はてなキーワード: ビーストとは
ケムリクサでは悔しい思いをした。最終話の内容を推理することは十分可能だったはずだ。種が赤霧で成長しない。にもかかわらず離脱したあとニョキニョキ生えてくるミドリの木、「たぶん発芽まではうまくいく」。そして記憶の草にはロックが掛かっていた。このあたりを重く捉えていれば、メモを書き換えた「存在しない7人目の姉」を探して時間を浪費することもなかった(むしろ6人である証拠がたくさん集まってしまった)。2つの謎は有機的に絡み合い、シンプルだが残酷な起点に至るのだが、答えを観て「なるほど!」と思ったときに初めて、伏線が浮かび上がった。すべては目に留まっていたはずだったのにも関わらず、気が付かない。パズルのピースはすべて事前に提示されていた。アニメは小説ではないから、そういうもんかと軽く流しても気持ちよく観続けられるのが気楽だけれど、しかしそういう態度でいて失うものもある。りな達がブワッと消えて一人に戻るのはコミカルでまるで手品みたいだが、ここを見落とすと桃ちゃんを手放して覚醒する「りなむ」の含意をスルーしてしまう。ありとあらゆる表現に意味がありえるのだ。この意識でもって視聴しなければならなかった。
けものフレンズ2の最終話が目前だ。同じじゃないかでは済まない。次は全力で当てに行くぞ。
今期の監督はミスリードを狙ってくるということに気をつけなければならない。俺は伏線の管理はしっかりされていると判断している。前期の細かいところまでフォローされてる。かばんちゃんが「おうち」を知ってたのはスナネコが意味を教えたからだし、サーバルに与えた砂時計は図書館にあったものだろう。アライさんが命の恩人といったのは、掛けた橋で救われた経験を受けてのこと。今期はさらに異なるフレーバーが加わる。襲ってきたセルリアンをいきなり現れて一蹴して去っていった謎のフレンズはヒーローは味方でなく実は「ビースト」。誰彼構わず襲いかかり、フレンズに怖れられる強力なバーサーカーだった。アリツカゲラが再登場したと思ったら、サーバルとも初対面の反応でかばんちゃんとも面識が薄い、すなわち別個体だった。かばんちゃんから手渡された四角い筐体のラッキービーストは、「三人での旅、楽しかったよ」とつぶやいた後沈んでいった”あの”ラッキーさんか? そうかもしれないが、ひとつの端末に過ぎないって線が濃厚だ。居なくなったヒトを想いだして月を見上げるイエイヌのフレンズ… ならば人類は月に消えたのか? なんのことはない、ただの人工衛星だった。未発掘の伏線の絡み合いの中に、ミスリードが混ぜられている。注意して潜るとしよう。
今期最大の謎は「キュルルちゃんは何者か、どこから来たのか、どこへ行くのか」ということだ。ここに焦点を絞って推理する。
キュルルちゃん一行の旅路は「復路」だろうか。パークの廃墟の施設の中で目覚めたこども、キュルルちゃんは、カラカル・サーバルを連れて施設に戻る。「ボクは長い間ここで眠っていたみたいなんだ」。温かい「おうち」を思い浮かべ、「帰りたい」という。キュルルちゃんは自分が眠っていた岩の殻のようなものの中にあった自分の持ち物のスケッチブックを開く。最初の一ページ目には施設の前の池の様子が描かれていたーーただし、池のモニュメントは健在で周りには風景にない建物が建てられている。「ボクは獣じゃないよ、たぶん」というキュルルちゃんに対して、カラカルは「この子もヒトなんじゃない?」と言い切る。3人はモノレールの駅にたどり着く。キュルルちゃんは言う「ここ来たことあるような気がする、あの乗り物、多分ボクもあれに乗ってきたんだと思う」。ここまでの描写で、キュルルちゃんはパークに来た観光客で、何らかの理由で施設でコールドスリープし、いま目覚めた。そう読み取っていたが、よくよく考えると違和感がある。最初の1ページが池だったのはよく考えるとおかしい。
まっさらなスケッチブックを思い浮かべてみて。そこに旅の風景を絵に次々に描いていく。だけど突然に旅は中断してしまう。さてこのとき、最後に描いた絵はスケッチブックのどの位置にあるだろう? キュルルちゃんのスケッチブックには以前に描いてきたと示唆されるたくさんの絵があった(一連の絵の最後のページは破られていて、その先は白紙が続いている)。もしパーク内の施設に至る往路の過程で絵を描き連ねて来たというのなら、最後の絵の先は白紙のページが続くはずだ。最初のページにはならない。スケッチブックの表紙は裏表とも同じようなデザインだが、キュルルちゃんはページの片面にだけ絵を描いていたので逆さにめくっているという可能性はない。これにより、キュルルちゃん一行の今回の旅路は、実は、おうちに向かう復路ではなく、二度目の往路であるという推測が成り立つ。
最初の往路をなぞるように、旅をする。ケンキュウセンター(廃墟の施設をそう呼ぼう。モノレールの次の駅は「アズアエン」だが、列車の行き先表示が切り替わるときに表れた直前の駅の表示が「ケンキュウセンター」だった)を出て池を描き、花畑に囲まれた風車を描き、竹林の中で公園の施設を、海に浮かぶ観光施設、闇夜に輝く蟻塚、ジャングルの奥で玉座に座るゴリラのフレンズ、荒野をかけるなんだかよくわからない影、ステージでショーをする5人のアイドルたち。最後に、観覧車のある遊園地の風景。絵に描かれた風景を順に追う道のりで、キュルルちゃん一行は最後にジャパリホテルにたどりついた。ホテルの窓からは今は水没した観覧車が見えていた。ホテルの支配人によると、”うみのごきげん”が悪くなったときに、遊園地は水没してしまったらしい。ホテルも半分は水浸しである(ところでホテルの最上階にはヘリポートがある)。
つまりこういうことではないか。観光客だった女の子はケンキュウセンターの池を描くために新しいスケッチブックを開き、モノレールに乗ってパークを旅した。しかしセルリアンが止められなくなる流れで、観光客はまず退避しなくてはならなくなり、ホテルでヘリに乗り込む。セルリアンは宙に浮くものがいる。離陸時に襲われてヘリの飛行能力に障害が出て、荷を軽くするために物を捨てなければならなくなった、女の子はスケッチブックから最後に描いた家族の絵だけをちぎり、バッグもろとも泣く泣く海へ投げ捨てた。時がたって、防水のスケッチブック(今期の11話より。スケッチブックは海に落ちても平気だった)は海流に乗って海底火山へたどり着く。海底火山からは大量のセルリウムとサンドスターが流出している。サンドスターに包まれたスケッチブックは溶岩に飲み込まれ、そこで海底火山が大噴火する。噴石となった岩は遠くサバンナちほーのケンキュウセンターに落下し、廃墟となりかけていた施設にとどめを刺す。
