はてなキーワード: リア充とは
正解を教えてやろう
リア充「オタクに良い人がいるのは知ってるし、オタク趣味だって尊重するけど、一部の人はなんでわざわざこっちの好きなものを攻撃してくるの!?」
オタク「僕もオタクだけど、人の好きなものをバカにする奴ってほんとにクソ野郎だと思いますね!オタクの風上にもおけない奴だ!」
なんでこれが出来ないんだ。簡単なのに
その塾に、偏差値65くらいの学校のリア充系高校生女子が入塾し、私が担当することになった。
初回の授業開始前は怖さで心臓ばくばくで、そんな自分があまりにも情けなかった。授業がはじまると授業の内容に集中することで、不安はおさまった。
ちげーよ馬鹿。
下手だからおもしろくないんじゃねーよ、オマエの友達が少ないからだろ?
FPS廃人で超絶理解不能なプレイするキチガイとかでもな、めっちゃ楽しんでる奴もいれば拷問みたいにプレイするのもいるからな? ww
こういうのはな、口で言っても説明不可能なんだよ。いいから早く誰でもいいから目についたプレイヤーにフレンドコードを送り付けろ。不安だったらその経過を増田に上げて(相手には伝えておけよ?)もブログに書いてもtweetしてもいい。とにかくコミュニケーションをリアルタイムで取りながら遊べ。
いやエスパーしちまって済まんがリア充ならスイッチ持ち寄ってローカルでワイワイやってみてくれ。そして、そこでもイライラして楽しくなくて終わった後もそんな気分が続くなら、やっぱりオマエは友達少ないんじゃねーの? と言わざるを得ない。
フレンドだ、フレンドを増やすんだ。
それはゲーム自体の純粋な楽しみじゃないと思うかもしれないが、そもそもスプラの対戦は相手がいなきゃできないだろ? 仲のいい友達と雪合戦するのと、見知らぬ大人のガチスポーツ雪合戦(実在)に子供が乱入するのって同じ状況だと思うか? 違うだろう?
「ご趣味は?」
正確に言えば、この質問が出てくるような状況で盛り上がれたためしがない。
「ご趣味は?」
とりあえず相手のことが知りたい。
この人はどんな人なんだろう。
この言葉にはそういった質問者の意図が含まれているのかもしれない。
いいではないか。何もを悪くない。むしろその精神はすばらしい。褒め称えられるべきだ。
しかし。
回答者の趣味が、ここでいう俺の趣味が、ちょっっっっっっとばかしディープだったとき。あなたのよく知らない世界のものだったとき。
あなた困りませんか?困るでしょうね。いーや困るんですよ。困るんです。あなたは困ります。断言します。
だいたい「ご趣味は?」なんて聞いてくるあなたはリア充イケイケさわやか元気くん(ちゃん)と相場が決まっているんですよ。
「なんか話題ねえかなー」って探した時にポンと、尻ポケットから出てくるようなテーマなんですよ。
で。そんな話題切れで困るような相手に趣味の話を振るなんて論外。最悪の結果しか生まない。さらに気まずくなることこの上なし。
それで双方その場に居づらくなって、その後会うことがあってもやはりなんとなく気まずい。ゲームオーバー。
これはちょっと極端すぎですね。
熱くなりすぎました。ごめんなさい。
いつも気まずくなるから。
とりあえず嘘をついてボロが出るのもまずいから「ご趣味は?」と振られたら正直に「漫画を読むことです。」と返す。他に特にないし。
するとまあ、条件反射で大方の人間は「何の漫画を読んでるんですか?」と俺に聞く。
で、こんな質問をしてくる奴は漫画なんぞ読まねえと経験上俺は知っているからとりあえず「進撃の巨人です」と答える。間違っても「エリア51です」なんて言わない。絶対に。
そしたらまあ進撃の巨人は知名度もあるから相手は「あー、あの」となる。それだけ。これで大抵ターン終了。なんとか乗り切った。ありがとう進撃の巨人。いい仕事してる。
そうしてなんとかこちらのターンを終えたらあとはまあ礼儀としてというか、儀礼としてこっちからも趣味を聞いて、そこを適当に掘り下げるなり下げないなりして、話題終了。お疲れ様でした。
これでなんとか、相手が調子よくペラペラしゃべってくれれば無問題。よかったよかった。気まずさ回避成功。
で、問題は相手もそこまでうまく趣味の話をできなかった場合。残念。気まずさ回避失敗。あーあ。なんだこの空気。
