はてなキーワード: 逆転現象とは
ホウレンソウとは元々は今現在「おひたし」と呼ばれている部分を指す概念だった。
報告・連絡・相談が積極的に行われるような職場環境を作るために、職場環境への影響力が強い人間の側が積極的に情報交換が行われるような心理的安全性の高い空間を作りなさい。
そういう教えを元々は「ほうれんそう」と呼んでいた。
それがいつの間にか、報告・連絡・相談は全てが部下の裁量と責任によって実行・申請されるものであり、そこに生じた齟齬は全て部下のコミュニケーション能力及び業務遂行能力の不足によるものである、という真逆の内容に書き換えられていった。
何故こうなったのか?
権力の強い者が責任を下のものになすりつける事を繰り返してきた成れの果てである。
責任を取るから強い権力を持っていたはずが、いつの間にか権力を持っていればいるほど責任を逃れやすくなるという逆転現象が起き続けた結果の成れの果てである。
唾棄すべき状況が積み上げられ続けた結果だ。
それによって誰が幸福になったのだろうか?
誰もが不幸になったはずである。
その責任は誰がとるのか。
その状況に流石にこれではみんな損をするだけだぞとようやく気づいて、今更になって車輪を再発明して産まれたのが「ほうれんそうのおひたし」だ。
だが恐ろしいことに「ほうれんそうのおひたし」はあくまでも「ほうれんそう」の発展概念として扱われているものなのである、未だに。
逆なのだ。
それなのにいつの間にか「ほうれんそう」があってそれから「おひたし」があるのが普通となり、その状態は今なお続いている。
間違ったままただ全てが突き進むよりはマシなのやも知れぬが、それでも私は「ほうれんそうのおひたし」などという言葉はやはり好きになれない。
だがもっと好きになれないのは、今「おひたし」と呼ばれている概念を無視し、権力者の責任逃れの為に作られた「ほうれんそう」を今なお振り回し続けている人種である。
>カネさえ積めば俺が正しいってか?
ってお金の無い人直ぐに言うよね。
お金の無い人だけ優先でなくて運の無い人にも何か策を、
って事だと思うけど。
大ファンだから10000円だしてもいいけど運の無い人が落選で、
対してファンじゃないから10000円なら行かないけど6000円なら行く、
っていう運だけは良い人が当選っていう逆転現象が現実に起きているので、
本当に行きたい人がそうでない人に負けて行かれなくなっているし。
仮にチケットが6000円だったら、
15000円で抽選を取って残った分を6000円で売る、
て売り方してくれたらいいのに。
そしたら150000円払ってもいいと思う人は2度抽選出来る。
15000で完売だとしても6000円の時よりは落選率が下がる。
500円貯金してでも貯められると思う。
それが出来ないのは本当に行きたい愛が無いファンだと思う。
というもの。
シャボン玉石けんのサイトにも同じものがあるので、新聞が見られない方は
ぜひご覧になって欲しい。
香害 こうがい | シャボン玉石けん
https://www.shabon.com/kougai/
「たかが柔軟剤ごときで」と、その実情を知らない人は笑ったりバカにしたりするが、
(実際、柔軟剤を過剰に使っている人が周囲の香りに全く気がつかなかったという事例も出ている)
「海外ではこういう香りが流行っているんだから」と流行になってしまったが、
いまや海外からの旅行者の方が日本人よりも香らないという逆転現象が起きている。
「スメハラ対策を!」とマスコミが騒ぎ立てた結果が、逆に柔軟剤臭さで海外から嫌われるという結果になったのは
シャボン玉石けんの広告は大手のメーカーやそれに協力してしまったマスコミや行政への真面目な挑戦状だと思う。
しかも、強く反対の姿勢を取るのではなく、読んだ人々に対して「考え方を見直すいい機会ではないでしょうか」と
提案しているあたりが控え目ながらもしたたかな感じがして、とても良いと思う。
本当に、行政や政治家はお金や体裁よりも、本当の意味で国民の健康を考えて欲しいです。
