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はてなキーワード: 部活とは

2023-09-17

名称があってもよさそうな現象

所属する部活代替わりする度に弱そうになっていく現象

先輩の代は自分達の代より強く、後輩の代は弱いので卒業するときには次の代がしょぼく見える

消耗品の消耗スピードが落ちていく現象

シャンプーとか最初は景気よく使うのに残りわずかになるとケチりだす

2023-09-16

ちょっとした校則違反をするような子どもに育ってほしい

今度子ども生まれる。

第一子。実感はまだない。

先日、妻とどんな子に育ってほしいか話し合った。

そこで共通していたのは「ちょっとした校則違反をするような子ども」だった。

当然、いじめとか暴力絶対ダメだ。

けど、スカートの丈を少し短くしたり(今どきはあまりいないだろうが)、先生内緒学校友達漫画の貸し借りをしたり、入ってはいけない屋上部活の先輩から受け継がれた鍵で侵入して友人と夕日を見たりしてほしい。

ほんの少しだけ色がつくようなリップクリームを塗ってみたり、小学生とき友達と学区外まで自転車探検したり、合唱コンクール打ち上げ子どもだけでファミレスでやってほしい。(最後のやつは何ヶ月か前に増田で見た)

自分たち学生の頃を思い出しても、ちょっとした校則違反をしていたやつの方が要領がよくて、その後の人生も上手くやっている。

もちろん先生から保護者宛てに連絡が来たらちゃんと叱る。

校則なんて破っていい」なんて子どもには口が裂けても言わない。

だってそんなこと言ってくる親がいたら逆にウザいからね。

だけどさ...

親ってみんな、ちょっとぐらい校則違反をするような子どもになって欲しいと思っているんじゃないのか?

昔、三者面談とき先生が「まぁでも増田くんは大丈夫ですよ」と苦笑いしながら言った。

何度かしょうもない校則違反したこと母親に報告しながらそう言った。(確か立入禁止になっている旧教室がある棟をクラスの友人たちと探検したのがバレたとか制服の着方がとかなんとか)

その「大丈夫」の意味を改めて考える。

いや、考えるまでもない。

だって一度も校則違反をしないようなやつの方が明らかにヤバいのは誰が見たって分かるもん。

そういうわけで、結論はこうだ。

親としては校則違反をしてはいけないと子どもに言い聞かせる。だけど子どもちょっとした校則違反をする。叱る。

叱るけど本当はまんざらじゃない。

本音と建前を理解して、世渡り上手子どもになってほしい。

anond:20230914182954

部活同級生4人でオールをした」のって同人誌の締め切りの時しかないぞ

2023-09-15

これ、人間には損失回避性が備わっているっていうのならばなおさら

やらなかった後悔よりもやった後悔の方が大きくなると思うんだけど。

https://nabekoro.com/201711/5217.html

自分人生でも、やらなかった後悔(例えば部活代表選抜に立候補しなかったとか、恋愛で好きな男子アプローチしなかったとか)って

知識としては覚えていても、『後悔』という切実な感情って全然ないんだよね

最初は後悔したとしてもそれってその時だけで、

時間が経つにつれてやっぱりやらなくてよかったー、やれば絶対惨めな思いをしてたーって気持ちが強くなる

一方、やった後悔については本当に小さな事でも(それこそ授業中に手を上げたとかその程度)

いくら時間が絶とうともその時の恥ずかしさや惨めさを鮮明に思い出せるし消える事がない

やらなかった後悔は一過性、やった後悔は一生。

絶対に、やった後悔の方が大きいよ

anond:20230915155515

ほんとの話やで

大人お金持ちが自分趣味お金注ぎ込むのはまあまあいるけど、

子どものもしかしたらすぐやめるかもしれん趣味部活)にお金突っ込むの愛情資産がすごいなーって。

お金持ちすごいなと思った

子ども学校関係で仲良くなったお母さん。

すごく教育熱心。

幼稚園中学生まで子ども3人いるんだけど、全員週5で習い事してる。

お金かかるし送り迎えすごいなと感心していた。

旦那さんは親の病院を継いだ開業医

1番上の中学生は、幼稚園から小学校までクラブチームで週2でサッカーを習っていたものの、

中学校では部活テニスを選んだそうだ。

そしたらそのお母さん、応援したいということで息子に個人コーチはもちろん、

少しでも練習相手になりたいと自分コーチをつけて習い始めた。

1時間8000円とか。

私はたまたまテニスインターハイに出ているので練習相手になることにした。

そしたらこともなく

「今テニスコート作ってて」

子どもだけでも通える良さそうな土地があったから買って、11月にはできそうなんだー」

と教えてくれた。

私は感動した。

達成するためにはお金なんて気にしないし気にしなくてもお金はあるんだなと。

そして自らも上手くなろうとする向上心の強さ。

田舎県庁所在地に住んでるんだけど、なんか圧倒された

教員給料が上げにくい理由

タイトルちょっと盛った。

はてなー簡単給料上げろ、負担を減らせというけれど教員仕事特性上やるとしたらかなり厳しいことになるということを言いたい。

まず業務がかなり属人的で、時期や部署によってやる内容がかなり変わってくる。

例えば学校全体で数人しかいないような限界集落教員と全校生徒が500人以上の教員では職務内容は全然違ってくる。

他にも部活の強豪校でその部活を中心に回っている学校とそうでない学校でも全然違うし、中学受験が当たり前な学区とそうじゃないところでも雰囲気から全然違う。

他にもその年は非常に手のかかる発達障害の子供を担任するとか、受験生の学年を受け持つとか、地域半グレに感化された連中がまとめて入学してくるとか、生徒同士で妊娠させたか学校責任を取れと保護者が乗り込んでくるとか、例を出せばキリがない。進学校指導特別支援学校指導だって全然違う。

