はてなキーワード: ビックリとは
昼寝をしていると部屋のインターホンが鳴ったので、amazonで注文していた本がもう届いたのだろうか、と思ってドアを開けるとゾウが立っていた。
開ける前にちゃんと覗き穴で誰が来たか確認しておくべきだったと後悔したが、後の祭りなので仕方なく対応することにした。
ゾウならなんとかなるかも知れない、これがトラやライオンだったら大変なことになっていたので、まだマシだと思った。
「何かご用ですか?」
「先週、二階に越してきた者です。少し話がありまして。」
ゾウはそう言うと私の方をじっと見つめた。
シワシワのまぶたに覆われた小さな眼からはその表情を読み取ることはできなかった。地面に届きそうなダランと伸ばした鼻が時々ヒクヒクと動いていた。
ゾウがアパートに住むという話は聞いたことが無かったが、都会ではよくある事なのかも知れないと思った。
「話って、なんでしょう?」
私はゾウを見上げながら聞いた。ゾウの顔はだいぶ上の方にあるので首が痛くなりそうだった。しかしキリンと話すよりはマシだろう。
ゾウは私の問いには答えずに、地面に垂れていた鼻を私の肩越しに部屋の中へ伸ばすと、
台所のまな板の上に放置してあったニンジンの切れ端を掴んで口に運び、ムシャムシャと食べ始めた。
私はいきなりの事で驚いてしまった。いくらゾウとはいえ、他人の部屋の物を勝手に食べるのはおかしいと思った。慌てて扉を閉めようとしたが、長い鼻が邪魔で閉める事はできなかった。
「はあ・・・大変ですね」
ゾウの体を考えると、3日も何も食べていないのは、かなり辛いのではないかと思った。
それでもいきなり他人の台所のものを食べるのはどうかと思うのだが。
「すいません、とてもお腹が空いていて・・・アフリカにいる親戚がお金を送ってくれたのですが、手違いで一週間後に届くことになってしまったんです。」
ゾウはゆっくりとした口調で言った。
「突然で申し訳ないのですが、ひとつお願いがあるんです・・・」
「はあ、なんでしょうか。」
私は何か、相手のペースに呑まれている気がしたが、今さらどうすることもできなかった。
「少しだけでもいいので、お金を貸して欲しいんです。」
見たところ、悪いゾウではないような気がしたが、流石に初対面の動物にお金を貸すのは抵抗があった。
私がそう言って、不動産屋に電話をかけようと携帯をとった瞬間、ゾウの鼻が伸び、私が持っていた携帯を取ってしまった。
「少しだけでいいんです。今、財布にどのくらいあります?」
ビックリして固まっている私を尻目に、ゾウはそう言った。
私は、できるだけ平静を保とうと心の中で思いながら、財布の中身を確認した。財布内には一万円札が1枚と、千円札が6枚入っていた。
「いま、これだけしか無いんですけど」
私は努めて普通に言ったつもりだったが、声は少し震えていた。
これで「足りない」とでも言われたらどうなるのだろうと思った。
ゾウの足の大きさなら、私なんかは一足でカエルのように踏み潰されてしまうと思った。
ゾウはお札に目をやると、少し微笑んだ。(少なくとも私にはそのように見えた。)
私からお札を受け取ると携帯を私の手に戻し、「お金は必ず返しますから。」
と言って、そのまま悠々と歩いて行ってしまった。
私は少しのあいだ呆然としていたが、急に気がついて不動産屋に電話をかけた。
不動産屋の人は「先週、二階に引っ越してきた人っていますか?」という私の問いに、困惑したように「そのような人はいないですよ。」と言った。
私は全身の力が抜けるような気がした。
パトカーで来てくれた警察に事情を説明していくうちに、私はなぜこんな簡単な事件に引っかかってしまったんだろうと情けなくなってしまった。
