はてなキーワード: ありがちなとは
自分の根源的な快楽を禁じて、信仰の強さを我慢することで実感するのが喜びって言うマゾ性と、
その教義や倫理の名のもとに他者を容赦なく裁くっていうサド性が両方強い。
このサド嗜好とマゾ嗜好は、結局正義への偏愛ってことにまとめられるのかもしれない。
あいつら正義っていう旗印が大好きすぎて、潰れそうになりながら旗印を支えることも、その旗印で他人を完膚なきまでに叩きのめすことも異常に好んでる。
なんでそんなに正義を求め、その元に集い、その名のもとに行動したがるのかはわからんけど……。
ありがちな考察だと、過剰に正義たらんとするのは、劣等感や不安が強いことの裏返しである、つまり劣等感が強いから正義の一員になることでマトモな自分というのを得たくなるし、不安が強いから正義という確固とした道標に従いたくなる、なんてのは言えるかなあ。
嫁が子供を連れて一週間里帰りをしている。
この間を有意義に過ごすために、気になっている漫画の一挙読みを行うことにした。
結婚当初、どうにかして嫁さんを漫画に感化させようと努力はした。
社会派漫画には多少興味を示してくれた。しかし、当時一番好きだった漫画だけはとうとうすすめることができなかった。
一見下品で暴力的なギャグ漫画と見せかけながら、カメラワークや様々な作品に対するオマージュ、ときに笑わせながらもドキッとさせるようなシーンの描き方が秀逸な漫画だった。
しかし、その後は出産を機に週刊誌を購読する余裕もなくなり、そんな漫画の存在すら忘れてしまっていた。
この一週間で読める漫画の数は、仕事の時間を考えると20冊程度が限度だろう。
まずは気になる漫画の1巻だけを数冊集めてみることにしたのだ。
監獄学園はそのうちの一冊だった。
最初の感想は、今時の絵柄にキャッチーな美少女と微エロ。ありがちな漫画といった印象だ。
ところが読み進めていく間に、サスペンスやちょっとしたミステリの要素を見せつつも、さらに思い切りよい、それでいて悪意を感じさせないような暴力的描画の面白さに完全に引きこまれてしまった。
決めた。この一週間はこの漫画のために捧げよう。その場で最新刊までを一挙に注文することにした。
その判断が間違っていないと確信するまでに時間はかからなかった。
見た目は小綺麗で純粋な登場人物たちがときおり見せるうちに秘めたる狂気。
まるで映画のワンシーンを切り取ったかのようなシーンの描き方。
10巻も読み進めていく間に当初の素人くさいイメージは全く払拭されていた。
もしこれが新人なら、なんて怪物が現れたものだと思ったほどだった。
あぁ、こんなに笑ったのは久しぶりだ。
そんな時、ふと「ホント、この描き方とかアゴゲンみたいで懐かしいなぁ」という言葉が自然と口をついて出た。
自分でも驚くくらい自然に、当時好きだった漫画の名前を口にしたのだ。
そうして、まさかと思い目を向けたコミックの背表紙に描かれた作者名を見て再び驚いた。
「平本アキラ」
つまり、わたしが好きでやまなかった「アゴなしゲンとオレ物語」の作者と同一だったのだ。
わたしは泣いた。
嬉しくて涙が止まらなかった。
彼は、もうこんな高みにまで達していたのだ。
アゴなしゲンとオレ物語の面白かったところは、あの荒削りな部分でもあった。
だからこそ嫌味なく読めたし、狂気を笑い飛ばすことができたのだ。
後期に入ると映画のオマージュは減っていき、独特な切り口で描く内面の狂気もいつの間にか世間に対する不満へと置き換えられていったように感じられてしまった。
わたしにはそれが、せっかくの才能が刈り取られてしまったかのようで悲しかったのだ。
わたしはアゴゲンの完結を待たずして、コミックの購読を止めてしまっていた。
わたしが彼の作品に対してブランクが合ったからかも知れないが、彼がこれほどまでにきれいな絵柄を描くとは想像ができなかった。
当時のあの絵柄から、今のこの質感に至るまでには想像を絶する努力が必要だったに違いないはずだ。
いうなればガモウひろしが一人でデスノートを今の形へと完成させてしまったかのような驚きだ。
そして何より嬉しかったことは、彼の作品の中に映画のオマージュがしっかりと生き続けているということだ。
しかもそれは、以前のようにシーンそのものをリスペクトするのではなく、描画方法やシーン展開、カメラワークをリスペクトするという技法へと昇華されていた。
彼は諦めていなかった。それどころかこれほどまでに高い水準にまで上り詰めていたのだ。
わたしは、漫画のすばらしさを嫁に伝えることを諦めてしまったというのに。
今現在、もうすでに2度目を読み始めている。
微エロに対する下心で読み始めた気持ちをリセットして、彼の描きたかったものともう一度向き合うために。
諦めず、もう一度漫画というもののすばらしさを嫁に理解してもらうために。
さっきから溢れ続けてやまない☓なにか ○なみだに誓って。
男の胸は出して歩いても文句を言われないのに、女の胸だけ隠すのを求められるのはおかしい!と訴えてる。
日本のフェミは不快かどうかを動機にして突撃するだけのゴミばかりだから、
否定するための後付の理屈として男性器と同じ!とか言っちゃうんだよな。
あいつらの主張によると、巨乳の女は街中で胸を晒す服装を着ちゃいけない。
サイズがなくてぱっつぱつの状態でいるなら、興奮した男性器を晒して歩いてるのと同じ、ドヘンタイエロ女だということになる。
これって、おっさんたちが巨乳の女はスケべでやりマンって言ってるのとまったく同じ感性だって気づいてるのかな?
