はてなキーワード: 賢明とは
「モンスター娘のお医者さん」第8話で人を踏みつぶせそうなサイズの巨女が登場していたので、詳しく見て考えてみよう。
具体的にサイズを比較できるシーンが少ないけれど頑張って探してみよう。櫓の上から巨女の喉を先生が診察する12分ごろのシーンでは人間の先生と巨女の顔が対比できる。おおよそ先生の身長の3倍が巨女の顔といったところだろうか。この数字を根拠にして身体の大きさを推定してみよう。日本人女性の平均身長159cmを平均的な顔の長さ21.8cmで割ると7.27等身になる。顔のサイズの推定値は先生3つ分、つまり青年男子の平均身長170cmの3倍で510cmだから、巨女の身長は510cm × 7.27でなんと37.0mということがわかった。
巨女の身長37.0mの実感を掴むために、いろいろなものと比較してみよう。まず奈良の大仏は座っていて座高で15.0m、立った場合の推定身長は27.8mと巨女(身長37.0m)の圧勝である。お台場のユニコーンガンダム(20m)と比較しても大きさが際立つ。流石に牛久大仏は身長100mとのことなので、牛久大仏の横では巨女も子供のように小さく見えるはず。
体重も推定してみよう。青年女性の平均体重49.5kgと巨女身長が平均女性の23.3倍というデータを使うと、なんと624tにもなる。25メートルプールに入る水が約500tほどなので、さながら歩くプールといったマッシブさである。もし巨女が1mジャンプした場合、地面に与えるエネルギーは6.12MJになり、TNT換算で1.46kgだそうだ。地震のマグニチュードで1.32に相当し、ペルー隕石落下時の地震に相当するので、巨女が歩くと地震が起きるのも納得である。ちなみに造船所には600tの重量に対応したクレーンがあるらしいので、現代技術をもってすれば巨女も怖くないはず。
アニメの中で巨女は風邪気味のまま10年を過ごしたという、それほどまでに時の流れは我々と違うのだろうか、検証してみよう。有名な「ゾウの時間 ネズミの時間-サイズの生物学」によると、動物の寿命は体重の1/4乗に比例しているとされている。この原理を適用し巨女の体重を使って計算すると、巨女の寿命は人間の10.6倍ということになる。日本の平均寿命84歳を踏まえると、巨女は800年以上生きることになる。単純に考えて人間換算で1年風邪気味というのは、危険な感じがするので何か考慮できていないポイントがあるのかもしれない。巨女は奥が深い。
劇中でのクライマックスは間違いなく先生が巨女の胸の谷間に落ちていくシーンだと思うのだけれど、果たして巨女の胸はやわらかいのかどうか、それが視聴者最大の関心事ではないだろうか。ある測定によると人間の胸の柔らかさは2-5kPaとの結果があるそうだ。身体が大きくなった場合、当然支えるべき胸の重さも増える。したがって、それを支える胸も硬くなければならないはず。例えば、バケツで作った巨大プリンはかなり硬く作らないと自壊してしまうが、硬く作れば形を保つことができる。このように考えると、巨女の胸はかなり硬いはずだ。だが、不幸にして私には計算方法がわからない。巨女胸の硬さ推定問題は賢明な読者諸兄の手にゆだねられている。
夕食を食べ終わって、晩酌しながらネットサーフィンをしていると、頭がくらくらするニュースが目に入ってきた。
オンライン会議で最近メジャーになったZOOMの決算が良かったらしく、1日で30%も株価が上がっているというのだ。
いくら成長性が高いとはいえ、1日で時価総額がこんなに増えるなんて、この値動きは完全にバブルとしか思えない。
ちなみにどのくらいバブっているかyahooファイナンスで調べてみると、株価を1株当たりの利益で割った割安性を示す指数のPER(Price Earnings Ratio)は5000倍近く。
どういうことかっていうと、例えばオイラがアラブの石油王の隠し子だったとして、5000兆円ほど自由に使える身だったと仮定する。
ZOOMの将来性を見越して、ZOOM株を100%買い占めてオイラの所有物にしたとしよう。この時の買収にかかる費用は時価総額(=株価x総株数)に等しくなる。
(買収合戦で値上がりするとかは考えない。)
この時の投資金額を回収しようと思ったとき、PERが5000倍っていう事は、1年で出る利益が1株当たりの株価の1/5000しかないという事。
1株500ドルだっとすると、利益はわずか10セント。要するに買収でかかった費用の元を取るのに5000年かかってしまうってことだ。
まあ、このままZOOMの事業がぐんぐん成長していけば、利益も右肩上がりになるはずなのでそのうちPERも下がってくる(=5000年かからずに元を取れる)だろうと考えられなくもないのだけども。
今日話題になっているZOOM以外でも、やれテスラやAmazonだ、謎の半導体メーカーのNVIDIAだと、アメリカ株の景気が良い話はよく聞くが、何でも上がっているかというとそうではない。
何を隠そう、オイラは実は渋谷区在住の米系外資エリートリーマンなのだが、そんなオイラの勤務先の株価はいまだにコロナ前につけたピークの2/3といったところである。
アメリカ株がなんでも上がっているなら、日ごろから会社で大活躍しているオイラはご褒美にもらったストックオプションでウハウハだったのに!悔しい!泣いちゃうぴえん...
