はてなキーワード: 騒音とは
最近、新書で『トラウマ』(トラウマ (岩波新書) 新書 – 2013/1/23 宮地 尚子 (著))という本を読んだ。
次のようは話が出てくる。
今、国際条約で身体的な罰を与えることは禁じられている。
または、捕虜へ目隠しをしておいて『ここは、地上10階です。あなたは、突き落とされます』とか、”恐怖心を受けつける”タイプもやり方もあるとか。
身体に傷跡という証拠を残さないタイプのやり方が写真付きで書いてあった。
過労死に追い込むブラック企業のやり口も似たようなことをやっている気がする。
恥をかかせたり、クビをちらつかせたり。
ほんと、悪知恵の働く人っているよな。
結果事故、は置いておいて
原爆は人を殺すために作られた。原発は人を生かすために作られた。
なんとなぁく批判してるだけじゃないの?
原発に頼らないのなら現状火力発電に頼るんだけど、火力発電は原発以上に人を殺してるわけだよ。
原発以上に、労力がかかってるんだよ。石炭掘ってるの誰だと思ってんだよ。石炭の採掘事故で毎年1万人死んでるんだよ。犠牲の上で電気が使えてるんだよ。石炭は放射能よりただちに影響が出るだろうよ。最近異常に空気が汚い中国ではただちの影響で何万人死んだんだよ。CO2たれ流しの件については、どう考えるよ。
原発より安全?笑わせないでくれ。文明社会で安全なんてものが欲しいなら天国で幸せに生きるしかない。ゴミの問題?火力発電の方が何倍も出てるだろう。相対的に見てマシ、なのは原発だから世界では原発が増えているんだから。放射性物質の汚染が何年も続くから原発がダメ?じゃあ火力発電で出る水に溶ける年間22トンの水銀は、永遠に消えないよ。
じゃあさ、太陽光発電にしようという話になるけどさ。
太陽光発電だって、危険だよ?水害のときに救出の妨げになったという近年の報告が出てるし、あれすげー毒があるからね。しかも使用できる時間が短いんだよ。廃棄処分にしようとしたらもう大変。企業によって設置された周辺が高温になっててまともに住めなくなって、裁判とか起きてるよね。
風力発電とかの話になると、騒音や低周波音とか、発電量とかの問題になるでしょ。災害大国には向いてない方法だし。
自分は原発推進派でも火力発電否定派でもなく、これは解決していかなくてはならない問題だと思っているけどさ。
無くすことがすべてでは無いはずだよね。技術者は日々そういうことを考えて生きてるんだろうし。
路上ライブとは邪知暴虐を体現したアーティスト様が騒音をまき散らし、無辜の民を嬲り倒すことだ。
今日も近所の駅が惨劇の現場となった。アーティスト様が音という名の暴力を無差別に振るい、何の罪もない通行人を苦しめていた。
警察も、路上ライブという災厄に手をこまねいている。かくして平和なはずの駅前が、一瞬にして酸鼻極まる光景へと変転した。
私はこの光景にひどく心を痛めた。実は一度、アーティスト様の凶行をやめさせようと試みたことがある。
しかしアーティスト様に人の心がわずかでも残っているなら、路上ライブという愚行に及ばないのは火を見るよりも明らかだ。
幸いそのときは負傷したり殺されたりせずに済んだ。しかし一歩間違えば、大けがを負ったり命を落としたりしかねない状況であった。
命は確かに大事だ。しかし我が身が可愛いあまり、人々が路上ライブで苦しめられているところから目を背けた私の行為は糾されるべきではないのだろうか。
そういうことを考えて昏倒しかけた。
その現実がはっきりわかる人はマトモ。
それを認められないチンピラは自動車原理主義のイカれたクルマキチガイカス。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000074186.html
市長の車は対向車線にはみ出し・・・正面衝突6人死傷(16/05/06) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MXQpc9BSSls
神戸・三ノ宮駅前で自動車暴走、歩道につっこんで5人重軽傷 運転の男を逮捕:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASJ534226J53PTIL00N.html
自動二輪や自転車には逆立ちしても無理なテロのような大惨事を、自動車は全国で頻発させている。
http://greentoptube.hatenablog.com/
・京都・祇園では歩道のない生活道路を自動車が暴走して19人が死傷
・京都・亀岡では通学路を登校中の児童と引率の保護者の列に自動車がつっこんで10人が死傷
銃の引き金に指をかけながら走り抜ける人が異常者なのと同じように、自動車はそれと同等の加害性で人々を死傷している。
自動車は年間4000人以上を殺害しており、あまりにも書ききれない。
自動車運転手らの順法意識、モラルも最悪、劣悪で、日本は諸外国より交通事故死者における歩行者の割合が多い。
つまり、自動車への規制強化、取り締まり強化、課税強化、歩行者自転車という弱者を保護優先するインフラの整備が全く足りていない、という現実が見えてくる。
ここまで読んで、自動車が、いかにテロのような惨事を容易に起こす害物かがよくわかる。
子供のらの喉を傷める排ガスや、人々の生活を壊す騒音公害の元凶でもある。
人々の生活を壊す騒音ランキング 1位は「バイクや車などのエンジン音」 アンケート結果
http://chosa.nifty.com/cms_image/chosa/report/130822002729/20130823_04.gif
自動車は本質的に邪魔で迷惑で公害性が高く、テロのような惨事を頻発させる害物。
そんな害物は
・買わない
・持たない
・運転しない
を徹底するぐらいが良心良識、善意に基づく道徳的な生活スタイルだと断言できる。
自動車に執着するのは極めて自己中心的で傲慢で迷惑かつ、なによりテロのような惨事を起こす危険な思想である。
自動車などという1トンを超える阿呆な重量を持ち、専有面積・幅も邪魔で危険で迷惑で、そのうえ後続車が速度超過の危険運転を交通犯罪行為で脅迫しながら強要してくるJAPANの異常な自動車ドライバー界。
そんな人格破綻な異常者クズの仲間にならないが、良心良識ある人間の努めだね。
歩行者死亡や自動車運転手死亡における加害者のほぼ100%が自動車であり、交通刑務所懲役者のほぼ100%は自動車運転手。
実名公開、顔の公開、懲戒解雇、刑務所懲役につながる場合も多いのが自動車交通犯罪。