ほとんどのパターンが後者だ。気まずさ回避率は著しく低い。うんざり。
俺にももう少しコミュニケーション能力というか、相手が全く知らない、興味のない世界の話を面白く話す力があれば気まずくならなくて済むんだけどさ。
難しいよ趣味の話。
広げようにも失敗するリスクが高すぎる。
こんなん少なくとも初対面の奴としちゃいけない。
初対面で趣味の話を振るな。
https://anond.hatelabo.jp/20170820140305 を読んだ。これを読んだだけの時点では、この小説を馬鹿にする気持ちがあった。
私は今ではほとんど物語に触れなくなってしまった30代の元オタク女で、個人的には異世界転生ものとか興味がない。ああいうのはチートで俺TUEEEEEしてるだけの小説とも言えないモノローグでしかないんだろうと偏見を抱いている。そもそも異世界転生ものを読んだこともないのにそんなことを思っているので、まごうことなき偏見だし差別でもある。
それに、陰キャを馬鹿にするリア充女子高生というテンプレキャラが主人公というのも気に入らないし、陰キャのキモオタというこれまたテンプレの千葉というキャラもそれだけで嫌悪感が湧いた。
そしてそんな頭悪そうな設定のもと性を題材に扱うとか、きっと読んでも不愉快なものしか残らないんだろうな、と思った。
でも、それでも読んでみたのは「まぁ、オカズにはなるかな」と思ったからだ。
読み始めてみると、最初の導入の時点でいきなり置いて行かれそうになった。主人公が今おかれている状況に対しての説明が少なすぎる。が、ここら辺の導入を省いてとっとと話に入るためのテンプレートが異世界転生なんだな、という点は理解した。あの辺りの話の導入がどれも同じものに見えるのは、起承転結の起の部分を様々な作品で共有することでなるべく説明を少なくし本題までの距離を短くするための合理的な工夫だったのだ。そりゃその前提の共有ができない世代からは評判が悪くなるはずだわ、とも思ったけど。
まぁそんなふうに冷静に見れていたのは最初の方だけで、あとはどんどん物語に引き込まれて行った。
ウーマンリブともフェミ小説ともミサンドリだとも思わなかった。気がつけばずっとハルを応援していた。
だから、最後の大事件も元増田みたいにがっかりしなかった。ただひたすら悲しかったし、ハルに怒りを体現できる力があって、本当に良かったと思ってる。
それに、ハルに力があったのは復讐のためだけではなく、物語の次に繋がるものだ。ハルは勇者で、娼婦だけど恋をしたおじさんがいて、その人は魔王で、そして多分両思い(じゃないと最終話で魔王が自分を幸運だと言う理由がない)。物語は一旦幕を閉じたけど、その先をまた読みたいな、と思う。
あともう一つ、ハルにはあれだけの圧倒的な力があったけれど、それを振るって強者の側に立ったのはあの1回だけだ。もっと手前に、自分のためにキレてもいい場面はたくさんあった。けれども彼女はそれを選ばなかった。そこが彼女のすごいところだな、と思う。
彼女が力を持ちながらもそれを振るわないでいた理由はどこにも書かれていない。だからここから先は単なる私の妄想だけれど、彼女は娼婦のプロだったからそれができたのかな、と思う。娼婦のプロだったからこそ、どんな屈辱にも耐えていた。JKである彼女があの世界に耐えていたのではなく、娼婦という職業のプロ意識とその自覚があったからこそ、あの世界に耐えられたのだ。時々彼女が、私はプロだ、と言うのがその証左ではないかな、と思う。シクラソを助ける時だって、どんな目にあうのかわかっていても身代わりという手段をとったのも、彼女のプロ意識がそうさせていたのだと思う。
逆に言えば、プロの仮面を被らなければ耐えられないほどあの世界は過酷な世界で、プロの顔をしてあの世界に耐えているのはルペちゃんも同じだ。だから、彼女が、そしてルペちゃんが、そんなプロ意識を必要としなくなればいいのにと心から思う。彼女らを応援したいけど、その強さを素直に賞賛する気にはなれない理由がそれだ。
