はてなキーワード: 自発的とは
美を追求するコンテストを廃止するなんて美を賞賛する事もダメなのか!
知識量を決める事と何が違うのか!
みたいな知性のかけらもないブコメ並んでてブクマカって馬鹿しかいねえな〜と思った次第。
馬鹿には分からんかもしらんが、一応説明すると人の外見において、何が「美しい」ものなのかってのがもう人に決められるもんじゃないって時代に来てんのよ。
自分の美、の基準は自分で決めよう、自分のありのままの姿を自分で認めよう。
他人が優劣をつける事はやめようって話ね。
背が低くても足が短くても、美人。
ニキビがあっても、肌がきめ細かくなくても、お尻にセルライトがあっても、それも美しいじゃない、って話よ。
もちろん建前でもあるよ?
大っぴらに
肌がきめ細く色白でニキビもなく足が長く髪がサラサラで艶があって額が狭すぎず広すぎず姿勢が良くてお尻が垂れてなくて二重で目が大きくて鼻が高くてどこかに気になるアザも大量のホクロもないって子
を、美人として優劣をつけ評価する事は、そういう美の基準を作るって事になるんだよ、分かる?
持って生まれたアザやチリチリの髪や短くて太い手足を否定して、その昔ながらの美の基準を目指そうって価値観自体がもう古いって話。
そしてそれこそそうした価値観から遠い人が傷ついて苦労して来たって話ね。
もちろん芸能みたいな商売はまだまだ利用すると思うけどさ、それとこれは違うやん?
あんな人間を売り物にするような業界自体が普通じゃないんだからさ。
知識とか運動みたいに明らかに多い少ない速い遅い強い弱いで優劣がつくもんじゃねえんだよ、美ってのは。
誰かが勝手に決めてきたもんなんだ。
んで苦しんできたもんなんだよ。
その水原希子もケツのセルライトを修正せずに出して一部ではなんで汚いものをって言われたんだよ。
それが美だよ。
まあ水原希子だって顔小さいし足長いけど、そうじゃない子だって少しずつモデルとして活動出来てきてるじゃん。
それを認める事なんだよ。
何であんなのが、って言うのは間違ってんだ。
そうなんだよ、もはやモデルって何って話で良いんだよ。
いやそれでもそれなりに色々あるだろうけどね。
リスクがあってもね。
それを否定は出来ないよ。
でもな、そうして整形願望を持つ子たちの根っこには、過去に形成されてきた画一的な美の基準があって、それに伴う世間の評価が存在してるからなんだよ。
ありのままの姿でずっと評価されて認められてきてそれが世間で当たり前になってりゃそんなリスク犯さないんだよ。
鼻が高いのが可愛いよねって価値観が男女共になければ、そんな事しなくて良いんだよ。
よくよく考えるとさ、健康を害してまでウエストを締め上げたコルセットの時代からまだそこまで進歩しちゃいねーんだよ人類。
だから少なくとも大っぴらな美の基準を固定化する行為は否定されて然るべきなんだよ、わかる?
ちなみに俺は高校生の時に学校のミスターコンテストで優勝した事あるけど、この流れは素晴らしいと思う。
これは冗談で言うけど、おまえらブサイクブスばっかのくせになんでルッキズムの片棒担いでんだよ。
というかそこにコンプレックスあるやつほど執着すんのかもな。
あれだけ従わされてきたルールが突如変更になるって、俺私のこれまでは何だったのって。
でももう楽になろうぜ。
そんで自分達の子どもの代では過去の美の価値観から解放してやろうぜって思わんのかね。
追記:アノニマスでもなんでもないけど読んでくれてあざす。
だいぶ煽ったおかげで読まれた気がするけどもその部分の反発やご指摘は仰る通り。
自分の云々は蛇足だしどうせ僻みだろみたいな反応への予防線なんか張る必要なかったし馬鹿だったと思う。
多分自分がブコメするほうでもそこ一言嫌味入れると思うしのっけから馬鹿だなんだという部分で不快になった人には申し訳ない。
ただ揚げ足取りや内容への言及なしなものが大半になっちゃったのも否めずなんつーか諸刃だった感もあって。
全部いちいち注釈入れて全方位配慮型で中庸に仕上げた文章読まないでしょ?という気持ちは今もなくはない。
重要なのは美の基準の話だけど、生理的なレベルの好き嫌いに関しても俺は後天的なものだと思うんだよね。
生まれた時から周りに自然にいる人に対して自発的に生理的嫌悪は起こさないんだよ。
いわゆる顔面うんたらみたいな障害持ってる人とかも、出会ったことがなければ衝撃を受けるのは自然な事だけど、仮に身近に当たり前にいれば生理的嫌悪も起きないわけよ。