さて、賢明な読者はおめーの業種がハイテクじゃないからダメなんじゃないの?と思われるかもしれない。
だが、外資系エリートリーマンのおいらがクレバーでスマートな頭で調べた結果判明したのだが、同じハイテクでも勢いのない会社や地味な会社はそこまでバブっていないのだ。
例えば半導体業界を例に出してみるとこんな感じになる。いかがだろうか。Intelに勢いがないのは事実が、半導体ブームで恩恵を受けそうな他の大手メーカーも含めて、セクター自体は実はそんなに割高でないことがわかる。
withコロナで人と人との接触を減らさざるを得なくなって、在宅勤務、勤め先の外資風に言えば 『ワークフロムホーム』が主流になれば、データセンター需要が爆発するので半導体関連の株価はなんでも上がる。
(データセンターで使われるサーバーにはGPU以外にもCPUもメモリもどんな半導体も入ってるよね?半導体増産するために装置バカ売れするはずだよね?)
そのシナリオが真なら、市場シェアが高いはずの上記企業の株価はなぜ割安に放置されているのだろう?
結論を言おう。
今の株価は決して合理的なプライシングではないバブルである。そしてバブルははじけるものと決まっている。
強気派はいつだって株価が割高でないと同じことを繰り返し言う。
直近ならこんな感じだ。
「PERなんて指標はゲームのルールが変わって役に立たなくなったんだよ。株価は未来を先取りする。ハイテク企業のイノベーションが世界をレボリューションしている限り経済は成長する!(だから株価は上がり続ける)」
同じようなことはリーマンショック、俺たち外資風に言えば『フィナンシャルクライシス』の前にもさんざん言われていた。
「PERなんて指標はゲームのルールが変わって役に立たなくなったんだよ。株価は未来を先取りする。新興国の人口は50億人。冷戦が終わってグローバル化が進んだ今、彼らが先進国レベルに豊かになるまで経済成長は続く。(だから株価も上がり続ける)」
だけど夢はいつか覚める。株価がウォール街してすごいヤバいことになる。寝言は寝て言うものだと理解していただきたい。
最近個人でやってるtwitterで、これは絶対バブルだ、みんな慎重になれ的なことを書き込んだら「アメリカ株をやらないやつは馬鹿。今利益出ていないやつは幼稚園児以下のうんこ」みたいに煽られることが増えたのである。
バリュー株メインで銘柄選定していてあまり儲かっていないオイラは少しムカついているので、株価が暴落するとメシウマなのである。(欲しい銘柄が安く帰るし、ショートでの儲けも狙うことができる。)
さて、バブルはいつはじけるのだろう?その時強気一辺倒で掛け金を上げ続けた哀れな子羊たちはどういうことを言うのだろう?今から言い訳が楽しみである。
2ヶ月くらい前のことだ。コロナの緊急事態宣言が解除された解放感で、友人と焼き肉を食べに行っていたときのエピソード。
オイラと友人が肉を食べていると、隣の席に不動産の営業と思しき、こんがり日焼けした肌に高そうなスーツを少しだけ着崩したチャラ目のグループがやってきて、席に着くなりアメリカ株の話を始めたのだ。
「なすだっく?ってのを買ったら絶対上がるんだよ。ここ10年ずっと右肩上がりだったっし、俺もコロナの後に友人の勧めで始めたけど、1月でもう30万儲けたぜ!マジヤバい!お前らも早くアメリカ株できる証券口座開いて、なすだっくを買うんだよ!」
面白そうな話をしていたので盗み聞きをしていたのだが、彼らはNASDAQが株式市場の名前であり、日々変動する数字がその取引所の株価指数を意味していることも、自分たちが買っているのは株ではなくて指数に連動するETFと呼ばれる上場投資信託であることも理解していないようだった。
ソーシャルディスタンシングで座席の間引かれた店内に響き渡る彼らの声を聞いて、かの有名な靴磨きの少年のエピソードを自分が体験するとはと、しみじみ思ったのであった。
たとえば「comprehensive」という単語の意味が分からないとして、辞書を頭から読む人はいません。「comprehensive」の意味が分かれば良いわけです。たとえばJavaのライブラリのある関数の仕様が分からなくて、Javaの文法書を頭から読む人はいません。その関数の説明だけ読めば良いわけです。
「本を読む」とはそういうことです。つまり、「機能的に知識を得る」ことが本を読む意味であり、目的が無く漠然と本を読むことに意味はありません。
賢明な人なら、他人にこう言います。「○○について知りたいなら、✕✕という文献の△△という章が参考になる」とね。漠然と「本を読め」なんて言ってるのは、馬鹿だけです。
前回の続き。
広義的に「なろう的なフォーマットを主要に含んでいるマンガ」全般を指して語っているけれども、「なろう」自体が小説投稿サイトであることから、そもそもが小説のフォーマット。更に言えば「“そういったサイト”に沿ったフォーマット」なわけ。つまり、そもそもマンガ向きじゃないってパターンもある。ただ、「向き不向き以前に原作が酷い」ってパターンも多々あるのが、なろう系マンガの恐ろしいところで。