http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken_kiken_chishi.html
http://ecx.images-amazon.com/images/I/61A1q3r9IjL.jpg
日本の交通死亡者割合は、歩行者と自動車が特に多いツートップ状態。共に自動車からの加害による=自動車が減れば重大事故も減る。
『人々は人間が運転する自動車を禁止し、違法化するだろう。なぜなら自動車は危険すぎるから。』
http://jp.techcrunch.com/2015/08/12/20150811driving-your-car-will-soon-be-illegal/
『自動車免許なんて取るな!自動車など運転しないにこしたことはない。』
http://blog.livedoor.jp/show10a/archives/51777782.html
「車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない、
車はステアリングをちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」
そうなのだ、車は自分だけでなく他人の人生を簡単に壊してしまう恐ろしい乗り物なのだ。
「最も身近な殺人兵器」
http://www.asahi.com/articles/ASJ325521J32PTIL01Z.html
梅田の(暴走自動車11人死傷の)事故はインターネットのニュースで知った。
「だれでも加害者になり得る怖さがある」と改めて感じた。
テロのような惨事を起こす自動車の運転なんていう危険行為は、しないが最善
http://anond.hatelabo.jp/20160505211025
自動車という爆弾と同等の凶器は、買わない、持たない、運転しない、が人々の安全と環境を守る。『自動車を運転しない思いやり』を広めよう。
http://anond.hatelabo.jp/20160505213350
そして自信過剰な自動車運転手が死んだり人を殺したりしまくってるんですよ。運転しないが良識ある最善な姿勢です。
http://anond.hatelabo.jp/20160506002158
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1462266817/
【金食い虫】自動車は負債であることが明らかに【持たぬが最善】
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1460502065/
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1455104512/
オランダやノルウェーをはじめ、多くの都市で規制や排除が進む公害車両である自動車
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1461543122/
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1421931492/
自動車という占有面積的に邪魔で迷惑で危険な乗り物が、道路の安全を根底から破壊し、子供らの安全と命を奪っている。
http://www.city.omuta.lg.jp/kouhou-web/13-09-01/images/t01_01.jpg
http://art38.photozou.jp/pub/247/1476247/photo/136155727.v1386408744.jpg
市民60人あたりの移動手段における占有面積 専有面積がスマートで、排ガス騒音もゼロに近い乗り物を活用していきたい。
http://livedoor.3.blogimg.jp/himasoku123/imgs/9/5/952362b2.jpg
http://www.tkz.or.jp/con13.html
占有面積害が凶悪な自動車。そんな害物の乱用が蔓延し、自動車流入制限、自動車課税強化など自動車抑制施策が不十分なために渋滞公害発生、
渋滞で動けない救急車(警察車両、消防車両も) 失われる人命。
自動車乱用は重大事故を頻発させるどころか、救急車の到着も阻害し、人々の救急救命を邪魔している。
http://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8
道路を広くすると渋滞はさらにひどくなる:研究結果 結局は自動車への課税強化規制強化で自動車自体を削減していくしか解決は無い。
http://wired.jp/2015/03/19/traffic-jam/
事故を誘発した自動車違法駐車に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
自動車路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円
http://web.archive.org/web/20150717053222/http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html
自動車は占有面積的に救急車や警察車両、消防車、自衛隊車両、レスキュー隊等の緊急車両の通行を妨害する公害車両
http://www.insightchina.jp/newscns/wp-content/uploads/2012/12/1355219091.png
http://www.mori-syo.police.pref.hokkaido.lg.jp/koutsu/ihoucyuusya/image/ihoucyuusya1.gif
http://www.asahi.com/articles/ASJ226CYBJ22ULZU00G.html
「もうやめてください。誰かを巻き添えにしたらどう責任をとるんですか!」
自動車の運転中に発作が起きれば、アクセルペダルを踏み込んだまま、倒れ込むことも。
https://www.youtube.com/watch?v=A_t62W_0fs4
もちろん自動車は全速前進。
暴走しつづける。
また、自動車による大量殺傷は、睡眠不足や各種体調不良時にも起こりうる。
人だらけの都会や都市部でこれが起きたらどうなるかは、検索すればいくらでも凄惨な現場の様子をレポートする記事が出てくる。
こんなことが、人だらけでごったがえす観光地や都市部で起きたらどうなるか?
