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はてなキーワード: 猜疑心とは

2016-06-15

値引きというものが信用できない

テレビCM通販では、後から商品の個数が増えたり、おまけがついたり、割引されたりするのが常だ。

健康食品だと初回無料や大幅な割引も多い。

そうすると人がよく引っかかるから、こういう流れが生き残ってきたというのはわかるが、

いったんそれがこの業界お約束なのだとわかってしまうと、もう何の感動もない。

それから宅配ピザもそうだ。

ここから申し込むと割引、このクーポンで割引、次回このコードを打ち込むと割引と、変なルールばかり多い。

自分だけなのかわからないが、こうやって割引サービスを連発されても、全然得した気分にならない。

ただ、どうにか損をせずに済んだという安堵と、いやこれで本当に大丈夫かという猜疑心しかない。

だいたい最初の値段はどんだけぼったくってたんだ。掛値しまくりじゃねえか。越後屋スピリットはどこに行った。

せめて宅配ピザ業界だけでも、その辺シンプルなチェーンが現れて、業界地図を塗り替えてくれないものか。

2016-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20160417234244

水商売やっている大阪出身の女はすぐに客に騙されるくせに態度がデカイ、あれは何でなのだろう?同じ西でも九州沖縄猜疑心が強いのになぁ

2016-02-22

何で俺は結婚出来ないんだろう

やっぱり警戒心、猜疑心が強いからか?

仕事が忙し過ぎるのか?

2016-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20160221190729

散々言われてるけど、非モテ不適応を起こすのは、そういう足の速さや腕力や顔といったモテ要素と、

自分スペックを同列に置けないというとこなんですよね。

客観的には悪くないスペックなんだけど、金や安定を目当てにされて、都合よく利用されているようで、

いつまでも猜疑心が残ってしまうという。

女が金目当てというのは半分間違ってるんですよ。

本当にそうだったら、金を出してる側がもっと強気に出られるし、金を出すことに対して誇りが得られる。

でも今はそうじゃない。それ以前に、女を養うだけの金が出せない男が増えているのが現実だけど、

小金のある奴にしたって、それで釣って養ったぐらいじゃ、もはや誇りにも何にもならないわけです。

それどころか、女の人生の面倒な部分だけ押し付けられただとか、ATMだとか小バカにされることも珍しくない。

そういう意味では、わかりやすく体でも鍛えた方が手っ取り早いんでしょうね。

2016-02-05

イケメンに金を集中させるのは、悲しいが合理的

世間では、ブサイクでも金があれば結婚できる、みたいに言われているが、たぶんそう簡単な話でもない。

22までイケメン至上主義でやってきたのに、今日から将来性で相手を選びましょうと言われてもうまくいくわけがない。

現実的には30あたりで需要が下がるのを実感して、ようやく妥協して、そういうのにも目を向けるようになるのだろう。

出会う段階でその年齢だから晩婚化になるし、しか本来生理的にはアリエナイ相手から少子化にもなる。

人によっては、頭じゃ割り切ったつもりでも心がついていかず、浮気不倫に走る。

結局、非モテはいつまでたっても猜疑心を捨てられない。

だったらもう、イケメンに金を集めて、さっさと結婚してもらった方が、わかりやすくていい。

芸能界とか特殊世界を見ていると、イケメンモテる相手をとっかえひっかえしていつまでも結婚しない

という人間ゴロゴロいるように見えてしまうが、実際はそっちの方が明らかに少数派だ。

相手がいて、将来の見通しが立てば、フツーに結婚するだろう。

ブサイクが金を持っていたって、変な趣味に使うだけだから独身税でも何でも、もぎ取ってしまえばいい。

日本田舎イスラム圏を見てもわかるが、少子化回避したい「だけ」なら、簡単な話だ。

女性社会的地位が低く、雇用がないのが一番だ。男に頼るしかないし、嫌でも子供を産むしかない。

しかし、今更そんな手段は取れないし、取るべきでもない。

問題は、女をいじめるのは許されないが、次善の策として、ブサイクいじめるのは許されるかどうかだ。

2015-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20151203114828

なかなかそれが難しいんだよね

同じように、その場ではへんに勘繰らずそのまま受け取れるんだけど

あとで反芻したとき猜疑心に襲われてしまってダメなんだ

かといってまさか本当は楽しくなかったですよねって聞いたって無意味だし

 

昔はそういうのすごく素直にそうなんだ!ありがとう!って思っていたんだけど

そういうのを家に帰って話すとあなたそれはお世辞よ、って親に言われることが多くて、

なんだ本当はそんなこと思ってなかったんだなって思うと素直に受け取っちゃダメだなと思うようになって、

それが年々悪化している気がする

2015-11-24

私には何もない。

ただただ無意味に年を重ねて若さも友人も失った。

心許せて互いを高め合えるような相手はいない。

見せる相手がいなければお洒落をする理由が無く、

招く相手がいなければ家の中を日々掃除して

インテリアなどに気を遣う必要も無い。

面白い映画や良い音楽を知ってもそれの感想

勧め合える相手がいないから、次第に興味がうすれていった。

生活への不安がなければ、他人から評価が貰えなければ、

私はどんどん無趣味無気力でただ苛々とした感情を蓄えるだけの

まらない寧ろ害悪の塊のような人間になってしまった。

私は恋人ではなく友達が欲しい。

行動的になる理由と褒めたり褒められたりする機会が生まれる。

今まで自分個人を満たすためだけに趣味にうちこんできたが、

独りになってからはそれは他人から見た自分

演出するためのものだと知った。

本当に自分空っぽでつまらない人間だったのだなと愕然とする。

寂しいのならばこれを打破する手段は幾らかあるが、

そこまで行動的になれない無気力さを自覚する。

何かに縋りたいが、愛せるものはない。

かと言って死のうとも思わない。

文章にしてしまえば尚更落ち込むだろう事は分かっているが、

吐き出せば楽になれるかもと期待する気持ちもあった。

空っぽすぎて笑う気にもなれない。

猜疑心の強い性格と、気の置けない友人を作るにはとりすぎた年で

きっと今後はもう打算で結婚する以外に身近な人間を作る事は出来ないだろう。

本当に自分には自分というものが無い。

心に空いた穴を塞ぐ術はもうない。

過ぎたるは及ばざるが如し。

何故あの時私は退かなかったのだろう。

後悔ばかりがつのる。自己嫌悪せぬ日はない。

心に合わせて、今の容姿も遠くない内に醜く衰えていくだろう。

遅かれ早かれ友人など一人もいなくなることは予想してはいたが、

あの人に付いていかなければ縁の寿命は延びていただろう。

そして今安易に死を選ぼうとしないのもあの人がいるからだろう。

何もかも他人のせいにして他人要求するばかりの自分が嫌だ。

死にたいと思うより、このまま消えたいと思う。

メッキは全て剥がれた。

そこには矮小で卑屈でプライドだけは高い空っぽ自分が残っただけだ。

空っぽなのだからそのまま消えてしまっても良いのに、

何故存在してるのか不思議になってきた。

もう嫌だ。

2015-11-19

フランステロリストは、理解する必要があるのじゃないか

まず全世界で起きている、テロ軍事衝突で亡くなってしまった方たちに哀悼の意を捧げたい。

個人的には、軍人民間人とで命の重さが違うとは思えないので、全ての人に捧げたい。

それで、増田しか書けないことを書こうと思う。増田なのは、怖いからだ。

フランステロでご家族を亡くされた方が、それでも恨んだり怒ったりはしないと言っている記事を読んだ。

とても尊くて、たぶん自分には真似できない決意だと思う。それを公開することも尊敬する。

それでもなお、足りないと思った。

あなたたちが誰なのかは知らないし、知りたくもないが、あなたちの魂が死んでいることはわかる。

あなたたちが盲信的にその名の下に殺戮を行っている神が、(後略)

