はてなキーワード: 追従とは
日本が、中国に侵略されると思っている人は早く共産党に入党した方が良い。
だって、中国に支配されるんだから。今から共産党に入っていれば有利なことしかないじゃない。
将来の支配者階級になれる道だ。今ならライバルもいないだろう。
保険をかけたいなら、家族の誰かを自民党に入れておけば万全だ。中国でもアメリカでも、どちらが勝っても、一家の誰かは支配者にすり寄れる。
これからの日本は、寄らば大樹の陰。中国でもアメリカでもロシアでも、今、一番強い国にすり寄りおもねって、ひたすら生き残ることだけ考える。
そんな日本国民は、若い頃から、太鼓持ちとしての性根を骨の髄まで磨き抜くべし。独立の気概など捨ててしまえ。
それが、日本の生きる道。
唯一の教育勅語。
毎度毎度、バージョンアップで非互換な修正加えてコードの修正が必要になって、Gemも上がって依存が壊れて
いつまでやってんだよw
Railsのプロジェクトでどれだけの人が最新版に追従できてんだよ?テストを書いてれば余裕?
本当かよ?正直に言ってみろよ?実際はレガシーRailsの山だろw
ヘルパーやらマイグレーションの仕組みやら最初は良いかなと思ったけど、どう考えてもやり過ぎだ
短くかけるとか喜んでるやつは一度考え直せ
それで良いんだって?自分がコントロールできない知らないコードに依存して結局バージョンアップで地獄みてるだろw
最低限中で何が起きてるか理解しとけよwまあ理解できるころにはRailsでなくても良かったんやwってなるけどなw
RAILS_ENV=productionだとstaticファイルは自分で返さないassetコンパイルで小さくしましょう
→ developmentで動いてたけど本番だと動きませんでしたw
毎度毎度、アホみたいにGem入れやがって、もう自分で把握できる状態じゃねーだろ?
bundlerだから完璧にvendoring出来ますだって?
本当かよnaitive extensionのGemなんてどう考えたってRails管理外のヘッダファイルに依存すんだろ
めんどくせーなbundlerもこけるし、rbenv使ってrubyのバージョン揃えろとか
ホントめどくせーよ
deployもcapistrano便利とか言ってるけれど、そんなに便利じゃねーよw
あんなDSL覚える時間あんならシェルスクリプト書けるようになっとけ
rackサーバがたくさんあってよかったねじゃねーよ集約しろ馬鹿w
unicorn, pumaで比較しましたとかアホ記事書いてる暇あるなら集約するかなにかしとけ
この手の話すると信者が使わない方法もある・選択しない方法もあるとか擁護してくるけど
そりゃあるけどそれ調べんのがめんどくせーって言ってんだよw
何でもかんでもレールに乗せてそれを強要してくるような感じがすんだよw
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
親子丼は卵と鶏肉を使っているので親子丼ということなのだが、その卵と鶏が親子関係かは真偽不明である。
その親子丼となった鶏肉と卵は、親子ではないが親子としてドラマを紡いだのではないだろうか。
私が読んだとあるグルメ漫画では、「真の親子丼」として本当に親子関係の鶏肉と卵を使った料理が出てきていたが、私から言わせれば全ての親子丼は親子である。
仮にそれら親子丼を、他人丼と呼ぶとすると、「そもそも人じゃねえよ」ってなるしな。
私が読んだとあるグルメ漫画では、「新の他人丼」として他人の人肉と卵管を使うという料理が出てきていたが、私から言わせれば全ての親子は他人である。
エントリーカードはユーザーカードが自分の場に出ているときしか出せない。
ここまでは君も理解できているようだな。
じゃあ、ユーザーカードとエントリーカードに書かれている属性の欄を見ろ。
例えばア属性のついたユーザーカードが場に出ていて、この状態で漫属性のエントリーカードを出したいとする。
この場合は出すことができない。
つまり、場に出ているユーザーカードと同じ属性のエントリーカードしか出せないということだな。
もし漫属性のエントリーカードを出したいなら、追加でユーザーカードを場に出すか、ユーザーカードの属性を変えるトラックカードや新たに属性を付与するトラックカードをバックヤードから取り出す必要がある。
ユーザーカードの中には複数の属性を持つものもあるが、色々と制約があったリスクが高かったりするので初心者にはむしろ使いにくいな。
上級者は複数の属性を使いこなすことも可能だが、ひとまず初心者は属性を統一させたデッキレシピを採用した方がいいだろう。