巨乳が胸を晒す服装をしていると性的搾取を思い起こさせるからやめてほしいとかキチガイにも程がある。
女性の胸はいついかなるときも男性に搾取されるものだ、セクシーな服装にたいして日本の男はいついかなるときも性的な消費をしている、そういう決めつけがあるからそんなキチガイじみたことを言えるのだろう。
まぁ気づいてないんだろうな。不快を動機にして暴れてるだけだから、こう言われても、指摘された現実を受け入れられずにどうにか否定しようと発狂するのが日本のフェミニストには多い。
しかも、巨乳の女の人権を認めないゴミクズだと怒るのが男だけだと決めつけてるようで頭が痛くなる。
http://anond.hatelabo.jp/20151206202906
追記
男はおっぱいばかり連呼する←ネットで女叩きを見てすべての男はマーンとか叩いてる!とか言っちゃうフェミみたいだな、上に書いてるとおりすべての男は胸を見て性的消費しているというバイアスに従って理屈を組み立てるからこうなる
それに性的なものとして扱うべきでないと主張するならなおさらあのポスターを批判する側を批判する立場に立たないとおかしいわけ
http://anond.hatelabo.jp/20151208225601
巨乳への視線に対して怒ってるのではなく巨乳を公共の場で晒すなと発言されてる方がほとんどなので筋違いですね
そもそも視線に対して怒るのならばポスターには何の非もないという証左になりますし
ましてやもともとのうりんという漫画に出たキャラが巨乳という属性を持っていて巨乳を晒す服装をしていただけなのに巨乳の露出という部分だけピックアップしてるわけで
女の人格よりも巨乳という属性しか見ているのはフェミニストなんですよね~
生まれもった体型のせいで作業服の前ボタンが閉まらない女の子が恥ずかしそうな表情で困っている場面
あと鬼畜AVに食って掛かったら女優さんに否定されてバカを見たフェミもそうだけど、こうやっててめぇの脳内で勝手にエロい空想補完して他人に押しつけるのマジ勘弁だわ
コイツの中では巨乳が前ボタン止めてなくて顔を赤らめてたらエロい目で見られてもしかたない!って思ってるわけでしょ
それはエロいものです!と男の視線をますます増長させるって気づいてないんだろうなぁバカだから
批判は度々されている。
だけどキチガイの取り巻き量が半端じゃないので匿名での発現ばかりになりがちでいまいちパンチが足りないのが実状。
権力を持ったキチガイとは祟り神に他ならず触りに行こうとするのはそれをありがたがっている連中ばかりでそうでない人間は目を背けることをセオリーにしている、っていうありがちなパターン。
そういう状態になっている事がとても救いようのない事である事実に本人たちだけが気づいてない。
ネットでは各地にこういったお山のキチガイ大将がいるけどいちいち相手にしてたらこっちがおかしくなるので見えないようにNGにぶっ込むのがベター。
こういった問題になるとまず間違いなく「オタクカルチャーが差別されてるから叩かれている」という言説が飛び出す。
また、例の楽器が男根と言い出した人の例を引くまでもなく、萌えキャラ・アニメキャラを嫌う人というのは存在する。
しかし、そういう人は決して多数派ではない。もしそうだとしたら、各地にいる無数の萌えキャラはすべて大なり小なりの炎上をしているはずだろう。
実際にはそうはなっていないのだから、炎上したキャラには「ほかのキャラにはない(問題)点」が確かにあったと考えるほうが妥当である。
美濃加茂市の『のうりん』良田胡蝶、志摩市の碧志摩メグは共通して、そのイラストの性的アピールが過剰であるという意見が多く見られた。
自治体、それに準じる第三セクター(=ここでは「お役所」とする)の表現にふさわしくない、公共の場に掲示していいものではない、一般人の羞恥を呼び起こすセクハラである。
それらに対する反論も噴出している。
客観的な基準が示せない、個人の「不快である」という感情の言い換えに過ぎない、ファンに向けたイベントなのだから問題ない。
そのどちらも決して間違いとは言い切れない。
理論上は、R-18に相当する表現がなければ、子供が見ようが女性が見ようが問題はないはずだ。
だが実際には女性の乳房や肢体を強調するのは「公共の場にふさわしくない」し「お役所らしくない」。
つまり、我々はいつの間にか、暗黙のうちに、お役所にふさわしい「表現の範囲」を定めていたのだろうか。
それを逸脱したことが今回の問題の核心であり、今後、その「範囲」を明確化して、その中に納まる表現だけが認められるのだろうか?