そして、国民も国まかせにせず、一人一人が賢くなって、体に悪い物を選択しないように注意すべき時代が来ていることを
自覚した方が良いと思う。
ニュースを見ていてもわかるように、今の行政や政治家は自分達だけが良ければ他はどうでもよくて、決して国民を守ってくれない。
安全な製品ばかりが店頭に並んでいるわけじゃ無い。(海外に比べると日本の安全基準はあまりにも酷い)
そういうこと、みんなよく考えてみて欲しい。
最近昇進してから、飯や飲みや遊びの誘いの断り方がわからなくなった。仕事終わった後に飯に誘ってくる同僚くらいならまだいい、飲みたい日は定時退社せずにグズグズ時間潰しして「あ~今日はどうしよっかな~」とか誘い受けするやつ、各種コミュニケーションツールで反応があるまで今日飯食う?って順番に聞き続けてくる奴、自分の用事と他人の用事をすり替えて終業後のこっちの行動を束縛するやつ(これから飯行くんですか? だったら俺もそっちに用事があるんで一緒に行きましょう、みたいな感じで引っ付いてくるやつ)、エトセトラ、、、
昔だったら「何こいつ、いい年こいて構ってちゃんだな~」みたいに適当に遠目で見てたけど、肩書きだけでも人の上にいる立場になったら、恐ろしいことに公私混同がかなりの領分で発生してて、最近xxさん付き合い悪いよね、みたいなところから仕事のモチベーション下げるやつが当然のように発生して、小学生かよと思うものの、結局しわ寄せは俺に来るから、顔色伺いの会をローテーション組んでいろんな人とやることになってしまう。
そうすると帰ってからやれることなんてシャワー浴びて寝るくらいしかなくて、じゃあ休日ぐらいは自分のためにと思うと、今度は休みの日くらい付き合ってくださいよ枠みたいな奴が沸いてきて、いやもう何歳だよ、土日とか出かけるの無理でしょと思っても、本音で無理だよ殺すぞとか言えないし、そうやって週7日大体飲みなり外食なりが発生した結果貯金は消し飛んだしエンゲル係数も意味不明になって、自分の趣味に使えるお金も時間もなくなってしまった。なんなら休みがないので体調もボロクソだ。、
そいつらにとっては「たまに俺と飯食ったり飲んだりしてる」ぐらいの認識なんだろうけど、俺はいろんな奴相手にほぼ週の全部を散財してるようなもんだから生きていくことすら不可能になりつつある、もちろん今の役職につくときに多少は私生活を犠牲することはあるかもしれないと言われたけど、それってこういうことなのか?? 働けば働くほど金も時間もなくなっていく、きつい無理、その無理は平日に突然病欠したりすることでなんとかチャラにしてるけど、それで休みすぎとか言われても困る、いや確かに休みすぎなんだけど、むしろ休みが少ないくらいだよ俺は、そうでもしなきゃなににも追い立てられることなく休むことができないんだから、。助けて欲しい、こんなことなら一生付き合い悪いヒラ社員として人生を終えたかった、、本当に金がないから無理と誘いを断っても、金くらい出すから来いよと結局予定を束縛されてしまう、そういう話じゃなくてただ休みが欲しい、折れて金を出されてしまうこともあるが、それは呪いのようなもので、金を出せば予定を縛れるという逆転現象にでもならないだろうか、おれは金だけ払うから1秒でも早く帰りたい
ほんとうはもっと適当でもいいのかもしれない、付き合いが悪いくらいで壊れる人間関係とか、働かないやつとか俺の妄想で、適当にやっても案外どうにでもなるのかもしれない、でもそれを保障してくれる奴がいない、おれの付き合いが悪いせいで仕事がポシャったりしたらおれの管理責任になるのかとおもうと回っている形を維持しなくてはならないのかとおもう、今も飲みの後で頭痛と吐き気がとまらない、たぶん明日は休むことになるだろう
Yahoo!ユーザー 「働いてないくせにもらいすぎ。受給額を引き下げろ。不正受給を徹底的に取り締まれ。」
はてなユーザー 「そもそも最低賃金が低すぎる。労働環境を改善しろ。守るべき人(権利)を守るためならある程度不正受給が発生するのは避けられないこと。」
