発見されるわけである。時々「フィクトセクシャル」という言葉も使われるようだが、私は昔ながらの「二次専」という言葉を使う。私自身が二次専である。
「実在人物を性的に見る」ことに何の疑いもない人々は、性的な創作を見て「それが現実の事件のトリガーとなる」と主張する。それ自体は一定の説得力があるのだろう。この世の現象にはあらゆる事象が影響するのだから、「影響がない」ものを探す方が難しい。しかし彼らは、「我々がセックスをすることが、レイプ事件を引き起こす。セックスをやめるべきだ」とは言わない。なぜなら、彼ら自身が困るからである。彼らはセックスをやめられないからである。ではなぜ創作表現は気軽に批判してしまえるのか? 彼ら自身が困らないからである。ここにセクシャリティの非対称性があり、差別意識が発見されるのである。
と、長々と書いたのは前提で、ここからが本題。今まで日本がやってきたことは、海外から「(架空の児童を対象にしたものであっても)児童ポルノをなくせ」と圧力をかけられ、その度に応戦するという形でしか行動してこなかった。日本はアニメ産業に目をつけ「クールジャパン」などと言っているが、本当に日本の二次元文化を世界に広めたいなら、各国で「児童ポルノ」と認定されるような作品をこそ売り込まなければいけないんだよ。そのためには、「日本国内の文化を守る」だけじゃなくて、各国の理不尽な規制に対する批判を日本から積極的に発信していかなきゃいけない。「それは人権侵害だ」と。「セクシャリティを尊重しろ」と。