はてなキーワード: 掲示板とは
1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪や怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。
そしてその世界観を自ら打破し、ロックやテクノ、メタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーやイベントに勤しんでいる。
私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。
もう十余年もムックの音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐やライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活に従事する日々。
長らく夢烏(=ムックのファンの呼称。ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファンを卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。
しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である。
何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。
そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。
2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。
このリリースをきっかけに、あるバンドのファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。
ムックと同じ事務所に所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielのファンである。
このシングルにはラルクのギタリスト、Kenが楽曲のプロデューサーとして参加している。
日頃ラルクの活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムックの音楽に興味を持ったのだ。
ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである。
幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース、作曲、編曲等々多方面のマネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー。技術的な部分から何から、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。
「メンバーもファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。
なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。
リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキルを要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。
そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。
さて、そんなムックが、よそのアーティストにプロデュースを頼むだなんて。
当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。
実際楽曲そのものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。
しかしそのシングル曲が含まれるアルバムツアーから、ライブ公演に違和感を覚えるようになった。
「アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色い悲鳴が上がる。
V系というジャンル柄、ファンは盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源はだんだん演奏頻度が下がる。
そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。
何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれる可能性は非常に高い。
私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。
その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。
あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ。
早めに着いた私は、グッズ販売の待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。
V系のファン=バンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。
「ムックはチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」
「Kenちゃん、ゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」
先の台詞は百歩譲って許そう。
いくら盲目に、宗教的にバンドを愛するバンギャと言えども、複数のバンドのファンを掛け持ちする事はザラだ。
特に本命バンドの活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。
そして本命バンドと比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。
ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。
しかし猫も杓子も二言目だ。
そう言うのならばKenソロのライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックにラルクの片鱗のみを求めているのかと。
音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。
それでもムックの純粋なファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムックが本命バンドの自分からすれば侮辱としか思えない発言だった。
気持ちは分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。
しかしムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。