https://medium.com/@dominickchen/あなたたちは私の憎しみを得ることはできない-b2ac0cdcc69a#.v4x4ctbg3

家族を殺されて、恨まないということは、自分にはきっと出来ない。

テロに屈しない、恐怖したり反発したりしないということは、出来そうにない。

そんな人でも、相手を誰か知ろうとしないし、相手は魂が死んでいると思っているし、盲信的に殺戮に及んでいると思っている。

きっとそれは公平に見ればその通りなのだと思う。

でもそれだと「そうかまだ無視するのか。じゃあもっとさないとな」となるんじゃないか。

欧州からシリアイラクの「イスラム国(IS)」に参加した外国人戦士の数(推定)は、人口100万人に対する割合では(後略)

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20151119-00051597/

イスラム国」(IS)の外国人戦士の数は継続して増えている。減らない。

はてなブログも、他のブログも、テロ実行犯に対して言葉を濁している。差別に加担しない思慮深い態度だと思う。

本当に例えばだけど、失業していて、政治的集会に参加している、20台後半のある地域に住んでいる人が、潜在的なテロリストだと言ったとする。

たぶん、過去の事例からそれは事実なんだけど、言葉にした時点で、単なる「仕事を得たくても得られなくて鬱屈としていた青年」はテロ予備軍になる。

なにもしていないのにテロ予備軍と呼ばれた、じゃあテロ予備軍になってやろう。

そして元々テロ予備軍だった人達が、テロリストになる。

普通鬱屈としていた人も、さらに抑圧される。

から、指摘することに意味が無い。

なにが言いたいかというと、テロリストになる前に止められないのか、という事。

彼らが誰か知りたくもないし、テロリストの心情を慮る必要は無いし、どんな心情でどんな信仰を持って、どういう理路で持って自爆テロに及んだのか、理解する必要はない、というのも態度の一つだとは思う。

