はてなキーワード: 人形とは
まず始めに。私は空の軌跡からのファンである。そして、私は本作を数十分ほどプレイしてこのシリーズに”ようやく”見切りがついたつもりだった。ライターの紡ぐテキストの非常に強い癖が全く変わっていなかったからである。
「はは」「ふふ」「くく」を、まるで接頭辞の如く頭に付けて応酬される会話には、もはや嫌悪感さえ抱いていることをハッキリと自覚してしまったのだ。ここまでしつこいと、もはや冗句の領域である。
また、「寿ぐ」のように書き言葉と喋り言葉の区別がついておらず、辞書を引いて気に入ったから多用しているでは、と疑うほど拙さを感じる用い方は、逆に語彙が少ないからだろうとしか言いようがない。キャラの個性として利用されているのであればもちろん有効な手法ではあるが、作中ではまるで流行り言葉であるかのような扱いである。この点に関しては創では大幅に減ったとはいえ、やはり健在ではあったのだ。
流行り言葉のように使われていると言えば、「届く」もまた同じだ。これは武人の共通認識なのであろうが、いくら何でも多用しすぎである。ピンポイントで使えば閃の軌跡シリーズ特有の味にも思えるだろうが、現状ではあまりにも軽く、鼻につく言葉になってしまっている。
現状を打破する論理的な道筋を立てる前に、とかく精神論を展開するのもいい加減キツいものがある。精神の未熟な少年少女ならまだしも、リィンやロイドはそれぞれ教官、警官といったいい大人だ。既にそれが許されるような立場でも年齢でもないだろう。こういうのは要所でやるから響くのであって、常にそのような”醜態”を晒すのは見るに堪えないものがある。
このような価値観がまかり通るのは、全ての物事を主人公であるリィンやロイドを中心に考えているからこそだろう。その歪んだ価値観は新・旧7組という言葉に端的に表れている。登場人物は皆、何故か新・旧と呼び分けているが、本来であれば現7組以外は7組という括りで呼ぶ必要はないのだ。もっと言えば、現7組の人間に対し、新7組と括るのは無神経というものであろう。リィンさん。あなたはこの子らの担当教官なのですよ、と言いたくなってしまう。
原因は既に述べたように、世界の中心をリィンだと思っているからである。リィンから見れば彼の生徒は新であり、級友は旧なのだから、確かに彼が世界の中心であれば皆そのような呼び方をするだろう。そして、それが実際に行われているのである。だからこそ登場人物はライターの操り人形にしか見えない。リィンが好き過ぎて彼個人に設定が堆く盛られていくのも、書いていておかしいと思わないのだろうか。
これを強力に補強しているのが好感度システムだ。これはあらゆる関係性を主人公にのみ閉じる呪いである。サブにも何かしら関係性が見えるのは空からの登場人物ばかりなのは本当に酷い。これは何も皇子の結婚やアガットとティータのような恋愛模様だけを指しているわけではない。紆余曲折を経て家族になったレンとカシウスの微妙な距離のように、時と共に関係性が進んでいるのはシステムとライターの作り出した価値観により雁字搦めになっていないキャラに限られているのだ。
リィンの級友、または教え子達の横の繋がりなど、あってないようなものなのは既プレイ者なら分かることであろう。端々に会話が交わされている場面は申し訳程度にはあるが、誰と誰の仲が良いのか、などというのは全く感じられない。リィンを通してしか付き合いがないのではないかと疑うほどである。例外はシステムの軛から抜け出せているユーシスとミリアムぐらいであろうか。
展開のワンパターンさ加減にもうんざりである。ゲーム後半で、敵に援軍を呼ばれる。そこに駆けつける意外な仲間。という展開があるのだが、これをきっちり3ルート分やるなど正気の沙汰ではない。しかもその意外性というのが、全てあえて敵側に潜り込んでいたというものなのだ。そう、3ルート分全てである。ここでは本気で頭痛を覚えたものだ。プレイヤーを馬鹿にしているのかとも思えたのだが、一体どういうつもりでこういう展開にしたのであろうか。素で燃える展開だと思っていたのだろうか。是非聞きたいものである。
さて、ここまで読んだのであればお察しの通り、無事投げ出さずにクリアまで遊べたのだがその理由はCルートの存在に尽きる。決まり切ったテンプレ展開と、森羅万象が主人公に収束する精神論ありきの価値観に支配されておらず、真っ当に面白いものだったからだ。テキストの癖も完璧に抜けている。危うく完全に積んで、今度こそ本当にシリーズにも終止符を打つところだったのだが、せめてCルートまで進めてからコントローラーを置こうと予め決めていたのが幸いした。
あからさまに下敷きに某アニメを使っているし、何処かで見たような要素が目白押しではあるが、上手くミックスして、さらにルーファスのキャラを壊さずに馴染ませてある。いつものライターが書いていればやはりルーファスにしか矢印が向いていない関係性しか作れなかっただろうが、このルートは別のライターが書いているためそのようなことは一切ない。
このルートはウェットすぎないのが心地良い。印象深いのが、人形達の中から本物のラピスを見つけるという場面だ。まるで直感や奇跡のパワーで分かったかのように思わせておきながら、実は発信器を付けていたから分かったのだというのは(本当であっても照れ隠しであっても)ルーファスらしいし説得力もあって非常に好感を持った。ライターのセンスにだ。
惜しむらくは、他の2ルートにリソースを吸われて明らかに尺が足りていないところだ。人形の中から探す場面も、欲を言えば一緒に旅をしたという体験をプレイヤーと共に積み重ねてこそより輝いたはずである。これは最終局面に至るまで響いている。また、スウィンとナーディアにはしっかりとした背景が設定されているのが読み取れるのだが、尺の都合でそれが披露されるのはかなり限定的なものになっている。思わせぶりな台詞だけで半ば放置に近いと言って良いだろう。積み重ねさえあればもっと良いシーンになったはずだという箇所が多く、惜しい気持ちで一杯である。
私は軌跡シリーズで紡がれる政治劇には、多角的な視点を持たずに作品自体がクロスベル独立こそ正義だと一方的に主張すること以外は一定の評価を与えているので、大まかな流れ、つまり起きた事件はこれで良いのだが、実際に描くのはCルートだけであれば間違いなく良作になっていただろうと確信している。
3つのルートが合流すると、あからさまにいつものライター節になってしまっているのも良くない。Cルートの残滓など欠片も残らず吸収されてしまっている。合流後のルーファスなどもはや別人である。本来の彼が再び顔を出すのは本当に最後の最後の局面だけだ。
全体を通した部分で改善したと思えるのはロボット大戦の大幅な抑制だろうか。いや、むしろまだ完全撤廃を諦めていなかったのかとも言えるのだが、極々限定的になったのはありがたかった。システム的にもお話的にも全くもって面白くも何ともない要素で、あまりにも邪魔すぎるのだが、この設定は次回作にも持ち越すつもりなのであろうか。せっかく作ったモデルを(次回作ではエンジンやモデルを一新するので)最後に活用したかっただけだと信じたい。
不満は多々あれど、Cルートに見た光明でまた見限ってしまうことが出来なくなってしまったのは良かったのか悪かったのか……。ただ一つだけ言えるのは、もう予約買いをすることはないだろうな、ということだけである。
これから書くことは、すべて本当のことです。
嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間が人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。
知り合いの大塚くんが、わざわざ電車とタクシーを乗り継いで、東京の郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。
とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このときの自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝の言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、
といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。
そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくりと侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。
まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓から、きれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。
そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分の欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家と生活するというのは、彼女の生活よりも、はるかに地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。
浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。
「どうした?」
彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコンで暖房をつけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。
「仕事……無くなりました」
「お金か?なら僕が」
「いいえ、いりません」
貧乏な人。
僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。
「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。
彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女のなすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。
だから僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。
寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。
もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。
彼女の体重は僕が最後に彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパートの大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老の女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。
「過食症ですよ、ご存じですか」
「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。
「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから、今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」
いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。
「ほかにも、死んだ人が?」
「いますよ。伝染病が流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」
一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。
もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女の遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます。
寂しい
この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。
彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアムな人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。
特に、テレビの報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥なものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判のタネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。
一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。
僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。
雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女の墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています。
*
949。
この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だって、あんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから。
僕は狭い6畳のアパートにいます。学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。
若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。
コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たちは自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。
そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章をネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まりの文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから。
大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。
みんなと同じ。
そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナースの彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独だから、寂しいから、みんな、死んでいくのです。
みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。
なんとか、なる。
そう書いた作家もおりました。みんな同じです。
みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます。
僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。
僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車に飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。
みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。
いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在」から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。
でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。
経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。
それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。
僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます。
それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。
始皇帝が偉大なのは天下統一とかじゃなくて、文字と度量衡の統一だしな。
1mの長さの棒を見せて「これの長さを答えよ」って一人ずつ聞いていって「さn…」とか「よn」とか言った瞬間に九族族滅されても構わないと思っているよ。
「え、なに、この黄金の円盤はいってた宇宙船に入ってた単位とちがうんですけどw」「単位統一してないとかw」
とか笑われるわけだろ?
