遺骨って、その骨格を有していた人の所有物じゃなくなってしまうよね。
例えば散骨って遺骨を細かく砕いてから撒かないといけないらしいけど、本人の意向がどうであれ、骨を砕く行為は遺族の感情に左右されるだろうから、故人の思い通りにはなりにくいんじゃないかな。
ただ骨壺には結局全部の遺骨を入れられなくて、大部分は処分される運命にあるわけじゃない。どうせ一部しか残らないなら、全部捨ててしまえばいいのにって思うことがある。
少なくとも自分の遺骨は、いっそ全部廃棄処分してしまっても構わないかなあなんて思ったりもする。想像するとちょっぴりさみしい気がするけど。
時々自分の遺骨なんて家の墓に埋葬してほしくないなあとか、できれば誰も人の来ない野山に散骨してほしいかなあとか考えるんだけど、きっと思い通りいくはずがなくて、死って自身に関する所有権を失ってしまうことなのかなあ、なんて今書いてて思った。別に家族が嫌いなわけじゃないけど、家の一員として刻まれることになんか抵抗があるんだよなあ。ふしぎ。
そもそも自身の骨格に対する所有権なんてものが存在するのかどうか。
自分の骨格や血肉は、確かに自分に属しているけれど、自分が所有しているわけじゃない気がする。
自身が所有していることと、自身の一部であることは違うものね。たぶん。
まあどうでもいいか。
年取ると自分の遺骨の処遇とか気になってくるのかな 今は本当どうでもいいと思ってしまうけど
すんなり所謂遺骨になれると思う方が間違ってる 孤独死して肉は腐り蛆の苗床になってやがてドロドロの液体になって床に染み込むって人は特に増田なら少なくないだろう
オイラも時々つらつら想い悩むけど、結局そのときオイラの意識も存在も無いわけだから、この元増田の最後の一行の気分でいつも考察が終わってしまう(笑)
そのために葬式をするんだよ。(故人の個人的なおもいを成仏させる)
成仏は故人のためならず
anond:20191203000745 これ書いた増田ですが、今日ニュースサイトでびっくりする情報を得ました。 なんと、東日本の地域では、火葬後遺骨をすべて骨壷に納めるそうなのです。 本当ですか?