そして、勇者の力を持った彼女は、これから自分の特別な力で何ができるのかの自覚を始めるだろう。それがあるから番外編では冒険に出かけ始めたのだ。彼女が自分の力であの過酷な世界を変革できると気付いた時、一体どうするのか?魔王との恋物語も含めて、やはり続きが気になってしまう。私はまだまだハルを応援したいのだから。
【追記】
オカズにはなりませんでした。
普段太陽の下に出ることはほとんどないのだけど友達と沖縄に行く機会が生まれたので思い切って沖縄に旅行行ってきた。暑かった。楽しかった。
海にも行こうと誘われていたので、小学生のとき以来海なんて行かないのに水着も買ったしアホみたいな浮き輪も買っちゃって海で遊んだらめちゃくちゃ楽しかった。普段海に行く人なんて馬鹿なんじゃないかと思ってたけど水ではしゃぐの楽しかった。
もう良い年だからもう出来ないことも多いのでリア充の人たちはこんなに楽しいことしてたのかと思うと家に帰ってきて泣いてしまった。また来年も友達と遊べるといいな。
マイペースと書いたけど、率直に言って独り善がりの言い換えにすぎないというのが現実だったり。
とにかく、何かにつけて「俺が、俺が、俺が」ばかりというか、それしかないくらい独善的な生き方をしている感じ。
なんというか、何をするにしても「なんで俺がそこまで合わせなきゃいけねーんだよめんどくせーなー」という気持ちが必ず湧き上がるのだ。
勿論、「この相手にこうしてあげたら喜ぶだろうし、喜ばせたい」という欲求がゼロというわけではないが、自身が生きる上でその欲求の優先順位がかなり低いのだ。
なので、そういう他己的というべき欲求が高い、リア充とかウェイ系とかパリピみたいな人たちとは完全に正反対というか、文化的断絶があると言っていい。
そして、そんな自分が未だに独身どころか、彼女すらいないというのは、たぶん世の中の流れとしては正しいと思うのだ。
そりゃ、一人が寂しいと思うことが皆無なわけではない。
でも、自分のような人間がもし間違って結婚したら、そんな寂しさなど比べものにならないくらい、結婚生活が凄まじいストレスになることが想像できてしまうのだ。
たぶん、自分と結婚相手の双方にとって、不幸な結果が待っていると思う。
そもそも、今まで極端にマイペースにしか生きてこれなかった人間が、結婚したくらいでその生き方を変えられるわけがない。
そして昔は、そんな自分みたいな男も結婚しないでは済まなかったわけで、その結果、不幸な家庭は少なからずあったのでは?と想像してしまう。
唯一、風向きが変わる可能性があるとすれば、「コイツのためなら死んでも構わない」と思うほど夢中になる相手が現れて、しかも相手も自分にその気になってくれたという場合だが、そんな出会いは狙ってできるものではない。
何かネトウヨがどうこうって流れになってるから、ふと思い出した話
嘘松とか言われるかもしれないが、あまりにも衝撃的な出来事だったので備忘録に書いておく
自分が言うのもなんだが、そりゃもう「お前はどこの乙女ゲーや俺tueeeアニメから飛び出て来たイケメンリア充エリートだよ」というくらい輝きに満ちたリア充でスポーツ万能、成績優秀、オマケにさわやかで誰に対しても仲良くなれる、とんでもない完璧超人だった。
自分なんかとは比べ物にならない輝きを放って、将来を当然嘱望されていて、大学卒業してから暫くあってなかったが、最近実家に帰省すると会う機会があったので会ったら(そもそもなんで東京で働いてたのに戻って来てるんだ?と最初に思った)
どうも引きこもり気味で働かなく(けなく)なり、挙句の果てに言動が滅裂になっていた
陸上で鍛えた精悍な体や顔つきは、体型が崩壊するほど激太りしていたし、髭も眉毛も髪の毛も整えなくなったのかうっすら繋がっているくらいになっていた
話を聞いてると、主張的にどうやら「ネトウヨ」っぽいのにかぶれているようだった。
先に言っておくが、自分自身は政治思想とかそういうのはどうでもいいし、寧ろそんな難しい話なんて偉い奴等に任せておけばいいという程度の認識しかない。
大学を卒業した後に入った企業で、周りが優秀過ぎてついていけなくなった末に、心身を病んでそのままドロップアウトしてしまったらしい。