Yahoo!ユーザー 「生活保護の分際で旅行なんてとんでもない。携帯電話も贅沢品だ。」
はてなユーザー 「年に一度くらいの旅行もできないのでは健康で文化的な最低限度の生活を満たしていない。携帯電話はもはや生活必需品だ。」
中国経済が盛り上がっているとか、中国企業の先進技術の発展に対して……
Yahoo!ユーザー 「中国経済はまやかし。まだまだ日本の方が上。どうせみんな日本のパクリだ。」
はてなユーザー 「2位と3位とはいうが中国のGDPは日本の2倍もある。コピー品ですらどんどん高品質化している。大国すぎて日本は相手にされなくなっていくだろう。」
Yahoo!の連中は保守的、全体主義で、見当違いな「批判的なものの見方」をしており、都合の悪い事実を受け入れられず、問題の本質を見抜けていない。
元増田です。仕事終わってはてブ覗いたらまさかのホッテントリ入りに驚いた。
たくさんコメントをいただけてとっても嬉しい。色々落ち着いたらコメント全部印刷してお守りにするね。
実はまだ社員になる実感がなくて、正社員登用は本当に嬉しいんだけど、正直なところまだ一枚隔てた別の世界の話のように感じてる。
でも、まず母に喜んでもらえて、たまたまお茶した友達も喜んでくれて、はてブの人たちにもお祝いしてもらえると、
これは本当のことなんだってじわじわこみ上げてくるものがあるよ。
すごくすごく嬉しいから、調子に乗って追記するね。うざかったらごめんね。というかきっとうざい自分語りが入ります。明らかに蛇足です。
実はこれでも今まで働いてきた職場の中で一番お給金が高いのでした。
具体的な金額で書くと1000円前後。これで交通費が半分でも着くと私の住んでいる地域ではかなりいい感じ。
ちなみに一番最初の職場では750円、その次では850円と転職するたびに少しずつ上がっていきました。
なので私の中では、時給1000円でも十分高い部類に入ります。
仕事について、元記事では特に評価されたパソコンやシステム関連について重点的に書きましたが、
実際は窓口で受付や来客対応をしながらもちろん外線電話も取るし、会議等が非常に多いので資料や機材の準備をしたり、
それから年に3度ほど規模の大きな催しがあるので、その予定を組んだり外部の先生に依頼をしたりなどをしています。
そもそもにして今いる部署が、事務職としては恩人でもある社員さんと私の二人だけで始まり、大体手探りで仕事をして、何度も失敗をしながら作り上げてきました。
今でこそ人員が増えて役割分担されているけれど、最初の年は経理的なこともしていたし、そういえばPRビデオみたいなものも作ってました。
さすがに有名大学の教授クラスの人への連絡まで任された時は荷が重いなあと思いましたけれども(※今ではもうとっくに慣れた)。
時給が安いという実感はなかったし、安くても部署を作って運営してきた実感があったので、何ともなかったです。
派遣という立場ながら、仕事を任せてもらえた(というより放り投げられた)ので、やりがいだけはありました。今思えばやりがい搾取ってヤツでしょうか。
しかし、好きなことを好きなようにできるのはとても楽しいし、できないことができるようになることもまた楽しいので、あまり気になりませんでした。
ブコメでは派遣元へ支払われる紹介料がべらぼうに高くて人買いだの女衒だのと派遣元が叩かれていますが、
私自身はそこまで派遣会社に悪感情はないし、派遣社員という制度や身分が嫌いでもありません。
最初の職場は市役所の臨時職員で、1年経ったら辞めざるを得なくて、そこから半年間就活をしていましたがうんともすんとも言わず、正直病んでいきました。
その頃の私は派遣なんて悪い文明! と思い込んでいたけど、もうこれ以上無職でいる訳にもいかず、派遣会社を頼りました。
増田ではこんな長文を書く私ですが、リアルではかなりの口下手で、面接がとても苦手です。
そんな私にとって、登録すれば仕事をくれる派遣会社は本当に有り難い存在でした。
派遣社員としてでも与えられた業務をこなし、人に感謝されたり上手く仕事ができた手応えを得れば、生きている実感が湧きました。