本記事はあくまでマンガの話なので原作そのものについての言及は避けるけれども、マジで「どういう判断でコレ売り出そうと思ったの?」って作品が頻発する。前回も書いたけど、こういったジャンルを“そういうもの”として割り切った上でなお酷いのが多いって話だからね。
当たり前だけれども小説と漫画は媒体が違うから、要求されることも変わってくる。原作にそのまま絵をくっつけただけでは漫画にはならないって事くらいは素人目にも分かるよね。
ありがちな失敗パターンとしては「絵は描き慣れてるけど漫画は描き慣れてない」って人が結構多い。構図が分かりにくかったり崩れていたり、コマ割がいい加減で目が滑ったり、構成ができてないから内容が頭に入りにくかったりする。まあ、そもそも絵自体そんな上手くないってパターンも多々あるけれども。
丁寧にやってる例として最近の作品から挙げるならば『狼は眠らない』とかかな。本作は漫画担当とネーム構成がそれぞれいるんだよね。つまり「絵を描き慣れてる人」と「漫画を描き慣れてる人」で役割分担しているわけ。なろう系マンガの失敗例から顧みれば、賢明な判断だね。
というか、一番の問題は粗製乱造する出版社にあると思う。「小説サイトでランキング上位になった。よしコミカライズしよう」ってノリで作りすぎてる。それを絵描きサイトとかSNSから適当に絵師引っ張ってきて描かせても、分の悪い賭けにしかならん。
編集もそういう時にさ、漫画家を選別するなり、指導するなりするもんじゃないの。これがオリジナルの漫画だったらさ、例えば持ち込みや、何らかの賞を取った漫画家に経験をつませて、編集部内で企画を練って、色々と相談してから商業レベルにしていくでしょ。それでも上手くいかないときがあるのに、その半分未満の労力しか費やさなければ、そりゃそうなるよ。
これらをちゃんとしているなろう系マンガは、どこかで不備があったり好き嫌いは多少あれど漫画としては良く出来てるんだよ。それすら出来ていない作品を世に出して、それで金取ろうと広告でゴリ押すんだから印象悪いけれども。結論としては一つ一つ丁寧な仕事をすればいいという、至極単純な話なんだよね。
すべての個人が賢明であろうとしなければ民主主義はポピュリズムに飲まれる衆愚によって破綻するから、俺はすべての人間に冷静かつリテラシーの高い振る舞いを習得してもらいたい。まずはインターネット上における深い呼吸術を身に着けてほしいのだ。キリッ。
そして何より、大きすぎる組織や人物というのは、得てして失敗するものなのだ。失敗したとしても、それを見つめる群衆一人ひとりが聡明であれば大きな問題にはならない。一番小回りが効くのは個人であり、個人という単位がすべての防波堤になっているのだ。個人のレベルで健全性が保たれている社会は頑強だ。だから有名人を叩くより、個人に釘を刺してみせる方が俺は有意義だと思う。
まず言っておく。私は焦っている。友人を失うかもしれない。しかも、複数人まとめて。
この文章は、似たような境遇の人に共感してもらうなり慰めてもらうなりするためのものであり、説教も批判も求めていない。そういったコメントをしがちな人にはここで画面を閉じて欲しい。
特に、タイトルの言葉選びに対し思うところがあった人。今すぐこのタブを閉じるんだ。
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コロナ禍で何を、というご指摘はご遠慮願う。雑談時もマスクをするなど配慮はしていた。
年に一、二度程度しか全員で集まることのできないメンバー。頻繁に会えないため、食事の時の雑談において、趣味の話、職場の話、家族の話など話題は多岐に渡る。そして今回、友人の一人が街コンに参加したというネタを皮切りに、とうとう婚活という話題が表に出てきた。
正直居た堪れなかった。口数も明らかに減っていた自覚がある。どう返すべきかも分からなかった。
私は男が苦手だ。小中学校の間、同じクラスになった男子生徒からは必ずいじめられた。大人の男からも性的被害を受けているし、職場の上司からネトスト紛いのことをされたこともある。他、私の個人情報を業務上握っている一回りは上の男からアプローチを受けたこともある。
もちろん全員が全員そうとは思っていない。しかし、男である時点で信用しない方が賢明だという考えを持つには十分すぎるほど傷つけられた。
(自分はこんな酷い目にあった、みたいな話はやめてね。苦しみは存在自体が問題であって、その強さは関係ないし他人が量れるものではないので。)
自分の性格上、同世代に既婚者が増えてくれば世間体を気にして焦り始めることは容易に想像がつく。しかし、親は上記事情にも理解があり、もう私は結婚しないものだと思っている。孫など期待されていない。そして何より、信用できない男に自分の日常的な家事の代行権利を与えたり万一のことがあった時の判断を任せたりするよりは、一人で生きて行った方が幸せだと考えている。単身では家を借りられなくなるほど年老いる前に死んでいたい。
(余談:家の賃貸契約とかも所謂日常的な家事に含まれるので夫婦間で代行できる)