この仮説を裏付ける証拠がある。一話のケンキュウセンターの描写でキュルルちゃんの居た岩の卵のようなものの周りには同じように前面が破壊された同じ大きさの卵のような物が並べてあった。これらをコールドスリープ装置と捉えてしまっていたが、これがミスリード。並べてある方はよくよく見ると表面がツルツルで、サンバイザーのような覆いがあり、中には椅子が備え付けてあった。いわゆるゴンドラのような見た目だ。キュルルちゃんの岩はそれと異なり、表面がゴツゴツしていて、中はサンドスターと思しきキューブで満たされていて、そして床が砕けている。ゴンドラの方は台座に載っている。この二種類はじつは違うものなのだ。暗い施設のなかで岩の卵は陽の光で照らされていた。つまり、天井は空いている。ケンキュウセンターは遊具の研究施設だった。コールドスリープではなく。噴石としてケンキュウセンターに落下した岩の卵は殻が崩れ落ちる時を待つ… なかでフレンズ化→飢えて死亡→フレンズ化→飢えて死亡… を繰り返しながら。まあそれは残酷だが、あるいはサンドスターは空気に触れて初めて機能する、のようなことがあるかもしれない。
以上が仮説「スケッチブックちゃん説」である。研究施設やスケッチブックのめくり方などを伏線としての帰結としてフィットしていて、破られた最後のページに説明がつけられた。キュルルちゃんは絵をフレンズに渡すとき、丁寧にページを切り取る。最後のページが破られていたのは火急の状況下で焦っていたからです。皆さん納得できましたか? ボクはできません。なぜなら「ペパプが5人いる」から。
一連の絵の中でライブステージで描かれたものを思い出してほしい。そこにはステージで歌う五人のペンギンアイドル、ペパプが描かれていた。しかし前期のペパプ復活祭ライブの話によると、初代ペパプは4人、二代目は3人、三代目が5人になった。三代目を結成したフレンズ、プリンセスは以前に居なかった五人目であることを気にしていたんだった。だからパークに来ていた観光客がペパプを見ていたとして、その人数が5人なのはおかしい。かつて観光客で賑わったジャパリパークは廃園し、パークガイドのミライさんも職員を引き連れパークを去った。時が流れ、彼女が遺した帽子にサンドスターが降り注ぎ、かばんちゃんが生まれた。そんな時代になって初めてペパプは5人になった。実はペパプはコピーバンドだという可能性はありうる。開演時代にはオリジナルたる5人のペンギンアイドルがいて、閉園後に彼女らをパクってペパプが結成された、でもコピーバンドを人数減らしてやる意味があるだろうか? あるいは初代ペパプは5人だったということもありうる。プリンセスがパークの異変の中で夭逝し、だがその後の4人で長い期間頑張っていたので後世の記録には4人として残った。期せずしてプリンセスが救われる結果になりましたね。でもこの仮説、理屈は通るが、当たっていたとしても些末すぎて、説明されないだろうことが予想される。
時代に幅のある絵の内容。これを説明するうまい理屈はないだろうか。キュルルちゃんは過去の世界から来たのではないか。前期でミライさんが説明した、山頂のサンドスターロウ・フィルタリング装置の「四神」は説明の感じからすると、パーク職員が作ったものではないらしい。四神を作った古代人がそのサンドスター制御技術を応用してタイムトリップ装置を作った。これがケンキュウセンターの岩塊である。キュルルちゃんはそれに乗って過去からやって来た。しかし… なんのために? かばんちゃん一行は四神の位置を直すことでフィルタの機能を正常化した。だが海底火山から漏出するセルリウムを制御する装置は、おそらくあったのだろうが機能をなくしてしまっている。もし四神的装置の修理のために過去からキュルルちゃんを派遣したとすると、かばんちゃんの奮闘のときに何もしなかったのはおかしいし、未来を幻視できるレベルの古代文明が、将来の位置のズレを考慮して装置を保全するつもりなら、修理要員を派遣する前にまず固定装置を充実させるべきだろう。というかキュルルちゃんはエンジニアには見えない。年齢が低いし、そも記憶を失ってしまっているではないか。ならばキュルルちゃんは未来から来た。しかし… なんのために? 考古学者にも見えないので、パンフなどの資料を読んで好奇心をそそられたキュルルちゃんがタイムトリップしてきた線は考えられるが、タイムマシンのセキュリティが気になる。強固に利用者が制限されているなら、キュルルちゃんはどうやってセキュリティを突破したのかということが引っかかるし、逆にガードがゆるいなら、なぜ一人しか来ないのかが疑問になる。並行世界から来た可能性はどうだ。しかし… なんのために? 絵に描かれていたペパプは楽しそうで、パークの様子には廃墟感はまったくない。なぜわざわざ廃墟の方の世界線に移動してくるのだ? 納得行く説明はつけられそうにない。
うまくいかないが、一連の絵は風景を実際に目で見たものではない、というアイデアはまだ活かせると思う。ジャパリパークの世界に、エリアを超えて通信する無線技術はなかった。そういうものがもしあったなら、かばんちゃんがキョウシュウエリアを出立するときに、ボスが先の情報を教えてくれただろう。イエイヌが見上げた月を背後に人工衛星が浮かんでいた。この衛星は最近に打ち上げられたものだとしたらどうだろう。これを使って、ある職員がパーク内のラッキービーストネットワークに侵入し、パーク内の写真を入手した。父のディスプレイの映る写真を見て、幼い娘はスケッチブックに絵を描いた。写真に今昔が入り混じっているのはそのためである。この想像は面白いが、写真があの道のり上に並んでいたことが解せない。ネットワークから引き上げたパークの風景写真を見ていたなら、それは時系列に並ぶか、ランダムになっているかするのではないか。なんでケンキュウセンターを起点とした特定のルートにそった並びになる? だめだ。わからない。
しかしわかることもある。けものフレンズ2はイエイヌの物語でもあった。探偵の二人、センちゃんとアルマーさんはイエイヌの命を受けてヒトを捜索していた。捜査が強引なところもあってイエイヌは悪の黒幕のように描写をされたことがあった。キュルルちゃんとイエイヌちゃんのストーリーラインは二人が邂逅することで交わり、しかし結局二人は別れてしまう。別れは両者の納得したものではあったがすれ違い感は強かった。これが「おうちにおかえり」回である。最終話のタイトルは「ただいま」だ。イエイヌはキュルルちゃんの元へ向かうかばんちゃん一行に加わってはいないが、ポッと出のゲストフレンズではない。
イエイヌはキュルルちゃんを見送ったあと、夜空を見上げ、ひとりドアを開けて自室に戻った。ドアには耳を模した飾りがついており、まごうことなきイエイヌのための部屋であることが明示される。このシーンは驚いた。これは一体全体、どういうわけだよ? 「イエイヌの自室にドアノブがある」だと?
