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はてなキーワード: 不道徳とは

2020-03-22

『100日後に死ぬワニ』が炎上しているらしいけど

この炎上は、ワニの死をエンターテイメントとして楽しんでた人たちが

自分不道徳さ、その気まずさを誤魔化すため、

八つ当たりしてるに過ぎない

恥を恥で上塗りしてやがる

2020-03-21

職場にの若い奴が咳ばかりしてるのに休まない。

愚痴なので書く。

職場若い奴、2年目が入社して、ここ最近5日間ほど咳ばかりしてる。

明らかに顔も赤い。

職場人間が全員「いい加減休め。迷惑だ。具合が悪いのは誰から見てもわかる。出社するな」と言っても出てきて仕事をしたがる。

無理やり休ませる方法がないから仕方なく追い返せない。

本当に迷惑なのだ。そこで、率先して「ちょっと具合悪いんで休みまーす」と有休を出した。

そうしたら、「あ、あの……じゃあ私も」と言い出した。

どうやら有給休暇を取るのが不道徳最初に具合悪いと他人うつしたと思われるという恐怖が、コロナの恐怖を超えていたようだ。

いや、迷惑から

掛かった奴を責めるアホはほっとけ。

2020-03-12

anond:20200311165317

あなたは、典型的美大卒のデザイナーなのだろうなと思いました。

いわゆる、自身の作ってきたものや作るのもに自信を持つ職人気質であるように読み取れました。

広告が金儲けの仕組みとして、正々堂々とした道徳的業界仕事である認識されたのは、30年前ぐらいという認識でいます。(これは2020年版の「不道徳経済学」(早川書房)、訳者あとがきに記されていたことを元にしていますが、自分は実際は40年位前じゃないかって考えてます理由90年代において、既に広告屋が不道徳でないという認識が広まっていたという個人的見解に基づく物です。不道徳経済学原本ウォルターブロックという方でアメリカでの話をしている点も個人的見解に影響をあたえています。)

それ以前は、「広告付加価値を生まないか不要である」と考えられていたようです。

まり、ここで言いたいのは、あなたが考える広告文化とは30年から40年間でやっと道徳的仕事である認識されるようになったという経緯を前提にして考えてみると、道徳的仕事であるという認識が元から浅かったのではないでしょうか。

また、「広告があるから製品がある」(広告製品)ではなく「製品があるから広告がある」(製品広告)という根本的なところについてはどうお考えでしょうか。

私は、広告製品(ないしサービス)の金儲けを手助けするためのものと考えています

まり、金儲けをお助けするのが根本にあると考えており、金儲け(ビジネス)なのですからお金さえ儲かればどうでもいいのです。

元来、広告とはそのような成り立ちがあったと考えます。つまるところ、広告業界とは表面的な変化は時代に沿って変わってきているが、根本的なところは何一つとして変わっていないと考えています

さてさて、そもそも文化」とはとても高尚な表現に聞こえますが、よく悪しき文化としてあがる政治的主張暴力解決する戦争だって人間文化です。(戦争文化で美しい!という思想をもっていましたら、ちょっと伝わらないかもしれないのですが...。)

デザイナーありがちな、自信の仕事を高尚なものであると考える誤解はほどほどになさった方がよいかと思いまして、コメントさせていただきました。

2020-01-23

市場原理的に障害者生産したものを使うメリットを作るべき。

要するに、「それがどんなに道徳的に正しいものだと思っていても不道徳もののほうが市場原理に適していたらそちらが買われる」

ということ。

もっと具体的に例に出すと、漫画村正規電子書籍

なぜ漫画村があれほど犯罪であったのにみんな使ったかというと、「無料で最新マンガのすべてが読める」という市場原理的に最強だったからだよね。

から犯罪逮捕されたわけだけれども。

障害者生産したものメリット市場原理的に正規商品と一緒だったら生まれしまうので、メリットを作るべき。

具体的には税制による優遇とか、もしくは購入義務とか。

そうしないと厳しいと思う。

議員先生に頑張ってもらいたい。

2020-01-21

anond:20200121150034

開国後は不道徳矯正すべきとして、治療対象だったぞ。

うん、だから、それ舶来文化やん?欧米の真似しただけやん?