DNAが燃え滾るほど恥ずかしいだろこんなの…。ホモサピエンスの恥さらしだろ…。
トランプが「ヤードポンド法はディープステートの陰謀」って言えば世界中から投票が殺到して永世大統領間違いなしだろ。
なんでそんな簡単なことをトランプはやらないんだ?これもうトランプはディープステートだろ。反省しろよ。反省を。
売電!とか不正投票!とかキャッキャしてる場合じゃねぇよ。ヤードポンド法を滅ぼすんだよ。
あー2016年にチェイフィーが民主党候補になってりゃよかったのになぁ。ディープステートのクリントンに潰されたからな。マジでクソだなディープステートは。
いいかお前ら、次の選挙はチェイフィーを推せ。知らない?調べろ。ヤードポンド法を撲滅してメートル法にすると公約した候補だ。
次に出馬しなくても推せ。これは義務だ。推さないやつはディープステートだからな。当然だよなぁ?
言っておくが世の陰謀論の中心にはヤードポンド法があるからな。ファティマ第三の予言はヤードポンド法だぞ。ローマ法王は反省しろよ。
ヤードポンド法はコロナにかかって死ぬべき。今最もコロナ死を望まれてるのはヤードポンド法だろ…。マジで…。
みんな本当はわかってるだろ…?
コンテナはヤードポンド法。はい証明完了。ヤードポンド法だから不足するんだよ。反省しろ。
これがメートル法だったらどうなってたと思う?
コロナなんぞ速攻で鎮圧、コンテナ世界中を飛び交いまくり、俺もお前の超豊か。砂漠消滅、貧困撲滅、六根清浄。
大仏とか立ててる場合じゃねえぞ。征夷大将軍を任命して人類史上最悪の夷狄たるヤードポンド法を滅ぼすんだよ。習近平あたりを宇宙大将軍に任命してもいいぞ。
宇宙大将軍習近平がヤードポンド法を撃滅したらそこで改めて国賓として招けばいいだろ。働けよ習近平。
でもダメだな。プーさんが住んでいるのは「100エーカーの森」。あーあ、終了。エーカーってのはもちろんヤードポンド法だからな。これだから中国はダメなんだよ。
習近平とか言うヤードポンド法の傀儡を国家主席に頂いてるのを反省しろよ反省を。埋伏の毒かよ。こざかしい兵法を弄してるんじゃねーよ。孫子も言ってるだろ。これだから人類は進歩しねーんだよ。
菅もダメだ。ヤードポンド法を撃滅する意思がまるで感じられない。まるで木偶人形だ。総理就任数か月にもなって未だにヤードポンド法に言及しないとか、これは完全に反日。支持率急落とか当たり前すぎるだろ。
菅がこの先生きのこるには、「総合的俯瞰的に判断してパンケーキの直径を25cmに定めます」と発言する以外にない。
これから毎日語尾に「とはいえヤードポンド法は滅ぼされるべきである」と付けろ。
そもそもGoToトラベルとか、マイルを使ってる時点でゴミ。キロを使えば問題なかった。「俺キロたまったからタダで飛行機乗れるぜー」ってのが正しい日本語。ギガは通信量。キロは移動距離。わかったら菅は反省しろ。適当にマイルの担当者の首を飛ばせばキロになるだろ。そのくらいのことはすぐにやれよ。
そもそもキロでなくマイルを使ったのって、マイルのほうが数字が小さくなるからだろ。せこいんだよやり口が。JALとANAは反省しろ。
しかし安倍はマジで害悪だったな。奴は暇さえあればゴルフしてたろ?ゴルフと言えば?はいヤードポンド法。はいダメ。
広島の土砂災害覚えてるだろ?あの時の安倍は?はいゴルフ。77名の尊い命がヤードポンド法に殺されたんだよ。安倍は反省しろよ。憲政史上最悪の8年間だったな。明治の元老が泣いてるだろ。靖国に行って反省しろ。
ちなみに話題になったNIKEも当然害悪だからな。理由はわかるな?ちょっとNIKEの靴の箱を見てみろよ。ゴミみたいな表記があるだろ?日本、ヨーロッパ、アメリカ、イギリスで大きさの表記違うんだぜ。