現代の美的感覚も西洋の文化からの受け売りのものが多数であって、心理的なものですら必然的な現代生活の刷り込みあっての後天的な環境要因あってのものだと思うわけ。
現代文明に触れてないジャングルの奥の少数民族が同じ美的感覚持ってると思うか?って話。
だからそれらも刷り込みであって、その土壌を作ってきた1つの美の様式を小さなとこから解体していくべきと俺は解釈してるわけ。
それはある種文化を壊すことにもなるけどそれがあるべき人間の進歩には間違いないわけよ。
海外の流れがそういう考えを元にしてるとは思わんけど、自分の美の基準を自分で決めるべきってところを掘ってくとそういう話にもなるわけ。
今までの基準を壊していく事、刷り込まれてるものを一旦全部リセットしてっていう。
ファッションだって黒人がヴィトンのショーを数日前にやって、ストリートの手法がどんどんラグジュアリーにも本格的に受け入れられて、まあそっちはマーケットベースで動いてるけど、そういう一連の流れと多様性と価値観の進歩は全て共鳴してんのよ。
藝大みたいなとこは、って言ったのはアートとかそういうのは価値観を先に進め時代を牽引するものであって、だからこそ表のミスコン?にはそういう意図があった中、保守的な従来型のミスコンをやるってのがそりゃ違うでしょってなるのは必然って話。
あと運動能力や知識量は明らかな勝敗がつけれるものであって、生まれ持ったものに左右されるのは確かだけど、美の基準が後天的に作られてるっていう前提からすると同列には語れない。
それも比較するな、となったら努力を否定する事になるってのは分かるけど、運動能力や知識量は目指すべき方向性が決まってる。
それに対して美への努力は何を持って美とするか、を誰かが決めるものではないって話。
あと芸術点のある競技の話に関して鋭いツッコミあったけど、これは競技に限らず芸術作品、文芸、ファッション、音楽とか全てにおいて権威が評価を決める事への反発の動きもあって時に変動するからこそ基準に対して流動性があって良しなわけ。
それにそれらは人が作った競技だから基準を人が作っても良いわけよ。
でも美人の基準は流動性がなく(ほんとは若干あるけど、流行りの顔とか。でも生理的なものとか言われるくらいだから根底はあんまずっと変わってない)、なおかつ人の外見なんか人が生み出した競技ではなくその美の基準だけ人が生み出して、それで苦しむ人がいるわけやん。
んでミスコンはそんな外見の優劣なんて競技に参加したつもりもない人間を判別する基準を制定する事になる行為だって話。
だから取りやめる事は必然であって、他の競技も出来なくなるとかつまらない時代とかって批判はおかしいっしょっていう。
この辺が話の本題で本質ね。
ブコメが本質の話にあまり至ってないのは俺の責任でもあるけど、少しでも気にかかった人はこの追加まで読んでくれると真意は伝わると思う。
再追記:タイトルや煽りで損してるのも分かってるけど敢えて改変はしないつもり。
キモい、とかそういう内容に言及しない批判はどうでも良いし、的外れな批判を取り上げて持論を補強する卑怯なやり方もしないっす。
でもブコメの意見がめちゃくちゃバラバラでそれは良いのかなと。
勢いで書きなぐったのでまとまってないのは申し訳ない。
誤解を生むのも自分のせいかなと思うけど、未だに「黄金比みたいな美の基準は決まってる」みたい論は、それ後から決まってきたものであって、例に出してる現代文明に触れてない人間には通用しないんじゃない?=文明の影響で黄金比を感じる土壌が出来てるのであって後天的なもんだからそれを普遍的な美だと決めつけて人様の顔に当て込んで評価するのやめようぜって話。
で、そうした美の基準は多様で良いって前提なら従来型の画一的な美の基準に照らした評価を継承するミスコンは無用で過去の価値観を補強し定義する害悪って言ってる。
美以外にも努力は否定してないし、ただ美の努力の方向性を勝手に誰かが決めてくのは終わりって話よ。
肌が綺麗とかどーとかよ。
ありのままでええやん、が本旨。
何回も言うけど、他の運動や芸術などのコンテストや競技は競技自体を作ったのが人間であり、何かを行ったもの、を評価するものだから評価基準を人が作って良い。
一方、顔やスタイルなどの造形は生まれた時にある程度決まっており、何かを行ったもの、ではなく存在する外見そのものを評価する事でもあるから、評価基準を人が作るべきでないって事。