大勢の人々が自動車が歩道に突っ込んだりするテロにより犠牲になっている現実。
都市部の人々も、国民すべても、もっと遠慮なく自動車への規制強化、取り締まり強化、罰則強化を議員、知事、警察等に要請し続けて良い。
それが確実に通行人のリスクを減らし、安全を向上させるのだから。
そして、自動車という大量採用害物が子供の列につっこんだらどうなるか?
亀岡市立安詳小学校へ登校中の児童と引率の保護者の列に軽自動車が突っ込み、計10人がはねられて3人が死亡、7人が重軽傷を負った。原因は遊び疲れと睡眠不足による居眠り運転
京都・亀岡事故から4年 「事故のない社会」議論 京都学園大でシンポ(1/2ページ) - 産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/160424/wst1604240041-n1.html
憎むべき蔓延する自動車の交通犯罪一覧。警察に取り締まり強化要請を。
・速度超過(制限速度を1kmでも超えれば速度超過の危険犯罪運転に該当。事故を起こせば危険運転の罪に問われ交通刑務所服役等厳罰もある。)
・車間距離保持義務違反(十分な車間距離を取ることの必要性が理解できていない危険な交通犯罪運転。
特に自転車や歩行者に対して側方安全間隔1.5m以上を取らない危険な追い抜き含め、万が一の安全が確保できない危険運転が蔓延している)
また、歩行者や自転車への強引な追い抜き及び幅寄せは、暴行罪(懲役二年以下)の厳罰となる。
・横断歩行者等妨害等(横断歩道で歩行者や自転車のために道を譲らなければ交通犯罪に該当。
国内ドライバーの9割以上が違法行為を繰り返している。先進国ではありなえい無法状態。事故になれば交通刑務所行き。 http://blog.jablaw.org/?eid=1074745
・合図不履行(右左折、車線変更より3秒以上前に出さないと交通犯罪に該当)
・歩行者側方安全間隔不保持等(いわゆる強引なスレスレ追い抜き 対自転車に対しても蔓延) ・追越し違反
・指定場所一時不停止等 ・踏切不停止等 ・通行帯違反 ・警音器使用制限違反(クラクションの違法使用)
・駐車違反(自転車往来妨害、重大事故を誘引し三千万円以上の賠償命令も)
・路線バス等優先通行帯違反 ・割込み等 ・無灯火 ・携帯電話使用等
・進路変更禁止違反 ・通行区分違反 ・飲酒運転(基本的に実名が報道され、刑務所懲役率も高い)
他
横断歩道でさえも歩行者自転車の安全が、自動車の交通犯罪暴行行為により侵害されています。
横断歩道、93%の無関心 横断歩行者等妨害等違反の自動車の多くは、速度超過も併せて犯しているという惨状は、取り締まり強化要請の継続で打破しよう。
http://pon-s.tea-nifty.com/blog/2006/08/zebra_crossing.html
無信号の横断歩道で自動車の9割が減速しない: Vitz and Eco life
http://heritage.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/yomiuri-online-.html
87%が違法運転、というクルマ社会の惨状 ( その他社会学 ) - ujiin - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/nmiaitjhuaabghna/8409954.html
停止しないドライバーが3割?いやいや、警察を相手に抜け抜けと交通違反を宣言するドライバーが3割ということ。
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20130329/1364566973
コンビニに自動車突入で従業員が死亡…増えている高齢者の踏み間違え事故
http://matome.naver.jp/odai/2140996709947920201
http://response.jp/article/2015/08/16/257973.html
http://mainichi.jp/articles/20151127/ddp/041/040/018000c
http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/206679.html
『クルマ離れは善』
自動車を運転するという行為は、現場を地獄に突き落とす惨事発生率を著しく高め、人々の安全を根底から破壊する。
自動車運転を避けるという良心と良識ある生活も視野に入れて、人々の命を最優先にする最善な判断をし続けたい。
自動車を運転しない。この最善を。
すんごい旬を逃した感があるエントリだけど。
これまでの人生で2回、保育園もしくは幼稚園のそばに住むことがあった。
遊ぶときのキャーキャー声は、慣れた。先生がメガホンでワーワー叫ぶ声もまあ慣れた。
送迎時のおしゃべりも車の騒音も慣れた。そんな俺がただ1つだけ慣れなかったものがある。
