はてなキーワード: マッシブとは
https://shonenjumpplus.com/episode/17106371852950440097
親の愛も一般常識も知らない少年を、たまたま居合わせた100人の奴隷が庇った結果、超常の生贄条件と合致し100人分の力や命を得ました。さてどう生きるか。さっくりそんなかんじの話。
この作品を他の漫画で言うならば、大枠は荒川弘+藤田和日郎。そこに不滅のあなたへとかヴィンサガとかの人間性の獲得や力持った人の力抜きでの通し方とかがありそう。
絵のほうはboichi味もあるかな。目の周りのラインとかが想起させるけど、やっぱり筋肉とかがですね。
主人公、読んでいるとイメージよりかなりマッシブになる。力を行使すると筋肥大するようには読み取れなかったんだけど、今公開してる8話とか、アームストロング大佐を思い出すようなステゴロ肉弾戦を描く人みたい。そういった人物の絵の書き方や命を寄せ集めて対話もできそうとなるとどーしてもハガレンを思い出すよね。と。悪い意味じゃなくて。(中年以上のおっさんが魅力的なのも二人の先達と似てる)
そして超常の怪異、モンスターなんだけど、これがすっっっっっごくデザインが怖くできてる。まだ数体しか出てないけど、どれも背筋がゾクゾクする恐ろしい姿で、本当に驚嘆している。
ただですね、この人から離れた秀逸なバケモノたちがですね…すっごくおしゃべりなんですよ。
そしてひとたび口を開けば人よりも人の心理を理解しているし、人よりも人くさいセリフを吐くんです。人の理の外の存在なのにね。人の恐怖を煽るには心理に精通していると効果的ではあるんですけど、どうしても獣から離れていく。
好き嫌い別れる部分かと思います。私は結構嫌いです。少なくともホラージャンルからはずれるし。そしてこの手法の使い手が藤田和日郎なんです。
2話のキメの見開きが獣の槍だから、じゃなくて人くさいバケモノ成分を指して藤田和日郎をあげてます。藤田センセのあれは手癖もあるけど子供読者向きにそうしてるのかなと思っていて、そういう想定読者層を下げることをジャンプラでやる必要はそんなになかったのではと残念に思っています。
イラストだけならダクソ・ブラボな方向性にいけるのに、ダークファンタジーバトルを銘打つ割にはライトな方向性になるのかなと予想中。
そもスタートからしてドードーやステラーカイギュウもかくやといえる温和で奴隷になった危機感がないのか?という100人が食料を分けたり、かと思えば火事場では全員命を張って女子供を庇ったりの暗い部分が無い善性の塊だったのでね。人間賛歌の比重重めでそのためダーク要素、と主従が逆かもしれない。
そう、モンスターデザインを褒めたけど、キャラクターの描写もよくできてる。さらに会話も緩急もつけれてて抜きのセンスも感じるのだ(100人しか知らないとか、ボケてる老人のところとか「できるじゃない!」と思ったね)。悪人が若干、テンプレすぎるけど、現状使い捨てしか出てないから、準レギュラーレベルの悪人が出たときにどうなるか、である。
出来ておる喃…といえば海の化け物からの祝福という点に言及しておきたい。
不死身系の制圧方法のお約束の溺死(窒息死)を2話曹操に海からの祝福だから水の中へっちゃら!としたのはほぼほぼ自然な形でさっさと提示できてよかったのではないでしょうか。
まとめるとですね、ジャンプ本誌を目指した作品。本誌に連載しててもおかしくないクオリティだしそういう読み味だけど、同時に話が本誌対象読者向け、やや低年齢向けの組み立ての可能性濃厚なので、過剰なご期待はご遠慮したほうがよいかと。
この作品のどこを気に入ったのかをちゃんと自覚しておいて、作者が目指す方向との周波数をつど確認しておかないとアンチに落ちかねない危うさを感じるのでやや引いて応援しています。
面白いけど、「好き」まではもう数話様子見やね。