努力っつっても外見に関して何に向かって努力すべきかを他人が決めるなって話。
そこからデフォルトで遠い人間がネガティブな評価を受けるから、以上。
だったら中身だけでやれって話になるので。
余談だけど俺はめちゃくちゃ性格悪い自覚はあるから言及しなくて良いっすよ。
性認識は恐らく女で合っているけど、性別自体がコンプレックスで女としてありたくない。
そう装うのも、そう扱われるのも、不愉快。でも男になりたいわけじゃない。
自分にとって子宮はデメリットでしかなく、メリットが一つもない。
ある日思った。子宮を取りたいと。
しばらく調べて、病気でもない健康な子宮を取りたいというのは、問題があるらしい事が分かった。
まず日本の法律では母体法だか何かで、健康な子宮は無意味に取れないそうだ。
ドナーになれたらもしかして法的にも金銭面でも大丈夫なのではないか。
そう思って調べた。以下のサイトを見つけた。
http://www.pt-ut.org/index.html
>子宮移植のドナーの対象は、生体ドナーと死体ドナーに分けられます。
>生体ドナーは親族及び第三者が、死体ドナーは脳死及び心停止患者が候補者として考えられています。
>言うまでもなく、いずれの候補者においても、臓器提供は、自発的な意思決定のもとで行われなければなりません。
出典:http://www.pt-ut.org/uterus_transplant/index.html#03
とあり、もしかしていけるのでは?と思い、先日ドナーとして子宮提供することは出来るかと問い合わせた。
すると数日後、返信が来た。
要約すると、現代の日本においては生体臓器移植のドナーは受容者の親族であることが原則とされているとのこと。
またプロジェクト自体、受容者や提供者の適格基準を議論する段階には至っていないらしい。
子宮取りたいな。
組織論に興味を持ってゆくゆくはマネジメント系、更に会社の幹部を目指す心の優しい勉強熱心なエンジニアへ。
役割としてProjectManagerのような立場はイメージしやすいと思う。ネットに情報が多く転がっているし、職場の現PMの活動を実際に目の当たりにしているからね。
幹部になるということは社長の腹心になるということ。自分の考え方を今までの社員の立場から社長の立場に切り替える必要があるんだ。
部門の取りまとめについて社長から色々と指令が出る。目標に対する成果を出すのは当然のこととして、
例えば「うちはみなし残業制だからメンバーが毎日みなし労働時間分は残業するような仕事の振り方をしろ」というものである。
メンバー個人の能力を見極めて一段高い行内を与えて成長を促すといえば聞こえは良い。
社員であれば「業務を効率化してさっさと仕事を終わらせて早く帰ろう」という思考になる。これはとても良いこと。
社長目線だと業務が早く終わるということは遊びがある、投入コストに対して無駄が発生してるということなんだ。
すると幹部の君に「おい最近A君の帰りが早いじゃないか、ちゃんと彼の活動内容を把握しているのか。もっと仕事を振れ」というお叱りが来る。
これをクソだと思ってはいけない。君は社長の腹心。投入コストに対して最大のリターンを求めるのは当然なのだ。
「部長の君がチームの誰よりも早く出社し、一番最後に帰るように」「基本的に君は病欠以外に休みを取るな」と言われれば従う必要がある。
「メンバーを褒めるなよ。成果目標に対する客観的な進捗だけで評価しろ。褒められると勝手に昇給・昇格を期待して、思い通りにならないと会社に対して不満を持つが出てくるからな。」
「本人の能力不足による残業や土日出勤は自発的にやっていること。勉強と同じ。好きなだけやらせればよい。能力不足による自主的な穴埋めなので会社から金は払わない。」
「飲み会で会社の不満を言うやつがいたらお前が諭せ。社員の中で不満を広げるな。不満を言うメンバーはマークして報告しろ。」
「採用コスト・教育コストには相当な金がかかっている。簡単にメンバーが辞めないように普段から監視しておけよ。辞めたら君の評価が下がると思え。メンバーが長く働き続けたいという環境を作るのも君の仕事だ。」
これをクソだと思ってはいけない。君は社長の腹心。愛に満ちた社内環境を保つことは当然なのだ。
そのかわりに幹部になれば給料が数100万単位で爆発的に上がるよ!