教員待遇給料見直し業務改善を本格的にやるならばこの辺りの教育業界では「センセひとつのんますよ」でなあなあにしておいたほうがいい問題も全部洗い直さなければならなくなる。一方は同じ1時間でもプリントあげて自習させとけばよくて、もう一方は授業中ポテチ開け始める生徒を叱ったり脱走した生徒を下がりたりしなければならない。

もちろん一律で全員給料を上げるのが一番望ましいのだけど、それだけでは結局業務はファジーな「たのんますよ」のままで、ブラック環境を引かないことを願うことしか出来ない。この部分に真面目にメスを入れたらジャニーズ芸能界全体に飛び火するみたいな話になってくる。

まずは教員基本的人権(定時退勤、児童生徒保護者から罵倒されない、パワハラ禁止)の徹底からだけど、どうなんだろうね。

anond:20230915131939

部活どころか社会に出ても負けてるじゃんお前

第2社会人って扱いもあったらいいのにな

ガチ部とゆる部で分けて欲しい

野球部とか吹奏楽部とか演劇部とかさ。

ガチ部を「第一」、ゆる部を「第二」と付けるルールにしてもらってもいい。

当然部の予算には差があるけど、楽しくスポーツやりたいだけの子金銭負担強いられたり土日潰したり頭丸めたり監督顧問暴力振るわれたり熱中症で倒れるリスク負わないで、楽しむためだけの区分

目的部活あって入学するならともかく、自分は別の目的入学して、帰宅部禁止だったから好きなカテゴリ部活入ったらガチ系でトラウマになった。

楽しく遊んで部活で仲良い友達作りたかっただけなのに、あれができてないこれができてない、こんなことでは試合に出させないと散々言われた。

自分は「どうせ負ける」タイプ人間なので勝負事は好きではなく、試合になんか出たくなかったのに、「そういう人間がいると部内のモチベーションが下がる」と言われて辞めた。

なんでそこまで言われなきゃいけないのか。

あと部員勧誘の時に嘘つき過ぎだよね、そういうの。

という訳でスポーツは輪をかけて嫌いだし、脳筋はそういう人を人間と認めてなくて「そんな人はいない」とか言って会話宇宙人だし、上がそうだとゆる部が成立することなんかないと思うけど、まぁチラ裏からな。言うだけ。

2023-09-14

anond:20230914181924

部活同級生4人でオールをしようということになりカラオケ雀荘漫喫に行く流れ」

この時点で親から信用されてなくてもしゃーないって感じする

[] 最近人の親になったけどあの時の親の気持ちがやっぱり全くわからない

学園祭が終わった夜、部活同級生4人でオールをしようということになりカラオケ雀荘漫喫に行く流れでまとまったのだが(今は知らないが、当時は詰襟のままでも平気で入れてくれる所は新宿渋谷池袋あたりの繁華街まで足を運べば必ずあった)、1年生の後輩が自分も付いて行きたいと言い出した。(anond:20230914181924)

20年は2003年だぞ。20年前に東京にそんなとこ既にねーよ

 

あと高3ならともかくなんで親は中3で外徘徊してるの許してんだ?

そもそも放し飼いするなって話だがそりゃなんかしたって思うだろ

 

 

 

 

 

 

 

 

追記:やはりブクマカ知的問題があるし、児童福祉敵対的 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230914181924

諸々、20年前2000年代というより40年前1980年代の風味って気はするな

から家に電話かかってきて親が謝り倒すってあたり特に

20年前だと何で相手が親の電話番号知ってんだ?

元々親同士の付き合いがあって知ってたとしてもそれなら携帯にかけるんじゃないのか?「受話器」にかけるか?ってなる

それな

中3雀荘オールという点の違和感

 

増田認識であってる。たぶん1980年代のなにかを見た創作

 

追加されたのは『平成16年2004年』ってことになっているけど、雀荘カラオケボックスは風営管轄なので、その以前から制服を着た子を深夜に入れてません

入店時に身分証明書必須になったのがいつ頃かは覚えてないが、女で制服を着崩してるとかなら身分証明書提示必須前だったらギリ

でも、元増田は明示的に『襟付き』って書いてる、制服のままパチンコ打ってたビーバップハイスクール(FC)かよ

 

着替えてる暇が無いので制服のままバイト行ったけど、厳しいとこだと制服のまま働くの2000年以前にすでにNGだったし、

22時以降に制服でふらふらしてたら、フツーに私服警官お巡りさんの声掛け対象だぞ、制服っぽい格好してるだけで

そもそも援交・コギャルでキャッキャやってたの2000年よりも前だぞ(制服で派手目だと夜間でなくても声かけられる)

 

ボンクラボンボンほどアウトローぶったり、別にアウトローぶってません~友達とただ遊んでただけですぅ~って深夜徘徊してやりたがるの、

マジなんなんだろうな、あと放置する親も肯定するバカ

現代ならなんの事情もないのにトー横でラリったり身体売ってそう

 