そもそもお役所がアニメとコラボしたり萌えキャラをつくること自体、今までの「表現の範囲」から脱却しようとする動きではなかったか。
無難で、地味で、つまらないお役所イメージから飛び出そうとするからこそ、オタクカルチャーを取り込もうとしたのではなかったか。
その意味で、じつはこれは「お役所の表現の範囲」のなかにはそもそも収まらない問題なのではないだろうか。
この関連の論争を眺めていると、「じゃあ○○もだめになるな」という言葉が散見される。
家族の楽しげな写真は、ぼっちに配慮がないよ。猫が嫌いだから子猫の写真で精神的苦痛を受けるんだけど。
それに対し、「それとこれとは違うだろう」と思う向きは多いだろうと思う。
あたりまえのことだ。
単なる個人であったとしても、ブログを書くたび、一言ツイートするたび、一言喋るたび、視線を誰かにぶつけるたび、
もしかしたら誰かを不快にするかもしれないし、「不快になった誰か」が多数になれば叩かれるかもしれない。
今までの「お役所らしさ」は、そのリスクを最小限にしていた。だから「無難」だった。
しかし、いくつかの町が萌えというカンフル剤を手に入れ、そして成功した。
各地が我も我もと続き、ご当地アニメという言葉が生まれ、萌えキャラが量産された。
今やどこでも見るメジャーな戦略になったから、一部のお役所の皆さんは忘れているのではないか、と思う。
「無難」にほんわかしたイラストは、目に留まりにくい代わり、どんな層にも受け入れられやすい。
対して、萌えキャラというのはそもそも、ごく一部のオタクに対してのアピールに特化してできている。
そこには女性に対する性的視線が織り込まれている。既存アニメならば、アニメ視聴者しか知りえない文脈が隠れている。
オタク以外には不快かもしれないし、ついてこれないかもしれない。でも確実に『一部』は喜ぶ。
「無難」ではなく、リスクが高い代わり、リターンが見込めるからやるはずのものなのだ。
そう思ったとき、表現する側に必要なのは「ディレクション」だ。
ターゲットは誰か。ターゲットにリーチするために、どんな方法を取るか。
そして、もちろん、苦情が出ないかどうか。苦情が出るリスクが高い部分は、先んじて対策を取る。
リスクが高くとも、コンセプトとして譲れない部分はどこかを見極める。
「攻めた」表現をする人たち――広告や出版や放送にかかわる人たち――は、当然それを考えて動く。
今回、美濃加茂市の観光協会は、苦情が出たことに「困惑した」という。
「支給された素材を順番に使っただけだ」と。
はっきり言うと、つまり、考えが足りなかったのだ。
苦情を言うほうが悪いのではない。苦情が出ることを想定できないほうが悪い。
そして、苦情に対し「これこれこういう理由でこの表現は適当です」と、きちんと説明できないのが悪い。
萌えおこしに頼らざるをえないような田舎の観光協会に、そんなことを求めるのは酷だろうか。
わかってもらえないとしても、それでも、この戦略は間違ってない。
でも、仕事ってそんなもんではないだろうか?
全体的に「のうりん」ポスターや碧志摩メグを肯定する書き方になったが、
私個人としては、やはりあれは「性的アピールが行きすぎで、TPOを弁えておらず不愉快だ」と感じているし、
いくつかの場でそれを表明してきた。また、そう感じている人が少ないとは思わない。
だがしかし、今回の二つのバッシングに、一切問題がなかったか、と言われると、それも首肯しかねる。
ツイッターで似たような意見をまとめ、センセーショナルな見出しをつける。
同じ意見の人がたくさん見えるから、自分の意見が「常識」「良識」の側であると信じる。
だからそれをかさにきて叩く。
ネットでは非常にありがちな光景だけれど、しかし、これが正しい状態だと私は思わない。
私は「個人の不愉快」を表明することを擁護するし、「常識」が結局は多数決の結果であることを否定しない。
しかし同時に、他者が「多数」「常識」に従わない自由を、いつも頭の片隅に置かなければならない。
いかに自分が「多数派」で「常識」で「正しい」と信じようが、法に反さない限り、何を採用するかの決定権は相手にある。
それを尊重する態度を忘れてはならない。
叩きはネットの華だ。きっと今後もなくならない。
コンピュータサイエンスの研究室配属を控えた人 or 他大院進学を検討してる人で、ちゃんと研究をしたい人
予算が足りなかったことで、やりたかった研究がやれなかったという話ならまだかわいい方です。
予算不足が原因で、学会に行く費用や、研究に必要な参考書を購入する費用の大半を自己負担しなければならない研究室もあります。
したがって、国から研究費をコンスタントに調達できている研究室に入るべきでしょう。
研究費は分野や予算元や期間(大体は3年か5年)によってまちまちで、100万程度のものから億の単位が動くものまであります。
予算元は様々ですが、科研費というものが国内では一番メジャーで手軽とされています。
科研費の情報は全て https://kaken.nii.ac.jp/ で公開されていますので、教員の名前で検索しましょう。
また、億の単位で動く大型予算の存在も覚えておきましょう。国内だと科学技術振興機構(JST)のものが一番有力でしょうか。
