はてなキーワード: クラスタとは
ここまで筆者の属性を書いていなかったが、自分はラブライバー兼ガルパンおじさんで、最近はリズと青い鳥やヤマノススメ3期を待ちわびている、キモカネおっさんの中では結構残念な部類に入ると思う。
そんな自分にとって2018冬アニメの一押しは、ゆるキャン△と宇宙よりも遠い場所の2枚看板に無事収まった。
タイトル通りだが、前者を静とするなら、後者を動と言っていい、どちらも極上過ぎるエンターテインメントだった。
親エントリは両方を3話まで見た時点で「尊い」と書いたが、これは撤回させてもらう。
全話完走して、両者はそんな形容じゃ済まない、まさに神々しい作品というのが結論である。
というか、この2作品にポプテピピックを合わせて、少々気が早いかもしれないが、平成の最後を飾る名作が出揃い始めた、そんな気分になっている今日このごろ。
ちなみに平成を代表するアニメはエヴァでほぼ確定かな?別にセーラームーンでもプリキュアでもいいけど。
そんな台詞をつぶやく「ゆるキャン△おじさん」が出てきても全く驚くに値しない。ゆるキャン△はそれくらい「美味しい」アニメだった。
前にも書いたが、冬キャンプなんてどう考えてもゆるさの対極にありそうなネタで、ここまでゆるく、そして趣味が良い内容に作り上げるだけでも驚嘆モノである。
その上で、
「どちらかがアクションを起こさなければ何も進展しないが、同時に双方の等価交換で収まるくらいに留めるべき」
というコミュニケーションの原則を決して崩さない中で、登場人物たちが仲良くなっていく過程が、見ていてここまで面白く、かつ最高に優しい時間になるとは知らなかった。
筆者は原作未読だが、聞けば原作とアニメオリジナル部分が超シームレスにシンクロしていて、原作クラスタの諸兄も大満足なのだとか。
何よりもまず原作ファンを最も大事にする姿勢は素晴らしいし、それが当たり前になって欲しい。
その原作について、2期を作るにはストックが足りないというファンの見立てが正しいなら、いっそガルパン形式(劇場版+OVA)にしてみてはどうだろう。
というか、そんな事を思ってしまうくらい、これからもずっとこの5人の時間を見ていたい。
全話神回という、恐らくは前人未到の記録を打ち立てた大傑作、それが宇宙よりも遠い場所という作品だった。
未見の人はニコ動に課金するなり、来月以降BS11での再放送なりで是非見て欲しい。絶対にがっかりさせないことを約束する。
南極をテーマにしつつ、描かれる内容は結構日常的なのに、まさしく「青春はジェットコースター」という、爽やかなアツさを見る人に否応なく植え付けてくるのが素晴らしい。
「青年は荒野をめざす」という言葉があるが、それを現代に体現しているのかもしれない。
そして「旅」を意識する限り、青春は若者だけのものではないという意味合いもあるのかなーと思わされた。
更に本作品で描かれる旅の根幹は、宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」に通じる要素を感じたり。
そんなこんなで、とにかく最終話の最後のカットまで文字通り全く見逃せない。本当に寸分のスキもなく面白く、更にその面白さを超える感動をもたらしてくれた。
その感動は、今や制作陣への感謝の気持ちとなって胸にあふれている。
それにしても今冬は寒かった。
DGX-1 | DGX-2 | DGX-1比 | 参考DGX-1*3 | ||
---|---|---|---|---|---|
価格 | $149K | $399K | 268% | $447K | |
消費電力 | 3.2kw | 10kw | 313% | 9.6kw | |
CPU | Xeon E5-2698(20core)*2 | XeonPlatinum(28core?)*2 | 140%? | Xeon(20core)*6 | |
Memory | 512GB | 1.5TB | 300% | 1.5TB | |
GPU | Volta*8 | Volta*16 | 200% | Volta*24 | |
GPU-Memory | 128GB(16GB*8) | 512GB(32GB*16) | 400% | 384GB(16GB*24) | |
SSD | 1.92T*4 | 30TB | 375% | 23TB(1.92*12) |
値段2.5倍、消費電力3倍をどうみるか。