(深夜外出の制限)

第十五条の四 保護者は、通勤又は通学その他正当な理由がある場合を除き、深夜(午後十一時から翌日午前四時までの時間をいう。以下同じ。)に青少年を外出させないように努めなければならない。

2 何人も、保護者委託を受け、又は同意を得た場合その他正当な理由がある場合を除き、深夜に青少年を連れ出し、同伴し、又はとどめてはならない。

3 何人も、深夜に外出している青少年に対しては、その保護及び善導に努めなければならない。ただし、青少年保護者から深夜外出の承諾を得ていることが明らかである場合は、この限りでない。

4 深夜に営業を営む事業者及びその代理人使用人その他の従業者は、当該時間帯に、当該営業に係る施設内及び敷地内にいる青少年に対し、帰宅を促すように努めなければならない。

(平一六条例四三・追加)

(深夜における興行場等への立入りの制限等)

第十六条 次に掲げる施設経営する者及びその代理人使用人その他の従業者は、深夜においては、当該施設青少年を立ち入らせてはならない。

一 興行場

二 設備を設けて客にボウリングスケート又は水泳を行わせる施設

三 個室を設けて当該個室において客に専用装置による伴奏音楽に合わせて歌唱を行わせる施設

四 設備を設けて客に主に図書類の閲覧若しくは観覧又は電気通信設備によるインターネットの利用を行わせる施設(図書館法(昭和二十五年法律第百十八号)第二条第一項に規定する図書館を除く。)

2 前項各号に掲げる施設経営する者は、深夜において営業を営む場合は、当該営業場所入口の見やすいところに、東京規則で定める様式による掲示をしておかなければならない。

(平一六条例四三・一部改正)

青少年は、深夜の外出・深夜はいかいダメ

何人も、保護者同意なく、又は正当な理由なく、深夜に青少年を連れ出し、同伴し、とどめてはいけません。

16歳未満の青少年上記行為を行った場合は、30万円以下の罰金に処せられます

 

青少年は、深夜立ち入ってはいけません!

カラオケボックス、まんが喫茶インターネットカフェ、映画館ボーリング場など

施設経営者等は、深夜、青少年施設に立ち入らせてはいけません。

30万円以下の罰金に処せられます

https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/about_mpd/keiyaku_horei_kohyo/horei_jorei/ken_iku.html?ssp=1&setlang=ja-JP&safesearch=moderate

最近人の親になったけどあの時の親の気持ちがやっぱり全くわからない

中学3年のときの話。

学園祭が終わった夜、部活同級生4人でオールをしようということになりカラオケ雀荘漫喫に行く流れでまとまったのだが(今は知らないが、当時は詰襟のままでも平気で入れてくれる所は新宿渋谷池袋あたりの繁華街まで足を運べば必ずあった)、1年生の後輩が自分も付いて行きたいと言い出した。

「お前は家に帰れ」と皆で説得したけれど、どうしても一緒に行きたいとテコでも動かなかった。結局、「学園祭の日だから特別に親の許可が出てるんです」の一言で仕方なく後輩も仲間に入れることにした。


翌朝、俺は母親に叩き起され、顔を真っ赤にした父親から今までの人生で一番迫力のある説教を喰らい、挙句ビンタまで御見舞された。

後輩の母親が俺の家へ「嫌がってるうちの子を無理矢理朝まで連れ回すとは何事か」と猛抗議の電話を寄越したのだ。


週明け、早速俺は昼休みに後輩のところへ行き

「お前とはもう絶対に遊ばないけど、お前んとこの母親に会わせろ。学校休んででも時間合わせるし家まで行ってもいいか絶対に会わせろ。クソすぎて納得いかねえ」

と申し入れたところ、

その日の夕飯時にやはり我が家電話がかかってきて(母親は1時間ぐらい受話器を手にしたまま謝り倒していた)、「お母さんもう死にたいよ」と泣かれた。

この時まだ父親は帰ってきていなかったが、まもなく自分に訪れる未来想像したらおっかなくなり、大急ぎで貯金箱の金を全部財布に入れて家を飛び出し、携帯の電源を切り、わざわざバスに乗って、少し遠めのファミレス避難しそのままそこで夜を明かした。


午前7時台の東海道線に乗り終点沼津駅で降りてずーっとプラプラしていた(沼津東?高校の近くの海岸絶句するほど綺麗だった)。

昼過ぎ頃、恐る恐る携帯の電源を入れて着信履歴をチェックしてみると、確か妹から3回くらい、同級生たちから20回くらい、学校から5回くらい、家からは本当に数えれないくらいの着信があった。