その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブにゲストで現れるようにもなり。
気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。
先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。
以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつかられ露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近はムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。
ムックそのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。
しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色い悲鳴。
チケットのファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット。
「ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い、女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈。
そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。
何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識。
そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。
もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。
それでも、メンバー間のトラブルや修羅場があったからこそ生み出された過去の楽曲やパフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。
V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。
バンドの運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージでミスしたメンバーや段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎のヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。
先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。
元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうであると押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。
昔の楽曲も好きだけれど、暗いから最近の曲の方が好きだなどと抜かす。
汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。
ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死に札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。
ムックが本命バンドの人間もいれば、他のバンドが本命だという人間もいる。
必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。
十人十色、千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。
とりあえず、これからもムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。
それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。
あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。
さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそな小学生の夏休みの工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。
それもラルクソの文化?男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。
ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。
せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。
何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋に所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。
万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支える気持ちでいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。
男です
友達欲しくて友達欲しい人掲示板に友達欲しいと書いたら女性からしか返信来ない不思議
映画趣味って女性は女性ターゲットのものを好む傾向があって(そりゃそうだ)
こっちはこっちで、ニセシネフィルモドキダマシというか乱読だったのが殆ど観るのを辞めてしまった人間なので、ぜんぜん話も感性も噛み合わない
キンスキーのノスフェラトゥ良いよね、なんて話通じない。通じる訳ない。
じゃあ仕事の話やらなんやらというと、はじめは警戒されていて踏み込めない。投了しますって感じだ。
それで、まあ何でかなと思ったのだけれど、ああいう掲示板って少なくとも男側にとっては出会い系みたいなもんで
男は男に寄り付かないのだなと悟って実家に帰ろうか悩む
ツイレディ達は散々、女叩きへのミラーリングだ、女叩きがあるから男叩く、女叩きやめてくれたらやめる、と言ってるのに
女叩きはもう10年以上前からあって、最初は2ちゃんねるだけだったのがニコニコやまとめサイトやツイッターにまで勢力を広げたし、
正直、ま〜ん(笑)とかいう言葉をナチュラルに言えてしまうネット社会は異常だと思う
そりゃ、「やり返してやろう」みたいな奴らが出ても不思議じゃないわ
韓国ではメガリアというミサンドリー掲示板のおかげで、女叩きが社会問題化されるまでになった。
「男に奢られるのは女の権利」とかいうサイトがあったり、男を殺す方法を話しあったり、日本よりずっと過激だ。
話が逸れた。
だが、そんなサイド展開に関して、どうしても、どうしても一言言いたい作品がある。
