はてなキーワード: 社員教育とは
普通は自己批判して今後こうならないように業務改善、社員教育の徹底を行っていくって宣言して実際に休み増やしたりとか色々するけど
テレビ局や新聞社ってこういう時箝口令敷いて口外しないように社員を圧迫するんだぜ?
信じられないわ。
TBSでは新卒社員で自殺者が出た時なんか箝口令敷いてたし、日テレは夜のバイトしたってだけで内定取り消した問題もあった。
TBSはフジテレビ同様ゴミクズだからそれはそれとして日テレの場合は夜のクラブ禁止という事を公言してるクチで夜な夜なクラブ通いしてる矛盾には何の説明もない。
こういった民間放送局が「いじめ問題」や「ブラック企業」を特集する事に違和感しか起こらない。
そうだよ。
解雇規制緩和してない今だって、社員教育はしてる余裕なんてないし、カネは出さないけど自分で勉強してろって風潮だよ。特に小売。
人件費っていうのは下がれば評価するけど、どんな理由があろうと上げることは認められないんだよね。これもまあ常識だと思うけど。
じゃあ誰が教育するのって話だけど、自分で適応できるやつだけ生き残って他はどうぞ潰れるなりやめるなり勝手にしてください、っていうのは割とコンセンサスある結論。明言しないけど。
まあ小売ってそういう業界よ。大学まで出て小売に入ってくる奴らって基本バカ多いから、その間高卒で仕事してたバイトのヤツのほうが場数踏んでる分よくできるってのはよくある話。
残業のし過ぎで過労死というニュースについて、何度となく報じられるが、
例えば営業時間が設けられてるとして、それに準じた営業がなされるものだけど、
お客様によって営業時間が異なる、これを認める企業があるから残業になってしまうわけで。
要はこのような客の都合で営業時間が左右されるような会社はいくら残業代が満額支給されるといっても
一日当たりの時間外労働が標準レベルを超えた場合は、ブラック企業と言わざるを得ない。
ましてや、殆どの会社は残業代など出るはずもなくサービス残業なのだ。
また、会社がサービスを含む残業をすることが美徳であるとする風潮もいただけない。
終身雇用制度がなくなった今、会社に愛着が持てない。あるいは不信感すら抱かれている状況下で
新入社員や中途社員へのフォローやケアが全く為される事がないのは、結局残業を多くするだけであり、
結果的にサービス残業をさせられるに至るのであるから、この辺りの社員教育は徹底しなければならない。
勿論入社後の社員教育は当然で最低でも3か月程度は見て貰わなければひとり立ちする事は不可能だ。
普通は1か月以内に研修を経て、各部署に配属されるものだが、終身雇用制度が無くなり雇用の流動化が図られた今となっては
教育する事自体が無意味であると上層部が判断している事もあるだろう。
そうなれば、教育不十分のままに配属され右も左も分からないまま仕事に就く訳だから非効率的であるのは当然である。
問題は、それらの責任の所在を新卒が「ゆとり」だからとか「努力ややる気が足りない」せいだと決め付ける一部の人間だろう。
彼らは自分たちの世代が受けてきた研修を顧みることなく、やたら俺の時代はこんなものじゃなかったとでっち上げの武勇伝を掲げては
その中で、日経やダイヤモンドなどの仕事関係の新聞雑誌の類は、常に会社目線でしか物事を見ることが適わず、時折頓珍漢なニュースを提供してくれる。
若者の「クルマ離れ(免許を取らなくなっている事)」が深刻化しているのに、普免必須と謳う一部の企業や自動車業界と手を組んでステルスマーケティングを通じて
若者に「クルマ」に興味を持ってもらおうと必死に記事を書いていたりするのであるから、雇用のミスマッチなどが叫ばれる世の中で、新聞雑誌が前時代的であるのは如何なものか。
問題はまだある。
就活生の実情と謳いながら、実際には苦労知らずのブルジョア、学歴ならマーチや早慶、宮廷といった大卒のみに着目したり、大企業の現状にしか興味がないわけであり、
こういった新聞雑誌というのは、高卒などの低学歴や中小零細の実情についてあまりにも疎く、また関心がない。
ところで、ブラック企業は後者のような人材を多く集めては奴隷化する事に躍起である。
学歴不問を謳うのがそれで、ブラックの多くは人材募集に関して「不問」にしている箇所が多々見られる。
問題は、それを日経などは報じず、引く手あまたの業界特集という触れ込みでこういったブラック企業特有の「不問」事項も
自己流に解釈して、求人はたくさんあり、選好みするのは勿体ないといった記事をでっち上げるのである。
うーん。なるほど。難しいな。
あなたの言う「日本に有利」ってのは、「外国に不利」ってのと同じ意味だと考えていいのかな。それなら、確かに内田氏はじめ、「それ系」の人は、そういう視点をもってないと思う。