いよいよ観念した俺はそのまま東海道線に再び乗って学校に行くことにした。家に帰る勇気はとてもじゃないけどなかった。

夕方頃に職員室に顔を出すと、たまたま担任がいたのでそのまま別室に連れていかれた。


先生、俺って立場的にまずいことになってます?」

「いや全然。それよりおうちの人みんな物凄く心配してるから絶対今日そのまま帰れよ。お父さんもお母さんも怒らないか絶対にそのまま家帰れよ」

「わかりました。ていうか先生学園祭のあとのこと知ってます?」

「それも大丈夫から明日からまた学校来なさい」

はい。……でも俺、〇〇の母親にまだ死ぬほどムカついてるし頭パーだと思ってますけどね」

「もういいからそういうことを言うな」


結局、担任の言う通り俺は家に帰っても母親父親のどちらからも全く怒られなかった。

翌日、学校では「親と揉めて家出」という行為を周りから死ぬほどからかわれたが、そのまま何事も無かったかのように学校生活に戻り、部活にも復帰した。

後輩との関係も元通りに……ということは全くなく、結局俺は卒業まで彼と一言も口を聞かなかった。視界に入るのも嫌だったので部活辞めて欲しいくらいだった。



それから20年後、俺は子供(♂︎)を授かり親になった。

まれから数ヶ月しか経ってないのに早速、自分内面的変化を感じていて「親になるとこうも意識を変えられてしまうのか」と驚かされる。

そんなときに突然この家出事件ことを思い出した。

当時のことを親になった者として改めて考えてみたのだが……

やはりどうしても謝り倒して涙を流して俺を叱責した母親、引っぱたいた父親気持ちが全く分からないし、

我が子の無謬性を疑わずにひたすら怒り狂って抗議に抗議を重ねた後輩の母親気持ちも全く分からない。

もしも将来、俺の子供が学園祭あの日の俺と同じことをしたとしても、損をしないよういくつか忠告はするけど絶対に怒りはしない。

後輩と同じことをしたとしたら再三再四

「無理矢理連れ回されたなら向こうの親御さんと話をする。その前に確認するけど、嘘はついてない?あと、何となく断り辛くて不本意ながらついて行ったとかは100%自分責任で無理矢理には当てはまらない。思い出してみて?本当に無理矢理連れて行かれたの?」

くらいには執拗確認する。

だって人間ってウソつくし。愛する我が子だからとか関係ねえし。俺だってウソつくし


どっちの親の気持ちも未だに全くわからない。

anond:20230914143944

いや、部活の先輩に奪われたわけなんだが、、 おかげでいまだに年上好きのまま

anond:20230914085605

でも部活行事に引っ張り出されなければ

引きこもりで体力つかなくて

今の稼ぎはない。

ハイ看破

なんで勉強しないといけないの?

とは思ったことないけど、なんでやりたくもない部活行事をやらされて頑張らないと怒られるのかはずっと疑問だった。

あれなんで?

同じような人いる?

文化祭で盛り上がれない系の人。

兄と俺が入れ替わった

中国地方で生まれた。父は勤務医、母は空港職員。幼少期に両親が離婚。兄は父が引き取り、俺は母と母の実家がある関東地方引っ越した。教師仕事定年退職したばかりだった祖父母暮らしはじめ、母は税理士事務所就職

地元国立大学附属小学校私立中高を経て中国地方国立大学医学部に進学した。本当は家から通える国立医学部に行きたかったが、地元国立は旧六医大、他は東京医科歯科東大理三だったため学力が足りなかった。

父の暮らす隣県だったこともあり、父と頻繁に会うようになった。既に父は再婚開業していた。兄からの話と写真だけでしか知らなかった異母妹とも初めて会った。

俺は大学卒業したら地元に帰るつもりだったが、部活の先輩に誘われるがままそのままそこの医局に入った。

一方、兄は都内大学に進学し、卒業するとそのまま都内地方公務員となった。

そして現在、俺は父の病院で副院長として働いている。

結婚した兄は祖父母が亡くなり一人暮らしをしている母の近くに家を買い、ちょくちょく会っているようだ。

気がついたら兄と俺が入れ替わっていた。

2023-09-11

anond:20230911105347

俺の親父も、勝手実家商売ついで借金1億もついでめちゃくちゃ家が貧乏母親との関係悲惨だったから少しわかるよ。

親父はまだのうのうと生きてるけど。

相続した借金で首が回らなくて、金がないか台所天井からネズミが落ちてきた穴がそのままになってるような家だった。

そんな親父がたまに思いつきで部活大会に送迎してくれたとき、途中でラーメン屋に寄ってチャーシューメン大盛り頼んでたのに本当に腹が立ったのを覚えてる。

おれは子供の頃から貧乏がしみついて、外食先では親戚や知り合いの大人の奢りであっても一番安い物しか頼めなかった。なんなら今も外食は勿体無いという意識が強くて苦手だ。今でも年に数回、必要がある時しか外食しない。

俺が一番安い、おまけみたいなチャーハン頼んでる横で、チャーシューメン大盛りを頼んだ父親。たまにしかない送迎だから外食に連れ出して子供にいいところを見せたかったんだろう。俺にも同じものを頼むように、遠慮しないようにと言ってきた。でも俺は貧乏神のような親父が外食しようとしているというだけでめちゃくちゃに腹が立ったんだ。

今でもはっきりその時のことを覚えている。

恐ろしい夢を見た話

増田大学2年、女。

昨日の夜から今日の朝にかけて、恐ろしい夢を見た話がしたい。

どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。

夢の内容は

高校時代の友人と数年ぶりに会って現在自分生活高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。

その友人との関係性を加味しなければの話だが。

・・・

その友人はみらい(仮名)という名前だ。

元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。

自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。

すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホントわたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。