少し考えると、お金を渡すのはどうしようもない悪手だった気がしてならなかった。
警察は一通り話を聞いたあと、防犯カメラを確認しに不動産屋の方に向かった。
後には私と婦警さんが一人残った。
私は隣に立っている婦警さんに、こういう事件はよくあることなのか聞いた。
婦警さんは少し苦笑いしながら、あまり聞いたことがないですね。と答えた。
しばらくして不動産屋から帰ってきた警察官は、「いま防犯カメラで確認したけどね、あれはアジアゾウだよ。アフリカゾウはこの辺りにはいないよ。」と言った。
私は、そういえばアフリカの親戚がどうとか言ってたなと気がついたが、今さら気づいても後の祭りだった。
続けて警察官は私の方を向いて、
「あなたは田舎から出てきたばかりだから仕方ないかもしれないけど、ここら辺には悪いゾウもいるんだから、気をつけないと駄目ですよ。簡単に扉を開けたりしたら駄目ですよ。わかった?」
と少し強い口調で言った。
空になった財布を手に持ちながら、私は本当にその通りだと思った。
実況検分が終わり、警察が帰ると、私は部屋に一人残された。
私はドアの方を見つめながら、これからはどんな動物が訪ねてきても、まず必ず覗き穴で確認し、チェーンロックをかけたまま対応しようと、固く心に誓った。
それからずっと一生続く苦しみの中で必死にもがいている私とその元投稿の人似てるなぁと思って。
最近、そうやってもがいている人を自殺に見せかけて殺すという嫌な事件がありました。
その人がもしも変な人に引っかかって自殺してしまいたくなったら私は泣くから、ここに出来る限りのことを書きます。
死なないでね。
私のこと信じられなくてもいいから死なないでね。
苦しかったら助けを求めてね。
てか、あの投稿をした時点であなたは助けを求めてるし、それに応えてくれる人はいるよ。
助けに来てくれる人、実はいるよ。
昔の私
誰のことも信じられなかった。
だって道行く人は自分のことが可愛くて、『助けて!』の言葉さえも言えずにただ泣いて殴られ続けている私を見捨てて去っていったから。
母のことも信じられなかった。
私が家の前でいじめっ子に首筋にナイフを突きつけられているときに、
何もできなかったから。
当時鉛筆削りとして使われていた折りたたみ式のプラスチックケースが着いていたもの。
肥後守に似てるけど、それよりももっとチャチな、当時の小学生が普通に買って使ってたようなもの。
もう机にくくりつけて使う大型の安全な鉛筆削りも普及していたけど、
そんなチャチなナイフでも首筋に突きつけられたらそりゃ怖い。
頸動脈の近くだったし。
今の私だったら当時の母やそう、近所のおばさんもそばにいたけど、手を出したら私に命の危険があるから何もできなかったってわかるけど、
当時の私にそんなことわかるわけがない。
助けてもらえなかった
それしか頭に残らなかった。
もうさ、朝は近所の子なんかと一緒に登校できるから怖くなかったけど、
安住の地とは思えなかった。
まあ色々ありました。
本当に誰のことも信じられないから、成人して仕事についても同僚のことが信じられないのね。
全部悪い方に捉えちゃう。
よくニュースでいい人が出てきたり、仲の良いクラスの話が出てきても、
同じ世界のこととはとても思えなかった。
とてもじゃないけど信じられなかった。
(念のため。
今そのナイフは持っていません。
持ち歩くのをやめてからも保管してたけど、自分にはそのナイフを使う資格がないと思ったので警察に持っていって正式に処分しました)
私がナイフを持ち歩いていると知ったとき止めてくれた人がいましたが、その人のことも完全に信じたわけではありませんでした。
でも一応、持ち歩くのはやめました。
本当に誰のことも信じられなかったのよ?