http://ncode.syosetu.com/n6569du/
以後、本編とする。
一見ただのVRモノだ。
ありきたりなVRモノだ。
ネカマの主人公が女性キャラと百合百合してる、そんな、なろうなら何処にでも有る作品だ。
上記を毎日更新していたこの作者がひっそりと同時連載で女性主人公のVRモノを投下した。
http://ncode.syosetu.com/n5031dx/
全五話。幸薄い女主人公の話だった。書き殴っただけ。そう思った。
しかし、その後、本編においてその話に出てきた男が本編主人公で有ることが暗示される。
そして、そのオチのない話の続編の連載が始まる。
http://ncode.syosetu.com/n8596dz/
ここではっきりと、本編主人公が女性主人公を模したアバターを使用しているなどの関連性が明らかになる。
と、まあ、これでも序盤は、台詞も同一だし、冒頭言ったような繰り返しの物語でしか無かった訳だ。
やがて、本編の相変わらずの軽いノリに対し、女性主人公サイドは重い展開へと転がって行く。
相変わらず本編は、やれ、パンツ見えた、やれ、パンツ見られた。
平和だな。
その裏で、サイドの方は女主人公が追っていたプレイヤーに嵌められ、仲間との事務所を爆破され、暴走してPKに走った所を仲間に阻害され逆に殺され……。
女主人公が思いを寄せていた本編主人公は本編の軽いノリで義理チョコ貰ったわーいとか、
そんな話だ。
そんな軽い話の一時間後に日に日に追い詰められていく話が投下される。
なんだ?
この温度差は。
そう思う訳だ。
そうやってフラストレーションたまった所で、きっちりその本編主人公が、ヒーローしに来るわけだ。
この前まで本編でパンツ見て怒られてたよな、と。
まあ、そんな話だ。
ただな、この紹介文を読んで目を通した所で多分俺の感動の半分も伝わらない。
ハルヒを本放送順に見るか、DVDで見るか、それくらいの違いが有るんだよ!
腹立たしい。
実に腹立たしい。
こんな仕掛けをしれっとしていて盛り上がらない宣伝下手な作者が心底腹立たしい。
そもそも、何で連載分けたんだよ。ブクマが十分の一にも届いてないぞ。下手くそか。
なろうの作者は全員Twitterくらいやれ!
作品に対して言いたいこと、聞きたいこといっぱいあるんだよ!
バーーーーーカ!
先ほどの解析編では相手、つまり粘着者がどのような者かを探索する考え方を書いた。
基本的に防御としての方法をこれまで書いてきたが攻撃する方法も書こうと思う。
無視することが大鉄則ということ。
が、これは人によって効果が違う。
独立心のある人には効かない、つまり独りで書いてるだけという立場の人には効かない。
それ以外はほぼ無視が効く。
それは、
が、これでは会話にならないので誰にも相手にされない。
バトル、つまり口論には発展しそうでしないわけだが、ネット、多くは掲示板やtwitterの人は
それほど論理的に、論ずるとは何ぞやまで考えて口論する人はすくないのと、
このようなやりとりを好むのはそこまで考えられない人が多いので通用する。
※このバトル、つまりこちらから攻撃を仕掛けていく方法をここまで書いたが、
これまで防御として書いてきたことと反する行為にあたる。
つまり、
「時間の使い方を知らない有意義な生活がおくれていない、自分の心が満たされていない状態」
これに反することになる。
意見を一切受けず独り言をつづける、つまり無視をしつつ一方的に発信する。
二律背反と言うべきか、会話として成立しない。
ここで改めて防御側がとる方法を考えると、
◆対処法としては、
「無視が大鉄則、無視の仕方も工夫(相手の視界に自分を入れない)を要する」
これになる。
守者、防御側としてはこれに受け答えるのは相手が意見を受けないので無意味。
よくある場合として攻者が無視したつもりだろうなどと話してきたり、
無視されたことで攻者がわの意見が正しいとする主張をしてくる(沈黙=無視=認諾)場合もあるが、
この場合はついつい無視の手が緩んでしまいそうだがやはり無視が最適。
逆に攻者が動揺していると考えるのが妥当。
つづく
もともと名前はでていたが落ち着きをみせているなと思っていたが、
ここ数日連続的に書かれている。
「時間の使い方を知らない有意義な生活がおくれていない、自分の心が満たされていない状態」
◆対処法としては、
「無視が大鉄則、無視の仕方も工夫(相手の視界に自分を入れない)を要する」
「時間の使い方を知り有意義な生活がおくれている、自分の心が満たされている状態」
「尊重(重視、注目、関与)していく」(粘着者の視界に自分を入れてしまう)
これらを元に解析すると、これまでの粘着、ここ最近の粘着に共通して言えるのは、
書き込んでいる時間帯である。深夜から早朝、夜が多いか。日中もある。
普段は寝ているだろという時間帯、社会通念上この時間はだいたいの人が寝てるのでは?という時間帯の書き込み。
これらを考えるとやはり有意義な生活がおくれていない自分の心満たされていない人だと分かった。
相手つまり粘着者がいわゆる気狂いの類であるならばいくら無視しても効かないだろうし、話し合いも通じないだろう。
医療が必要なわけだがそこはどうすることもできないので、やはり無視しつづけることで経過観察するしかないのだろう。
つづく
「時間の使い方を知らない有意義な生活がおくれていない、自分の心が満たされていない状態」
対処法としては、
「無視が大鉄則、無視の仕方も工夫(相手の視界に自分を入れない)を要する」
では、逆を考えてみよう
1「時間の使い方を知り有意義な生活がおくれている、自分の心が満たされている状態」
2「尊重(重視、注目、関与)していく」
これまで5項目、
某掲示板(2ちゃんねる)で粘着する人について考える ~その5まで
について書いてきた。
ここで再整理しておきたい。
「時間の使い方を知らない有意義な生活がおくれていない、自分の心が満たされていない状態」
また、対処法としては、
「無視が大鉄則、無視の仕方も工夫(相手の視界に自分を入れない)を要する」
ということである。
問題は対処法の無視についてだが、トラックバックにもあったように逃げるという手段も必要。
ここで考えてみると、
無視することも当然相手の視界に自分を入れないことにはなるが、
掲示板の場合、対象の粘着者だけを無視して他には返事をするという状態がよくあるけれどそれは逆効果
場所を変えるとしてもこれまで発言してきたことを加味しつつ同じような文体、特徴は避けること。
多くの行き着け場所を確保しておくこと。
相手をするということは粘着者の心を満たすことに加担することになる。
つまりは自分が相手にうまいこと利用される、損をするということになる。
それも時間的な損をするということになる。
その4に続き今度は粘着する人について掘り下げてみる。
・好きもしくは嫌いまたは派生する興味を源として接してくる、
暇で誰かから相手にされたい(つまり自分は相手にされない)人であるということ。
ここで気になるのが
1なぜ暇なのかということ
2なぜかまってほしい、つまり誰かから相手にされたい人なのかということ
だろう。
好きもしくは嫌いや興味があるという項目も気になるが、
粘着者これらを源として接してくる(書き込み、粘着)するには時間が必要である。その時間はどこから捻出するのか?