アルミはボーキサイトからインゴットを作る時にはめちゃめちゃ電力を使うけど、再精練するときは驚異的にエネルギー効率がいいんだよ(新規精練の3%しかエネルギーを使わない)。だからリサイクル向きの素材だし、リサイクルの王と言われている。メガキャスティングの歩留まり問題が業界であまり重大視されていない理由もそれ。
新規製造時の電力消費がマッシブなので、アルミの新地金の生産は安い電力を使える国が中心になっている。そのひとつは石油やガスが出る資源国グループ(中国・ロシア・アラブ首長国連邦・オーストラリア・バーレーン・米国など)。もうひとつは再エネで電力限界費用が安い再エネ先進国グループ(水力+地熱発電のアイスランド、水力発電のノルウェーなど)。今後はLCAでのカーボンフットプリント評価が必須なので、自動車産業に限らず、世界的に後者から調達した「グリーンなアルミ」の導入量が増えるだろう。中国や米国も再エネ拡大で後者のグループへの移行が進んでいるね。
90年代のサブカル界隈は過去の悪行を武勇伝のように語る露悪趣味の風潮があったらしい。
決して社会全般で容認されていた訳ではなく、教育委員会やらPTAやら、いわゆるマッシブで窮屈でお堅い勢力に逆行する姿勢が、当時の閉塞感に嫌気がさした連中共の間で持て囃されていたに過ぎないだろう。
小山田は「あっち側」を選んだ。
それがおかしなことに、今ではNHKの「デザインあ」やオリンピックに平然と携わっている。
いつの間にか、なんの宣言もなく、彼が散々唾を吐きかけた「こっち側」に、まるで過去はなかったかのように腰を据えている。
「こっち側」に転向するのならば、今までの「あっち側」での行いが「こっち側」の倫理観で評価されるのを受け入れなければならない。
バッシングされたくなければ、いつまでも「あっち側」に居座り続けて昔のように露悪趣味を披露し、閉じた集団の中で歓声を求めればいい。
それでも、彼は表舞台に立つことを選んだ。
90年代のサブカル界隈は過去の悪行を武勇伝のように語る露悪趣味の風潮があったらしい。
決して社会全般で容認されていた訳ではなく、教育委員会やらPTAやら、いわゆるマッシブで窮屈でお堅い勢力に逆行する姿勢が、当時の閉塞感に嫌気がさした連中共の間で持て囃されていたに過ぎないだろう。
小山田は「あっち側」を選んだ。
それがおかしなことに、今ではNHKの「デザインあ」やオリンピックに平然と携わっている。
いつの間にか、なんの宣言もなく、彼が散々唾を吐きかけた「こっち側」に、まるで過去はなかったかのように腰を据えている。
「こっち側」に転向するのならば、今までの「あっち側」での行いが「こっち側」の倫理観で評価されるのを受け入れなければならない。
バッシングされたくなければ、いつまでも「あっち側」に居座り続けて昔のように露悪趣味を披露し、閉じた集団の中で歓声を求めればいい。
それでも、彼は表舞台に立つことを選んだ。
ホンダの大型自動二輪 NM4(読みは エヌ エム フォー)というオートマチックのオートバイに乗った。
新車で契約して乗ったけども、その感想などを述べてみようと思う。
まず、契約した経緯などを。
それまで小型二輪のスクーターを何台か乗り換えていたのだが
パワー不足を感じたり高速に乗ってみたい気持ちがあって
じゃあ、ビッグスクーターしかないじゃないか、ということになって
バイクを探すことになった。
オートマチックでなるべく大きい排気量…あと足がつきそうなやつ
で、ヒットしたのがこのNM4というオートバイだった。
うーむ、実に奇抜なデザイン
とにかくヤバそう。実際ヤバかった。
行動に移すのが早いボクはさっそく最寄りのバイク屋さんに行って契約した。
試乗?しませんよ。
だってシートの高さが650mm?だったかな、めちゃくちゃ低くて
つま先ツンツンになるわけがない。
試乗するだけ時間の無駄だ、ええいサッサと乗りたいんだボクは!
という気持ちばかり先行したおかげで、あとで痛い目を見ることになる。
納車当日
試乗しなかったせいで、いろいろなことにショックを受けた。
まず、引き起こしの重さ。
クッソ重い、なんなんだ250kg近いバイクってこんなに重いのか!
