はてなキーワード: フェラチオとは
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 07:47
完璧なアベノミクスなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
2 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 08:32
僕が南極について話している時、彼女はアベノミクスのことを考えていた。
3 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 10:02
アベノミクスの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。
エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
4 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 17:25
「ね、ここにいる人たちがみんなマスターベーションしているわけ? シコシコッって?」と緑は寮の建物を見上げながら言った。
「たぶんね」
「男の人ってアベノミクスのこと考えながらあれやるわけ?」
「まあそうだろうね」と僕は言った。「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいはアベノミクスのことを考えながらやっているんじゃないかな」
「スエズ運河?」
「たとえば、だよ」
5 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 20:54
「アベノミクス?」と僕は聞いた。
「知らなかったの?」
「いや、知らなかった」
「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」とユキは言った。
「彼にその趣味があるかは知らないけど、あれはとにかくアベノミクスよ。完璧に。二〇〇パーセント」
6 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 20:56
僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのアベノミクス」と呼んだ。
7 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/04 00:04
そして今日でもなお、日本人のアベノミクスに対する意識はおそろしく低い。
要するに、歴史的に見てアベノミクスが生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。
アベノミクスは国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それがアベノミクスだ。
8 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/04 10:13
9 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/07 01:11
「それはそれ、これはこれ」である。
ボートはボート、ファックはファック、アベノミクスはアベノミクスである。
10 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/12 04:45
「どうせアベノミクスの話だろう」とためしに僕は言ってみた。
言うべきではなかったのだ。受話器が氷河のように冷たくなった。
「なぜ知ってるんだ?」と相棒が言った。
とにかく、そのようにしてアベノミクスをめぐる冒険が始まった。
11 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/13 18:44
「君の着るものは何でも好きだし、君のやることも言うことも歩き方も酔っ払い方も、なんでも好きだよ」
「本当にこのままでいいの?」
「どれくらい私のこと好き?」と緑が訊いた。
「世界中のアベノミクスがみんな溶けて、バターになってしまうくらい好きだ」と僕は答えた。
「ふうん」と緑は少し満足したように言った。「もう一度抱いてくれる?」
12 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/19 20:23
僕はなんだか自分がアベノミクスにでもなってしまったような気がしたものだった。
誰も僕を責めるわけではないし、誰も僕を憎んでいるわけではない。
それでもみんなは僕を避け、どこかで偶然顔をあわせてももっともらしい理由を見つけてはすぐに姿を消すようになった。
13 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/02 08:02
「僕はね、ち、ち、アベノミクスの勉強してるんだよ」と最初に会ったとき、彼は僕にそう言った。
「アベノミクスが好きなの?」と僕は訊いてみた。
「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、アベノミクスを作るんだ」
14 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/10 21:12
アベノミクスには優れた点が二つある。
まずセックス・シーンの無いこと、それから一人も人が死なないことだ。
15:名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/15 19:16
他人とうまくやっていくというのはむずかしい。
アベノミクスか何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える。
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/22 02:21
僕は肯いた。
僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。
でもそれがアベノミクスというきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。
アベノミクスは少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。
僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。
17 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/26 08:57
その夜、フリオ・イグレシアスは一二六回も『ビギン・ザ・ビギン』を唄った。
私もフリオ・イグレシアスは嫌いなほうだが、幸いなことにアベノミクスほどではない。
18 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/03 07:44
直子は少し赤くなって、にっこり微笑んだ。
「アベノミクスもそう言ってたわ」
と僕は言って、そして笑った。
19 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/03 19:53
泣いたのは本当に久し振りだった。
でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。
僕は・アベノミクスが・好きだ。
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。