ということはない。クソが。
中小企業で社長と合わないなら長く働くことは勧めない。早めに転職するが吉。
プロポーズされて結婚直前、同棲中の彼氏の通勤用カバンの中からいつのかわからんボロボロの風俗ポイントカードが出てきたんですよ。
そういうのは仕方ないものだって知識としてはあったけど、かなり動揺して、考えれば考えるほど悲しくて。
問いただしてみたら、昔会社の人の付き合いで数回行ったことがあること、自発的には行ったことがないこと、私と付き合いだしてからは行ってないこと、これからも行く気はないこと、などを言われて、何度も謝られた。
1年程度の短い付き合いなら迷わず別れてたけど、もうここまで来てるしなぁって思って、発覚してとても悲しかったことと、今後行ったら別れるという約束をして終了。
でもさ~一度行った奴は何度でも行くでしょそういうところ~~~
私はかわいくないし、細くて胸もないし、正直逆の立場だったら、この先一生私しか抱けないとなるとかなり悲惨だと思う。
それに浮気されるよりはお金を払う割り切った関係のほうがマシであることもわかる。
とはいえ頭でわかってても心が付いていかない。彼氏(この先夫かもしれない)が綺麗で若くて胸がおおきい女の子を夢中で抱いているのを想像すると悲しくて涙が出そうになるし、男だけそうやって性的に楽しいことたくさんあるのもずるいって思ちゃう。(女性向け風俗に行けばいいのかな?それって彼氏を傷つけることになる?)
彼氏は優しい人だから、たぶん今後は尻尾をつかませないようにしてくれるとは思うけど、それだけに私は今後いつでも、あー最近はいつ行ったんだろうなーとか、あってもなくても疑ってしまうんじゃないかって思って辛い。
日本とベトナムに拠点を持つ中堅SIerで働いている。以前は中国にも拠点があり、そこで働いたこともある。特定避けるために一部フェイク含む。
ベトナムに拠点を作ったのは7~8年前。当時は中国の人件費高騰や政治的リスク(反日暴動が盛んだった時期)もあり、多くの日系IT企業が中国からベトナム・フィリピンへ拠点を移そうとしていた。当社も、ベトナムのIT系専門学校と提携し、そこの卒業生を受け入れるという形で子会社を立ち上げた。当初は、日本人数名、ベトナム人20名ぐらいの小規模な拠点であり、主に日本の親会社から発注した開発やテストを受け持っていた。
それから10年弱。今では数百名規模にまで成長した。仕事も親会社からのみならず、東京の親会社内に営業拠点を構えて他の日本企業から受注したり、ベトナムにある日系SIer同士で仕事を融通しあうようになっている。
月給は、新人が約6万円、経験5年目で約10万円、経験10年目(転職組)で約15万円といったところだ。たまに親会社から招聘されて日本に派遣することもあるが、その時は、給料とは別に日当を支給している。住居は、親会社が借り上げている寮(個室で風呂・トイレとキッチンのみ共有)を利用しているので、派遣された社員の負担は食費のみである。最低賃金の絡みか、日当7000円を支給し、寮費2000円を天引きするという形になっている(注:数字は実際の額ではない。イメージ)。3か月も派遣されると給料数か月分も貯金できるので、日本での勤務を希望する社員は多い。
ちなみに、親会社に提示している単金は、おおよそ上記給料の3倍。つまり、新人は約20万円、経験5年目で約30万円、経験10年目で約50万円という感じだ。親会社以外には、もう少し割り増した額を提示している。また日本に招聘される場合は、上記日当+α分を別途請求している。
日本のSIは人手不足・採用困難著しいが、ベトナムでは、他の職種に比べて初任給が1.5~2倍高いこともあり、比較的買い手市場が続いている。日本では、初任給を25万円、年収400万円にしても集まりが悪いが、ベトナムではその1/5の金額で日本語堪能な優秀な学生が集まってくる。
さて、本題。
たまに「オフショア開発は、途上国の人材を安く使っているので搾取だ!」という方がいるが、これは搾取に当たるのだろうか。
確かにそもそもは、親会社のコストカットという日本側のメリットを目的として拠点を立ち上げた。だが、それにあたって1億円近い金額を投資し、そして現在は、親会社やその他日本企業から受注することで、日本からベトナムにお金を流している。その結果、平均賃金より高い給与水準で数百名の雇用も維持している。社員の消費まで考えた場合、既に親会社のコストカットの何倍もの経済効果を与えている。ちなみに会社の利益は、何かあったときのための備えと規模拡大のために使っており(特に人件費と採用コストが増えている)、ベトナムからは一銭も持ち出していない。