別に、友人も似た考えを持っているなんて思ったことはない。みんな適齢期になればどこかしらで出会った人と結婚して、私はもしかしたら周りからいつまで独身なんだろう……と同情と軽蔑の入り混じった目で見られるようになるのかもしれない、と怯えてさえいた。しかし、それとこれとは話が違うのだ。
友人たちも、何も結婚を急いでいるわけではないと言っていた。人生経験として知らない分野にいる人と出会い、巡り合わせが良ければそこから更に仲を深めていきたい、というふうに語っていた。私もその考え自体には共感できる。しかし、相手が男という前提がそれだけで私には恐ろしくて、まさか"イベントの類に参加するときは私も誘ってほしい"なんて言えないし思えなかった。"職場にいい人いないの"だなんて、思いつきもしない。
共有できない話題。友人たちがどう感じたかは分からない。しかし私は、自分と友人たちとの間に埋められない溝を感じた。そして、それを埋める努力をすべきなのか、見て見ぬ振りをすべきなのか、あるいは私の方から離れるべきなのか判断ができないまま数日経った。その間に、この出来事は思考の中心から一旦外された。
今日、カフェで読書をしてから帰った。帰り道でランニング中の男とすれ違った。人通りの少ない夜道。
学生時代、後ろから走ってきた男が私の隣に並んで以降追い抜いて行かないことが気にかかってそちらに目を遣ったところ露出狂だった、という出来事を経験した。今思い出しても身の毛のよだつ出来事だ。
腹が立った。ランニング中の男にではない。世の中に。そして、自分がどれほど男が苦手か、更には先日友人との雑談で何を感じたかを思い出してしまった。
(仕事でもないのに人通りの少ない夜道を歩くとか無用心だって指摘したくなった人がいると思うけど、こっちが用心しないといけない世の中にキレてることくらい分かるよね。分かったら黙ろうね。)
私の個人的な感情のために貴重な機会で持ち出す話題を制限する真似はすべきでない。
更に言えば、友人たちの方が、話題が合わなくなった私との会話を内心で気まずく感じているかもしれない。
私が黙っていればいい。誰もそれを不愉快にも不自然にも思わない。それなら私はそうするだろう。それで済ませられないのは、内心友人たちがどう思っているのかがさっぱり分からないからだ。
数少ない友人を失いたくはなくて、私は焦っている。ここまでくると、私はちゃんと友人たちを好きなのか、それともほとんど友人がいないから固執しているだけなのか、分からなくなってくる。どうすればいいのだろうか。今日も答えは出ない。
なんか最近こういう増田がちょいちょいバズってるよなあ。多分n番煎じだと思われるだろうけど、私の感情は私だけが煎じられるものなので、自分の言葉で記しておきたい。そしてできれば、私だけが悪いわけじゃないって言って欲しい。以上である。
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スルーされるかなと思ったら反応頂いてて楽しくなってしまったのでお返しさせて
「婚活は話題に出てる状態さえ苦手だからそろそろ焦りだした友達をきりたいんだけど」〜
→惜しい、友人を切りたいとは思ってない これは本当
うんち長文と言いつつ読んでくれてありがとよ
→記事中の先制攻撃みたいなアイタタ文章は「こんだけ言っても無視する人は無視するやろな」くらいで入れたのでまあ というかやっぱり私の考え幼稚だよな〜!! 周りに甘やかされて生きてるので気をつけたい
あと確かにこれ改めて読むと友人への複雑骨折感情より男性恐怖と嫌悪が強いなと感じたのでこれは鋭い指摘 大変です
適齢期で結婚し家庭を持つという「普通」から外れることへの不安に〜
→普通を取るか捨てるか最終的にどっちが幸せか分からないんだよなあ 後から振り返って分かることでもないし 提案については枝の指摘の通りかもしれない 優しすぎて一周回って自己嫌悪に陥ってしまった
→鋭すぎてビビった 自分の考え方が原因で人と離れることになったとき、主観では全面的に相手のせいにするつもりはないけど、自分が”悪い”とは思ってないな 合う合わないは善悪と違うし
突然の訪問だったが、知り合いの保育士がいたためスンナリと入ることできた。
「おー、マスダくん。また会えて嬉しいよ」
「久しぶり、先生」
先生はプールの時間、水に顔をつけることすら出来なかった俺を半ば強引に潜らせたことがあった。
この人と対面すると、あの時の息苦しさを思い出して言葉を詰まらせてしまう。
おかげで泳げるようになったわけだから感謝してはいるけれど、だからといって割り切れるものじゃあない。
「それにしても今日はどうしたの?」
「え、いやー、たまたま近くを通りかかったから懐かしくなっちゃって……」
物置部屋の件は伏せて、取りとめもない返事で誤魔化した。
吸血鬼は招待されなければ家の中に入ることが出来ない。
つまり、もし本当にドラキュラが園内にいた場合、奴を匿っている人間がいることになる。
その疑いは園内の関係者全てに及ぶ。
もし俺の考えすぎだったとしても、現時点で“ドラキュラがいるのか確かめに来ました”なんて言うのは賢明じゃないだろう。
こうして先生の案内の下、一通り園内を見て回った。
後は俺に同伴している先生だけどうにかすればいい。