ある社会の中に相容れない「異常者」は、どうしても一定数出るだろうし、サイコパス、みたいな言葉もある。理解する努力無駄な人は間違いなくいるのだろう。

でも、少なくとも今回フランスで起きたテロや、今後起きるかもしれないテロは、理解する努力必要なのじゃないか。

彼らが何故過激な思想に寄り、なぜ実際に行動を起こすに至ったのか。

テロリスト煽動者対話し話し合いで解決せよとは言えない。

爆撃や報復等の軍事行動も、必要なのかもしれない。

でも、テロリストになる前の人達は、話しあえば思いとどまって貰えるんじゃないだろうか。

イスラム国」(IS)に合流し外国人戦士になってしまう前に。共感してテロを実行してしまう前に。

最初から熱狂的な信者であるとか、洗脳されたとか教化されたとか、そういう自爆テロ実行犯に思えない。

社会が混乱し、社会が分断され、猜疑心が広がって差別が増えるのがテロリストたちの狙いなのだと思う。

テロリストたちとはわかりあえない、テロ予備軍も検挙されるべきだ、理解対話必要ないという態度は、

テロ予備軍でない単なる無職若者テロ予備軍に変え、テロ予備軍だった集団最後の一線を超えさせるように思えて仕方が無い。

犠牲者を追悼したいから、大声を出さないでくれと言っている人の映像ニュースで見た。

イスラム教徒は来るなとなじる人に、激高して大声で反論している人に対してだ。

黙れと言っているように見えた。論争は聞きたくないと言っているように見えた。

必要なのは、不満を持つ人を、追悼するからと黙らせることじゃないと思った。

犠牲者を追悼し、国家斉唱し、一致団結してテロに対して毅然たる態度を取る集団に、入れない人達大勢いるように思う。

彼らの大多数は間違いなく善良な市民だし、テロリストには絶対にならないだろう。

入れない人達の中の極小数が、テロリストになるんだと思う。

それを止めるのは、理解じゃないか。

理解して共感して同意しろとは言っていない。

同質で無いから排除するというやり方では、うまくいかないのではないか。

相手の思想信条は、テロ以外の方法で行動に移せるのだという説得は、理解から始まるのではないか。

こうした事を少しでも言うと、テロシンパか、毒気にあてられている、馬鹿意見だと嘲笑される。された。

から増田に書いた。自分理解することから始めようと思う。

2015-11-09

高校生とき新興宗教にハマった。

きっかけは些細なことで、高一の初め頃、産まれからずっと一緒に暮らしていた祖父が末期癌の闘病の末亡くなり、

大きなショックを受けていたところ、当時付き合いだした彼氏からパンフレットを渡されたのがその宗教との出会いだった。

パンフレットには、間違った神を信仰すると仏罰が下る、というようなことが書いてあったように記憶している。

祖父が亡くなったショックで茫然自失としていた自分に、彼氏差し出してきたひとつの優しさに、まだ世間知らずだった私はまんまと乗っかった。

彼氏はお寺に連れて行ってくれて、数珠を渡し、勤行の仕方を教えてくれた。

程なくしてその彼氏から振られた私は、大好きだった彼に会えるかもしれないとの気持ちからひとりでお寺に通うようになった。

高校に行く前に勤行をしに行き、それから学校へ行くこともあった。

お寺の中にも知り合いができ、そこにできた居場所のようなものが祖父を喪った悲しみを慰めてくれた。

彼氏にはこっぴどく振られたが、私は寺に通い続けた。

なすがままに、入信する同意書に判を押し、入信の儀を済ませてしまった。

親には寺に通っていることも入信したことも黙っていた。

それから半年ほどして、親が学校鞄の中にある数珠を見つけた。

私はこっぴどく叱られ、父親が私を連れて寺に怒鳴り込みに行った。

父は、今後うちの娘とは関わらないでくれ、と住職に言った。

それからのことはよく覚えていない。ただ、祖父を亡くしたショックを埋め合わせていた信仰を突然奪われて、

何にすがって生きていったらいいのかわからなくなったことは記憶している。

私は寺に通うことをやめた。

それから私は大学受験を経てカトリック大学に進学し、宗教というものを違った視点から捉えられるようになった。

高校ときに信じていた宗教のように、その宗教以外邪教として排斥するような宗教では、

宗教同士の争いになるし、視野が狭くなるということを身を以て体感した。

それでも何もわからず信じていた高校生ときは、鳥居を潜るのも怖かったし(しなかった)、

毎朝毎晩の勤行を絶やす自分の身に何か悪いことが起こるんじゃないかって恐怖心が身を蝕んでいた。

そんな私が縁あってカトリック大学に入って、カトリッククリスチャンの人たちと接する中で、

宗教というのは恐怖心や猜疑心を生むためのものではなく、自分の生をよりよくするためのものだということを身に染みて感じた。

カトリック洗礼を受けようと思ったこともあったけど、その気持ちも長くは続かなかった。

また受けようと思うときがくるかもしれないけれど、そのときはそのときに考えようと思う。

けれど、私の視野を大きく広げてくれたカトリックの人たちには本当に感謝しています

新興宗教マルチには本当に注意しようね、と、子どもが出来たらよーく教えて聞かせたい。私の青春時代の話、以上です。

高校生とき新興宗教にハマった。

きっかけは些細なことで、高一の初め頃、産まれからずっと一緒に暮らしていた祖父が末期癌の闘病の末亡くなり、

大きなショックを受けていたところ、当時付き合いだした彼氏からパンフレットを渡されたのがその宗教との出会いだった。

パンフレットには、間違った神を信仰すると仏罰が下る、というようなことが書いてあったように記憶している。

祖父が亡くなったショックで茫然自失としていた自分に、彼氏差し出してきたひとつの優しさに、まだ世間知らずだった私はまんまと乗っかった。

彼氏はお寺に連れて行ってくれて、数珠を渡し、勤行の仕方を教えてくれた。

程なくしてその彼氏から振られた私は、大好きだった彼に会えるかもしれないとの気持ちからひとりでお寺に通うようになった。

高校に行く前に勤行をしに行き、それから学校へ行くこともあった。

お寺の中にも知り合いができ、そこにできた居場所のようなものが祖父を喪った悲しみを慰めてくれた。

彼氏にはこっぴどく振られたが、私は寺に通い続けた。

なすがままに、入信する同意書に判を押し、入信の儀を済ませてしまった。

親には寺に通っていることも入信したことも黙っていた。

それから半年ほどして、親が学校鞄の中にある数珠を見つけた。

私はこっぴどく叱られ、父親が私を連れて寺に怒鳴り込みに行った。

父は、今後うちの娘とは関わらないでくれ、と住職に言った。

それからのことはよく覚えていない。ただ、祖父を亡くしたショックを埋め合わせていた信仰を突然奪われて、

何にすがって生きていったらいいのかわからなくなったことは記憶している。

私は寺に通うことをやめた。

それから私は大学受験を経てカトリック大学に進学し、宗教というものを違った視点から捉えられるようになった。

高校ときに信じていた宗教のように、その宗教以外邪教として排斥するような宗教では、

宗教同士の争いになるし、視野が狭くなるということを身を以て体感した。

それでも何もわからず信じていた高校生ときは、鳥居を潜るのも怖かったし(しなかった)、

毎朝毎晩の勤行を絶やす自分の身に何か悪いことが起こるんじゃないかって恐怖心が身を蝕んでいた。

そんな私が縁あってカトリック大学に入って、カトリッククリスチャンの人たちと接する中で、

宗教というのは恐怖心や猜疑心を生むためのものではなく、自分の生をよりよくするためのものだということを身に染みて感じた。

カトリック洗礼を受けようと思ったこともあったけど、その気持ちも長くは続かなかった。

また受けようと思うときがくるかもしれないけれど、そのときはそのときに考えようと思う。

けれど、私の視野を大きく広げてくれたカトリックの人たちには本当に感謝しています

新興宗教マルチには本当に注意しようね、と、子どもが出来たらよーく教えて聞かせたい。私の青春時代の話、以上です。

2015-05-18

中国名

中国の名将について検索をかけたときによく挙げられている人物を紹介する。

春秋
孫武世界史上に名高い兵法書孫子」の著者。伍子胥と共に呉王が覇者となるのに貢献した。
戦国
呉起孫子と並び称される兵法家。いわゆる「呉子」。魯・魏・楚などに仕えたが、強引な改革で周囲の恨みを買って殺された。
孫臏「孫臏兵法」の著者。友人に裏切られて罪人となり脚を切断されたが、逃げ出した先の斉で将軍となり、「馬陵の戦い」で復讐を成し遂げた。
白起秦の名将。包囲殲滅戦の名手にして虐殺者。「長平の戦い」では四十万もの捕虜を生き埋めにした。そのあまりの強さから王に恐れられて賜死された。
李牧趙の名将。匈奴に大勝を収め、秦の大軍を退けたが、離間の計によって王に疑われて殺された。趙が滅亡したのは李牧の死からわずか三ヶ月後のことだった。
王翦秦の名将。趙や楚を滅ぼし、始皇帝中華統一に多大なる貢献を行った。猜疑心の強い始皇帝に誅殺されることもなく天寿をまっとうした。
楚漢
項羽秦軍の中心となり西楚の覇王と号す。戦では無敗を誇ったが、それまでさんざんに勝ってきた劉邦最後になって敗れ、自害した。
韓信建国の功臣。漢の三傑。「背水の陣」で有名。魏・趙・斉を降して劉邦天下統一を大いに助けたが、皇帝即位後は冷遇され、謀反を企んで処刑された。
西漢
李広匈奴戦の名将。弓の名手として知られる。若い衛青が台頭したのち、その下で不甲斐ない戦いをし、それを恥じて自刎した。
衛青匈奴戦の名将。苦労人で人格者。低い身分から取り立てられ、匈奴と戦って連戦連勝し、その功績により大将軍にまで出世した。
霍去病匈奴戦の名将。衛青の甥。天才肌で直情径行。若くして匈奴との戦いで活躍し、衛青を凌ぐ名声を得るが、24歳で夭折した。
東漢
劉秀東漢の初代皇帝。「昆陽の戦い」では100万と号する軍勢わずか1万の兵で撃破した。皇帝としては一代にして創業と守成を成し遂げ、功臣を粛清することもほとんどなかった。
班超中央アジアを平定し、東漢の最大版図を現出した。西域に三十年間も留まったのち、洛陽に帰還して一ヶ月後に亡くなった。
三国
曹操東漢末における群雄のひとりから三国鼎立中の最大勢力にまでなり、後の魏・晋の礎を築いた。兵法家詩人としても名を残す。
周瑜呉の名将。美男子で有名。「赤壁の戦い」において魏の大軍を破った。
南北朝
韋叡梁の名将。身体が弱かったため、戦場では鎧を付けず輿に乗り、竹杖で指揮していた。南北朝最大の決戦「鍾離の戦い」にて百万の大軍を破る勝利立役者となった。
陳慶之梁の名将。わずか7000人の「白袍隊」を率いて北伐を敢行、連戦連勝で洛陽まで陥とした。「千軍万馬も白袍を避ける」と賞された。
李靖建国の功臣。内戦においては中華統一に貢献し、外征しては騎馬民族騎馬戦術によって滅ぼした。中国史上屈指の名将とされ、李靖に仮託して兵法書李衛公問対」が書かれた。
李世民唐の二代皇帝。李淵の次子として、隋末唐初の戦乱において多大なる軍功を挙げ、そのまま兄を追い落として皇帝となった。政戦両面における名君として知られる。
郭子儀安史の乱を平定し、吐蕃ウイグルの侵攻を撃退するなど、幾度にも渡って国を救った。子孫、財産長寿に恵まれ万民から敬愛された。
岳飛対金戦の名将。忠臣として名高い。私兵を率いてたびたび金軍を破るも、和平派によって冤罪を着せられ殺された。
常遇春建国の功臣。常に先陣を切って戦った猛将で、日頃から10万の兵士を率いて天下を横行したい」と語っていたため「常十万」と呼ばれた。
徐達建国の功臣。謹厳実直にして冷静沈着。総司令官として北伐を行い、元をモンゴル高原へと追いやった。朱元璋からは功績第一と称賛された。
朱棣明の三代皇帝。甥の二代皇帝に反発して挙兵、圧倒的不利を覆して正規軍勝利し、帝位を簒奪する。皇帝となった後も、自ら軍を率いて積極的な外征を行い、明の最大版図を築いた。
戚継光私兵を率いて倭寇討伐に功を挙げ、また北方に赴いてモンゴル侵入を防いだ。倭寇に対抗するため、中国全土の武術をまとめあげ、日本剣術研究したことでも知られる。
左宗棠自らを今孔明と称した。太平天国の乱の鎮圧に貢献し、洋務運動を推進した。さらには回民蜂起の鎮圧、捻軍の鎮圧新疆奪回など、清軍の大黒柱として活躍した。

