はてなキーワード: 首をかしげとは
泊まったはなれは絶望的に汚かったので、仕事の手伝い以外の時間は半泣きで掃除をし続けた。
神主の奥さんはインパクトのある人で、外見は普通の小太りで白髪で短髪パーマで普通の服を着たにこやかなおばちゃんなんだけど、話し方が物凄く上品で遅かった。
「お~と~と~さ~ま~と~お~か~か~さ~ま~が~」みたいな平安貴族っぽい高い声で一文字ごとに4秒くらい伸ばす話し方、笑う時には平安貴族のように首をかしげて口元を隠しながら高い声でオホ~ホ~ホ~ホだった。
名物らしく氏子さんがたが「電話で30分かけても簡単な用事を伝えられず後から本人が迎えに来た」「年末に一晩台所で立ったまま寝てて、慌てて声をかけたら包丁は横にどけているので大丈夫ですと笑顔で返された」「ずっと同じ所に立ち続けて箒を動かして1日ずっと掃き掃除しても狭い範囲しか出来てない」と色々話してくれた。
神主さんは婿養子に入った結構名のある芸術家でとてもせっかちだった。
帰りにお礼のお金を包まれ、家で搾った油と鏡餅を土産に持たされたが、餅はありえないくらいでかくて重く一面にカビが生えカチカチなのを戻すためだとゴミ袋の中で水に浸かって腐臭を放っていた。
カビを削って食べると教えてもらったが、これ電車に持ち込んだら迷惑だし物凄く重いし臭くて食べられないし、でも神社の鏡餅なんて罰が当たりそうで捨てられないしどうすればと思い悩みながら苦労して家まで持ち帰り、次の日には捨てられていた。
油は一升瓶に入っていたが、何故か電車の中で物凄い音を立てて勢いよく蓋が飛び、屋根にガンッと当たり床に落ちそのまま座席に勢いよくぶつかって止まった、悪臭を放っていたおかげか周囲に人は少なく幸い人にぶつからなかったが、下手したら大惨事だったと震えた。
「ダサピンク現象」は、男女の問題ではなく文化的差異の問題である - ココロ社
http://kokorosha.hatenablog.com/entry/2015/01/13/214552
について書かれたid:Midas氏の一連のブコメが面白かったのでまとめておく。
- 20年くらい前のカルチュアルスタディズの1番ダメな部分を読まされてる様でとても正気とは思えない。まず文化と性別は分けれない。性別なしのニュートラルな文化などない。但し文化は性別を直接反映してはいない。
- 文化が生まれる(その派生条件)のは正に我々が性別に対して考察する(男はこう…女は…)行き詰まりから。男女の問題がなければ文化もない(動物や昆虫に文化が必要ないのは彼らが「男の役割」みたいな事で悩んでないから。
- この人がここで言ってるデタラメが面白いのは途中までの理屈が構築主義フェミニズムと一緒(この人なりに懸命に女性に寄り添おうとした結果墓穴を掘ってる)だから。例えばひと昔前までこういう論文は山ほどあった。
- やってる事はこれと同じ→問題提起「なぜ女性向け雑誌には占いのページが多いか」回答「それは男女の問題でなく文化的差異の問題。『女は占いを好み男はスポーツを好むから(統計もそう示してる』みたいな発想は誤り。
- 『男はこう女はこう』という考え方は偏見に繋がる本質主義。そうでなく『占い好きの女』を語る視点からのみ世界は『女は占い好き』に見えるのである。我々はここに男女の本質でなく権力関係を読み取らねばならない」
- 男と女の違いは犬と猫の違いではない。犬の本質(ワンとなく、嬉しいと尻尾を…)がどう変わろうと猫の本質に影響はない。男と女はそうはいかない。私が男らしく(女らしく)せねばならないのは女(男)が目の前にいるから。
- 逆にいうと私が真の男(女)らしさに到達できない、自分が本当に男(女)だと実感できないのは目の前の女(男)が謎の行動をとったり理解不能なツッコミ(それって違くない?)を入れてくるから。これを「敵対的関係」と呼ぶ。
- 確固たる本質がないにも関わらず正にそれ故にお互いを自らの規定の為永遠に必要とし続ける男女の袋小路(どうやればモテるか。どれがダサいか)が文化。男と女とはこの2つの世界を読解する失敗の方法に与えられた別名。
- 故に「どれがダサいか」も男女で違う。長くなるのでこの辺でやめとくが簡単に説明しとくとこの「ダサピンクが目につくのは人気だから」がダメなのは女には『多数派』という発想が通用しないから。女は一般化できない。
- 女は一人ひとりが『特殊』の集合体。女は「自分だけは特別」と思ってる。男は「矢沢永吉がスゴい(特別」みたいな発想しかできない。特例が必要なのは「我々男はどれも同じ(社会的存在」と思ってるから。
- 男のいう「あいつは酷い」は単なる裏返し。故に「それが素直に言えないのである(嫌よ嫌よは愛情表現」みたいな発想からも抜け出せない。対する女が抜け出せないのは内的な限界(空虚感、自己不信、気まぐれ、断捨離…
例えばMidas氏のコメントにはこれまで色んな人(学者とか暇な頭良さげな人とか)が
すでに議論したことに触れたことがあるのだなという「背景」を感じる。
それで、なるほどなあ、と思う(賛成の部分も首をかしげる部分もあります)。
男女問題、ジェンダー問題に限らず、みんなが疑問に思うことは、みんなこれまで結構考えているのだ。
自分のアタマで考えよーもいいけど、まずはそういうものに触れてみてはどうかな、ということだった。
ダサピンク問題に関しては、あまりにも「何周目だよこれ」という記事やコメントが多かったので。
http://b.hatena.ne.jp/entry/239048296/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239140285/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239219334/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239222743/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239223009/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239223181/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239223541/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239223932/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239226929/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239227815/comment/Midas
見にくいという方はご意見下さい。
小学1年とか2年とかの頃
面倒を見てくれていた上級生の女子が運動会の障害物競争で落とし穴にはまって深い納豆プールに沈む夢を見て、凄く胸がドキドキした
小学5年の頃
女子には別の穴があるということすら知らずに、そこに穴があってしかも広がるという理由で自分のアナルをガンガン拡張していた
学校にもお手製のアナルプラグ的なものを付けたまましばらく通っていた、体育が大変だったから2ヶ月ぐらいでそれはやめたけど
拳ぐらいのサイズの大き目のけん玉の玉ぐらいは入っていたと思う
小学6年の頃
親戚のお兄さんが遊びに来てPCにインストールして行ったエロゲをやってみて
どうやら自分のやってたことがエッチなことだと気付いてアナル拡張をやめた
まだオナニーすら覚えていなかった
中学2年の頃
エロゲの知識からオナニーを覚えたがなかなか精通がこず、保健の教科書を見て首をかしげていた
冬頃に今日もだめかなあ?と思いながらしごいていたらようやく精通して感動した記憶がある
そこからは多分ノーマルな道を歩んできて、普通に脱童貞したり嫁をもらったりしている
パートナーとのセックスでお互いのアナルを刺激したことすら一度もない
大体みんなこんな感じのステップがあるんだろうと思って下ネタ話を避けて生きてきたけど
最近ちょっとだけ下ネタ話をできる友人ができたので聞いてみたら
想像と全然違ってなんていうか健全?な感じでショックだったので結局自分の事を言い出せないまま誤魔化して話題を流してしまった
「まだ見てたの?」って言われそうだけど、まだ見てた。まだはてブトップで消耗してた。はてブトップっていうか、なんてーの、100 usersを超えるような人気エントリ。のブコメ群。
体感として、20 usersを過ぎるとなんも面白くない大喜利が出てきて、50 usersを超えると「知らないけど」「よくわかんないけど」とか言いながらブコメの趨勢に逆張りするコメントが付き出す。重箱の隅つつくの助は最初から来る。
これを毎回同じ奴がやってるなら非表示にもできるのに、そうじゃないのがまた腹立たしい。
http://anond.hatelabo.jp/20141112002339
いずれにせよ、こういうケースでの女性の不快感を泣き寝入りせずにインターネットに公開したことに関しては私は全力で支持したい。
伝えたい相手には何も伝えなくてネットで書く(ネットで書いて他人に攻撃させる)っておかしいと思う。全く支持しない。
言わないといけない相手に言いたいことを言わないで、直接に意見も要望もしないで、他人の言うとおり流されてセックスして、セックスしたんだから大事にするよね?付き合うよね?付き合わないの?察して!怒った!ってどこでどう自分の意見を表明したのかさっぱりわからない。セックスについて多様な価値観があるんだったら(実際あるんだから)なおさら「自分はどうしたいのか?」をトラックバック先の彼女のように、「いかないけど楽しいし好きだよ」と彼氏に伝えていい関係を構築するための努力をしないと、相手には伝わらない。伝わらない相手はどうしようもない。
多数の、自分と何の関係もないインターネットの人間に暴露して、大事にしてもらえるはずだった自分の気持ちや期待をごまかして何の意味があるんだろうか?