炎属性に追従系カードを出張させたのか、デ属性をまとめたものが現環境のトップだが、私としては匿名統一テーマも環境に刺さっていると思うぞ。
ノエル 「ワグナス! はてな村は我らのブログを互助会と認定したぞ!」
ワグナス 「…ダンターグめ! あんなランキング記事を書いて見せるなど!」
ノエル 「…奴を責めることはできまい マンガやアニメなら雑な内容でもウケがいいと言ったのは俺たちだ」
ワグナス 「ボクオーン」
ボクオーン 「ホッテントリの記事しか読まない連中が馴れ合いでブクマする行為を認められるものか」
ノエル 「では我々にSNS目的でブクマするのをやめ キュレーションに協力しろと言うのか!」
ボクオーン 「そうじゃ それがはてな村の言う『正しいはてブ』の使い方だ」
ワグナス 「自らはブコメのためだけに 所かまわずブクマしておいてか」
ロックブーケ 「ノエルお兄様! あのブログがまた炎上ネタを持ってきたわ!!」
ノエル 「よし!」
ボクオーン 「行くのか?」
今回は俺の行きつけの喫茶店の話をしよう。
いわゆるブックカフェというやつで、色々な本が置かれていて棚が非常に多く、ちょっとした図書館レベルである。
俺はコーヒーの味はコーヒーだとしか感じないので、ここのコーヒーが特別美味いかどうかは分からないが、本が大好きだというマスターの拘りは窺える。
このため読書を目的にして利用する客も多く、店内の飲食とは別に時間制限による料金支払いが発生するシステムを採用している。
そして、常連客向けに最近はじめたのがボトルキープならぬ、栞を挟むことによるブックキープ。
といっても同じ本をそんなにたくさん用意できるわけもなく、一つの本にやたらと栞が張り付いているなんていう異様なこともここでは珍しくない。
そんなことをやっていると、客の中には栞のデザインをこだわったり、栞に本の感想を書いたりして個性を出し、ちょっとした自己顕示欲を満たそうとする者が出始めたのである。
すると、小規模な交流が栞を通じて始まった。
本に挟まれた栞には各々の感想が書き込まれ、しかも別の人の栞にシールを貼ることで追従したりなどといった独特な文化が店内で出来上がったのだ。
一見すると店も盛況でよいことばかりかと思いきや、予想外の問題が発生し始めた。
「なんだか、栞のある本に随分と偏りが出てきている気がする」
どうやらセンセーショナルなテーマだったり、感想を書きやすい内容の本ばかりに栞が挟まれているようだ。
ずっと挟まれたままで読まれた形跡がない本なんてものもあった。
だが、これに対する多くの客の反応は冷ややかであった。
「なんだよ。こちとら栞に感想書くために来てるのに、書けないんだったら意味ないじゃん」
「おいおい、栞のために本があるわけじゃないだろ。本の価値を重んじているなら、冗談でもそんなことは言えないはずだ」
「いいさ、マスダ。もともと栞サービスを始めたのは私だ」
声は穏かであったが、その表情は曇っているように見えた。
「でも、なんというか、俺のボキャブラリでは上手く言えないけど……不健全だ。本ありきの栞なのに、みんな栞に何を書こうかばかりに頭がいっていて、肝心の本はどうでもいいと思っているみたいで」
「本そのものに価値があるように、栞そのものにも価値があるってことだ。もちろん両立してくれるなら嬉しいのだが、一介の店主ごときがとやかく客に是非を問えないのさ。店は客を選ばない」
こうして店には、以前のような落ち着いた雰囲気が戻った。
俺としては心穏かにすごせて内心喜ばしかったが、店主はどこか儚げであった。
儲からないから、というのもあるとは思うが、それよりももっと大事な何かを失ったような、そんな儚さを感じた。
本のために栞はあるものだが、今や栞のために本があっても不思議ではないのかもしれない。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
バルブ……開発業者が3以上の数字を数えることが出来れば或いは。
いい質問だ。
答えはYESでもありNOでもある。
楽だから尚更だな。
つまり優れた作品は追従や迎合をするのではなく、追従や迎合へ導くものだ。
要は「非公式ネタで楽しまれていたものを公式がやると白けるの法則」という奴だ。
勝手に弄んでおきながら随分と身勝手な法則だと思うが、感受性とは自分本位なものさ。
森へお帰り。
もしいるのなら、その仲間と君を比べてみるといい。
ストーリーでの活躍、強さ、見た目、君がその仲間に優れている部分がどれだけある?
