真面目だからではなく頭もメンタルもシングルタスクだから学校とか部活とかバイト先とかで恋愛対象さがす気にならなかったけど、私みたいな人間は最初からそういう目的である関わり方(婚活等)はもっと耐えられない(品定めされることに対して打たれ弱すぎるため)んだから、なんか適当で緩いレクレーションを自分で選んで出合いモクでやってればいい人生経験になったのかもしれない、と今は思う
交際しなかった/できなかったことに対して後悔はそこまでないけど、その結果として男友達すらいない人生になったことでなんか、人間に関して常識がない偏った人間になってしまった感が最近すごいある
なんだろう、自分の場合は純粋に友達欲しいって気持ちだけだと、話やノリは同性の方が圧倒的に合うから異性はわざわざ射程に入らなかった。
自分タイプが男友達を作ろうと思ったら色恋に対する欲目の副産物としてしかあり得なかったと思う。
いたことないからわかんないけど建前はともかく男友達という存在は欲目と友愛の重なるところに発生するんだろうなと現状は理解してる。
昔はわからなかった。男友達がいる人は、単に気が合う範囲とか人付き合いに対するバイタリティが自分よりとても大きいんだと思ってた。
矛盾するようだけど最終的に付き合う覚悟なければあまり仲良くなってはいけないような気もしてた。自分は人と交際できるタイプではないから節度を持った接し方しかしていけないと思っていた。だから異性との人間関係は用件とあいさつ止まりがデフォルトだった。
同性と同じような純粋な友達か、そうでなければ交際相手(に至るまでの過程としての男友達)しか考えられなかった。
でも色目と重なっていようが、異性の友達という存在はそんな転がり落ちる坂道ではなく緩い潮目、そういうスペース、セクションとしてみんな受け入れていることが見えて来た。