やるなら今のうちだろう。
俺はわざとらしく股間を押さえながら、近くのトイレルームに駆け込んだ。
「おっと、大丈夫? じゃー、終わったら言ってね」
先生は出入り口近くで待機し、さすがにここまではついてこない。
「予定変更なし。みんな配置につけ」
間もなく、俺の入っている個室の扉が開かれる。
「もういいの?」
洗面所で手を洗いながら、そう答えた。
「じゃー次はどこ行く?」
聴こえるのは“俺たち”の吐息だけだ。
「……どうだ、ミミセン。周りに誰かいるか?」
ミミセンはヘッドホンを外すと目を瞑り、全神経を耳元に集中させた。
「私、共用トイレの匂いは気にしない方なんだけど、この湿気っぽい感じは何か慣れないわ」
「水洗の音を聞いてたら催してきた……」
「しっ! みんな黙ってて。音の選別は苦手なんだから……」
敏感なので普段は封印しているが、いざ解放されれば精密な索敵機と化す。
「……音がしない、近くには誰もいないよ」
「よし、行こう!」
保守派というものは伝統を重んじる価値観のみならず、軽佻浮薄に流されない知的態度こそその特徴であるように思う。しかるに今の保守派はどうだろうか?
けして保守的ではない安倍政権に盲従し、対立意見への難癖に終始しているように見える。保守を自認するならば国家の規矩を壊す安倍政権の不誠実と欺瞞とを批判すべきではないだろうか?
保守が動揺したその最たるは第二次世界大戦での敗戦であろうが、その過程で「黙って処した」小林秀雄は「銃をとらねばならぬ時が来たら、喜んで国の為に死ぬであらう。僕にはこれ以上の覚悟が考へられないし、又必要だとも思はない」とも述べていた。
歴史を超越的なものと認識していた小林であり、自らを歴史に対し無力な人間であると自覚していたからこそ二つの発言は矛盾しないのだろうが、しかし戦時下に一定の発言力を有した人間の言葉として考えると、知識人、文化人として怠惰であったと思えてならない。
小林は朝鮮満州中国を訪れ、その凄惨な現実を目の当たりにしたのであり、現在の歴史修正主義者が目を背けたくなるような情景を、戦争に賛同した人間が書いている。とくに「蘇州」は冒頭に慰安婦に関する記述があるなどしたためか内務省による検閲を受けてもいる。
事実目を背けたかったのであろう。だからこそ「杭州」で「第一線には行くまいと」決めたし、彼の記したものが従軍記というより紀行文の体を成しているのもそのためだ。
小林秀雄は、好む好まないに関わらず卓越した理知者であり、戦争という野蛮を嫌った。だが同時に、戦争という現実の激動に対し、肯定的にーいや、むしろ判断を停止して、身を委ねたことも事実である。
恐らくは現在賢明なる保守派は、安倍政権の不正欺瞞を否定しながら、同時に政権そのものに対しては判断をすることなく、身を委ねている。それは彼ら保守が徹底的に内在的であり、外的なものに対しては「黙って処す」以外の術を持たないためであろう。しかし黙って従うべき現実が醜悪になればなるほど、彼らは愚か者にならざるを得ない。
たとえば「comprehensive」という単語の意味が分からないとして、辞書を頭から読む人はいません。「comprehensive」の意味が分かれば良いわけです。たとえばJavaのライブラリのある関数の仕様が分からなくて、Javaの文法書を頭から読む人はいません。その関数の説明だけ読めば良いわけです。
「本を読む」とはそういうことです。つまり、「機能的に知識を得る」ことが本を読む意味であり、目的が無く漠然と本を読むことに意味はありません。
賢明な人なら、他人にこう言います。「○○について知りたいなら、✕✕という文献の△△という章が参考になる」とね。漠然と「本を読め」なんて言ってるのは、馬鹿だけです。
政治家は、別に若者に選挙に来てほしいなんて全く思っていない。
今議席を持ってるやつは全員おっさんおばはんとジジババの票を得てる奴らだからだ。
選挙のシステムを作る奴らを選挙で選ぶとか、昔の偉い人達はたいそう立派なシステムを作ったもんだ。
・若者は常に3vs4でスプラトゥーンをさせられてる。誰がやるかこんなゲーム。
https://lightingup.hatenablog.com/entry/2019/07/19/200455
この記事によると、25-29歳の人口は65-69歳の人口の2/3以下らしい。
例えばサッカーだと11人vs10人になると10人側が終始ボコられるのを耐えるゲームに早変わりする。
スプラトゥーンだと、4人vs4人で戦うゲームで一人が回線落ちすると3人の方はまあよっぽどのミラクルがない限り負ける。
その間はただただ自分の無力を感じるだけで全く楽しさを感じない。
任天堂は開戦時に回線落ちが出た時に5分間このクソつまんないゲームをやらせるのをいい加減やめろ。
で、選挙においては(極端な部分を抜き出してはいるが)若者はスプラの回線落ちよりも不利なゲームを毎度毎度戦わされている。
そりゃやる気もなくなるだろ普通。選挙行かん奴はクソだがシステムがさらに糞過ぎる。任天堂はさっさと改善しろ。
若者が選挙に行くことが重要?違うだろ。若者の意見を吸い上げて政治に反映することが目的なんだろ?