誰も私が困ったときには助けになんて来てくれない、そう思い込んでいました。
そのとき、アレって思ったのね。
あれ?あの人たち本当に助けてもらえてる。
すごくビックリした。
もしかしたら声を上げたら助けてもらえるの?って生まれて初めて思った。
その直後に起きたのが地下鉄サリン事件でね。
ショックだった。
私は人を信じられないけれど、それでも自分の子供時代と同じような思いをする人が出ないように、自分だけは助けるんだ、助けることでちっちゃかった頃の私も喜んでくれるに違いない、そう思って仕事を選んでいたから。
その仕事は脳の研究をする人たちのお手伝いで、生活できるようなまともなお給料なんてもらえていなかったけどね。
でも、必死になって働いてた。
その私と教祖が合わせ鏡のように見えたのね。
別の言い方だとドッペルゲンガー。
鏡のお化けかな。
ほんのちょっと砂一粒分違っていたら、私はこの人になっていたのかもしれない。
その時、それまでの自分が壊れました。
それで初めて人に助けてと言いました。
それまで自分が心の中で憎んでいた恵まれた頭と恵まれた環境にいた人に助けを求めました。
信じてはいない人に助けを求めました。
それからいろんなことがありました。
どの土地も私には故郷よりも優しい人が住んでいるように感じました。
しがらみがないから新鮮な目で見られたのでしょう。
初めて人を信じることを覚えました。
で、もう大丈夫だろうと思えた頃、故郷に帰ってきたのだけれど、やっぱり昔の傷がうずくの。
それでも私が子供の頃から比べると通学路は随分と安全になっていました。
大人があちこちに立ってて、通学中に襲われる心配をする必要はないように思いました。
それでも傷はうずく。
精神安定剤が欠かせません。
なんで自分をいじめた人間が苦しむのではなくて、私が苦しまなくてはいけないのか!
道端でベルトをムチ代わりにしてぶたれていたときに、家の中から飛び出してきて助けてくれた人がいたの。
吐けば助けてもらえるとでも刷り込まれたか、苦しくなるとそれ以降吐くようになっちゃいましたが。
最悪の結果にならずに大人になれたのはその時のことがあったからかもしれないと思うことがあります。
お前は助けてもらえたじゃないか、自分はそんな経験ないぞ!って思ったでしょ?
違うからね。
あなたの投稿を読んで、どれだけの人がブックマークしたと思ってる?
助けてもらえないなんて嘘だからね。
信じられなくてもいいから助けは求めなさい。
助けは来ます。
効果があるのか、それとも逆効果になっちゃったらどうしようなんてことを考えながら、必死になって言葉を紡いでる。
気づいてください。
助けは来ます。
でもって傷ついたままでも、
生きていけます。
とりあえず、酒飲んで精神科の薬っつうのはやめて、
私が今やってるみたいに増田に書き込んでもいいと思う。
毎回じゃないだろうけど反応があるかもしれない。
本当に助けは来るのよ。
うつヌケ?
そんなもん信じられなくてもいい。
助けは来る。
それでも信じられないなら、自分が人を助ける側に回れ。
そうしたら少なくとも例数1確保できるから。
何度でも言う。
助けは来る。
自分自身のことさえ信じられなくてもいい。
それでも助けは来る。
私のことも信じられなくてもいい。
それでも助けは来る。
だから助けを呼ぼう!
もうすぐ二十七歳になる。
紙に書いて壁に貼って、誕生日になったら剥がせばいいのかもしれない。
「今、俺は26歳! 社会人4年目! ここが頑張りどき!」
みたいなことを正月にでも筆で書いて、壁に貼っておく。
誕生日が来たら剥がす。そして次を貼る。
「今、俺は27歳! 社会人5年目! 上からの評価だけでなく、後輩の育成も、ね!」
時間は流れてゆく。
いや、流れているはずだ。
僕の中の時間は止まったまま、現実世界の時間だけが過ぎている。
27歳になるのもビックリする。
22歳になったときはまだ覚えている。
そこからの5年、何かあったのか?
子供のいたずらで、時計を針をぐるぐると何回も何回もまわして、気がついたら2017年になっていたような気さえする。
サラリーマンになんてなりたくなかった。
フリーターになって夢を追うとか、まあそのぐらいの選択肢はあったけれど、実質的に就職する以外の選択肢はなかった。
労働ということに、価値を見出せなかった。今もそうだが、昔からそうだった。
就職活動。
長い年月を費やしたけれど、今の僕にはほとんど記憶がないのは、忌々しい記憶だったからだろう。
長い就職活動だった。
会社に入ってくる後輩は、学歴も就職活動のハードさも、ワンランクもツーランクも落ちるような奴らだった。
結局は運なのだと思う。
僕の同期は、就職留年したり、未だに実家に寄生したりするが、それはなんだったのだろうか?