忙しかったら粘着などよりも他に時間を使ったほうが有意義である。
だが彼らはそれをやらない、時間の使い方を知らない。暇なのだ。
ここからすでに1のなぜ暇なのかということも導き出せた。
時間の使い方を知らない、有意義な生活をおくれていないとわかる。
では2のなぜかまって欲しいのかに触れてみる。
これは違う側面からも見ることができて、誰からも相手にされないと言える。
誰からも相手にされない、孤独、だから仲間を探そうとする、かまってほしいとなる。
誰かから相手にされるけど構って欲しいという人もいるだろうけれど、
この場合は相手にされていることで自分が満たされていないと考えられる。
孤独というのもひとつの自分が満たされていないと考えられるから、
つまりかまって欲しいというのは自分が満たされていない状態とわかる。
これは健常者や非健常者ともにありうる。
ここで1と2についてすこしまとめることができそうだ。
暇ということは時間の使い方をしらない、有意義な生活をおくれていない人であること。
かまって欲しいということは自分の心が満たされていない状態であるということ。
よって、粘着する人というのは
暇だからかまってもらいたい(かまってもらえない)ということであり、
つまりは
時間の使い方を知らない有意義な生活がおくれていない、自分の心が満たされていない状態
であると考えられる。
つづく
その3では仮の結果として粘着する人のまとめを書いた。
また、対策も書いた。
これらについて掘り下げていこうと思う。
順序は逆になるがまず対策を掘り下げる。
ここには条件があり、一切粘着する人と触れないということである。
掲示板上ならば書き込みをしていて粘着対象者を無視して他の人に返事を書く等の行為は禁忌である。
完全に消えたと確認するには当然自分が書き込まなければいいわけだが、
彼ら粘着者は客観的に見えない傾向が強い、勝手な主観を持ち込んだり推測や断定をしつつ、
対象者(粘着される側)がまだいると思い込んで語りかけをしたり揺さぶりをかけてくる。
実はその発言が相手の視界から自らを消せているという目安でもある。
粘着者の心理である暇という状態やかまってほしいという状態を利用する。
相手がいないと不安になる、不安になると語りかけたり揺さぶりをかけてくるのだ。
もしくはターゲットを他に変えてくる。
ターゲットを変えて時間経過したのちまたこちらに語りかけたり揺さぶりをかけてくる。
このサイクルが続くわけだが、そこで書き込む(粘着者の視界に入る)ことは禁忌であるのだ。
つづく
一応仮の結果としておきます。
粘着する人は
・好きもしくは嫌いまたは派生する興味を源として接してくる、暇で誰かから相手にされたい(つまり自分は相手にされない)人であるということ。
1好きか嫌いが発端で興味があり、粘着する。
精神的病(治療中、自覚なし治療なし)の人も含まれるという点。
彼等本人の病を根治しない限り解決は難しい。
この場合は1と2それぞれにおいて健常者と非健常者の2つに場合わけをして考えなければならない
つまり
健常者だが、 好きか嫌いが発端で興味があり、粘着する。
非健常者だが、好きか嫌いが発端で興味があり、粘着する。
のようになるだろう。
また、粘着者当人の年齢、社会的立場や性別も予測しながら考えねばならないだろう。
だがその根本は前述した4項目に集約されると思う。
なぜならば前述したとおり根本的治癒をしないかぎり彼等粘着者の解決にはならないからだ。
頭の中ではずっと私の像が浮かんでいるわけであり気味が悪い。
もっとも応酬を始めたのは私であるからそこにある非は認めるが、1度謝ればすむことを何度も蒸し返されるのではたまらない。
(これは健常者にでも当てはまりそうだが)
ともかく無視を続けることにより根負けさせることが重要であることはかわらない気がする。
自覚なしの精神病的なものがある人が相手だった場合は上記した非健常者が相手方の場合と同じになるので厄介。
でも良く考えるとこれらの行為を行う健常者ってのがそもそもおかしいわけで、やはり非健常者と同じ対応しかないのだろうか。
つづく
概略
1発端はあるスレッド(以下スレ)で固定ハンドルネーム(コテハン)を使い発言していたこと。
2発言内容は多岐に渡るが私以外の第三者との応酬(もちろん言葉での)があったこと。