用途によってはDGX-2(Volta*16)よりDGX-1を3台(Volta*24)とかのほうが・・・。
消費電力高そう。
上記の比較でCPU数同じ、GPU倍、で多分増えてるPCIeスイッチ増加分にSSDやメモリ増量を含めても消費電力3倍以上というのは・・・。
上記の表から単純に考えて NVSwitch12個の消費電力+(PCIeスイッチ*X) = Xeon*4 + Volta*8 - HBM2 128GB分 - SSD7TB分。NVSwitch1つで数十Wはありそう、100w超えるかも。
18Portある。
GPU-Switch間は各GPUから6Switchに1Portづつ接続。Switchの8Portを使用。ここまでは確実だと思う、これ以外の接続思いつかない。図みたらそうっぽい。
問題はSwitch間がどうつながるか、6基づつで1クラスタ、クラスタ内はSwitch間接続不要、クラスタ間は別クラスタの1SwitchにGPU接続数と同じ8Port使用とか?(合計16Port使用)
全然違った。クラスタ間は別クラスタ6Switchに1Portづつだった。
消費電力は1つ100w。12個Switchで1.2Kwだと。GPU間そんなつかわないならSwitch減らしてGPU増やしたいところ。
https://news.mynavi.jp/article/20180404-611133/
いや、クラスタ間は予想通りだった。そしてSwitch減らしたいというのは同意。
https://news.mynavi.jp/article/20180418-617343/
http://b.hatena.ne.jp/entry/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20180320/1521541181
呼ばれた気がしたので出現しました。
例によってなんの躊躇もなくクソ長いです。
現在もインターネットのどこかにおりまして、しまりんとなでしこのどっちの寝袋の空気を吸って過呼吸で死ぬか悩んでいる毎日です。吸って吸って吸って死にそうでも吸う。だいたいキャンプしてるときはお風呂入らないで寝袋に入るわけじゃないですか。そりゃ寝袋のなかはけっこう大変なことになってますよ。なでしことしまりん、どっちが強いかな、なでしこのほうが寝汗とか多そうだな♡とか考えるじゃないですか。あと斉藤さんはしまりんのことが好きすぎて大変だと思います。どうでもいいんですけど、消滅したはずのアカウントでいまでも増田だけログインできるのこれなんなんすかね。
まあ7年だっけ? 8年だっけ? よくわかんないですけど、それくらい経ったいまでもはてな村の話題が出るとお呼びがかかるくらいなので、俺も村の内部にいた人間ではあるのでしょう。なにしろ奇譚にも取り上げられたくらいなので。あれめっちゃ喜んで「ほらこれ俺、俺だから。伝説だから俺。まじで」とかうちの奥さまに報告に行ったら「トイレ行きたいんだけど。あとで聞くから」って言われてそのまま無視された。
というのも、俺、自分が村民扱いされてたなーっていう感じがほとんどないんですよね。理由ははっきりしてて、ブコメにほとんど目を通さないことと(批判されると死ぬ生物なので)、ふっかけられた議論をスルーすること、あと村内部のもめごとみたいなのにほとんど興味を持たないことです。いや、いちおうはがんばってみたんですよ。なんかこう村っぽい話題には積極的に首突っ込んでみようとか、馴れ合ってみようとか。てゆうか俺はもともと強度の馴れ合い体質で、おともだち以外は興味ないタイプの人なんですけども。なんか村に入れてくれよぅみたいな日記も書いた気すんぞ。
俺のことを知ってる人はけっこう多いと思うんですけど、相互に認識してると「俺が思ってる」人となるとぐっと数は減って、シロクマせんせーと加野瀬さん、あと有村さんは微妙かなーというところ。村民に当たるかと認識されるてかどうかはよくわかんないですけど、まなめさん(ご結婚おめでとうございます)(遅い)もか。や、当時はほかにもいたと思うんですけど、俺リアルでもわりと人間覚えられない人で、集まり的なものに参加すると、うちの奥さまが俺のかわりに記憶装置やってるくらいのもんなんすよ。シロクマせんせは会ったこともないですけど、勝手におともだちだと思っています。最新の著作のKindle化はどうにかなんないんですか。俺もう紙の本増やしたくないです。……と恒例のことをつぶやきつつ念のためアマゾン見に行ったらKindle化されてたのでいま買いました。すぐ読みます。