ただね。たとえば日本は、憲法前文で、日本の目指すべき方向について「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と宣言してるんだよね。これ素直に読めば、そういう一国のみの利益を追求しないという意味にも解せると思うんだよ(憲法の前文だから、法的拘束力がとかいう話じゃなく、その精神として、という話)。憲法の精神をきちんと追求することこそが「日本のため」だと考えるならば、「日本に有利で外国に不利」という立場を取らない方が「日本という国を愛する」と言う立場としておかしくないとも言えるんだよね。
日本は、この憲法を旗頭にして、まがりなりにも戦後70年という時を過ごしてきた。押し付けだのなんだの言うけど、この憲法は、国会で議決され、何より戦後ずっと日本人がそれを教えられ、守って生きてきた歴史があるわけだよ。そして、それにより、まさに「国際社会で名誉ある地位」を占めることができるようになってきたわけだ。
そうなってから、「押し付けだったし止めようぜ」って言う人らと、「70年守ってきたし内外から支持されてきた信用を裏切るようなことをすべきじゃない」って言う人らと、どっちを取るか、っつー話だよね。
食品偽装(自体は大なり小なりどのパン屋もやってたとして)して信用失ったパン屋が、やむなく「今後は混ぜもんナシで、パン屋の王道を行きます」と宣言して、信用回復して、以前よりも業績を回復したときに
A「当時は圧力でああいう宣言したけど、正直無理がある押し付けだし、混ぜものした方が儲かるし、もう止めね?」
B「混ぜものナシの正道が結局お客によく店によいって社員教育徹底してここまでになったのに、今さら元に戻せと?プライドないの?」
という二つの意見があったとする。この場合、AもBも「お店のため」を考えてるには違いないんだよ、一応ね。そうなると、これはもう生き方とか好き嫌いの問題であって、「正しさ」の問題ではないと思うんだ。その上、お互いに「お前は非国民だ」「お前こそ非国民だ」とか、そういう罵り合いは、まさに「国のため」には百害あって一利無しだと思うんだけどね。
コンサルは株券で会社の権利を売り出す株式と配当の関係に良く似てる。
会社は外部から投資というかたちで会社の資産を補強するわけだけど
この人質期間をゼロにしていきなり配当を渡すようなかたちでコンサル料金を支払う。
この株券として会社の一部を買い取ってる時期がゼロなので、条件にお金という
評価価値が最大限平均であるものと証券の等しさに保障を必要とするのが
国から許可を得た商業の行うところを、株券と投資という法的に保障が必要な
期間がゼロ、その場でやりとりするものだから、法人個人または取締役など個人から契約の要項として
こまったやつに株式を大量に買い占められたら会社は投資を大量に受ける事ができるかわりに法人が死ぬのと同じ。
ナイスな投資家につかまったら、会社は成長したりもするだろう。
失敗コンサルを受ける以外にも理事としてヘッドハントしたやつが給料泥棒だったりすることもある。
もうこれはコンサルがダメとかいう問題じゃなく、コンサルを評価するガイドラインがないことかもしくは
ダメコンサルがはびこるのはこれらの隙をついてるだけであって、裂け目の水漏れと同じ。
ふさぐのが先で、ダムの水に漏れてくんなといっても無駄だろう。
経営再建に尽力した人間で有名なのはニュースで名前が出たりしている人がいる。コンサルたるを言うならそれらの人たちだろう。
オレ今日からコンサルなんだけどっていうのは、なんとかクリエイティブデザイナーみたいな肩書きと同じで
詐欺まがいなだけ。医師免許もってませんでしたとかいうニュースもつい最近あったとおりだし、自分で語るやつに
会社の株をゼロインパクトで売り出すのと同じリスクがあるコンサル導入を、社員教育セミナー気分でやる管理職がおかしいだけ。
会社の舵取りが舵の取り方を外注するような判断をする経緯で、ダメならもとより短い寿命がはやめに来るだけ。
http://cybozushiki.cybozu.co.jp/?p=8964
ここで語られているのは男性の働き方(=生き方)の多様化と、コメント欄ではその称賛だ。
自分も基本的には賛成で、多様な生き方があるべきだと思うし許容されるべきだとは思う。それは世界のトレンドだ。
しかし、その一方で、あるコミュニティ(会社でも、国でもいい)の内部構成員が画一的である(多様ではない)というのは、ある側面強みである。瞬発力も大きいしベクトル加算したときの出力もあるし、意思決定も早い。この部分に対していろいろ異議はあるだろうが、少なくともそれで成功してきたコミュニティは数多い。高度成長期の日本もそうだし、日本の企業だってそういう社員教育をしているところが過半数で、その協力や税金でこの国は成り立っている。
日本人である僕は、「画一的であること、多様さを抑圧した社会であること」の恩恵を受けている自覚がある。
貧困国で生まれず日本で生まれただけでその恩恵は計り知れないとも思う。
コメント欄の彼らはその点をどう考えているんだろうか? つまり、彼らは恩恵と引き換えに多様化を要求している自覚があるんだろうか?
