はてなキーワード: 平等主義とは
平等主義の一部分ってことになるだろうね
本稿の著作権・著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。
○第1章『序論』
p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。
●『誰がそんなに幸運なのか?』
p.12 「生はあまりにも酷い。生まれてしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人の格言)
「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間にだってほとんど生じない」(フロイトのジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしかに非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的なゲームでも冗談でもない」
p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源の責任。=デレク・パーフィット「起源説」
p.16 反出生主義の偏見…子供嫌い、子供を持つことによる自由と財産の制限
p.17 出生の偏見…子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから、子供をもつ動機は利己的でしかありえない。②(1)子供をもつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖の衝動は原始的なものである。
p.19 全体主義者の政治団体は軍事的な理由で生殖を奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家は移民より生殖により人口が構成されている方が正当化される。
●『本書の概要』
●『読者への指針』
●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』
p.27 「非同一性問題」「未来の個人のパラドックス」…(ex)遺伝性の障碍
p.29 非存在は存在と比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在の害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。
…誰かが死んだ方がマシだと考えるとき、自分の状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。
p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態を比較するのではなく、まったく別の事態を比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現の多義性が原因だ。
p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。
p.34 道徳的な問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。
p.40 非存在に苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。
p.42 人々を幸福にする積極的な義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的な義務があると考える人はほとんどいない。
p.44 非対称性は思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人の場所(無人島・火星)」(…非対称的な判断)で実証できる。
p.46 積極的な功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理の要請だと言える。しかし、②を倫理の要請だとすると、個人の価値は幸福の価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。
p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分は意味がない。
p.54 楽観主義者の快楽と苦痛の費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽に苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽・苦痛の割合、苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人」はつねに相対的に前者が勝る。
・『別の非対称性』
p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在が利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人の人格を無視している。…そもそも、出生が利益をもつことはない。
p.63 出生された人物の権利を生殖が侵害するということは、その権利を請負う人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論は生殖の特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別な権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。
p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。
p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまったことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。
p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人の存在が良い/悪いということは、存在してしまったことが幸福/不幸ということと同じではない。
p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。
p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義。人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分の健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較:幸福の自己判断は、実際は相対的な指標による。
●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由』
・『快楽説』
p.81 人間は人生の大部分をマイナスの精神状態で過ごす…空腹、渇き、便意・尿意、疲労、ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学的効果で無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー、頭痛、挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気、低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱、孤独、無力感、喪失感、その他、被害感情全般。
・『欲求充足説』
p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも、欲求が満たされないことも多い。現状維持の欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。
p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート「人間が永遠の幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズローは人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。
p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程そのものが良いという議論…は明らかに不条理だ。
p.92 「客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳で死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生は無意味だが、その視点と人類の視点は大差ない。
p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。
p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。
●『子作り』
・『子作りの義務はない』
p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化の理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。
p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。
p.107 他者の関心…両親、部族・民族、国家。しかし、こうした他者の利益を適えることは、それによる当人の利益を適えることと表裏一体だ。
p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利を制限されるべきだ。
p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。
p.114 法的権利は道徳的義務と対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利は妥当ではない。
p.115 政府が子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解。
・『子どもを作る権利を意見の相違があるということに根拠付ける』
p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理の必要条件:ある行為が害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為が害悪か議論の余地があるだけでは許されないものもある。