日本の元々の文化じゃないよ?って話だけど。

anond:20200121145358

衆道武士はもともと戦で周りに女が居ないかしかたなくって面や、男色の高位者に取り入るための手段っていう実利的な面。

江戸時代男余りで男娼のほうが安かったっていう経済的社会的事情で認められていただけだぞ。

開国後は不道徳矯正すべきとして、治療対象だったぞ。

勉強になったな、まあその知能じゃ理解できんだろうがな。

2020-01-15

信仰ある人間不正行為を行うとき、神はどこにいるのだろうか

プッチーニオペラトスカ》の第一幕は、スカルピア教会で一人トスカへの邪な欲望を歌い上げるなか、聖歌が響き渡り幕が下りる。《テ・デウム》と言われる名シーンだ。

https://www.youtube.com/watch?v=tgWW6o1y9xI

このときスカルピアは「トスカ、お前は俺に神をも忘れさせる」と叫ぶ。これは、神を忘れなければ非道をなしえないという、彼の拭い切れない信仰心残滓を感じさせる言葉であるオペラ最後で、トスカは「スカルピアよ、神の前で会おう」と言って飛び降りる。トスカと並んで神の前に立ったスカルピア心中や如何。忘れ去ったはずの神を目前にして、彼の良心は傷んだのだろうか。

職場キリスト教徒フィリピン人がいる。こいつが、ちょっとした不正行為を行って、しかもその協力を俺に要求してくるんで困っているのだ。1回数百円程度の不正で、頻度も多いわけではないが、他の同僚にも協力してあげなよ的なプレッシャーをかけられるし、本人も当然のごとく不正の協力を要求してくるので断りづらく、ズルズルとやってしまっている。やってはいるが、不愉快もやもやしている。その不正自由にできる立場にありながら自分はやらないのは、それが不正からだ。信仰心のある人間よりない俺の方が倫理的だというのはおもしろい話ではある。しか不思議なのは、その不正行為を行っているとき、彼の神はどこにいるのだろうかということ。神の前で恥ずかしくないのだろうか。それとも神が不道徳であるとか盲目であるとかが想定されているのか。ひょっとしたら「数百円、お前は俺に神をも忘れさせる」なのかもしれないが。

2019-12-28

東京人間下品過ぎてゲンナリ

あいつらなんで人前で平気で咳だのくしゃみだのすんの。

口元も押さえないで。

外ならまだしも、電車の中とか、酷い時には飯屋の中で。

おまけに歩きたばこはするわ、火のついたタバコ側溝の隙間にねじ込んだり、踏み消す事すらせずにポイ捨てとか。

トイレに入れば手も洗わずに扉開けて出てくし。

不潔。

不衛生。

不道徳

下品

何なんだよあいつら。

2019-12-10

安倍政権が存続するのは皆が「それくらい(自分もやってるから)いいだろ」って考えてるだけの話

すっごく素朴な共感しかないんだよ、桜を見る会のやつなんて。

もちろん世の中には多くの人が「あれは駄目だ」と思ってる人がいるよ? 問題は「似たようなことな自分もやってる」って人がもっと多いことなんだよ。

それはすっごく小さなことでいいの。交通費ちょっと水増しするとか、出張ついでに経費ちょろまかすとか、歓送迎会自分の行きたい店選ぶとか、そういう話よ。「厳密には駄目だけど、まあそれくらいいっか」っていう感覚はかなり広い範囲理解されるよ。むしろ後押しにすらなってるのでは? 世の中の大多数は馬鹿から安倍さんも『やっちゃう』んですね、へへっ」くらいに思ってる可能性すらあるよ。

anond:20191209220308

結局のところ、これも「政治的正しさ」が2010年代に入ってから声高に叫ばれるようになったことのバックラッシュだと思うけどね。正しいことって息苦しいか不道徳に生きたいんだよみんな。はーホントクソ。