子どもが泣き叫ぶ声だ。あれはどうにも慣れない。聞き続けていると心がぎゅうっとなり、いたたまれなくなる。
知っての通り、子どもは一度火がつくと泣き止まない。一度始まるとたっぷり10分はウワァァ――――!!!という泣き声が響き渡る。
女性の悲鳴や子どもの泣き声は人間の耳に一番敏感な音声だと聞いたことがある。
そんな声を1週間に2~3回、下手をすれば週6ペースで聞かされるのだ。これが一番しんどかった。
トリツカレ男を読んだ。すごくあたたかな内容の小説だった。大人の童話。短いのに充実感で胸がいっぱいです。
この小説はなんといっても、トリツカレ男ことジュゼッペの人となりが愛おしい。
ある一つのことに馬鹿みたいに熱中して、どんなことでもプロ顔負けの練度にまで達してしまうジュゼッペ。取り憑かれる事柄はどれもこれも奇想天外で、例えばオペラに、次には三段跳びに、その次には探偵ごっこに熱を上げてしまう。熱中する切っ掛けも馬鹿げていて、オペラならラジオで下手な芝居を聞いたから始まったのだし、三段跳びはバッタを見てたら突然衝き動かされてしまったのだという。
その上、どれもこれも違う熱中対象に出会ってしまうと、ぱたりとやめてしまう。三段跳びでは世界新記録を叩きだして全国大会まで駒を進めていたのに、大会当日になって探偵に取り憑かれてしまっていた。せっかく応援に駆けつけたのに、町の人々はまたかと苦笑することしかできない。
この取り憑かれは本人の意思に関係なく発生するようで、時と場合によっては周りの人がひどく迷惑することになる。オペラの時はところかまわず歌うもんだから周りの人は騒音に悩まされてしまうし、なぞなぞに取り憑かれてしまった時なんて、働いているレストランで客に謎かけをするもんだからものすごく疎まれてしまった。
取り憑かれは節操が無い。語学学習に熱中し、潮干狩りに熱中し、昆虫採集に熱中し、競歩に熱中する。使いもしないサングラスを収集し、誰も見たことがないくらい大きな雪だるま作りに性を出し、つなわたりを極めようとしてしまう。
代わる代わる、ある一つの物事にブレーキが壊れてしまった自転車のように突き進むもんだから、町の人は優しく呆れながらジュゼッペのことをトリツカレ男と呼んでいるのだ。
そんな素敵な素敵な彼がとある女性に取り憑かれてしまうのが本作なんだけど、火を見るより明らかな恋心がとても微笑ましい。相棒の人語を操るハツカネズミも皮肉屋だけど可愛らしい。物語の重要人物にあるタタン先生のエピソードでは思わず目頭が熱くなってしまった。
みんながみんな真っ直ぐで、お馬鹿で、一生懸命なのだ。最後まで読んで、この物語をぎゅっと両腕で抱きしめてあげたいような心地にさせられた。
気を抜くと体重が減る。
これについては、ほっとくとどんどこ減る体重が面白くて太る努力をしなかった自覚はある。
ただ、さすがに17を割ったところでこりゃやばいと思い至って間食するようにした。
ちなみに摂食障害ではない、健康状態は良好、強いて言うなら少食傾向かつ疲れやすい、あと肩凝り持ち。
さて本題、「痩せた?と言わないでほしいと言えない世の中なんて」。
痩せたね、痩せてるね、そう言われるのは悪い気しない。そりゃ太ってると言われるよりは。
というか、太った、太っていると思われたくないとい う軽い恐怖があることは否めない。
造作がクリーチャー寄りなもんで、身長体重くらいしか自慢できるもんがありゃしませんでサ。
ただ、痩せてるねと言われる快感を得てしまうと、また体重維持の努力を怠るわけで。いくない。
食事もお菓子も嫌いじゃないけど、いやむしろ甘いものとか揚げ物とか大好きだけど、それは食べたい量だけ食べたいじゃない。
限界量越えたら、ただの苦行じゃない。
苦しい思いしてまで、食べたい? 私は食べたくない。
無理に食べて胃がもたれたり、腹痛を 起こしたりするのは嫌よ。
まして、苦しい思いの先に快感が待っているのならまだしも、先にあるのは太ったと思われるという恐怖。
それなのに食べたい? 食べたくない。
さて、結論はココ。
私に「痩せた?と言われる快感」を与えないでほしいし、世の中の「太っていることを馬鹿にし嘲る風潮」はなくなってほしい。
太っていることの自虐もいらない。
太りやすい世の中になってほしい。
でも、それ、匿名でなく言える? 言えない。
清々しいまでの自己中な要求だからねー。それは分かってる、ウン。
減量目的だろうが増量目的だろうが、体重維持の努力は苦労のいるもので、だのに私の要求はそれを放棄しているわけ。
分か ってる、ウン。
だから、言いたいだけなんだよ。
私は言いたいだけなんだ。
「おめーらがあいつは痩せてるこいつは太ってるだの『デブwwwwデブは帰れwwwwデブデブwwww』だの、どー見ても適正体重の範囲内のくせに『はあ、ありえないデブww デブだからしゃーないwww』だの言うからこっちはその騒音が気になってしゃーないんじゃこちとら太りたいんじゃとりあえずおだまり!!!!」
って言いたいだけなんだよー!