p.118 危害原理の例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制やアパルトヘイトは明らかに妥当ではない。
p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論と比較して十分に検討されるまでは、妥当な判断のできる理性的な人々によって、意見を妥当に違えることができるかは結論付けられない。
p.121 少なくともリベラルな社会において子供を作る法的権利が撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間を存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気、エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。
p.123 障碍…障碍は社会に構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断は政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。
p.132 ロングフルライフ…訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当な意見の相違。②QOLの評価は個人的なものだ(とくに現在のロングフルライフ訴訟は代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOLの評価は個人に独特なものではない。の2点の課題がある。
p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的に容認されるという多くの反論がある見解(オーラル・アナルセックス、レイプ、不倫、不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖的見解」として完全に退ける。
・『誕生の悲劇と婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇の誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。
p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族、部族、民族、種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人を手段として扱ってはならないというカンティアンの命題によりいっそう当てはまる。
本稿の著作権・著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。
○第1章『序論』
p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。
●『誰がそんなに幸運なのか?』
p.12 「生はあまりにも酷い。生まれてしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人の格言)
「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間にだってほとんど生じない」(フロイトのジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしかに非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的なゲームでも冗談でもない」
p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源の責任。=デレク・パーフィット「起源説」
p.16 反出生主義の偏見…子供嫌い、子供を持つことによる自由と財産の制限
p.17 出生の偏見…子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから、子供をもつ動機は利己的でしかありえない。②(1)子供をもつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖の衝動は原始的なものである。
p.19 全体主義者の政治団体は軍事的な理由で生殖を奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家は移民より生殖により人口が構成されている方が正当化される。
●『本書の概要』
●『読者への指針』
●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』
p.27 「非同一性問題」「未来の個人のパラドックス」…(ex)遺伝性の障碍
p.29 非存在は存在と比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在の害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。
…誰かが死んだ方がマシだと考えるとき、自分の状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。
p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態を比較するのではなく、まったく別の事態を比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現の多義性が原因だ。
p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。
p.34 道徳的な問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。
p.40 非存在に苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。
p.42 人々を幸福にする積極的な義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的な義務があると考える人はほとんどいない。
p.44 非対称性は思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人の場所(無人島・火星)」(…非対称的な判断)で実証できる。
p.46 積極的な功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理の要請だと言える。しかし、②を倫理の要請だとすると、個人の価値は幸福の価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。
p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分は意味がない。
p.54 楽観主義者の快楽と苦痛の費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽に苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽・苦痛の割合、苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人」はつねに相対的に前者が勝る。
・『別の非対称性』
p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在が利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人の人格を無視している。…そもそも、出生が利益をもつことはない。
p.63 出生された人物の権利を生殖が侵害するということは、その権利を請負う人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論は生殖の特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別な権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。
p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。
p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまったことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。
p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人の存在が良い/悪いということは、存在してしまったことが幸福/不幸ということと同じではない。
p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。
p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義。人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分の健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較:幸福の自己判断は、実際は相対的な指標による。
●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由』
・『快楽説』
p.81 人間は人生の大部分をマイナスの精神状態で過ごす…空腹、渇き、便意・尿意、疲労、ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学的効果で無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー、頭痛、挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気、低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱、孤独、無力感、喪失感、その他、被害感情全般。
・『欲求充足説』
p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも、欲求が満たされないことも多い。現状維持の欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。
p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート「人間が永遠の幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズローは人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。