2019-11-05

anond:20191105181305

不道徳で人の精神を蝕んで初めて文学文学たり得る。

その時代タブーに挑んで人の価値観を揺るがしてこそだ。

時代価値観に合わせて作られるものは消費されて終わるだけのポルノにすぎない。

2019-10-23

anond:20191023173623

正しさで人は幸せになれないしなあ。

あまつさえそうやって人を憎む始末じゃ過度に道徳的人間不道徳人間と同じくらい世の中にいらない存在なんじゃないかな。

不道徳なにんげんゆるせない

ポイ捨てゆるせない歩きタバコゆるせない電車の順番抜かしゆるせない通りすがり他人バカにする人ゆるせない人を傷つける人ゆるせない万引ゆるせない痴漢ゆるせないパワハラゆるせない

正直者がばかをみる

清らかなで真面目なにんげんだけ残して不道徳な人らの名前を全員デスノートに書いてしまいたい

2019-10-21

ウェブカツの「かずきち」氏

色んな人の考えを聞いてみたい。

そうよ?

数千人がね。

逆にこんなのにすら君は勝てないの?

君にいくら払われているんだい?

それが君の現実なんだろ笑

https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185511859912237056

そもそも、それが「汚い」という感覚な時点で稼げる経営者からしたら

「お察し」

なんだよね〜

まぁ、そんな人達が多いから稼げる人達は稼いでいってそういう人達を上手く使って経済回しているわけでね

https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185514209477480449

金に疎いバカばっかだな笑

一生やってろよ笑

https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185528580618375168

ごめん、頭にウジ沸いてるのに君より数十倍良い生活しちゃってるわ、、

なんでなんだろうね、、

https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185537197505531905

いや、君ら頭の弱い人々に自慢したいなと思ってさ笑

ロールスもベンツのS63longもあるよ〜

ごめん、何が効いてるのかはよく分からない、、

君らもやし人間と違って僕めっちゃタフなんだけど、、

からボンクラエンジニア連中よりも仕事出来ちゃうのかな

https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185763795613806592

ちょっと本気でわからない。

 

どうすればここまでアレになれるのか、まったく完全にわからない。

嘘でそれを演じようと思っても、無意識常識とか良識邪魔をして、ここまで下品にはなれない気がする。

ネトウヨとかツイフェミとか、自分(これを書いている俺)から見て不思議人種ネットにたくさんいるけど、なんとなく「その人がなぜそうなってしまたか」みたいなのはうっすら想像がつく。

けどこの人。どうすればこうなるんだ。

ちゃんねるのまとめサイトで痛いやつとしてまとめられそうな文句ばかりじゃないか……高級外車自慢とか……。

 

ウェブカツとかいサービスの質とか経営者技術者としての倫理観とかはハッキリ言ってどうでもいい。

「かずきち」氏というひとりの大人人間性がここまでねじ曲がってしまったその過程がすごく知りたい。

自分にはとても想像がつかない。

 

当人は「ブランディングとしてあえてやっていた」などとうそぶいているけれど、こんなもん、「ウェブカツ」で検索したらそのうちこの人の悪評ばかりがヒットするようになることは目に見えていて、ブランド価値をただ一方的毀損しかしていないと思う。上場企業だったら株価が下がるくらいのできごとだと思う。

「イキったヤンキーメンタル成金ヤカラがやってるスクール」というブランドに魅力を感じる層がもしかしたらいるのかもしれないが数は多くないだろうと思う。

 

前後ツイートにも(私のような善良な小市民の目から見ると)不道徳ものが多いのだけれど、とにかく徹底しているのは「カネを持っているかエライ」というゆがんだ価値観で、わずかな教養があれば少なくとも口に出しただけで軽蔑されるたぐいの言説だとわかるはずなのだけれど。

 

もしかしてホリエモンのまねをしたいのか。

 

ホリエモンも独特の放言で物議を醸すことが多いが、あれは自己責任論を少々履き違えて「貧乏なのは全部お前の責任」という極論を言っているだけで、「だからカネを持っている俺のほうがお前より立派な人物である」とまでは言っていない。内心もしかしたら思っているのかもしれないが、少なくとも、それを言わない程度の良識か、口に出すのは間違いだという常識はわきまえている。

「かずきち」氏はそのホリエモンの履き違えをさらに履き違えて、「金持ち自分貧乏人を小馬鹿にするのはかっこいいこと」と思っているようにみえる。それをブランディングだと考えているくらいだから、なにかポジティヴ効果が期待できると思っていそうではある。

 

こんな人間しかもそれを隠そうともしない人間)ができあがる仕組みが本当に不思議で、ちょっと色んな人の考えを聞いてみたい。

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-06-24

anond:20190624122639

ブスブサイク渡辺淳一作品登場人物みたいなマネしてもグロいだけだから死ねよ。っていう突き放しだろ?