JSTのプロジェクトもプロジェクト代表者(や主要な共同研究者)は公開情報となっておりますので、志望教員の名前でぐぐった時にひっかかると思います。
企業との共同研究では、あまり予算の額が大きくなかったり(下手すると10万ちょっととか)する上に、情報が公開されていない場合が多いのであてになりません。
助教、研究員、ドクターの誰もいない研究室は控えた方が無難でしょう。
教員は授業や会議などで忙しいため、実際に研究室を動かすのは助教や研究員やドクターだったりします。
そういう人がいない研究室ではM2が下級生の面倒を見たりしますが、修士の時点で下級生の面倒を見きれるほどの実力者は相当少ないです。
周囲に頼らずに研究を進めるというやり方もあるにはあるのですが、学部生、修士の段階ではかなり危険です。
確かに成長はするでしょうが、成長する前に(あるいは成長の途中で)大きなミスを犯していて、
それに気付くくらいに成長した時にはかなり手遅れで卒論(修論)が大変なことになったという話を時々耳にします。
(ドクターでもよくある話ですが、さすがにドクターでは自己責任でしょう)
しかし、彼らがいれば安心かというとそうとは言い切れないところがあることには留意しましょう。
特にドクターについては注意が必要です。やる気をなくしてしまった人はもちろん、社会人Dや博論を書くためだけに在籍していて実際は他の研究機関で研究している人、というように、
秘書(事務員)が研究室にいるかどうかもポイントです。特に国公立大学でありがちな面倒な書類作業をある程度任せられるので、研究に集中することができます。
秘書は研究費で雇うことが多いので、秘書がいるということはそれなりに大きな研究費を獲得していると考えて良いでしょう。
多くの場合、その研究室を出願するときは教員と直接面談をすることになると思います。
ただし、研究室の空気を作るのは学生です。教員と面談をする時に学生居室やミーティングなどを見学したいと教員側に要求してみましょう。
日中ならば、最低でも1人は学生がいる(いない場合は考えなおした方が良いでしょう)はずですので、会話してみると良いと思います。
ミーティングの雰囲気は重要です。学生が自主的に発言する雰囲気のある研究室を選ぶべきでしょう。
また、「レッドブルやモンスターが大量に捨てられている研究室はブラック」という説は、コンピュータサイエンスに限って言えば成立しにくいと思います。
エナジードリンクを愛飲する人、というのがコンピュータサイエンスにはそれなりにいるので。
業績(論文)リストを研究室のページや教員個人のページに載せてることはよくありますが、この記事が対象としている学生が読んでも「海外発表が多いな」「この時賞を取ったのか」程度の情報しか得られないと思います。
国内(電子情報通信学会や情報処理学会など)で発表された論文は、ほとんど価値がないとみなされる傾向にあるので、この記事では国際的なものに絞ってお話します。
コンピュータサイエンスの業績は大きく分けて、ジャーナル、プロシーディングス、ポスターの3つに分類されます。
(一部を除いて)ポスターはほとんど価値がないとみなされていますので、ここでは更にジャーナルとプロシーディングスに焦点をあてます。
ジャーナルとプロシーディングスは、出すジャーナル名はカンファレンス名で掲載されるまでの難易度が大きく変わります。もちろん難易度が高ければ高いほど凄いとされています。
研究室選びという観点でだけでならば、次の2つの観点を持っておけば問題無いでしょう。
では、ジャーナルとプロシーディングスはどっちの方が偉いかというと、簡単には優劣が付きません。
他の分野ではジャーナルが第一なのですが、コンピュータサイエンス特有(?)の大きな特徴として「そこらのジャーナルよりも、トップレベルのプロシーディングスの方が上」ということが挙げられます。
ですので、ジャーナルが多いからこの先生は凄いとか、ジャーナルが少ないからこの先生はヤバイ、と考えるのはコンピュータサイエンスに限っては違うと考えましょう。
また一部の教員には、COREランクに載ってないような学会での発表は業績リストに入れない、という人がいます。
このように主要な業績のみからなる業績リストをSelective Publicationといいます。
Selective Publicationのみを公開してる人と、単純に学会に論文を出してない人は区別する必要があります。
色々挙げてきましたが、「結局どれを優先して見るべきか」というのは難しいところがあります。
しかし間違いなく言えることがあって、業績を全く挙げてない人が大型予算を確保できることはありえませんし、優秀な教員の下には優秀なスタッフがついてくるものです。
つまり、これらの要素はお互いに作用しあっているので、今まで挙げたうちの1つでも「あ、この研究室凄そうだ」というのがあれば、少なくとも地雷を踏むことはないと思います。
せっかく個人としての能力は優秀なのに、研究室選びで失敗してしまい、折れてしまった人を今まで何人か見てきました。この記事でそういう人が1人でも減ってくれることを祈ってます。
西友から11月6~30日の限定で糖尿病予防のヘルシー弁当が発売された。