3現在コテハンはやめているのとほとんど書き込みはしていないこと。
(1年程度の無言期間や、半年以上に1回程度の名無しによる書き込み、第三者からみてそれが私だと分かるよう意図的にしてある)
これらの状態であるが、依然としてスレでは私の話の引き合いに出す人がいる。
予想
1純粋に好意的である、もしくは純粋に敵対的である、いずれにも属さないが興味がある。
3かまってもらいたいから。
予想に対する補足
これらが多数だろう。また予想3については多くの粘着する人、荒らす人の特徴である。
概略に対する補足
概略3については徹底して数年無言ではなく、
期間を置き発言をしているのでそれについて第三者(以下粘着者)を刺激しているのかもしれない。
が、数年徹底して沈黙したとしても粘着者の心理は薄れるのかどうかは怪しい。
予想1については好意的であるなら当然相手の話題を出すだろう。
男性が女性へ、男性が男性へ、女性が女性へ、女性が男性へ、の4通り。
同じく4通りであるが、敵対的であるのならばそれも当然だろう。
それを分かっているのか分からないでやっているのかでどうのような人かわかる。
興味があるというのは好きだから興味があるというのと、
嫌いだからこそ興味があるという2つがあって、これらの根本は純粋に好きか純粋に敵対的かの結果的なものといえる。
予想2については暇だから、つまり他にスレで話題になることがないということになる。
他に相手がいないから暇ともいえるし、暇だからこそ他に相手がいないともいえる。
予想3
相手をして欲しい(他に相手がいない)、暇(だからかまってもらいたい)。
書いてる粘着者にとっては多数の人を話題に出したいものと思われる。
つまり
こちらが一切反応せずに無視(書き込みもしなければ)粘着者にとって退屈なものになってしまう。
よって無視が最強といえる。
が、昨今ではそれが必ず良い結果ではなく言い返す(きっぱり否定する)も効果的という見方もある。
やはり興味(好きからくるもの、嫌いからくるもの)というものは薄れることはないわけで、
それをどう忘れさせられるかが問題か。
粘着者が本当の気狂い(障害、病気的)だった場合、彼等の根本的治癒がされない限り解決は難しいとも思う。
ともかく、
好きか嫌いが発端で興味があり、粘着する。
この2つに絞られた。
より深く考えてみようと思う。
一昔前は「個人のブログで書くのは勝手だが、掲示板で書いて炎上したらそれは個人の感想じゃすまない」とか言われていたのになw
それに従ってみんなブログに書くようになったら今度は「個人で思うのは勝手だがうんぬん」にシフトw
もう最近の話ではないけれど、
東京メトロのPRキャラクターのデザインが所謂萌え絵に変わったものが発表されて
たしかに萌え絵なんかに対して嫌悪感を示す人は一定数いるだろう。
それを批判するつもりなんて毛頭ない。
僕が言いたいのは、
という事である。
著しく倫理的でないとか、
そんなものがあるわけでもないのになぜ排除を求める必要があったのか。
1つだけ頭に残っている思い出がある。
内容としては、
反戦からどうやってビラの撤去というゴールに繋がるのかというと、
彼曰く、
『銃のような人殺しの武器・兵器を遊びで用いるのが許せないから』だそうだ。
たとえ本当に殺傷能力が無いとしても、
しかし彼にそんな症状はない。
「嫌い」というだけだ。
彼は「嫌いである」故に、
僕の大学では、サークルのビラは掲示板以外での掲示が許されていない。
それ故に、ビラが目に入る場所なんて決まりきった、ごく一部の場所に限られている。
それならせいぜい前を通りかかるときだけほんの少し目をつぶればいい話だ。
一方、ビラを作成したのはとあるサークルで、複数人の学生が関わっていることは明らかだ。
しかも何の落ち度もない。
平和主義者であるのに、自分の意見のみで相手を捻じ曲げるとはこれいかに。
もちろん一般的に見てもアウトなないようもあったとは思うけど、
所謂ノイジーマイノリティに殺されたものが多いんじゃないだろうか。
世の中には思ったより多くの人間がいる。
気軽に排除を求めるべきではない。
始めたのは13年の冬。
妻が身ごもり、仕事が少し落ち着き、格安win8タブレットが普及し始めた頃だった。
アーリーアダプターを中心に秋イベの地獄絵図は大いに盛り上がり、そのビックウェーブはクラスタが近い人々を遍く飲み込み、また揺るがした。