それ以上はいたたまれなくなって詳しく聞かなかったが、彼が言うにはどれだけ幸せな人生を歩んでも「朝鮮人と化した奴等(朝鮮人のメンタルに感染してブサヨになった奴等?みたいなことをいっていた)は自分のような幸せな人生を歩んでいる人間を見つけては嫉妬とルサンチマンで神経戦やテロを仕掛けて来てなすすべもなくやられてしまう、だから軍事的技術が必要だ」という主張だった。
それまで人と喧嘩もしたことがないほどだった彼は、警棒を買い、ミリタリーショップでベスト?のようなものを買って武装して部屋で警備員の警棒操作のビデオやマニュアルや、古流剣術を分析して訓練をしているらしい。
誇らしげに、天道流の小太刀二刀流といって警棒を二本持ち、まるで盆踊りのような型?を披露する彼の動画を、彼自身が私に見せていた時、何というか凄く悲しいというかむなしい気分になった。
あくまで武装しているということを示すことが重要で、それで人に危害を加えるつもりはないと彼は言っていたし、あんな大きいものを持ち歩けば警察にすぐ見つかって捕まるだろうから心配はいらないのだろうけど…
ねえ、そんなことして何になるの?今まで人と喧嘩もしたことがないのにさ、警棒だの、剣術だの教えてくれる人や練習する場所もないのに持ってて何になるの?親すごい心配してるよ?
そもそもちょっと前ならいざ知らずさ、その悪い奴等と戦うっていってるけど、そんな激太りした身体で何ができるの?剣術とかする前にダイエットでもしたらいいじゃないのさ
そう色々突っ込みたくもなったが、そういう話をしているときの彼だけは、昔のような面影を残していたので、言えずじまいだった。
彼からその拠り所を社会が奪ってしまえば、もう彼は自殺をするか、部屋にずっと引きこもるしか選択がなくなってしまうのだろうか
はてなでもネットでも、ネトウヨっぽい人たくさん見かけるけど、こういうのを実際に間近で見てみると、心が弱ったり人生のレールから弾かれた人間にとっての一種の信仰なんだろうなと思う。
国や日本や国防とか彼はいってたが、その根っこは自分をいじめた奴が近づかないように「俺は強いぞ!」と見せかけるための理由付けに選んでいるだけじゃないのだろうかと
もちろん、本当に日本を憂いているって人もいるだろうけど、リアルで見た知人や、ネットでの彼等の言動を見る限り、とてもじゃないが、ただ自分が上手くいかないのを他人のせいにしているだけの、幼稚な子供にしか思えてならない。
なぜ俺が声を掛けられたのかイマイチ理解できなかったが、せっかく誘ってもらったのでほいほい付いていった。
で、バーベキューが終わった後にフェイスブックを覗くとその日の写真が投稿されていた。
そこにはリア充(死語?)な俺がいたわけだが、どうも気持ちが悪い。
リア充になりたいと思っていたのに、いざ自分がその立場になると居心地が悪くて仕方がなかった。
会社の帰りにガールズバーで女の子に頼んで説教してもらう方が楽しいと思ってしまった。
会社の同僚とリア充を腐しつつ狭い部屋でモンハンやる方が楽しいと思ってしまった。
俺はリア充に向いてない。
牟田口氏は戦争犯罪を一切やってないクリーンな軍人で規律にも接触していない
石原が生き残って東条が処刑されるのを見てもリア充DQNの罪を真面目コツコツ優等生が被らされてるのが分かる
今の社会問題と全部つながる
復刊少年ジャンプパック2を買った。
87年のジョジョ連載開始号、97年のワンピース連載開始号の復刊である。
97年は自分はまだ小学生であり、毎週夢中になってジャンプを読んでいた頃なので大変懐かしかった。
まだカード漫画になる前の初期の遊戯王(これがまた超つまんない、初期は打ちきり候補だったというのがよくわかる)、
世紀末リーダー伝たけし、みどりのマキバオー、ぬ~べ~、花さか天使テンテンくんと、超懐かしいラインナップ。
特に、テンテンくんのような児童向け漫画がまだジャンプで看板張れていたというのが懐かしい。
00年代からジャンプは完全にオタクの女が読む美少年漫画雑誌になっていったので、いかにも「少年誌」らしい漫画や、児童向け漫画はジャンプでは完全に淘汰されてしまった。
幕張も、今読めばビックリである。常にセックスのことしか考えていない高校生ばかり登場して、口を開けば「セックス」か芸能人の悪口しか言わない漫画である。
この号のオチは、女性の前に奈良が全裸で登場して「フェラしてくれ~~」で終わる。