はいゴミ。ヤードポンド法以下の存在。NIKEは反省しろよ。まずはサイズ表記を統一しろ。意識改革するんだよ。何がJust do itだよ。ヤードポンド法を滅ぼしてからお題目を掲げろよ。残念ながら度量衡に多様性はねぇ。「俺の体内時計では100mを8秒で走ったことになってるんだよなぁ。多様性を尊重しろよ」とか認められるわけないだろ。盤石な基準があってこその多様性なんだよ。
日本最強最高の男は?言うまでもなく室伏広治だ。では、彼が投げたハンマーの重さは?7.26kgだ。は?なにそれ?なんでこんな中途半端なんだ?はい16ポンド。ヤードポンド法。ゴミ。
ていうかこれを書いてる俺、読んでるお前の目の前にある板もヤードポンド法のクソゴミなんだよなぁ。いい加減になんとかならねぇか。
履いていますよ。
ってのは置いといて。
アツギの炎上やリカちゃん人形やちょっと前だとラブライブのミカンや献血での騒動の時に擁護勢がいう言葉が必ず「自分たちはきちんと二次と三次の区別がついている」という言葉。中には?に思う言葉もあるがそれは批判勢も一緒なので置いておく。
んで、言いたいのは「わざわざ宣言してくれる人達、ありがとう」ってことなんだよね。
どういうことかというと。
そもそも構造的に女性は男性より力は弱いし、どんな細い男も女性を押さえつけることは可能なわけ。
性被害にあった女性が周囲からセカンドレイプで「なんで抵抗しなかった?」って言われるけどほぼ無理なわけ。
つまり、一般の女性は常日頃から「自分たちは常に被害者になる危険がある」と心のどこかで思っている。
男性は逆に「自分たちは常に加害者になる危険がある」と思っている。(だから男性の性被害が理解されにくいというのもある)
そんな常日頃見ず知らずの人に被害を受けてしまう可能性を考慮に入れている女性的にはそりゃ二次で女の人がひどいことされているもの見たら怖いよ。自分たちも同じようにされてしまう可能性があるんだもん。
それでチワワになった女性たちはその絵を批判するんだけど、その時に「二次は二次、三次とは違う」とわざわざ言ってくれる人、つまりオタクはそりゃありがたいよ。
わざわざ言ってくれるんだからね(嘘は別)
小児性愛者について書かれた「「小児性愛」という病」っていう本にはそういった二次絵がトリガーになり、実際に幼い子供に性被害を加える人たちが紹介されているんだけど、そうゆう人たちって「二次は二次、三次とは違う」って言わないじゃん。
そんな中でわざわざ「二次は二次、三次とは違う」と言ってくれるオタクは自ら「私はきちんとすみわけができています」って言ってくれているものじゃん。
ありがたいね。
そこでオタクも一緒に加害する人を責めてくれれば100点なんだけど、それを加害する人の味方にもならずチワワ状態の女性の味方にもならないのはまじで愚の骨頂だと思うね。
……雪用ワイパーが止まるために……バッテリー交換1万少々円……錆が回ってると言う指摘で……下回りの防錆7700円……雪用ワイパーは止まることしか知らず……最大価値から昆人形から黄帽子から前店から日曜日から自動背後霊へ……とお店を彷徨い……夏用ワイパーに変えるという様子見で……2800円少々……助手席と運転席のワイパーの長さが異なることを知る……キッチンからストーブを部屋に移したので……寒い……とは言え……夏休み子供科学電話相談の通り……「風は暖かいところから冷たい所へ吹き込むんだよ」……風が部屋からキッチンへと生じる……もう駄目だ……この風気持ちいい……本当にこれでお箸が付いてるんでしょうか……お答え願います……姿の見えないアイシャドウマン……なお……今日は煙草を買う時1個でいいんですかが……貧困なんですかに聞こえ……はい……1個ですと答えました……いい子何ですかにも聞こえて……はい……1個ですと答えました……