第一印象は「綺麗だな」だった。

二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。

どこをとっても絵に書いたような美少女だ。

◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。

その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。

その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。

その日から臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。

初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。

そして学力もほぼ差が無かった。

得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。

その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。

まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。

すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。

こんなことってあるのかと思った。

それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。

臨時休校が明けて登校が始まると私達はさらに仲良くなった。

それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた

初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任からしかけられた。

増田新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」

担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。

「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」

とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。

こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実歓喜した。

しかし、その数日後私は地獄を見た。

その日、授業が終わると担任ロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。

その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。

その担任第一声が

「ごめん。新川増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」

だった。

信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。

だって私は重い一重まぶたで背も彼女ほど高くはない。

それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。

きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。

担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。

そこで私は気付いてしまった。

私がおかしいということに。

普通人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。

どう考えてもおかしい。

他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。

もう手遅れだった。

その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。

私とみらいはいつもそばに居た。

休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。

その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。

それが私にとっては至上の喜びだった。

クラスメイトが

「みらいちゃんかわいい〜」と言うと

みらいは

「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。

そんな彼女自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。

だってはいつも彼女の影だったから。

彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。

私をかわいいと言ってくれる人はいいから。

当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。

決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。

それでも私は彼女と一緒にいた。

二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。

それから数カ月後、修学旅行が始まった。

もちろん全ての行動を共にした。

一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。

みらいも私も暗い場所は苦手なのでドキドキしながら入館した。

手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。

私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、

「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。

その次の日は班別活動で某県の某洋館へ向かった。

私がお土産を見繕っていると、みらいが

「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。

彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。

美しい曲線と精緻彫刻

まさに私の求めるもののものだった。

凄く綺麗……とつぶやく

「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。

私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色香水瓶を選び二人でレジへ向かった。

その日の夜食ホテルレストランで食べた。

なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。

すると彼女の方から

「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。

それで終わると思いきや、デザートミニケーキの二種盛りがやってきた。

私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。

そして

「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。

私はうんと言おうとしたが、

私の食器フォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。

手で食べるのははしたないしと逡巡していると

はい、あ〜ん」

と私の方に彼女フォークで刺したケーキ差し向けてきた。

同じテーブルの生徒の視線彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。

いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。

修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。

「なんかみらいちゃん増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。

今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。

その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。

念のため言っておくと、私は普通の女だ。

小中学生の頃は普通男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。

でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。

あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。

から高校女子校を選んだ。

中学時代仲の良かった先輩から

女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死勉強して女子校入学した。

女子校は先輩の言う通り生きやす空間だった。

秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。

彼女存在けが想定外だった。

今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。

1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感おかしい。

最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。

でも、やめてとは言えなかった。

だってそうされている時だけは自分特別だと感じられたから。

2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワード教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田勝手に思っている)出来事が起こった。

2学年最後模試だ。

その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。

その記述模試ではあの教科は二人仲良く同点だった。

最後模試マーク模試だった。

2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。

毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。

習っていない範囲もあったが自分勉強してカバーした分自身はあった。

3月、結果が出た。

私はその教科で全国一桁の順位を取った。

模試順位掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。

しか偏差値には20程の差があった。

私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。

トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると

「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。

その日は話しかけてもどこか上の空だった。

次の日、彼女は休んだ。

心配休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った

すると数分後

明日は行ける。心配かけてごめん。」と返ってきた。

こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。

次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。

結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。

3年になるとクラスが離れた。

前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は

嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。

しかしその思いはすぐ覆された。

一つがクラスメイトの私に対する反応だった。

2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。

3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると

素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。

そこで私は気付いてしまった。

結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。

みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。

彼女友達が多い。

私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。

けれど彼女にとっては大勢友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。

から私は彼女抜きで特別になると決めた。

2月模試の結果が私の背を押してくれた。

私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。

それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。

その成果は存外早く出て6月模試では早速学年1位に躍り出た。

この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。

それをあしらいながら只管勉強した。

7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。

夏休み日中学校勉強するよね?