じゃあ、選挙に行かない穀潰しの能無しゴミ若者なんかほっといて、選挙に行く賢明な若者の票にバイアスかければいいだけじゃん。
もしくは、世代別で投票を分けて若者票枠にも議席を分配するとか、何かしらシステム面からのアプローチは可能でしょ。
小選挙区制で生じてる一票の格差を容認するのなら、若者村の1票がジジババ村の1.5票に相当しても別に問題無いのでは?
まあだーれも提案さえしないわな。だって、そんなことしたら今あるジジババ票を失っちゃうかもしれないもんね。
そもそも若者が少数派になる時代を作った世代ですらあるのにな。すげえよ今の年寄どもは。どこまで自己中だ?
結局のところ、若者は選挙に行こう!みたいな声って現状の選挙のルールでやろうとしてる時点で意味ないと思う。
それより、もっと直接的に若者の意見が吸い上げられて政治に反映されるようなシステムが無いと、選挙に行ってもどうせ同じ。
それはスプラトゥーンが証明している。任天堂はマジであのクソつまんない時間を早くなんとかしてくれ。ゲームは神ゲーだから3でも期待してるぞ。
自分はかつて作家になることを志して夢破れた(そこそこ夢が叶いそうなところまでは行った)自分が、一昨日あたりに出版業界の増田たちが書いた文章を読んで思ったことを書く。
以下長々と書いたが、一言でまとめると、「あー、やめといてよかった」
https://anond.hatelabo.jp/20200716012131
まずライターをやってる増田の文章。これを読んで思ったのは、作家というのは自分が思っていた何百倍もくだらない仕事だったのだなということ。
作家を目指していた頃、自分でも「甘いよなあ」とは思いながら夢見ていたのは、筆一本で身を立てる職人的生活だ。しかし、今時はオンラインサロンやYouTubeをやらざるを得ないくらいに、儲からない仕事になっているらしい。
もちろん、当時から出版不況だとは言われていたし、作家になれば世情に媚びた文章を書いたり、執筆以外の仕事もやらざるを得ないことは分かっていた。しかし、オンライサロンだのYouTubeだの、ここまでくると、もはや作家というより「売文ネット芸人」だろう。
これからますます、作家は顔も私生活も晒して、芸人じみた生き方をしていかざるを得なくなるのだろう(専業でやる場合だが)。そこまでして数百数千の読者を抱えても、生活は並の会社員にも及ばない。ようやく文章を世に出せたと思ったら、Twitterだのブコメだので頭の足らない連中にゴミみたいな感想を書き散らされる。想像するだに身の毛がよだつ。
作家たるもの、自分の書いたもので少しでも世を変えたい、そしてあわよくば、歴史にわずかでも爪痕を残したい、という夢想をするものだと思う。程度は人それぞれだろうが、少しは作品を後世に残したいという思いは持つだろう。だが、今では作家の書く文章など、無数の娯楽の中の一つに過ぎず、ただただ消費されるだけのものだ。それも、一部の物好きが消費するだけで、ろくに金も産まない。断言するが、かつての大作家たちのように何十年何百年と読まれるものなど、現代の作家から生まれることはない。残ってせいぜい五年か十年か。
無数の駄文がネット上に書き捨てられ、毎日のように駄本が出版される現代。作家の書いたものが世を変えたり、歴史に残ったりすることはあり得ない。現代に書かれたもので、後世振り返られるものと言えば、おそらくドナルド・トランプのツイートくらいだろう。「作家の書くものには言葉の力がある」などと言われる。だとするなら、「言葉の力」で世界を一喜一憂させ、株価を動かし、世界情勢すら変えかねない、トランプこそ現代最高の作家だろう。業としての作家には、何の影響力もない。歴史にも残らない。何ならアルファツイッタラーの方が遥かに影響力がある。これが現実だ。
つまり、自分が夢見ていた作家像は、徳川埋蔵金と同じくらいの馬鹿げたものだったのだ。仮にこんな馬鹿げた夢を持ったまま業界に入っていたらと思うと背筋が寒くなる。絶望して生きていけなかっただろうな。
https://anond.hatelabo.jp/20200716203604
さて、次にこの編集者氏の文章だが、「いい本を多くの人に読んでもらう、それが編集者の仕事だ」という矜持が僅かでもあれば、意地でも言わないようなことを言っている時点で終わっている。
もしも、作家になれていたとして、こんな人に偉そうなことを言われるのだと思ったら…こんな業界に身を置かなかった自分を賢明だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20200717110714