彼らの勤務する会社は本当に男性の育児休暇や、ワークシェアリングを受け入れられるんだろうか? それを受け入れて現在の業績を、ひいては個人の給与を維持できるんだろうか? あるいは、そんなことは経営者の考えることであって、自分たちは現在の手取りと休暇倍増を要求すればそれで済むという考えなんだろうか?
疑問に思うのは、ぼくたちの社会は多様性や個人の自由をどこまで受け入れることができるか? という点だ。
明らかに無制限受け入れは無理だ。そこで、どこかにラインをひいてルールや常識にする。
話を簡単にするためにたとえば50という数値をあげる。多様性や個人の自由は各人50まで受け入れられるべきですよ。それをルールで保証しますよ、と。この50という数字は説明のための過程なので特に意味はない。
このルール下において、コミュニティ全員は50まで要求できる。例えば育児休暇とか。でもほんとうに50を受け入れられるのか? と言えば無理だ。全員が育児休暇(=50要求)を同時にしたらその企業はおそらく機能不全になる。個人は50まで要求できるが、コミュニティの限界許容量は300である(つまり、6人まで同時に育児休暇してよい)みたいなモデルになっているはずだし、そういうモデルしか作れないと思う。
これは、ぼくたち一般的な社会人が、自分の銀行預金は自由に引き出せる権利を持っているにもかかわらず、預金者全員が一斉に預金全額を引き下ろすと銀行が倒産してインフラが壊滅するのに似ている。ぼくらが額面上もっている自由はその程度の保障しかない。
そういうモデルって、結局は、要求者が非要求者にフリーライドしているだけの話なんじゃないのか? 要求できる出来ないが個人の政治力に依存してるだけじゃないのか? という疑いがぬぐえない。そのコミュニティには明示されない奴隷階級がいて、その奴隷階級が働くおかげで、上位者が多様化とか自由と言っていられる構造だ。社会というのはそういうものでしかないんじゃないのかとおもうのだ。
ブラック会社についてもそう思う。
僕もブラックは嫌だ。やめた経験もある。サービス残業してるやつはマゾだと思う。夜中に電話が鳴って急に呼び出される仕事は二度とやりたくない。
法定にしたがって労務を管理すべきだし、給与は必要十分に支払われるべきだと思う。それを要求するのは労働者の権利だ。
が、しかし、労働者全員がその点を100%クリアにして真っ白な社会を作り上げたとき、今の日本社会や経済が維持できるような気もしてない。
安価な外食産業は軒並み倒産するか値上げになるだろうし、そうするとぼく個人の生活も厳しくなるだろう。
僕は現在ブラック労働ではないしそこそこお金を得ているが、それはつまるところ、社会のどこかにいるブラック企業の奴隷階級に奴隷労働をさせたうえで、僕の生活は便利さや豊かさを維持できているのだ。自覚と罪悪感はあるが、同時にてばなしたくもない。
さらに言えば、国内のブラック労働者でさえそれは同じだ。国内のブラック労働者は国外のブラック労働者から搾取して日本という豊かな国の便利な生活ができている。
多様化とか個人の自由とか公平とか正義とか、賛成だ。みんなが得られるべきだと思う。
でも、そのケーキを全員で等分したら僕の取り分はきっと今よりずっと少なくなる。百分の一以下になる。僕だけじゃなくほぼ全員の取り分が消え果る。
この問題でなにかいい考えが浮かんだことは一度もない。
普通は逆なんだろうが、案外そうでもない。
私が勤めた零細では、社長と常務は常に親会社に近い取引先に出向中で仕事の責任者はもっぱら営業部長だったりしたため、
責任の重い仕事が中々こちらに回って来ず、皆が皆淡々と仕事を熟すだけの仕事人間として一体感を為すようになる。
また、この営業部長が毎日のように出張中だったりすると、惟れの仕事は一体誰に許可を取らないといけないのかといちいち聞かないといけなくなる。
しかしながら、このような状態がずっと続いていても誰も彼も疑問を口に出さずに淡々と目の前の2~3時間程度で出来る仕事を8時間掛けて終わらせるのである。
とてもじゃないがこの異常な光景を目の当たりにして尋常でいられるはずがない。
私が勤めた中小では、常務が社長の代行者として会社に君臨しており、高卒バイトから正社員になって30年という生粋の生え抜き社員でそれを誇りに思っている。
そのため、大卒者院卒者の社員がミスをすると、これみよがしに全社員の前で叱る事を至上の喜びであった。
さらに、そのように失敗を科すために無理難題の仕事をさせ、困惑ないし混乱状態に陥らせ、あまつさえ自分でもこれはというような仕事を、お前らなら出来る!と勝手に思いながら
仕事を任せてくるため、殆どの該当社員は自分は期待されているという想いから無理をして身体を壊してしまい、酷い場合は常務に叱咤激励されて仕事ロボットに成り代わるのであった。
社員への愛情なんて希薄で、常に自分の事しか考えない常務であった。
そしてそれがさも当り前だと言わんばかりに仕事ロボットを徹底しているおかげで誰も彼もこの異常さに口を出す事はない。