この当時は「稲中卓球部」と並んで、「幕張」は今までにない新しいタイプのギャグ漫画として持て囃されていたのを思い出す。(このマンガがすごい!みたいな本で。)
当時の学生のバイブルであり、読んでいない学生などいなかったくらい流行った。
その一方で、ベテラン漫画家や評論家からは稲中も幕張も、「どこが笑えるのか理解できない」「学生のイジメを描いているだけであり、ただただ不快」などとこき下ろされていた。(特に相原コージが稲中と幕張をディスりまくっていた。)
で、このワンピース連載開始号、巻頭ふろくが「I"s(以下アイズ)」のピンナップである。
それまでSFものばかり描いていた桂師匠がSF色を一切排除した、正統派恋愛漫画である。
桂師匠の圧倒的すぎる画力により、週刊連載漫画なのにおそろしく美麗な絵である。
俺の周り限定の話になってしまうが、アイズはあまりオタク人気がなかった。
この当時はちょっとでも美少女漫画を読んだりしたらバカにされる時代であるが、
アイズを読んでいたのは主に不良か、スクールカーストの上の方にいる女子であった。
オタクはアイズの話題を口にすることはない。じゃあ、何をオタクは読んでたかといえば、少年マガジンのラブひなだ。
そして、ラブひなを読んでいる奴はキモいというレッテルが学校で蔓延していて、ラブひな好きなオタクは虐げられていた。
アイズを読んでいる不良や女子が、ラブひなを読んでいる奴を虐げているという構図だった。
いかにも萌え萌えな絵柄で、なにも努力しないで女の子達にチヤホヤされて、ハプニング的に女の子のオッパイを触るだけのヌルいラブひなをオタクは好み、
美少女漫画とはいえ写実的で、主人公が恋愛に悩み葛藤するアイズは、学校における恋愛から蚊帳の外であるオタクには合わなかったのだ。
実際に学校で恋愛している不良や女子が少年漫画にしてはリアルな恋愛を描写したアイズを支持していた。
後にも先にも、リア充に支持された美少女漫画はアイズだけだろう。
で、ラブひなじゃ物足りないもっとひねくれたオタクは、少年チャンピオンの「オヤマ!菊之助」を読んでいた。
オオカミのケージの前にいて、オオカミがうろうろしてるのを眺めていたら、
男「なんでウロウロしてんの」
女「えーでぃーえっちでぃーじゃないの」
男「あー。多動なんだ」
彼らの口調には若干の草が生えていた。
僕はあのとき「地雷踏んでますよ」って言ってやったほうが正しかったと思う。後悔。
まあ、一般人の認識ってこんな程度ですよね。雑談で自然に差別発言が出てくる。
Googleの業務上のメールでもないし、大学の論文でもない、なんら公共性のない、
ごく個人的な内輪での会話なので、咎められることは無いローカルでプライベートな会話でしょう。
悪気は無いとは思うんですよね。ただ無知なだけで。知らないだけで。無垢なんですよ。
暇な手持ち無沙汰で、ふと無意識にアリの巣を水攻めにして命を弄んでいるような。
次はカップルの会話。
売店で、彼のほうがハシビロコウのぬいぐるみか何かを衝動買いした様子。
「数年前まではハシビロコウのグッズこんなになかったよね」
「まあ、人気が出たのかなー」
うん、人間扱いされてないですね。
昔、秋葉原がいまほど小奇麗になっていなかった頃、動物園の動物を観察するような態度で
一般人が秋葉原へやってきてオタクを観察して指差して笑うことに憤慨する、
みたいな時期が少しあったのを思い出した。
まあ、一般人の認識ってこんな程度ですよね。雑談で自然に差別発言が出てくる。
こういうのがあるから「一般的な人たちの雑談が耳に入ってしまう場」が怖くなるのだ、出かけたくなくなるのだ、と気づきを得た。
Facebookとか、動物園とか、遊園地とか、パークが危険なのだ。
それはぼくだった。
頭のいいひとにこの私の脳内にあるもやもやを受け取ってもらって、まともな文章にしてほしいw
いわゆる老害ってやつが多くて身動きができないし東芝や三菱への評価がまさしくそうだし
立ち直ったといわれる日立やソニーもなんだかパッとしないしNECや富士通なんかもそうですよね
でも本当の問題は何なのかって、それらをぶっ潰す日本企業が出てこないことでしょ?