p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程そのものが良いという議論…は明らかに不条理だ。
p.92 「客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳で死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生は無意味だが、その視点と人類の視点は大差ない。
p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。
p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。
●『子作り』
・『子作りの義務はない』
p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化の理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。
p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。
p.107 他者の関心…両親、部族・民族、国家。しかし、こうした他者の利益を適えることは、それによる当人の利益を適えることと表裏一体だ。
p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利を制限されるべきだ。
p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。
p.114 法的権利は道徳的義務と対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利は妥当ではない。
p.115 政府が子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解。
・『子どもを作る権利を意見の相違があるということに根拠付ける』
p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理の必要条件:ある行為が害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為が害悪か議論の余地があるだけでは許されないものもある。
p.118 危害原理の例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制やアパルトヘイトは明らかに妥当ではない。
p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論と比較して十分に検討されるまでは、妥当な判断のできる理性的な人々によって、意見を妥当に違えることができるかは結論付けられない。
p.121 少なくともリベラルな社会において子供を作る法的権利が撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間を存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気、エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。
p.123 障碍…障碍は社会に構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断は政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。
p.132 ロングフルライフ…訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当な意見の相違。②QOLの評価は個人的なものだ(とくに現在のロングフルライフ訴訟は代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOLの評価は個人に独特なものではない。の2点の課題がある。
p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的に容認されるという多くの反論がある見解(オーラル・アナルセックス、レイプ、不倫、不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖的見解」として完全に退ける。
・『誕生の悲劇と婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇の誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。
p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族、部族、民族、種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人を手段として扱ってはならないというカンティアンの命題によりいっそう当てはまる。
ニコラス・ネグロポンテ (Nicholas Negroponte) MITメディアラボ創設者・名誉教授
ローレンス・レッシグ (Lawrence Lessig) ハーバード大学法学部教授
ピーター・コーヘン (Peter Cohen) MITメディアラボ前開発部長
(セス・ロイド(Seth Lloyd) MIT機械工学教授)
リチャード・ストールマン (Richard Stallman) MITコンピュータ科学・人工知能研究所 (CSAIL) 客員研究員、GNUプロジェクト創始者、フリーソフトウェア財団 (FSF) 代表
Reid Hoffman apologizes for role in Epstein-linked donations to MIT
My few interactions with Jeffrey Epstein came at the request of Joi Ito, for the purposes of fundraising for the MIT Media Lab. Prior to these interactions, I was told by Joi that Epstein had cleared the MIT vetting process, which was the basis for my participation. My last interaction with Epstein was in 2015. Still, by agreeing to participate in any fundraising activity where Epstein was present, I helped to repair his reputation and perpetuate injustice. For this, I am deeply regretful.
私の数少ないジェフリー・エプスタインとの関わりは、伊藤穣一の求めによるもので、MITメディアラボの資金集めのためのものです。会う前に、私は伊藤穣一からエプスタインはMITの審査手続きをクリアしたと聞きました。それがエプスタインに会った理由です。エプスタインと最後に会ったのは2015年でした。エプスタインが出席した資金集め活動に何であれ参加することに同意したことで、エプスタインの名誉を回復し、不正を長続きさせることを手助けしました。これについて、私は深く後悔しています。
MIT Media Lab founder defends embattled director's decision to accept money from Jeffrey Epstein (The Boston Globe)
In an e-mail to the Globe sent after the meeting, Negroponte said he told Ito that “he should” take Epstein’s contribution, and “I would say that again based on what we knew at the time. . . . “Epstein is an extreme case. But then do you take Koch money? Do you take Huawei money? And on and on?” Negroponte said.
(MITメディアラボ総会で、「ジェフリー・エプスタインからの資金を今でも受け取れと所長に言う」との発言を)総会の後に届いたメールでは、「所長は受け取る「べき」だ」、「あのときわかっていたことを基にすれば、同じことをいう」という意味だと説明した。(略)「エプスタインは極端な例だ。しかしコーク・インダストリーズ(アメリカの保守勢力コーク家の同族企業)の金なら受け取るのか?ファーウェイの金は?じゃあ他はどうなる?」とネグロポンテは言った。
I had known of Joi’s contact with Epstein since about the beginning. He had reached out to me to discuss it. We are friends (Joi and I), and he knew I would be upset by his working with a pedophile.
Joi(伊藤穣一)がエプスタインと連絡を取っていたのは、最初から知っていた。彼はそのことを私に相談していた。彼と私は友人で、自分が小児性愛者と仕事をしていることで、私が動揺することを、彼は知っていた。
Joi believed that he did not. He believed Epstein was terrified after the prosecution in 2011. He believed he had come to recognize that he would lose everything. He believed that whatever else he was, he was brilliant enough to understand the devastation to him of losing everything. He believed that he was a criminal who had stopped his crime. And nothing in his experience with Epstein contradicted this belief.