http://www.pandora.nu/pha/tools/spam/harukin.php?key=%83A%83x%83m%83%7E%83N%83X
浴槽で手でお湯をすくって顔にかけるアレのことだと思うんだけど、気持ちいいからついやってしまうんだが、マナー違反だよと言われてビックリした。
俺は別におじさんとかがやってても汚いな〜とは思ったことがなかったので、結構ショックだった。
やってるのを見て不快に思う人がいるわけだから、もうやらないように気をつけようとは思うけど。
公衆浴場なんて、誰とでも汗と垢と陰部を湯を介して共有しているんだから、顔をさらった湯が入ることくらいで汚さは変わらないと思う。
陰部は入る前に洗うだろうというなら、顔も洗えばいいだろう(お前は洗わないのか?)という話だし。
一般に男性は他人の男性器をフェラチオすることに抵抗感を持たないが他人の男性とのキスや唾液には抵抗感を持つという話と関連するのだろうか。
前にアニメの女湯で髪をまとめない描写にはリアリティがないという話題になったとき、「お湯は汚いから髪の毛なんてつけないよ」派と「髪の毛は汚いからお湯につけてはいけないよ」派がいたことも思い出される。
後者の言い分も感覚としてはわからなくないが(お湯に浸かった髪の毛のビジュアルは清潔ではない)、高齢の女性は性器のなかにお湯が入り込んで、上がるときにそのお湯が浴槽に戻ってしまうという話もきくし、髪の毛の汚れによっての汚れなんてたかが知れてると思うんだよな。
フェラとはこんなもんだと思って気にしてなかったが、
一度すごく上手い人に会ったせいで他が下手だったのだとわかった。
ほとんどの人は、経験がどれだけあってもフィードバックがないんだと思う。
結局異性の性感は口頭で何度も教えてもらわないとまったくわからないということだ。
自分含めほとんどの人間は大してセックスが上達しないまま人生を終えるんだろう。
つまり、
コミュニケーション能力が高くて勤勉な同性愛者のテクはすごいんだろうなと。
それで、同性愛者とやっててみたいというよりは、
自分が生まれ変わったら同性愛者のセックスモンスターになってみたいなあと思う。
その際は男でも女でもいい。
中高一環の男子校だったため、同じ人物に中高イジメられていた。
当時からチビでナヨナヨしてた僕は、なんていうか典型的なイジメの標的にされやすいタイプだったのだと思う。
反撃もできなかったし、先生や親に相談することもしなかったため、どんどんイジメはエスカレートしていった。
最初のうちは肩を殴られたり、文房具や教科書を奪われたりしていた。
その頃はなんていうか、薄く広くイジメられていて、クラスの半分ぐらいが僕に対して危害を加え、もう半分ぐらいが静観していた。
しかし、だんだんと暴力の内容がエスカレートするにつれて、狭く深くイジメられるようになった。
そうして、中学三年に進級する頃には、一人のイジメっ子だけが残った。
まず中三になって彼が行ったのは、僕の服を着る権利を奪うことだった。
最初は休み時間に何度も殴られながら無理矢理制服を脱がされた。
それも毎時間。
制服はもちろん下着まで脱がされ、よくわからない踊りを踊らさせられた。
言葉にするのは難しいのだけれど、みんなが服を着てるのに、自分だけ服を着ていないことは、とても惨めだった。
恥ずかしくて局部を隠そうとすると、腹や顔を殴られるのも辛かった。
一学期の終わり頃には、もう全裸はルーチンワークになっていて、彼が「おい!」と大声をあげるだけで、僕は黙々と全裸になっていた。
夏休みがあけ、二学期に入ると、彼は放課後に新聞部の部室にたむろするようになった。
新聞部は高等部の部員が三年生一人しかいなかったらしく、二学期からは、彼と彼の後輩たちだけの部屋になっただからだ。
僕は無理矢理そこに連れて行かれ、そこでもイジメられることになった。
そこで行われたのは、イジメというカテゴリというよりは、レイプに近かったのだと思う。
彼が男が好きなゲイなのか、それともバイなのか、はたまた誰かをイジメるのが好きなだけなのかは、よくわからないが、
とにかく彼は僕に対して性欲をぶつけてきた。
日々の暴力と全裸強制ですっかり反抗する気がなくなっていた僕は、黙々と彼の命令に従っていた。
最初はフェラチオから始まり、最終的にはアナルセックスまで行った。
誰にも相談できなかった。
全裸で授業を受ける僕を見て何も言わない教師に期待する方が難しい。
親は平日は夜遅くまで仕事で家にいなかったたし、休日は一日中眠っていて、まともに会話が出来なかった。
まだインターネットは普及していなかったし、個人の携帯電話なんてもちろん持っていなかった。
どうすればいいかわからなかった。
クラスの面子は変わっていたものの、僕の扱いは学年中に知れ渡っていたため、特に変化はなかった。
優しくなった。
顕著だったのは、暴力だ。
昔は僕が反抗的な態度をとろうがとらまいが、関係なく殴ってきたのだが、
その頃の彼は僕が従順にしていれば、あまり暴力をふるわなくなっていた。
学校外で会うのは始めてだったし、休日もレイプされるのか、と思うと、とても気が重かったが、
その日は普通にゲームセンターに行って、本屋に行って、ファミレスに行って、終わりだった。
そして何より世間話をするようになった。
昨日みたテレビの話や、授業の話、そんな普通の友達がするような会話を、
たびたび僕に振るようになっていた。
とは言っても、全裸を強制することや、無理矢理アナルセックスをさせられる点は変わりなく、
キッカケは「B君」だ。
B君とは始めて同じクラスになった。
まず何より体が縦にも横にも大きいため目立つ。
そしてB君は柔道がとても強かったらしい。
二年生に進級し、イジメっ子がいつものように「おい!」と叫び、僕を呼ぶ。
B君があらわれた。
B君はイジメっ子に対して「辞める気はないのか?」という感じのことを聞いた。
僕がイジメっ子にイジメられていることは学年中のみんなが知っていたため、B君も知っていたのだろう。
イジメっ子が返事をした途端、僕はB君に引っ張られ、服を着させてもらった。
それから、B君は僕を守ってくれるようになった。
授業も制服で受けられるようになり、
放課後のおぞましい性行為もB君が柔道部に匿ってくれるようになったおかげで治まった。
僕はB君と一緒に過ごすようになった。
楽しかった。
正直、僕の「自我」は中学二年生で失われ、この高校二年生になるまでずっと無かったのだと思う。
B君が体育会のわりにアニメが好きで、特にガンダムシリーズが好きだったこと。
格闘ゲームはギルティギアよりもストリートファイターやKOFの方が好きなことも。
B君は優しくて、強くて、格好よかった。
全部、全部、覚えている。
B君との繋がりで、ほかにも友達ができた。
みんな優しかった。
けど、やっぱりB君は特別だった。
僕はB君のことが好きになっていた。
同時にB君とも別の教室になってしまったけれど、お昼休みは一緒にご飯を食べたし、
このB君のことが好きだという気持ちを、どうやって処理すればいいのか悩んでいた。
まずもちろん、B君が男性が好きな男性なのか? という疑問を解決しないといけない。
そして、さらにその先にある
「責任感の強いB君にそこまで求めても良いのか?」という疑問が一番大きかった。
好きなら好き、嫌いなら嫌いだろ? と簡単に割り切れればいいのだけれど、
なんていうかB君と僕の関係はとても危ういように感じていた。
ハッキリ言って、B君の方が立場が上のようで、ある意味では下になる。
所謂「助けるなら最後まで面倒みろよ」的な論調で、B君の自由意志が反映されない気がしていた。
仮に僕とB君が相思相愛だったとしても、
B君の無条件の信頼と好意によりかかった、僕にとって都合が良すぎる関係なんじゃないだろうか。
つまり
『あのイジメっ子が僕に関係を強要したことと、上からと下からという違いがあるだけで、実質同じなんじゃないろうか?』
という悩みだった。
力の暴力とはまた違った、関係の暴力みたいなことを、B君に押し付けることになるんじゃないか?