フィクション大事なのは「俺のが勝ってる」感

推理小説の売れる条件のひとつが、「間抜けアシスタントがいること」らしい

推理もの主人公は超絶頭が切れるという設定でないといけないが、それだけしかいないと読者は同じ目線ストーリーに入り込めないんだと

そこにちょっと間抜けアシスタントみたいな別の登場人物がいると、的はずれな推理をしたときに「なわけねーじゃんばーか」とつっこみながら自分でもものを考えて読める

情報の受けっぱなしじゃなくて自分でも考えながら話を読むので、最後主人公による謎解きの意外性がきいてくるというしくみ

で、考えたんだけど平凡ハーレムもの主人公のさえなさってのも同じようなもの

間抜けだったり取り柄がなかったりすることで、読者が自然に「こいつより俺のが勝ってんな」と思うんで

「そこはそうじゃねーだろばーか」と思いながら話に入っていくことができる

娯楽ものフィクションなんて読んだあとにいかに気持ちよくなれるかが話のできを決めるんだから

リアリティがあるかじゃなくて読者が妄想やす環境提供できるかってことなんじゃね?と思うわけ

まあハーレムものとかにリアリティを求めてる時点で、「さえない俺がもっと自然に入れる妄想環境つくりやがれ」って意思表示だと思うし

普通ラノベ読者なんて根拠なくても自己評価の高い俺がモテるのが当然と思ってるからリアリティなんてなくてもモテ妄想余裕よ

リアリティが欲しい人ってのはよっぽど現実人間猜疑心が強いか

一般的ラノベ読者よりも自己評価が低いんだろう

2015-02-27

なぜ東大生の彼もまた先人たちと同じ道をたどるのか

FXで50万円が一年間で1000万円になった。ギャル男東大生が、ごろ寝しながらスマホだけで資金20倍。

こんな触れ込みで一時はテレビにまで出演した男がいる。今でも取材を受けているみたいで、マネー雑誌ネットニュースでたまに見かける。

先日FXに関する本も出版した。

セルフブランディングの上手さは先人たちと比較しても抜群に上手い。でもここまではよくある話。

ここまでこぎつけた連中が躓くのはいつも同じポイントだ。

能書きだけ垂れる連中は得てして実力を証明しろと言われるもので、それは嫉妬猜疑心からくるものだろう。

しかしこんな挑発に乗ってはいけない。

実力のある連中は自分の飯の種をはした金で売り渡したりはしないもので、逆に言えばはした金で売っているものは飯の種にはならないというわけだ。

自分の実力を証明しようとしてはいけない。

先人たちは常にここで躓いてきた。ハリボテの裏側は隠し通さねばならないのだ。

彼はトレードコンテストという実力を競うコンテストに出場し、先人たちと同じ失敗を繰り返した。そう、メッキ剥がれハリボテは等に威光を失ってしまった。

自分の実力と先人たちの失敗例を照らし合わせると、ありのままの姿を見せてはいけないことは東大生はおろか中学生でも分かることだろう。

私は不思議でならない。なぜ彼はそんなに愚かな行動を取ってしまうのか。

2014-09-25

職場の隣の人間の週末は忙しい。

必ず誰かと出かけて、月曜になってくると思い出を連れて帰るように、身体に痕を残して職場に来る。

顔の日焼け痕、筋肉痛寝不足髪型……etc

出かける相手も様々。

会社の同期、大学の友人、中学クラスメート、先日参加した読書会の……etc

属性が揃い踏み。けれども、そこに「自分自身はいない。

'まさかとは思いますが、この「友達」とは、あなた想像上の存在にすぎないのではない でしょうか。'

淡い猜疑心は、いつかの飲み会写真を交換して、溶けていった。

私は、時計回り攻略中の関東ふれあいの道写真、山ばっか。

は、小笠原諸島で友人と撮ったシュノーケリング風景

最近世捨て人のように週末を山で過ごして一般人話題ストックが全く足りなかったけれども、八丈島ならいったことあるよともらした自分言葉を上手く繋げるように、会話は徐々に盛り上がって終わった。

から、というか今思い出したが、その席で話した人の中で沈黙が痛くなかった唯一の人だった。嫉妬なのか、羨望なのか、よくわからないものが胸に詰まって今すごく痛い。

明日の金曜、定時ダッシュをしていいかと、確認が来た。この時間までお互い残ってる理由分かってる?と言えない。聞きたくない話を聞いて、了承して、お終い。

ここは残業代はきっちり出る会社だ。そして私に予定はない。進捗は今欠員が出ると不味いかもくらいには少し遅れ気味、でもカバーできる範囲トレード出来ない何かに苛立つ。

2014-08-07

結婚なんてとうに諦めていたときたまたま付き合い始めた人。

早い段階でプロポーズされ式を挙げようと言われ困惑

私は式はむしろ挙げたくないしそもそも薄給の為式を挙げるまでの貯金はなかった。

相手は自分が出すから大丈夫心配しないで、と言った。

今年いっぱいは独身を謳歌しようと言われていていたが

同性異性職場関係どんな人と会おうが嫉妬猜疑心とやきもちがすごい。

元々束縛したいタイプらしいが

もういい歳だし今の友人らとの関係を切ってまで付き合う気はない。

きちんと説明すると一旦は収まるがまたすぐぶり返す。

相手の束縛やら意見の食い違いやらでメンタル的にきつくなり

仕事が忙しかったり職場人間関係にも精神削られ体調悪化、結果仕事を辞めた。

だが付き合いは続いておりなんだかんだで少しずつではあるが進展していた。

こちらの親への挨拶の日程を決める際に話し合ったときのこと。

相手は式を挙げることを希望していたのに

実は呼ぶ友達いない、家族仲も良いとは言えず…

年明けに挨拶したら春くらいに式を挙げるつもりと最初語っていたか

じゃあ年内には新居探しも式場も決めておこうと話を切り出したら

貯金がない、と。

じゃあ先に一緒に住んで式の資金を貯めよう、

式も親族との食事会を兼ねたリーズナブルものにしようと提案したが

式なんてローン組めばいいし(よくない)