ぶっちゃけ同意

性愛にまつわる不道徳美男美女だけに特権的に許されるべき。

だってそうじゃなけりゃグロくて不愉快なんだもん。伝聞で知るだけだとしても。

2019-06-22

anond:20190622011600

ホリエモン年金デモ参加者disって永江一石や田端同調してたけど、この増田言い草とも通底してるね。

不道徳で、怠惰で、攻撃的で、能力も才能もない、そういう奴らを救おうと思う奴はほとんどいないってのはまさにその通りだよ。

自助努力痕跡が見えない人間を許せないんだろな。

ただ、綺麗事を撒き散らして状況の打破になんら貢献しないお花畑連中よりかは

てめえでどうにかしろ!って檄を飛ばす気骨あるこういうオッサンの方が頼りがいはあるね。

なんやかんやお節介焼きな人も多いし。

anond:20190621224508

なんつーかすげえ資本主義的な意見だな。

企業イメージも金になる(悪いイメージは金にならない)って気づいたから、環境保全運動してるみたいな感じ。

それ自体は動きとしては強いし、別におかしな事もないんだが、逆に言えば「金にならない部分は無視しよう」って事だし、すげえ利己的な視点なんだよな。

まぁ人権屋とか運動家なんて所詮、増大した自己愛のための「こんなに優しい私達」でしかないって言う意味では同意する。

不道徳で、怠惰で、攻撃的で、能力も才能もない、そういう奴らを救おうと思う奴はほとんどいないってのはまさにその通りだよ。

2019-06-02

ポルノ

もともとは売春姦淫不正不道徳な性行為意味する

たとえば夫婦間での性行為ポルノではなかった

(その行為他人に見せるのが不道徳だと判断されるならポルノといえる)

フードポルノという表現は30年以上前からあるようだ

ポルノという言葉から性的意味が除かれて不道徳性のみが残ったといえるか

と思ったんだけど、どうやらポルノのように刺激的・魅惑的だからということらしい

日本では愛国ポルノ表現されるものは、韓国だと「国+ヒロポン」でクッポンと呼ぶ

ポルノよりヒロポンにたとえる方がわかりやすい気がする

2019-05-25

anond:20190524105540

「同じ命を肉と草に分けることの不道徳」なら「同じ命を人間動物に分けることの不道徳」も言えるんじゃないの

生命の話じゃなく苦痛の話だって言ってるのに植物苦痛を感じるとか言うのってニセ科学ヤバイ香りがする

2019-05-24

anond:20190524104830

かにフェイクファーを選ぶ「倫理」については深く突っ込む必要がなかったな

ヴィーガンになると「同じ命を肉と草に分けることの不道徳」が浮き彫りになるのは確かに事の重大さの違いかもね

2019-05-16

anond:20190516034956

世の中すべての人が世の中は自分好みであるべきだというのを突き進めるとどうなるか?それは自由が失われた社会だよ。

イスラム覆面ブルカだって、結局は別の誰かが「女が顔、髪、肌を晒すのは性的欲情をもたらし不道徳だ!」と言い出したがゆえの結果。

から嫌なら見るな」と指図される。

自由自由を奪う権利までは認めていない(戦う民主主義

2019-05-15

2015年NTT営業の子会社退職しました

NTT退職エントリに多い本社系やエンジニア業務でなくもっと最前線カスタマーと日々関わる営業系の会社に四年ほど勤めて退社しました。

非常に待遇の良い時期から必要なくなった人材場所に対するNTTの非常に合理的排除と、なぜか守られる年配社員とのギャップに嫌気がさして転職しました。ただ誤解がないように言っておくと一般的モラルのない人は多かったけど、全体的な中の人の人柄は良かったです。モラルがないというのは課長以下の非正規社員に対する権限が過大なため、パワハラセクハラ、中でも不倫が本当に多かった。退職後に離婚して不倫相手再婚した上司も1人2人ではなく、不倫は少なくともNTT内部では黙認されている文化でした。

