2018-03-19

オタク活動に対する情熱について

自分の中で思っていること。

ただの腐女子独り言

長いので読み辛い方はスルーで。

私はただの読み専の腐女子だ。二次創作をしないただのオタクだ。

自分自身の変化についての独り言を乱文だが書いてみる。

昔よりもオタク活動に費やす時間エネルギー情熱が減ってしまった気がする。

このオタク活動というのはアニメ視聴や漫画を読みふけったり、pixivを見たり、生活の中にはいつも必ず自分の好きな作品がある、という感じだ。

以前は友人と興奮してジャンル推しカプについて話し合ったりし、毎日オタク活動エネルギーを費やしていた。

流行物があればすぐに飛びついて、いわゆるイナゴというものでもあった。

見境なく色々な漫画アニメを見たりし、複数ジャンルに同時にハマったりもして、完全に趣味がそれしかないという感じであった。

自分自身もこのオタクである自分自分であって、それ以外はありえないという気持ちだった。

アニメ漫画を見ること、二次創作を見ることしかしないという生活だった。

私は幼少期から陰キャであり、オタク気質だったため、妥当だったと思う(今も陰キャは変わらない)。

陽キャの人たちとは愛想笑いやその場の雰囲気やノリで話し、陽キャの人たちといる時は何を話したらいいかからず、苦しかった。

オタク友達といる時がホッとして心安らぐ時であった。

しかし、忙しくなり、新しい年度になり、いつしか日々の生活が変わっていき、友人も変わっていき、オタクであるという自分アイデンティティや、オタク活動に費やす時間エネルギーがいつの間にか消えてしまった。

あんなにアニメ漫画二次創作を見ていたのにパタリと見なくなってしまった。

オタク友達バラバラになり、ほとんどいなくなってしまった。

以前は陽キャの人たちが苦手だったが、環境の変化、新しい生活によって、今では苦手から普通くらいに変化した。

心安らぐ時がオタク友達といる時だけではなくなった。

今振り返り、オタク活動をしていた時間は何に変わってしまったのかというと、年度や生活、友人が変わってしまったために、その出来事の変化についていくのに精一杯でただ単にオタク活動をしなくなったというだけだった気がする。

私は昔から鈍臭く、行動も頭の変化も何もかもが人よりも鈍かったために、新しい環境の変化についていくのにいっぱいいっぱいだったため、二つの事を同時に上手く出来なかったんだと思う。

息抜きで、アニメ漫画pixivを読むということが上手く出来ず、日々の新しい環境生活を追っていっていただけだった。

そして今現在、あれから何年か経ち生活も落ち着いて、自分自身が穏やかになり、客観的に以前よりも自分をみれるようになったと思う。

生活自分自身も落ち着いてきているのに、オタク活動エネルギー活動時間は以前よりもずっと減ってしまっている。

不器用だった頭も行動も落ち着いて、少しは二つの事を同時に出来るようになってきたのに、オタク活動に費やす情熱は減ってしまっている。

この原因の一つにオタク友達が少ないという事があるが、それは自ら繋がりを作れば良いだけであるし、今はSNSがあり、自ら動けば良いだけである

しかし、私は自ら動こうともしない。

ツイッターをしているが、クラスタや繋がりたい人フォロー!という流れにも乗ろうとしない。

きっと昔であれば、すぐにリツイートし、便乗していたであろう。

今は本当にひっそりと好きな作品だけ見て、ひっそりと好きな方だけフォローしている。フォロワーは0だ。

流行にも乗らなくなり、流行りのジャンルについていけなくなった。

複数ジャンルを同時に多く好きになるという事は今の自分にはエネルギーが多く必要であり、以前よりも出来なくなってしまった気がする。

世の中には素晴らしい作品が溢れているのに、それが分かっているのに私はその作品に触れようとしない。

忙しい、時間がない、他にやる事がある、いつも言い訳をして違う事をしてしまう。

きっと昔よりもずっと臆病になり、億劫になってしまったのだろう。

言い訳ばかりの嫌な大人になってしまった。

昔のようなあのキラキラとした友人と語り合った好きな作品に対する無限情熱は今は減ってしまった。

この情熱を取り戻すには自分自身の変化が必要なんだと思う。

結局何が言いたいのかよく分からず、まとまりが無くなってしまったが、オタク活動に対する姿勢や考え方をを改めて感じ、考えてみた。

  • 長いから他の増田見るのにスクロールしなきゃいけないんだよなぁ

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