エプスタインはもう虐待者ではないと Joi は信じていた。エプスタインは2011年に起訴された後、恐怖に襲われている、と伊藤穣一は信じていた。エプスタインはすべてを失うことになるのを認識するに至ったと伊藤穣一は信じていた。いずれにせよ、エプスタインはすべてを失うという絶望を理解する十分な知性があると、伊藤穣一は信じていた。エプスタインはもう犯罪を犯さない犯罪者だと、伊藤穣一は信じていた。伊藤穣一はエプスタインに会って、その信念に矛盾することを何も感じなかった。
IF you are going to take type 3 money, then you should only take it anonymously. . . . Good for them, for here, too, transparency would be evil.
タイプ3の資金(犯罪者からの犯罪でない方法で得た資金)を受け取るなら、匿名でのみ受け取るべきだ。(略)(学生の学歴を秘密にするように、資金を受け取る場合も)透明性は悪になる。
Sure, it wasn’t blood money, and sure, because anonymous, the gift wasn’t used to burnish Epstein’s reputation.
確かにエプスタインの資金は犯罪で得られたものではなく、確かに匿名で受け取ったので、その資金提供はエプスタインの名声を高めるために使われていない。
I know that Farrow’s article is crafted to draw the following sentence into doubt: Everything Joi did in accepting Epstein’s money he did with MIT’s approval. I trust the MIT review will confirm it (yes, I remain exactly that naive). So why is he resigning, rather than others in the administration?
ファローによるニューヨーカーの記事は「Joi はMITの承認の下、エプスタインの資金を受け取った」ことが疑わしくなるように整形されている。MITの調査はそれを承認したと、(ええ、馬鹿正直だと思うが)私は信じている。そうなら、MITの経営陣ではなく、なぜ彼が辞職するのか?
And if Ito must go because Epstein’s wealth was accepted anonymously, who else should go because of blood money accepted openly? Will the planet have an equal advocate who demands justice for the Koch money? Or the victims of opioid abuse for the Sackler money?
もし、エプスタインの資金を匿名で受け取ったことで、伊藤が辞職しなければいけないなら、顕名で犯罪により得た資金を受け取った人は辞職すべきだろうか?保守勢力のコークインダスリーの資金に対して、正義を求める平等主義の弁護士はこの地球にいるのだろうか?サックラー家の資金に対してオピオイドの被害者は?
So put the parts together: The MediaLab accepted an anonymous contribution from Epstein through the help and direction of Joi. The Lab did not (as “Professor Anonymous” wrote to me, his outrage apparently blinding him to irony) “help reputation-launder a convicted sex offender.” It would have, had it not be anonymous; but that’s the point about it being anonymous.
要点をまとめると、メディアラボは Joi の補助と指示によりエプスタインから匿名の寄付を受け取った。メディアラボは有罪の性犯罪者の汚名を雪ぐことは何もしていない。匿名でなければ、汚名を雪ぐことがあったかもしれないが。それが匿名であることのポイントである。
Peter Cohen, a former director of development and strategy, said in a statement that when he joined the Media Lab in 2014, it already had established procedures for handling Epstein’s contributions. Cohen said he understood that those policies were “authorized by and implemented with the full knowledge of MIT central administration.”
MITメディアラボ前開発部長のピーター・コーヘンは声明で、2014年にメディアラボで仕事を始めたとき、エプスタインの資金提供を扱う手順(匿名化、少額分割)はすでに出来上がっていた。これらの方針は、MITの経営陣の中心が十分理解したうえで承認され、実行されていた、と彼は理解した。
少女虐待容疑の米富豪のMIT寄付、理事長が容認 大学ぐるみで匿名化 (AFPBB)
MITのセス・ロイド(Seth Lloyd)教授がエプスタイン被告から寄付を受けたことに対する感謝状に、ライフ氏の署名があることを、同大とエプスタイン被告との関係を調査している法律事務所から知らされたという。
Letter regarding preliminary fact-finding about MIT and Jeffrey Epstein(不正資金に対する調査の途中経過報告)
Second, it is now clear that senior members of the administration were aware of gifts the Media Lab received between 2013 and 2017 from Jeffrey Epstein’s foundations. Goodwin Procter has found that in 2013, when members of my senior team learned that the Media Lab had received the first of the Epstein gifts, they reached out to speak with Joi Ito. He asked for permission to retain this initial gift, and members of my senior team allowed it. They knew in general terms about Epstein’s history – that he had been convicted and had served a sentence and that Joi believed that he had stopped his criminal behavior. They accepted Joi’s assessment of the situation. Of course they did not know what we all know about Epstein now.