前職を辞めて転職活動期間の場つなぎ的なつもりでNTT系の営業会社入社、いわゆるコールセンター業務既存カスタマーとの対応がメインの職種でした。

約一ヶ月の研修を経て現場に着台すると女の人だらけの職場の為、上司との縦関係人間関係とは別に誰が力を持っていて、誰と誰が仲が悪いかなど人間関係かにするべき要素が色々ありました。幸い、最初についた上司センター内で力を持っているタイプ上司でいろいろな仕事を教わりましたが、その中にはパワハラ的な指導も多く自分より後に入った2人の後輩はメンタルをやられて休職となりました。(自分は男、上司女性です)

前職で何も物を売らずにお金だけもらう仕事をしていた為、アクセスラインサービス提供して金銭の授受を受ける仕事には当初やりがいを感じており顧客対応スキルも良好で一年から全国のセンターでも上位の成績を抑えてインセンティブを大量にもらうことができました。

当時のNは固定回線市場もおおかた開拓し尽くされ、ケーブルテレビやその他固定回線シェアを取り合っている状態新規回線の獲得や辞めようとしている人をあの手この手で引き止めることで給与とは別に報酬が発生していました。基本給だけではワープアレベル契約社員が、このインセンティブをもらうことで年代別の年収平均くらいまではもらうことができました。(基本年収給240万+インセンティブ160-240万)

その中で自分プレイヤーとして全国でランキングに載る程度の成績をキープし、いろんなホテルでの表彰式や船上パーティーなどにも参加することができました。(2010年代の話です。)

そしてその後、NTTアクセスライン設備を他社に利用させることで営業は他社に任せて設備だけ維持しておけば金が入る夢のシステムビジネスデザインの偉い人たちが考え、場所における需要がなくなるとインセンティブは十分の一に縮小されると共にそれまで馬の前に吊るされた人参的に契約社員モチベーションとなっていた正社員登用もセンターで年に1人程度から全国で2-3人と大幅に縮小してきました。

当時自分プレイヤーとしては成果を残してチームのマネージメント契約社員として担当しておりましたが、給与は最盛期の半分程度にもかかわらず、客先に出向き謝罪をしたり法的なリスクのある案件ハンドリング正社員として入社した社員指導などを担当していました。

スキル的な意味では非常にタメになった期間だったのですが、いかんせん報酬仕事が見合っておらず転職検討し出しました。幸いここまでの仕事で培ったスキルには業界的な需要があり、早々に外資カスタマーサポート内定が決まり上司に報告をして退社の運びとなりました。

上記の通り契約社員は正しく雇用の調整弁として扱われ必要な時は持ち上げ、不必要になると変動できる給与を残しておきそちらをバッサリいくのは合理的だなと思いましたが、同時に古くからNの正社員採用をされてほとんどまともな仕事ができず、社内のお手紙を運ぶだけの仕事毎日している人たちが自分給料の倍以上もらっている環境メンタルにしんどかったです。

契約社員労働組合強制加入となって毎月5000円弱の組合費を取られるのですが、組合が役に立ったことは一度もなかったです。(Nの組合文字通り御用組合非正規雇用に対して動くことはありませんでした。)

繰り返しになりますがNTTの中の人の人柄はいいのですが、モラルが薄く内部では不道徳が横行しております不倫パワハラもそうですが、一般お客様に対して不要黒電話の料金を取り続けたり、引っ越しや新設の際に不要オプション無責任に山盛り付けたりが平気で行われていました。皆さんも自身契約しっかり見直して、不思議な内容がないか確認してくださいね。その上でコールセンタに電話する時はできれば冷静に怒らず、契約見直しを伝えてください。電話に出ているのは不利な待遇の中で働いている契約社員派遣社員オペレーターばかりです。

本当に問題のあるやつに皆さんの声は届かないようになっています。何卒お願いいたします。

2019-05-06

ワクチン接種を強制することは反道徳的

ホッテントリの反ワクチンに関する記事を読んだ。

議論道義的ものであるべきで、(病気に対する)慎重さに関するものであってはいけない。

ジョセフ・ヒース「ワクチン接種は集合行為問題だ」(2015年2月5日) — 経済学101

でも、これはいくつかの意味おかしいと思う。この記事は、多くの人がワクチン摂取するべきであり、そうしないのは不道徳である、という考えに基づいて書かれている。だが、私にはそれが自明の前提とはどうしても思えない。