特に今の派遣会社は、元々の時給が高いだけで(※自分比)継続勤務による昇給はなかったし、交通費もこの1~2年でやっと支給されるようになりました。
あと後述の理由で辞めたいと言った時も辞めさせてくれなかったし、社員になりたいと希望を出してその交渉をしてくれていたのか分からないし、
無期雇用の話を言い出したら有耶無耶にしようとしていたし、本当にいいところがない……。
・これから
正社員になって一番嬉しいのは、あらゆる研修に出ることができること。
社内メールで内外関わらず色んな研修のお知らせが来るのですが、派遣社員の立場だとどうしても出席ができなかったので(正確には優先順位が低い)。
特に前々から行きたいと思っていた研修に、別の社員さんが出席することになったときは本当に悔しくて仕方がなかった。
一番参ったのが、後からやってきて仕事を教えた社員さんに結構理不尽な扱いを受けたこと。
今の部署に長くいるので、後からやってきた社員さんに仕事を教えるという逆転現象も多々発生していましたが、
とある社員さんに仕事を大体教えたら突然当たりが強くなって、どう接すればいいのか分からなくて本当に困った。お前所詮は派遣だろ、って明らかに見下した扱いです。
なんかもういいやー、と思って派遣元に退職を伝えてもなんか本気に取ってもらえなくて、また困った。
その社員さんとは今は和解しているのですが、私が社員になると知ればまた当たりが強くなるだろうなー。
かつては派遣会社で仕事をもらって生きている実感が湧きましたが、派遣先の会社で社員になれるほど認められて、私はようやく人間になれた気がします。
こんな蛇足にまで長々お付き合いいただき、ありがとうございます。
これ以上はもう何も書きませんが、ここまで読んでくださった方にも素敵なことがありますように。
注意:
(実は学歴だけ高くても大企業入れない人って結構いるんですよね、そういう人がフリーに多い気がします。つまり変なやつが多い。協調性ないとか)
>報酬が高い
>危機感が落ちる
自立自生できないには危険(私はできません)
メリット・デメリット眺めると、昔フリーターというものが出た時に目指した姿な気がしますね
とは言っても、全体的にそんなに数居ないし
平均的な人がフリーになって上手くいくとは思えないので今後も増えないでしょう
でもここ15年で書いた小説未満の駄文は全部合わせて100行未満!
それなのにいつか小説家になれると思ったままなんだからオラワクワクすっぞ!
マジで唐突に覚醒していきなり文庫本1冊分ぐらいならアッサリしあげてそのまま芥川賞GETとか思ってるのかねオレは。
流石にいい加減現実見ろよと思うんだけど、こんなくだらん妄想でも将来に対して何か明るいビジョンを持っておかないと人生が嫌になって電車ダイブかましそうだ。
俺を発狂させないためのストッパーになるからって事で、実現する気のない夢を見続けているのかも知れないな。
夢を実現させるのが目的ではなくて、夢を見ること自体が目的となっているという歪な姿が俺の諦める理由はいくらでもあるのに諦めるとは到底思えないこの夢の正体なのか。
なんだそれ……
聞かせる奴によっては
「アドラー心理学は本当だったんだ!」
とでもほざかれそうなレベルで滑稽な手段と目的と過程と結果の逆転現象が起きてやがんな。
とはいえ
今更現実を見て現実的な夢(人生の目的・目標)を探そうとした所で、何か見つかるとも思えないな。
日本百名山制覇?
山登り自体が面白いとは思えないのでヤマノススメオタクにでもおまかせします。
軽く漫画を練習してツイッターで白ハゲ漫画描いてチヤホヤされる?
承認欲求には飢えてますが飢えてるなりにグルメですのでそういう担がれ方はちょっとね。
今更頑張ってもそんなお金が稼げるとは思えませんね。
お金稼げるように頑張る?
頑張りたくない。
安くて美味いお菓子を沢山食べる?
健康的な体づくり?
頑張りたくない。
小説家になるためにまずは本を沢山読む?
往年の名作ゲームの制覇?
ゲームも飽きてきた。
大体どれも飽きてきた。
恋?