早期に加入したからといって、そこに胡坐をかいていては……はあ? 君は物語終盤に仲間になったのか?
育てる見返りすら少ないじゃないか。
なぜ仲間になった。
本来、三大命題の二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。
この論考は以下のURLにたいする一人の若者からの反論である。
https://togetter.com/li/1080097
以上の新聞記事で、上野女史は「経済を犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。
この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。
上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。
この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。
そもそも、戦後日本の社会体制は1940年代の「総力戦」体制を「経済最優先」の形として再編したものである。
扶養控除、源泉徴収、終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。
1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動、市民運動、社会不安が吹き荒れていた。
70~90年代にかけては、家庭や企業に社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。
これが少年非行やいじめ、過労死などの狂気的な状況を引き起こした。
戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたかな社会」である。
まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである。
しかも、「ゆたかな社会」は90年代~2011年にかけて完全に崩壊した。
最後に、原発事故とともに社会の安全神話が吹き飛んでしまった。
この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である。
それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的」である。
企業におけるセーフティーネットが「生産性や自己実現の神話」の名のもとに縮小され、
政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、
監視カメラやSNSの監視なしに、人々は安心して生きることができない。
不誠実な脳科学や認知神経科学、AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、
人々は常に失職と人間的尊厳の消失を心配するようになっている。
そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。
このように、後期近代社会とは
当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間を永遠の虚無へと投げ出すのである。
このような状況では、人々は二つのレベルの不安を抱えることになる。
である。
人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。
一方、ただ一日中、パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。
「不当な地位にいる!」
「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」
という相対的剥奪感を抱かせる。
また、後期近代の社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。
軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者に追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。
そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。
二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論的不安を抱かせる。
そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。
「私はこうなれたのに……」
「私もこうしたかった……」
ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情が現代の社会不安の核心にあるように思う。
上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である。
この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである。
――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。
このような後期近代のグロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。
彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺の理論を主張した。
今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。
加藤智大、植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。
そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆の不可能性を解き、
後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっとも積極的な「支援行為」なのだ。
防ぎようのない「天災」によって、
この瞬間を心の底から待ち望む。
109が崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町のサーバーがダウンし
白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき、
そのときに来るのが、
東のいう変質したファシズムなのか
知ったことではない。
相対的剥奪感や存在論的不安に晒されることなく嗤いたいのである。
そして、私は嗤いながら確信する。
元増田です。
僕の気持ちとしては、ブクマカの人と過度に馴れ合って有益でない記事をホッテントリ入りさせようとか、ブクマカの人のブログも同じようにお追従ブクマするとか、そういうことはしていないので互助会ではないと思っていたのですが、
気持ちはともかく、結果は、有益でない記事がトップページに出る不快感を味あわせていて、互助会と同じなんですね。
そういう意識が欠けていました、今後は気持ちの有無だけじゃなくて、結果も意識したいと思います。
とは言っても、セルクマはしてないので、なかなか僕個人で記事をホッテントリに載せる載せないをコントロールすることができないのが、もどかしいですね。
それと、
この指摘も、ごもっともですね。
ゲーム日記を始めた当初に、このタイトル…… いや、タイトルという考えすらなく、本当になんとなく
「へー、増田もカテゴリつけられるんだ、じゃあHaloのプレイ日記書いて後から見返せられるようにつけとこ」となんとなくつけた目印だったので、
なんだか、今思うと非常にいびつなカテゴリの使い方をしてしまっている気がします。
内容も、食事とその日の調子と題した雑談の二つがメインで、ゲームはログボのみって書いてるだけの日とかかなりの頻度でありますしね。
一時期は、完全に闘病日記でしたしね、ログボすらとってなかったし。
別のトラバでも指摘があったように、彼女とのデートの様子を事細かに書くのは、よくないと思ったので、今後はそういうことはやめておきますね。
ただ、ゲームを遊ぶ上で自分がそのときに考えていた気持ちとか、そのとき置かれていた境遇とかが、後から読み返したときにわかるように、
自分がどう感じたとか、どう楽しかったかとか、そういう気持ちだけはなるべく短くするので、書かせてもらえるると嬉しいです。
ゲーム日記をこれからも増田で書いていきたいと強く思っているので
「知らん! これからもずっと俺は俺の書きたいようにしか書かない!」と開き直る気は一切ですが、
コメディアンの真価が試されるのは、悲しい時、別れの時である。
近年、日本で多くの災害が発生していて、その復興を願うのは当然のことであるが、ひたすら悲しみを強調するようなメディアに追従するコメディアンや芸人はいったい何なのだろうか?