余談だが、日本にベトナム人社員を派遣した際も、どこで聞きつけたのかどこぞの市民団体から「ベトナム人を安い給料で使うのは搾取だ!」とのメールが届いたことがある。それに対して、ベトナム人社員には日本における最低賃金以上を支給しており違法性は無いこと、社員側も望んで派遣されていること、そもそも親会社と子会社で給与体系が違うのは日系企業同士でもよくある話であること、を説明したが返事は貰えなかった。
10年前に中国から撤退したときも、「人材の使い捨てだ!」との批判があったが、その時も同様に、数億円の投資や経済効果が生じていることを忘れてはいないだろうか。当社や他の外資系(日系+欧米系)が参入しなければ、経済効果ははるかに小さかったに違いない。
自分は経営陣でも何でもないが、海外を下請けにすること、外国人労働者を雇用することについては、その国々の法律さえクリアしていれば問題ないのではないかと思っている。前述の通り、国を越えて人々が自発的に行き来することで、双方の国、経済にメリットが生まれることは間違いない。
これらを批判するのであれば、大リストラを敢行したカルロス・ゴーン率いる日産や、非常に安い賃金でiPhoneを製造するFoxconnやアップルも同様に批判しなければならないと思うが、どうも当社を批判したような市民団体は、そういった外資系の有名企業には興味がないらしい。
今の職場の上司がまさにそんな感じというのに先週気が付いてストレスで体調を崩した。一見腰が低く愛想がいいのだが、土日時間関係なく、自分の思う通りに書類を書き直せと電話やらメールが何回も来る。上にへこへこするが、下に対してはかなり横柄で無理なことを指示してくる。他にも被害者がいて、被害者は明らかに地位が低い人たちだけで、無理なことを押し付けられた上に悪口を言いふらされるという状態でやめていく人も結構いる。ただ辞める理由をへこへこ上司のせいとはっきりとは言っていかないので、おそらく上司と同じくらいの立場の人達は気が付いていないと思う。
前の職場もちょっとタイプは違う、露骨な恫喝と周囲への悪評の吹聴だったが、パワハラをする方がいた。そこは組織がなくなっている。管理職が変わるような形で組織が消えて、まともだった同僚がちゃんと転職できたようで安心している。一人へこへこ系の元同僚が残ってはいるのだが。
自分はやりたいことをやって生きてきたので、へこへこすることと、そのストレスを部下にぶつけることで生きていくという生き方自体、今一つ理解できない。今の職場は以前も新聞の一面に載るような大きい問題を起こしていて、私が担当している仕事から察してもちょっとやばい予兆のようなものもあり、それを変えたほうがいいと主張してもそのへこへこ上司が「変えなくていい」といい、こちらが問題であるかのように周囲に言って回る。「変えたほうがいい」とする人はほかにもたくさんいて、へこへこしない系の人達は変革をしようと熱心で、私もそこで雇用されたようなものなのだが、へこへこ上司は表面的に変革派を支持しつつ、内心変革の必要性を感じていないからこちらに「やらなくてもいい」と陰で叱ってくるのでとてもややこしい。こういう体質があるからあの大きな問題も起こったんだろうと思うのだが、おそらくまた似たような問題が起こるんだろうなあ。へこへこ系が出世しないように外部出身者を集めるとかやっているところもあるのだが、こちらはそれも徹底されていない。外の世界を全く知らず人脈もなければ今の組織にしがみつくしかなくなり、社会常識も知らず、自分のいる組織の異常性にも気が付かない。ひたすら現状維持、保身に走るしかなくなる。もともと小さかった器がどんどん小さくなっていく。人の育て方、採用の仕方を根本的に変えないとだめなのだが、おそらく上層部はそこまでわかっていないんだろうなあ。自分が採用する側だったらやはり組織を超えてやりたいことを自発的にやってきた人を取るかなあ。現状維持、保身派がいると組織が腐っていくので現状維持どころか衰退へ向かうことになる。
職場ではチャットツールを使用しているのだが,個人チャットや特定のグループを作成して用件を伝えてくる上司がいる.
普段はその上司もオープンな部屋でコメントを投稿しているが,しばしば個人チャット,特定のグループで用件を送ることがある.
そしてどう考えてもオープンな部屋でも問題ないようなコメントをする.
酷い時は,個人チャット内で「この件,チーム内で共有お願い」とか言ったりする.
隠したい事情があるならわかる.
しかし,どちらでもない.
上司「この件は○○で決定したみたいだけど,△△の方がいいんじゃない?」
わたし「(リーダーでもないのに,なんでわたしに個人チャットで送ってくるの...チーム部屋かリーダー宛に投稿しようよ...)」
わたし「了解しました.チーム内で再検討してみます.上司さんがアドバイスしたということをチームの皆にも伝えて良いですか?」
上司「わたしが指摘したと伝えてもいいけど,わたしはチームメンバーに△△の選択肢に気付いて欲しかったの」
部下にも自分にも減点方式で評価するタイプで,一つひとつ慎重な言動がみてとれる.