メディアラボが2013年から2017年の間にジェフリーエプスタインの基金から資金提供を受けたことを、MIT経営陣の上層部が知っていたことが明らかになった。メディアラボがエプスタインの資金を初めて受け取ったことを2013年に上層部が知ったとき、伊藤穣一に連絡を取ったことがわかった。伊藤穣一はその資金を返却しない許可を求め、上層部は許可した。伊藤穣一と上層部はエプスタインの経歴について、有罪になって刑に服したという一般的な事柄を知っていた。伊藤穣一はエプスタインが犯罪行為を止めたと信じていた。上層部は伊藤穣一による評価を受け入れた。エプスタインについて今わかっていることを、当時彼らは知らなかった。
Joi sought the gifts for general research purposes, such as supporting lab scientists and buying equipment. Because the members of my team involved believed it was important that Epstein not use gifts to MIT for publicity or to enhance his own reputation, they asked Joi to agree to make clear to Epstein that he could not put his name on them publicly. These guidelines were provided to and apparently followed by the Media Lab.
伊藤穣一は、ラボの研究者支援や設備購入などの一般的な研究目的の資金を求めた。かかわった経営陣のメンバーは、伊藤穣一にエプスタインから次の事項に対する了承を得るよう求めた。MITへの資金提供を公にしたり、エプスタインの評判を良くしないように、資金提供で名前を公表しないこと。これらのガイドラインはメディアラボに提供され、メディアラボはガイドラインに従った。
Information shared with us last night also indicates that Epstein gifts were discussed at at least one of MIT’s regular senior team meetings, and I was present.
エプスタインの資金提供について、少なくとも1度は上層部の定例会議で議論された。理事長である私も出席していた。
I am aware that we could and should have asked more questions about Jeffrey Epstein and about his interactions with Joi. We did not see through the limited facts we had, and we did not take time to understand the gravity of Epstein’s offenses or the harm to his young victims. I take responsibility for those errors.
ジェフリーエプスタイン自身と、彼と伊藤穣一とのやりとりについてもっと質問できたし、すべきだった。知りえた少ない事実を精査しなかった。エプスタインによる加害行為の重大さや若い被害者への危害を理解する時間を取らなかった。これらの過ちの責任は理事長である私にある。
Famed Computer Scientist Richard Stallman Described Epstein Victims As 'Entirely Willing' (The Vice)
Early in the thread, Stallman insists that the “most plausible scenario” is that Epstein’s underage victims were “entirely willing” while being trafficked.
メーリングリストのスレッドの初期に、「最も可能性のあるシナリオは、エプスタインにより被害を受けた未成年者は、売春を強要されている間、完全に自ら望んでその状況にあったとすることだ」とストールマンは主張した。
メーリングリストに投稿されたストールマンのメールを含む一連のスレッドは、記事の最後にPDF ファイルで閲覧できる。
制限文字数を超えたため、続きは寄付隠蔽みんなで騙せば怖くない MITと他もいくつか 続きに書きました。
なるべく多くの人間に影響力を持ち、実際には存在しないインターネット世論を誘導した上でどこまで現実に影響を及ぼせるのか?