で思うんですけど、結局「俺が参加できなかった」っていうそのポイントを押さえてた人が「村民」だったと思うんですよね。はてな村ってツイッターのクラスタなんかと違って、コアとなる集会場みたいなのないじゃないですか。いや、あったとしても俺が知らなかっただけかもしんないですけど。じゃあなにがそうだったのかというと、はてダだったりはてなブログだったりブコメだったりの、無数の小さな円の重なりみたいなもので、その円の密度が濃い場所にいた人が「村民」だと思うんすよね。ムラ的な話題、たとえばもめごとだとか、そのときはてなで話題になってることだとか、そういうのが出現したときに「だいたいそこにいつもいる人」みたいな感じだったんじゃないかなーと。
はてな村がなつかしいかというと、その当時俺が知っていた人たちは、いまもなんらかのかたちでネットの比較的目立つ場所にいるので、あんまそういう感じはないですね。その気になれば連絡はとれるだろうし。
俺がブログやめたあと、インターネットは大きく様変わりしました。様変わり自体はまあ、時代は変化していくのがあたりまえなので、そういうもんなんだろうなーくらいにしか思ってないんですけど、ただはてな村みたいなコミュニティみたいなものは、もう出現しないんだろうなあっていう感じはありますね。SNSがこんだけ普及して、だれもがなんらかの「発言する」チャンネルを持ってる。
俺が知ってる限りでのはてな村の住民って、基本的には「自分でなんか発信する」ための手段を持ってた人たちばっかりなんですよ。あるいは「そういうことをしないと自分が維持できない」人たち。こう言うと「自分はブコメしかしない」って言い出す人かならず出てきますけど、そういう人たちでも原則としてなんらかの知的な訓練はなされてる人が多いので、その気になれば「人に読ませるための文章」を書ける人が多かったはずなんです。そもそも2010年の段階ですら、いまよりはインターネットは狭かった。
「みんな」がインターネットに参加できるっていうことは、それはもう文字どおり「みんな」なんで、発信する力を持っていない人が多数派なわけです。発信しないことが悪いことだって言ってるわけじゃないですよ。単純に比率の問題です。
まあそんなふうに思ってるので、はてな村みたいに「発信する人たち」の集団がある程度の影響力を持ちうる状況って、そうそう来ないんじゃないかなーと。
まあそんなことを考えておる昨今です。
あと、刀使ノ巫女すっげー不評ですけど、意外におもしろいんで見たほうがいいですよ。咀嚼音のエントリ見てからゆるキャン見るとき脳内にノイズ発生してすごい困ってるんですけど、カトゆーさんとんでもないものバズらせてくれましたね……。俺のいる辺境まで届いちゃったじゃないですか。それとあと「こねこねこねこ」の体験版がものすごい異次元だったので、興味のある方はやってください。
以上です。お騒がせしました。
※追記
知らんわけないでしょK-Onoさん。
自分の中で思っていること。
長いので読み辛い方はスルーで。
私はただの読み専の腐女子だ。二次創作をしないただのオタクだ。
昔よりもオタク活動に費やす時間やエネルギーや情熱が減ってしまった気がする。
このオタク活動というのはアニメ視聴や漫画を読みふけったり、pixivを見たり、生活の中にはいつも必ず自分の好きな作品がある、という感じだ。
以前は友人と興奮してジャンルや推しカプについて話し合ったりし、毎日オタク活動にエネルギーを費やしていた。
流行物があればすぐに飛びついて、いわゆるイナゴというものでもあった。
見境なく色々な漫画やアニメを見たりし、複数のジャンルに同時にハマったりもして、完全に趣味がそれしかないという感じであった。
自分自身もこのオタクである自分が自分であって、それ以外はありえないという気持ちだった。
アニメや漫画を見ること、二次創作を見ることしかしないという生活だった。
私は幼少期から陰キャであり、オタク気質だったため、妥当だったと思う(今も陰キャは変わらない)。
陽キャの人たちとは愛想笑いやその場の雰囲気やノリで話し、陽キャの人たちといる時は何を話したらいいか分からず、苦しかった。
しかし、忙しくなり、新しい年度になり、いつしか日々の生活が変わっていき、友人も変わっていき、オタクであるという自分のアイデンティティや、オタク活動に費やす時間やエネルギーがいつの間にか消えてしまった。
あんなにアニメや漫画、二次創作を見ていたのにパタリと見なくなってしまった。