自分身体に何を入れるか決める基準を「公益」に置くのは必ずしも道徳的とはいえない

そもそも自分身体に何を入れ、何を入れないか、決めてよいのは自分だけだ。自分身体自分だけのもの。当たり前だろう。これが身体ペニスを挿入してよいかという問題であれば、ほとんどの人がそれを決める権利自分しかないと答えるはずなのに、どうして同じ理屈ワクチンでは通用しないのか。

公益のために注射針を刺して弱毒化された抗原を身体に入れろ、なんて、他人強制してよいこととはどうしても思えない。毒であることが問題なのではない。私はそれがほとんど無害であり極めて低い確率しか副作用は起こらずおおむね安全であることを知っている。そうではなくて、自分身体に何を入れるかを他人に指図されるべきではないということだ。

今回はワクチンにすぎないかもしれない。でも、次が行動監視ナノマシンだったら? 治安の良さは公益だ、やましいところがなければ入れられるはずだ、公益のためのナノマシン接種拒否不道徳だ。そう言われたらどうする?

自分身体に何を入れるかを決めてよいのは当人あるいはその親権者だけだ。それを他人に強いるのは不道徳である(もちろん、説得はしてよい。ワクチン安全性を説き、公衆衛生重要さを熱弁するのは自由であろう。相手自由を損なわない範囲においてだが)。

(この立場は、アメリカの反ワクチン運動を紹介しているWIREDの記事でも紹介されていた。私はニセ科学に傾倒した反ワクチンはばっかじゃねーのと思うが、「政府自分たちの子もの体内に入るもの強制すべきではない」という主義主張自由主義者として大いに頷ける)

現在日本において、ワクチン義務化は必ずしも道徳的とはいえない

それでも、そのような自由公益のために制限されてもよい、という主張もあり得るだろう。では、ジョセフ・ヒース氏の住んでいる国ではどうだか知らないが、我々が住んでいる日本という国においてその理路は成り立つだろうか?

自由制限し、義務化するのなら、当然その負担は最低限にまで低減されなければならない。だが現実にはどうか。インフルエンザワクチンの接種は自由診療であり、無料でないばかりか保険すら利かない。風疹ワクチンの未接種が話題になったが、ある世代男性に限っては無料になったとはいえ、多くの人にとってそれは保険診療として打つものである

公益のために義務で打てというなら、その負担は最低限のものであるべきだ。高い診療費を払ってわざわざ病院診療時間に打ちに行く手間とカネを惜しんでいったい何が悪いのか。保険診療にすらなっていない現状で接種は道徳的義務なんてちゃんちゃらおかしい。

公益のために自由を踏み躙るなら、当然それによって被る不利益は最低限度であるべきだろう。高い代償を払ってこれこれのことをしろ、そうしなければお前は反社会的な行動をしていることになるのだ、道徳をわきまえた市民ならばこのくらいの代償は払えるはずだ、などと恫喝してくる国家社会は、正直かなり胡散臭い

それでも、ワクチン接種費用程度ならたいした実害はないじゃないか、という反論があるかもしれない。なるほど、もしもあなた貧困層でなければ、確かにちょっと痛い出費程度で済むだろう。だが、問題はその「義務」はどこまで拡大されるのかということだ。今あなたが遵うべきだと言っているその「公益のための義務」が、いつの間にか「兵役」になっていなければよいのだが。

そして我々が住むこの日本国は、経済的自由主義の名の下に医療費を着々と削っている。小泉純一郎以来この国の福祉自由主義の旗の下で掘り崩され、削られてきた。このような状況で「道徳的義務」などというものが持ち出されることには警戒した方がよい。国家市民生活に対して負う義務を年々縮小しながら、市民に対して「公益」を根拠負担を迫ってくる。冗談ではない。なぜもらえるかどうかわからない年金を払い続ける人びとが、そんな「公益」とやらを慮って差し上げねばならないのか?