会社が狭い所だと、息をするのもよく分かる。
そのため大企業ほど許容がなく、常に台所が火の車なので、心に余裕がない。
私が三度目に勤めた大企業では、前の中小零細が仕事ロボットだった時よりも安息感がある事に気付かされた。
基本的に社長も重役も顔を見せないものの、そこの部長や同僚があれこれ世話を焼いてくれ仕事における報連相が完全マニュアル化されてるお蔭もあって
社長は、社員一人一人を気に掛け毎朝の朝礼で信賞必罰を心がけ、能ある社員を大いに褒め称え逆に無能な人間を公然と罵倒する中小零細特有の悪循環体質でなく、
あえて社長室にふんぞり返って、社員を認めているのであるから、大変社員想いの強い社長なのだと感じた。
中小零細の社長は常に自分と同等かそれ以上の人材を求める割に、実際にはそういった人間を陥れる事に至福の時を感じるものだ。
大企業の社長は自身をより成長させるために社員一人一人の自主性を重んじて、人事も社員教育も部下に任せてあるため、粗相があまりない。
ちょっとトレンドに乗った感じの記事、というかこの記事、http://anond.hatelabo.jp/20140321060847に便乗した釣りなんだが、
数年前まで就活やってて思ったこととか、成長ベンチャーに対する感想とかを書かせていただく。
学歴的には早慶。やりたい仕事がいまいち見つからなかったため、
大企業ばかりうけず、あまり成長ベンチャー的な会社も幅広く受けてきたつもりだ。
で、結局非常に保守的な業界に入って、今はのらりくらりとやっている。
成長ベンチャーのCTOとかとはほとんど交わらない世界にいる。
人事はうちの部の隣で、若いということでたまにアドバイスを求められる程度。
それを前提に聞いてくれ。
成長ベンチャーの印象は、とにかく上から目線だ。もちろん全部ではなかったが、まず採用担当は若い奴が多い。
入社3年~5年くらいで新卒採用を担当するくらいだから、社内での評判はいいのだろう。
また今考えたら事務的なミスなど不手際が多かったのももう一つの印象だ。
社内には新卒採用のノウハウがゼロだから、自分で作り上げていくしかないのだろう。
それでいて、成長ベンチャーには社員教育にかけられるコストがないから、
社会人として基本的なマナーや書類の精査スキルが身につかないままやらされているからだろう。
ただし、担当者も「頑張ってる自分かっこいい」という自己心酔が出来ているのでwinwinか。
他にも受けた企業で上から目線だと思ったのは、青色メガバンクや二文字の広告代理店などあるが、
そういった態度で接してくる社員の多くは、40代まで本体に残った幹部社員で、実績に裏打ちされた
若い社員とも接したが、成長ベンチャーのような「君の合否は俺が握ってるよ」的な中二的なものではなかった。
少なからず居たのが「俺の実績、志望動機」を説明会でたらたらと語り始めるお方。
「大手を蹴ってベンチャーにきた」とか「独立すると宣言して面接に望んだ」とか。
その時は、ふむふむと思っていたのですが、今考えればまともな会社の人は
聞かれても居ないのに、プチ自慢大会をはじめる人はいなかった。
ベンチャーは会社の看板が弱いから、そういう個人としてのアピールをしていく必要があるのかなと
思ったけど、今考えたらその自慢があまりにも低レベルで、やっぱベンチャーってこういう人の集まりなのね、
って思い返しているw
そういえば、うちに研修の営業に来たベンチャーがいて、そのプレゼンに立ち会ったのだが、
とか「成長させることには自信がある」とか面接でであった成長ベンチャーくんとまんま同じで吹いたw
もちろん丁重にお断りしたが、こういうところで中途半端な自信ついたら不幸だなと思った。
会社の評判も「うさんくさい会社」、個人の評判も「おかしな人」になっちゃう。
ここは同意。
なぜなら、ベンチャーは大手にいけなかった落ちこぼれがいくところをいう認識だから。
俺は早慶法学部だから、書類は簡単に通過したが、軸が定まっていなかったから、面接で苦戦して
なかなか内定が出ず、就活には苦労した身だ。まあ、それでも恵まれていた方だとは思うが。
なぜなら、残業代もまともに出ず、まともなトレーニングを受けないままキャッチセールスのような
そんな会社に入るのなら、もう一年やった方がいいとさえ思った。
そして、周りを見渡してもベンチャーに行った奴にまともな学生はおらず、
カンニングで留年になった先輩、誰とも話さないキモオタ童貞、自慢が大好きなビジコンくん
結論として、そんなことはないと思いますw
自分自身で培った力より、たいていの場合は応募条件に記載された年齢が優先されます。
・部下を持たない社員なら未経験なら35歳まで、できれば20代。
20年後会社がつぶれたとして、40代だと課長~部長クラスの転職ポストがメインとなります。
となれば、評価されるのは自分自身で培った力というか上司として部下をまとめる経験です。