ソシャゲやブラゲと言った類は未経験。冬イベが簡単と見聞きしても、出来ることはイオナを使って2-4(序盤~中盤の山場)を突破するのが精々だったか。
調べれば調べるだけ出てくる熱量を持った情報にほだされ、私はどっぷりと嵌っていった。
所謂主力級キャラクターの平均lvが50を超えたころ、初めてのイベントがやってきた。
記憶が曖昧なまま書いているが、イベントと前後して、エクストラオペレーション(EO)が開放され、利根筑摩や神通が改二になった頃だ。
公式Twitterでイベントが告知され、私は初めての備蓄に挑んだ。
キラ付け、遠征、キラ付け、遠征。ネットに出回る戸愚呂提督の言葉を胸に、準備に勤しんだ。
ここであ号を達成する術を覚えた。
潜水艦の絶対数が足りなかったので、ろ号を達成したのはもう少しあとだったろうか。
そうこうして挑んだ初めてのイベント。
最高戦力はlv70~強、主力がlv60~といった所だった気がする。
あの時の充足感は物凄かった。
もともとゲームは好きで、格闘ゲームからRPG、アクション、ネトゲまでそこそこに楽しんでいた。
しかし、対人要素がなく、明確にクリアできたか出来ていないかでここまでやりごたえを感じることが出来たのはそう無かった様に思う。
実際、この頃にはゲームは艦これしかやっていなかったように思う。
以降、次のイベントを見据えた行動が増え、EOクリアによる勲章集め、レベリング、資材備蓄を並行して行っていった。
大型艦建造である。
大型艦建造は多分なコストと引き換えに一定確率で大和や大鳳と言ったレアかつ強力な艦娘が手に入るチャンスを得られるのだ。
だがその頃の私は、大和を手に入れるコストで他の艦娘を育成したほうが良いと判断し、大型艦建造には触れないでいたのである。
しかし、間もなく夏を迎えようとした6月頃だろうか、運営がTwitterで大和型二番艦武蔵を大型艦建造に追加する旨のアナウンスを行った。
私は常々武蔵が欲しいと思っていて、どんな形であれ、開放されれば何としてでも手に入れようと思っていた。
待ち望んでいた私は、メンテナンス終了後に即大型艦建造童貞を捨てた。
開発資材と資材をつぎ込み、所謂ガチャに類するものを回すこと6回。女神は舞い降りた。
悠然たる姿、少し低く落ち着いた声、そして圧倒的な装甲と火力。正しく私が望んでいた武蔵そのものであった。キャラクターは属性てんこ盛りだった。
幸い大型艦建造が6回で終わったため、資材への影響は大きくなかった。
そして迎えた14年夏イベント。AL/MI作戦。連合艦隊システム、悪名高き御札システムが導入されたイベントである。
クリアできたが、クリアするまでゲームに真剣に向き合いすぎて睡眠不足に陥り、私はめでたく父親になった。長期休暇は一瞬で過ぎ去っていった。休みなのに仕事より消耗した。
そしてその頃気づくのである。
自分がクリアできているところで苦しんでいる人が想像以上に多いことに。
私も相当ドツボにハマっているため偉そうなことは何一つ言えないのだが、ゲームを開始して半年、少なくともゲームがローンチしてから半年のビハインドは感じなくなっていた。
それから海域、任務、イベントはクリアすることが当たり前になっていった。
甲勲章システム(難易度任意選択システム)が導入されれば、全てを甲でクリアすることが当然と考え(別に誰かを煽るわけではなく、SNSに投稿するわけでなく)、時折ランカーを目指したりもした。
改修工厰が導入され、新たな任務が導入され、様々なシステムが追加されていった。それらを調べ、理解したつもりだった。
自己顕示欲を満たすため、演習艦としてドロップ艦を揃えるくらいはした。
そんな私に転機が訪れた。
このイベントの最大の目玉はクリア報酬としてアメリカ戦艦アイオワが手に入る事だった。
何としても手に入れたい、当然難易度は甲だ。そう思って私はイベントに臨んだ。
ステージは全7面、順調に進んでいたが、最終面になってその時は訪れた。新システムであった基地航空隊が全く機能しないのである。
(これはゲームを知っている人向けの補足になるが、バグや不具合に起因するものではなく、所謂ダメージの乱数で全く良い結果を引けなかった)
記念すべき3周年の大規模総力戦イベントを前に、資源はみるみる減っていった。あと一発が出れば、あと一発が出れば、と言う気持ちが強まっていき、そして考えてはいけない事が頭をよぎる。