うちの親なんてどうでもいいから(少なくともうちの親側は良くない)

さっさと二人で住もう(お前引っ越し資金もないだろ)

と言われたあたりでこちらの心が折れかけていることに気付いた。

現在こちらは無職だし式を挙げる金はないが当面暮らしていけるだけの貯蓄はある。

一方相手は結局遠方の親に挨拶に行く交通費すらやっと準備してきたような金銭状況。

元々今年いっぱいで数十万貯めるつもりだったが

結婚の話が出てから半年たった今も10万も貯金できなかったようだ。

本当にこいつと結婚していいのか?と

思い悩んでいたところに突如共通の友人から

あいつなんかより俺と結婚してくれと言われて

え、何このやすドラマみたいな展開って

混乱しているので吐き出したかった

2014-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20140615181654

イギリス人猜疑心が強い神経症病人でなければならない。

王族戦争に出かけて敵勢力を射殺することを美徳としているのだから

イギリス人が持つ暴力性は筋金入りのもので、その暴力性はクソまずい料理に起因しているんだろ。

知らんけど

2014-05-10

功名心自尊心の塊の何か

話を追っていくとああいう何もない田舎もとい大都会岡山だし、

駅ナカ土産屋だから利権云々は仮にそうだとしてもさもありなん。って感じです。

今、嫌がらせ受けた!岡山はクソだ!地元新聞ガー!きびだんご企業ガー!

「ももたん」を取り扱ってくれない!下等生物である岡山のクソ達が褒めてくれない!もっと俺を褒めてくれ!ふるふる。みたいなね。

読み進めていくと、とにかくこればっかりがハナにつくんですよ。

こういう功名心自尊心の塊、権化みたいな奴が

見下している岡山人間相手に、猜疑心のありったけをぶちまけてるのみるとね、もう。

この人は、岡山を、岡山土産もっとみんなで盛り上げよう、って気はないんだろうね。

もう全部俺!俺の手柄!俺以外の岡山土産はクソ!クソ食ってんのと一緒!みたいなね。

10万個売ったから何なんだろうね。

うれしかったんだろうね。でも誰も相手にしてくれなかったんだろうね。

四方八方から訴えられて人生終わってしまえ。

で、心を入れ替えて出なおして、名を挙げたらいい。

2014-04-14

オタコミュニケーションのためにオタやってるオタク

2000年代オタク批評なんかでオタクの消費の仕方が作品鑑賞というより

コミュニケーションの道具としての鑑賞って性質が加速したとかよく言われるけど

そのコミュニケーションって要はオタ仲間内コミュニケーションなんだよね

TLの流れに乗るためにアニメ見るとか閲覧数評価数上げるためにイラスト描くとか

ネットが理由で加速しただけで昔からそういうオタはいたけど

コミケっつーかいわゆる同人界なるものが成立してから

オタ同士のコミュニケーションってものが一般と隔離されて育ってきた感じ

今じゃオタといえばオタ向け作品見てツイッター同人で楽しむ人って意味になってきてる

本来「オタ向け作品」なんてもんはないしオタだからって同人やるとも限らないのに

面白いとなったら呟かなきゃイラスト上げなきゃ本出さなきゃって

作品面白い同人やるツイートするの間になんの意図的決断もないんだな

何が言いたいかっつーと

仲間であるオタの姿だけを見てて作品のものを見てないオタが多いってこと

でもほとんどのオタは自覚してなくて自分作品を見てる味わってるって思ってる

作品は好きだけどツイッターブログで語らないし同人にも興味ないって人は

可視化されないから一部のオタはそういうオタがいることすら知らない

オタである=見えるとこでオタ作品についてオタ語りして同人やることみたいに考えてる

仮にこの人たちからネット取り上げてオタ仲間も近くにいなければ

彼らは漫画とかアニメを見るのかね?

自分作品コミュニケーションの道具とすることは悪くないっつーか

最近だけじゃなく太古の昔からその側面はあるし仕方のないことだと思うけど

からさまに道具として消費しててそのことに何の自覚も考えもない人に

時々ふっと猜疑心が浮かぶのはたぶんそのせいだ

この人は誰かと共有できなきゃ作品に興味なんかないのかもな、って思ってしまうんだ

2014-03-31

好きなキャラ

1位 モンちゃん

 『ザワールドイズマイン』の主人公。 原始人みたいな動きと考え方で、大量殺人や大量爆破、警察署乗っ取り等等やらかす。

 漫画キャラってのはこうでねえと!

  

2位 タッソオ

 ゲーテの作品『タッソオ』の主人公

 モテまくり、才能認められまくりなのに、猜疑心から冷静さを失い問題行動を起こしまくり、どう考えても損なんだけど破滅に向かって突き進む。

 現実が信じられなくなってくるっていく様子が非常に分かるし、また行動の破滅っぷりもカタルシスが素晴らしい。そして本人にはまったく悪気が無いところも評価が高い。

  

3位 バキ

 イケメンっぽい雰囲気だけどイケメンではない。一本筋が通ってる生き方のようで理屈がことごとくずれてる。

 最初のころはこの漫画に影響されて炭酸抜きコーラを飲んだりしたんだけど、主人公だんだんおかしくなって、カマキリ出たあたりでどうしたんだろ、、、と心配になったのもいい思い出。

 実直っぽいのにずれてるのがキャラとして非常に面白い

  

4位 黒須太一

 『cross†channnel』の主人公

 障碍者に優しいのは、障碍者の気持ちがわかるから。というような雰囲気だけど、じっさいは周りに合わせられる自分を作ることで人間性を取り戻そうとする。という異常性が面白い

 やさしいようでいて、まったく優しくないという人間の業レベルでの深い人間性と教養を感じる語り口が素晴らしい。

 同ゲーム支倉曜子も素晴らしいってか、このゲームは全部キャラ素晴らしかった。

  

5位 エディーブラボー

 実在の人物なのでキャラではないかもしれないが。格闘技寝技における革命を起こした。

 柔術をやったことが無い人に魅力を伝えるのは難しいが、「コブラツイスト実践レベルにまで仕上げた」「レスリング柔術を巧くミックスした」等等数え上げればキリがないが、どうしてそんなこと思いついたんだ?という長大かつオリジナリティ満載のワザ体系がすばらしい。しかも、完全に基本的柔術とはズレタワザ体系であるために身に着けるのが結構難しいし、体の柔らかさが求められる。

 人間意識に反した体の動きをする技術体系なため、見ていてひきこまれる。 どうやったらこんなことを思いつくのか非常に不思議でそこに魅力を感じる。

2014-01-22

増田語録

アスペルガー症候群アスペルガーしょうこうぐん、Asperger Syndrome, AS

は、興味・コミュニケーションについて特異性が認められる広汎性発達障害である

興味の面では、特定の分野については驚異的なまでの集中力と知識を持ち、会話の面では、聞かれたことに対して素直に答える(「空気を読む」などの行為を苦手とする)、といった特徴を持つ。 日本語ではしばしばアスペルガー, アスペとも略して呼ばれる。

各種の診断基準には明記されていないが、総合的なIQ知的障害域でないことが多く「知的障害がない自閉症」として扱われることも多いが、自閉症と言っても決して他者との会話を避けようとするようなものではない。