中高と女子校で喪女青春真っ盛りの時の私の世界には、男は父親か先生か電車内のオッサンか、BLで掛け合わせるお人形しかいなかった
大学で服買って化粧して何とか容姿が人並みになって恋愛市場に乗った期間、BL趣味はその一時期だけ鳴りを潜めた
この時期食い散らかしていたので性欲と恋愛脳は人より強めだと思う
就職してストレス過多になった時にあるゲームにハマり二次創作に戻った
その後出会った理解のある彼くんと遠距離恋愛を経てなんとか結婚
妊娠中はBLもNLも他のエロ作品も一切受け付けなかったが、子供が産まれた直後にある深夜アニメが腐女子の間で大きなブームになり、夜間授乳で起こされるついでに視聴して無事覇権CP沼にハマった
理解のある旦那くんに子供を預けて冬コミとオンリーに参戦できたのは良い思い出だ
理解のある旦那くんの事は愛してるし結構な頻度でセックスもするけどBLへの投資は経済的余裕ができた分学生時代より激しくなった
引きこもりの身内がいる。わたしの叔父さん。年齢は75歳になったくらい。
わたしが物心ついたころから叔父さんはおばあちゃんの家にいた。ちなみに、叔母さんもいた。彼女は引きこもりではなく病気(統合失調症)で、小学2年生くらいで精神年齢が止まっている。
働かず、家事をちょっぴりする生活。部屋から出てこないわけではなく、家にこもっていた。近場の買い物くらいは行くが、それ以外は外出しない。無口だが会話も普通にする。
その当時、「ひきこもり」と言う言葉はなく、私もふーん、いろんな人がいるんだな、くらいに思っていた。おばあちゃんの家に行けば2人もいて、お茶を淹れてくれたり、お人形遊びをしたり、した。わたしの中ではそれがふつうだった。
大人になって、結婚を考えた時に、あ、このことは結婚する人に伝えないといけないんだと気づいた。わたしは一人っ子だから、もし両親が先に亡くなれば姪の私がその後フォローしないといけないかもしれないのだ。
15年前、おばあちゃんが亡くなり、住んでた家があまりにボロボロで崩れそうになったので建て替えてアパートにした。
しばらくそこで叔母と2人暮らしをしていたが、叔母が入院。今はひとりで暮らしている。
だんだんとできることが減っていった。今は外出が全くできない。電子レンジをはじめとした電化製品は一切使えないし、お風呂も滅多に入らない。なぜか怖いらしい。幻視や幻聴もあるのかもしれない。時々母が買い出し代行をしている。食事はお弁当の宅配でなんとかしている。
なにを考えてなにをして生きているんだろう。
昔は獣医を目指していたとか。勉強はできたのだと聞いた。大学生とかそれくらいに、引きこもるようになったらしい。
この叔父と叔母のことを知ってる人は、ほぼいない。叔母の担当医と役所の人くらいだ。同級生との関わりを聞いたこともないし、親戚もいない。近所付き合いもない。葬儀を出すことになっても、誰も連絡する人がいない。
そのことに気づいて、ここに投稿することにした。
引きこもり問題がニュースで流れるたび、叔父を思い出す。8050問題、親が亡くなった引きこもりはこれからどうするのか?自殺を防がなくては、社会復帰を、とやっている。
何十年も家にいた人が社会に出るのは相当大変だというのは間違いない。ITに全く触れていない人にとって世間は変わりすぎたし、当たり前も変わりすぎた。
コミュニケーションも限られた人としかとっていなのだから、そりゃあ怖いだろうし、すぐにはできないと思う。
ちなみに、うちは父が安定した職があったし、おばあちゃんが残してくれた不動産があったから兄である父(と母)がしばらく面倒を見ていた。しかし、父も母も年金暮らしになりこれ以上は、と思い詰めて生活保護を申請した。役所のひとによくここまで見られましたね、と言われ思いがけないほどあっさり通った。拍子抜けした。