以前は陽キャの人たちが苦手だったが、環境の変化、新しい生活によって、今では苦手から普通くらいに変化した。
今振り返り、オタク活動をしていた時間は何に変わってしまったのかというと、年度や生活、友人が変わってしまったために、その出来事の変化についていくのに精一杯でただ単にオタク活動をしなくなったというだけだった気がする。
私は昔から鈍臭く、行動も頭の変化も何もかもが人よりも鈍かったために、新しい環境の変化についていくのにいっぱいいっぱいだったため、二つの事を同時に上手く出来なかったんだと思う。
息抜きで、アニメや漫画、pixivを読むということが上手く出来ず、日々の新しい環境、生活を追っていっていただけだった。
そして今現在、あれから何年か経ち生活も落ち着いて、自分自身が穏やかになり、客観的に以前よりも自分をみれるようになったと思う。
生活も自分自身も落ち着いてきているのに、オタク活動のエネルギーや活動時間は以前よりもずっと減ってしまっている。
不器用だった頭も行動も落ち着いて、少しは二つの事を同時に出来るようになってきたのに、オタク活動に費やす情熱は減ってしまっている。
この原因の一つにオタク友達が少ないという事があるが、それは自ら繋がりを作れば良いだけであるし、今はSNSがあり、自ら動けば良いだけである。
しかし、私は自ら動こうともしない。
ツイッターをしているが、クラスタや繋がりたい人フォロー!という流れにも乗ろうとしない。
きっと昔であれば、すぐにリツイートし、便乗していたであろう。
今は本当にひっそりと好きな作品だけ見て、ひっそりと好きな方だけフォローしている。フォロワーは0だ。
流行にも乗らなくなり、流行りのジャンルについていけなくなった。
複数のジャンルを同時に多く好きになるという事は今の自分にはエネルギーが多く必要であり、以前よりも出来なくなってしまった気がする。
世の中には素晴らしい作品が溢れているのに、それが分かっているのに私はその作品に触れようとしない。
忙しい、時間がない、他にやる事がある、いつも言い訳をして違う事をしてしまう。
きっと昔よりもずっと臆病になり、億劫になってしまったのだろう。
昔のようなあのキラキラとした友人と語り合った好きな作品に対する無限の情熱は今は減ってしまった。
結局何が言いたいのかよく分からず、まとまりが無くなってしまったが、オタク活動に対する姿勢や考え方をを改めて感じ、考えてみた。
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
実写は率直に言うと期待したような作品ではなかった…安直な言い方で面目ないけど解釈違いだった。原作クラスタには楽しめなかったひと多かったと思う。
だから好き嫌いはいいよ。嫌いだけど気になって見ちゃうのもわかるよ。ただ言葉の定義うるさいマンとしては
「原作読まないで作ってる!」ってディスりが多いのには納得いかなかった。
読んでんじゃん!
明らか読んでんじゃん!
読んだ上でなんでこうなったか疑問はつきませんけどどう考えても読んでんじゃん…。
そんでそういう全否定の仕方は舐められると思うよ。
「読んでない!」
「いや読んでるしw」
で終わりじゃん?なんでも文句つけるタイプのヲタクと思われて終わりじゃん?
心のファイティングポーズを取りそうになった。でも心のナウシカが立ちはだかって止めてくれた。うん、意味のない戦いは避けよう。だって実写擁護派じゃないんだもの。
あと、これはあくまで個人的な感覚なんですが。自分は2次創作読んだりなんなら作ったりするタイプのヲタクでもあるので、グレーゾーンのファンなんですよ、おのれの認識では。公式の実写化ってさ、なんだかんだちゃんと許可とってお金払って作ってるもんだから。リアルな大人の社会で骨折って筋通してるんだから。どれだけ自分が原作を「好き!!」って思っててもどっちが原作を「大事にしてる」かって話になると、考え方次第なんだよな…。
2次創作なんて見たことも聞いたこともない読者のほうが数としては多いだろうし、それが普通の「原作ファン」かなと思うけどなんか、周りにそういう層があんまりいないので比較できてないから先入観かもしれないけども。怒ってるひとってほとんど2次(読み専オン専含む)に足突っ込んでない?原作と違うことでも自分の好みに合うからって受け入れてない?そのうえで「蹂躙された」「こんなの公開を中止して欲しい」とか主張できちゃうのがな!なんか腑に落ちなくてな!