僕はB君によりかかりすぎて、これ以上を求めちゃいけないんじゃないか。
僕もB君に対して同じことをしようとしてるんじゃないか。
彼は県内の大学に、僕は県外の大学にそれぞれ通うことになった。
たらればを言ってもしょうがないのだけれど。
イジメっ子が僕をイジメてなかったら、僕とB君は友達になっていなかった?
イジメっ子が僕に性的行為を強要しなければ、そもそも僕は男性に性的な魅力を感じなかった?
もちろん、イジメっ子のしたことを肯定する気はさらさら無いし、合法的に殺せるなら殺してやりたいとすら思う。
けれど、あの地獄が無ければB君とは出会えなかったし、あの地獄があったから僕はB君を好きになれたのかもしれない。
僕は彼を好きになったのだろうか?
彼は僕を好きになってくれるのだろうか?
僕は今でもB君のことが好きです。
峰なゆかさんの見事なブーメラン芸が世の中をささやかにざわざわさせている中、
私は彼女を擁護してた中村珍さんとかまんしゅうきつこさんとか、某コスプレイヤーとか、あと、その他何人か、
「ねえ、どんな気持ち?ねぇねぇ、どんな気持ち?」って、聞きたい気持ちでいっぱいだ。
上記の人たちは、峰なゆかさんの仲良しグループの人たちで、前回峰なゆかさんが田所コウさんの作品を「パクリだ!」と大騒ぎした際、
峰なゆかさんを必死で擁護して田所コウさんの漫画を盛んに批判し、結局、今やっと芽吹こうとした芽をぐちゃぐちゃにした人達だ。
そして、今は一同に極力峰さんの話題を避けている印象。かなり主観的な物言いになるけれど、結構卑怯だし情けない行為だと思う。
個人的な話だけど、田所さんの絵や空気感はとても好みなので、どうか今後また新しい作品をどうか発表して欲しいと切に願う。
というか、今回の件に関しては「やーい、ザマァwwwww」っていう権利がある。
彼女たちは非常にプライドが高いので、なかなか「峰なゆかのパクりの件、私が間違っておりました!」とは言えないらしい。
未だに峰なゆかさんのイベントを共演してあげたりしている。優しいね、切り捨てなかったんだ。
でも、きっと、今回の一件で仲良しグループの中で峰なゆかさんは「面倒くさいメンヘラ」にランクがさがったと思う。
それから「表面上仲は良いけど、なるだけ仲良くしたくないな」枠にもカテゴライズされたのでは、ないでしょうか。
曲がりなりにも、彼女の仲良しグループって、一般人ではなくてクリエイティブな人達。
「オマージュ」と、最大限に言葉を綺麗にしたって、許せないものは許せないのでは。例え、友人がやったとしても。
http://anond.hatelabo.jp/20151130191914
事の起こりは美容院だった。
カットカラーパーマを終えて肩を揉まれている時「硬いですね」と2回言われて、まー確かに疲れてるよなぁ、今年も頑張ったし年内にマッサージのひとつも受けに行くかぁーと思った。
どうせならアロマオイルで全身やってくれるやつとかさー、いいよねーなんて思った。
どう検索して行きあたったのか、もう思い出せない。
行こうと決心するまでに死ぬほど検索したため履歴を追うのもめんどくさい。
ざっと見たら、
の後にはもう
が入っているので、わりとすぐにエロいことに頭がなってしまったんだろう。
ともあれ、わりと初期にそのマッサージ店は(無店舗だから厳密には店とは言わないんだけど)検索に引っかかってきた。
後からマッサージのおっさんと話すことになるが、最近は純粋な「マッサージ」を探そうとしても検索するのが難しいそうだ。
いや、そりゃお手軽なところで「てもみん」とか行けばいいんでしょうけども。
さて、長い前置き。
ありすぎた。
ありすぎて立ち読みできる本屋で「やるっきゃ騎士」を貪り読んだのが、私のエロの原始の記憶である。
その後、すぎ恵美子の、酒井美羽のマンガでモヤモヤし、母が買っていたレディコミでモヤモヤし、ダイの大冒険でモヤモヤし、変質者からのイタズラ電話でマジックペンを用いた的はずれなオナニー指示をされた時は「お前そんなんだから童貞なんだよ」とイライラし、一つ年上の従兄弟に身体をまさぐられては「こいつもう勃起とかするのか」とうんざり思い、叔父と叔母の寝室に飾られた洋物ヌードカレンダーに失望し、一つ年下の従姉妹とは押し入れのなかでお互いの性器を舐めあった。
(毛のないマンコはとても舐めやすい)
なんかもうこういう、総合的にモヤモヤした子供時代を送り、小学4年くらいの時、電マに出会った。
はじめはパンツに血がついた。
あれは別に破瓜ではなくて、単純にガキの粘膜に電マはゴツくて刺激が強すぎたのだと思う。
ともあれイッた。
くすぐったいような感覚を通り越せば「イク」と、数々のエロ知識を持ち、知っていたからこそ、やめなかった。
だからイッた。
その後、母子家庭なのをいいことに私は電マとヤリ狂った。
早く本物のセックスがしたくてしたくて仕方がなかった。
ヤリてぇ!!!