そんなものは存在しなかったかのように、日経平均は上昇し続けている。
そして僕もまた、そんなものは存在しなかったかのように、安定した暮らしをしている…
リクルート的な価値観に従うならば、仕事というのは自己実現の手段でなければならない。
仕事を通して、大きな変化を社会に与えて、それを通して自分という存在が救われるのである。
その文脈において、僕がしている仕事は、まったく価値のないものでしかない。
僕の勤めている会社の利益だけを考え、その関係者だけが幸せになるものでしかない。
やっていることが、FAXからExcelの穴埋めに変わったくらいか。
技術者気質だが、管理職としての自分の役割も理解して、高いレベルでバランスのいい部長がいて、
放任気質でどうでもいいところはノータッチにして、締めなければいけないところは締める課長がいて、やりやすい。
そういう上司のもとで、それなりの成果が出せている気がする。
そんな恵まれた環境でも、三年目くらいまで、どうしようもないくらいの焦燥感があった。
自分の技術力とか、会社の求めているマネジメント能力とか、そういうものへの反発があった。
早晩潰されてしまうのではないか、という不安は常にあったけれど、色んなものに恵まれて、そんなことはなかった。
僕が居心地がいい環境というのは、ずっとなかった。
家庭でも、学校でも、バイト先でも、そんな環境はなかった。友達や恋人の部屋でさえも、僕は居心地の悪さを感じていた。
極力シンプルに生きようと思っている。
平日はそれで過ぎていく。
休日に色んなことを考えてしまうが、それだけが僕の生きている時間なのだと思う。
平日はそれでいいと思う。
よくもわるくも、僕はサラリーマン(社畜)である自分を受け入れつつある。
今の日本には、僕と同い年で、同じくらいの給料をもらえている人間なんてほとんどいないのだ。
けれど、それは結局、失われた20年に突入した日本の大半の若者が得られなかった、ある時代は当たり前だった待遇でしかないのだと思う。
もちろんそういう詭弁をもって、仕事をやめて、自由を手にしようということではない。
何が言いたいかというと、このままだと、僕に許された幸福に続く道のりは、
いい奥さんをもらい、仕事を頑張り続けることだということしか残されていない、ということなのだ。
幸福に関しては書きたいことがたくさんあるけれど、はたしてそんなことなのだろうか?
僕にはわからない。
わかる人間なんているのだろうか?
この文章で、誰かを批判しようとか、肯定しようとかいう気持ちは一切ない。
付き合っている子の家に遊びに行った時に、エロDVDを片づけ忘れてたってのあるあるだと思うのだが、
好きなアイドルとかはビックリするほど美形の整った顔の女が好みなのに、美少女系とかじゃないんかと。
まぁたまたま今日はそういう気分!ということなんだろうなとは思ったが、そういえば、美形好きのくせに
なぜ凡庸ちょい下の私と付き合っているのだろうという以前からの疑問もあったりで、こつんと引っかかるものがあったので
素人ものがお好みですかーへーはーほーん、から始まって、彼氏の自慰事情をずかずかと、根掘り葉掘りしてみた。
あまり映像では抜かない。なぜ? ちょっと嘘くさくて入り込めないから。素人ものならいいかと思ったがやっぱり演出が気になって気が散る
本?エロ小説とかエロマンガとかか? いやあれもいかにも抜いてくれという感じで入り込めない。視覚情報が少ないだけ多少活字の方がマシ。
えええ…そうなんだ…。脳内で想像するのが一番興奮する。 はああ…そうなんだ…。
というやりとりになり、なんか面白い人と付き合っているんだなぁと思った。
__
ブコメなるほど
優しさやほのぼのを売りにする日常系ってそもそも成立しづらいな
全員男キャラで全員泣けるほど優しいアニメってのも個人的に見てみたいけど
そういえばヘタリアってのを今思い出した、見てないけど
__
>というか日常系=男性向けだと言ってしまっていいものなのかな
いわゆる日常系(特に難民枠の日常系)は、予想以上に男性向けだ
視聴者層を見ると、ビックリするくらい男性に偏っている、女性も1割程度は居るようだけど
最初は自分も「このアニメは万人に愛されるに違いない」とか思ってたけど、実態は違うようだった
つまりあのジャンルは、ギャルゲーと同じく「女性同士はこのような会話をして欲しい」「このような会話をする女性同士が見たい」という男性の願望なのだろうと予想してる
女性視聴者が少ないのは、現実とのギャップに依るものだろうか??