面接でのしゃべくりで逆転できるのはせいぜい20代、1回目の転職までです。
「何をしてきたか」は同じ業界では聞くまでもなく知れ渡っていてごまかせません。
「成長ベンチャーでトップセールスマンでした、でも会社はつぶれました」より
「大企業で課長をやっていました。●●の案件はうちのチームでやりました、でも会社はつぶれました」
聞いたこともないベンチャーでバリバリやってたという方より、誰でも知っている会社の課長のほうが信用されるのです。
部下を持たない社員として応募するなら、若い20代や30代前半の方々と競合することになります
その場合、どれだけ力を持っていても、若い応募者を企業は選びます。
給料が安くて、化ける可能性が少しでも高いほうが魅力的な投資対象なのです。
元記事の方が、どのような人材会社の方なのでご存知だと思うのですが。。。
また、ベンチャーの方が大企業に転職できたって言うのも、20代を除いてあまり聞きません。
ていうか、それやるなら最初から大企業入ればいいじゃんって話でしょw
ベンチャーからベンチャーに移りやすいという点では、確かに元記事の方がおっしゃるとおり。
けどそんなことして意味あるの?w あえて茨の道をいく自分がかっこいいとか? 年取ったら後悔しますよw
とにかく強い社会人になれば全て解決するという昭和的な発想をひけらかすのは罪。
大企業に居たらルールや規制を知りすぎてしまいとても起業なんて出来なくなる。
もちろん、不安定が怖くなる。
起業の初期では必要ないかもしれないが、大きくしていこうと思ったら必ずぶち当たる。
IPOを目指しながら、大企業はくそだ何にも身につかない、というのは矛盾してると思う。
小さな個人商店でいたいんだ!って方は、資格業を目指したほうがいいと思う。
就活生は内定が欲しいからあなたと会っているし、社員に会いたいと思ってもいない媚を売り続けているのです。
あなたと道端ですれ違っていたら、ただのオッサンです。就活生は一つでも内定をとって安心したいだけで、
別に何かを学びたいからあっているわけではありません。副次的に何か学ぶことがあるかもしれませんが、
それは人と会うという行為に遍く存在するものです。別に路上でホームレスと話していても学ぶことはあるはずです。
たぶん一つくらい。。。
第一義に考えるということは、冒頭で紹介した痛い採用担当くんと同じ思考回路なのではないでしょうか。
バイトして、授業にたまにいって、ふらふら遊んでただけなんだから。
それが彼らの全世界であり、パワハラや有無を言わさぬ業務命令を受け続けた社会人からしたら
赤ちゃんと同じなのです。そもそも学びを期待すること自体が、間違いなのです。
ただ個人的には若い人と話すのは、まっさらな発想・疑問や自分の過去を振り返る機会が得られるので、
とても勉強になると思っている。何よりオッサンばっかりの会社にはない活気をもらえる。
これは元記事とは関係ないが、今にして思うのが
どんだけ頭が良くて、努力家で勉強家であっても最初は必ず苦戦するし、
仕事を処理しているのを見て、かっこいいと思ってしまうのが新入社員です。
(まあ半年もすれば実際にやっている仕事のしょーもなさを知ってその評価は撤回されるのだが)
そういう意味でいきなり起業して生き馬の目を抜くごとく売上あげちゃう人は天才だと思うし、
ベンチャーにいきなり入ってうまく行っている方も天才だと思います。
ただ、ビジネスというものは武士がチョンマゲをこしらえ、騎士が紋章を崇めるごとく、
武士道や騎士道が重んじられる世界です。そういった積み重ねが信用となり、円滑な経済活動を許しているのです。
名刺交換が出来なかったり、メールの「お世話になっています」が書けない時点で、
就活生時代は全く気にも留めなかったのですが、今思えばそういう部分の軽視が
就活を苦戦させた一因なのかもしれません。。。菣
いや、どうしてここまで反論があるのか、どうしてこいつらは匿名とは言えここまで甘ったれた意見をいけしゃあしゃあと口にして恥じる色もないのだろう、と考えていたのだが。
前のエントリの中で、“守る価値のない伝統”という書き方をしているのを見てようやく分かったわ。うちの業界の人間は絶対にそんな事書かないから。
以前に、創立された会社の九割が十年後にはなくなっている、という統計を見た事があるんだが。
そうだよな。
ここに居る人達は大体皆、創業から数年〜数十年というくらいの歴史を持つ会社に勤めてるよな。
そりゃ考え方も違うよな。そもそも職場が価値あるだけの伝統を積み重ねていなければ、伝統だって前例だって若手は軽視するだろう。
そりゃそうだ。上司が押しつけてくる理不尽に、何百年っていう歴史の裏打ちが無ければ、なんだこいつ自分ひとりの考えで勝手言いやがって、って思うよな。
何百年と同じ仕事を全く同じやり方でこなしているというわけでなければ、上司の言う通りにしているのは楽だけどちゃんと自分で考えて仕事しよう、と分不相応なことを考えるのも簡単だよな。