(続く)→ anond:20190318002745
イエイヌはキュルルちゃんとのやり取りの中で、このおうちには「ずっと昔」何人ものヒトが居た、彼らと一緒遊んでいたと言っていた。ある日居なくなった彼らを待ってずっとお留守番していたんだと。かつての経験をなぞるように、フライングディスクを投げるさまを指示したり、紅茶をよく飲んでいた、とも言ったりした。俺は今期9話を観たとき、なるほど、イエイヌは飼い犬だったんだな、と読み取った。博士曰く、サンドスターを奪われてフレンズ化が解かれたら、再びフレンズ化しても、前にフレンズだった時の記憶は戻らない(といっても少々の例外はある。ミライさんとともにいる先代サーバルの声を聞いて涙したり、ともに旅したかばんちゃんの後ろ姿を思い出したり)。しかし、フレンズ化したときに、どうぶつ時代の記憶がどうなるのかは明言されていない。飼い犬が飼い主が去ったあとにフレンズ化して、むかしを回想しているのだと、勝手にそう考えていた。だがこれはミスリードだった! 飼い犬だったならあるべきは犬小屋で、人間の手の位置にドアノブがある部屋が自室のはずがない。そのようなドアはヒトか… フレンズのためのドアだ。だから結論は明白だ。イエイヌのフレンズはヒトと共に暮らしていた。「ずっと昔」と言ったが、カラカルもサーバルがかばんちゃんと旅していた時期を「むかし」と表現している。フレンズの言う「むかし」はせいぜい10年・20年というオーダーではないか。この伏線はパークに割と最近までヒトがいたことを意味している。
三代目ペパプ結成の後にヒトがパークに来ていたとすると、どうなる? イエイヌはかばんちゃんを知っていたが、ヒトと再び会ったのはキュルルちゃんが初めてだったようだ。キュルルちゃんがパークに現れたときイエイヌはただちに探偵を派遣した。ペパプ復活後にヒトがパークに来ていたとすると、彼女をイエイヌが捕捉しなかった理由はなんだ? そのときにはイエイヌの村にはまだヒトが居たのだ。満足していたなら更に求める理由はない。つまり三代目ペパプ結成 → パークへのヒトの来訪 → イエイヌの村からヒトが消える → 十数年経過? → 今、という順になる。しかしペパプ結成後に村からヒトが居なくなったとするのは無理がある。当時パークではかばんちゃん率いるセルリアンハンターが巨大セルリアンを退治するという事件があって、そのときに四神のサンドフィルター装置を修理したのだった。それでセルリアンの騒動は一旦は収束したはずである。ふたたび大型セルリアンが出るようになったのはかばんちゃんが助手の博士らと共に研究するようになった、最近のはずだ。イエイヌは飼い犬ではない。考えてみてほしい。一緒に暮らしていたヒト同様の知性を持つ家族であるべきフレンズを放置して、当の飼い主だけが逃げなければならないのはどれほど切羽詰まった状況だろう。セルリアン強襲以外に考えられるのはもうひとつ、”うみのごきげん”の悪化、すなわち海底火山の噴火だ。遊園地が水没するほどの大災害、逃げられる人数が限られてる、だから家族であるフレンズを置いていかざるを得ない。その判断は… かなりキツイが、ありえないとは言い切れない。しかし安心してほしい。この結論もおかしいからだ。リョコウバトは以前にもジャパリホテルに来たことがあると言っていた。パーク中あらゆるところを旅するリョコウバト。前回の来訪が最近であるはずがない。リョコウバトは言っていた。「これほど変わったホテルは他にない」。ジャパリホテルの変わっているところはもちろん、支配人のオオミミギツネが売りにしているように、水没した風景が美しいというところだ。すなわちリョコウバトが前回ジャパリホテルを訪れたときにはすでにホテルは水没していた。海底火山の大噴火は最近ではない。飼い主だったヒトが消える理由はなくなった。すなわち前提が間違っているということだ。ヒトはパークに来ていないのだ。
…しかしここで推理は頓挫してしまっていた。時系列がバラバラだがルート上に並んだ絵(写真?)。しかしヒトはパークに来ていない… これら矛盾して見える伏線を結びつけるラストはどのようなものなのか… 本当に可能なのか? わからない。だが信じろ、木村監督を信じろ。
そうやってウンウンうなりながら過ごしていた休日だった。前置きが長くなったが、俺が支持する仮説はこれである。「ラッキービーストのフレンズ説」。
キュルルちゃんはヒト、これが最初から仕組まれた罠だ。キュルルちゃんはガイドするラッキービーストに、ヒトとして認識されている。だがラッキーさん達は何を基準にヒトを判定するのか。前期でかばんちゃんも初見からヒト扱いだった。かばんちゃんとキュルルちゃんの見た目上の共通点はなにか。帽子である。羽をつけた帽子を画像認識して、ラッキービーストはパークの客だと判断するのではないか。赤と青の羽をつけたかばんちゃんを暫定パークガイドとして認定したシーンを思い出してほしい。イエイヌはヒトを求めたが、アルマーさんによるとかばんちゃんでは駄目だと言っていたらしい。かばんちゃんはフレンズを命令対象ではなく対等の存在として扱うからだ、というのは聞こえの良い理屈だが、しかし現状の助手の博士と助手の博士の助手の扱いはほぼほぼ従僕である。ジャパリパークは実際には厳しい世界だった。パークの掟の元で自律するフレンズ達は親切ではあるがエゴイスティックに振る舞うことがある。危険なビーストもいる。フレンズたちと渡り合い、パークの長を従わせるためにはある程度強い態度をとっていく必要があったのだろう。イエイヌとかばんちゃんの相性は良いように思われる。なぜかばんちゃんでは満足できないのか。かばんちゃんは自分が「ヒト」そのものではなく「ヒトのフレンズ」だと公言していると思う。だがキュルルちゃんの情報はイエイヌの耳にどのように届いたのかを考えていて気がついた。キュルルちゃん本人は自分がヒトだとは実は一度も宣言してない。最初にそういったのはカラカルだった、カラカルは推測でそう言った。ロバはそれを聞いていた。カルガモも。うわさはパークに広がりやがてイエイヌの耳に届いただろう。パークにヒトが現れた、と。