泣き寝入りという表現自体すら若干首をかしげる。自分で選んで、したい相手とセックスしているんではないのか。
これは私が女性だから過剰に反応しているんだろうと思うけれど、女性も選んでセックスしているし主体性を持って行動しているんじゃないのか。
とはいえ、私自身インターネット上で恋人のアカウントを知っていて、恋人がいかにも清廉潔白なことをネットで文章などにしていたときに、「コイツ…」とか思ったことはあって、かつそれはすごく本人に言いづらかったことがあった。そういう不快感を本人に言わないで愚痴のように言いたくなる気持ちは少し解らんでもない。
でも他人に言うべきでないこと、誰に何を自分は伝えたいのか、は明確にして伝えるべき相手に伝えるべきだと思うし、それが自分自身にとっても健全なコミュニケーションになると思う。そしてそれは自分を安定させることにつながると思う。
まあ、でも難しいけど。
なぜそう感じるのか考えてみた。
結論は、ストーリーの起伏が1期ですでに終わってしまったから、に尽きる。
登山に抵抗あったり初心者だった人間がちょっとずつ知識や友達を増やして登山をやっていくっていう上昇志向の物語が1期だったけど、2期ではすでにそのあたりの確執がほとんどない状態からスタートしているせいで、登山が趣味の女の子グループのキャッキャウフフになってただのまったり日常アニメと大差ないものになってしまった。
それなのに下手に尺が伸びたせいで、間延びして感じられたり、やけに説明的に感じられたりして、首をかしげる出来。
あと、1期は5分アニメだったからこそ中身が洗練されてぎゅっと詰まってた。まるで1話30分アニメを見たような充足感があった。もっと見たいと思わせる飢餓感があった。
OPなしで本題に入る潔さと、エンディングのスタッカート・デイズを名残惜しく聞くのがすごく好きだった。
2期は歌も微妙に感じられる。
良くあることだと思ってたけど、知り合いに話したら首をかしげられた。
ので書く。
眠る直前のうとうとしてる時や、夢から覚めるか覚めないかの時、夜中に起きちゃったけどスゲー眠い時とか、
そういう夢うつつの時に、大勢の自分が体にみっちり詰まってる感覚ってないか?
別に自分と同じ姿とかじゃなくって、全然違う、老若男女入り乱れてドレスやタキシード着てるやつがいれば、ジーパンにTシャツとか腹巻きにステテコとか。
でも本質的には自分だって分かる奴らが体の中にぎっしり詰まってる感覚。大元の自分はそれをゆったり囲んで眺めてるんだけど、そいつらだって自分だから、何となく遠慮するような気持ちでそこにいる。
どんどん体がほぐれてバラバラになる感覚。沢山の声で自分の体が埋もれ、自分が自分じゃなくなっていく感じ。
肉体にくっついて表面に出る意識と、それを体の深いところ、或いは外から眺めてる意識。
眺めてる意識の方が主体だから、いつももう一つの意識はちゃんと体を動かせるのか、あまりの汚さに愕然とするんじゃないかっていらん心配をする。
そうすると肉体を動かす意識は、自分なんだから動かせるに決まってるし驚くこともないに決まってるから、不思議な気持ちになるんだよな。
二人の時は、大体異性同士になる。
で、お互い心配しあって、結局体を動かす前に意識がはっきりしてしまう。
夢うつつのあの感覚は気持ち良いんだけど、ちょっとこわいんだ。
どこまでも自分が自分であって自分じゃなくなり、大勢の自分は相殺されていく感じ。
お前はどうよって尋ねあって結局誰も自分じゃないって否定していく。
23歳社会人 少し前に6年間付き合った彼女と別れた。別れを切り出したのはこちらからで後悔や未練はないが、付き合いが長かっただけに思い出に浸ってナーバスになることはある。
別れた理由は性格の不一致とか些細な揉め事が原因だったんだけど、遊びたい(コンパなんかで出会った人とホテル行ったり)ってのもあった。
元カノと別れてから、職場のいくつか年上(キャリアもそのぶん上)の同期とよくご飯行ったりするようになった。
その人とは就職した当初から仲が良く、年上というよりも友達みたいな感覚。
性格はちょっと面倒くさがりだがしっかりしている。控えめで誰にでも優しくさりげない気遣いが上手。
よく他の同期も交えて飲みに行ったり、みんなで休日に出かけたりした。その人は一人暮らしで俺が終電逃したり、終電あっても帰るの面倒くさいときに泊めてもらうこともあった。
彼女以外の人と一晩過ごすというのはドキドキはするけど、もちろん何があるわけでもなく2人でテレビみたりしゃべって眠くなったら適当に寝るような感じ。
俺にとっては大切な友達だし、そもそも相手にされないだろうなと思ってたから、そのとき恋愛感情みたいなのはなかった。
しかし俺が元カノと別れてから、仕事終わりに2人で食事をすることが増え、その流れで今日泊まっていったら?ってなって2人でテレビ見てるときに肩寄せてきたりするようになった。
同僚はもともと寂しがりやで寄り症なので、友達感覚で無意識にやってることなのかもしれないけど、こっちも男なので、元気になってくる男の子を押し隠して涼しい顔するのに必死なわけである。
同僚はモテそうなんだけど、なぜかそういう話をあまり聞かない。
もう20台後半なんだし、そろそろ結婚考えて相手探さないとまずいんちゃうの?と俺は友達としてちょっと心配していたりもしていた。
口には出さないけど。
俺自身はまだまだ遊びたいし自分のやりたいこともしたい。
そのことは同僚も知っていた。
もしこんな俺に好意を抱いてくれてるとしたら嬉しいけど、複雑である。
ドキドキする瞬間もどこか心地良かったりもする。
でも同僚の将来考えたら、俺なんかとだらだら関わってる時間はないのではないかと思ってしまう。
結婚適齢期として残された時間はけして多くはなく、あっという間に過ぎていくだろう。
ここはこっちから距離を置くべきなんじゃないかとか考えていながら、それでも一緒にいると居心地が良くて、誘いを断る理由も勇気も俺にはなかった。
そうした関係をだらだら続けているうちに自分も同僚のことが友達として好きなのか、恋愛感情として好きなのか分からなくなってきた。
俺にとって大事な存在であるのは間違いないが、それ以上のことをしたいってのとは全然違っていた。