できて数年程度の会社で、先輩から仕事に対する姿勢を一時間半に渡って説教されたら、そりゃパワハラって思うよな。
仕事に就くにあたっても、「上の言う事は絶対」とか養成機関でみっちり叩き込まれてくるわけじゃなくて、たかだか社員研修を受けて「この会社の社員教育マジキチだわ〜」とか愚痴る程度だろうしな。
一部大手や中小零細のようにこのような体系がまばらで、俗に体育会系企業はこれに当たる。
例外を除いて、大手企業ほど、新卒一括採用に熱心で中途採用をあまり好まない傾向がある。
例えば労働体制が万全で就業規則のある会社の場合既にキャリアアッププログラム、入社後の育成ノウハウが確り出来ているため、中途で採らないで一から育てられるだけの環境を備えている部分による所が大きい。
逆に大手でも中途採用がメインの会社は、その辺りがばっさり抜け落ちてて、また離職率の高い会社でよく“風通しの良い会社”は、新卒採用をしながら、
キャリアの高い中途社員を見込んで採用する。然るに、そういった会社ほど派遣や契約といった非正規雇用が多いのだが。
他方、大手でありながら、労働体系が無視されかつ新入社員研修があまり充実していない会社、例えばワタミやゼンショー、ユニクロのように新卒一括採用をあまり行わない会社も少なからずある。
そういった会社は主に飲食・小売・サービス業に限っての話だが、労働力に流動化が認められる現業ほど、このパターンが採用されやすい。
タウンワークとかイーアイデムとかでも正社員募集を謳っているのは、何も労働力が新卒でなければならない訳ではないためだ。
その結果、社員能力が乏しい人間が集まり易く、就職採用難易度が低水準のこういった会社に多く入社してしまって痛い目を見るのである。
尤も、吉野家のように社員教育を入社後みっちり仕込む会社もあり、その限りでない。
問題は、大手の新卒一括採用の弊害で、大卒者および大学生ないし新卒の就活者が、これから取り毀れるともはや真っ当な人生を送る事が出来ないと考えられている部分である。
アベノミクスにおける三本の矢やわかものハローワーク、しごとフィールド(前ジョブカフェ)等の中途支援事業など政府や自治体が様々な雇用支援策を打ち出してはいるが、現在これらの問題が全く無視されている事や、新卒一括採用の弊害で一度でも新卒というレールから落ちてしまうと非正規でしか生き残れなくなるという一番の問題が放置されているのが現状である。
非正規雇用から正規雇用へキャリアアップするのも、中小零細はおろか大手ですら人件費の問題やデフレやスタグフレによる経営上の赤字体質の関係で頭打ちとなっている。
私が非正規で勤めていた大手企業(の連結子会社)ではいわゆる“社員登用実績あり”の会社ではあったが、それも今の執行取締役役員が30年程前アルバイターだった時に正社員となったというだけの会社で、それでも一応“社員登用実績あり”という売り文句で非正規の中途採用をたびたび行っているのである。
そういった企業は、主にすべての業種で言えることであるし、また新卒一括採用に熱心でない会社であればあるほどこの傾向が強い。
むしろ、労働体系が全く無視されたワタミなど一部の大手企業や中小零細、新興ベンチャー企業など、殆どの場合すぐにアルバイトから正社員にキャリアアップが出来る会社は、
意外だが新卒一括採用の馬鹿らしさにいち早く気付いた優良企業なのかもしれない。
殆どの脱新卒者は正社員に固執する余り、非正規という甘い罠に掛かり易いためである。
国や自治体が企業にとって嬉しい雇用流動化を率先して行ってくれるため、新卒を採用しなければならない病気ともおさらば出来るからである。
NHKクローズアップ現代の「あふれるポエム!?不透明な社会を覆う優しい言葉」の回で、居酒屋甲子園が取り扱われました。
放映を要約すると、一日の労働時間16時間で年収250万円の居酒屋店員達が、「愛」「夢」「未来」「感謝」「希望」みたいな奇麗事ワードをやりがいにして働いているってトコロです。
似たような事例だと、ワタミなんかも「お客様のありがとうを集める」なんて奇麗事ワードを使って従業員を酷使させています。
過酷な労働環境の中で、最近の子供でも信じないような、いかにもうそ臭い奇麗事ワードをやりがいに働いてる彼ら従業員は、我々の感覚だと大変奇異に見えます。企業側が彼らをそういう奇麗事ワードで洗脳して、あえて低賃金長労働時間で働かせている、そういう見方をする人もいると思います。
でもそういう労働環境ってほんとにブラック企業なのかなーって。私たちの労働に対する価値観と違うからブラック企業だ!と考えるのは早計かなと思います。
給料のためだけを理由に働いてる人は少ないと思います。「物を作る楽しさ」「お客様の接する楽しさ」「社会を作る楽しさ」とか、皆何かしら仕事に対して給料とは別のやりがいを持って働いてると思います。彼ら居酒屋店員も同じように、「お客様のありがとうを集める」とか「仲間を大切にする」とかそういう奇麗事ワードをやりがいにして働いています。