キュルルちゃんは「おうちを探すためでなく、フレンズが好きだから絵を描いている」と言ったが、スケッチブックに元から描かれていた絵には、しかし奇妙にフレンズの姿がない。キュルルちゃん本人は楽しそうにしているフレンズを描くのが画風である。ジャングルの絵の中のゴリラは背中を向けてさえいる。画風の違いは何が原因か。ラッキービーストは有事でない限りフレンズと積極的にはかかわらない。ヒトをガイドする仕事や配給、各種設備の保守管理以外には。「生態系の維持が原則だからね」は前期最終話のラッキーさんのセリフである。最初の旅路での荒野の絵はなんだかわからない残像だった。残像でぶれて映るのはシャッター速度の遅いカメラの特徴である。ラッキービーストは高速で接近するフレンズを察知するセンサー、レーダーのようなものを備えている。メインカメラの性能に頼る必要はない。
あるラッキービーストは持ち場を離れ、ふたたび旅を始めた。かつての任地、ジャパリホテルへ向かって。風車の写真を撮った、竹林で公園の写真を撮った、ジャングルでゴリラの写真を撮った。シッポを振って歩いていくゆっくりとした旅の間に、いろいろなことが起こった。過剰に放出されたサンドスターの影響で気候が変わり、パークの荒廃が進み、海底火山が噴火しホテルが沈む。ペパプが再起し、かばんちゃん達が旅に出る… ようやく桟橋にたどり着くも、ホテルは海水の向こうだ。ラッキービーストは足を滑らせ、海に投げ出される。やがて海底火山に至り… サンドスターの温かい光に包まれる。ラッキービーストの旅の写真はランダムに吸い上げられて、スケッチブックとして顕現した。
けもフレは一期二期通して、きほん一話ずつ景色が変わるよね。旅行してる感の一助になってる気がする。
二期になって冒険っぽさは減ったかもしれない。モノレールを割とあっさり乗り捨てたのがよくなかったか。あるいはビーストや探偵ふたりが神出鬼没すぎて、主人公勢があまり移動してないように思えてしまうのかも。その点、一期の追跡者ふたり組はピッタリ後をつけてくるので、距離感が狂う怖れはあまりなかった。そうだ、アライさん&フェネックの追跡劇が何度も番組の締めになっているのが緊張感を高めているってのはありそうだ。
一期二期共に地図は出てくるが旅路の経路はわからないので、冒険らしさにはあまり貢献してないように思う。他方、ケムリクサでは移動の様子はずっと明示的だ。一島から十島まで。ナンバリングの形であからさまにデフォルメされた道程は、旅の進行を意識させることを意図したものに思える。減っていく水。定期的に現れる"ボス"。切迫感と達成感は、ケムリクサでは計算されて配置されている。題材は剣と魔法ではないけれど、指摘は当たっていると思う。監督はRPG由来の冒険の楽しみを前面に押し出している。
決定打はわからないが、仮説2の「先の見えなさ」はかなり大きいでしょう。図書館や赤い木の根など、大まかな目標はあるものの、次の話では何が起こるかは判らない。これが次回予告をしないスタイルとも相まって、ワクワクを高めていると思う。
(話が逸れるが「ストレス回避欲求」に応えたことがけもフレ一期の人気の最大の要因だったのではという定説に、改めて頷いている。毎週安心して視聴できて、しかも冒険が楽しい。二期とケムリクサ。あえて挑戦したんだろうか。どちらも視聴はストレスフルな作品になった。)
『けもフレ』も『けもフレ2』も5分で切った俺だが、2の9話がまた物議を醸してると聞いて興味が湧き、今回はじめてちゃんと見てみた。あーこりゃダメだなと思った。イエイヌが不憫すぎる、ボロボロになるまで守ってくれた彼女を放っておいてサーバルと談笑に興じるキュルカスまじキュルカスなど既報どおりの印象を持ったが、単純にクオリティが低いとも思った。
イエイヌに対して登場人物みんなが本当に無関心だ。なぜキュルルをさらったのか、その後どうしたかったのか、どうしてボロボロになってまでキュルルを守ろうとしたのか聞きもしない。その無関心っぷりはイエイヌと別れた後、存在そのものを秒で忘れるんじゃねーのと思うほどだ。
その象徴が「おうちへおかえり」という言葉を望んだイエイヌに対し、首を傾げながら表情をまったく変えずにオウム返しするキュルルである。
キュルルは間違いなくイエイヌがそう望んだ理由を理解していない。それどころか「なぜそんなこと言わせようとするんだろう」とすら考えない。本当に、一ミリも、イエイヌに興味を持たずに終わる(その証拠に、イエイヌの目的や事情は彼女が一方的に説明するだけでキュルルから尋ねることはついぞなかった)。
これはキュルルがカスだとかbotだとかの以前の問題で、ここまで感情のやり取りがないと物語が成り立たないレベルで致命傷だ。だから必然的に視聴者として感じ入ることができない。これは例えばたった一言、ボロボロになってもキュルルを守ろうと立ち上がるイエイヌに対し「どうしてそこまで……」と声をかけるだけで話が違ってくる。それがあれば例えば「だってそれがイエイヌですから!」と信念を示すこともできる。いや、画面ではまさにそういう意味合いを持ってイエイヌは戦っているわけだが、それに対するキュルルの興味・理解・共感がないからただただ虚しいシーンに成り下がっている。意味ある物語を作ろうとするなら相手への無関心・無理解は絶対に避けなければならない。