大声で公式批判してる人ってそのへんどう捉えてるんでしょーか、モヤモヤする。
アンチの主張に納得いかなかったせいで二重に疲れたんだ…。眠らせてよママン…目が覚めたら一緒に帰るから…(謎のフラグ)。
当時言えずにメモしてたことを匿名で供養です、読んでくれてありがとね。
追記:マトモな反応してくれたひとがいてありがたかったので補足する。
改変や何かに不満があって「読んでない」って表現してるのはわかってるんだ。で、その言葉のチョイスが批評とか感想として浅い気がどうしてもするんだ(だから言葉の定義うるさいマンとか書いた)。
そんなにいい話かなぁこれ
映画クラスタはこれを評価しなきゃいけないという同調圧力を感じる
あと我らこそは今まで迫害されてきた!可哀想だろ!といわんばかりにこの映画を水戸黄門の印籠みたく掲げている
気持ち悪いし怖いよ
ツイッターでこのタグがトレンド入りしているのを見て虫唾が走った。
見てみると自分で書いたイラストと一緒に#私の作品もっと沢山の人に広がれ祭り
のタグをつけて載せている。
普段絵を描いてツイッターにあげてる人がこのタグが流行っているのを見て、流行りに乗っかって投稿しているだけでそれ以上の意味は無いのはわかっている。
自分の絵を見て欲しいからそもそもツイッターをやっているのであってより絵を見てもらえる手段があればそれを利用することは何も悪いことはない。
使っている人が嫌いというわけではなくて、むしろノリに便乗できるほうが人気は出ると思うし。自分も絵をツイッターにあげてるので使いたい気持ちもわかるけど。
あまりにも自己顕示欲を露骨に出しているからか、祭りという言葉が学生ノリのようだからか。
今までも似たようなタグはあって、絵描きさんと繋がりたいとか春の創作クラスタフォロー祭りとか。
そういうのを見るたびに引いてたけどまた新たな言い回しの拡散タグができてるなと思って引いた。
新規ファンを獲得したいっていうのが可視化されるから気持ち悪いと思ってしまうのかな。
でも素直に#私の作品もっと沢山の人に広がれ祭りを使える人の方がSNS向いてるなと思います。
捻くれてるといろいろ引っかかる。
これを読んで興味深いなと思った
合理性の追求とIT技術の進化によって昆虫の社会と類似するという考えは昔ならトンデモ話で済んだけど、今は現実味がある
人権などの観点から明確なカーストはできなくとも似たようなものになるかもしれない
謝罪にあたっても絵文字や空白行を空けた幼い文体を崩さないことから、炎上が延焼していた。mixi日記時代から、facebookに移っても同じ傾向のようなので、当人の一定したスタイルなのだろう。歌詞においても「あたし」という幼い人称を使っており、その点に「母親として大丈夫なのか」と違和感(不安感)を感じている女性もちらほら見られた。
ちなみに、「あたし」についてはその幼さとのギャップからくる狂気や不安感に定評のある作家「新井素子」の名が挙がるほどであった。
【参考】
自伝「暴走族 絵本作家になる」など、本人が繰り返し元暴走族総長というプロフェールをアピールしており、それに対しては「立派に更生していて偉い」という意見がある一方、「元不良をアピールすること自体に対する不快感」をあらわにする人々も多い。なお、伊集院光氏のラジオに出てその嫌悪感を示された時には周りのプロデュースであり当人は「辞めたいなと思っている」というようなことを述べていたという。
【参考】
さらに、ここのところの騒動で調査が進んで明らかになったところによれば、当人が率いていたという「池袋連合」というチームは存在しないのではないかということである。一般にイメージの悪い「元不良」という経歴をわざわざ「詐称」するのはいったいなぜなのだろうか。
【参考】
チーム人数が160人が200人になったり、「図書館の絵本を6000冊、1ヶ月で読み終えてた」(『暴走族、絵本作家になる』)を読んだなど誇張と見られる表現も多いことから、虚言癖ではないかという意見も出ている。確かに、男性の良くつく嘘に「地元で有名なヤンキーだった、有名な先輩やヤクザと仲が良い」というものがあるらしい。また、芸能界では元ヤンキーであるということは武勇伝として許容もしくはむしろ高評価を受けるとも聞く。そのためなのだろうか?