足つきは想像通り膝が曲がるほど良い。
そのおかげでこの重さでも座ったまま取り回しができる。
逆に立ってやろうとすると、車両の高さがそもそも低くてボクの身長ではやり辛かった。
腰にシート当てられない…ムムム。
スクーターばかり乗ってる御仁には解っていただけると思うが
左手にブレーキレバーが無いとモヤモヤするんだ。モヤモヤPOINT。
これも試乗していたら確実に買うのを辞めていた。
スクーターと同じ感覚で乗れるので、さほど操作に苦労はしなかった。
ろーどすぽーつ?
横文字ばかりでボクはしにそうです…
あとで調べると、このオートバイは適切に自動でギアを変えてくれるんだそうな。
つまりおまかせでいいってことらしい。
ボクはアクセルグイーンして走れるならそれでイイんだけど
この機能が付いているから、ニュートラルから1速に切り替えるボタンをいちいち押さねばならない。
めんどくせ〜と正直思ってたが
慣れるとスクーターなのにギア付きの摩訶不思議さが何とも面白い。
けどね、不満点のほうが多かったね。
いや〜駐輪場に停められないんだよ!狭い所場所取って申し訳なくてさ!
地方じゃ広々として苦労しなさそうだなと、うらやましく思ったものだよ。
だから出かけるのも、いちいち目的地近くに広い駐輪場がないか入念に調べ上げたよ。
これは疲れたね〜
荷物も入らない!
買い物する時のことなんか考えてなかったよ。
ボクはパニアケースとか、ああいったケース類を付けるのは好きじゃないから
バックパックを買った。
立ちゴケもしちゃったねー
それにしてもまるでスカートの中を覗き込まれるような嫌な感じだった。
ボクは男だけど例えるならそんな感じに近い。
素直にありがたいと思っている。
冬にバッテリーが切れて自走不可になり
そのまま売却手続きを行った。
体調を崩したし乗ることも無かったから潔く。
試乗できればしてから買うか決めたほうが
後悔はなかったんだろうな。
いい勉強になっただけでもマシと思おう。
いやー高い授業料だった!!
これからは気をつけよう…とほほ。
「モンスター娘のお医者さん」第8話で人を踏みつぶせそうなサイズの巨女が登場していたので、詳しく見て考えてみよう。
具体的にサイズを比較できるシーンが少ないけれど頑張って探してみよう。櫓の上から巨女の喉を先生が診察する12分ごろのシーンでは人間の先生と巨女の顔が対比できる。おおよそ先生の身長の3倍が巨女の顔といったところだろうか。この数字を根拠にして身体の大きさを推定してみよう。日本人女性の平均身長159cmを平均的な顔の長さ21.8cmで割ると7.27等身になる。顔のサイズの推定値は先生3つ分、つまり青年男子の平均身長170cmの3倍で510cmだから、巨女の身長は510cm × 7.27でなんと37.0mということがわかった。
巨女の身長37.0mの実感を掴むために、いろいろなものと比較してみよう。まず奈良の大仏は座っていて座高で15.0m、立った場合の推定身長は27.8mと巨女(身長37.0m)の圧勝である。お台場のユニコーンガンダム(20m)と比較しても大きさが際立つ。流石に牛久大仏は身長100mとのことなので、牛久大仏の横では巨女も子供のように小さく見えるはず。
体重も推定してみよう。青年女性の平均体重49.5kgと巨女身長が平均女性の23.3倍というデータを使うと、なんと624tにもなる。25メートルプールに入る水が約500tほどなので、さながら歩くプールといったマッシブさである。もし巨女が1mジャンプした場合、地面に与えるエネルギーは6.12MJになり、TNT換算で1.46kgだそうだ。地震のマグニチュードで1.32に相当し、ペルー隕石落下時の地震に相当するので、巨女が歩くと地震が起きるのも納得である。ちなみに造船所には600tの重量に対応したクレーンがあるらしいので、現代技術をもってすれば巨女も怖くないはず。