ついでに言うなら「ビーストに襲われる」ことと「イエイヌが別れを選んだ理由」が直接つながってないのも出来が悪い。イエイヌがキュルルとの別れを選んだ理由は「キュルルさんを引き離すような真似をしてすみません。仲間を失う気持ちはよく知っていたはずななのに」にあらわれているが、これはビーストと戦ったことやボコられたことと直接関係ない。ビーストにボコられたところからつなげたいなら、「私ではキュルルさんを守れませんから」を理由にすべきだし、キュルルとサーバル&カラカルの絆を理由にしたいならキュルルと仲違いしたカラカル(&サーバル)が戻ってくる理由をスケッチブックの返却ではなくビーストの唸り声を聞いたからにすべき。ケンカしたのにキュルルに危機が迫ると知るや取って返すふたり、キュルルを守るために傷つきながらも強敵を撃退する、という流れにすればあの3人の絆をイエイヌが理解でき「引き離すような~」というセリフにつなげることができる(その布石としてキュルルを悪く言うカラカルにイエイヌが不満を持つ、外は危険だからと言うイエイヌに「ふたりが危険なのに家でじっとなんてしてられないよ」とキュルルが言うなどあれば尚良い)。
実のところ似たようなことはどれもやってるのだが、必要なセリフや演出をことごとく欠いているためそれっぽいけど全く違う醜悪ななにかに成り果てている。
創作者のはしくれとして俺ならどうするかについても述べておく。
まずイエイヌのやっていることは代償行為である。キュルルはヒトだが本当の主人ではない。彼女には帰りを待つべき主人が別にいる。しかし主人が帰ってこないため、キュルルに偽の安らぎを求めており、そんな「弱さ」を彼女は抱えている。1人&2匹との出会いによってイエイヌは主人の帰還を信じる「強さ」を手に入れ、キュルルたちとの別れを選択する――という点を軸にする。1人&2匹との出会いがイエイヌの心の問題を解決するのがポイントだ。
具体的には以下のような流れ(※筆者はガチでこの9話しか見てないのでキャラに違いとかあるかも)。
『けもフレ』5分切りを豪語する俺がひとつだけちゃんと見た『けもフレ』コンテンツがある。それはJRAとのコラボ動画『けいばじょう』。
内容は他愛のないもので、「おおきなたてもの」のそばを通りすがった一行は、その中でサラブレットのフレンズと出会い、「おおきなたてもの」であるところの「けいばじょう」を案内してもらいつつ最後はかけっこ勝負をする。時間にして3分半ほどと短いが、俺はこの動画が好きである。
その理由の大部分を占めるのが3:10から流れるたった5秒の映像だ。
サーバルのかけっこ相手であるあおかげは、その直前、客席(スタンド)に視線を向け、耳を澄ませる。聞こえてくるのはかつてこの競馬場を埋め尽くした大歓声だ。今は失われてしまった、華やかで賑やかだった頃の残響。感傷に耽るあおかげの後ろ姿に胸が締めつけられる。彼女は何も語らないし表情すら画面に映らないが、この場所が或るいはかけっこが彼女にとっていかに大事か、そのワンシーンで伝わってくる。
以下の記事を受けて。
「けものフレンズ2」9話は過去最高に”優しすぎる世界”だった。 - けものつれづれ
https://ironyart.hatenablog.com/entry/2019/03/14/090915
3%のフレンズが愉快犯ではなく実在していたことに驚きつつ、その感想視点がイエイヌの扱いという一面からでしかなかったので、より多方面にわたる、わたしの9話に対するツッコミを書き記したいと思います。
いつ壊れたの?何が起きたの?ピエール瀧がやってきて壊してくれたの?2話でも同じ過ちを犯してたよね?
最初からそうしろよwww・・・という当然のツッコミに、どうあらがおうというのか。
「キュルルー!」とか言ってる時点で見えてるだろ。遠目に発見しろよ。足元だったらせめて「あっ!」って言ってから見つけろ。
もうちょっと遅さを強調するカメラアングルと「間」を入れてから言わせたほうがおもしろかったのでは。
なんで「イエイヌ」って直接言わないのか、恐そうに紹介しちゃうのか、さらにはこれまで暴力的な手段も辞さなかったのか。せめて「視聴者のドキドキを高めるため」以外の、あとですっきり納得できる理由を用意しておくのが脚本の仕事では?
ご主人様をけなげに待つイエイヌとしては、強そうなオッドな黒縁おめめは合わないのでは?このデザインのイエイヌがアプリ時代からいたのだとしたら、この外観のキャラにこのエピソードがそぐわないのでは?
唐突やろ・・・。手に取ってすぐ退場しちゃうから余計視聴者が置いてけぼりになる。せめてその場ですぐ開けて食べてくれ。
天真爛漫なサーバルちゃんの割に、わかりやすいきっかけや手がかりもなしに、深い推測が走りすぎてない・・・?
電池アイコンにバッテンとかならまだ「お子様」視聴者にもわかりやすかったのでは・・・?お子様を無視するにしても、オトナ目線からもそもそもユニバーサルデザインにしとけよと思う。
遅い。でも食べるシーンがあって本当によかった。唐突なものを登場させたら、すぐ説明!
センちゃんたちは、なんで意味もなく敵対的なんですかね・・・?自分たちにも依頼主にも悪気はないのに、敵対する意味なくない・・・?
かわいい(´ω`)
「口にくわえて持ってくるのは不自然だから・・・かな・・・違和感あるけど・・・まあしょうがないのかな・・・」と、いうような妥協感を読者に与えないような工夫はできなかったのかな?
個人的には「カラカルは小学生の道徳教材に出てくるような(後に改心する)子なんだ」と理解したけど、顧客が求めていたものとは違うよね。そこは善意に解釈すれば、監督は承知の上のようだけど。
「ボクのほうこそ心配かけこそごめんね」だろそこは。しかももっと早いタイミングで。このあたり、とにかく登場人物たちの感情の流れがめちゃくちゃ。誰にも感情移入できない。
完全に道徳教材やNHK教育のちびっ子番組の流れ。でもな、オレらが求めているものとは違うんだ。
大胆すぎない?そういう提案はもうちょっと状況を飲み込んでからにしたら・・・?