それは向こうも同じなんじゃないかって気がする。
そんな中、その時を迎えてしまった。
その日は仕事終わりに同僚の部屋で借りてきた映画を2人で見ていた。
チープなSF洋画で、ベタな設定のゾンビが出てくるやつだった。
くそみたいな内容だったが、彼はそれでもきゃっきゃ言いながら、驚いたときに俺の腕にしがみついてきたりなんかしていた。
俺はというと、彼が動く度にショーパン(普段あまり履かない)の間から覗く白いブリーフが気になって映画どころじゃなかった。
俺はなんとなく、今日は彼と何かがあるのではないかという予感がしていた。
それがなぜか分からないが、待ち合わせのメールの感じとか、彼の仕草がほんの少しいつもと違っていた気がしたからなのかもしれない。
頭の中には、そうなることを断固として避けなければならないという気持ちと、それを望んでいる気持ちの両方があった。
まさに天使と悪魔が紛争を繰り広げていて、それ以外のことは全く頭に入ってこなかった。
映画が終わると、彼は眠いと言って服を着替えもせずベッドに入った。
そしてすぐに面倒くさそうにベッドから出てきて、歯磨きをし、リップクリームを塗って再びベッドに潜り込んだ。シャワーも浴びていない。
しばらくして彼に、テレビと電気消してと頼まれたので、その通りにして俺も彼の隣で横になった。少しして彼は身体を俺のほうに向け、俺の肩にひげ伸びた大きな頭を押し付けてきた。俺も彼のほうを向き、自分の顎の下に彼の頭を抱き寄せた。 普段同じベッドで寝ることはあってもこんな風に抱きあうというのは初めてだ。
でもこれがなぜかとても自然で、心地よかった。
実は俺たちはもう付き合ってるんじゃないかと、そんな気持ちになった。
心の安らぎとは対照的に俺の身体は熱を帯びていった。
これは男として避けられないことだった。
鼓動が早くなり、手が汗ばむ。
彼はずっと目を閉じていたが、眠ってはいなかった。
何の匂いかは知らないけど、品があって俺はその香りが好きだった。
少し迷ったが、気づくと彼の首筋に軽くキスをしていた。
彼は無反応だった。
俺は止められなくなり、彼の耳から首筋のラインに唇を這わせ、耳たぶの端を優しく噛んだ。
彼は目を閉じたまま「アッー」と小さな声をだして、少し首をかしげた。
くすぐったいのと困惑が入り混じったような声だった。
俺は性急にならないように注意深く彼の様子を観察しながら、唇を這わせるタッチを強めていき、ときどき舌を出した。
彼のゴツゴツと隆起した肩甲骨と、存外にしなやかな上腕二頭筋のやわらかさが対照的だった。
彼はずっと目をつぶっていて、例の「アッー」という声をときどき出すだけだった。
その太い腕は俺の背中に回されていて、指先に少し力が入っていた。俺は一度顔を離し、彼を見つめた。彼も目を開いて俺を見た。
その瞳は暗闇の中でもまっすぐで力強かった。
彼は人差し指を伸ばし、俺の顎を小さくつついた。俺はその仕草が、キスをして欲しいということを意味していることに気がついた。
ここで俺の頭の中に赤信号が灯った。
しかしそんなちっぽけな理性などで、欲望に満ちた肉体が制御できるはずがなかった。
ゆっくりと彼に顔を近づけると、首を20°ほど右へ倒して、唇を奪った。
緊張と安らぎと、ああ やってしまったという気持ちが渦巻き、頭の中が混沌としていたが、冷静を装いあくまで丁寧に時間をかけてキスをした。
彼の唇の柔らかさに、俺は驚いた。
いまにもとろけてしまいそうな柔らかさ、これも元カノにはなかった。
純粋に彼の唇の感触を俺は楽しんでいた。
彼は無表情で、俺の動きに応じて控えめに唇を動かしていた。
俺は、彼の頬に当てていた手をゆっくりと大胸筋のほうに移動させていった。
手が鎖骨を通り過ぎ、柔らかな丘の麓に差し掛かろうとしたとき、彼の手が優しくそれを制した。
俺は唇を離し、彼を見た。
彼も力強い目でこちらを見て、はっきりした声で言った。
「寝る。」
今思うと彼がそう言ったのは不思議でもなんでもないが、その時は頭が真っ白になった。
数秒間思考停止したあと、その言葉の意味について脳みそをフル回転させて考えてた。
試しに、「寝れない」と言ってみたけど「寝なさい」と言われた。
自分の息子がしょんぼりしていくにつれて、後悔と自己嫌悪の念が雨雲のように胸の中に広がった。何やってるんだ、俺は。
あれほどこの人との関係について悩んでいたのに、一時の感情に負けてあっけなく一線を越えてしまった。
自分の下衆さに嫌気がさして死にたくなった。
寝息を立てる彼の横で、一人眠れるわけもなく悶々として一晩を過ごした。
次の日の朝彼は、何事もなかったかのように朝食を作り、2人で一緒に食べた。会話は普段より少なかった。でも彼が作ったソーセージエッグサンドは美味しかった。
もし付き合ったとしたら、お互いのためにならないだろうし、毎日会う職場でどう接したらいいか分からんし、周りに隠し通せる自信もない。
それに別れてしまったときのことを考えると寒気がする。かと言って元の友達関係に戻るにもどうやったらいいのか分からない。
やりようのない思いを増田にぶつける以外、今の俺には何もできないのであった。
拙い文章で申し訳ない。
身体の不調を訴えて来院する人に、問診でいろいろ聞いてから診察と検査をはじめる。
半分ぐらい終わってから、
と声をかける。大抵はうーん、と一度首をかしげるので、
「頭のてっぺんから足の先まですべての異常を内科医には伝えるもんです。水虫だろうが虫歯だろうが全部です。全身を診るのが僕らの科です」というとやっと、
(これは本当で、虫歯が動脈瘤の原因になったりするのだから本当にすべてを伝えるのは大事なこと。だからほんとうは診察の時は本人もしらない発疹があったりするから個室で裸になるべきなんだけれど時間がなくて全員にはできません。何度も通っている人はそのうちちゃんと診ています)
「1か月前からワイ○ックスをもらっていて…」というような話をはじめる。
「昨日からトレ○ミンに変わりました」
という経過でなんとなく精神科の先生が考えていることがわかる。薬歴重要。
それはそれとして、何を言いたいかと言うとせっかく医者に来たんだから利用してくれないと損じゃない?