経済的自由主義公的サービスを縮小するのなら、民間自由も拡大させなければ筋が通るまい。もちろんそこにはワクチンを接種しない自由も含まれる。逆に民間自由にある程度制限を加えようとするならば、失われた自由に見合うだけの大きな政府を実現してもらわねば困る。

往々にして反・反ワクチン論者は不道徳であり、彼らの要求に従わない人間が現れるのは当然である

感染症にかかった人間不用意に出歩いてウイルス拡散され、流行が広がってしまう。なるほど悲劇だ。だがそういう悲劇が起こる度に、公衆衛生を錦の御旗のごとく掲げる人びとは、大元罹患者に向かってバイオテロだのと心ない言葉を浴びせかける。彼もしくは彼女もまた、病気犠牲者であることを忘れ去って。

たとえば敵国の社会を壊滅させることを狙ってウイルス炭疽菌を散布するような意図を持ったテロリストは、道徳的非難対象となって当然だろう。だが、不幸にも病気にかかってしまった状態不用意に歩き回ったという、ちょっと迂闊だった程度の人が、患者が、そこまで非難対象とされるのは絶対に間違っていると考える。それは犠牲者非難かいうやつじゃないのか。犠牲者非難を許してはいけない。

病気人間意志を超えたところに存在し、運やら体質やらの本人にはどうしようもない状況に付け込んで罹患させる。そのような感染症患者を、運悪く感染不用意な行動を取ってしまったという理由で、バイオテロだの加害者だのと責めるのは道徳的に間違っている。そして、道徳的に間違っている主張をしている人間の言うことに従わない人間がいることは当然である

少なくとも私は、このような言説を振りまく一部の反・反ワクチン派の醜態を見て、風疹ワクチン絶対に打たないと心に決めた。政策の失敗によってワクチン接種の機会を失っただけの、なんの責任もない特定世代の人びとを加害者呼ばわりする連中に腹が立ったからだ。風疹流行をめぐって吹き荒れた犠牲者非難の言説は本当に醜悪だった。あれを見てしまった以上、風疹ワクチン接種に加担することはできない。

まとめ

以上、反ワクチンが必ずしも道徳的に間違っているとはいえず、むしろワクチン接種の強制こそが道義に反していることを示した。自由主義者として、そして犠牲者非難を憎む者として、私は反ワクチン主義にも聞くべき理があると主張する。なるほど彼らは科学的にデタラメなことを信じ込んでいるのかもしれない。だがそれは、彼らにワクチン接種を強要する側の道義的な正しさを裏付けものではないのだ。むしろその強要こそが、反ワクチン論者に三分の理を与えているのである

ほらやっぱり

あっ反知性主義者

自分がかかった麻疹自分が生き延びても他人を殺してもかまわない覚悟がありそう

熱を押して主要駅にでかける麻疹テロとかやりそう

anond:20190506182500

こういうトラバが速攻でつくわけだろ? こういう言説を(たとえ自分宛てのものじゃなくても)見る度に、絶対ワクチンは打たないぞという決意を固めるよね。

ブコメ

権利と他の権利は常に対立するもの100%正義存在しないところではあるが、我々は武装する権利他者を傷つける権利行使することはできない。

他人を傷つける権利行使できないというなら、身体注射針を刺すことを強要することはできないという結論になるはずでは。医者行為傷害罪構成要件に該当することはご存知ですよね? 正当業務行為から違法性が阻却されるだけで。そして医者にかかる患者医療を受けることに同意しているわけですが、ワクチン接種を拒否する人たちの身体ワクチンを打つことを強要しようとしたら当然彼ら彼女らの身体への侵害となります他人を傷つける権利行使してはいけないというならまずワクチン接種の強要をやめるべきでしょう。

そもそも感染症他者うつしてしまうことは基本的他者への加害ではないわけで。それを加害と呼ぶのなら人より感染症への抵抗力が弱く生まれついた人間としては全力で抵抗せざるを得ないですね。そのような言説を振りまく人間の言うことに従わないという消極的抵抗を今後も続けていきたいと思います基本的にめんどくさがりなのでデモとかも意義は認めるものの参加したことはないのですが、これはコストのかからない良い抵抗方法だと思うので加害者呼ばわりバイオテロ呼ばわりに憤る人たちにオススメです。

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