いや、そういう優しさ持ってるなら、カラカルの話をもっと聞いてあげなよ・・・
イエイヌのセリフとの繋がりがご都合過ぎてひどい。「中にはその逆もいますけど」まではもっと普通のテンションで話した上で、遠吠えを聞いてから「あっ、噂をすれば!」と驚くべき。
侵入してくるんじゃないかと心配する視聴者をよそに平然としている。だったらもっともっと遠くの方で聞こえる程度の遠吠えにしてほしかった。
近くにいるならサーバルたちにも聞こえるやろ。サーバルに聞こえてないなら、少なくともいま家を出ちゃうキュルルのほうが危険やろ。せめてそういう疑問や不安について納得できる材料を視聴者にくれよ。せめて、遠吠えが複数回聞こえた上で、「サーバルたちが歩いて行った方向に移動しているようだ!」とか。そして、(とっても強いという話の)イエイヌをいっしょに来るように連れ出す、とか。
BGMも相まって、直前の緊張感がいったん解きほぐれてしまう。このシーンは、遠吠えよりも前に挟むべきだったのでは?
いや、善意に解釈すれば、サーバルが「カラカルがキュルルと仲直りするきっかけはないかなぁ・・・」と考えていたら思い出したと解釈できるけど、単純にトラクターまでたどり着いてから目で見て発見するほうが自然じゃろ?意味のない不自然さは罪やぞ。
イエイヌ擁護派多いけどワイはこのセリフは許さんよ。そして「キュルルの身の安全のために、敢えて思ってもないことを言っただけ」という擁護は通じない。逆に、そこまで言わせるなら、もっともっとせっぱ詰まった極限状況まで緊迫感を作っておかないとダメだ。
もっと警告らしい音出せ。
一撃でダメージ受けすぎやろ・・・。あそこまでボロボロにするならもっと格闘させろ。作画がしんどいならせめて「激しい格闘の末に・・・」と伝わるシーンを挟め。
あのさあ・・・。これまでのシリアス感はなんだったわけ?コミカルにしたいの?まさかずっとコミカルのつもりだったの?
強敵感の無さよ。ゴリラなどの精鋭揃いだった5話でもみんなで逃げ出したビーストなのに、カラカルとサーバルだけであっさり追い払えるの?少なくともセルリアンよりはるかに強い、ひょっとするとラスボス級かもという認識だったけど、今後ビーストの怖さをどう捉えたらいいの?
さっき起きてたやん。倒すなら倒れるシーン挟めよ。
急すぎる。子供はもちろんふつうのオトナでも共感が追いつかない。(高尚な3%のオトナにしか刺さらない)
イエイヌちゃんのこれからが不憫すぎない・・・?せめて、せめて、イエイヌの心情変化やキュルル側の心情ももっと描いてあげて、「心にしみる別れ」をもっともっと演出してあげないと、急すぎるイエイヌの涙だけじゃ、とても報われない。
冷たすぎる。そりゃ大切なものだし失望するのはわかるけど、届けようとしてくれた善意に対する感謝の気持ちがあれば、そんな第一声は出てこないやろ・・・。ましてそっからギスギスし始めるなんて論外オブザ論外。せめてせめて、語尾や言い回しを少し変えるだけで、コミカルなケンカに仕上げることもできていた気もするが、そうはなっていない。
以上です。
まず、本編途中でやべえな…と思い、ツイッターで検索をした結果イエイヌが不憫などという話が持ち上がっていたが、突っ込みどころが多すぎてそこにしか焦点が向けられないのってすげえアニメだな…
サーバルちゃんが連れ去られた後に突然おうちを見つけた~のくだりを話し始めるのがよくわからなかった。何の脈絡もなくそこにたどり着けるだけの知識がサーバルちゃんに備わっているわけもない。例えばかばんちゃんとの記憶を失ってなんちゃら~というのも今調べて発覚したが、おうちという知識はかばんちゃんとやりとりしたわけでもない。それと、サーバルちゃんが友達が自分より家を優先させる人だと思っているドライな所が悲しかった。一緒にここまで冒険してきた(見てないから知らんけど)筈のキュルルちゃんがおうちを見つけて、だからもういいんじゃないかなくらいの割り切り方…けもふれ1話のさ…かばんちゃんについてきたあげたサーバルちゃんじゃない…声が一緒なはずなのに抑揚の付け方が、台詞回しのせいで今の方が淡々としていて優しさが現れなくなっている…
サーバルちゃんならいなくなった後「どこ行っちゃったんだろ。でも、頑張って二人で探そうね!きっと元気にどこかでやってるだろうし、ボスもいるから大丈夫なはずだよ!」とか、カラカルを元気づけるくらいしただろ…
励ますだろ…いくらでもそういう言葉選びが出来たんじゃないか…おうちというワードに固執させたかったんだろうけどそれだったら「もしおうちが見つかってたら、やっと帰れるんだね、キュルルちゃん!でも心配だし、早く探してあげたいな」とかで充分いけただろ…
キュルルちゃんがさ、サーバルちゃん呼び捨てしているのも強烈に違和感があった…サーバルちゃんって、呼び捨てもちゃん付けも色んなフレンズにしているけど、かばんちゃんにはかばんちゃんだし、サーバルちゃんもサーバルちゃんってお互いに呼んでいて。キュルルちゃんが呼び捨てにしてたら自分もキュルルって呼び捨てにしたんだと思うんだ…その微妙な二人の距離感がすごくどちらとも可哀想…と思ってしまった
カラカルがキレている所らへんも、イエイヌに対しての言い方とかもう少しあったと思う。いや怒るのは正論なんだけど「遊ばない」とか、言うにしても…というかけもフレ一期ならキレるキャラとしてツチノコとかが居たけどアレは知識が無い事と勝手に色々かき回すってところにキレていたわけで性格とかそういう考え方を否定してたわけではないので、嫉妬しているから怒っているという風に見えるカラカルがとてもメンドクサイ女子のように表現されているのがモヤモヤする…ただ単に心配してて上手く言えなくて、だったらそれをサーバルちゃんがそこで…賢いなら…察してほしかったのと、追いかけ回してた子たちは関係ない悪くないって言うなら、イエイヌに対しての態度がただ悲しい…カラカルがあそこで一緒に遊んでたらあそこまで胸糞悪くなかった…キュルルちゃんはただほんともっとかばんちゃんより幼いってことでもあるのかもしれないし、能天気だし、おうちを探すってこととかそう言うのが意外と希薄で、カラカルが一番真剣に考えてあげてるのに空回りで伝わってないのも悲しい…カラカルが悪いわけじゃないので…