もちろん、悲しみは悲しみとして厳然として存在し、消すことはできない。しかし悲しみだけでは生きてはいけない。
コメディアンや芸人の仕事というものは、そうした時にこそ必要とされるものではないのか。人々が厳しい状況に置かれ、悲しみでどうしようもなくなった時にこそ、コメディアンの笑いは必要とされるのだ。
「(遺影を指して)故人はこんなに笑顔なんだから、みなさんが泣いていちゃ故人も笑いにくい。葬式で一人だけ笑っていたんじゃ居心地悪いんで、みなさんも笑ってください」といったユーモアをさらりと言ってのける。
「なにそれ?」
「我もよくは知らないが、一昔前にとある宗教団体がサソリをばらまくっていう事件があったらしい」
「なんでそんなことを?」
「まあ、そんなところだろう。当時の批評家は開放を求めていたと分析しているらしいが」
「開放?」
「終わらない日常の破壊だの、見えない未来への道しるべだの……我も自力で調べてみたことがあるんだが、頭が痛くなるだけだ」
本当は説明しようと思えばできたのかもしれないが、既にこの時点でシロクロは話を聞くフリすらやめており、ウサクは興が削がれつつあった。
「まあ、その批評家によると年代ごとに漠然とした不安があって、そういった不安に応える側面が宗教にはあるんだとよ」
「恐らくはそうなんだろう。だが、それは今のところ読み取れない。目的がみえないから、余計に胡散臭いと感じるんだろう」
その時、ピピピッと音が近くから聞こえて、一同は慄いた。
妙な緊張感が漂う。
が、ウサクの持っていたスマホの着信音だったことにすぐに気づき、弟たちからため息が漏れた。
ウサクは電話に出ると取り留めのない会話を始め、数十秒ほどすると電話を切った。
どうやら今この場所が“アレ”だから、友人との待ち合わせ場所を変更する、という話をしていたらしい。
「じゃあ、我はこれで失礼する」
「ね、ねえ。結局あの『生活教』は、何かヤバいことを起こしたりするの?」
「さあな。俺はただ過去の事例を話しただけだ。何も起こらないかもしれない。起こったところで大したことがない、我らには関係のないことかもしれない」
弟たちの「生活教」に対するモヤモヤは言語化できないままでありながら、ウサクとの会話でより疑念が強まる一方であった。
既に弟たちの中で「生活教」は、何かとんでもないことをしでかす前提になっていたのだ。
「ウサクの兄ちゃんは、サソリばらまき事件があったっていってたけど、『生活教』の奴らは何をばらまくつもりなんだろう」
「私、気づいたんだけど、野菜、野菜よ。さっき野菜の話をあいつらしてた」
荒唐無稽な会話だったが、弟たちの頭脳であるミミセンまでも思考を巡らせていた。
「なるほど……ほら、いま野菜って値上がりしてるじゃないか。もし、それをばら撒いて市場の野菜を減らしたら……」
「そうか! 野菜は更に値上がりする!」
奇妙な話だったが、その時のミミセンの考察にマスダたちは悪魔的発想だと慄いた。
普段、冷静に物事を考える彼までが追従してしまうと、もはや論理も常識も仲間たちにはなくなるのだ。
「でも、野菜を値上がりさせてどうする?」
「私、テレビで見たんだけど、動物園の野菜消費量ってすごいらしいの。もし、野菜が減ることで人間に行き渡らなくなったら……」
「つまり、あの『生活教』の真の目的は、理性の人間と、野生の動物の選別。いや、人間以外の生態系の選別なんだ!」
たどり着いた結論に、一同は自ら驚きを隠せなかった。
そして、そのような結論を導き出した以上、彼らが次にやることも決まっていた。
みんなの思いはほぼ同じだったが、その口火を切ったのはリーダー的存在である弟であった。
http://anond.hatelabo.jp/20170120183237
について少し書き足しておく。