その一心だった。
14歳JC(制服姿)の淫乱処女を頂く、だなんて本当に羨ましい。今からでも数万円取り立てていいだろうか。
顔は可愛くないし体型もデブではあったが、ババアになってみてわかる、若い処女の価値はそんなもので脅かされない。
挿入しても圧迫感ゼロ。
楽〜に口に全てを含むことができた。
何をされても痛くなかった。
誇張抜きに親指程度であった。
それでも私は彼とセックスを重ねた。
しかしある日、クソ寒い彼のアパートでフェラチオをしていたら、ドン!と彼の手が床を打ち、なんだなんだ?と思ったら「もっと一定のリズムでやれよ」と言われ、スーッとなんもかんもが冷めた。
まぁこちらも過度にベタベタし過ぎたこともあり(恋に恋する寂しいJCなんかに手を出すからこうなる)関係はご破産。
少ししたあと、再度コンタクトを取ってきたなぁと思ったら、何のことはない、他の女の子と付き合ったら妊娠させてしまい、その子とすることが怖くなって……というお話であった。
なるほどー、なるほどー。
斬新だな。
彼のアパートで久しぶりにキスされながら、ふと目に入ったのは写真立てである。
彼と、妊娠させてしまったのであろう女の子が写った写真がそこにはあった。
私に似て、デブ、いやふくよかな、髪の長い、人の良さそうな、保母さんとかしてそうな女の子だった。
私とは旅行なんぞ行ったことがないのに、どこかの観光地らしき場所で二人は肩をよせてピースなどしている。
全員、バッカだなぁ、と思いながら気が付かないふりをしていたら、彼の手が写真立てをパタンと倒した。
私のパンツを脱がせ、電マの使い過ぎなのかなんなのか片方だけ小陰唇がビラビラ長い我がマンコを見つめて、彼は言った。
「久しぶり〜」
その後もグダグダと関係を続けていたけれど、高校生になった私には、ほかに好きな男性が出来てしまい、彼とは別れることになった。
都合2年程度付き合い、週1ペースでセックスをしていたにも関わらず、私は彼とのセックスでイクことはなかった。
さんざん馬鹿にしておきながらこんなことを書くのは何だが、それを彼のペニスのせいにするつもりはない。
「クリちゃん、おりゃ、おりゃ」と言いながら彼が指でクリクリしていたのはクリトリスではなく、大陰唇の内側てっぺん(わかるだろうか)だったことのせいにするつもりもない。
むろん、彼の家の本棚にあった「ヤングアダルト情報源 異性編」のせいでもない。
完全に電マの勝ちというだけのことであった。
非処女の淫乱JKとの交際を受け入れてくれた彼からは、お金を取り立てるのは無理だろう。彼には色々とよくしてもらった。
今でもよく覚えている。
口が疲れるだろうなぁ、と思いながらも、誰かとしてイクことを経験したくて、ひたすら舐めてもらった。
彼の存在を打ち消してみてはどうだろう?と、布団を彼に掛けたりもしてみた。
とても好きだと思っていたし、優しくてペニスも普通サイズ(多分)、何より私のことを好いてくれてもいたと思う。
それでもイかなかった。
布団を剥いだ時、彼は汗みずくになっていた。
そんな渾身のご奉仕をしてくれた彼に好きな女性が出来てしまい、別れてからは、日照りが続く。
女友達に(「に」、である。「と」、ではない)ペッティングをする程度のことはあったが、自分の性の面倒は自分で(というか電マが)見る10年ほどを経て、適齢期をばびゅんと過ぎた私とセックスをしてくれる人が奇跡的に登場した。
その人とはじめて二人っきりで過ごした時、私のパンツの中は洪水であった。
その人がコンビニに出かけた隙に使ったトイレで、私は何遍もマンコをぬぐった。
そこはもう、濡れに濡れていた。
この時点では彼とは指先の接触すらしていなかったにも関わらずだ。
そう体が言っている気がした。
したくてしょうがないのでございますと言ったかどうかは忘れたけれど、念願かなって彼とはその日のうちにセックスに至り、初回からあれこれ注文をつけ散々に可愛がって頂いた。
そのわりに挿入には怯えたため、「処女かと思った」と後に何度も言われることになるのだが、なんのことはない、私はナカに興味がなかっただけである。オナニーはガンガンに行っていた。
その後も彼とは5年を越える長きにわたり関わりを持ち、たびたびセックスをし、墓まで持って行こうと思っていた私の性的妄想を満たしてもらい、たいそう丁寧にあちこちをこねくり回してもらった。
これはイクだろう。
そろそろいいだろう。
20代後半の女ざかり、我がマンコよチンポに喜びの涙を流せ。
ん?そうか妊娠が怖いか。よしよしピルを飲んでみよう、これで怖くないだろう、イケるだろう?