それでストレス発散されてさ、まーいっかーってなってさ、気が楽になるじゃん!
だのに今の世の中ときたら、そんなこと言おうもんなら「は?痩せてる自慢乙」で一蹴じゃん!!
言えないじゃん!!!
いや多少は根底にそういう気持ちあるのかもしれないけど!!! けど!!!!
私にそう思わせる世の中が、私の痩せを助長してるんだからねーーーーー!!!!
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
他にも手段があるからというのもあるが、電話による会話が客観的には騒音だからだろうな。
まず、声の大きさ。
大きい音というのは不快に感じやすく、これは声に関しても同じだ。
交通道路とかの騒音と性質が違うのは、この音に中途半端な情報があるからだろうな。
けれど聞き取りやすいよう普段よりもハキハキと喋るから、耳に情報が嫌でも入ってきやすい。
さらにこの情報というのは、電話の向こうの声は周りには聞こえない、つまり中途半端な情報だ。
関心のない情報が無理やり、しかも中途半端に入ってくるというのはストレスを与えるわけだな。
まあ、これは文章で説明するより、実際に経験していれば自然と分かることだ。
おっと、君個人が「気にならない」と思っていたとして、それはほとんど意味のないことだぞ。
少し前にマナーの質問について答えときにも触れたが、個人の「気になるか」「気にならないか」ではなくて、不特定多数の「気になるか」「気にならないか」で考えるべきだからな。
というわけで電話による会話というものは傍から見れば騒音と同じで、多くの人もそれを理解しているからスマートフォンで電話機能は使いたがらないわけだな。
対面している際はそれが最も手軽な方法だから会話をしているが。
そう遠くない未来には、対面でも会話より簡単かつ効果的な手段ができて、話すことそのものがなくなる日もくるかもしれないな。
まあ、それでも意思疎通がちゃんとできないケースはなくならないと思うが。
続きです
私はZ君指名にしてO子ちゃんはフリー客ってことにしたので、いろんなホストさんがまわってくる。私はもう永久指名が決まってるので、名刺貰えなーい(笑)
永久指名ってなんだかすごいよね。結婚ですらいつまで持つかわからないのに、ホストさんを永久に指名するって。
口座とも呼ばれて、その人の裁量でツケにしてもらうことも可能らしい。私は「いつもニコニコ現金払い」をモットーにしてるのでツケで遊ぶのはあり得ないです。
☆他のホストさん
Z君が居なくなって最初に来てくれた子、S君がすごかった。顔は並(あとで見たら表に飾ってあるパネルの子だったんだけど、写真修正し過ぎて誰だかわかんない)で、若すぎるし好みでも何でもないって思ったんだけど、すぐに引き込まれた。物腰が柔らかで、騒音の中で酔っぱらって無茶苦茶な私の話をきちんと聞いて受け答えできて、発声が良いのか非常に話が聞き取りやすい。この人はどんな職業についても成功するんじゃないかと思った。っていうかまずは今やってるホストで大儲けだね!
そして目が普通の人と全然違う。カラコンのせいだけじゃないですよ。じーっと見つめる、清らかな赤ちゃんのような目だと思った。なんだか非常にやばかった。
なんで赤ちゃんを連想したのか、あとで気づいた。オキシトシンが分泌されたんだよ。母性本能、愛情、信頼が湧いてしまったのですね。うひゃ~
彼は指名ナンバー1の人だったようです。O子ちゃんが見せてくれた名刺、名前が筆ペンで手書きでめっちゃ達筆だった。S君、恐ろしい子!