という前提に立った上で、男性向け(作者も男性)なのに優しい話多いのは不思議だなぁと思った
何か飢えているのか、逆に新鮮に感じてしまうのか
女児アニメを見る男は難民枠も見てるイメージがあるがどうだろう
あるいはおっさんの中の女児の部分に刺さってるのか(どんなだ)
一定の対立が描かれることが多い気がする(りぼんとか。流石になかよしまでいくとなかよしなんだけど)
難民枠は異常なほどに対立がなく、あったとしても5分ももたない
あれ、でもけもフレはどうなんだろう
___
彼氏の要望で「.hack」を見ていた。一番最初の奴だったかな。
何故かエヴァンゲリオンを思い出した。
(監督が同じらしいけど)
彼が好きだというので.hackを見ていたのだけれど
「会いに行くよ」だっけ? なんか「甘~い!」って言いたいような台詞が出てくると
「うっわ、くっせー!恥ずかしいいいい!」と騒ぎ出す。
「このアニメ好きなんだよね?」って聞くと頷くんだけど
甘い台詞以外だと、「これはゲームじゃない、現実だ?」とかいう台詞を良く茶化して言う。
自分で言った後に「うっわwwww」みたいな反応をする。
ブコメ見た。
ぎっぷる!その通りかもしれない。
>客観的に見ると悪態つきながら見てる方が恥ずかしいんだけどな…
ほんとソレ。
経験人数は彼氏以外2人と決して多くはないから、もしかしたら普通なのかもしれないけど…友達に話したら男の子はそんなに反応しないよ!て口々に言われました。
性器→ビクってすることもあるけど私の頭を撫でる余裕がある。息が荒くなるけど声はあんまりでない。
乳首→指で弄るとビクってする。舐める吸う少し噛んだりすると、ビクビクしながら声が漏れる。私のことをぎゅーぎゅー抱きしめて乳首に舌を這わせないようにする時、腰が勝手に動く。世紀は全然触らなくても乳首だけでフルにおっきくなる。
私自身、突起物に執着するクセが小さい頃からあります。お母さんのホクロを赤ちゃんの頃からずっと触っているほどです。
乳首もホクロを弄るみたいな感じで、最初に触った時は本当にいやらしい意味はありませんでした。胸弄る時に抵抗されたことないです(元彼は触らせてくれませんでした。感じない・萎える・くすぐったいからだそうです)
耳→ビクビクして声が出る。「あっ」とか「あぁっ」て女の子みたいに!最初ビックリした。
彼氏は私とする前は童貞で、一度友達に連れて行ってもらった風俗(もちろん私と付き合う前)でイケなかったと初めてのお泊りで話してくれた事があります。
反応もらえると嬉しいし可愛いので気持ち悪いとかは一切ないけど、私なんか本業のお姉さんに比べたら全然テクニックないのにってふと思ったりします。
好きな女の子じゃないと感度が良くない、みたいな感じだったら嬉しいな。
「不真面目なことをやりたいです」といってどれくらいの人がこの気持ちに共感できるだろうか
この気持ちを抱えたまま、私は上野駅周辺の大きい交差点についた。
私はここ最近、土日にやる事がなくて暇になっていた。暇になったのであれば外に出れば良いと言うが、完全なインドア派の人間だったので、外に出るのは極力避けたかった。
だが、家にいても何かやる事がなく無駄に時間が流れるのがわかってしまう。
外には出たくはないが、家に引きこもってるのもなんか嫌な気持ちなのだ。
そんな相談を会社の同僚にしたところ、帰って来た答えは実に真面目だった。
資格勉強、習い事、ボランティア活動、副業などなど。やる事は沢山あるぞと言われた。
実際いくつかは過去にやった事がある。だか、どうにも義務感を感じてしまうのか、楽しいと感じる事も無く辞めてしまうのだ。
暇をどうやって解消するのか、試行錯誤の上で出た結論は、私は自主的に無駄な事をしたいのではないかと言う事だ。
「人生の中で常に最善を尽くして来た」と言う気はさらさら無い。
ただ、心情として自主的に不真面目な事をやろうとか、無駄な事をしようとおもって行動した事が余り無い。