良かったらうちの部室くる?」という内容だった。

彼女美術部の期待の星で、大学も某美大を目指していた。

3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。

彼女には夏休み特別に部室の一角占領する権利顧問からもらったらしい。

私はその誘いにあっさり乗った。

彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。

夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室図書館勉強をする日々が始まった。

部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。

正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。

他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。

そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。

それもそのはず、彼女は推薦と一般美大受験するため、画塾に通うだけでなく面接練習なども必要になったからだ。

私はただ勉強していった。

この頃には志望校偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。

冬がやってきた。

去年のクリスマス彼女と一緒に過ごしたのに今年はひとりだ。

そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。

みらいだ。

素早くスマホに手を伸ばし電話に出た。

「ねえ、受験終わったら卒業旅行行こうよ。

修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」

みらいは電話越しにそう言った。

私が

「うん、絶対行こう。約束

と言うと

「うん。約束。」という言葉最後電話が切れた。

突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。

そして迎えた共通テスト

かつて無い手応えを感じた。

自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。

私は私大1本だったか2月受験は終わった。

みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたか3月にならないと結果は出ない。

祈るような気持ち2月を過ごした。

3月の頭、卒業式があった。

式が終わってもみらいの元へ向かった

「◯◯、待ってた」

そう彼女は言った。

写真撮りたい」

そう言うと彼女は私にカメラを向けてきた。

自分顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女スマホを借りてツーショを撮った。

その後は卒アル落書きをし合って別れた。

案外あっさりした別れだった。

そのときはそれでいいと思っていた。

だって卒業旅行に行こうと彼女は言ったから。

その日、LINE彼女スマホで撮った写真が送られてきたのを最後彼女からLINEが送られてくることは無かった。

みらいは志望校合格したら連絡すると言っていた。

彼女志望校合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。

整形をする決意を。

幼い頃から親に「醜い顔で産んだから形代は出すよ。ただし、高校卒業したらね」と言われていた。

今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。

私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。

大学が始まってからもみらいから連絡が来ることは無かった。

私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。

二重になってから人生難易度体感20レペル下がった。

大学同級生とはすぐに仲良くなれた。

それこそみらいが高校時代同級生から言われていたように

かわいい」なんて言われるようにもなった。

高校時代までの私からしたら信じられないほど環境が変わった。

やっぱり美は正義だなと感じた。

前期は友達遊んだテストレポートと格闘している間に過ぎ去っていった

夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。

そして私からLINEを送った。

時間後、数日後、数週間後。

待てども待てども返信が来ない。

それどころか未読無視をされている。

プロフィール画像などは変更されているかLINEを見ていない訳では無いだろうに。

つの間にか私は彼女LINE確認しなくなっていった。

しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。

例えば鏡で自分の顔を見るとき

いつだっただろうか。

私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。

卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると

私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。

そう、違っていたのは目だけだった。

私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。

今の私と彼女双子のようにそっくりなのだろう。

今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。

そんなことを、私は鏡で自分の顔を見ると考えてしまう。

・・・

今日見た夢は

みらいと数年越しに会って食事なんかしながら

近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。

美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、

「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。

本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。

起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女LINEを開いたがやはり既読はついていない。

午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。

その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う

「みらい!最近どう?元気?」

見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。

それを見て息を呑んだ。

そこに表示されていたのは

「1年前の今日の日付」だった。

こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでもいかけている自分が心底恐ろしい。

という話。

anond:20230911100839

高校の時、先生に「お前オウム真理教に入りそうで怖いわ」と言われた

部活を2年でやめたからだと思う

もちろんオウムになんか入らなかったけどいまだに覚えてる

自殺した父の思い出 1

中学2年生の時、部活練習が忙しかった。

個人競技で、私は市の大会で優勝か準優勝、県の大会ベスト8には入るけど全国大会では1回戦負けするレベルだった。

毎日18時まで部活、そこから歩いて家に帰って18時半、車の中で親の作ったお弁当を食べながら移動して19時から21時までクラブチーム練習だった。

たまたま勝ててしまうから続けていただけで、拘束時間が長すぎて辞めたかった。

いつもは母がクラブチームまで送り迎えしてくれた。

その日は父が送り迎えしてくれることになった。

父は途中で町のケーキ屋に寄った。

おまえも毎日毎日練習で大変だな、お父さん買ってやるから好きなケーキ選んでなって。

でも私はこんなもの食べても嬉しくないって風にふるまった。

母と父は毎日お金のことで喧嘩ばかりだった。

仕事をすぐ辞めてしまう父、パチンコに行く父、それをカバーするために子育てしながらフルタイムで働く母、私たち子ども暴力を振るう母、同居している祖父母との諍い。

金がない、こんなはずじゃなかった、幸せだった頃に戻りたい、出ていきたい、金がない。

機嫌の悪い時の母の口癖だった。

母は大体機嫌が悪かった。

私はよく愚痴を聞かされていた。

からお金がないのに家に金を入れず、ケーキを買うと言う無駄遣いをした父が許せなかった。

父は苦笑いをしていたように思う。

今父の顔を思い出そうとしたらもう過去に見た写真動画しか思い浮かばないことに気づいた。涙が止まらない。

高校1年生の時、父が自殺した。

2023-09-10

線香花火は嫌いだ

中年男性の苦い思い出話なので花火ソムリエの人は読まなくていいやつ。

 

 

二十年は昔の話だけど、抱え込んでると心理的負荷が一向に下がらないというかむしろ記憶結晶化して死ぬまで恨み続けるのだろうなという気がしてきたのでこういう形でテキストとして吐き出す。

 

高校の頃、気の合う人(異性)がいた。(以降、「その人」とよぶ)

文化系部活で一緒で、どちらも対人関係あんまり積極的ではない感じだったのだけれどなんとなく馬が合い、放課後に部室で2人~4人ぐらいでのんべんだらりとしたり、たまに一緒に帰ったり、あれやこれやは略。で、恋愛関係では無かったけど、「周囲からは付き合っているのでは?」と言われ、たびたびそういう噂も立っていた。

 

まあでも、当人からは何か噂が立つたびに「一緒に居るのは楽しいけれど、それはそれとしてあなたのことは異性と見れないし、噂が立つのものすごく 迷惑なのだ」と繰り返し言われ続けていた。その一方で、誤解を受けてもしょうがないような、友達と言うにはちょっと近すぎる距離感でもあった。

当時はそういうふうに言われるのもしょーがないと思っていた……けれど、やっぱり向こうが望むような距離感を保つことに疲れたのと、「自分自身迷惑存在であること」というのを繰り返し言われ続けることがかなり辛かった。いや一緒に居るのは楽しかったけどそれはそれとして。