だから今回の△△という提案も「自分発信で何かしらの問題が起きると評価が下がる」という懸念から,
「上司のアドバイス>わたしが気付く>わたし発の発言」という流れにして欲しい,という事なのだろう.
この流れだと,
△△が失敗すれば,わたしの失敗(上司からのアドバイスは密室の出来事だし,何よりわたしが自発的に提案したことなので)
ムカイさんの開発者は、戦闘力を上げるためにAIも発達させていた。
そこで、ムカイさんに「倒す」という優先プログラムをつけ、それをAIと紐付けるために「戦う理由」を付与した。
しかし開発者は、その「戦う理由」が消滅した後のことまで考えていなかった。
いや、考える必要がなかったのだろう。
秘密結社の野望が成就されるにしろ、潰えるにしろ、最終的にムカイさんが“辿る道”は同じだったはずだから。
しかし、秘密結社が壊滅したとき、ムカイさんは未だピンピンとしていた。
「自分は何のために戦っているのか」と思ったらしい。
優先プログラムは「倒す」という命令を出すのだが、AIに紐付けられた「戦う理由」が消滅したため実行できない。
最もシンプルな方法は、新しい「戦う理由」を作ってAIと紐付けることだ。
だが、勝手に動かれては困るから、その手段は自発的にできないよう作られていた。
それは人間でいうならば、“ジレンマ”というものに近いものかもしれない。
解決策が見つからないまま、問題解消のためにどんどん容量を割いていく。
結果、何とか出てきた案が「新たな解決策を導き出すため、今よりも自分のAIを発達させる」というものだった。
ムカイさんは、そのために人間の真似事をすることにした。
アテのない旅を繰り返し、自分の存在意義とは、自分は何をすべきなのか答えを探す。
しかし、答えは出てこない。
その時、偶然出会ったのが俺たちの叔母だ。
冒険家の叔母から、姉の(つまり俺たちの母の)話を聞くうち、ムカイさんの中で答えへのナビゲーションが表示されたらしい。
そう考え、接触を試みたわけだ。
「ねえ、ムカイさんの言ってることって、現実問題として科学的にありえるの?」
「そんなこと分かるわけないだろ」
話の途中、弟は俺にそう尋ねてきたが、そう返すことしかできない。
俺は、自分が普段慣れ親しんでいる日常とかけ離れた世界観の話に、事情を上手く飲み込めないでいた。
それでも話をまとめるなら、俺たちがパズルに苦戦した理由は、こうだ。
ムカイさんは度重なる改造によって、今と昔で姿形が違っていた。
母のムカイさんに対する記憶が曖昧だったのは、それが理由だろう。
そして何より、母の語っていた秘密結社の話を、俺たちが信じていなかったことが問題だった。
その話を信じてさえいれば、ムカイさんとの関連性を推理することができたかもしれない。
俺たちは母を信頼していたが、その信頼性はどうも歪んでいたってことなのだろう。
とどのつまり、俺たちは自分たちにとって信じやすい情報だけを信じ、その結果パズルゲームに失敗したんだ。
「調べたいことを検索したらピンとくる内容のものが出てこなかったが、実はトップページの記事をよく読めば書いてあった、みたいな話だな」
「兄貴、その例え分かりにくい」
タイトルには悪くないとは書いたが、
これは、「監督と選手との認識の違い」という件に関して考察したいものであり、
自分自身が教育者としてかつて行ってしまった、誤りを改めて見直す事を目的としたものだ。決して本件が悪くないとは思っていない。
問題なのは、対人に対して成果を求められる、あるいは成果を求める教育者がこういった状況に陥りやすい事について是非知ってもらいたいからである。
仮に監督・コーチが「ぶっちゃけていうと」どうなったのかを教育者としての経験とそこで起こった状況から、考えたいと思ったからだ。
したがって、私自身がどういう愚かな言い訳をするのか、客観的に見てみたいのだ。
この問題を考えずして、情熱をもって指導をすることを辞めてしまいそうになることが、どうも納得がいかないからである。
もう一度言うが、本件は明らかに指導者が悪い。恐ろしい事だと、そう断言する。
私はサッカーを少々やっていたことがあるが、サッカーというスポーツはとてもえげつない側面を持っている
(もちろん、この件をしっかり考えて、事実に基づき、その正当性について考える必要はあるが、ここでは「えげつない」という簡単な言葉を使ってしまう事にする)
イエローカード程度に調整された意図的なファール、移動が困難になり、転倒寸前まで引っ張られるユニフォーム、
次のファールを軽くしてもらえる、あるいはファールを取ってもらいやすくする審判への講義
これは、ファールを取ってもらう為に痛がるパフォーマンス、絶妙な位置で転ぶ等に対して、審判がファールを取らない事から、
その行為自体が存在している事をが広く認知されている事を証明しているだろう。
よく、ユニフォームを掴んでしまうことに対して「とっさに掴んでしまう、ゲームに熱中していたからだ」という言葉を聞くが
何千男百との試合を経験している中で、こういった行為を抑制する事など出来ないはずは無い。
これが行われるという事は、試合の中で審判の判断の範囲内で裁かれないグレーゾーンを上手に渡り歩いているからだ。