これがかなり美味しい。健康食にありがちなまずさは全く無いない。
見た目は物足りなそうに見えるがボリュームも結構あり満腹感も得られる。
今日食べて感激してネットでも話題になっているに違いないと調べるもはてなでもツイッターでも2ちゃんねるでも殆ど反応なし
なんでだ
常設して欲しいぐらいなのでお前らも食べてみろ(※)
http://news.mynavi.jp/articles/2015/10/29/diabetes/
http://news.mynavi.jp/articles/2015/10/29/diabetes/images/001.jpg
※
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20151110#p1
資生堂ショックについて、とても分かり易く腑に落ちる解説を見た。
今思えばhttp://anond.hatelabo.jp/20151109195901の増田の
「資生堂ショック」とは、資生堂で働く女性短時間勤務社員に対してではなく、その伴侶であったり、周辺の環境に対しての事だと思う。
も同じことを意味していたんだろうけど、いまいち意味が分かっていなかったのがやっと理解出来た。
ちょっと変な見方かもしれませんが、資生堂が女性に優しい施策を導入するということは、(育児関連の施策などでは特に)女性の配偶者である(多くの場合)男性にも優しい施策を実施している、ということでもあるでしょう。つまり、従来は、妻である資生堂の美容部員が時短勤務と早番勤務の両方を利用することで、その夫は育児の負担を免れてきたということです。それが今回の見直しで、番組でも紹介されていたように夫の協力が必要になり、その負担を負うようになった。これまでは夫のキャリアのために妻が時短・早番勤務でキャリアを犠牲にしてきたのに対して、見直し後は妻のキャリアに可能性が出てきた分、夫のキャリアには育児協力にともなう影響があるだろうと思われます。まあよく言われる話ですがキャリアデザインは個人だけではなく家族の問題でもあるわけです。
さて、夫が育児負担をするようになるということは、これは当然夫のキャリアにとどまらず、夫の勤務先の人事管理などにも影響してくるだろうと思われます(小規模企業ではかなりの影響でしょうし、大企業でも職場レベルではやはり相当影響があるでしょう)。そう考えると、女性に優しい施策を導入するということは、その配偶者の勤務先のコストを肩代わりしているということでもあるということはできないでしょうか。もちろんそんなケチなことを言うなとは言われそうですし、それを上回るメリットがあるのだという話だろうとも思うのですが、すこし考えてみたい論点のような気はします。
つまり、これで資生堂の女性社員はキャリアが伸ばせるようになるが、その分夫のキャリアは(恐らく)阻害されるだろう。
少なくとも資生堂社員の妻を持つ夫は、「自分だけが思う存分仕事を行いキャリアを伸ばし、妻はキャリアを諦め職場のお荷物となる」と言う
これまで行っていた夫婦間の分業パターンを行えなくなった、というわけだ。
それまで「お前が時短早番して育児すりゃいいだろ?『女性に優しい企業』に勤めてるんだからさ。俺はそんなの無理だから」という態度だった夫の殆ども、
それでは妻が首になるという現実を突きつけられては変わらざるを得なかったんだろう。
つまりここで「夫のキャリアを阻害してでも自分は資生堂で働き続ける」方を選択した妻は
「生活費稼ぎは夫の役割で、私の仕事は暇潰し。私はいざとなったら仕事を辞めても良い」という、共働きの妻にありがちな態度はもう許されない。
そして夫の勤め先も、男性社員だから家庭なんて無いも同然でおk、と言う意識で社員を使う事は出来なくなる。
「女性にも男性にも優しかった」企業は、ある意味「女性にも男性にも男性の勤め先にも厳しい」企業になったってわけだ。
夫や夫の会社はウチやウチの社員に甘えないでください、ウチの社員も夫に甘えないでください、と。
でも厳しさは全くもって悪い事ではなく、より先へ進むには必要な事だろうと思う。
先に言っておきます。
引用部分は青二才が詳しくない分野について語ってる時の文章です。読んだら確実に後悔します。
6畳間から魂の叫びをシャウト!するブロガー…三沢文也です(`・ω・´)
俺修羅の1話がまずまず面白かったから2話も見始めたが冒頭で「腕なんかくんじゃってやらしい」と女の子からそんなセリフが出て「こいつ、童貞かよ。」という気持ちになってる。手を繋いだり、腕くんだりすることについて恋仲だなんだと感じるのは童貞の悪いところ、男のキモい所ってよく言われるよね
ティーン向けのラノベの女の子見てると、性的なものを見出す基準が完全に男過ぎて辛い
最近のラノベが童貞をこじらせてるんじゃないかと心底心配になってきた…ほら、僕の頃に流行ってたハルヒとか狼と香辛料とかは最低限度童貞の男みたいなことを言わないぐらいの良心はあったよ?フィクションが恋愛やモテの参考になるという見解を示す人が最近のラノベ見るとどう思うんだろうなぁ…とは
付き合ってもないのに裏切り者と言い出したり、腕を組んでるだけでやらしいと言ったり…なんなんだこの女は?ゴムつけて☓☓☓しても「責任とって」とか言い出すアレか?