まえがき
増田やSyamuなどインターネット汚物が国会にまで持ち込まれるようになり、アラブの春の後始末すらまだ終わっていない現代社会において、SNS上での衆愚の扇動が安全保障上のリスクになることは自明であり、かつてアカがサボタージュつまり働かない労働者によって生産性を下げる攻撃という概念を持っていたように、インターネット上にフェイクないしある方向に誘導する情報を撒き散らすことによってインターネットの利便性を下げる攻撃や世論を誘導する攻撃という概念が生まれている。
白人至上主義を煽るアメリカ大統領戦や嫌韓感情を煽る自民党への囲い込みなどに実際に実用されているがここではご家庭で簡単に始める衆愚扇動のやり方と大規模な攻撃への発展アイデアを紹介したりしなかったりする
従来の方法としては専門の業者に依頼することやインターネットの有象無象に依頼することなどが挙げられる(例 クラウドワークスで文字の流れる動画を作るように依頼する、自民党ネットサポーターズクラブ、火消し業者、ネットに強い弁護士)これらはいずれも金銭がかかり、また効果に疑問点がある。これらを発展させたものが前述の大統領選や囲い込みであり、方法としてはカルトの手口を併用したものである(この手口は非常に洗練されており、インターネットサロンやプログラミング塾など様々な場面で活用されている)。これらには社会的弱者を狙い、参加への誘因として憎悪を使い集団への帰属感を与えた上で孤立させるという倫理的に悪影響がある手法を用いるうえ参加者一人ひとりの質に問題があるため二次拡散に期待できず(せいぜい彼らの狭い交友範囲内で、それもこの手法の過程で消える)頭数のみが重要な場合にしか価値がない→集金、選挙など 金を絞れればいい=生存していればいい ひらがなで候補者名がかければいい=初等教育を受けていればいい ために汎用性に欠けてしまう。
これらの従来の扇動方法の弱点を解決するためには、ターゲットとして
・一般ユーザー 友人とのやり取りや好きな話題を話すアカウントを持つ(複数の場合もある) /実際の世論形成を担う
・パワーユーザー ツイ廃など依存症的な人々 POSTの大半を占める /扇動内容の二次拡散を担う
・文盲 三語文が読めない感情的な人らまたはお気持ちの人 (神が絶対でそれとの距離は個々人で差はないという論理が起点となっている平等主義と相対主義でしか働かない近代的理性は相性が悪くて、平等の完全な実現に伴って相対評価の理性から絶対評価のお気持ちの時代になるためお気持ち勢は増える) /社会の多数派 頭数や実弾はここから湧く
・インフルエンサー ダークウェブで買った人は含まない /ネットのおもちゃ
を含める必要がある。
またゴール地点として「予め設定した枠の中でしか議論をしなくなる」ということを設定する。
成功例:中国政府の言論統制は自国への批判は許すが自国への行動は許さない。体制の揺るがない範囲での体制批判を許可している。また人民は海外メディアにアクセスする必要があるという発想をそもそも持っていない。
では何をするべきか?前提としてダークウェブ↔ウェブよりウェブ↔ウェブのほうが断絶していることに注意する必要がある。通常のおおよそ全ユーザーに到達するウェブコンテンツとしてはネットニュースがある(これは各サイト、サービスが配信またはキュレーション//死ね//という形で再配布するため)この分野ではオールドメディアが依然強く、また権威つけあるいは盲従するためのハードルを下げる手段として有力である。 これに載るためには犯罪者や自然風物になるという方法もあるが扇動のコントロールが難しく、再現性が低い。また扇動者が現実に露出する必要があり、リスキーである。それでは有名人になった上で何かをする芸能人枠かネットの意見なるもの枠を取ることが現実的であろう。虚像の芸能人の成功例としてゆるキャラやVirtualBeing、初音ミク等などがあるがこれらは地域PRの手段とかロール、インターネット集合知のためのキャンバスといった色合いが強く(VBはよくわかんない、ごめんね)自分からアクの強い意見を発信したり誘導を仕込むことには向いていない。これは各政党のゆるキャラの名前を私が知らないことからもわかる。