この問題にはゲームの進行を止めてしまうとゲームのスピード感を損なってしまうし、ロスタイムの増加に繋がるといった、
観戦者やスポンサー等に対するショービジネス的な要素も関わっているはずだ。
ともかく、どんなスポーツも「紳士的に行う事」が大前提とする中で、こういったグレーゾーンを戦術的に行う事は、だれしも考える事だろうと思われる。
そこで、今回の件を思い出したい。
「選手を潰してこい」といった、事がどのように行われるべきだったかという事だ
アメフトについて、無知である私がこのゲームについてどこまで許されるものかを書いて良いものではないが
すくなくとも、アメフトではボールキャリアに対してとびかかる様なタックルを行って良いものだと多くの人は認識していると思う。
前記したサッカーのグレーゾーンについて考えると、監督が指示したのは「全身全霊をかけた、相手を破壊する事を厭わないような危険なタックルを行え」という指示だという事になる。
試合中にこの様なタックルをしたとして、審判や相手チームは選手に対して警告を行ったとしても、今回の様な事態にはならなかったであろう。
それでは、なぜこの様な事が起こったのか、ここでもう一つの「監督と選手の認識の違い」について考えたい、この件が今回私が考えたい本題なのだ。
選手の記者会見で本人は「試合に対するやる気が見えない」と指摘されているまた、この件に対して選手自身に「その自覚が無い」と言っている。
ここからは私自身の勝手な推察であるが、もしかすると監督やコーチには、選手が以前からこう映っていたのではないだろうか?
「選手に対するタックルに躊躇いが感じられる、有効な一撃を逃している」
といった、選手が考えてもいなかった側面、特にメンタル的な要素が起因した問題を何とか排除すべきだったのではないか?
これは、学生に対する教育者が特に悩む問題で、大きな肉体的、あるいはセンス・テクニックを持った学生がメンタル的な要素で、その才能の邪魔をしてしまっている場合だ。
それを証拠に、試合後、選手に「やさしいから」等といった言葉をかけている事から、メンタル的な要素に何か起因する問題があったのではないかと推察される。
こういった時、二次的に集団的にどういった事が起こるかというと、指導者の意図を察知した仲間が、悩む仲間に対して助け舟を出すのだ。
特に誰もが認める優秀な人物に対しては、熱心にそれをする場合が多い、自分の夢をアドバイスにして託す事は親にも指導者にもある、もちろん同じ夢を志す同士であればなおさらだ、
問題なのはその仲間が本人に対して適切なアドバイスをしない事があるからだ。
今の私と同じように、ありもしないことを勝手に想像し、相手に対して最善だと思う事を自分の中で構築するのだ。まるで親友の恋愛話を親身に答えるように。
どうなったかというと「相手の選手が潰れれば試合が楽になる」というアドバイスになった。
これは、チームメイトとして、この問題について解決すれば、大きな成長になることを信じて、一歩踏み出せない相手の背中を押す行為だったのではないだろうか?
もちろんこの時、アドバイスを与えたチームメイトは、まさか、試合中断中にタックルをするとは考えていない。あるいは、この様な大事になるとは考えていない。
そして、最後に念押しして指示される「やらないではすまされない」といった指導
この時、いよいよ思考は停止する。
この選手は、20歳の学生だ、学生の中には指導者の指導は絶対である、大人は正しい、先生は何でも知っている、そういった考えを持つ物がいる。
選手の記者会見で再三「理不尽だと思う事もあるが、指導者に対して言う立場にない」等といった発言が出るのは、こういった側面があるからだと考えられる。
自分が未熟だから、考えも及ばない所で指導が行われている、そう考える学生がいるのだ。
一方で指導者はどうか、ほとんどが恵まれているのに、あと一つの所で伸び悩んでいる、何度も場数を経験させた、そんな選手をどう思うかだ。
こうした者に対して考えてしまう事は、自分の才能が認められたという事に対する慢心だ、その慢心から、向上心を失っているという事だ。
もう一つは、先に挙げたような、メンタル的な要素だ。
この問題に対してやりがちな事は、対象を悔しがらせる事だ、まだ未熟だ、やる気を取り戻すまで、練習をするな等と、相手を奮い立たせるような挑発をする。
実際に、練習に参加させないといった、理不尽と思われる事を行っている。
これは、現実は思っているより厳しい、大人はもっとえげつない、社会は間違っている、世界には間違っていることもある、そういった事を伝えたいというものだ。
とても紳士的で優しい人物であれば特に、この厳しい現実を伝えたくなるのだ、そんな時、自分の分野を引き合いに出すのだ。
厳しい勝負の世界にどれほど立ち向かう覚悟があるのか、と考えた末に「殺れ」という言葉が口から出るのだ。
もし、荒くれ物の選手だったら、真逆の事を言っていたのかもしれない。
こうして、自分自身はおかしいと思う行為の決行を判断する事になる。
本人は、この問題を理解していないのだ、練習も頑張った、代表にもなった、指導のおかげだ、ほかに何が足りないのか
なぜ、自分をないがしろにするのか?なぜ、急に指導が厳しくなるのか?なぜ、特別な指示が出されるのか?