生活保護は税金だ!働けるなら働けよ、それか余裕ある家族が面倒見ろよ、ごもっともだと思う。私も子ども育てながら働いて安くない税金や社会保険を払っている。
そしてときどき、自分や子どももこうなってしまうんじゃないかと怖くなる。統合失調症も遺伝することがあるらしい。
なんではてなというサービスを使ってるだけで「はてな民はリベラル気取り」「そんなリベラルなはてな民は実は平気で差別する偽善者」「よってはてな民は糞」みたいな扱いをされなきゃいけないわけ?全く理解出来ない。
Twitterにはネトウヨやレイシストが大量に存在してるけど、Twitter使ってる人=ネトウヨやレイシストとして批判されたりしないよね?なのに、なんではてなは使ってるだけで、はてな使ってるはてな民=卑怯なリベラル、みたいなレッテルを貼られなきゃいけないんだろう。大体該当のコメントにスターつけてた人の数って、全はてなユーザーのうちの0.01%にも満たないでしょ。それをやたら問題にするのってなんかおかしくない?
最近やたら「リベラル気取りの偽善者はてな民ガー」みたいなことを言い出す人を見かけるけど、勝手に脳内ではてな民代表作り出してお人形遊びしてんじゃねーよって思うわ。こっちを巻き込んでくるなよ低脳。
ルッキズムを語りたいとも思わない。
とにかくオドオドしたブスが大嫌いなのだ。
知り合い、同僚、友達…関係性はどうであれ、見目麗しくない、ちょっとしたことでモタついたりオドオドしてる女(ブス)を見てるとイライラする。
人のことを気遣える。人に優しくできる。協調性がある。趣味が多い。
周りで、オドオドびくびくしたり、卑屈な考えを持ってたり、(明らかに間違っていても)自分の考えを正当化しがちで「ぼっち」になる人に、不美人が多いのだ。
オドオドしたブスは、何も悪いことはしていないのだから堂々と振る舞ったり、聞かれたことに対して適切に答えればいいだけなのに、
あっ、あの、えっと、んー、えー、うーんと…
このワードを文中に何回出せば気が済むのか。
事の発端は、知り合いが私のヘアカラーやファッション、メイクやネイルなど、美容に関することに興味を示してきた。
知り合い自身は悪い子ではない。「少し優柔不断気味?」「今まで美容はあんまり興味がなかったのかな?」という印象だった。でもよく見てみると、
謎のパーマ(全然似合ってない)、手入れがされてない手元、しま○らで390円くらいで売ってそうな服、ボロボロのスニーカー、「整えている」とは言い難い雑に剃ってチョンチョンと描いた眉、ガタガタふにゃふにゃのアイメイク。もちろん口紅なんか塗らない。
はっきり言って、「ダサい」と思った。
そんな彼女が、先月、「いつも(美容関係は)どうしてるの?」と聞いてきて、私が通っているヘアサロンやエステサロン、まつ毛エクステ、ネイル、服や小物を買う商業施設などザッと説明したら、非常に興味深く聞いてくれた。
ヘアカラーやネイルのオーダー方法など、「そうなんだね!」「素敵だね」「どんな物があるのかな?」と、会話も弾んだ。
そして、
「ヘアサロンは私にも似合うカラーやカットがあるかな?」と聞かれた。アウトバストリートメントすらしていない髪の子に。
「メイクもちゃんと勉強したことないから教えてほしいな」と言われた。乾燥しているのにリップクリームすら塗らない唇に。
でも嬉しかった。綺麗になって一番嬉しいのは彼女本人で、彼女自身は性格も明るく、素直な子だったから、楽しくなってほしかった。
見た目が綺麗になれば自分のテンションが上がることを一番知っているのは、女である私と、きっと彼女だ。
そうと決まれば話は早く、メイクやファッション、ヘアケアなど一連の流れを教えた。
もちろん私が簡単にメイクを施したり、コーディネートの考察に付き合ったりした。