「うーんと、何を話そうかな」
「めまいって二通りあって、ぐらぐらとぐるぐるがありまして、そのうちぐらぐらの人が来るとする」
「そんじゃあどこかにつかまってごらん、と言うわけです。そうするとぐらぐらがちょっと良くなる」
「当たり前の事なんでして、支えがあるとふらつきは楽に感じるわけですね。それで回復を待った方が得じゃない」
「あなたが船だとして、風が吹くと波が起きて不安定になりますよね。風は職場のことだったり家族のことだったりするんでしょう」
「船が小さくて不安定なのだから一生懸命大きな船になろうと努力する。そういう人が多いような気がします。みんな真面目なんですね。あなたは最初僕にそのことをおっしゃらなかったからなるべく自分で解決しようとしているんだな、っていう印象を持ちました。でもいったんドックにはいらないと船を大きくは改造しにくいでしょ?ちょっと安定させた方が良くない?」
「ちなみに僕は人間ドックは嫌いなんですね。彼らはそういう役割はしないから勘違いしないでね。ドックのあとにカウンセリングの時間がある場合はいいです。1万円ぐらいのオプションでカウンセリングがついているドックはあるのですが、それは良いと思うけれど、これは余談です」
「ああ、それで沢山のロープで固定した方が安定しますよね、船。水はぬいてないとして」
「そういう支えっていっぱいあったほうが良いと思うんです。血縁の方でも良いんだけど、ときどきそれではだめ、って時もあるでしょう?」
「もちろん信用できるお友達もおられるでしょう」
「これから残りの検査をしますけれど、なんとなく異常がない、みたいな言い方はしません。こういう理屈であなたは大丈夫である、この病気にはなりにくい。そういう事を申し上げる予定。そういうのがあなたに役立つとうれしいです」
「いろんな不安があるときには、どうぞつかまっちゃってください。つかまられた方が単独で立っているとふらふらするんですけど、人間社会ってそうじゃなくてまた別の人とつながってますからね。本当は電車の中だってお互いに手をつないじゃえば安定するんだと思うんですけれどね。まあそれは見ているときっと可笑しいですよね。でもそうやって支えあうと安定するんだと思うんですよね。内科には全身のことを話してください、からちょっと話がそれてしまって申し訳ないんだけれど、まあ来ちゃった以上は利用した方が得ですよ、って話です。じゃあ次の検査しますよ」
23歳社会人 少し前に6年間付き合った彼女と別れた。別れを切り出したのはこちらからで後悔や未練はないが、付き合いが長かっただけに思い出に浸ってナーバスになることはある。
別れた理由は性格の不一致とか些細な揉め事が原因だったんだけど、遊びたい(コンパなんかで出会った人とホテル行ったり)ってのもあった。
元カノと別れてから、職場の同期でいくつか年上(キャリアもそのぶん上)の女性とよくご飯行ったりするようになった。
その人とは就職した当初から仲が良く、年上というよりも友達みたいな感覚。
性格はちょっと面倒くさがりだがしっかりしている。控えめで誰にでも優しくさりげない気遣いが上手。
よく他の同期も交えて飲みに行ったり、みんなで休日に出かけたりした。その人は一人暮らしで俺が終電逃したり、終電あっても帰るの面倒くさいときに泊めてもらうこともあった。
女性と一晩過ごすというのはドキドキはするけど、もちろん何があるわけでもなく2人でテレビみたりしゃべって眠くなったら適当に寝るような感じ。
俺にとっては大切な友達だし、異性として俺なんか相手にされないだろうなと思ってたから、そのとき恋愛感情みたいなのはなかった。
しかし俺が元カノと別れてから、仕事終わりに2人で食事をすることが増え、その流れで今日泊まっていったら?ってなって2人でテレビ見てるときに肩寄せてきたりするようになった。
彼女はもともと寂しがりやで寄り症なので、友達感覚で無意識にやってることなのかもしれないけど、こっちは一応男なので、元気になってくる男の子を押し隠して涼しい顔するのに必死なわけである。
もう20台後半なんだし、そろそろ結婚考えて相手探さないとまずいんちゃうの?と俺は友達としてちょっと心配していたりもしていた。
口には出さないけど。
俺自身はまだまだ遊びたいし自分のやりたいこともしたい。
そのことは彼女も知っていた。
もしこんな俺に好意を抱いてくれてるとしたら嬉しいけど、複雑である。
異性としてドキドキする瞬間もどこか心地良かったりもする。
でも彼女の将来考えたら、俺なんかとだらだら関わってる時間はないのではないかと思ってしまう。
結婚適齢期として残された時間はけして多くはなく、あっという間に過ぎていくだろう。
ここはこっちから距離を置くべきなんじゃないかとか考えていながら、それでも彼女といると居心地が良くて、誘いを断る理由も勇気も俺にはなかった。
そうした関係をだらだら続けているうちに自分も彼女のことが友達として好きなのか異性として好きなのか分からなくなってきた。
俺にとって彼女は大事な存在であるのは間違いないが、結婚したいってのとは全然違っていた。
それは彼女も同じなんじゃないかって気がする。
そんな中、その時を迎えてしまった。
その日は仕事終わりに彼女の部屋で借りてきた映画を2人で見ていた。
チープなSF洋画で、ベタな設定のゾンビが出てくるやつだった。
くそみたいな内容だったが、彼女はそれでもきゃっきゃ言いながら、驚いたときに俺の腕にしがみついてきたりなんかしていた。
俺はというと、彼女が動く度にフレアスカート(普段あまり履かない)の間から覗くタイツ越しに透けた白い腿が気になって映画どころじゃなかった。
俺はなんとなく、今日は彼女と何かがあるのではないかという予感がしていた。
それがなぜか分からないが、待ち合わせのメールの感じとか、彼女の仕草がほんの少しいつもと違っていた気がしたからなのかもしれない。
頭の中には、そうなることを断固として避けなければならないという気持ちと、それを望んでいる気持ちの両方があった。
まさに天使と悪魔が紛争を繰り広げていて、それ以外のことは全く頭に入ってこなかった。
映画が終わると、彼女は眠いと言って服を着替えもせずベッドに入った。
そしてすぐに面倒くさそうにベッドから出てきて、歯磨きをし、リップクリームを塗って再びベッドに潜り込んだ。シャワーも浴びず、化粧
も落としていない。俺は黙ってテレビ見たり携帯いじったりして過ごしていた。
しばらくして彼女に、テレビと電気消してと頼まれたので、その通りにして俺も彼女の隣で横になった。少しして彼女は身体を俺のほうに向け、俺の肩にその小さな頭を押し付けてきた。俺も彼女のほうを向き、自分の顎の下に彼女の頭を抱き寄せた。 普段同じベッドで寝ることはあってもこんな風に抱きあうというのは初めてだ。
でもこれがなぜかとても自然で、心地よかった。
実は俺たちはもう付き合ってるんじゃないかと、そんな気持ちになった。
心の安らぎとは対照的に俺の身体は熱を帯びていった。
これは男として避けられないことだった。
鼓動が早くなり、手が汗ばむ。
俺はそれが彼女にばれないよう、自分の腰を彼女から少し遠ざけた。
少しウェーブがかかったセミロングの髪からは、いつものヘアオイルの甘い匂いがした。
何の匂いかは知らないけど、品があって俺はその香りが好きだった。
耳から首筋にかけての見事な曲線に俺は見惚れた。