指導の通り頑張った。タックルの踏み込みが浅いと指導されているので、きちんと踏み込みには気を付けている。
そんな時に、「確実に潰せ」という簡単な課題を出されたときに、その問題を解決できると信じてしまうのだ。
多くの人が同じことを言えば、決して紳士的ではないグレーゾーンの問題と同じように、問題ない行為に思えてくるのだ。
事実、幾人かの学生と向き合ったときに、もとい、人と本気で向き合ったときに、自分の意図とは全く違う行動をする者がいる。
これは、自分の意図という秤が自分を基準にしている事が問題である事が分かった、自分だったらこうするだろう、こう伝えたら分かるだろう
といった、自分の秤は、どんなに水準を一般化させて展開させたとしても、学力や能力の同等な人間を集めたとしても一致しないという事だ。
特に教育者は、複数の人間を相手にしなければいけない、問題は彼だけではないのだ。
多くの問題を抱えていて、すべて平等に行われなければならない。
簡単かつ誰でもわかりやすい単純な物が良い、ただし、簡単であるが上に矛盾が生じる、一人だけ変更すれば他の物が混乱する、その為に強引に行うのだ。
時には、問題因子を排除する事も厭わない。個別に指導するよりよっぽど管理しやすいからだ。
次に、指導者を増やすことだ、自分の代理を複数立てる事だ、しかし、代理は自分自身ではない、
どんなに忠実な代理だとしても、伝言ゲームの様に指導内容が違って受け取られてしまう。
それならば、同党の指導者を置けば、本来想定したものと違う指導内容になってしまうことになる。
そうなると、自分の手柄を作って信頼を得なければならなくなる。
その為には、多くの学生を指導して、信頼を勝ち得なければならない。という悪循環が起こる。
正直自分にはこのスパイラルをどう解消するべきなのか分からない
今は、教育は平等でなければならないという考えを変え、学生の自発的な活動を見守り、問題は早期に発見して対処するといった事をしている。
しかし、熱心に、あるいは強制的に行う教育の効果には遠く及ばない。問題はなくなるが、才能の開花を促進させる手伝いはできない。
適材適所、バランスよく相手に合わせて状況判断して実施するという事が望ましいに決まっているが。
自分以外の人間をどこまで知りえる事ができるだろうか?それも複数人も。
何もしないで見守れば、育つ物も当然いる、同じように、愛情を注がなければ開花しないものもいるのだ。
そもそも、学生に何らかのきっかけを与えるのが教育者なのではないだろうか?
や、まー、理想はそれだけどね。ただ戦術論としてあまり敵を作るやり方はしない方がいいし、
創作者側の配慮としてのゾーニングは自発的にやるならいいんじゃないかなと思う。「子どもには見せたくないなー」って作者が思う分にはそれも自由だしね。
この「制作側の配慮」ってのが曲者で、いまはこれを強要してる形になっている。
偶然同じテーマ似たような論調で1分差でトップページに並ぶとか、こんなの初めてなので恋に落ちてしまうかもしれない///
や、まー、理想はそれだけどね。ただ戦術論としてあまり敵を作るやり方はしない方がいいし、創作者側の配慮としてのゾーニングは自発的にやるならいいんじゃないかなと思う。「子どもには見せたくないなー」って作者が思う分にはそれも自由だしね。
ただ、ゾーニングが他人を叩く道具になってはいけないので、その懸念も分かるんだよなー。オタクじゃない人に見せたくない人はゾーニングしよう! それはそれとして他人がゾーニングしてないからって叩くのはやめよう! あたりが落とし所かねえ。