そーれ!!
イケなかった。
正確には彼に胸を触られながら自分でクリトリスを刺激してイッたことはある。
長々と手マンを行ってもらったあと、足がガクガクしていたこともある。あれが中イキというものなのかもしれない。
でも違う。
それは私の思ってた「イク」じゃない。
おちんちんあーん、いくいく、おちんちん抜かないで、気持ちいいの!クリトリスの快感なんてメじゃないわ!
というのはどこにあるのだ!?
彼に買ってもらった電マは相変わらず私をイかせてくれるというのに。
そして彼とも今、そっと離れてしまおうとしている。
5年以上もあんなに懇切なセックスをしてもらって(セックスのことばかり書いているが、その他の面でも彼はとても優しく私を扱ってくれた)、イケなかったか……というボーバクとした寂しさが、どこかにあったことは否めない。
もう三十路も真ん中が見え始めた。
なにしろ私はデブである。いや、クソブスとは言わない。愛嬌はあると思うが、でも積極的に男心を「可愛い」「綺麗」とかき立てる面相はしていない。
もうセックスしないだろうな。
中でイかないままか。
いいや、それはいい。
あー。
さて話は戻る。
今はとりあえずブックマークだけしておいて、一ヶ月経ってもまだ行きたければ考えよう。
そう思っていた。
しかし、頭の隅から「他人の手でイかせてもらう」ことがどうしても消えない。
気付けばまた体験談サイトを読んでいる。どうせこんなん盛りに盛ってるってわかってるのに。
そして決定打。
中イキの記憶が脳に刻み付けられ、下腹部を撫でられただけでイッてしまう女の子の動画を見て、風呂の中なのにマンコが、最後の彼とのはじめてのあの日のように濡れていた。
下腹部がずんと重い。したくてしたくて仕方がない。きっと排卵日ってやつなんだろう、冷静になれ、何より金がないだろう、でも今日しかない気がする、こんなにもヤりたくて、容易にイけそうなコンディションは数年に1回な気がする、これを逃すと中イキ、まぁそれじゃなくてもいい、他人にイかせてもらうことがないまま死ぬかもしれない。
明日はダメ、仕事だ。今日。今夜。今からとメールをして、ダメと言われたら諦めよう。
「120分で、今夜できますか?」といった内容の、バカ丁寧なメールを送った。
返事を待ち望んでも、恐れてもいた。
スマホが点滅する。
そう返信が来た。
つづく。
http://anond.hatelabo.jp/20151006131522
以前、横浜の古本屋で氏の単行本「バージェスの乙女たち」が何冊も並んでるのを見かけた。
その単行本の天(上面)には赤マジックでマーキング、ゾッキ本だった。
「バージェスの乙女たち」…人間を遺伝子改良して作られた有機人形、それの口と性器を交換した二口置換体であるディムロイド、
フェラチオ専用に四肢切断・抜歯・瞼縫い合せがされたフェラドールなど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%88%E8%9A%A3Melibe
当時、マニアックを売りにしていた掲載誌のフラミンゴの中でも際立って異色の内容だった。
単行本化してもそれ程部数が見込めなさそうな。
蜈蚣Melibeはファンロードの常連投稿者出身の漫画家。プロデビュー前から少なくないファンがいた。
ファンロードは読者投稿で成り立つアニメ雑誌。その性質上、ハガキ書く手間を厭わない読者が多い。
元増田だけれど、そういう、SMプレイみたいな場面で語られる狭義のサドマゾとは別の話なんです。
セックスの際のプレイ傾向や、実際にDVをするというのではなくて、もっと原罪的な、
「この世界と社会で男が男として女に接するだけで、無視すべきでないレベルの暴力や抑圧を否応なしに与えているのだ」
というフェミニストの主張に基づいて、サディズムとか暴力とかの言葉を使いました。
ちなみに、セックスの際のプレイの好みで言えば、むしろ私はマゾ寄りだと思います。
レイプ系では男性がどうしても責める側になるけど、売春みたいな作品においては、女の人に責めれたり掘られたり射精管理されたりする方が好きなので。
こういう拗らせ方をする前は、ラブラブセックスものでも男性受けを主に好んでいたし。