彼ら居酒屋バイトが、なぜそういう奇麗事ワードが好きなのかなと疑問がわきますが、おそらく彼ら居酒屋で働くような金髪ヤンキーや低学歴たちが好きなワンピースとかそういう漫画に影響されているのだと思います。
ワンピースも「仲間」だとか「友情」だとか「絆」とかそういう奇麗事ワードをテーマにストーリーが進んでいきます。大人の手で作られた理不尽で汚いこの社会の中で、彼らはワンピースのルフィのように、奇麗事ワードを信念にできれば生きたいと思っているのでしょう。そういう人たちにとって、居酒屋甲子園のような、一人一人が舞台の上で主人公になって、夢とか希望みたいな情熱的で青臭いワードを仲間と共有して感動できることはやりがいの一つだと思います。
給料が低くても、そういうやりがいを信念に働きたいという人たちがいることを私達は知るべきだと思います。従業員がそうして働きたいと思い、企業側もそれで働かせているのなら、外野がブラック企業だブラック企業だと口を挟むことはないと思います。
こうした居酒屋労働で、一番問題だと思っているのは、そういう奇麗事ワードを掲げた社風に馴染めない社員にもそれを強いることだと思っています。
2008年にワタミで女性社員が一人自殺しています。彼女は最初からワタミで嫌々働かされていたのではありません。手記には入社当初は
ワタミの信念である「ありがとうを集める」といったような社風にも前向きに捉えていますし、長時間労働に対しても「早くこういう長時間労働にも慣れるようにしなくちゃ」といったように前向きに捉えています。
どれだけ入社時に社風や労働環境について説明していても、働いてみれば感じることも考えることも変わります。そういう社風や環境に馴染めなかった人にも、その人に合わせた労働環境が提供できるシステムを構築しなくてはいけないと思います。それを怠る企業は、ブラック企業扱いしても良いと思います。
当然のことながら、深夜手当てがつかない、残業代が出ない、法律で定められた数の休日を作らない、そうした法律違反をする企業はブラック企業だと思います。
つらつらと書きましたが、居酒屋甲子園に出てくるような、ある種社員を洗脳しているかのように見える奇麗事ワードを使った社員教育を見ただけで、その企業をブラック企業だと決め付けるのは、早計だという事です。
自動車の某T社が社外の中堅社員向けに行っている研修を受けてきた。
内容はざっくり言うと、工場見学と一個流し生産方式の利点について、受講者で簡単な生産ラインを使って学ぶ実習方式。
以下感想
・工場見学
社員研修の為に、目的別に専用のスペースを常設している事に驚いた。見学者に「弊社はこれだけ社員教育に力を入れています!」という事をアピールする目的ももちろんあるだろうが、それだけでは説明できない規模だ。
社員教育用のスペースを常設することのメリットとしては、社員教育に関する有形・無形の資産をそこに集約して可視化しやすくなるという事と、その場がどの程度活用されているかによって、社員教育が活発に行われているかどうかという事も可視化できるようになるという事。その結果、たとえば「社員教育スペースが有効活用されていない」となれば、それを有効活用しようという意識が社員に生まれやすくなるだろう。
某T社に関しては色々なビジネス書が出ているが、ほとんどはその成果物の表面的な事だけを取り上げているように見える。それを生み出す環境として、こういう場がきちんと常設されているという事は、もっと注目されて良いはずだと思った。
・一個流し生産方式についての講習
「ロット流し」と、「一個流し・多品種混合生産」とで、どのように原価構成が変わってどのような長所・短所があるかという事の講習。ぶっちゃけて言えば、ロット生産方式なんかダメダメ、一個流し・多品種混合生産方式最高!っていう内容である。それに関して、そんなの、ケースバイケースで色々だろ、というツッコミは当然有りうるわけだが、今更そんなことを社外の人間に向けて講習する事の意図は何なんだろうと考えた。
ロット流しをデフォでやっているのは、いわゆる家電メーカーのほとんどである。一部の業務用の商品は1個流しもやっているが、いわゆる民生用の商品は私の知る限りロット生産方式でしか生産していない。そして、その家電メーカーは今、どこも苦境にあえいでいる。それに対して、一個流し・多品種混合生産を随分昔から当たり前にやっているT社は、きっちり利益を出せている。その事実が、研修内容の正当性を裏打ちするものとなっている訳だな。そういう図式だ。研修中に家電業界を直接的に批判するような話は無かったけれども、「ロット生産方式なんかクソ」と言わんばかりの講師の態度の根拠が、そういう現実にある事は間違いなかろう。
で、なぜ今T社がそういう研修を社外に向けてまでやるようになったのかという事だが、1つは、自動車において電装部品の比重がどんどん高まっていることや、家電大手が自動車向けに色気を出すようになった状況を見るにつけ、いつまでもロット生産方式を改める気配の無い家電業界に、しびれを切らしているという事情があるのではないか。