 

高校卒業してから積極的に連絡を取ることはしなかった。ついでに、大学東京を挟んで日本の反対側ぐらいの地域に行って、物理的な距離も取った。もうこれで「自分迷惑存在であること(を繰り返し思い知らされること)」という思い出から脱することが出来た……と思っていた。

 

のだけれど、大学卒業したタイミング高校同窓会があって。田舎なので一次会が終わったあとは川辺でみんなして花火となり、なんとなくその人と二人きりで向き合ってひたすら線香花火を消費する流れになってた。

なんでそんな(外見上だけは)エモいシチュエーションになってるのだ。意味が分からない。

しかも、いつの間にか線香花火の玉が落ちそうになったら相手の玉と融合して延命みたいなルールまで(向こう主導で)生えていた。なんだそのエモさ。訳が分からないよ。

 

向こうの恋愛感情に火がついてるみたいなことはなく(双方共に「今付き合ってる人が~」という話をしてた)、その人はむかしどおり「お前は迷惑存在なのだ」と思っているのだろうけれど、それでそんな距離を縮めるのやめれ……「そういうの恋人とやればいいでしょ俺じゃなくて」という気持ちと「でもそれはそれとして楽しい」という気持ちがせめぎ合ってこちらの情緒が壊れる。というか壊れた。高校の頃から壊れていたけれど、決定的に壊れた。

 

それから20年ぐらい経つけど、未だにぽっかり時間が空いたときかにいつも心の中で「それはそれとして、お前を異性として見られないのだ」みたいな言葉が延々と反芻されてるし、その人とは最大限距離を置き続けている。

 

男女間の友情が成立しうるか否か」的な問いに一般解は無いけれど、しかし一方が辛みを持ち続けてしま関係性になってしまうとちょっと辛すぎる。そして、若い頃はストレートに「こちらはこんなに辛いのだ」みたいなことを言えなかったし、痛みを率直に言えるような(擦り切れた)年齢になってしまうと今度は「わざわざ合う機会を作って辛みを訴える」というヤバい人になってしまうので言う機会がない。