眉毛はこの角度で今より濃くした方がいい。ファンデーションはこうやって肌にのせるんだよ。
体型のバランスがこうだから、こんな形のジャケットが似合いそう。色が白いからインナーの色はコレがいいんじゃないかな。とか、着せ替え人形みたいで私自身も楽しかった。
自慢じゃないが、私は相当なマセガキで小学生の頃から化粧の知識を学んでいた。(母が読んでいた雑誌の影響もあるが)
高校生になれば付けまつげやまつ毛エクステ、社会人になってからはエステ、脱毛など、美容に関しては歴も長く、そこそこ自信があった。
一通りメイクとファッションを教え込み、完成を見せたら、なかなかに垢抜けていて、彼女の素材を引き出した自分にも賞賛を送りたかった。
変わりように一番驚いていたのは彼女だった。
すごく喜んでくれて、メイクで使った物を自分も買う!と言ってくれ、「一緒に綺麗になって、これからいろいろ覚えていけたら楽しいね」「オシャレしたら一緒に色んなところに行くのも楽しいし、気分がアガるね」と2人で話した。
そして今月、美容院に誘った。
服装やメイクは教えたつもりだし、髪型で印象がかなり変わるのだから、今度は髪の毛も気にしてみようよ!というような話だった。
でも、待ち合わせに現れたのは、以前と変わらない「ダサい」彼女だった。
メイクの時に教えたアイシャドウとファンデーションは?と聞くと「買ったけどまだ開けてない」
ファッションコーディネートの時に買った靴は?と聞くと「履く場所もないし…」と。
と思ってしまった。
美容院に行ってからも散々で、本人はカラーをしたい。パーマをかけたい。いろいろ要望を言っていた。
美容師さんが「最後にカラー、パーマをしたのは?」「どんな髪色にしてみたいですか?」「普段の服装は?」いろいろ質問を投げかける。
それに対して、「えーっと、、、忘れました」「あっ、あんまり希望はなくて…どういうのが似合うのかも分からなくて…んー…」「普段…?うーん…普段は外に出ないから…」
いやいや、聞いている方が困るだろ。
っていうか、要望を言うなら調べてこいよ。どんなスタイルにしたいとか、少なくても誘ってから2週間以上あっただろ。
普段あんたがずーっとうつむいていじってるその手にあるものはただの板か?いくらでもググれただろ。
2人して一緒に入った美容院。
私は、普段からケアした髪を少しカラーをしてもらって、トリートメントもして女性らしくなるデザインカットを施してもらった。大満足だ。
彼女は、正直いつもと変わらない、似合っているとは言えない、真っ金髪にパーマ。
彼女は「増田は髪が綺麗だね。そんなに似合うカットしてもらえていいなあ」
「目が本当に大きいね。羨ましい」
「その服似合ってるね。今日の髪型(カット後)にぴったりだね」
いや、普段からヘアケアしてるし、やりたい髪型調べてきたからね。っていうか教えたよね?
そして、目も自然に大きく見せられるようなメイクを勉強してるからね。っていうかメイク教えたよね?
服装も似合いそうなものをチョイスしてきたからね。っていうか選び方教えたよね?
以降、私は「ありがとう」「普段やってるからね」くらいのことしか言えなくなってしまった。
その瞬間から私の中で、彼女は「オドオドしたブス」と思うようになった。
聞かれたことにオドオドびくびくして、
行動しないくせに一丁前に「羨ましい」だの言って、せっかく買ったものもタンスの肥やしにしてる人と、これから一緒に出掛ける気も失せる。だって、教えてもやらないじゃない。
いつもダサい格好してるのは自分なのに、それでいて「私なんか新宿のルミネなんて行けないよー」って言ったり、「銀座のネイルサロンなんてとても…」って言うなら、教えを乞うな。
だったら「羨ましい」なんて言うな。
ダッサい服着て家族だけと会話してれば?