もしも自分が作家になって、それなりに自由にものを言える立場だったになれていたとしたら(無理に決まっているが)、こういう低い立場に置かれた人たちのことなど知りもせず、「搾取はいかん!」的なことを書いていただろう。自分も搾取構造の一部になっていることなど気づきもせず。
自分を顧みもせず、綺麗事を言う作家どもが如何に醜悪かは、皆さんよく知っていることと思う。Twitterを見れば、「よくもまあ、そんな偉そうなこと言えるよなあ」という腐れ作家どもが山ほど見れる。そんな人間にならなくてよかったと、心から思う。
いやあ、本当に、作家になることなど諦めてよかった。作家目指してあれこれ努力していた頃、「馬鹿言ってないで就職しろ」と言ってくれた両親に感謝したい。下手にチャンスが近づいていたため、当時は親を恨みもしたが、今では感謝の念しかない。
現在は、小さな会社のしがない社員だが、それなりに楽しくやっている。幸いコロナの影響も少なく、将来の不安は小さい。ステイホーム中は嫁と楽しく過ごすことができた。作家業なんてしていたら、この安心感は得られなかったろう。金もなければ、結婚もできていなかっただろうな。
「こんな文章書いて未練たらたらだな」と思われるかもしれない。確かに、未練が全くないとは言わない。一度は目指した夢だったのだから。だが、「やめといてよかった」もまた本音なのだ。
夢を追って叶えていたら、もちろん得るものも大きかっただろうが、失うものはそれよりも大きかっただろう。そこそこ安定した生活、家族のいる安心感、これらがないまま今の年齢になっていたら…。死んでただろうな、間違いなく。
腐すような書き方をしたが、作家諸氏には本当に頑張ってほしい。大変な時代と思うが、工夫して乗り切っていただきたい。乗り越えた先には、明るい時代が待っているだろう。知らんけど。
まずは大変な状況の中、お疲れ様です。
お子様に直接お会いしていないので推測が多くなるのですが
発達障害のお子さん、特に高度自閉(アスペルガー)で「学ぶことが好き」なお子さんの場合は
「塾は刺激的な事を学べて、競争相手も居る熱中できる場所」として認識されていることが多いです。
試しに一度、お子さんに「学校と塾、仮に片方だけ通うならどっちに行きたい?」と尋ねてみてください。
「塾」と答えるようであれば高校進学を見据えて、塾で進学先を何度か検討しながら(塾での様子も聞いてみると近い将来が想像しやすくなると思います)
学校の宿題はできるだけ減らしてもらうなどの相談も含めて(主治医に意見書を書かせるか直接学校に連絡を取り持ってもらうとスムーズに進みやすいです)
高校入学までは塾を中心に学習環境や対人関係を築いていくのも一つの道筋であることを知っておいていただければと思います。
発達障害の子の子育ては特に孤立しやすいので、早い段階で塾に相談されたのは賢明な御判断でした。
とりとめもない話だけど、我慢できなくなったので聞いてほしい。前から社員に新型コロナの感染者が出るたびにプレスリリース打ってきたし、会社の規模とか考えたら感染者も少ない方だと思うし、業界の中でもリモートワークを早期に推奨し、かつちゃんと実行できてるという噂。
が、社員寮(若手の男性単身者専用)でコロナ感染者が出たのに、何故か社員にすら秘匿されてる模様。その社員寮は今年3~4月頃の自粛期間中でもマスクもせずに大声で騒いで、周辺住民から苦情が来てたし、立地柄めちゃくちゃ夜の街に近いし、業界的にそういう夜の街で出歩く人も多い。しかも元々寮での感染予防対策がザルだったらしく、賢明な判断が出来て実家が近い若手は、リモートワークを推奨してる事もあり、早々に寮を引き上げたレベル。
ついに出たか、という気がしないでもないものの、やっぱり感染者が出たことをアナウンスしない理由が分からない。今までちゃんと公開してきていただけに、余程の事情があったのかとどうしても勘ぐってしまう。
ただ、本社ビル(他社も同居しているビル)でコロナ感染者が出た事と、社員寮(もちろんうちの社員しか入っていない)で感染者が出た事、多少性質が異なるのも事実であり、そういう事情のため公開していない可能性もあるが…。
丸く収めようとして情報秘匿→結果的に関係者がリークして(まぁ自分がリークしてる訳だが)逆に大ごとになる、という炎上劇もこのSNS時代だと充分に起こりうる訳で、そのあたりのリスク管理も出来ていない事も気になってしまう。
にべもない言い方をすると、そういうリスク管理の仕方をしてしまっている事自体、会社への不信感が募る。実際新型コロナ以外でも本業の方でリスク管理全然出来てなくない…?と思う節が先日の決算内容でも多々あり、社内でも議論が大紛糾したところだから余計に。