いいこと言ったと思う。
怒ってる人、もちろん歌なんだから自分に重ねてみて重ならなかったり自分の価値観に合わなかったりということは考えていいと思うけど、
怒ってる人、この歌のターゲットから外れてるから聞かないほうがいいよと思う。
のぶみも、この歌で感動できる人も、きっとあなたとは全く違うクラスタだから。
のぶみは元ヤンだし、この歌で救われるのは、母になることで自分を捨てざるを得なかった人。そんな自分に疑問を持っていたりする人。お母さんが自分をちゃんと愛してくれているのか自信がない子どもや、かつてそうだった大人。
この歌が救う人は確実にいるよ。わざわざ潰すものではないよ。ひどいよ。
怒ってる人、この歌に反感を持てる時点で恵まれているのに自分は大変たいへんと言ってまわてるようで、かつ恵まれていない人のことが見えてないし、ほんと浅はかだと思うよ。
私の好きなジャンルは女性向けソシャゲで、人気はそこそこ。知名度はある程度あるし、DL数はそれなりに行ってるけど、現役ユーザーはそんなに多くなくて、ざっくりわけてガチ勢と一般ユーザーに3:7くらいでわけられるようなそんな小さな界隈だ。
ゲームはソシャゲの中でもかなり乙女ゲーム的な要素が強く、ファンもそういう傾向の人が多い。
同担拒否も当たり前にいるし、推しが複数キャラいるだけで同担にブロックされるような世界だ。
好きなキャラが最推し以外に複数いるってことを先に断り入れないといけないような世界。
私は基本的に魅力的なキャラであれば何人でも好きだというし、それぞれの魅力をそれぞれ愛したいと思う。
そもそも夢女子じゃないから、もちろんキャラに告白されれば自分に言っているように想像はするけれど、かといって彼らに人生を託すと言うわけでもない。
普通にキャラが好きなだけなのに、キャラを好きだと言うことが悪いことのようになってしまう今の界隈は、正直息苦しい。
夢女子が多くて、一番困るのが交換だ。
この界隈は、同担拒否も過激派が多くて、RTやいいねで他の同担のツイートを見ることすら許せない人がいるらしい。それも、かなり頻繁に。
だから、交換でツイフィールを読むと「最推しが○○の方はフォロワーさんが嫌がられるのでお断りします」っていうのがよくある。
そこそこの年数乙女ゲーム界隈にはいたけれど、こんな注意書き、このジャンルにきて初めて見た。
初めて見て、ドン引きした。
名前も知らないどこの誰かもわからない交換相手のフォロワーと推し被りだから、当人は同担拒否でも推し被りでもなんでもないけれど、該当者はご遠慮されるのだ。
その交換相手とフォロワーがどれだけ仲がいいかはしらないが、ぞっとした。
交換が出来ない怒りとかを通り越して、それがクラスタ内で『異常』でもなんでもなくありふれてることに、再びドン引きした。
まるで村だな、と思った。
よそものは受け付けない。外部の人間は入れない、身内が嫌だと言うならその人の良い悪いに関わらず排除する、そんな雰囲気。
同担拒否で他人にまで拒否を強制する夢女子も、それを受け入れて悪意のない第三者をカットする人間も一体なんなんだろうかとか。
色々、考えてしまう。
作品が好きで、もっともっと作品が人気になって欲しいからこそ、こういう夢女子の存在がその障害になりそうで怖い。
作品を知ってキャラを好きになっただけでブロックされたり、気になる人との交流を制限されたり、そんな閉じきったジャンルになりかけているのが怖い。
人気が出たら、圧倒的に新規が増えたら、空気も変わるかもしれないけど、今はとにかく、澱んだ空気がジャンルに蔓延ってる。
ついでに、夢女子が、とは言ったけど、別に夢女子だけがこうだとは限らない。多分女性が多い界隈にありがちな話だと思う。形は違えど似たようなことはあるんじゃないかなぁと思う。
けど、交換にまでそういうのが入ってくるのは……なんとかならないのか。
実はアニメ化が決まっているのだけど、このままでは始めたばかりの新規ユーザーが私のようにドン引きして、そのまま作品から離れてしまいそうで、老婆心ながらも心配だ。
最後にこれはきちんと言っておかなくてはならないけれど、夢女子でも過激派ではない人もたくさんいるし、私のように多数キャラを愛でる人もいる。
これでも、今のジャンルは私が今まで辿ってきたジャンルでは1、2を争う良いファンに恵まれたジャンルだ。
だけど……優しすぎるファンが多いせいで、先の同担拒否過激派の言い分をそのまま受け入れてしまうという、皮肉な状況になっている。