アニメの中で巨女は風邪気味のまま10年を過ごしたという、それほどまでに時の流れは我々と違うのだろうか、検証してみよう。有名な「ゾウの時間 ネズミの時間-サイズの生物学」によると、動物の寿命は体重の1/4乗に比例しているとされている。この原理を適用し巨女の体重を使って計算すると、巨女の寿命は人間の10.6倍ということになる。日本の平均寿命84歳を踏まえると、巨女は800年以上生きることになる。単純に考えて人間換算で1年風邪気味というのは、危険な感じがするので何か考慮できていないポイントがあるのかもしれない。巨女は奥が深い。
劇中でのクライマックスは間違いなく先生が巨女の胸の谷間に落ちていくシーンだと思うのだけれど、果たして巨女の胸はやわらかいのかどうか、それが視聴者最大の関心事ではないだろうか。ある測定によると人間の胸の柔らかさは2-5kPaとの結果があるそうだ。身体が大きくなった場合、当然支えるべき胸の重さも増える。したがって、それを支える胸も硬くなければならないはず。例えば、バケツで作った巨大プリンはかなり硬く作らないと自壊してしまうが、硬く作れば形を保つことができる。このように考えると、巨女の胸はかなり硬いはずだ。だが、不幸にして私には計算方法がわからない。巨女胸の硬さ推定問題は賢明な読者諸兄の手にゆだねられている。
ただ、個人的に残念な点が一個だけある。
「来る」の幽霊って妻夫木君の上半身をぶっちぎったり柴田理恵の腕をもぎ取ったりする物理にクッソ強いマッシブ幽霊なのね。
個人的に一番アガるのが、全国のあらゆる宗派の退魔師が大集合して除霊フェスの準備をするシーン。
除霊フェスに駆けつける中で幽霊君に車ごとぶっ飛ばされて死んじゃう人なんかもいて、マジでいい。
で、クソ強幽霊君は退魔師を皆殺しにするんだけど、なぜかみんな発狂したり血を吐いたりくるくる回ったりするだけで大殺戮感がまったくない。いやいやいや、お前これまで散々人体破壊してきたやんけ、と。急に幽霊みたいなことするやん。ってなっちゃって、準備がめちゃくちゃアガっただけに、全滅の仕方が地味すぎてマジでがっかりした。
BLOOD-Cの最終回くらいめちゃくちゃにやっても許されるシーンだよ、あそこは。
能町みね子は好きな文筆家の一人だ。
『くすぶれモテない系』を読んだ時、生まれて初めて自分の仲間がいると思えて嬉しかった。
・女の子なのにトイレ友達を作らないこと(一緒に遊ぶ友人はいる)
・ぼっちでもないが普通の女の子のような友達付き合いをしてないこと
を中学校の教師に指摘されて以来、
しかし、能町みね子の著作を読むうちに、彼女の発言に引っかかることが増えた。
当然価値観にも相違点はあるし、それが気になっただけだったのだ。
立場も職業も生い立ちも違う彼女に自分を重ねすぎていたのが間違いだった。
それ以来、誰かに自分を重ねすぎることがなくなった。
それでも能町みね子が気になって仕方なかったし、ちょくちょく彼女に自分を重ねていた。
そしてその日、もう私は能町みね子に自分を重ねられないし、嫌いになれないと確信した。
能町みね子がツイッターで、先天性の心臓疾患持ちでペースメーカーを入れていたことを公表した日だ。
「あんた(増田)と私(能町みね子)は決定的に違う人間だ」と、能町みね子に宣言されたような気がした。
そりゃ当然なんだけど、能町みね子本人に言われたような気分になると、前から自覚していたつもりでも結構きつかった。
同時にもう私は能町みね子を嫌いになれなくなった。
・相撲が好きなこと。
(相撲は適度にエキサイティングで健康そうだけど、サッカーなんかと違い心臓に負担をかけずに安心してのんびり楽しめる。)
・『ときめかない日記』のヒロインが恋愛やセックスに積極的になれない理由が、大きな手術跡だったこと。
・マッシブで無神経な男が苦手そうなこと。