"これはアタリを引くパチンコと一緒だ" "3回に1回の確率で成功するガチャを5回通すだけだ" "基地航空隊や連合艦隊システムでガチャを引く回数が増えた、冗長になった"そんな思いが頭を占めていった。
なんて事は無い、結局私は確率に溺れていて、自分の実力はあくまでも運が良かっただけなのだと否応なしに目の前に押し付けられつつあった。
20万以上あった資源が底を尽きかけていた。一度冷静になろうと思い、1週間備蓄に励み、燃料は10万近く回復させることが出来た。
時間ではなく気力がなくなりつつあったが、それでも最後の10万、吐き出してやろうと思った。
いよいよボスを追い詰め、大淀が連撃で仕留める(そんな記憶がある)、その筈だった。
大淀は連撃を出さなかったのだ。夜戦で一発、パスっと攻撃をミスってくれた。
その瞬間、私の中で、2年間柱にしていた何かが折れた。クリアして当たり前という前提は崩れ去った。
仕事もぼちぼちうまくやり、育児も並の父親くらいには出来ていて、ゲームも充実できている自分はワークライフバランスの組み立て方が上手、そんなちっぽけな優越感が全てぶっ飛んだ。
燃料残り2万。難易度を最低の丙に変更し、ボスを撃破。アイオワを手に入れた。
初めて甲勲章を取り逃した。気持ちは灰色を通し越して真っ黒に近かった。
そこからのイベントが甲で挑みさえすれ、堀り(新キャラ探しガチャの様なもの)もせず、淡々としたものになった。
ただ、良いか悪いか甲勲章は16春イベ以外は全て取ることができてはいた。
一方でモチベーションは上がらず、またじわりと仕事が忙しくなりつつあった。
アホかもしれないが、育てたキャラクターと別れるのが辛いのだ。
そのうち、私はゴールを探し始めた。このゲームにはサービス終了まで恐らくゴールはないだろう、それなら自分でゴールを描き、それを達成したら満足して引退しよう。
私は描いたゴールは以下である。
だ。
もはや義務になった艦これは仕事よりも遥かに大きな心理的負担になっていた。
16年には家族がもうひとり増えている。
仕事も育児もパツパツになり、艦これに割く時間は仕事が終わり、風呂に入り、リラックスして寝付く前の僅かな時間が中心となりつつあった。
ここでひとつ補足となるが、金銭的な意味で艦これは本当にお財布に優しいゲームだ。
この時点で3年程度プレイして、プレイ時間はゆうに1000時間を超えるだろうが、課金額は恐らく5万弱、どう多く見積もっても7万もいっていないはずだ。
言い換えればこのゲームは時間を食いさえすれば課金のウェイトは低いゲームデザインになっている。
友人たちがパズドラやグラブルに1月でウン万溶かしたと聞いた時はゾッとしてしまったことが少なからずある。
そして17年6月頃だろうか。由良改二が実装された頃、私は艦これにログインしなくなった。
未消化の任務は5ページを超えていた。
私の艦これは終わった。
艦これはChromeで、ウェブブラウズはFirefoxで。私はChromeを起動することが無くなった。
タスクバーに並ぶChromeアイコンを見るだけで、プライムビデオのおすすめに艦これアニメが並ぶだけで後ろめたい気持ちになった。
なんでゲームを辞めただけでなにか後ろ暗い気持ちにならなくちゃいけないのか。
そんなことを思いながら、艦これを忘れようと努めていた。努めているうちは駄目なのかもしれない、とも思っていた。
奇しくも、自分が引退する切掛となった16年春以来の大規模イベントが始まった。
twitterのホットワードには昔ほどではないが、艦これ関連のワードが並んだ。
今持っている甲勲章は9。
16年春の勲章を取り返したい。
そして勲章を10個並べてから引退しよう、もし今回全力でイベントに挑んで、それでも駄目ならそれもまた引退理由になる。
そう、一昨日の夜思った。
一ヶ月半ぶりのログイン。ゲームなのに緊張している自分が馬鹿みたいだった。
lvがカンスト寸前の武蔵や加賀が演習メンバーとして待機していた。
(運営twitterを確認したところ、lvキャップが開放され、北上もカンスト状態から開場されてしまったようだ)
キャラクターゲームとしてはこれ以上無い成功を収めている。事実、この夏のコミケでもやや減少傾向にあるが、膨大な数の艦これ同人誌が販売されている。
その本家本元のゲームがどうなっていくのか、それを見極めてやる。