こんな人が次から次へと来たらえらいことになる!と思ったのですが、あとは想定内に楽しいイケメン陣と、あまりお話もできない新人さんの玉石混合状態でした。ほっとした(笑)
他の賑やかなテーブルでシャンパンオーダー。「もう一本いっちゃう?よっしゃー2本!あともう一本?」とかマイクでわーわー騒いでて、結局女の子二人で5本はオーダーしてた。すごく楽しそうだったから良いのだけど、払えるのかなーと心配になりました。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20160421233307
http://mainichi.jp/articles/20160419/k00/00m/040/009000c
この記事では、全国世論調査で「近所に保育園ができるのを迷惑だと思うか」という質問に対し、「迷惑だと思わない」という回答が86%を占め、一方で「迷惑だと思う」という回答が6%にとどまったことをうけて、「保育園を『迷惑施設』と考える人は少数派」と結論付けています。
最初に断っておくと、単純に数字だけの比較でいえば、保育園迷惑派が全体に対する少数派であることは客観的に明らかであると言えます。しかしながら、この質問は、保育園が実際に近所にある状態を経験している人/したことのある人と、そうでない人では結果の絵姿は変わってくるだろうと思うのです。
では、保育園が近所にある状態を経験している人々は、全国にどの程度存在するのでしょうか。簡単な分析をしてみました。
保育園が近所にあることにより、何らかの不利益をこうむる場合、保育園ができることは迷惑であるということになります。ここでは、この不利益を、子どもの声・お遊戯の音楽等による騒音に的を絞って考えます。
資料1によれば、日常生活で「静かだ」と感じるのは45db(デシベル)以下とされています。対して、「うるさい」と感じられるのは、60~70dbを超えたあたりです。70dbはどのくらいかというと、騒々しい街頭やピアノの音にたとえられていますから、保育園の騒音はだいたいこの程度のものと考えておくと良いかと思います。また、同資料による「音の距離減衰」をみると、70dbの音源からだいたい50mほど離れれば、静かだとされる45db以下におさまることがわかります。騒音防止法の規定により、そもそも保育園で何らかの防音対策を試みているものと考えられますが、ここでその対策を無視すると、少なくとも保育園から半径50mの範囲内では騒音による何らかの影響を受けやすいと考えることができます。本分析では、多めに見積もって保育園から半径100m(約0.03平方キロ)の範囲を「保育園が近所にある」状態と考えることにします。
資料2(厚労省の調査)によれば、全国に公営・私営を含めた保育所は22,992件あります。
日本の人口(およそ1億3千万人)を総面積(およそ38万平方キロ)で割った人口密度(約340人/平方キロ)に0.03平方キロをかけると半径100mあたりの人口(10.18人)が算定できます。
これに日本の保育所数を乗ずると、保育所の近所にいる人口は約23万人となります。これを日本の人口に対する割合で示すと約0.18%となります。
この計算では、保育所を新設するにあたり十分なスペースを確保できる(つまり、実質的に保育所の騒音影響が無視できる)いわゆる過疎地についても考慮に入れてしまっているため、上と同じ計算を密集地域である東京都+指定都市(※)に限定して行った場合、保育所の近所にいる人口は約91万人と計算できます。これを日本の人口にたいする割合で示すと約0.7%(当該地域の人口比に対する割合は約2%)となります。こちらのほうがより実態に近い数字と言えるでしょう。
簡単な四則演算に基づいたもので、実際の数値とは乖離が認められると思いますが、それでも当初言及した「保育所が近所にある状態を経験している人々」は、どれだけ多く見積もっても日本の人口に対してたかだか一桁パーセントでしかないことがわかります。保育所に類する存在である幼稚園を含めても、一桁パーセントからそこまで大きなずれはなさそうです。
6%の内訳を知り得ない以上、保育所の近所に住んだことのある人の多くが保育所の迷惑さを感じていると簡単に結論づけることはできませんし、それが本エントリーの趣旨というわけでもありません。しかしながら、「迷惑たりうる事象を経験した可能性のある人口」が全体の数パーセントである限り、この世論調査はほとんど意味をなさないのではないかと思います。
そもそも環境権(騒音から守られる権利を含む)は国民の権利としてひとしく認められるものであり、多数決的に解決されるものではありません。保育所を迷惑がり建設に反対する人々のなかには、もちろんノイジーマイノリティというか、理不尽に声を荒げるような人もいるにはいると思います。その一方で本当に保育所の存在、騒音に対する無対策が特定の人々に身体的・心理的な苦しみを与えうる可能性は排除できません。こういった人々が存在する限り、保育所を望む人々がいるからといって何らの検討なく設立してよいという結論にはなりません。(もちろん、逆に保育所をこれ以上増やすべきではないという結論もあってはなりません。)
権利と権利の対立は、そう容易な善悪対立として解決できるものではないので、メディアの中の人は地に足つけてじっくりとものを考えて、慎重な報道をしてほしいです。
資料1: http://www.toho-seiki.com/info04_e.htm