ぐるぐる。

奇形界隈に告ぐ 顔整い気にする暇あるなら勉強バイトしとけ

醜形恐怖症にとらわれている奇形界隈の若い子達に伝えたいことがある

増田簡単プロフィール

・女 02line 大学在学中

高校時代一時奇形界隈に居た

・埋没済み

結論ズバリ

タイトルの通り「奇形界隈に告ぐ 顔整い気にする暇あるなら勉強バイトしとけ」だ

これは実体から言える確かな事実

中高生奇形界隈の子は少しでも後悔の無いように過ごして欲しいから読んで欲しい

ガチ顔整いの母親と一重デブチビハゲ親父からまれ増田は幼い頃から奇形だった

奇形自覚幼稚園の頃からあった

お遊戯会で眠り姫をやることになったあの日、眠り姫が大好きだった増田は真っ先に眠り姫に立候補した

あの時の先生言葉は今でも覚えている

増田ちゃんちょっと違うカナー。他の役やってねー。」

その後、キッズモデルをやっていた生まれながらの顔整いマリちゃん仮名)が選ばれたのを目の当たりにし、この世は顔が全てだと悟った

小中は顔が原因でいじめられて完全に自分顔面が嫌いになった

厚い唇 分厚いまぶた 激強蒙古

コンプレックスでいっぱいだった

高校生になってTwitterをはじめて、自分コンプレックスを調べるうちに奇形界隈と出会った

居心地が良かった

なにより自分と同じ感情を抱えながら生きている人がいて安心した

でも本当にこれでいいのか ここに居て良いのかという疑問が湧いた

だっていくら顔整いを気にしたところで変わらないから 自分の顔は

そこから自分の顔をいか人間に近づけるかに専念するようになった

アイプチが一瞬で白いカスと化すほどの激重一重の増田は埋没で二重になることにした

流石に高校在学中に整形するのは

いくら

常に単独行動 

授業中指名された時以外は口を開かない 

休みは一人校舎裏ごはん 

文化祭シフト時間以外トイレ籠りのガチぼっちだった増田でも無理なことは知っていたから、

受験終わったらやらせてくれと親に頼み込んだ

元々親は増田が幼い頃から

自分の子と思いたくないやら川から拾ってきたやら言ってきた分、

罪悪感があったのだろうか 

私が志望していた某国公立大に受かれば費用負担すると言ってくれた

それからTwitterを開くことも忘れて日夜勉強に励んだ

頑張れば整形できると思うとそれ以外のことはどうでも良くなり、

間食を食べたり娯楽に時間を費やさなくなった結果、体重は落ち成績はぐんぐん上がり、学年首席になった

3年になって担任が変わった

その時の担任オブラートには包んでいたもの

友達いないのはどうかと思うけど勉強だけして実績をウチの高校に残してくれればいいよ」

という旨の声掛けを初面談の時にしてきたのでより一層勉強だけに意識を傾けることができた

模試のたびに偏差値も全国順位もぐんぐん上がり「これはイケル」と思えるようになってきた

埋没ができるかもしれないという状況に

ハイのようになっていたのだろうと今では思う

クラスメイトからは裏で

増田さんって狂ったように勉強してて怖いよね。」と言われていたのを覚えている

それすら褒め言葉のように感じるほど当時の増田は異常だった

自分の顔をどうにか人間に近づけたいという欲

たったそれだけのために社会性も何もかもかなぐり捨ててとにかく勉強していた

そして無事に共テと二次突破し念願の志望校合格と埋没の費用を掴んだ

合格したその日にカウセの予約をした

カウセ当日は二重のライン決めと料金プランを立てた

極厚まぶたは脱脂と3点止めでようやく人並みの二重になることが分かった

金プランは取れることも想定して念のためかけ直しアリのプランを選んだ

数日後施術をした

笑気麻酔を吸うと視界がサイケデリックレインボーに包まれ全身が高揚感で満たされた

正気が戻ってきて

薬吸うとこんな感じなのかなとか思っていたら

急に現実が襲ってきた

まぶたを縫う感触気持ち悪い

痛くて呻いていると

もっと吸って!」と声をかけられた

どうやら息を吸うのを止めていたようだ

その後鼻から必死に笑気麻酔を吸い続けていると施術が終わった

手に持たされた鏡で自分顔面を映すと人間が映っていた

やっと人間になれたという喜びで涙を流れた

ダウンタイムは軽めで済んだけど想像以上にダウンって感じで少々病んだ

大学入学式の頃にはまるで生まれつき二重だったかのようにナチュラルに良い感じの幅になってくれた

顔がようやく人間になれたという事実想像以上に増田の心のささえになった

入学式隣の席の顔整いに意を決して話しかけると普通にニコニコしてくれた

それだけで今までの人生が救われた気さえした

だって今までは話しかけるだけで嫌な顔をされ続けてきたか

しか意気投合して友達になれた

やっぱ人生顔だなと再認識するとともに、やっと人間になれたから今度こそまともな社会性を持って暮らそうと決意した

すると中学時代部活に入って即退部したのが信じられないぐらいサークルは楽しくて、一緒にご飯を食べたり遊びに行くような友達もできて、人生大逆転した

今は毎日楽しく生きてる

長文すまん

結論

結局どれだけ綺麗事を言っても顔の良さと社会の優しさは切っても切り離せない

増田場合は整形してありえないぐらい生きるのが楽しくなった

からこそ、若いうちに容姿によるハンデをカバーするための学力や特技は伸ばすべきだし、

整形願望があるなら親を説得したり

説得できなければ資金を稼ぐ努力はすべきだと思う

顔整い気にしてる時間マジで無駄

その時間勉強バイトに充てて、将来の自分幸せに歩いていくための道の舗装をしよう

終わり

真面目だからではなく頭もメンタルシングルタスクから学校とか部活とかバイト先とかで恋愛対象さがす気にならなかったけど、私みたいな人間最初からそういう目的である関わり方(婚活等)はもっと耐えられない(品定めされることに対して打たれ弱すぎるため)んだから、なんか適当で緩いレクレーションを自分で選んで出合いモクでやってればいい人生経験になったのかもしれない、と今は思う

交際しなかった/できなかったことに対して後悔はそこまでないけど、その結果として男友達すらいない人生になったことでなんか、人間に関して常識がない偏った人間になってしまった感が最近すごいある

なんだろう、自分場合純粋友達欲しいって気持ちだけだと、話やノリは同性の方が圧倒的に合うから異性はわざわざ射程に入らなかった。

自分タイプが男友達を作ろうと思ったら色恋に対する欲目の副産物としてしかあり得なかったと思う。

いたことないからわかんないけど建前はともかく男友達という存在は欲目と友愛の重なるところに発生するんだろうなと現状は理解してる。

昔はわからなかった。男友達がいる人は、単に気が合う範囲とか人付き合いに対するバイタリティ自分よりとても大きいんだと思ってた。

矛盾するようだけど最終的に付き合う覚悟なければあまり仲良くなってはいけないような気もしてた。自分は人と交際できるタイプではないか節度を持った接し方しかしていけないと思っていた。だから異性との人間関係は用件とあいさつ止まりデフォルトだった。

同性と同じような純粋友達か、そうでなければ交際相手(に至るまでの過程としての男友達しか考えられなかった。

でも色目と重なっていようが、異性の友達という存在はそんな転がり落ちる坂道ではなく緩い潮目、そういうスペース、セクションとしてみんな受け入れていることが見えて来た。

きっと周りに迷惑をかけたり風気を乱さな範囲で、みんな緩く異性への欲目を許しあっていたんだな。

anond:20230909141017

俺の母親と妻がわりとそれに近い感じ。

妻は働いてるからそれで全然良いと思うけど、母親専業主婦から寂しい葬式になるだろうなと思ってる。

けど、親戚の集まり趣味習い事では周りと仲良くやっているみたいなので、そういう、人間関係社会的ポジションが決まっている場所で構築するタイプなんだろうと思ってる。

よく考えたら俺も仕事とか昔の学校部活とかが関係しない飲み会とかはやらんしな。◯◯部全員に声かけるとか、そういう感じの。

2023-09-08

部活保護者車出しについて条例法律で縛ってほしいな〜

事故怖いし、普通に1h〜2h走らされるし、なんなら部活終わりの汚い知らん子供乗せたくないよ、、

みんな「出せます」って言ってると断りにくいし、自分の子供の試合は見に行きたいので行く手前乗せざるを得ないという。

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