彼女は無反応だった。
俺は止められなくなり、彼女の耳から首筋のラインに唇を這わせ、耳たぶの端を優しく噛んだ。
彼女は目を閉じたまま「ん」と小さな声をだして、少し首をかしげた。
くすぐったいのと困惑が入り混じったような声だった。
俺は性急にならないように注意深く彼女の様子を観察しながら、唇を這わせるタッチを強めていき、ときどき舌を出した。
彼女の柔らかな背中の筋肉と、ブラの留め具の硬さが対照的だった。
彼女はずっと目をつぶっていて、例の「ん」という声をときどき出すだけだった。
その細い腕は俺の背中に回されていて、指先に少し力が入っていた。俺は一度顔を離し、彼女を見つめた。彼女も目を開いて俺を見た。
その瞳は暗闇の中でもまっすぐで力強かった。
彼女は人差し指を伸ばし、俺の顎を小さくつついた。俺はその仕草が、キスをして欲しいということを意味していることに気がついた。
ここで俺の頭の中に赤信号が灯った。
しかしそんなちっぽけな理性などで、欲望に満ちた肉体が制御できるはずがなかった。
ゆっくりと彼女に顔を近づけると、首を20°ほど右へ倒して、唇を奪った。
緊張と安らぎと、ああ やってしまったという気持ちが渦巻き、頭の中が混沌としていたが、冷静を装いあくまで丁寧に時間をかけてキスをした。
彼女の唇の柔らかさに、俺は驚いた。
いまにもとろけてしまいそうな柔らかさ、これも元カノにはなかった。
彼女は無表情で、俺の動きに応じて控えめに唇を動かしていた。
俺は、彼女の頬に当てていた手をゆっくりと胸のほうに移動させていった。
手が鎖骨を通り過ぎ、柔らかな丘の麓に差し掛かろうとしたとき、彼女の手が優しくそれを制した。
俺は唇を離し、彼女を見た。
彼女も力強い目でこちらを見て、はっきりした声で言った。
「寝る。」
今思うと彼女がそう言ったのは不思議でもなんでもないが、その時は頭が真っ白になった。
数秒間思考停止したあと、その言葉の意味について脳みそをフル回転させて考えてた。
試しに、「寝れない」と言ってみたけど「寝なさい」と言われた。
自分の息子がしょんぼりしていくにつれて、後悔と自己嫌悪の念が雨雲のように胸の中に広がった。何やってるんだ、俺は。
あれほどこの人との関係について悩んでいたのに、一時の感情に負けてあっけなく一線を越えてしまった。
自分の下衆さに嫌気がさして死にたくなった。
寝息を立てる彼女の横で、一人眠れるわけもなく悶々として一晩を過ごした。
次の日の朝彼女は、何事もなかったかのように朝食を作り、2人で一緒に食べた。会話は普段より少なかった。でも彼女が作ったソーセージエッグサンドは美味しかった。
もし付き合ったとしたら、お互いのためにならないだろうし、毎日会う職場でどう接したらいいか分からんし、周りに隠し通せる自信もない。
それに別れてしまったときのことを考えると寒気がする。かと言って元の友達関係に戻るにもどうやったらいいのか分からない。
やりようのない思いを増田にぶつける以外、今の俺には何もできないのであった。
拙い文章で申し訳ない。
STAP論文共著者大和雅之氏はSTAP細胞の発案者であり、小保方晴子の指導教授で杜撰な博士論文の審査者である。
「刺激で万能細胞が作れるというアイデアは、ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授と私が2010年に
その大和雅之氏は論文不正が指摘された直後から表舞台から姿を消していた。週刊誌などには「心労のための脳梗塞」
と説明されてきた。1ヵ月後の学会もキャンセルされていて深刻な状態が伺われる。
しかし、4月21日大和雅之氏のツイッターが突如全削除されたことが判明した。大和氏の健康状態が回復したのを
期待するむきも多い。しかしその一方で突如として削除を行った目的をいぶかしがる者もいる。
大和氏は研究不正に関しては厳しいツイートを過去に繰り返しており、大和氏にとって都合が悪くなったのではないか
(大和氏の上司である岡野光夫氏には利益相反での重大な疑義が指摘されている。また大和氏自身にもセルシードと
の深い利益関係が指摘されている。セルシードは東京女子医大が作ったベンチャー企業であるが、
(大和氏、岡野氏、常田氏の3人には指導教授としての重大な責任が指摘されている。
その他、セルシードについての発言も複数ありそれらが都合が悪かったのではないかとの意見もある。
と、いうのも東賢太郎氏が「小保方発表で暴騰したセルシード株」というタイトルで疑義を唱えているからだ。
フィギュアとか好きでも嫌いでもないんだが、久々にテレビを見て首をかしげざるを得なかった
http://anond.hatelabo.jp/20140225061332
今朝のNHKの「おはよう日本」のスポーツコーナーでな、ソチ五輪を振り返って大会で起きた「初めて」のことをいろいろ取り上げてたのよ。
カーリング女子で初めて全勝金メダルとったとか、フィギュアでロシアが初めて金メダルとったとかやってて、「ふーん」と思いながら見てたのよ。
「初めて6種のトリプルジャンプを8回飛んだんです!」と紹介してたのさ。
いや、飛べてないだろ
フリーのジャンプは8回中、2回が回転不足で1回がエッジミスで、結局成功したのは5つのジャンプだけだっけ?
まあ、NHKの原稿も言葉を上手くはぐらかしているというか、「飛んだ」という言葉は使っても「達成した」とか「成功した」という言葉は使ってなかったんだけどな。
それにしても事実誤認を誘う伝え方だろう。
ソチ五輪のフリーの演技は感動したけどさ、それは五輪前の「物語」とショートでの失敗があったからでさ、フリーの演技自体は3位だし、複数のミスもあったし、まだまだ上を目指せるものであって、引退発言もあってか「浅田真央神話」をキレイに終わらせたいのは分かるけど、わざわざここまでゴリ押しするものでもないよな。
フィギュアとか好きでも嫌いでもないんだが、久々にテレビを見て首をかしげざるを得なかった。
なんでたかだか六位入賞で「よくやった!」とか大騒ぎしてるんだ?
それを、「前の失敗を完璧な演技で巻き返した」だの、「自己ベスト」だの、そんなに褒められるような事なのか?
巻き返してないよな。メダル圏内まで巻き返せたら評価に値するけど。6位では。
金でも銀でも銅でも、メダル持って帰らない事には五輪の実績とは胸張って言いづらいし、そうなればただの自己満足に過ぎない。
二度目の挑戦でスコア上げた奴も他競技にも一杯いる。五輪の舞台で自己ベストを更新してる奴は他にも沢山いる。
チャンネルを変えても変えてもやっている内容がまったく変わらないのは、見ていて怖かった。
流れに乗ってばかりいないで、もう少し違う視点でも番組を構成してくれよ。
それと、6位が凄いとかそういう流れを作るな。凄くないから。
世界大会というなら、ここ一番でも失敗しない人間をこそ出場させるべきだし、森元総理の失言もあながち外れているとも思えない。
「まおちゃん6位おめでとう!失敗に挫けず頑張った!」とか、人気選手だろうが何だろうが、昔だったらメディアからでも投げかけられる言葉は違ってたよな。
13時間後 追記
前のエントリといいこのエントリといい、釣るつもりもなくただ単に思った事を書いただけでこのブクマ数とは。
河岸を変えれば釣果も変わるとは言うが、いやはやそれにしてもまあ。釣り神様でもついてるんかな?