キュルルちゃんが勧められたお茶を飲まないのを見ていて気がついたけど今回だけかわからんけど「~しない」っていう行動の拒否と否定がものすごく多いよな…けもフレ一期は「わからないことがあっても、それにみんなで立ち向かう」だけの団結力とか、こういう否定をするときも「ごめんね、今気持ちが一杯で…」みたいな表現で言うと思うんだ…そもそも一期なら紅茶飲むと思うけど……
そんでここまででいったん中断して調べ回ってから本編を見始めたらサーバルちゃんが「これでよかったのかな、ほんとうのおうち…」って言い出すの「は?」としか言えない。いや最初におうち見つけたんじゃないって言ったの自分だよね?というか何でそこはカラカルに言わせないの?ここサーバルちゃんなら「寂しいけど、キュルルちゃんが幸せになってくれるなら…」とかっていうタイプなのになぜカラカルに問いかけるんや…それと、サーバルちゃんはここでカラカルに行くって言わせないで「カラカルも一緒にいこ!キュルルちゃんと仲直りしたいでしょ!」って連れていくタイプだと思うのにそこをカラカルに言わせてどないすんねん…「ちょっと、私は!」って言えたならそこで「さ、サーバルが無理矢理!」っていうカラカルちゃんの心の中の体裁を保てたんだよ……
なんでそこまで助けてくれたのに「イエイヌさん」なんだ…何でさん付けしてるんだそこ…
「頼りないわね!」って言うよりもキュルルに対して「もう、弱いのになんで外に出てるのよ!」って言えばまだよかったな…って…結局イエイヌに嫉妬していることがわかってしまうこの台詞悲しいわ…
わかったことがあるんだけどキュルルちゃんは多分5歳くらいなんだと思う…(あくまでも小学校に入る手前の年齢という解釈なので何となくで5歳というしかないだけだけど)…だから守ろうとかそういうワードになってくる…けもフレ一期のかばんちゃんの成長と違って、キュルルちゃんは目の前で見たことに対しての反応しか出来ない…だからイエイヌに対しても煮え切らない態度しかとれなかったし…
今回の序盤の「鋭い爪~」とかそういうくだりがあるせいでイエイヌがそういう特徴があるのに実はたいしたことないみたいな描写しているのがすごくやるせない…目に迫力があってすごいんです!とか言わせておいて、その最後泥だらけになっている所でビーストを睨みつけて撃退してたらすごくきれいに伏線も何もかもまとまっていたんだけどな…
イエイヌが一人で自己完結してしまうところで5歳児のキュルルちゃんに何も言える筈はなかったんじゃ…それはそうとしてカラカルちゃんが嬉しそうってなってるところがまたイエイヌちゃんがいなくなってよかったみたいに捉えられかねないやり方やめろ…もうここで一期の人間は一期におかえりって言われてるのと同じだから何とも言えない、もうけもフレ2は一挙放送があっても見ることはないでしょう…この量の文字数だけ毎回違和感出るんだなってわかったし苦行以外の何物でもない…
イエイヌを汚れたままにしてるのもキツイ、あんなに可愛いのに薄汚れたままにしておかえりはないでしょ…水浴びとかちゃんとさせるかあそこまで泥だらけにする必要がない…イエイヌちゃんがまるでおうちを無理矢理キュルルちゃんに押しつけて結果役に立てずに汚れて戻っていくっていうストーリーをこんだけ嫌味にして引き延ばして一回の登場だけで終わらせるの勿体ないとしか言えない…
「なにやってんの?」ってスケッチブックの事忘れてたのに怒る五歳児…仕方ないね五歳児は幼稚園鞄を持ってもらうことが前提なので怒るしかない…
ココに出てくるキャラみんなご都合展開で喧嘩して仲直りということがさせたいしワードをいくつか出して終わらせておけばみたいなのが見え透いているのが耐えかねる…キャラクター自体はいいのにそれの使い方が全部間違っている……キャラは悪くないと思う。問題は動かし方と考えさえ方…っていうかビーストを早く解放してあげて…かばんちゃんとサーバルちゃんなら「フレンズを助けなきゃ!」ってなるでしょうが……今まで一回も観なくてよかったし感想だけ読んでればいいよ皆…
けものフレンズ2が不評だ。
もちろん前作監督信者の大暴れによるところも大きいのだが、けものフレンズ1の続編と見た場合根本的欠陥があるのだ。
え、それって悪いの?
となりそうだが、悪いのだ。
けもフレ1の支持者にとっては致命的に。
他人との衝突を産みうるだけの自我を持っているのはツチノコ、トキ、アライさんぐらいで、
あとは結局は漠然としたいい子である。(アライさんも本当はこちらに含めてもいいかもしれない)
表層的な口調や軽い行動の違いはあってもまともな意味での意見の相違や対立はないのだ(ライオンとヘラジカのあれが対立? またまたご冗談を)。
逆に完全悪もいる。
(他の媒体のけものフレンズでは必ずしもそうではないが)1のセルリアンは全く同情の余地のない絶対悪でのけもので排除の対象である。
軋轢の生じえない群体があり、それに排除される絶対悪だけがいるのがけもフレ1なのである。
「悪」と決めた相手に徹底攻撃をかけた現実のけもフレファンたちと同じように。
だからカルガモやイルカアシカのこだわりは主人公たちを足止めし、
なんという汚い連中だろう?
第1話で巨大セルリアンからキュルルたちを救ったのもまたビーストである。
かばんの「あの子たち」という呼称や口ぶりからも排除が当然の「絶対悪」ではない 。
なんという裏切り!
フレンズたちはまるで自我が存在しないがごとき仲良しこよしで、
あの素晴らしいジャパリパークを返せ!
こんなの、けものフレンズじゃない!