なんやかんやこういう本業に関係ないところでも、どんな対応を取るかで結構会社の本質的なところは見えてくるんだろうなぁ、とも思ってしまった。これはうちの会社だけに限った話じゃないんだろうけど。
れっきとした企業であるだけに、気になってしまったものの、たかが一社員だからどうしようもないなぁ、というとりとめのない日記でした。
私は心が狭いです。
そんな私はツイステッドワンダーランドのリドルくんを推していました。
現在、ツイステッドワンダーランド内で開催されている「ゴーストマリッジ」というイベントにおいて、リドルくんのSRカードをイベント報酬で入手することができます。是非、みなさんツイステットワンダーランドをプレイしてリドルくんをゲットしてください。
ツイステッドワンダーランドの魅力のひとつとして、カードのグルーヴィー化というものが挙げられます。
グルーヴィーとは、特定の条件を満たすことにより、もとより美しいイラストのカードがさらなる素敵絵柄にメタモルフォーゼすることを言います。
私はこのグルーヴィーが、ツイステッドワンダーランドのシステムの中でなによりも好きでした。
推しをゲットしただけでも嬉しいのに、カードを重ねることなく2種類の美麗絵が楽しめるなんて贅沢なことだからです。
しかし、そんな素敵システムを備えたツイステを満喫する生活に突然終わりが訪れました。
その日、SNS依存症の私は、朝起きてまずTwitterを開きました。寝ぼけ眼をこすりながら、TLを眺めていました。穏やかな朝でした。その日は1日用事もなかったし、ふとんの中でぬくぬくでした。
フォロワーが少ない私のTLは静かでしたが、ひとつひとつのツイートにしっかり目を通しながら、フォロワーのおもしろツイートや萌え語りを楽しんでいました。そこに突如、リドルくんSRのグルーヴィー後のスクショが現れたのです。
私は音速でTwitterをタスクキルしました。サムネだけで済んだのは不幸中の幸いです。誰が挙げたのかわからないくらい、一瞬でタスキルしました。なんとなくイラストの雰囲気を掴んでしまいましたが、ギリセーフです。
心臓はいつになくうるさく、口から飛び出すかと思うほどでした。嫌な汗が止まりません。
今日はTwitterを控えようと思いました。いつ目に入るかわからない。TLだけでなく、「リドル」の3文字で検索するだけで危険が伴います。己の危機管理のガバ加減にうんざりし、自力でグルーヴィーさせるまではTwitterは辞めておこうと思いました。賢明な判断だと思います。
目覚めの悪さに顔をしかめつつ、私は次にInstagramを開きました。
ストーリーチェックは日課です。Instagramのリア垢にはツイステオタクはほとんどいませんし、安心安全です。グルーヴィー後が目に入ることはあり得ないでしょう。
そんな私の脳天にイカヅチを落としたのは、一発目、仲のいい友人があげたストーリーでした。彼女がオタクであることは知っています。ツイステをやっていることも知っていました。ミュートさえしてりゃあこんなことにならんかったと思うと悔やんでも悔やみきれません。(ていうか普通リア友ミュートしない)
私がいけません。イベントを走っていれば、今頃彼女のようにリドルくんのSRを入手してグルーヴィーさせ、その素敵なイラストをにやつきながら眺めていたと思います。
怠惰な私は推しイベを走らなかったのです。「まだ期間もあるし明日でええか」とツイステにログインすることをサボったのです。
その友人は、ストーリーにグルーヴィー後載せてやがったんだよ。
まさか、インスタのリア垢で?普通やるか?TwitterでもFFですから、きっとTLで見たリドルの残像もこの女の仕業でしょう。
腹の底から怒りが湧き上がりました。
冒頭でも言いましたが、私は心が狭いのです。なぜお前の「リドルくんじゃないみたい。オス顔ぴえん🥺」という文言とともにリドルくんのグルーヴィー後を、お前のインスタのストーリーで見なければいけないのか。
本当に無理でした。グルーヴィー後を載せてはいけないという規約も、暗黙の了解みたいな隠れたルールもありません。彼女のしたことは犯罪ではありません。ただ私が気に入らないだけなんです。でもな、別のところでやってくれよ!
せめてストーリーだけには載せないでくれよ。なんなんだよ。
言葉にならない無力感、自分の不甲斐なさ、友人を恨む気持ち、友人だったはずの彼女に憎悪を向けてしまう自分への苛立ち
みなさんは、グルーヴィー後のイラストをTwitterやInstagramにアップロードするのは、いつからOKだと思いますか。
みなさんはグルーヴィー後を載せるとき、スタンプで隠しますか。
リドルくん、心の器がハムスターのうんちくらいちっさいこんな女が一瞬でもあなたを推してしまってごめんなさい。
夢を見せてくれてありがとう。大好きだったよ。