これが互助会ブクマだと私が思っているのは、ブクマコメントをブログやSNSのコメント欄と同じ使い方をしているからだ。つまりブログ主との距離感の問題なのだ。
そんなにお追従したいならブログに直接コメントすればいいのに、それをしない。まあしないのにはしないで理由があるんだろう。はてブのアプリが使いやすいからブログに直接書くより書きやすいとか、あとで自分のコメントを一括で読み返したいとか。
ただ、ブクマコメントで挨拶しかしないのは非常にもったいない、といいたい。そこは公開のコメント欄であり、一括非表示にしない限りブログ主にも触れない場所なのだから。そんなところでお追従するのは本当にもったいない。
そう言ったところで互助会ブクマする人はいなくならないのだとは思う。それは許されてはいる。だから自分も非表示にした上で非表示したidをここで晒すだけだ。
「ん? なんだこれは」
ウサクが気になって案内人に尋ねると、俺たちの考えているものとは違う意図で話を展開させてくる。
「最近は錠剤タイプが人気なくなっているんですよね。やっぱり吸ったり注入したりしたほうが実感湧きやすいのか」
「貧困さ。貧困が原因だよ。相関関係だとか因果だとかは知らないけれども、きっと貧困が全ての元凶なんだ」
要領は得ないが、どうやらこれは薬品らしい。
気になってそのパッケージを手に取り、裏面に書かれた成分を確認する。
まさかと思い、近くに並んでいた他のパッケージも調べてみると、ほとんどが危険な麻薬だった。
なんでこんなものが、こんな大通りの雑貨屋に堂々と売っているんだ。
ウサクがぼそりとつぶやく。
それに対する案内人の答えは予想の範疇ではありつつも、俺たちはそれでも驚愕せざるをえなかった。
「ええ、合法です。というより、『合法』と表現するのも変な話だけれども」
「ああ、でも推奨はしていません。それでも買うなら自由ですが」
「ちょっと待て。推奨していないのに、なぜそんなものを売る?」
戸惑いを隠せない表情で質問をするウサクに対して、案内人は屈託のない表情で答えた。
その店を出て、その後も宿までの道中にある店を回ってみたが、当たり前のように麻薬が出回っていた。
その国には、その国のルールがあるとはいえ、俺たちはどうしても訝しい気持ちがくすぶっていた。
それが一番最初に爆発したのは、やはりというかウサクだった。
案内人の人はまるで言われ慣れているかのように、やれやれと言った反応をする。
Googleの「マンガ おすすめ」が、はてなブログに制圧されているという記事を見た。
http://cards.hateblo.jp/entry/google-mangaosusume-rankingsugoi/
一瞬見て、とっくに知られてるマンガばっかり挙げてるような記事だったら、即バックで二度と見ない。
ただそれだけのことだ。
あいつらは優秀だからそのうち何とかして、クソ記事はどうせ淘汰される。
それよりも俺が許せないのは、何度も言われているがはてブが汚染されることだ。
身内だけでブクマし合うはてなブロガーたちによって、俺がこれまで使ってきたはてブが汚染されるのが、やっぱり許せない。
Googleと違ってはてなの運営は期待できないから、やっぱり誰かが声を挙げる必要がある。
この前、「マンガ おすすめ」でヒットしそうなタイトルの記事が、ホッテントリに挙がってきた。
また検索で引っかかるゴミが増えるのかと思ったが、想定していたよりはマシだった。
オッサンだから、ラブコメ漫画なんてラブひなくらいしか読んでないが、まあまあ読める内容だった。
……何かがおかしい。
ふつふつと、怒りが湧く。
一番最初に挙げた記事で、ホッテントリ入りしたような記事のブコメにいる、最初の方にうじゃうじゃとお追従ブコメしている連中。
「マンガ おすすめ」検索で上位に来る記事のブコメにいた連中は、やっぱり現れなかった。
許せないのは、それ以外の記事に対して、あいつらがブクマしないことだ。