アメリカじゃgoogleやamazonやfacebookがあるわけで、若いじゃん?設立して20年あたりでしょ?若いですよね。
今の日本って、アメリカでいうならGEとかIBMに国を支えてもらおうとしてる感じですよね
それってGEとかIBMの問題だって言えるんでしょうか。それらに勝てない若い企業の問題じゃないですか?
そんで日本でリア充感っていったらなんでamebaみたいな感じになるの?
そういうリア充じゃねーよって思うんだけど、abemaってパチンコとかやってそうw実際ガチャで稼いでるし
あとねアメリカにはテック企業のテック企業感あるよね技術者が偉いみたいな
日本でAmazonが生まれてても結局楽天みたいなかんじで終わってるとおもうわけ
実際楽天がそうだもん
とても俗人的っていうか、芸能的っていうか、浪花節的っていうか
任天堂もそうで、業態はアップルと似ててOSからハードやソフトも作るけど、でも独自言語を開発するわけでもなく、開発ツールを公開することもなく
アップルってアメリカの企業の中では比較的クローズドな感じあるけど、公開するところは公開するから余計に任天堂のクローズドな感じが目に付くんだよね。
上でも書いたけど任天堂がそうで、結局アプリはDeNAに頼むんかい!っていうのが俺的には間抜けだし
ソニーもさ、せっかくのPSNもっと生かせばいいのに、なにをちまよったのかplaystation musicでspotify聞けますとかやり始めたのよね。
ありえなくない?いかにサービスを軽視してるかってのが分かるよね
PSNがせっかく普及してもいつまでたっても場末感、外苑感あるよね、おまけって感じ
googleとかAmazonとかだったら絶対ビジネスの中心に据えてるとおもうんだけど
僕的には共通の話なんですよ
TOPのおまえ、本当に自分で自社サービス使ってるか?って感じなんですよ
お前本当に自分の会社の商品いいと思ってるか?本当に自信もってリリースしてるか?理解できてるか?
本当にお前、子会社がどういう技術持っててどういう仕事できるか把握してるか?って
コレクターみたいにして寝かせてるんじゃないだろうなって
株持ち合ってホリエモンみたいなのから買収されないようにしようぜみたいな感じ出すのとか
とにかくなんか共通する何か
理解してないひとが偉そうにしてる
ニコニコ動画は焼きそば焼かせることは炎上したけど、あのレベルの問題ほかにもあるよね
ああああああああああああダサい!おっさんセンス、若くない!なにもかもが若くない!電通臭がする!
先程はてなのIDを取得した足で投稿する。ここについては匿名でチラ裏できる場所という程度の認識しかない。
あわよくばニコニコニュースで取り上げられたり、有名な「保育園落ちた日本死ね!!!」みたいな壮大な反応を貰えるかもしれないという希望のみでこれを書く事に決めた。
俺の唯一の情報発信源、Twitterではフォロワー数293。社会問題等に対策を発案したりと、どれだけ社会に一石を投じた気になっても誰もリツイートなんかしちゃくれない。
俺の悩みは実は結構なサイレント・マイジョリティではないかと思う。現代の若者の代弁者のつもりで一筆書かせていただく事にする。
俺は漫画家志望歴13年目を迎える20代中盤の非正規雇用者だ。今の職場はホワイトだが持病のせいで来年も居れる保証は無い。
確かなのはどんな職に就こうがクリエイターへの憧れを捨てきれないだろうな、という確信のみである。
だが実の所、そんなに創作活動をしている訳でもない。産みの苦しみというのはイライラするし、むしろ創作は嫌いなのかもしれない。
