もう最近の話ではないけれど、
東京メトロのPRキャラクターのデザインが所謂萌え絵に変わったものが発表されて
たしかに萌え絵なんかに対して嫌悪感を示す人は一定数いるだろう。
それを批判するつもりなんて毛頭ない。
僕が言いたいのは、
という事である。
著しく倫理的でないとか、
そんなものがあるわけでもないのになぜ排除を求める必要があったのか。
1つだけ頭に残っている思い出がある。
内容としては、
反戦からどうやってビラの撤去というゴールに繋がるのかというと、
彼曰く、
『銃のような人殺しの武器・兵器を遊びで用いるのが許せないから』だそうだ。
たとえ本当に殺傷能力が無いとしても、
しかし彼にそんな症状はない。
「嫌い」というだけだ。
彼は「嫌いである」故に、
僕の大学では、サークルのビラは掲示板以外での掲示が許されていない。
それ故に、ビラが目に入る場所なんて決まりきった、ごく一部の場所に限られている。
それならせいぜい前を通りかかるときだけほんの少し目をつぶればいい話だ。
一方、ビラを作成したのはとあるサークルで、複数人の学生が関わっていることは明らかだ。
しかも何の落ち度もない。
平和主義者であるのに、自分の意見のみで相手を捻じ曲げるとはこれいかに。
もちろん一般的に見てもアウトなないようもあったとは思うけど、
所謂ノイジーマイノリティに殺されたものが多いんじゃないだろうか。
世の中には思ったより多くの人間がいる。
気軽に排除を求めるべきではない。