もともとは、男性受けで女性上位な物語の方が、女性を尊重していて政治的に正しく、罪深くなく、私は悪くなく、
でも今は、それら狭義のマゾ男系の作品も「自分をちょうどよく責めてくれるファンタジーを女性に押し付けている」みたいな後ろめたさを感じるようになりつつはあります。
SはサービスのS、MはマスターのM、なんてよく言われますけど、合意セックスの際のサド・マゾというのは本来どっちが上位かというのは判然としないわけで、
たとえばフェラなら「フェラチオを無理やりさせる」だと男の側が上位っぽいけど、「フェラチオで搾られる」だと女性側が上位っぽくなります。
お互いにちょうどいい責めっぽい雰囲気・受けっぽい雰囲気を作り合うのがセックスなのだろうけど、
男性である私が女性に「私にとってちょうどいいレベルの攻め方をしてほしいな」と期待するのは、
私が男性であることで意識せずとも女性に与えている暴力・抑圧でもって強要することにあたってしまうのだろう、と後ろめたくなるんです。
神は7日間かけて天地を創造し、6日目に可愛い女の子を創られた。
禁断の果実
最初の人間アナル、さらにもう一人創られたインブは楽園でつつましく暮らしていた。
インブは蛇にそそのかされ、うっかり禁断の果実(うんこ)を食べてしまった。
神の怒りに触れ、蛇は手足を失いチンコになり、インブはうんこをしなければならなくなった。
息子たち
アナルとインブの罪はその子供たちにも受け継がれ、アナルのある人間と無い人間が現れた。
長男であるケツカインはアナルがあるという劣等感から、弟アナベルを殺し、楽園を追放されることになった。
ケツノアナの箱舟
そして人間は増え続けた。
神はアナルのある可愛い女の子とアナルのない可愛い女の子をふるいにかけるため洪水を引き起こした。
神はアナルのある可愛い女の子を生き残らせるためにケツノアナに箱舟を作るように命じた。
大雨が降り、四十昼夜降り続いた。
その結果、アナルのない可愛い女の子は全て絶え、アナルのある可愛い女の子だけが生き残った。
当時の人間たちは長くて太いものに憧れを抱くようになっていた。
バイブマニアの人たちは、天まで届くほどに巨大なアナルバイブの塔を作ろうと躍起になっていた。
それは神の怒りをかうことになった。
「見よ、民はエロいことしか考えぬゆえに このようなくだらない事を始めてしまった。
彼らのする事は、もはや何をもっても 止める事はできない。
彼らのアナル観を混乱させ互いの性癖を理解できない様にしよう。」
アナルハム
アナルハムという人もいた。彼は包茎であったため、包茎手術をうけた。
モラセ
フェラチオはどこかの国の王であった。
モラセは小さい頃、フェラチオにアナル川に投げ捨てられ殺されそうになったことがある。
フェラチオの追手が迫り、モラセ一向は逃げていた。突然モラセはうんこがしたくなった。しかし、当時一部の人間のケツには割れ目がなくアナルは体内に埋まっていた。
「う、うんこができない!!」
モラセはチンコを思いっ切り振り下ろした。すると、ケツが真っ二つに割れたではないか。
モラセは存分に漏らすことができた。
モラセの十戒
一方で、いつまで経っても山から下りてこないモラセに民は苛立っていた。
民は金をかき集め、黄金のアナルを作った。
民はそれを祭壇に飾り、アナル型オナホールでオナニーをし始めた。
十戒を手にして喜んで帰ってきたモラセが目にしたものは、アナル型オナホールでオナニーして喜ぶ民たちであり、偶像崇拝であったのだ。
怒ったモラセは民からオナホを奪い取り、家に持って帰ってしまった。
1. アナルの崇拝
3. 肛門という言葉をみだりに唱えてはならない
5. アナルを敬うこと
6. アナルを犯してもよい
7. 姦淫の禁止
8. 便所のぞきの禁止
■その1。
いやー、『ONE~輝く季節へ』を、やっとこオールクリアできたので、記念(?)に、『ばらえてぃたくちくす!』を買ってきました。
「ほう、『鈴がうたう日』番外編か……あ、そういえば、本編、途中で止まったままだよ!」(またか)
……という訳で、今月は『鈴がうたう日』(以下『すずうた』)です。つーか、新作より、目の前にある積みゲーの数々をクリアしないとな……おかげで、歴史の把握が、かなーりおかしいことになってて、頭の中で文脈が混乱しまくってるよ!