いつも作品の断片的なものを妄想しては創作した気分に浸って床に就いている毎日だ。最早俺は、老後のように生きる目的を失っている。
大学に入った。漫画に専念するためにあえて地方のバカ私大を選んだ。そして漫研の部室に籠りっきりの青春を送った。
当時から薄々感付いてはいたが、それに気付きたくはなかった。数こなせばどうにかなると信じていた。要するに、俺は要領が悪過ぎたんだ。
どんなに描いても上達しない。不器用過ぎて何を描くにも時間がかかり過ぎる。結果、かけた時間の割に何の成果も出なかった。
どれくらい下手かというと、昼間は彼女を小脇に麻雀三昧、夜は彼女とよろしくやってるような半端な志の後輩にも劣る程だった。
何度か持ち込みの経験もさせてもらったが、結局俺は在学中に漫画家デビューする事はできなかった。
1年のフリーター期間を経て、俺は体よく上京するために今の職に就いた。詳細は省くが、サーバー室でPCをカタカタやってる仕事である。
これが見事に向いてなかった。業務は煩雑だしどれもこれも似通っていて覚えきれない。メモを取る余裕も無い。一度は教えてくれた先輩も今や辟易している。
自律神経をやられて奇行が出始め寮の先輩にもどやされる毎日。慰めてくれる彼女もいない。自分の存在価値を疑うようになる。自殺一歩手前の精神状態だった。
そんな折に思い出した。そうだ俺は漫画家を目指していたんだ。漫画家にはなれなかったけど、これまで伊達に頑張って来た訳じゃない。
たとえリアルが悲惨でも、ネット上ならばこの力でひと花咲かせられないだろうか。これが俺の唯一の生きる希望になった。
当時から俺の情報発信手段はフォロワー250そこそこのTwitterのみである。目標としてはこの10倍は欲しい。
最初は仕事の愚痴ばかりだった。とにかく同情して欲しかった。だけど誰も相手にしてくれなくて腹が立った。その怒りをツイートに込めても一向に反応は来なかった。
一方で職場環境が一変する。勘違い上司による一喝で俺は精神的にノックダウン、しかしホワイトな社風に救われ、雑用係的なポジションに転属となった。
考えようによっては余計に存在価値を疑う業務だが、とりあえず創作活動を行うだけの精神的余裕を確保した俺はTwitterへ作品の投稿を始めた。
確認させてほしい。画業10年以上の中の人によるTwitterアカウントである。フォロワー数、ふぁぼ、RTの期待値は如何程であろうか。
勿論俺はそれ程の期待をしていたし信じていた。リアルが悲惨な反動がネット上で大ブレイクを巻き起こす。そんな一発逆転ストーリーを世のダメンズたちに届けたかった。
結果は2である。これは俺が投稿した絵に対するRTやふぁぼの中央値である。もう一度確認させてもらうが、画業10年以上のアカウントである。
働かない言い訳にクリエイターを目指してるニートのアカウントではない。これほどに無情な事があってたまるものであろうか。
俺は偏屈なオタクなのでひとつのマイナーな界隈に居続けているが、それでも絵師と呼ばれる連中はフォロワー数に関係なく100ふぁぼくらい余裕で集めていた。
つまり期待値100ある界隈で、たったの2しか得られないのである。俺の10年間は何だったのか。職場での臥薪嘗胆の日々は何だったのか。
憤慨していると、TLにまるで俺を煽るかのように、神絵師様の作品が3桁の成果を引っ提げてRTされてくる。何様のつもりなんだ。
俺はお前と違って趣味で楽しくお絵かきしてきた訳じゃないんだ。背水の陣を敷いて死ぬ思いで描いて来たんだ。正当な評価を寄越せ!