自分の所属するクラスタで、艦これを今もプレイしているのは私だけになった。
今一度、やれるだけやってみよう。
本当に辞める人は、こんなとこにこんな長文を書きはしないだろう。
もう一度、自分が育てに育てたキャラクターとイライラするゲームに挑んでみよう。
最後に
やめるならかってにやめろ、こういうことを書くな、と言う人には申し訳ない。
まだやめてないので許して欲しい。
そしてもうひとつ、私の周辺だけでなく、全体としてアクティブユーザーは減りつつあるように思う。
勢いは緩やかに削がれつつある気がする。これはデータではなく、長年のプレーヤーの感覚としてだ。
攻略を求める声や掲示板での盛り上がりから、感覚として認識しているものだ。
このゲームは答えの記載がない、そして御札システムがあるかぎり、あまり多くのファジーを許さない。
このあたりも、今回本当に引退するかどうかと合わせて、見極めていきたいと思う。
100㎡ほどの、滑り台と砂場、ベンチが2個あるだけの小さな公園。他には誰もいない。
キャンプ道具を新しく買ったので、キャンプで使う前に使い方をマスターするために、作業をしていた。
すると、自転車に乗ったおばさんが公園前に立ち止まり、話しかけてきた。
特に名前も気にせずいつも使っていたので、知らなかった。なので、
「ちょっと分からないですが、そのあたりの看板に書いてないですか?」
と返した。するとおばさんは看板のほうへ向かって歩いていった。
やり取りが終わったあとに、なんで名前なんか気にしてたんだろう、待ち合わせとか?、と思いを巡らすも、「これだ!」という明確な回答が思い浮かばない。
一通り作業が終わったので、帰る前に公園の名前が書いてないか確認してみた。
すると公園の入り口に石のプレートがあり、○○児童公園と書いてあった。
児童公園? 大人は使っちゃダメだったのか? と思い、注意事項の掲示板をみると
「児童公園ですので、子供が遊ぶのを邪魔してはいけません」と書いてあったが、大人は使うなとは書いてなかった。
深読みしすぎかもしれないが、あのおばさんは、
ということを遠回しにいいたかったのか、という考えに至った。
誰もいない公園で、誰にも邪魔しないように作業してるだけなのに。
大人が使っていると、子供が近づきにくいからという、電車の優先席に座らない健常者みたいな配慮が求められるのか? 今時の公園は。
これは自分が深読みしすぎならいいのだが、本当に公園の利用でこんな配慮をしないといけないのなら、なんて生きづらい社会になったものだと思う。
もう何年も前にあるセミナーで知り合ったAさん。関わった時間はほんのすこしだったけど、ちょっと変わっていて印象に残るキャラだったのを覚えて居る。
ふとAさんについて気になってググって見たら、数ヶ月前に他人の子供への暴行で逮捕されてた。記事からは状況がイマイチ読み取れないが、カッとなって子供の襟首をつかんで床に押し付けたり両足を持って逆さ吊りにしたりしたそうな。肩書きは自称メンタルトレーナーになっていた。
実は、Aさんについては某掲示板にヲチスレが立てられていて、あぁ何だか大変なことになって居るな、でももう付き合いないしなー。と言った感じだったのだが、まさか逮捕されるとは。
ヲチスレを見ると、Aさんはメンタルトレーナーとして自分で高額インチキセミナーを開くようになり、セミナーに来た女性と手当たり次第に肉体関係を結び、元妻に暴行を働き警察を呼ばれ、終いには「僕には龍がついて居る、僕を尊師と呼べ」みたいな突き抜け過ぎてヤバイ感じになってしまっていたようだ。どちらにせよ結局尊師にはなれなかったようだが。
自分がAさんと出会ったのも実はスピリチュアル系セミナーで、自分は原因不明の体調不良の原因を精神世界に求めようとしてたけど結局持病が見つかって服薬したら治ったので足を洗ったんだけど、まぁそれは別の話。
その頃のAさんは普通の人と比べればまぁ変わっては居たけども、何方かと言えば面白い兄ちゃんと言う印象で、宗教始めようとしたり、誰かに暴力を働いたりするモンスターになるなんて私には考えもつかなかった。
面白兄ちゃんが尊師になりたがり失敗して、他人の子供に暴力をふるって逮捕されるまでに一体何があったんだろう。Aさんの連絡先は知らないし、共通の知り合いも今はいないため、確かめる事は出来ないけれど、何とも気になる案件である。