だからけものフレンズ2のブルーレイは売れないだろうし、これからも叩かれ続けることだろう。
それは残念ながら間違いないことだと思う。
1を買っていない僕は予約したが。
最近だとDGMのThe Passage以来感動するようなアルバムには出会えていない。
SpotifyとかYoutubeで琴線に触れる音楽がないか漁る日々。
そうすると、まぁハマるほどではないんだけど、ちょっとしばらく聞いてみようみたいのにはいくつか出会う。
昨日だとTeramaze。オーストラリアのバンドらしい。その前だとArt nation、スウェーデンのバンド。前者はプログレメタル、校舎はHRな感じ。ところが共通点がある。
そう、Jacob Hansenですよ。Anubis Gateも彼がVoの頃のアルバムしか聞いてない。
Jacob Hansenの作る音が好きすぎる。
ちなみにギタリストはやはり最初に挙げたDGMのSimone mularoniが大好き。Redemptionは最初参加していること知らなかったけど音でわかった。最高すぎる。
ドラマーはまぁポートノイも好きなんだけど、やっぱマイクテラーナかな。ドラムビーストいつまでも頑張ってほしい。今何歳なんだろう。
オチはない。
宮野真守は世界中から注目されている映画「ファンタスティック・ビースト」の主役の吹き替えをやっている。その宣伝も兼ねてか、めざましテレビやミュージックフェアに出演していた。しかし、その裏では世間が蛇蝎のごとく嫌うであろう萌えアニメの主人公を演じていたのだ。そのタイトルは「ゾンビランドサガ」だ。まあ、萌えアニメを見慣れた人にとって「ゾンビランドサガ」はそんなに破廉恥じゃないけどね。
宮野真守が過去に主役を務めた「DOG DAYS」の方がもっとハレンチだ。このアニメでは、ヒロインは攻撃を受けるたびに服が破けてしまうのだ。それ故に、主人公はラッキースケベに遭遇することが多い。つまり、「DOG DAYS」はソフトな「ToLoveる」だ。
宮野真守は一般人の認知度が高く、女性からの人気が非常に高い長身イケメン男性声優である。
そんな声優が世間からの忌避感が強い男性向け萌えアニメの主人公を演じることは、世間を発狂させるスキャンダルだと思わないか。一般人からすれば、イケメンで女性人気が高い男性声優が萌えアニメの主役をやることは、菅田将暉や山崎賢人といったイケメン俳優がAV男優をやるようなものだろう。
宮野が男性向け萌えアニメの主役を演じたことがPTAやフェミニストが知ったら間違いなく発狂するだろう。
もっとも、女性から黄色い声を浴びているイケボ声優が下品な男性向け萌えアニメの主役を演じることは珍しい話ではない。
「ユーリ!!! on Ice」の主人公・勝生勇利を演じた豊永利行は著名な成人向け漫画家がイラストをやった「ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?」の主人公を演じている。
「おそ松さん」の一松を演じた福山潤はフェミニストに散々叩かれた「境界線上のホライゾン」の主人公を演じている。
NHKが推している「進撃の巨人」の主人公を演じた梶裕貴だって、いろんな汚れ仕事をしている。その中で特に世間の忌避感が強いアニメは、知る人ぞ知るロリコンアニメ「ロウきゅーぶ!」のとR15指定のお色気アニメ「ハイスクールD×D」だと思う。もちろん主人公役である。しかも、後者のヒロイン役は1期のEDを歌った日笠陽子だ。
GRANRODEOも、武道館でライブを行ったり、腐女子人気が高い「黒子のバスケ」の主題歌で知名度が上がったりしているけど、結成のきっかけはボーカルの谷山紀章が男性向け萌えアニメの主人公を演じてキャラソンを歌ったことだ。しかも、そのアニメの原作は18歳未満購入禁止の成人向け美少女ゲームだ。
でも、声優は仕事を選べないのだ。そんな贅沢ができる声優は小野賢章ぐらいだと思うよ。小野は女性向けアニメの出演は多いが、男性向け萌えアニメの出演は非常に少ない。(なら、どうやって小野賢章は花澤香菜と知り合ったんだ?共演作は2つしかないんだぞ。釘宮理恵と日野聡は不思議に思うだろう。)
女性の人気が高いイケボ声優が男性向け萌えアニメに出演することについて、どう思っているんだろうね。女性たちからすれば、死ぬほど嫌だろうね。何せ、腐女子にはフェミニストが多いと言われているし。
ハリポを一切履修していないワイ、ファンタスティックビーストを見る。
見たのちょっと前だし、一回しか見てないから色々間違っている感想。
面白いかどうかと言われたらまあ、良い娯楽大作なんちゃうか、設定も色々あって楽しいね、って感じなんだけど
底にある考え方がキツいというかしんどいというか
そら、上位の存在が一般公衆を守るべきっていう考え方はあるだろうけれど(受け入れ可能かどうかは置いておいて)
一番こいつとは相容れないな、と思ったのは一般公衆の記憶消したところ。
バス乗り逃して次来るのが一時間後、のような事態になっても退屈したことがない。ヒマ潰しに小説も漫画もいらなかった。ただボンヤリと空想にふけっていると時間が過ぎていくから。今日もくだらない妄想で半日飛ばしてしまった。北海道編連載再開だってなあ。読んでなかったけど。なんか左之助出てくるらしい… かつての最終巻まででイマイチ活躍してない感じだったよなあ、二重の極み強いのに。全開状態なら志々雄真実にだって勝てるんじゃないか、というか誰だったら左之助に勝てるんだ? 四乃森蒼紫とは戦ってない、雪代縁とも戦ってない… というか雪代縁が剣心以外と戦ってない! あの漫画交戦してないペア多すぎだし、やったとしても満身創痍ばっかりで誰が強いんだか全然わからん ーー「るろうに剣心三位決定戦」
一応の結論がついた頃には日もとっくに暮れていて、晩飯終わってからもまだまだ時間は余っている。北海道編コミックスが届くまで日がある。他に大した趣味もないし特にすることもないのでまたボンヤリを始める… 「ルーモス光よ! だけで全クリする」というのはどうだろうか… いや絶対無理かな? そもそもどんな話だったか忘れている。ファンタスティックビーストも観れていないし。まあ考えるだけしてみるか。どうせ時間はタップリある…
現代ではスマホのお陰で時間潰しに難儀することもなくなったようでそれは良いんだが、俺のような人間は埋もれてしまったみたいで少し寂しい。