喉が渇いても、自宅に帰れば水分補給出来るなら自販機で買い物はしない。
映画を観に行って、ポップコーンが美味しそうに見えてもポップコーンは買わない。映画館のポップコーンは割高で、わざわざ高い所で食べる必要は無いからだ。
とりあえず、私は仕事の帰りにコンビニで特に飲む必要はなかったのだが甘い紅茶の飲み物を買ってみた。
飲んでみたところ結構美味しい。
そのまま、上野駅を探索してみた。
若い頃は視力が良かったのだが、最近急激に悪くなってしまいメガネを2年ほど前に買っていた。
別にメガネを掛けなくても良かったのだが、久し振りに掛けて見ることした。
一般の人からみればこれはただの交差点だ。自分も眼鏡をかけるまではそう思っていた。
だがここは宝石のように輝くビルに綺麗な色の信号機。それと一台毎に違うライトを放つ自動車が延々と輝き続けていた。
中1の時の学校祭の日に他所の学校の生徒と会ったんだけど有志発表の衣装で制服の女装してたが普通に話をしてメアドの交換をした
そして2週間程メールを続けて電話も何度かしたある日に電話で告白された、ビビった
男だよっていうと傷つくと思いやんわり断ったがメールの内容は普通に男同士でするような会話だったのに恋愛フラグ?も立ってない状況で脈絡なく告白するその男子の根性にもビビった
当時中1の俺の声は親でも姉と間違えることもザラだったので声で気付かないのも納得できるっちゃ出来るがそれでも気づけよ、とも思った
急に連絡断つと怪しまれる(友達経由でバレる)と思って返事を遅らせる作戦にでたが姉に見つかり男に告白されたと言いふらすぞと脅されて姉貴同伴で女装した状態で一度だけその男子とデートをした
ゲーセン・カラオケ(バレたくないので歌わなかったけど)・ボウリングはしごしてキチンと告白断って帰ったがこんなしょうもない話が人生で一番の修羅場なのが悲しい
(以下追記)
予想以上の反響でビビるけど人生で二度と話す機会無いだろうから今ココで話し尽くす
・すげー可愛い?
→当時の女装姿が可愛いかどうか分からないけど、女装(化粧も)された自分を見て正直すげー可愛いじゃないかと心の中で自画自賛してた
・姉にバレたキッカケ
→姉にバレたキッカケはメールの頻度が増えたことを彼女が出来たと勘違いした姉が携帯を確認→発覚、「彼女じゃなくて彼氏できたの?彼氏できたの!?」ってめちゃくちゃ笑ってた
・今はどんな感じ?
→今でも中性的って言われることあるし、男子トイレ入った時に一瞬ビックリされたりも偶にあるけど「パッと見たら女子に見える時がある」程度だと思う
髪も長くて薄眉にしてるので男らしい見た目ではないが声は普通に男声
・姉は楽しんでたか
→めちゃくちゃ楽しんでた、姉の指示で行動してたんだけど段々悪ノリして色々恥ずかしいこともさせられた
姉は今でもちょいちょいこの時の話するし当時デートした事をネタに姉に良いように遊ばれてた次期すらある
・男だからこそ惚れられた?
→相手の男子は男子っぽい会話が出来たからこそ俺を好きになったのかもしれないがデートした後はあらゆる事をべた褒めしたメールが送られてきたので何処に惚れたかは知らない
→女子勘違いしてたのは会話の内容から確定してるので女装は見破られてないと思う、名前は本名を名乗ってた
・お疲れ様
→正直デート事態は結構楽しかった、チヤホヤされているとお姫様にでもなった気持ちになっていかんね
デートの日に撮ったプリクラを2枚発見したが俺と男子の二人だけで撮った2枚目は俺が身体寄せたり肩くんだりハグしてたりと完璧に悪ノリしてて自分でビビった
そう言えば姉と離れた時を見計らってせがまれて撮ったの忘れてた
そしてプリクラみて思い出したけど胸を結構盛ってる(姉のキャミソールにパッド数枚貼り付けてた)ので相手は巨乳好きだったのかもしれない
ゲーム性でもガチャでもオートスキップ不可でも処理がクソ重いことでもない。
どうしてやりたい時にやれない苦しみがわかるか?