コミュニケーション障害コミュニケーションしょうがい)

人間に身体的・精神的に不利を強いることとなる欠点が存しており、それを原因として社会などといった対人関係必要とされる場面で十分なコミュニケーションをとることができなくなるという障害。コミュ障と略されることもある。

承認欲求(しょうにんよっきゅう)

とは、他人から認められたいとする感情総称である

人間他者認識する能力を身につけ、社会生活を営んでいくうちに、「誰かから認められたい」という感情を抱くようになる場合が多い。この感情総称承認欲求という。承認欲求は、主に子供や何らかのハンデキャップを抱えている人々などの社会的弱者劣等感に悩んでいる人間、そして情緒不安定な精神病患者パーソナリティ障害を持つ者に強いという傾向がある。その反対に、自閉症などの他者とのコミュニケーションが難しい、あるいは既に承認されたという経験があるので、それ以上の承認必要としない人間は、それほど強い承認欲求を抱えない。以上の理由から承認欲求先天的な欲求ではなくて、対人関係学習する過程で育まれる後天的な欲求である可能性が高い。

承認欲求承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつ自分存在理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。前者を他者承認と呼び、後者自己承認と呼ぶ。劣等感の強い人間や、情緒不安定な人間自己承認が困難だったり、あるいはその反対に過大な自己評価をしがちであることは、よく知られている事実である。また、思い込みが強い人間被害妄想に囚われている人間の中には、幻想他者を造り出してしまうために、自分他者承認の問題であると思っていても、実際には自己承認の問題であるという錯誤がしばしば発生する。

また、承認欲求は、どのように認められたいのかという『認められ方』の違いによっても、おおむね3つのタイプに大別される。ひとつは上位承認で、自分が他人よりも優位な関係で認められたいという欲求である。こうした欲求を抱える人間は、極度のナルシストか、あるいは他者に対して強い猜疑心被害妄想を抱えているケースが多い。つまり、他人が信用ならないから他人を支配する存在として振る舞いたいか、あるいは自己を過大に評価した帰結として、自分が他人より優れているのは当然であると考えなければ、上位の存在として認められたいとは思わない。

もうひとつは対等承認で、これは読んで字の如く他人と自分関係平等であることを望む欲求である。これは、「人並みに認められたい」と考える劣等感の持ち主にしばしば見られる欲求である。そして、最後ひとつである下位承認は、自分が他人から蔑まれたい、あるいは吹けば飛ぶような存在だと思って欲しいという欲求で、被虐的な性癖のある人物や、社会的道義的責任を背負いたくないと考える人間、そして他人に依存したい、保護されたいと思っている人間が抱きがちである

承認欲求は以上のように分類可能であるが、現実人間はこれほど単純ではない。たとえば、強い上位承認欲求を持っている人間が、わざとへりくだった態度をとって相手に優越感を持たせ、そのことで他者感情コントロールしよう、といった行動をとるケースは非常に多い。これと類似のケースとして、病人や怪我人であること、あるいは不幸な環境に置かれていることを大げさに吹聴することによって、他人からの同情や歓心を買う(承認される)ケースなどが挙げられる。

2014-01-17

不安感が強い

不安感が強い。

自分妄想のせいで。

無い事(ある事もある可能性はあるが)を延々と考え続けて、心を潰していっている。

病気かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

何で、そうなっているかを長々と書いていこうと思う。

もし、これが自分のことじゃね?って思っても、相手には伝えず、そっとしておいて欲しい。

付き合っている訳ではないが、恋人のような関係の人がいる。

恋人だ。

一度、別れて、それでも連絡は取り続けていて、少し前からまた恋人のような関係になった。

でも、付き合ってはいない。

お互いにそういった事に対して、よく分からなくなっている部分があって、そうしている。

相手は、自分に対して、好意を伝えてくれている。ただ、「付き合う」事に対してよく分からなくなっているようだ。

対して、自分自身は「好き」が分からなくなってしまって、一緒に居たいし大事だけれども、それかどうか判断できなくなっていた。

が、一緒にいる時間が増えたら、どうやら自分の中で「好き」な事に気付いてしまったらしい。

それ以降、非常にその人の周囲が気になるようになってしまった。

何をしているのか。誰と一緒に居るのか。異性なのか。同性なのか。

自分に対して好意を伝えてくれるが、自分以外の異性と一緒にいる事が多いらしい。

勿論、自分友達付き合いで異性と出かけたりする事もあるから普通の事だと思う。

でも、自分にはそれが引っかかる。

一々引っかかる。

ただ、普通の事なのだから、縛りつける気もなければ、やめろとも言えず。

だが、そうだった日があった事を知ると、「実は」自分には適当対応しているだけで、「実は」その相手が本命なのではないかという妄執が湧き上がってくる。

それは、ふつふつと自分の中に広がっていき、どんどん範囲を広げていく。

相手は、やましい事は無いし、恋愛対象としても無いという事を自分に伝えてはくれる。

が、猜疑心まみれになってしまった自分は、どうしても想像が止まらなくなり、自分から離れて、その相手の所へ行ってしまう(もしくは既に行ってしまっている)のではないかと考えてしまう。

恐ろしい事に、会った事も無い人間存在脳内リアルに生み出し、相手と肢体を絡ませている想像までしてしまう。

そんなこんなで、割と頻繁に、そのような類の妄執が脳内蔓延ってしまい、仕事は手に付かないわ、不安感が強くなりすぎて食事もろくに出来なくなるわで非常によろしくない。

自分自身も、他の異性と何かしたりするのに、だ。完全に自分は棚上げである

こんな状態を何というのか。

こんな状態から脱出するにはどうすれば良いのか。

自分はただ、相手と一緒に居て、笑いあいセックスをして、一緒に寝たいだけなのだ

だが、上記に書いた妄執のせいで、相手の周囲(特に自分以外の異性)が邪魔邪魔で仕方がなく感じてしまう。

自分病気なのだろうか。

相手に迷惑をかけたくないのであれば、他の人の所へ行った方が良いのだろうか。

不安感が強い。

ただ、相手と一緒に居たいだけなのに。

2013-12-24

心を通わせることのない集まりとして

子供の頃、父と祖母が食卓毎日喧嘩していた。祖父と祖母もよく喧嘩をしていた。

僕にどちらが正しいのか聞くこともあった。喧嘩することは良くないことで、どちらも正しいように思えるのは観察が足りないに違いないと思った。

よく観察し、どちらも少しでも気持ちよく過ごせるような答えを返すように努めた。

祖母は、母に猜疑心を持っていた。母が何かモノを隠したのではないかとよく母に言っていた。

母は、もう出て行った方が幸せなのではないか、僕に相談した。僕には一緒に居た方が良いのか、離れた方がいいのかよく分からなかった。どちらも大事だと思ったから、あるいは単に住処が変わるのがイヤだからか、出て行くのはイヤだと言った。

