その4に続き今度は粘着する人について掘り下げてみる。
・好きもしくは嫌いまたは派生する興味を源として接してくる、
暇で誰かから相手にされたい(つまり自分は相手にされない)人であるということ。
ここで気になるのが
1なぜ暇なのかということ
2なぜかまってほしい、つまり誰かから相手にされたい人なのかということ
だろう。
好きもしくは嫌いや興味があるという項目も気になるが、
粘着者これらを源として接してくる(書き込み、粘着)するには時間が必要である。その時間はどこから捻出するのか?
忙しかったら粘着などよりも他に時間を使ったほうが有意義である。
だが彼らはそれをやらない、時間の使い方を知らない。暇なのだ。
ここからすでに1のなぜ暇なのかということも導き出せた。
時間の使い方を知らない、有意義な生活をおくれていないとわかる。
では2のなぜかまって欲しいのかに触れてみる。
これは違う側面からも見ることができて、誰からも相手にされないと言える。
誰からも相手にされない、孤独、だから仲間を探そうとする、かまってほしいとなる。
誰かから相手にされるけど構って欲しいという人もいるだろうけれど、
この場合は相手にされていることで自分が満たされていないと考えられる。
孤独というのもひとつの自分が満たされていないと考えられるから、
つまりかまって欲しいというのは自分が満たされていない状態とわかる。
これは健常者や非健常者ともにありうる。
ここで1と2についてすこしまとめることができそうだ。
暇ということは時間の使い方をしらない、有意義な生活をおくれていない人であること。
かまって欲しいということは自分の心が満たされていない状態であるということ。
よって、粘着する人というのは
暇だからかまってもらいたい(かまってもらえない)ということであり、
つまりは
時間の使い方を知らない有意義な生活がおくれていない、自分の心が満たされていない状態
であると考えられる。
つづく