この問題は、なかなか根が深い。自動車が一個流し・多品種混合生産を採るに至った背景としては、商品単価が高い事、そのために顧客が慎重な品定めをし、それに対してディーラーがきめ細やかなサービスをする、という体制があった上で、色々なオプションサービスが必要になり、それを実現する手段として、一個流し・多品種混合生産が機能しているという事まで考慮しなくてはならない。
これに対して、家電はそのような販売体制を採っていない。まず工場が大雑把な数量をロット生産する。それを販売会社に押し込む事で、見かけの目標は達成する事ができるので、とにかく大量生産して販売会社に押し込む事ばかりに熱心になる。販売会社と製造工場だと、多くの場合販売会社の方が立場が弱いので、販売会社は押し込み在庫を断る事が出来ない。やむをえず販売会社は、押し込まれた在庫をさばくことに奔走する事になる。小さな個人の電気屋なんかちまちま相手にしていても埒が明かないので、大手量販店を贔屓にした対応を採る。大手量販店は、大量に仕入れた商品を薄利多売で右から左に流すばかり。
要するに、家電メーカーには、ユーザーの声を直接聞いて拾い上げるような流通の仕組みも無ければ、それに対応できる生産体制も無いのである。
「ユーザーの声を直接聞いて拾い上げるような流通の仕組み」と「それに対応できる生産体制」は、鶏と卵のような関係と言えるだろう。家電メーカーは今、その卵も鶏も無い状況下で、腐った商品を垂れ流している訳だが、どうやらその自覚すら無いらしい。これはかなり深刻に受け止めざるを得ない。
部長以上も便所掃除してれば、立派だし、社員教育になるなと思うけど。しないんじゃな。
決められたことは守りましょう。なぜならば決められたことだから。 それをいう会社が、新人が面白く無いって言わないでほしい。
すくなくとも、そういう会社に、面白い人間が行くべきじゃないし、採用するべきじゃない。
どこの会社かおおよそ想像がつくけど、おれなら、割合は低くても便所掃除に参加するよ。すくなくとも自分わな。
その方が 面白いだろ。
たとえば、俺社長なんだけどさ、便所掃除してんだよね!当番制でさ。って面白いだろ。
いい会社なんだろうけど、会社が実に官僚的だとおもわれてもしかたがない。良し悪しじゃない。体質だ。
聞かれてないなら、答える必要性はないけど。 なぜか?と問われたのなら答えか、ヒントを教えてやれよ。
報復は当然だろ。
更に「このようなアルバイトの振る舞いを当社は許容しない」という社会的アピールにもなる。
これだけ社会がいきり立っている以上、アルバイトに対して制裁を科さない場合
社会の攻撃が経営者に回る可能性は極めて高い。「いい加減な社員教育をしている不衛生な飲食店」にされる。
あのステーキ屋は経営母体のダメージを最小限にするために店をつぶし、バイトを訴え
社会的にアピールしたんだろう。「当店はきちんとやります」と。
あの店が失った信用を取り戻すためには、まずアルバイトへの徹底制裁が必要だったし
かつ人生潰されかけた経営者としては、「支払い能力のないアルバイト」を絶対に許せないのがふつうじゃないかね。
さらに、賠償請求で数百万は取れる可能性が高いとすりゃ、そりゃ訴えるだろ、常識的に考えて。
こういう経営者側の立場への想像力の欠如が、ああいう馬鹿を生み出している。
あんたもバカッターの連中と同様の低知能だ。
こう言ってるコンサルタンツはバブル期以前の終身雇用があった時代の経験談を元に発言していることが大半で
現状を理解した発言ではない。現実は終身雇用神話の崩壊、サービス残業を常態化させる、年中社員が変わる意味の風通しを良くした環境のせいもあって、
昔のような「一度の失敗で経験する」ことが叶わなくなっているということを理解しなければならない。
仕事を失敗しても許されていたのは、雇用制度が今よりずっと社員に優しかったためであり、
また今以上に社員教育に熱心な上司が多かったこと、景気が良かったこと、アイディアがまだ出尽くして無かった頃、
といった恵まれた条件下にあったからこそ、この言葉が生きてくるといっていい。
だよね、焦るよね。
時代が違うのに、本当にやりたいことを就職活動でみつけろとかいってるやつみると、世の中をしらないんだなあ、社会人のくせにって思う
調査能力とかいうけど、どこまで調査できると思ってるんだろう。実際に入社できるわけでもないし、せいぜいインターン(それでも上っ面をすべるぐらいだし)
パンフや会社紹介、説明会では耳障りのいいことしかいわないし。
それで、
学生の調査能力不足っていうのはひどすぎるんじゃないかと思うわ。
SEとかプログラマー職募集とかだとよく「OJTでみっちり指導!充実した社員教育制度!!」とか「全ての開発工程に携わってできるSEに!!」みたいなの聞くけど、実際は「新人は放置、自分で学べ」「やるのは設計だけあとは下請け or やるのはプログラミングだけいわれたとおりに書け」ってなってたりする。