祖母に罵られて言い返したら、後から母に殴られた。後から私が色々言われるでしょう、と。

それから、何を言われても、じっと堪えて言い返さないようにした。

祖父の葬式で、祖母がしょぼくれていた理由が分からなかった。祖母は、本当は優しい人なのかと思った。

数年後、また元に戻っていた。

高校の頃、高校生活でがんばり続けるのに疲れたと母に言った。初めての心の面での相談

分かったと言った翌日、がんばりが足りないと言われ、倒れた。

2週間ほど寝続けた。母は部屋に来ては、がんばれがんばれ、と言い続けていた。

もう相談することは止めようと想った。心を蹂躙されることだけは避けなければ。

激しく恨んだ時期もあったけれど、近頃はただ単に合わない人達屋根の下に居ただけ、運が悪かっただけ、と思う。

また、私も含め、各々が各々に対して、気持ちを伝え分かってもらう努力をしなかったのだ、とも。

第三者は、自分が何を考えているかを正しく推定し、それに合わせて適切な働きかけをしてきてくれるに違いない、と互いに思い違いをし続けていたのだと。そして、運悪く、その思い違いを指摘してくれる人が居ない環境に居たのだと。

生家とのつながりを絶って7年ほど、ようやくここまでこれたのかと、そう思います

第三者に気持ちがあることや、彼ら・彼女らに分かってもらうためには努力をする必要があると言うことを、今でもよく失念します。

生家とどう関わっていったら良いのかは、まだ棚上げしてます

棚上げしているうちに、父母が天に召されてしまうのではないかと思うこともありますが、新幹線などで家の近くを通るときに恐怖で震えることもたまにあります

世の中の人にとっての家族像とは、どんなものなのでしょうか。

2013-10-24

ガッチャマンクラウズ正義の構想

http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20131015/1381840117

 2013年9月でテレビアニメガッチャマンクラウズ』は終了したが、それに絡めて(上記URL)書かれたガッチャマンクラウズの描像に違和感を覚えたので、それをきっかけにして『ガッチャマンクラウズ』について私が考えたことを記しておきたい。尚、本稿は読者が『ガッチャマンクラウズ』を最後まで観ていることを前提に書かれている。

 さて、上述したブログの筆者(以下Rootport氏)の見解一言でまとめるなら、『ガッチャマンクラウズ』とは「社会秩序を守るタイプヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ということになるだろう。だが私は、寧ろそうでなかったからこそ『ガッチャマンクラウズ』は面白かったのであり、現代日本ヒーロー像を書くことに成功したのではないかと考えている。つまり、『ガッチャマンクラウズ』に登場するヒーローたちは元々が「社会秩序を守るタイプヒーロー」ではないのではないかということだ。Gメンバーは一ノ瀬はじめが加入するまで確かに襲来する宇宙人から密かに地球を守っていたが、それは単にJ.Jの指揮下で仕事をこなしていただけであり、奉仕していたのは地球とは文字通次元の異った高度な秩序である社会秩序に「人間の理解すら及ばない高度な秩序」は含まないだろう。地球ガッチャマンたちがやらされていたのは全貌を見渡すことのできない「大きな」仕事の一部でしかない。それは結果として地球を守っていたのかもしれないが、積極的に「地球を守る」こととは明らかに違う。『ウルトラマン』が全宇宙的な秩序を守ると言いつつ地球準拠の正義に隷属しているのとは対称的だ。

 だが、はじめが加入したことで、ガッチャマンの内実は明らかにそれまでとは異ったものとなる。敵として認識されていたMESSは無害化され、「本来は手出ししない」はずのローカルな事件へ次々と関与していくこととなるのだ。その中でGALAX開発者:爾乃美家 類と出会いベルク・カッツェとも関わってゆくこととなる。はじめは何を変えたのか?ガッチャマンたちの「社会秩序を守る」という規範意識か?いや、違う。彼女が齎したのは、そもそも彼らが持っていなかった視座、即ちJ.Jが体現する高度な秩序から離れたローカルな秩序への眼差しである。はじめはそれまでのGメンバーの誰もが実は見ていなかった足元に、持ち前の強引さと直観で目を向けさせた。はじめの出現とベルク・カッツェの暗躍を通して初めて彼らはローカルな秩序と結びついたのである。端的に言って、『ガッチャマンクラウズ』は「社会秩序を守るタイプヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ではない。変化を受け容れるのは神々の視座に安穏としていたヒーローたちの方で、ローカル社会秩序ネットはGALAXによって既に変化をはじめていた。自分たちの変化を受け容れたヒーローは、受け容れて初めてローカル社会の変化を知りその実感を得るのである自分が大したことないヤツだと思い知らされたからといって不貞腐れている場合ではない、自分能力に怯えてうつうつしてる場合ではないと気づき、彼らはようやく立ち上がった。

 はじめとベルク・カッツェは真逆の方向からそのことをGメンバーに知らしめる役目を負っていた。彼らはインターネットの正負両側面をそれぞれが体現していたのだ。はじめは世代職業を越えた人々と繋がりが生むポジティヴ連帯を、ベルク・カッツェは猜疑心加虐性無限に増幅させて破壊を生み続けるネガティヴ連帯象徴し、各々自らがその先頭に立つことで「流れ」を引き込もうとする。この両者は、決してバランスのとれた均衡の上で争っているのではない。はじめがネットツール:GALAXに依拠しながらもあくまで立川市内という極ローカル連帯を核にしている一方、ベルク・カッツェはネット上にありふれた不満と破壊衝動をほんの少しつついてやるだけで、姿を見せることなく、文字通り「どこからでも」破滅種子をばら撒くことができた。彼(彼女)が立川に拘ったのは、まさに憎むべきガッチャマンたちがそこを拠点としているからでしかない。この圧倒的に不利で不均衡に思える状況の中で、劇中唯一元来の意味ヒーロー活躍をしていたのがはじめだ。彼女は一切ブレることのない精神の有り様でローカルな視座から遊離していたガッチャマンたちの視線を「足下」に惹きつけ、ネットの向こう側に存在する人々と結びつけた。これに対し、ベルク・カッツェは爾乃美家 類の能力:クラウズを奪ってネット内で辛うじて留まっていた憎悪と欲望を直接現実世界へと送り込んだ。両者が別々の形でネット現実接続させ、物語クライマックスを迎える…

 正体を明かし、それまで触れることのなかった他者を知ったガッチャマンたちは、その時はじめてヒーローになった。はじめて守りたいものを思い浮かべ、傷つきながら戦い、己の無力さを痛感するヒーロー入り口に立ったのだ。それまでの彼らは、与えられた力で全貌の知れない「高度な秩序」に奉仕するだけの傀儡だったとも言えよう。だが、各々の意志翼を広げて立ち上がった彼らは、従うべき規範を越え、ローカルな秩序を守ることに全力を尽くす。しかし、立川防衛するという一見ローカルな戦いは、爾乃美家類によってGALAXを通したグローバルなゲームと直接接続された。そのことによって、ローカルグローバルな舞台となり、グローバルな力がローカルに及ぶ。暴走するクラウズとの戦闘に、Gメンバーゲーム参加者達は勝利する…皮肉にも、そしてある意味当たり前のことだが、これはベルク・カッツェが行ったことと表裏一体である。いや、同じことだと言ってもいいだろう。彼が先に仕掛けたのは、まさに類が提案したゲームであり、参加の動機付けけが異なっていたに過ぎない。だからこそはじめは「正義ってなんなんスかね~」と戦いの後で口遊む。彼女は理解しているのだ。理解しているからこそ、ベルク・カッツェとの対話を試みる。