どいつもこいつも成果成果というがこちとら出せる力の全てを出している。これ以上どうしろと言うのだ。改善点があるならば受け手の問題だろう。
青春の全てを捧げて、親に凄まじい出費をさせて生きてきてこの成果である。世の中何のために生きているのかわからない糞野郎がのうのうと暮らす中、
大志を抱いて身も心も削って来た俺にはこの仕打ちなのか。いや、怒りをぶつけるべきはこの十数年間全く成長できない自分なのか。
でも知った事じゃあない。俺はベストを尽くしたんだ。その片鱗を見出せない衆愚を恨むべきか。
もう全部が狂っている。俺は経歴相応の実力を発揮すべきだし、絵師はその席を譲るべきだし、ロム専は作品の本質を見抜く目を養うべきだ。
それが社会で活躍できない俺みたいなのに対するせめてもの対価だと考える。クリエイター職は一般社会に適応できなかった連中の一発逆転の最後の砦であり、
才能溢れる天才が技術をひけらかす場であるべきではない。そういう奴はそもそも生まれ持っての器量があるんだから絵なんか描いてないでネクタイ絞めてろ。
去年、俺はADHDの診断を受けた。社会人としての才能が無い証明と、芸術家としての可能性を秘めている証明である。
こんな人間にワーカホリック用の仕事を押し付けたって無駄である。いいから絵の仕事を寄越せ。それが世の中に一番貢献できるんだ。
俺はこれでしか世のために尽くせないんだから、絵師は黙って身を引いてビジネスマンとして1千万でも2千万でも稼げばいいさ。
なんて長々とかいたが結論。『いいね寄越せ』それがこのネット社会における第一の願望だ。
ひい爺さんみたいに戦争で死にたくはないし爺や親父のように会社に出て家族を守るだけのアリみたいな一生を送りたくもない。
目立ちてえんだ。あわよくば法外な金が欲しい。だからその訳のわからねえ絵師様にいいねする暇があるくらいなら、俺にも寄越せ。それが全てだ。
※※追記※※
コメントくれた方、ありがとう。2chでボコボコにされた事とTwitterで無視を決め込まれた事しかないから、もっと死ね死ね言われるものだと思っていた。
そうであっても反応を貰えるという事自体が破格の待遇であった中、建設的なアドバイスや率直な感想をいただいけて幸せ者です。
ニュースサイトに紹介される程の記事でもないだろうけど、積りに積もってた鬱憤を吐き出せてこれはこれで満足した。
まあ、今後も似たような投稿をするだろうけど、これはもう十数年間積りに積もった事なのでいただいたアドバイスをすぐにフィードバックさせるのは難しいかもしれない。
こんな奴もいるんだなというファンタジーをみるつもりで見守っていただければ幸いに思う。
ビッチ、ヤリマン、腐女子、鬼女、喪女、ブス、スイーツ(笑)……
女性絡みの呼称、蔑称は数あれど、これらは全て、「ある属性を持った一部女性」を指していることが明確になっている。
例えば、最近聞かなくなった言い方ではあるがスイーツ(笑)は主にオシャレスイーツを好み恋愛脳のキラキラリア充女性を指しており、女性の中でも小学生の女の子や根暗で不細工な女性やおばちゃんはスイーツ(笑)と言われることはない。
上記の蔑称の集大成のようなもので、これは全ての女性にあてはまる。全ての女性には女性器がついているからだ。
パニック映画で10歳の外国人少女が恐怖で大声を上げれば「これだからまーんは!」
もう閉経してそうな歳の女性タレントの失言にも「これだからまーんは!」
老いも若きも美女もブスも彼らに言わせれば「まーん!まーん!まーん!」である。なぜなら彼女たちはみな女性器がついているから。生殖能力や性的対象になるかどうかは関係がなく、男性器と違い陰のモノである穢れた女性器(まんこ(ま~ん))がついていればま~んなのだ。女性を女性器で呼ぶ文化は、性的対象が男性、つまり同性愛者の男性が集まる板から始まったということもあり、女性器がついているイキモノ全てを憎むかのように、どこもかしこもまんまんまんまん合唱する声が聞こえてくる。
しかし、時折、文句のつけどころがないほど美しい女性であるとか、素晴らしい行いをした女性に対しては、ま~ん(笑)の声が聞こえない。
いつもみたいにま~んって言わないの?と問われた時、いつもまんまん鳴いている人たちは口を揃えて言う。
「この人はま~んとは違うから」。
さも最上級の褒め言葉のように言っているが、この言い分はいつ見てもよく分からない。彼女だって女性器がついているじゃないか。ま~んがついているのに、ま~んではないとはこれいかに。
それを言われた女性はどう思うのだろうか。まあっ!私はま~んじゃないのね!ま~んが付いているけれど、ま~んじゃないのね!嬉しいわ!そうやって誇らしい気持ちになるのだろうか。
男性の中でも三次元女性すべてが憎い人たちの間で、三次元女性すべてを叩くことができるこの呼称が流行ったのだと思っていたのだが、ま~んと言った口で三次元女性を褒めることもあるのだ。
ま~んと女性は違うらしい。
「俺はま~んは嫌いだけどオマエは別」、なんだか「俺はホモじゃないけど男の娘は好き」みたいな言い方だ。もはや女性は一部ネット民の男性にとって本来の性的対象から外れてしまったのだろうか。