確かにライトノベル読む年齢層じゃなくなりつつある人間だけどさ、それでも僕が直撃世代の話から見ると整合性が落ちてるものはつまらなくて、それと同等かそれ以上のもの(ホライゾンなんかつい最近見たけど面白かったし、化物語はなんやかんや言って見られてる)から僕自身の問題だけでもないと思うの
そういう意味だと、アスタリスクはかろうじて見られる方だったんだよなぁ…。面白いかつまらないかはともかくとして、見ててつんのめって愚痴るほど面白くない・整合性がない作品ではなかったのよね…。見られるか見られないかぐらいの基準だけど
あ、アニメに対して矛盾を指摘すると「楽しく見ればいい」「ネタにマジレス、カッコ悪い」という人が必ずから断っておくけど、ヤマもオチもない東京の・それも女の会話はちゃんと構成があって返しも話の終わりも意識する関西人の会話から見るとすごくイラつくものなんです。支離滅裂すぎて
あーそっか!最近のラノベって男女が逆なんだ!!男が女の鈍い(と男から思われてる眼中にないけどモテる)やつみたいで、女が童貞の男みたいな痛いというか、性的なものへの認識が男子中学生っぽいのは、「痛い女の子」なら許せるけど「痛い中学生男子」はラノベを読む層のメンタル削るんだ〜♪
すげー。片方のヒロインは「痛い中学生を性転換させたような奴」だけど、片方は「娼婦を女子高生にしたみたい」なあざとさ。あーラノベってこうなってるのか…。落第騎士やアスタリスクみたいなテンプレを見た後に俺修羅みたいにテンプレを斜め上から書く作品見ると構造が見渡せて素敵
あー最近のラノベのヒロインで俺が苦手なキャラって大きく分けて2種類に別れるんだ。
・発言がとても女とは思えない自意識過剰な男子中学生みたいな人
なるほどなるほど。
ちなみに、前者の代表が高坂桐乃で、後者の代表が柏崎星奈かなぁ…。後者は御坂美琴とか白井黒子でもいい気はするんだけど、あの子らは割と女の子らしい(自分の性に対してもっとドライ)な部分があるからなぁ…。
あー俺修羅はすきじゃないけど、勉強になる。テンプレラノベがどういうものか、僕がなんでラノベにイラつくのかをものの見事に、作者自身もきっとバカにしているであろう手法でやってくれるから面白いわ!
わー謎部活だ−謎部活系(ハルヒ・はがない・生徒会の一存)辺りはパロディが多い気がします。わかりやすい元ネタがあって、それをべらべら喋ってつなげていく感じのお話が多いような気がします
あれ?テンプレラノベの方向がとらドラとか俺妹の方に行くかと思ったら、まさかの生徒会の一存とかそっちの路線?学校の隅っこから社会とネットを風刺しちゃう系?
最近というか、謎部活系ラノベに割りとありがちな設定として「あんたなんか眼中にないカリソメの関係なんだからね」みたいな作品をよく見かけるが、アレって男で言うところの「先っぽだけ」を女がやるとああなりますというイメージなのかな?