人付き合いにももちろん飽きてる。
この人生は本当に何がしたいのか。
多分もう何もしたくないんだ。
小説家になってチヤホヤされたいってのも、人生をやりきって1人の人間分として十分な結果を出したと自分に言い聞かせたいんだと思う。
それと一度ゆっくりしてそのまま再起不能になっても問題ない程度の金を手っ取り早く手に入れたいのだろう。
人生に疲れてるんだ。
とにかく一度休みたいんだ。
いつだって結果を求められる。
休んでいる間すら、何か仕事の役に立つヒントは掴めたのかと問いただされたりする。
休み方にすら有意義であること、リフレッシュしきる事、休み明けからはバリバリと働けることが求められる。
とにかく疲れる。
休まらない。
どこまでも休まらない。
一度冬眠したい。
もしもこれが一人プレイのゲームならとっくの昔に一度セーブして別の事をやっているだろう。
レベリングに疲れたRPGや、クリア後のトロフィー集めにウンザリしたゲームからそっと距離を置くように、そこから離れて別の事をやりたい衝動でウズウズする。
もしこれが本ならば一度閉じて別の事をしているだろう。
小説家を目指してると言っておいて実際は全く書いて無い奴らしいありきたりな表現だと自分でも思うけど、表現のしかたはともかく気持ち的には本当にコレなんだ。
寝ている間は人生のことを忘れられるはずなのに、夢の中でもふとそれが夢であることに気づいた途端に自分の本体が現実に有り、そのハードウェア上で動くソフトウエアとして夢が存在しているという事実に気づいてしまう。
眠っている時間は休んでいる時間であり、それはつまり、休んでいる時間にしっかり休んで仕事等で結果を出すための準備の時間として扱われてしまうのだ。
現実でバリバリ頑張るために必要なクールダウンに過ぎない眠りの時間は、結局は現実の一部のままなのだ。
夢から醒めて現実から帰ってきたとき、再び二度寝する事も出来ないわけじゃない。
仕事場に一度電話を入れたり、そもそも休日だったりすればいいだけだ。
でもそうじゃないんだ。
二度寝して三度寝して四度寝してトイレに行って少しお腹を満たして歯を磨いて五度寝して……それを百億回繰り返してもまだ百億一度寝が出来る状態を俺は求めてるんだ。
実際に百億回二度寝がしたい訳じゃない。
無限に休んでも何ら咎められる事がない、完全に人生の時間が止まった休憩時間が欲しいんだ。
でもそんなのは手に入らない。
だけど金を沢山持ってセミリタイアをしてみせたのならそれに近いことは出来る。
でもただ金を持ってるだけじゃケツ吹く紙にしかならなくなった時に困る。
それと単に沢山金を手に入れるんじゃなくてしっかり人間社会に貢献したという形で金が欲しい。
そうじゃないと何だか納得できない。
納得できない状態で何もしなくて良くなると、自分のような弱い人間はきっと自分を苛め抜いて自滅するだろう。
たとえ金の価値が何度暴落してもそのたびに何度でも金を手にするような力が欲しい。
そんな方法として、何か自分にも出来るような物として、自分は小説家で億万長者という幼稚園児レベルの夢を見たのだろう。
小説は文章を書くだけだからもしも俺が超天才だったなら才能が覚醒さえすれば(どんな前提だ)、億万部だって楽勝に達成できる。
意味不明だ。
冷静に考えると意味不明過ぎる。
だけど意味不明な物に根拠のない自信を持つと逆に理屈が通ってる気がしてくる。
スポーツや絵と違って才能の無さを証明するのも難しいという事が一役買っている面もある。
とにかく俺には夢が必要だったんだ。
滅茶苦茶でもいい。
その夢に向けて歩もうとする気力すら無いけど、その消えかけの気力を夢が支えているんだ。
何がどうなってそんな事になっているのかもう分からんけど、俺の心はいつの間にかそういう構造になっていたようだ。
最初に言ったけど本当にこんな奴どこにでもいると思う。
とにかく休みたいという願いを持ってる奴も沢山いるだろう。
天国の話に人が惹かれるのは、そこで幸せになれることよりも、そこに行けばもう頑張らなくてよくなるからなのかも知れないな。
ただ単に頑張らなくてよくなりたいだけなら死ねばいいけど、死ねば頑張らなくてよくなった自分を観測出来なくなる。
それだけじゃない。
それを無理に捻じ曲げれば自分の中から出てくる言葉が自分をいつまでも切りつけてくるようになる。
そういったシステムから脱するには、肉体を捨てた上で観測者としての意識を残して、努力を不要とする世界に行く必要がある。
もしかしたら俺は小説家なんて目指してないで(全く書いてないくせによく言う)、神にでも祈るべきなんだろうか。
でも流石に話がうますぎるな。
小説家を目指してるせいで見え見えの作り話に見えちまうぜ。
あと一応言っておくと、私は女性です。
自由に持論をゴチャゴチャ述べるので、気が向いた人だけ読んでください。
まず大前提としてスカート強要どころかスカート推奨もクソでくだらない風潮っていうのは言っておきます。