資料2: 平成26年社会福祉施設等調査http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&listID=000001141016&disp=Other&requestSender=dsearch
※「指定都市」の定義は資料2に基づくもの(札幌、仙台、さいたま、千葉、横浜、川崎、相模原、新潟、静岡、浜松、名古屋、京都、大阪、堺、神戸、岡山、広島、北九州、福岡、熊本)。
住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数調査 2014年
いつもは本ブログで映画批評はしているのだが、今回は匿名ダイアリーにした。本ブログをリア友に教えるのは絶対に嫌だし。
<以下ネタバレを含みます。本作視聴済み以外の方は戻ってください>
映画館にぎりぎりで到着。実は女の子を1人誘ったんだけど体よく断られたので泣く泣く1人で来た。
さて今回の映画だが、結論から言ってまったく駄作である。もう見終わってびっくらこいた。ここまでつまらなく作れるのは逆に才能だと感じる。
まずコナンファンとしていわせてもらうと、映画の冒頭カーチェイスは紺碧の棺で、記憶喪失ネタは瞳の中の暗殺者で既にやっているではないか!!もうこの時点で興ざめである。
また驚いたのがキャラクターの薄っぺらさだ。黒の組織、FBI、公安の三すくみが今回のテーマだったようだが、FBIは冒頭にコナンにタクシー代わりに使われたのち出てこないし、公安の観覧車に同乗していたモブはキュラソーの太ももプレスで簡単にイってしまうような腰抜けである。赤井は赤井でブンブン回るオスプレイを前に「難しい…」とつぶやくばかりでなかなかライフルを撃とうとしないし、安室に至ってはいきなりキレはじめてストリートファイトをおっぱじめたのである。この安っぽい韓国映画のような作風はどうにかならないのだろうか。
つまり1人として魅力的なキャラクターが描けていないのである。これで喜んでいるのは格好良ければ何でもいいような脳みそ高野豆腐の女子だけであろう。
キャラクターといえば新キャラ「キュラソー」にも触れなければならないだろうが、こいつは一体何だったのであろうか。せっかくの美貌とオッドアイという個性を持ち合わせているのに、さっさと記憶を消され、満足に活躍する間もないままダンプの中でプチッである。まあ生かしておくと赤井を超えるチートキャラになるので死亡フラグは登場時点でビンビンに張っていたわけだが、それにしても作中ずっと「わからない…」を繰り返すだけの痴呆女に成り果ててしまった…これには俺もベルモットもがっかりである。
ベルモットで思い出したが、黒の組織もあほすぎる。ヘリやオスプレイをぶんぶん飛ばしまくっているようだが、あれは暗殺と言えるのだろうか。ちなみにオスプレイは上空200mを飛行していても90デシベルの騒音が響く。彼らは水族館の照明を落としただけでご満足のようだが、地上の人間には丸わかりである(はずである)。あとちょっと笑ったのが、オスプレイに乗りながらズラかるとき、ジンが「空自が来る前にずらかるぞ」と言っていたが、あまりに航空自衛隊を舐めた発言である。国籍不明の未確認機をレーダーが捉えていないとでも思っているのだろうか、それとも首都高大爆破事件をもみ消した「大きな力」とやらがここでも働いているのだろうか。謎は深まるばかりである。
ジンの話をもう少しさせてもらうと、驚いたのは以前より精細さを欠いた哀れなジンの姿である。爆弾を仕掛けたはいいもののあえなく解除され、空しく起爆スイッチを連打する姿は面白すぎるし、いきなりオスプレイからガトリング砲をぶちまける姿はまるでクールとは正反対だ。実はこいつは非常にアホなのでは?そもそも組織内にFBIだのCIAだのがガバガバに潜入しているのもこいつの責任なのかもしれない。しかも倉庫でバーボンとキールを追い詰めたのにも関わらず、メール一本で「まあいい…」って、あなたあの残酷なまでのポリシーはどこに行ったのでしょうか。
と、ここまで残念続きのキャラクターたちであるが、キャラクターを作ったのは主に青山剛昌である、しかし今回の駄作映画の戦犯はやはりお涙ちょうだいの情けないB級ストーリーであろう。これは原作者ではなく映画制作班の責任も大きいと思う。
まず全体としてロジックの筋道が立っていないのは本当にやめて頂きたい。ゆっくり視聴しているのに、いちいち思考する必要が出てきて非常にしんどいのである。映画は時間に厳しく制限をつけることで視聴者に解釈の余地を与えないことが利点であるのに、僕が映画中に女の子のことを考えているようでは失格である。
特に頭をひねるのが、映画終盤、ベルモットが「あのメールを送ったのはあなた?」とキュラソーに電話で聞いたのに対し、キュラソーが一瞬の躊躇のあと「えぇ、そうよ…」と答える場面。
コナンによってメールが送信されたのはキュラソーが記憶喪失中で、その後もメールの送信に関してキュラソーが何らかの情報を得た、ような描写は存在していない、つまりこの電話の時点でキュラソーはメールのことなどまったく知らないのである。ではキュラソーはなぜこのような返答をしたのであろうか。考えられる説としては、
1.キュラソーが送ったと答えたのはカーチェイス中に送ったメールのことだった
1の場合ならば返答の説明はつくが、一瞬の躊躇の説明がつかない。あれは別に思い出すのに時間がかかったのではないだろう。
2の場合もどうであろうか。彼女が少年探偵団を頭が切れる集団だと捉えていたとは到底思えないし、クールキッドとは特に絡みもなかったのでこれもあり得ないだろう。
どちらにせよ心理描写が描けない監督なのは間違いがないようである。