OKわかった。もういい。
お前が、お前こそが青二才だ。青二才って看板下ろした瞬間に助走つけてぶん殴るけど青二才って看板掲げてる限りはもう何言ってもいいです。お前はそういう奴なんだな、以上にもはや思うことはないです。もう好き勝手に喋っててください。突っ込む気力すら起きないです。
でも、一つだけお願い。ここだけはやめて。
あ、アニメに対して矛盾を指摘すると「楽しく見ればいい」「ネタにマジレス、カッコ悪い」という人が必ずから断っておくけど、ヤマもオチもない東京の・それも女の会話はちゃんと構成があって返しも話の終わりも意識する関西人の会話から見るとすごくイラつくものなんです。支離滅裂すぎて
なんでや関西人関係ないやろ。当方関西人ですけど俺修羅好きですし、関東と関西全く関係ないです。
もうね、青二才は自分の感想としてなら何言ってもいいですよ。お前が思うんならそうだろうなお前の中ではな、で終わりにする。本当は頼むからもうお前ラノベ原作アニメ見るなそもそもお前何のために見てんだよといいたいけど好きにしたらいいよ。
でもまあ、あの人はある意味ありがたい存在で、「童貞」みたいなキーワードを使って感嘆符も多用し「わかった!」とか軽率に言ってくれるから、明らかに単なる勇み足+マウント取りたいだけとすぐに分かる。実質的に同レベルの内容だけど表現的には落ち着いたものになってたりする場合の方が怖い。— いのり@JC2 (@srpglove) 2015, 11月 3
でもさ、俺がそう思っただけって言うことにしたいなら他人巻き込むのやめて。アホなこと言った後で関西人や理系を引き合いに出さないで。 君の発言に関西人や理系を巻き込むのだけはやめて。マジでお願い。青二才は青二才だから。関西人とか理系とかそんなくくりに収まらないから。関係ないから。うちら君と関係ないから。全く関西人関係ないネタで唐突に関西人を言い訳にするのやめて。ホントやめて。お願い。もうホントお前のtwitter発言が素晴らしかろうがクズだろうがどっちでもいいです。でも、発言をした後に「関西人として」とか「理系の人間として」とか言うのだけホントやめてください。お願い。お願いだからやめてください。もうそれ以上はなにも望みません。好き勝手に発言したいなら一人でやってください。
青二才の言ってることは全く意味がわかりません。ただひとつ判る事は、お前の発言は関西人と全く関係ないということです。 もちろん理系とも関係がありません。どうか関西人や理系を巻き込まないでください。それだけが私の望みです。
無理。ある程度中道な視点を持ちながら、あえて歪んでいるならともかく、
世間の常識や世論が理解できていないレベルで歪んでいるので、記事を任せる最低限のレベルに達していない。
これでまだ、歪んだ意見を網羅的に把握しているなら、歪んだメディアで仕事をするという道もあったのだが、
はてなブロガーにありがちな視野の狭さというか、おまえgoogle使ったことあんの?って状態では、目も当てられない。
とりあえず違う世界の人と話せ。としか言いようがないところで足踏みしている。
はてなブロガーなんて偏った連中ばっかじゃん AMやらBLOGOSやら載っけて貰えてるから勘違いしてるけど偏った連中が多すぎ
そうだよ。だから大半のはてなブロガーは身内同士でアクセスしあってブクマしあってアクセスを集めて小銭を稼いでいるじゃない。
PVがある奴がそういう有象無象に優しいのは有象無象がお金を持ってきてくれるからで、一緒にブログをやっている振りして、あいつらの時間を食いつぶしてるだけだよ。
ふりーむではともかく、ニコ動ではそこまで知名度が高くないと思ってたゲーム製作者が、3ヶ月前に新作のゲームでニコニコで賞を取り、ゲームマガジンであるラノベとタッグを組んでゲームを出してた。そのラノベが角川のレーベルだったのを見て「あーニコ動がフリゲに力入れた理由はこれか」と思った
フリーゲームの金銭回収モデルは、主に書籍化・有料版の配信・スマホで続編を出して広告収入で稼ぐの3つなんやけど、その3つの中でも特に重要な書籍化。ニコニコゲームマガジンとはニコニコの実況者を使って書籍化予定のゲームを売り出してドワよりも角川に還元するシステムだったんやなぁ…と
フリーゲームの製作者がお金持つことに対して僕は本当なら大喜びすべきところなはずなんだけど、なんでモヤモヤしたかというと、僕が好きなゲーム製作者が「角川から出てるラノベという原作ありきのフリーゲーム化」という「いや、それフリゲーなのか?」というモノをやってること。謎い
いや〜複雑だ。「短いゲームをリーズナブルに作ってくれる職人」としてフリーゲーム制作者に賞を与え、すでに出てるラノベをフリーゲーム化してもらうというのが果たしてフリゲなのかと言われるとすげー疑問。また、マガジン版した限り難度が下がって演出が凝るという商業ゲー側の発展してるのも危うい
なんでこんなことを書いているかというと、フリーゲームってマリオメーカーやブログ、あるいはYouTubeやニコ動よろしく「成熟してたユーザーが成熟したユーザーに向けて送る面白さ」があったから面白かったわけですよ…。単に無料で短くできるゲームの事をフリゲと言うわけじゃないっすよ
あーそういう風になっていくのね。ニコ動にクリエイター(かつてのボカロPぐらいに革新的な人達)がいなくて、拡散力だけはある実況者がいる。クリエイターはフリーゲームの界隈から持ってきて、ニコ動で実況者とゲームフェスで宣伝。その後、角川がノベル化コミカライズ化逆にフリゲ化か…辛いな
いや〜フリーゲームはフリーゲームでもやりこみ系RPGを中心に紹介しててよかった。ホラゲー中心のほうがアクセスは取れたかもしれないけど、あっちの方はニコニコと角川に蹂躙されてあと2年ぐらいでおもいっきり空気が変わると思う。合作のゲームとかすごく増えそう
食べていけるクリエイターは出てくると思う。マネタイズできる人も増えると思う。ただ、一方で角川原作のフリーゲーム化という展開を見て「フリゲ界隈に書籍化狙いのフリゲのバッタモンが出る」と少し感じてる
ボカロもそうなんだけど、動画やイラストの完成度が上がったり、作家性が強くなりすぎたりしてコンテクストを無視した暴走を始めた時期から面白くなくなり始めたんよなぁ…。お金回収する、仕事くれるのはええことやと思う反面、それだけの人以外を汲み取るシステムがないと画一化してゆるやかに死ぬ
はてなダイアリー・はてなブログがそこそこのライターや作家を10年以上にわたって出し続けてる理由は、はてながドワンゴや角川みたいにスカウトすることがほとんどなかったことだよなぁ…。あるいは商業化に向かない人もはてなの中ではスターだったりするから良かったのよね…。今は崩壊しつつあるが
よくわからんがマイナージャンルが好きであることをアイデンティティにしているひとにありがちな反応のようだ。しかしtm2501他の件については信用出来ない語りしかしないイメージだがさすがにフリーゲームについてはいい加減なこと言わないだろうと思ってるんで、参考にしたい。
一方本田未央ファンはただでさえ不人気な本田未央がアニメの結果ますます不人気になるのをみて本田未央への愛情を強くするのであった。
痴漢の件読んでて思ったんだけど、といってもこの記事の主軸にはそれほど関係ないかもだが
痴漢被害にあった!→辛い!→誰かに話して共感&慰めて貰おう!→聞いて!→慰めてあげる
ネットの主張を見てると痴漢に合う女性はカナリ多いって見るよね
となると、主観的には誰よりも自分が辛いと思った痴漢被害経験を持ってる状態で、
その時は「自分以外の誰か」の「痴漢にあった!私可哀想じゃない!?慰めて!!」って話を聞くわけだよね?