ともあれ、絶対的評価では世界六位は確かに凄いけど、相対的評価ではそこいらを世界一位や二位や三位がメダル持ってうろうろしてるわけだし(選手村)、まったく凄くないわけだが。
素直にそれを認めようとしないメディアは、やっぱりあれかねえ。一種のドラマやストーリーというよりも、むしろ信仰を築き上げたいのかねえ。
仕事では信仰を守る側だから、オフでは信仰を破壊したくてたまらない。
というわけで釣り主でした。http://d.hatena.ne.jp/oramuda/20140218
Wall Street Journalの記事を読んで(正確にはタイトルを見た瞬間から)、首をかしげた。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304299204579282771952593860.html
[26日の安倍晋三首相の靖国神社参拝で、日韓関係が近い将来に改善するとの期待は消えた。靖国神社参拝は、日韓関係改善に行動を起こすのを断固として拒否してきた、韓国の朴槿恵大統領の姿勢を鮮明に正当化するものだ。]
日本語記事の翻訳に問題があるのかと思い、原文を探したところ下記のようだ。
http://blogs.wsj.com/korearealtime/2013/12/26/abe-provides-a-lifeline-for-president-park/
原文を読むと、どうやら日本語訳の問題ではなく、元々論理の飛躍で始まっているようである。
[Any hopes of South Korea-Japan relations improving in the foreseeable future were dashed by Japanese Prime Minister Shinzo Abe’s visit to the Yasukuni Shrine on Thursday. The visit clearly vindicates South Korean President Park Geun-hye’s refusal to take measures to improve Korea-Japan relations.]
どうでもいいですが、安倍さんはそのままAbeで、朴さんはPark表記になるんですね。
vindicateというのは私には見慣れない単語なのですが、"vindicate hoge"で"hogeの正当性を証明する"的な意味のようです。
原文と日本語版の各パラグラフ構成も同じ様なので、著者が偏向している方なのかしら?
と疑問を持ったので、少し調べてみる。
[(筆者のカール・フリートホーフ氏は、峨山政策研究院・世論調査研究センターのプログラムオフィサー兼マンスフィールド財団米韓ネクサス研究者)]
同様に、英語版記事では、
[The author is a Program Officer in the Public Opinion Studies Center at the Asan Institute for Policy Studies and a Mansfield Foundation U.S.-Korea Nexus Scholar. Views expressed here are his own.]
失礼ながら私は聞いたことが無い団体に所属されている方のようである。
Karl Friedhoff氏の名前でGoogle検索してみると、氏のアカウントと思われるTwitterアカウントが一番上に表示される。
当該アカウントのプロフィールも上記団体となっているので同氏のもので間違いないのであろう。
ちなみにプロフィールによると場所がSeoulと記されている。
英語に混じってハングルのTweetがTimelineに載っている。
ご尊顔を見る限りでは欧米系の方のようですが、在韓でお仕事されているようですね。
こちらもGoogle検索してみると、
asaninst.org
whoisで調べてみると、
Domain Name:ASANINST.ORG
Created On:15-Jan-2008 08:35:29 UTC
Sponsoring Registrar:Megazone Corp., dba HOSTING.KR (R1832-LROR)
Registrant Name:The Asan Institute
Registrant Organization:The Asan Institute
Registrant City:Seoul
Registrant State/Province:Jongno-gu
Registrant Country:KR
Admin Name:The Asan Institute
Admin Organization:The Asan Institute
Admin City:Seoul
Admin State/Province:Jongno-gu
Admin Country:KR
韓国は韓国に都合よく(程度の差はあれど、時として日本は日本に都合よく)物事を論評する傾向があると常々感じています。
元のWSJ記事を見て米国が韓国側に近いことを言い出したのか!?、と思いましたがどうやらそうではないと。
韓国の団体に所属する人間が、韓国目線で好き勝手に書いていますと。
WSJの英語版記事のコメントを見ると、韓国系と思われる名称のユーザによるAnti-Japanな書き込みが見られます。
また、実情を知らないと思われる一般人も日本Disに加担しているようです。
逆に日本人と思われる名称のユーザが日本の立場を書いていたりしますが、少数ですね。
アーリントン墓地に行くのは問題なくて、靖国神社の何が問題なのかと。
いわゆるA級戦犯とされた人々がまずいんでしょうか。
というか、そんなにコメント盛り上がってないようなので、そんなに注目されていない記事なのでしょう。
ちなみに私個人は、靖国参拝について他国から文句を言われる筋合いは無いと思っています。
ですが、そう思うと共に韓国人を敵視/蔑視しているわけでもありません。
むしろ、同僚として働いたことがある個々人としてはスキルフルで勤勉だったりでネガティブな印象は持っていません。
が、韓国政府やその主張を妄信している一部民衆の言動については辟易しています。
靖国についての韓国(或いは中国)からの批判で、唯一合理的で考慮したほうが良いかもしれないと思えるのはA級戦犯とされた人々の取り扱いについてだと思っています。
しかしA級=極悪人という単純な分類でも無いですし、恣意的に侵略を扇動した人間を識別することが可能であるのなら靖国から分祀するのは理にかなっていると思います。
私は理系の人間で、歴史は義務教育レベル故無知な面も多々ありますが、客観的なエビデンスベースで合理的な批判以外は耳を傾ける必要は無いと思っています。
中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろのメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』は星海社のウェブサイトで無期限全文公開されている(http://sai-zen-sen.jp/works/awards/logic-lock-festival/01/01.html)ので読んでみた。その結果『天帝のはしたなき果実』だけでなく、米澤穂信の諸作品との類似点が見られたので検証したい。ちなみに現時点で私は『天帝のはしたなき果実』を未読であるが、これから読んでみる予定である。