SNSでインターネット世論などという汚泥のレンガみたいな概念を焼成してオールドメディアに取り上げてもらいそれがネットニュースで配信されることで(インターネット蝗が多ければi.e.よく燃えていればPVとPRが上がる、この点でももともとの火力は大事)各層に浸透、一定割合が仕込みの終わったSNSでよくわからんことをよくわからんままに自分の意見として話し合ってくれれば成功というのが筋が良さそうだ。
これのモデルケースが「幼稚園落ちた日本死ね」ではないか?扇動者がいたかどうか知らないがこれは可燃性の高い話題が溜まった憎悪を焼き固めてこれを拾ったオールドメディアは国会まで打ち出したという構図に見える。 (三次元物体は視点の違いで違う形に見えるのでここに対する批判は致命的なもの以外許して)
ポイントとしては
弱小、個人アカウントにはDMを多用し優しくする,マシュマロ等利用する
可燃性は最終的に的にする場合以外下げる
話題にはのる
ここで文章自動生成とかを使うと戦略兵器になる 普段はネット定形構文のおもしろネタとトレンドへの言及をしつつ誘導、イベントや祭りの発生時に扇動 数で勝負できる
しらない 詳しい人かいて
周りのすべてが一定の枠組みの中の視点しか持っていなければ一般人は前提を疑わないために容易に思考を囲い込むことができる。現実での多数派を囲えれば十分世論は枠にはめられるので一般ユーザがアクセスしうる範囲だけ誘導できればいい。実践としては検索結果一ページ目とSNSのトレンドとSNS上の各知的社会的階層からそれぞれ賢そうに見える人らで十分だ。あとは勝手に拡散していく。
検索結果一ページ目はフェイクサイトやらまとめサイトやらで埋めればいいのではないですかね ある健康食品だったたかサプリメントだったかがWikipediaから解説サイト、体験談などなど全部フェイクのサイトたくさん用意しててすごいと思ったみんなも真似しよう わかりやすいのはヨーグルト関係、腸内細菌とかまともに調べられなくて困っちゃうわー
SNSのトレンドにはわかりやすい正義とわかりやすい攻撃手段を作って喧嘩させれば良い まずツッコミどころのわかりやすい的を作ってそいつに暴れさせて、その後適度にわかりやすい武器を配れば勝手に燃やしてくれる 異常者が全面に出るように小さなコミュニティを的にするのが合理的(異常者を演じる、あるいは操作する際に少ない人数で大きな割合を占めることができる また支援者の絶対数が少ないため横槍が入りにくい)この過程で視野を狭め議論の枠組みを狭めることができる
SNSの賢そうな人らには「売出し中でフォロワーを増やしたいと思っているアカウント」に見えるアカウントを用意する(このアカウントは誘導したい方向と逆かあるいはジャンル違いのアカウントにする。一般的なフォロワーを増やす過程で前者なら過激な方向へ誘導しつつ意図的に意見に穴を開けておき、後者なら誘導したい方向へ偏らせるか誘導方向と逆の方へ過激な発言をそれぞれ不利益の無い程度に行っておく)
過激なアカウントかつ誘導方向と逆向きであれば失礼な発言から無理筋な議論へと持って行き自分とフォロワーないしファンネルを焼いてもらい、その後改心宣言か狂犬として噛み付いて回る
温和なアカウントかつ誘導方向であれば話しかけてフォロバしてもらうそれ以降は穏健な交流を行い人の流動性を高める 最終的にはこのジャンルならこの人というポジションを確立する(彼らの思考の外部委託先となる)
以上3つが達成できればあとは何もしなくても世論は形成される。
これらの行為は普段からインターネット上で盛んに行なわれているためそれぞれが少しずつ意図する方向に向かうよう仕込むのが一番楽だろう。具体的にはその誘導に囚われることで何かしらの利益を他人に与える仕組みを考える。例えばある特定の意見に偏向したサイトを作ると儲かるとか特定の意見をSNS上で発信すると気持ちいいといった誘因を作ればいい。うまくいっているのが婚活とか恒心とか
まとめ
飽きた