 ネットだけでも、人智を越えた力だけでもダメなのだ。戦いを終え、ようやく彼らは入り口に立った。ゲーミフィケーション世界を救ったようでいて、実は違う。GALAXは、単体では無色透明なツールでしかない。そこに参加する者達がどのような動機を持っているのかによって、はじめにもカッツェにも成り得る。目指すべきは秩序を根底から覆す変革ではなく、既にある秩序の漸進的な「アップデートなのだ

蛇足

 『ガッチャマンクラウズ』は「ヒーローは最早必要なく、世界は我々の手に委ねられている」なんて呑気な話ではない。少し長く引用するが、Rootport氏によれば

 『ガッチャマンクラウズ』では、誰もがスーパーヒーローに準ずるような力を手にした。『キックアス』のように「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばすのではなく、ほんとうにヒーローにしてしまう。これは現実世界メタファーと見なせるだろう。ネットが一般化して20年あまり私たちは実際に、英雄に準ずるような力を手に入れてしまった。

 世界を変えるのに、肩書きも立場もいらない。

 名も無き個人でも、世界に影響を与えられる。匿名のままでも、世界に向けて発信できる。

ということらしい…言いたいことが沢山ある。まず、Rootport氏が言及している映画版キック・アス』は「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばしてなんかいない。力(スーパーパワーや金)のない者が現実ヒーローになろうとした時にどれだけの代償を払うのかを冷酷に示して見せている作品だ。勿論、コメディ的要素も色濃く入っているが、本質的には「力がなければ正義をなさなくても良いのか?」という問いに否を突きつけようとして、血塗れになる物語である。そして、コミック版の『キック・アス』は映画版を超え、ヒーローをある種の病気として扱い、その行き着く悲惨さと哀しさを描いてみせた。どちらもアメリカ特有のヴィジランテ文化立脚したヒーロー解体し尽くしても尚、何が残るのかを問うている…大いに話が逸れた。話を戻すが、私達は一般化したネットによって「英雄に準じるような力」を手に入れてなんかいない。決していない。手に入れているのなら、ガッチャマンたちは必要なかっただろう。お役目御免で、そもそも出てこない。人々は手に入れた「英雄に準じるような力」でさっさとカッツェを撃退してしまえばよかったのだ。だが、それはできなかった。代わりに見せつけられたのは、匿名のままでは、名も無き個人のままではダメだということ。匿名でない誰かがインセンティブを与え、ゲーム動機付けを行わなければ動かない現実だ。匿名の誰かによって動かされたゲーム暴走し、手が付けられなくなる様だ。これは何も特別なことがわかったわけではない。ただ、ネットというツールの「当たり前」を見せられただけなのだから。『ガッチャマンクラウズ』は、寧ろ我々が「英雄に準じるような力」を手に入れたわけではないと戒めるような作品だと思っていたのだが…Rootport氏は「世界アップデートする」をただのキャッチーな標語かなにかとして受け取ったのだろうか?

蛇足蛇足 

 Rootport氏は細かい点(その実重要な)について気にしないのか気づかないのか、とにかくざっくりした区分けで語る傾向がある。ヒーローの系譜を何故か『マトリックスから始め、『X-MEN』『スパイダーマン』『V for Vendetta』『まおゆう』『キック・アス』『ダークナイト』『タイガーバニー』『サイコパス』を辿っていく。日本なの?アメリカなの?どっちなんだ。アメコミの方は何故映画ばかりで原作に言及しないのか。日本アニメに触れるなら、何故大元の『科学忍者隊ガッチャマン』含めたヒーローアニメの系譜に触れないのか。ライダー戦隊には何故触れないのか。その辺りが謎である特にローカルヒーローモノに触れないのは、『ガッチャマンクラウズ』が描いてみせた「現代日本ヒーロー像」がそれまでのものとどのように違うのかを明らかにできない点で致命的だ。寧ろ『ガッチャマンクラウズ』が彼の言うような作品なのだとしたら、『東のエデン』にこそ触れて比較すべきではないのか?…このRootport氏が諸作品を引用した部分について言いたいことはまだまだ山ほどあるのだが、虚しくなってきたのでこの辺にしておく。

2013-10-10

ゴミクズ

底の抜けたバケツのように愛情を求め、少しでもためらわれると猜疑心が増大し、見捨てられた気分になって自殺願望が膨らんでしまう。

そう言う精神障害者ないし人格障害者って本当にクズだと思う。

あんただっていつかそうなるかもしれないんだよって諌められても無理。身内に奴らを抱えていると、憎悪しかわいてこないんだもん。

苦しんでることは理解できるよ。感情が爆発しちゃったり、消えてしまいたくなったり、衝動がこみ上げて滅茶苦茶なことをしてしま病気だってのは受け止められる。

ただね、だからといって奴らが要求する傍若無人無理難題を歓迎できるはずがないんだよ。心底むかつくんだもの

病気を楯にして権利ばっかり主張して、受け入れられないと直ぐに死にたい死にたい言い出して、暴力を振るい、家具家電を壊してさ。

もうね、クズと言う以外に形容のしようがないんだよ。病気なんだろうけどさ。クズには違いないんだよ。

優しく受け入れてあげてなんて精神科先生は言うけどさ、無理だよ。受け入れるだけで限界。とてもじゃないけど優しくなんてできない。

だって、一度優しくしたらどんどん要求されるんだもの限界を訴えると、居なくなったほうがいいんだろうって自殺をほのめかすんだもの

どないせいっちゅう話ですよ。

まあね、屹然と対応して、社会常識やら人付き合いにおける基礎の基礎を丁寧に伝えるしかないんだろうけどさ、それさえ嫌なんですもん。

相手方が理解しようとしないってのもあるけど、本心としては関わりたくない一心なんだから

依存されてないのにグダグダ書き連ねるなんて勘違いも甚だしいし、卑怯だとは思うけど、奴らの存在が視界に飛び込んでくるだけで生理的嫌悪してしまう。

死にたきゃさっさと死ねばいいんだよ。止めてくれる人の言動で自分存在を肯定するなんて害悪しかないんだよ。

もちろん、そういうことにも気づいていて思い悩んでいるんだろうけどさ、言っちゃ悪いけどてめえの個人的な苦しみを周りに撒き散らさないで欲しいよ。

助けを求めるにしても、もっと方法があるだろうに。比較的穏やかな手段でも、何度も何度も繰り返されるに連れてうんざりしてきてしまうだろうけどさ。

と言うかね、結局、面倒なことを考えたくない俺がゴミなんですよ。本気で関わるわけでもなく、適当なことを言うだけで、却って症状を悪化させたりしてさ。

彼らと向き合うだけの度量がないことはわかってるんです。人に依って、彼らと付き合える人と付き合えない人がいて当然だと思うし、俺は後者なだけなんですよね。

だったら何も言わないほうがいいんだろうけど、新型うつうんたらかんたらのブコメ優等生然としたのが並んでたからつい書き殴っちゃった。てへっ。

優等生の皆々様、躊躇うことはないから悪びれもせず自己正当化するゴミに向かって罵詈雑言を投げつけるといいよ。

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