読書メーターに12月4日に投稿されたjinさんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/33836748)。
読んだ印象としては、米澤穂信が西尾維新になったつもりで古典部シリーズを書いたらこうなるんだろうなと思った文学部員が書いた同人誌と言った感じ。
読書メーターに12月11日に投稿された×(旧らっきーからー。)さんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/34001390)。
米澤穂信とかを目指した結果、残念ながらそこに至らず。そんな印象。
まず『ロジック・ロック・フェスティバル』の物語の流れを説明する。以下が『ロジック・ロック・フェスティバル』の章タイトルだ。
全部で23章で構成されている。『ロジック・ロック・フェスティバル』のメインとなる事件は文化祭開催期間中に起きた密室殺人事件だが、文化祭が始まるのは「9.そして、時は来たれり」からだ。ではそれ以前はというと小さな謎解きが2,3あるという構成になっている。具体的には「4. モバイル・コード」で携帯メールの暗号の謎解き、「6. 大脱出」で閉じ込められた蔵からの脱出、「7. 女バス班室写真消失事件 前編」「8. 女バス班室写真消失事件 前編」で写真盗難事件の謎解きが行われる。
次に米澤穂信のデビュー作『氷菓』の物語の流れを説明する。以下が『氷菓』の章タイトルだ。
この章タイトルだけではどんな物語かわからない。『氷菓』のメインの物語はヒロインである千反田えるの叔父、関谷純が関わったと思われる33年前の事件を解明することである。しかし、その謎がはっきりするのは「4. 事情ある古典部の末裔」からであり、「2. 伝統ある古典部の再生」では千反田えるが地学講義室に閉じ込められた謎解き、「3. 名誉ある古典部の活動」では、ある本が毎週借りられている「愛なき愛読者」の謎解きが行われる。
はじめに小さな謎解きがいくつかあり、中盤からメインの大きな謎解きになるという物語構成は特定の作家の専売特許ではない。であるが『ロジック・ロック・フェスティバル』と『氷菓』の物語構成が類似していると指摘するのは間違いではないだろう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」では、主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)の家をはじめて訪れるシーンが描かれる。これを『氷菓』の「6. 栄光ある古典部の昔日」で、主人公(折木奉太郎)がヒロイン(千反田える)の家をはじめて訪れるシーンと比較したい。
目に飛び込んできたのは圧巻の庭園だった。手入れの行き届いた生け垣。刈り込まれた木々。配置を整えられた岩。雨粒を受けてなお静謐を湛える池。その中を悠然と泳ぐ色とりどりの錦鯉。そしてそれらを統べるかのように鎮座する絵に描いたような日本家屋。その向こうには立派な蔵も見えた。
道なりに設置された飛び石を歩きながら息を呑む。家柄でここまで住む世界が違うものなのか。自身の境遇と比較すると、少しばかり悲しい気持ちになってしまう。
(中略)
唖然としているうちに僕は言われるがまま三和土で靴を脱ぎ、板張りの廊下を彼女に説明された通りに進んでいた。
広大な田圃の中に建つ千反田家は、なるほどお屋敷と呼ぶに相応しかった。日本家屋らしい平屋建てが、生垣に囲まれている。水音がするところを見ると庭には池があるらしいが、外からは綺麗に刈り込まれた松しか見えない。大きく開かれた門の前には、水打ちがしてあった。
(中略)
(中略)
石造りの三和土で靴を脱ぎ、千反田に先導されて板張りの廊下を進む。
太字で示したのが二つの作品で完全に一致した箇所である。いくつか単語が一致しているが、文節単位での剽窃は行われていない。単語の一致も同じ「日本家屋を初めて訪れたシーン」を描いたのだからあって当然だ。むしろ、庭園に入ってから周りを描写している『ロジック・ロック・フェスティバル』、生け垣の外から庭をうかがっている『氷菓』という点が大きく異なる。
そもそも、高校一年生のヒロインが日本家屋の豪邸に住んでいるという設定がめずらしいが、かといってこの設定が特定の作家の専売特許というわけでもない。
『氷菓』において、千反田えるが日本家屋の豪邸に住んでいるのは、千反田家が桁上がりの四名家といわれる名家だからだ。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、鋸りり子が日本家屋の豪邸に住んでいる理由は説明されない。家柄は明らかにされていないし、両親も学者だ。一般的な学者であれば豪邸を建てるほど高給とも思えない。シリーズ化されこれからの作品で明らかにされるのかもしれないが、現時点では主人公たちが閉じ込められる蔵を登場させるためぐらいしか物語的必然性がない。背景が説明されないので、どうしても取ってつけたような印象を受けてしまう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」で描かれる主人公とヒロインが閉じ込められるシーンは、〈古典部〉シリーズの4作目『遠回りする雛』に収録されている短編「あきましておめでとう」と類似点が多い。例えば、どちらも冒頭に閉じ込められている主人公の述懐を置き、時間を巻き戻す形でなぜ閉じ込められることになったのかを記述する形式をとっている。
あらすじはひとことでまとめると以下のようになる。
具体的に『ロジック・ロック・フェスティバル』では、
具体的に「あきましておめでとう」では、
となっている。
以下、『ロジック・ロック・フェスティバル』において主人公(中村あき)とヒロイン(鋸りり子)が小屋(蔵)に閉じ込められるシーンと、「あきましておめでとう」において主人公(折木奉太郎)とヒロイン(千反田える)が小屋(納屋)に閉じ込められるシーンを比較したい。
目が慣れてくると、そこは本当に本の山だった。本しかないといってもいいくらい。備え付けの本棚に、そこらに積まれたボール箱に、ぎっしりと詰められた本、本、本――今すぐ古本屋が何件だって始められそうだ。
りり子に案内され、その後ろに付いていく形で奥の方に歩いていく。中はそれほどの広さでもないようだったが、薄暗さと障害物のように設置された本棚のせいで、なんだか迷路に迷い込んだような眩暈感があった。
一応分類されているのだろうか。背表紙を見流す限りでは全く統一感がないような気がするぞ。
と、その時。
ぎぎぎ、と何か引きずるような音がして、室内の明度が明らかに落ちた。
なんだろう?
りり子も一度こっちに振り返り、異変があったことを確かめ合う。
そして二人同時に思い当たった。
扉が閉まったのだ。そんな当たり前の結論に到達するのにいやに時間がかかった。
慌てて扉の方に引き返す僕ら。見るとやはり扉はぴっちりと閉められていた。風やなんかであの重い扉が閉まるだろうか。疑問に思いながらも、とりあえず僕は扉に近づいて手を掛けてみる。
「……あれ?」
開かない。まさか。
がちゃがちゃがちゃがちゃ。
いやいや、冗談でしょ?