さて、数々の爆破と死傷者を出し、屍を踏み越えてきた黒の組織。さらにNo.2であるRUMの存在も示唆され、物語は紛糾を極めている。作者は「原作100巻までに物語を完結させる」と息巻いているが、果たしてこのペースで間に合うのであろうか。物語は始まったばかりである。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
異端者アピール説が有力だが、今回はちょっと別の切り口で攻めてみよう。
物事には多少の偏りが出るが、それがあまりにもいきすぎるとバランスを保とうとするんだ。
「アナと雪の女王」は覚えているかな(忘れようと思って忘れられるものでもないが)。
私も観にいって「これは素晴らしい作品だ」と当時思ったよ。
その熱を保ったままネットでレビューや、関連動画を渡り歩いた。
そして、それがしばらくすると不安になってくるんだ。
上映から数ヶ月たっても、動画サイトでもレリゴーレリゴー、TVメディアもレリゴーレリゴー。
「もういい」と思ったね。
人は食べ物に限らず、同じことを繰り返せば繰り返すほど嫌悪感が増すからだ。
「コンテンツを消費している」という言い方があるが、その弊害がまさにこの現象だと私は考えている。
「オートバランサー」はその流れを緩やかにするわけだね。
彼らは酷評されまくる駄作に関しても出てくるので、その点で平等だ。
絶賛する人、酷評する人と同じく冷静ではない。
とはいえ、作品というものは評価の対象で、だから賞賛も批判もある。
それらを発する個々の動機だけで是非を語ることにさして意味はないが、汲み取るべき部分があるのならば耳を傾ける価値はあるさ。
まあ、そんな高尚な心構えで常に臨むのは疲れるがね。
君がそれを他者に納得させたいなら、少なくとも「なぜその結論に辿りついたか」くらいは、順序をおって説明できないとダメだね。
どのような高尚な理念で「人それぞれ」、「ケースバイケース」だと言っているのか分からないから。
「YES側」も「NO側」もやっているのだから、君だってそれくらいしなくてはな。
前の質問で私は、絶賛されたり酷評されまくる作品にたいして「それほどでもない」という人間を「オートバランサー」といったのを覚えているかな。
ただ、保たなくてもいいところでまでバランスを行使する人間を、私は「均衡の執行者」と呼んでいる。
そして、彼らは中立的な意見を「YESかNO」より尊いものだと信じているんだ。
だが、両者にとって最も邪魔なのは「YESでもNOでもないのにしゃしゃり出てくる側」だ。
でも、君はその域にすら達していないように見受けられる。
「人それぞれ」、「ケースバイケース」だなんてことは、ほとんどのことにいえるから、誰だっていえる。
大した段階もなしに、その結論にたどり着くのは何も考えていないのと一緒さ。
それを踏まえたうえで、「YESかNOか」議論する意味をもう少し君は考えるべきだな。
学ぶべき教訓はこうだ。
「賢人は必ずしも中立にいるとは限らない」
数日前にYahoo!ニュースなどで話題となったが、子供がうるさいという理由で保育園の開園が断念になったという
それに対して子供がうるさいとは大人げないとかそういうお怒りの意見がよせられているという
その経験からいうと保育園は確かにうるさく学生時代は勉強に集中できなかった
ただし、私がうるさいと感じたのは子供の声ではなく、行事の際に大音量で流れる音楽である
毎年運動会などのシーズンになるとその練習の音楽が大音量で流れテレビの音が聞こえないほどであった
もう少し音量を下げるなど配慮すればいいと思うのだが常に騒音レベルの音を流していた
で、人の耳って同じ音量でも低い音より高い音の方が聞き取りやすくできてるのよ
もちろん加齢とともに聞こえにくくなっていくけど、体の構造として高い音の方が耳に届くのよ
確かに。。騒音あんまり気にならないたちだと思っていたのですが、そういえば居酒屋の中でも他のお客さんがめっちゃ大声で話してるとちょっと耳障りに思ったりしちゃいますね。。
「千葉の保育園断念問題」を見ていて、いつかの「満員電車にベビーカー問題」を思い出した。
いづれも「けしからん!もっと優しくあるべき」と正論をぶちまけてたのは、非当事者。
私の周囲で「満員電車では譲りあうべき」などという机上の空論を展開していたのは、通勤電車を使っていない連中だった。
首都圏で満員の通勤電車を使っていると、譲る譲らないの前に「あそこに乳幼児を連れてくるのは危険じゃない?」という印象になるはず。
自分の育ってきた人生を思い返してみると、小学校とか中学校、高校の時の方がうるさかったよね。
小学校ではもうはちゃめちゃに騒ぎまくってたし、中学校や高校では部活の時にそれはもう
雄たけびみたいな声を上げてた。運動会の練習の時だって全校生徒で大声で歌ったりさ。
そんなわけで各学齢別でどれくらい騒音だと言われているものなのか、と。
・子供の声がうるさい。
・音楽の授業がうるさい。
■小学校
・朝礼のマイクの音がうるさい。
・運動会の練習がうるさい。
■中学校
・部活動の声がうるさい。
・吹奏楽の音がうるさい。
・運動会の練習がうるさい。
■高校
・部活動の声がうるさい。
・吹奏楽の音がうるさい。
・運動会の練習がうるさい。
■大学
・部活動の声がうるさい。
・深夜に花火をやっていてうるさい。
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。
ちなみに
だったりします。
個人的な意見ですが、各論も大事だとは思うのですが、騒音に関していえば総論的な対処で
もしくは
といったやり方がよいのではないかと思います。もちろんきちんと測定した上で。