足並み揃えて一気にやってもらった方がツイッターのトレンドに上がりやすいもんな?
ふざけんなクソシステムでやってるこっちの身にもなれ。
俺たちは広告塔じゃねえんだぞ。
100万歩譲って新規イベントは許そう、だが復刻まで自由に進めれんのはどう言うことだ。
種のわかってるビックリ箱大事そうに守ってるの見ると本当にイライラするんだよこっちは。
塩川へ
お前の言う「外圧」とはなんだ?
お前はゲームがめちゃくちゃになるのを防ぐために「外圧」をはね除けているのか?
「ゲームをやりたい時にやりたい」という俺の気持ちはゲームをめちゃくちゃにするのか?
塩川よ、お前はゲームではなく、マーケティングがめちゃくちゃになるのを防ぐために「外圧」をはね除けているのではないか?
そもそもガチャシステムを採用してる以上この二つは不可分な所もあるだろう。
だが全てが分けられない訳じゃない。
マーケティングではなくゲームで俺たちを広告塔へ変えさせてくれ。
増田より
サザエさんのエンディングで家の中に行列で入っていく絵が思い浮かべる、
きっとあの家は空間のゆがみが生じているはず。
完全な平面の時だけ。
歪んだ空間のなかでは
180度以上になったりそれ以下になったりすると言う
一度吸い込まれると、
光すら再び出てくることが出来ないほどの
意外とメンテナンスフリーでいいと思うの。
だって取り替えるだけで済むでしょ?
例コップ的な掃除機で
こまめに布団もケアして吸い込んでいた方がいいわよ。
干せば一番早いんだけど!
まあやっと台風は行ったみたいで
洗濯物が捗りそうよ!
おかげで街はそのせいで
木々の枝や葉っぱで散らかっていたわ。
上昇しちゃうのかしら?
今度血液検査行ってみようかしら?
そう思うほど食べ過ぎちゃうのよね。
すっかり寒くなってきて厚い布団よろしく、
ホッツ梅ウォーラーで埋め合わせ。
これでカロリーを梅パワーで消費するわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
アメリカの大人気TVシリーズ「セックスアンドザシティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。
かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。
私は最近、中学時代からの友人Aをこれを理由に音信不通にした。
Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。
ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。
そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。
私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤしストレスをためながら、でもどうしていいかわからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。
初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。
穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミーと普通の関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。
Aとの付き合いは長い。中学・高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。
ある日、中学の同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。
専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女が東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。
大学卒業後、Aは地元で社会人になり、私は地元にはもどらず東京でフリーターをしながら資格の勉強をしていた。
Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界に就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。
私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから「東京で改めて学生をすることにした、初上京だから色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。
私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々で東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。
私の電車が人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。
彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。
でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。
諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。
夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。
私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。
この頃はAのこういう行動に対して「東京生活でストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。
これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自身大人になっていなかった。正直このときの違和感を信じていれば、と今でも思う。
私はAをよく遊ぶグループや趣味のグループ、習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。
Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。
18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女が孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。
春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキー、クリスマスパーティーに忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。
冬のある日、お台場のイベントに大人数で遊びにいくことになった。
駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。
周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。
このとき「もしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。
その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。
そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。
なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。
新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分は人間として未熟なんだと落ち込んだ。
その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。
私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデンの伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人と結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。
Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたかも自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。
私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。
この頃になるとAの髪型や服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。
私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。
しかし、最初に色々な自分のコミュニティにAを紹介したことからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。
どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。
Aの他者に対する暴言はますますひどくなり道端で「あんなデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。
私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。
この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達にコミュニティを乗っ取られる」と検索したことがあった。
ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分がモヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分が性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。