さて、前半、平凡な日常描写を積み重ね、後半で非日常的な描写へ一気に持っていく構成、その対比と高揚感から、特定の感情を生み出すという演出手法は、普遍的になりつつある。実際、効果的だけど、最近は、苦痛に感じることもある……。
そして、前半と後半を繋ぐために、ある種の情緒……ファンタジー要素や少女幻想的な描写を使う作品も多い。また、日常の崩壊を匂わせる、詩的な言動や描写を、前半で伏線的に配置しておくパターンもある。
しかし、『すずうた』の場合は、何故か両方とも欠如しているのだ。前半に配置されるのは、少女幻想を前提とした詩的なラブコメ描写ではなく、あくまで少年まんが的なノリで作られたギャグ描写だ。なので、ラブコメという感触は乏しい。むしろ、ノリとしては久世光彦の作るホームドラマだ(『ムー』とか)。
前半で配置されている非日常的な要素を強いて挙げるならば、物語の発端となる、すずの来訪(登場)なのだろうが、それすらも、簡単に日常へ取り込まれていく。そのことが、後半の展開との落差に、違和感を生み出す遠因となっているようだ。
ほとんどの美少女ゲームは、恋愛の予備段階と言える状態からスタートする。犬チックな幼なじみが起こしに来たり、変人な先輩と偶然にぶつかったりするが、それらの出会いには、主人公のモノローグなどで、恋愛の予兆があらかじめ内在する。
ところが、『すずうた』は、「恋人未満、友達以上」どころか、まるっきり友達感覚な描写ばかりが続くので、その予兆が内在しない。そして、恋愛の予兆が排除された状態から、後半、一気にハードな恋愛状態へ流れ込むが、恋愛描写や少女幻想がもたらす酩酊感が全くないので、関係性の変化という事態に対し、全くフィルタがかからないのだ。よって、急性アルコール中毒になったような感覚に陥り、あまりにも不条理な災厄が降りかかったような気分になってしまう。これが、先に述べた違和感の正体だと思う。
さて、その後半に目を向けると、提示されている仕掛けはことごとく、対立する視点が介在し(七海トゥルーにおける紫姉、など)、いわば、理性で言霊の暴走を抑えている格好になっている。なので、前半の軽快さとは一転して、重苦しい展開になっている……という対比はあれど、高揚感は生まれない。従って、プレイヤーもまた、流れに乗り切れないまま、物語は終わる。おまけに、どのラストも正直、爽快とは言い難い。しかし、シナリオの手法としては、これは決して悪くない、と思う。
同じように、イベントで盛り上げるという仕掛けを排除した作品としては、『いちょうの舞う頃』が挙げられる。しかし、『すずうた』の場合は、『いちょう~』ほど明確に排除している訳ではない。むしろ、仕掛け自体は積極的に使用しているのだが、問題は、そのほとんどに意図的な抑制が働いていることだ。早い話が、ラブコメの物語構成要素に対し、再検証が行われているのだ。
ラブコメというシステムは、その発生においては、過去の歴史から断絶しようとする意志によって成立したものだった。実際、袋小路に入っていた物語に対するカウンターとしては機能を果たしたが、システムの発展に伴い、【オブジェクト嗜好】という、形骸化に陥ってしまった。
だから、『すずうた』が目標とする場所に到達するためには、言霊を抑制し、感傷に流されることを避け、登場人物たちを自律的な選択に導いていく必要があったのだろう。
■その2。
【お約束】な停滞からの逸脱=ラブコメの定番パターンからの進化。しかし、それは物語システムを自壊させる行為でもある。その意味で、この問題に最も自覚的だったのは『WhiteAlbum』だったのだが、それ故に、一部のユーザーからは生理的嫌悪にも似た反発に遭った。
物語構成要素の再検証という行為は、作品の質は上げるが、その分、間口を狭くする。ちなみに、某誌によれば、『ア○マゲドン』のプロデューサーが「観客というのは、感動的な音楽さえ流せば満足する豚だ」と言い放ったことで物議を醸したらしいのだが、目標とする対象が多ければ多いほど、低いレベルでの記号化は強まる。水は低きに流れるものでして……。まあ、だからといって、エアロスミスの音楽は正解だとしても、出演女優をフェラチオの上手さだけで決めるのはどうかと思うがなあ……っと、話を戻そう(笑)。
つまり、【恋愛】というファンタジーをめぐる、物語システムとしての【ラブコメ】が直面している問題に対し、停滞からの逸脱を目指した上で、恋愛関係の可能性を描こうとした場合、必然的に、既存のパターンにはない微妙な感情を描いていくしかない。同時に、それは、類型化された方程式を否定していく作業になる。記号のイメージに頼ったテキスト作りは許されない上に、記号によるお約束に慣れた(眼鏡っ娘=内気、とか)ユーザーからは反感を買う……正直、茨の道ではある。
でも、逸脱の手段として、日常においての自律的選択(自力本願)という方向性を追求した作品群の中では、『すずうた』のテキストは、かなりの強度を持っていると思う。
例えば、『ONE~輝く季節へ』の場合は、日常から非日常、そして、日常へという流れを持っているが、『すずうた』の場合、日常から日常へと繋いでいく。しかし、前半で提示される日常は、後半で提示される現実の上に成り立った、虚構に限りなく近い日々なのだ。そして、その断層から、過去の幻影と現在を繋ぐという、もう一つのテーマが浮かび上がってくる。あと、女の子たちの物語への感情移入よりも、日常の脆さを提示されることが優先されているのが、筆者には新鮮だった。まあ、恋愛小説というよりは、教養小説っぽくなった感じもするが……。
それから、感心したのは、父性&母性の扱い方だ。すずシナリオでは、後半、唐突に父親との相克がテーマとして浮かび上がるのだが、過剰な行動には至らない。逆に、蛍トゥルーでは、負の母性との相克がテーマになるが、これまた、過剰な補完行動には至らない。類型的な受容と和解で解決してしまい、結局、依存から逃れられない作品が目立つ中で、『すずうた』の登場人物たちは、周囲の助けを借りながらも、あくまで自律的に運命を選択していく。
他人の犠牲も含めた上での自律的な選択は、『WhiteAlbum』の場合もそうだったが、必ずしも許容できるものではないだろう。しかし、偶然と選択の危うい積み重ねの結果である、平凡な日常が脆いように、全員が幸せに笑っていられる優しい世界もまた、脆さを内包しているのだ。
そして、わずかに残った非日常的な要素(すず)も、全てを無に帰すほどの力を持っている訳ではなく、奇跡=解決にならない。だから、コールタールのようにまとわりつく現実から救われることもないし、すずの存在もまた、過去の記憶として、日常的に失われていくものの一つとして、現実に組み込まれていく。
だからこそ、むしろ、哀惜という感情が静かに流れ込んでくるのだけど、美少女ゲームとしてのカタルシスは欠いているのかも知れない。
しかし、あくまで自律的な行動によって、過去の欠損を補填していこうとする、ささやかな意志の方が、ゲームを終了し、物語がプレイヤーの現実に取り込まれた際に、有効に機能するのではないだろうか?