それって自慢だとかじゃなくて、皆それくらいの辛い目にはあってるのにギャーギャー騒ぐなうざいみたいな感覚にはならないの?
個人的には痴漢被害者に対するイメージの違い?より上記の拗らせた精神からうざいと思われてる
からの(不幸)自慢?って嫌味につながってるんじゃないかな~と思うんだけど。
これを男側にも通じるようにとか、もっとありがちな話に直すとすると何が適切か…はちょっと分からないんだけど。
(難関大学に受からない!◯浪だ!と同じ予備校の人に言うとか思ったけど多分違う)
要はそれくらいの辛さ別にお前だけじゃねーよ?って思われてからの発言もあるんじゃないの?
というか、痴漢被害に会ってる女性が大多数であればそういう意見の方がメインじゃないの?と思うんだけど
全般的に可哀想可哀想なんて傷を只々慰めるような展開の優しさなんてチラとでも見えた事ないんだけどなぁ…
これは拗らせ過ぎてるのかなぁ
売り上げ豚だから、アニメ見てるときとか「あーこのくらいの面白さなら売り上げはこんなもんだろうなー」
とか無意識に当たりをつけてたりするんだけど、大体その直感と売り上げが大きく乖離することって
「なんだこれクッソつまんねえ誰に需要あるんだよ」って見てて思ったアニメは100%と言っていいほど爆死してるし、
「なんだこれ超おもしれー」ってアニメがネタにされるほどの低い売り上げを叩き出すことも
で、この直感と実際の売り上げが一番かけ離れてたって思うアニメが『N・H・Kにようこそ!』だった。
最近知ったんだけどあれ平均で1000本も売れてないんだってなぁ。
売り上げの概念とか知る前に見たアニメだから売り上げとかあんまり意識してなかったけど
自分の面白さスカウター的には6000~7000本くらいは行ってるもんだと思ってた。
「アニヲタが選ぶ名作アニメ50選」みたいなありがちなブログ記事だとめっちゃ高確率で名前上がってない?
もう放送から10年くらい経つっていうのに岬ちゃんの可愛さは未だ各所で語られてるの見るし、しかも超可愛いし、
pixiv大百科に元ネタ記載があったので「ちょっとビッチなフェイトママ」という作品を読んでみた。
即落ち2コマの系譜で、特にクリムゾン的なお作法を意識してるのが明らかだけれど、無駄に設定が回りくどい。
・さんざんSOXしたあと拘束された状態でショタ側が実は54歳であることを暴露
・フェイト側は最初は抵抗し、なのはのことを思い出して耐えようとする。
・3ページ後にアウト。はやい(確信)
ごめんね、なのは……やっぱり私……チ○ポには勝てなかったよ……
このページでいきなり話が終わる。くっそワロタ。
展開がありきたりの上、ショタ狩りして浮気しまくってるのになのはが心の支えとか意味わからんし
性経験豊富の割にあっけなく堕ち、といかにもエロさえあればいいんだろな低クオリティの同人にありがちな作品。
作品単体ならどう間違っても評価するべきところがない凡百のゴミ。
にもかかわらず、この作品、このセリフだけで伝説になってるんだからほんますごい。
このマンガ書いた同人作家も、このネタを最初に投稿した2ちゃんねらもこれほど有名になるとは思ってなかっただろ。
こういうことがあるからやめられんですな。
参考までに言うと「エロ同人みたいに」の元ネタの同人誌「私立トレミー学園 炎のKAINYU転校生 セカンドシーズン(サークルOMEGA 2-D)」は単体で見てもクオリティが高く面白い。