そのジャンルに興味があるなら、普通これもブクマするだろと思うような記事でも、身内じゃないとしない。
だから、はてブが汚染されて、ホッテントリがはてなブログだらけになるんだよ。
あいつらは、はてなブックマークというサービスの恩恵だけを受けている。
他にそれを還元しようとしていない。
本来全てのブロガー・サイト運営者に与えられる機会や恩恵を、奪っていると言ってもいい。
はてブをメディアとして使っている俺からすれば、今はノイズだらけだ。たまにノイズが入る、そんなレベルじゃない。
身内同士でブクマし合っていても、同じジャンルの他の記事に対してもブクマするならば、最終的に本当に良い記事がはてブには残るはずだ。
現状がそうではないから、俺は許せない。
利用者がサービスの理念を考慮するのも少しおかしいが、はてなブックマークの3つの特徴の1つ、「共有」の項目を抜粋する。
共有
このページを読んだ人の感想が見たい
ブックマークを公開して、多くの人と感想をシェアできます。このページはぜひ他の人にも見て欲しい、そう思ったらどんどんブックマークしましょう。感想を書いておけば、だれかの目に触れるはずです。はてなブックマークは、インターネットのあらゆるページを介して人と繋がるソーシャルネットワークです。
はてなブロガーたちが、身内の記事を互いに山ほどブクマしてようがどーでもいい。
それをすれば、俺は許す。俺は。
今時の作り手に向けた「サービス終了したら遊べなくなるゲームしか作ってないと心が折れる」との言葉が重い - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/1057514
みそじ手前の元ソシャゲ畑で働いていた者です。
この記事を読んで、うなづくしかできなかったので思いの丈を増田に。
色んなコメントがついているけど、「他の生産系と一緒」系のコメントを見るともにょる。
「いつか」がどこかにないと心折れると思うんですけど、
実質、今、ここからスーファミのようなゲームを作れないかもと思うことが多く、すごく悩んでる。
どういう事かと言うと、
コンシューマーゲームが主流だったころは、リリースまで今ほど口出されることが少なかったと思う。
でも今は、運営の中で完成(?)させていく、アプデありきスタイルが主流になっているけど、
こうなると、完成の前にお客さんの反応(お金の羽振り)がわかる。
そうなると、経営者が「こうしろ!」って口出してくる。強制してくる。
全てはお金のすべりが決める。
こういう構造の下では、
僕はスーファミのような、1本1本丁寧に作られたゲームを作りたかったんだ。
作り手の温度がわかるような。思いや情熱が伝わってくるような。
元動画 → http://channelawesome.com/when-are-critics-wrong/
日本語訳 → http://www.nicovideo.jp/watch/sm29650666
自身も批評家である“Nostalgia Critic”ことダグ・ウォーカー氏が、批評家を独自に分析。
前半は批評家と一般人の映画の観方の違い、一枚岩ではないことなどを、いくつかの作品を例に出しながら語っていく。
恐らく重要なメッセージは「良き批評家は、より良いコミュニケーションを追従するのではなく、意見を分かちあう道を示す」という部分だと思う。
だってユーザーができないこと(不可能)を実現して金を請求するのがプロでしょ?
素人でもできる範囲で何かやられても、魅力を感じないし金出すわけねーだろ。そんなもんは同人で十分。
それなのにあれこれ理由付けて無理だからできないって、何のためのプロなの?
そもそも生きる上で必ずしも必要のないことを仕事にしている業界のプロが不可能だからの一言で諦めて何がしたいの?