「鍵が……閉められてる……?」
強く揺さぶってみると扉はほんの薄くだけ開いた。その間からは無慈悲にも完全に閉じられた錠が覗けて。
闇の中に手を突き出し、摺り足で進んでいく。目が慣れればもう少しマシになるのだろうが、いまはこうしないと危ない。そろそろと奥に進み、手に酒粕が当たらないかと気をつけてみるが、どうも手ごたえがない。
「簡単なお使いかと思ったら、なんだか面倒なことになってきたな」
「あの、折木さん」
いつの間に近づいてていたのか、千反田が俺のすぐ後ろで名前を呼んだ。背後でアルミドアが風に吹かれて閉まってしまい、納屋の中はいっそう光が入らなくなった。
『遠回りする雛』角川文庫版、218~219頁
「おう、開いてるぞ」
そして、なにやら不吉な、がこんという音。
「え? いまのは……」
とピンと来ていない千反田。俺はすぐさまドアに、暗くてよくわからないので正確にはドアがあったと思しき場所に飛びついた。アルミのノブの、冷たい感触はすぐに探り当てられた。
しかし。
がたがたと揺れるだけのドア。オレは千反田を振り返る。千反田の輪郭もはっきりしないけれど、なぜか、心配そうに小首をかしげるやつの顔が見えたように思う。
「どうしました?」
どうせ見えないだろうけれど、肩をすくめてみせる。
「閉じ込められた」
『遠回りする雛』角川文庫版、221頁
まず、このドアが閉められている構造をもう一度考える。このドア自体には鍵はない。だから、強く押せば、ほんの少しだけ開く。それ以上開かないのは閂のためだ。
『遠回りする雛』角川文庫版、228頁
今度は先程と違い完全に一致する箇所ではなく、同じ事象を別の表現にしている箇所を太字にした(そもそも完全に一致する単語はほとんどない)。非常に似通ったシーンを描いているので、一致している箇所がいくつかあるが、文節単位での剽窃はおこなわれていない。
違和感があるとすれば『ロジック・ロック・フェスティバル』において、「扉はほんの薄くだけ開いた」という点だろう。「あきましておめでとう」では脱出が困難なことを示すために閂がどのようにかけられているか仔細に描写されており、「強く押せば、ほんの少しだけ開く」というのも話の流れから違和感がない。一方の『ロジック・ロック・フェスティバル』においては、どのような扉なのか、どのように錠がかけられているかは具体的に示されておらず、一般的な扉と錠であれば扉が薄く開き外の錠が覗けるというのはおかしい。
「あきましておめでとう」では、折木奉太郎が脱出するために様々な方法を試す。そこにはどうやって脱出するのかというハウダニットの愉しみがあるが、『ロジック・ロック・フェスティバル』では、早い段階で窓から脱出できることがわかっている。謎解きの興味はほとんどなく、むしろそれまで葉桜仮名先輩一筋だった主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)を女性として意識するシーンとして描かれている。
『ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部〉シリーズ両方を読んでいる私としては、影響は受けていると感じた。しかし、文章の剽窃など著作権法違反に問われるような箇所はないと判断していいだろう。他にも中学時代に探偵していたが、とあることをきっかけに探偵することをやめたという鋸りり子の設定が、〈小市民〉シリーズの小鳩常悟朗の設定と類似するなど気になるところがあるが、それはまたの機会に検証したい。
もともと体調わる子氏は、私がここで語っているように http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131209#bookmark-172528838
『身近な個人的体験を、みなが分かる普遍的な問題へと文章で昇華できる人』だと思っていた。
しかし11月になってから雲行きは怪しくなる。扇動的なインパクト重視の見出しが増え、
記事の内容も「で、結局なにが言いたい?」と首をかしげざるをえないようなものが増えた。
自身の偏見や思い込みを「何か」に変換することなく、ありのまま、そのままだだ漏らしているのである。
そのあまりの稚拙さに「これは釣りだ」「PV稼ぎだ」なる批判が噴出したが、私はそうは思わなかった。
私は少なくとも彼女が表出させているものに「悪意」感じ取ることはなかった。彼女は天然であり素なのである。
彼女がなぜそう変わってしまったのか。私は、彼女はサードブロガーの悪しき流れに飲み込まれて自分を失ってしまったのだろうと
考える。次に、サードブロガーとは何かを語る。
このブログの主「池田仮名」が10月頃にわけのわからないブログカースト論とブログ論を語り始めた。
彼のように、「はてなでの自分の立ち位置」と「ブログとは何か」を語りだすサードブロガーなる集団が突如現れ、はてなの中心となった。
彼らの醸し出す違和感は強烈であり、はてなユーザーの間でもたちまち話題となる。
サードとかフォースとか言ってる人たち
私としてはサードブロガーとはただの承認欲求ゾンビであり、ブログ材料が承認欲求以外に無いので、すぐブログ論や仲間内の楽屋話に
持って行かざるをえない、「ほんとはブログを書く必要の無い人」たちだと思っている。
ブログとは必要に駆られて書くものだ。何気ない数行のブログでも、誰にも見られていないブログでも、それが必要に駆られて書かれたもの、
自身の心のコップから溢れ出たものなら、その文章には価値がある。私はそういう生きたブログを読みたい。
サードだのなんだのと自分を規定してわけのわからない小手先の技術論、「これだけPV稼ぎました!」「ブログを書き続けるコツ」
そういうものを書くのは彼らの自由だが、間違ってもはてなの世界の中心に居てはいけない。
泡沫ブログ
サードブロガーの所業を見て、「ブログって、文章を書くって、そういうことだっけ?」とはてなユーザーたちも疑問を持ち始める。
自殺宣言をしたりはてなブログにふざけんじゃねぇとか言ったり、ブックマークコメントに全部返信したいとか、まぁ文章を読んでもわかるが
サードブロガーの中でも承認欲求が一番強いと思われる。とても人懐っこい。
この人はもしかしたらまつたけより酷いというか、「自分」を前面に押し出してる割には
ショッカーさん自身の「人間性」が全く見えてこず、そこらのまとめサイトとクオリティが全然変わらない。
彼らに共通するのは、
・「成り上がりたい」のが見え見えということ(自意識だだ漏れ)
・「文章を書けてない」ということ。
まつたけやショッカーの文章力は特に酷い。あれは文章ではなくお喋りである。匿名ダイアリーの方がきちんと文章を書けている。
私はときおりコンビニ店長が恋しくなる。彼に対する好悪はともかくとして、彼はきちんと文章を書けていた。
また彼の「書かざるをえない」情熱も伝わってきたし(晩節はそうでもなかったけど)、コンビニから世界を眺めるあの視点は我々にとってとても楽しかった。
ああいう貴重なブログ読み体験を我々はできなくなってきている。
続き→http://anond.hatelabo.jp/20131210194845
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131225120055
この部分だけで青二才がわれわれ人類とはまったく別のルールにのっとって生きていることがよくわかる。
青二才の世界には「言い負かせる(言い負かせたと思い込める)雑魚」と「言い負かせない(青二才から見て)天才(に見える人)」がいるだけ。
自分という真実の基準があって、乗り越えられない相手を空前絶後で最強最後の天才扱いしていれば永久に自尊心を保つことができる。
かって私らはある膝したから足の指までが動かなくなった男性の歩行補助を
頻繁に手伝っていた 仕事ではない 当然の事として
なると信じて杖を支えとして一人でそこら辺を歩きまわろうとして
明らかに降れない段差にもチャレンジして頻繁に
転倒することを繰り返していた
転倒の度に大人3人がかりで助け起こすのだが
食欲旺盛なので助け起こす側はたまらなかった
周りに歩行補助してもらえるのが当たり前だと思っていた
一人で助け起こせない時は、近くの人を呼んだり、周りに手伝えそうな体力を持った
そんなことがずっと続いて疲れていた 家の人は周りから
また一人で歩こうとして転んで助けてもらったと聞くたび
気が疲れた 長年に渡る介護で疲弊していた 男性の態度や振る舞いに迷惑してた
入口をバリアフリー化しても、一人の時に目を離したら別の段差の高い場所に
チャレンジされてはどうにもならない 一人では助け起こせない無理
男性が別の病気で亡くなった時に、家族は介護から解放され家族を失う悲しみと共に
ホッともした その手助けの時間分自分のしなければならない事に削く時間が
かなり削られていたから 綺麗事を信じて他人に押し付ける人の陰では支えている人達の
辛さなど軽視されがち 男性は最期まで自分は再びどこにでも行けるようになると
信じていた
そんなことを思い出すのも真夜中だからだろうか
それと大抵の人がネットで成長する過程で抱える黒歴史(あんな事言っちゃった書いちゃったという後悔)が
成長を見守られず批判も適度に切り上げられず、大衆が他人を見下すネットコンテンツとして
頻繁に消費されるようになってしまったのはいつからだっただろうかはてなと首をかしげる
紅茶にマドレーヌならぬ、コーンスープに麩みたいな棒状の駄菓子を浸して
かじれば失われたヲチを銀の鍵の門を越えて再び取り戻すことができるのだろうか
甦った悲しみを封じる為にこの日記記事をあえて記し