段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。
何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデンの工芸品も全部売り払った。
不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからのラインはパッタリと途切れた。
Aに真似されるというのが、大げさだが自分のアイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。
同じ趣味の教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。
Aはその後も私の友人達と遊んだ様子などをSNSにアップしていた。
最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。
なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。
28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。
春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。
久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。
しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。
マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女は大手アパレルの企画をしている人でいわゆるキャリアウーマンだ。
しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。
バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。
ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。
私は「子供っぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。
話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議な感覚だった。
大学でできた友達、大学の外でできた友達、フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。
それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリー、カバンをもっているAがいる違和感。
話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。
Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。
Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。
「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。
人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分の直感や違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。
子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分のテリトリーに必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。
そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。
決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女のコミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。
私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。
Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達を遮断する影のようだった。
私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。
今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。
決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。
Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏か旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。
私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。
Aとの関係は綺麗には切れない。
自分が所属しているコミュニティに彼女もまたしっかり根を下ろしているから共通の友人が多い。
でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。
友達の結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。
そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。
周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。
夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。
前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。
自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。
「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。
今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。
「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分がしんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。
時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。
今まで沢山の人に容姿を褒められたり告白されてきたし、学校祭で選ばれる『ミス○○』では毎年1位(学年別)だった
背も高くて足も長い、ウエストも細くてスタイルだって良い方だと思うし普段から努力もしてる
影で可愛いとか美人とかエロいだとか、そういう風に言われてることも知ってる
それはまぁ良いとしても、不細工な人に可愛いって褒められた時の返答に正直すごく困る
相手が普通の容姿なら謙遜しても何とも無いけど不細工な人の場合自虐?みたいな事言い出すからしんどい
慰めようにもお菓子バクバク食べてたり弁当も胃もたれしないの?なくらいの高カロリーだったり
他にも運動一切してなかったりととにかく「自分を磨こう」という意識が無い
そんな人相手にお世辞でも「○○ちゃんも可愛いよー」とは言えないし上から目線で「もっと努力してみたらー?」とも言いづらい
結局苦笑いしちゃう事が多くて、オマケに男子に結構モテる私を嫌いな女子がどんどん増えていった
確かに私の性格は良いとはいえないし万人に好かれるようなタイプじゃないのも自覚してるけど……
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一週間に父から電話がかかってきて今どうしてるか聞かれたので「ゲーム作ってる会社で働いてるよー」と言ったら「まだそんなことしてるのか」「お前いい加減にしろ!!」と怒鳴られた
いつまで働かないつもりだ、と父は怒り心頭
どうやら「ゲームを作ってる会社に勤めてる」を「ゲームばっかりやってる」と解釈しているらしかった
「ゲーム創る仕事(実際には私はゲーム系の部署じゃないけど)だから」と何とか説得して父も最後は「わかった、頑張れ」と、そう言って電話を切った
「仕事を見つけたから明日の朝○○(お父さんの友達がやってる鉄工場)に来い」と連絡が来た
お父さん全然理解してなかったんかい。と思って電話して誤解をとこうとするも「いい機会だから仕事やめろ。いい加減お前も働け」と無茶苦茶な事言いだす始末
「ゲームで遊ぶのは仕事じゃない」と全く譲ってくれず「とにかく来い」と電話切られた
話しにならないが仕事辞めるわけにも休むわけにもいかないので鉄工場の社長に直接電話して断り入れたが心底面倒クセェと思ってしまった
鉄工場の社長とは20年近い付き合いがある仲だから断ることが出来たけど、他の仕事だったらマジでヤバかった
反抗期もなかった私だけど大人になってから親にイライラすることが一気に増えた
親元離れた途端掌返すようなことしたくないから我慢してるけどいい加減限界かもしれない
追記
「面接もなく雇うのがありえない」って意味が分からない、20年の付き合いあるって言ってるじゃないか……
あとこの話私悪いの?説明不足?でも給与明細送るのはいい案だね
ただ実はこんなお父さんだけど、超高収入だから明細見せるの嫌なんだよなぁ……
批判対象は私とお父さんと田舎で割合は同じくらいな辺り私の説明がど下手なんですね、情けないです
色々な意見を聞けてとても有り難いけれど誤解(?)があるのでそこだけ訂正
しかし、専門学校の学費は親が出してくれた(その他はアルバイトでまかなった)のであんまり威張れない
生活に関するあらゆるお金は勿論自費で、正月には親にプレゼントとお年玉送ってる
あと私は女
可能性有りそうかどうかは分かんない
因みに言っておくけど私は多少の非はあれど自分が悪いとは思ってない、