じゃあ今実現してて昔は不可能だった技術とかどうやってできたんだよ、月の使者でもやってきたのか。
本当に幼稚で馬鹿で金のことを分かってなさすぎて悲しい。
いかにも40代にもなってまともにサラリーマンしたことない知ったか小僧おデブちゃんがしたり顔で言いそうなセリフ。
「俺は分かってるんだぜ フフフ」感がすごい。
中学生のころいつも一人で飯を食ってた後ろの席のデブの弁当箱に入ってたたくあんの臭いがしてくる。くせえ。
あのなあ、誰もできないことをやってやってるから金を請求できるんだよ。
俺が時間かけたらできるようなことしてるやつらに何で高額出さなきゃなんねえんだよ。
俺が時間かけてもできないことしてるなら金出すけど、何の努力も希少価値もないのに金出すわけねえだろボケが。
そもそも、このセリフで言ってる問題で本当に技術的に不可能なやつはほとんどない。
要は、軌道に乗った後はなるべく開発費下げて利益率高めに維持していきたいって魂胆なだけ。
そんな見え見えのスケベ心丸出しに気づかない馬鹿だけしか残らないようになって先細りのドリルチンコ。
目先の利益率を追求してビッグサービス定着のチャンスを毎回逃してる。
本当に馬鹿だと思う。
だから新規開拓したのに後から追従する競合になぜか奪われてしまうんだよ。
なぜかって理由は分かり切ってるけど。
これでブランドの信者も特に文句言わずに毎回「S社は馬鹿だな!(賞賛)」みたいな持ち上げ方してる。
お前らのその批判されても俺っちたちにとっては平気だぜ?みたいな態度が一番どうにもならない処方箋のない狂信的な振る舞いなのに客観視できてない。こわい。
今回は少年ジャンプ+
けっこう楽しく読めた。
開幕の脚だけもってくるっていうツカミ、これまで何度か描写された悪魔だけれども乗せられやすいというお約束、そこから謙遜でも何でもなかった魔力の低さという予定調和からの、魔力が尽きてめちゃくちゃ小さくなる場面とかね。
なんかすごく「分かってる」構成と、その上でアクを出すためのネタ選びもよろしい。
それにしても、魔力を得る方法が栄養ドリンクでも代用できるっていうのもアレだが、メムメムの魔力総量が栄養ドリンク一滴分ってのは笑えると共に悲しくなってくるな。
なんか、「実はすごい潜在能力が」ということもなく、そこらへんは割とシビアなんだね。
読者に好感もたれるかは何ともいえない人格なんだけれども、割とうまいことやっている気がする。
うへぇ、そこまでするのか。
なんか、こう、面白い面白くないというより、「面倒くさい」展開。
おー、ブレイズ魅せるじゃん。
それに、炎とか爆発とかってやっぱり映えるから、メタ的にみても盛り上がる。
ブレイズは悪党目指しているわけだから当たり前っちゃ当たり前なんだが、セリフからくる負けフラグがすごい。
まあ、最終的に勝てないんだろうけれども、ちゃんと健闘しているってのが描写されて満足。
落書きって、やることが幼稚通り越してんなあ。
なぜか、そこでコレクト5が不甲斐ないみたいな話になるのは意味が分からん。
まあ、そこで音が昂然とした態度で掃除して、それに周りが追従するのは面白くはあったけれども。
それにしても、愛莉は丸くなったなあ。
いわゆるExcel方眼紙でシステムの設計書を書いているのだが、これがどうにも上手くいかない。
問題は色々あるが、大きく分けて「必要な情報が見えにくい」「変化に追従するのが大変」に集約される。
そのメソッドを記述するのに必要な、他の設計書や仕様書を見つけにくい。
例えば、他の設計書(1ファイルで1クラス)に書かれているメソッド名や引数が合っていなくても、すぐに発見しづらい。
また、入出力情報が書かれたインターフェース仕様書を探しにくいなどなど。
そもそもどうユースケースを読んで、設計が必要なクラスを抽出するかもよくわからないし。
次に「変化に追従するのが大変」について。
上述の状態で設計書を書いた結果、製造するプログラマから「こんなんじゃ実装できない」と突っ返されて修正するパターンが多い。
更に要件定義レベルでの見落としによる手直しも、結構な頻度で起きる。
いずれもExcelファイル1個に留まらない、影響範囲の大きい修正になるケースが殆ど。
そんなことが相次いで発生した結果、修正対象の抽出・修正・確認作業で作業量が膨大化し、全く対応できない。
「1個ずつ解決していけばいずれ必ず終わる」を合言葉に、気合と努力と根性でやってきたけど、なんでこうも先が見えないのか意味がわからない。