それに限らず、日本は企業も社会も本当にゴミで、自分達がおかしいなんて1ミリも考えないし自浄作用もない。本当にクソだよ。
で、そのうえでファッションにおいてスカートスーツが正式である、とか、スカートスーツのほうが実際には美しい(美しく着こなしやすい)、という話をします。
理由は、
と
2.男性の体型と女性の体型は異なり、女性特有の体型に対してはパンツよりもスカートのほうがマッチする
のふたつです。
まず、基本的にファッションは「遡る方が正しい」という前提があります。保守的であればあるほど堅苦しく、狭く、差別的で、また正式であるということ。
大体同時に女性蔑視的であることも伴うので、スカートスーツは「正式」だからこそ「強要する風潮はクソ」であるという持論も、両立します。
正式ということは「正しい」という話ではなくて、ファッションはそういう性質を持つ文化だということね。
ある人の受け売りだけど、要は、カジュアル(庶民)な服装に対して、ドレス、スーツ、ビジネス的な側面を持つ服装は、正装、つまり「政治に参加するようになった市民が、政治を行っていた貴族の服装を真似た」っていう経緯が本来あるわけ。イギリスでね。
だから、少し前のスーツスタイルというのはジャケット、ベスト、パンツの三つ揃いに、シャツ、ネクタイ、革靴が必須で。
あとはハンカチーフだの、紳士たるもの、ハットにステッキは必須だの。
バカバカしいけど、バカバカしいことを装って社会階級を示したり、連帯感を持ってきたのが「ファッション」という文化なんだな。
要は、それが貴族のものから市民に解放されて、イギリスからいろんな場所を経て日本に来て、サラリーマンなる労働者階級(イギリスでは今も労働者階級とスーツを着る階級とは断絶があるけど、日本はその境目が曖昧とされてる)
が着るようになって、「シャツ、スーツ上下、ネクタイ」が最低限の要素として残った、ということ。
たまにネクタイも要らないけど。就活で、かつ女性のスタイルでは見ない方が多いかな。
長く話したけど、要は身も蓋もない理由だけど、スカートスーツは「パンツスーツよりも前にあった」という理由でも既にパンツスーツに長じているし、また、
女性のファッションの変遷を見ても、女性がパンツスタイルを始めたのはかなり近年になってからのことで、スカートのほうが先んじているから、スカートスーツに軍配が上がる、ということです。
ふたつめに、「スカートはタイトスカートよりも広がっているもののほうがカジュアル」だけど、
という、スカートとパンツのシルエットにおけるフォーマル、カジュアルの逆転現象もあります。その話がふたつめの理由に繋がるのですが。
スカートは、膝丈前後のタイトスカートが最もフォーマルなイメージを受け、また、マキシ丈のスカートなど、裾が長くなり、広がったほうがカジュアルな印象を受けます。(素材の話もありますが割愛します)
パンツに関しては、逆にスキニーパンツなどで脚の太い部分、細い部分を強調したほうがカジュアルな印象を受け、腰から足首まで長さが均一(足首の布は余る)ほうが、よりフォーマルな印象を受けます。
これにより、パンツスーツは基本的にブーツカットよりのシルエットのものが多いです。
これは実際に見てみた方がわかりやすいです。
これは歴史的変遷もありますが、同時に、見た時に受けるイメージ(私だけがそう思ってるわけではなくて、ファッションにおいては大体共通の見解だと思います)でもあります。
そうでなければ、歴史的経緯だけを見たら、
ロリータファッションなどでスカートをふくらませたほうが、女性においてはより保守的、よりフォーマルになるはずだからです。
しかしこれについても、受けるイメージなどという曖昧なものではない説明もできます。
つまり、就活を始め「女性のスーツ姿」というのは極めて新しいものであり、また、これは「遡ればマリーアントワネットが正式である」
のではなく、「女性を男性の政治参加者に近づける」のが目的であるからです。
要は、スカートスーツであれパンツスーツであれ、下半身に関しては「女性特有の凹凸を消す」ことがフォーマルな印象になりやすい、ということです。
女性は太ももが太くふくらはぎが細いので、膝丈のスカートは全体的に凹凸の違和感を無くすということです。
パンツスーツでふとももがパツパツになってしまってる女性、いますよね。
パンツスーツのほうが、どちらかといえば凹凸ができやすいので、全身のIのラインが乱れ、着こなしによりますがフォーマルに着こなすのが難しいということです。
スカートでもふとももパツパツの人いますけどね。パンツは全身を眺めた時の、落差、違和感が目立ちやすいのです。(そんなことないと思う方がそう思うのは自由です。)
よって、上記の二つの理由によりスカートスーツのほうがパンツスーツよりは「正式」なのです。
実際はそこまで考えておらず単なる押し付ける側のスケベ思考なので、早く選ぶ側が隠した差別もしないほど、本当の意味で「どちらでもいい」になってほしいなと私も思います。