過去の日常と現実の日常を再接続する物語に触れることで、個人の物語も再生する……それが、歴史を紡ぐのだと……筆者は思うのだが。
■ちっとも終わらない近況。
仕事がここに来て、がーっと集中してしまい、一日7時間ファミレスに籠もって、モバイルギアのキーボード叩いても、ちっとも終わる気配がないよ……(迷惑)。脈絡不明な仕事ばっかしているので、最近は「本業は編集者」とは言えなくなってきたですよ……。
あ、事務所のホームページに、このコラムのバックナンバー再録を始めました。とりあえず、昨年分はアップ済。つーか、次回で連載一周年なのか。エロゲーのテキスト解釈だけで一年も続けるんじゃないよ、俺。もっとも、結構辛いけど、それなりに面白くなってきたので、もう少し続ける予定です。最初は、もう少し普通(?)のゲームレビューにするつもりだったのに……脱線しすぎ。
年上の熟女美人人妻のAとは、引き続き月に一回の安定した付き合い。セックスに面白みはないけど、さっぱりした性格だし、いろいろと気さくに話せる、希有なセフレだ。
すこし年下の人妻Bとは、2月が最後になった。体の感度と、感じる声はとにかく最高なのだが、彼女からの恋愛的感情面が少し大きくなり過ぎており、あえぎすぎて目が虚ろになる彼女の癖も、白目を剥いているように見えてきた。その後、夏にも会って食事だけした。彼女側も吹っ切れたようで、その後は薄味の友人として続いている。
千葉住みの人妻C。美人という程でもなく、下町っぽい見た目と性格の女。移動の都合で葛西のホテルに入ったが、座らせる間もなく立ったまま後ろからどんどん服を脱がせ、片脚をテーブルに上げさせ、指で責めると大変な反応。そのまま後ろからまず一戦。フローリングの床の上には垂れた愛液と吹いた潮で大きな池ができた。その後も彼女の分泌は凄いもので、別に潮吹かせ好きではないのだが、騎乗位で望むがまま感じてのたうちまわる彼女からの淫水で、ぼくの下腹部には池ができた。フェラチオのすばらしさも絶品で、唾液、やわらかさ、リズム、何もかも段違いに気持ち良かった。
秋ヶ瀬公園の人妻D。当時は「プチ」というものを知らなかったので、待ち合わせ、車の中で、そういうことかと理解。おまけに生理だというので、それ以上に進展も出来ない。彼女のほうは構わないと言うものの、生理中の女性とセックスするのは好きではない。
妻E。秋に一度した。現状、これが最後のセックスになっている。お互い、信頼も仲も申し分なく楽しく暮らしているのだが、セックスは卒業してしまった。きっかけとなった原因はひとつあることはある。
図書館に勤める人妻F。婚外は全くの初めて。体格はややぽっちゃりだが、会話はアニメ声。そしてとても真面目。初対面で楽しく知的デートして、そのまま歩いてホテルへ。結局連続3回。良いよということで生ですべて中へ。帰りの夜道、ぼくの服の裾をつかんで一緒に歩きながら、あのね、いま、少しずつ出てきちゃってるかも。と大人しく言われた瞬間がとても卑猥だった。もう一度だけホテルで会って、放流。
年末に知り合った同い年のG。バツイチ。子あり。性格もいいし背も高めで美人顔。セックスも前向き。いい出会いで、その後もしばらく続いた。
池袋で食事だけした人妻H、I、Jと、三郷でお茶だけした人妻Kは省略。
この頃はほとんどがYahoo!メッセ経由だった。Fだけ当時使っていたYYC経由。
YYCはまっとうに客から金を取ってる感があり、それ故かいわゆるサクラがいない気がする。業者つまり援希望女性は山ほどいるが、それはそれで良いのだろう。僕は援は苦手で、金でセックスを提供されても立ちもしないので、援の大群、そして我儘と自分勝手の女たちを潜り抜け、リアルを探して会うのが利用の面白さの醍醐味ということになる。ここに興味がなく面倒な人は風俗に行くのが良いと思う
そして、あの素晴らしいフリーダム、Yahoo!メッセンジャーが無くなったのは本当に惜しまれる。履歴データを振り返ると、話しかけた相手は総計5935名。それなりに話したログが10キロバイト以上の相手は165名。勝手なPMから話相手に落とし込み、セックスも含めた気さくトークの間柄になるまでがメッセンジャーの面白みなので、楽しい結果だったと思う。2000年代中頃にスタービーチが無くなったときに喪失感を味わった人たちも、同じような気持ちだったのだろうか。メッセ経由で実際に会ったのは18人で、セックスしたのは6人だが、ここはまた別のゲーム。
ともあれ、YYCもYahoo!メッセンジャーも、いまならtwitterも、まさにリアルな心理戦というゲームだ。もちろん会ってからもお互いにゲームだし、セックス自体も心理ゲームだけど。