はてなキーワード: 大往生とは
飼っていた犬が天国に旅立った。
最後の1年は痙攣がよく起こるようになって。
落ち着くまでに3~6時間かかってた。
痙攣は脳にダメージが行くらしい。
うちの子は半年で10回以上起こってたからとんでもないダメージだったんだろうな。
とりあえず仕事をやめてずっと側にいた。寝るときもリビングに布団ひいて一緒に寝た。
8月には前足もだめになった。
痙攣で神経にもダメージが行ってるとのことだった。
足が動かなくても、うまく座れなくても、
食欲だけはすごかった!
腎臓の数値も前から悪かったので、腎臓サポートのご飯をあげてた。すごい食い付きでいつも食べてくれてた。
というかうまく食べられない感じで、飲み込むのがしんどいのか、半分くらい残すようになった。
病院に行ったら腎臓の数値がすごく悪くなってるから、点滴をしたほうがいいとのこと。
4日間は病院で点滴と抗生剤の注射をしてもらって、あとは家で自分で点滴をすることになった。
最初はその抗生剤で体調がよくなってたんだけど、日に日にしんどいのか寝れない日が続いて。1時間おきに起きては暴れて鳴いて、抱っこして過ごすって感じで。
犬も飼い主も疲弊してた。寝れないってつらいよね。
点滴の量を増やしても変わりなくて、先生が、
そしたらグッスリ寝てくれて、体調が戻った!
でもそれも1日だけ。
次の日から抗てんかん座薬をもらって、しんどそうなときに入れてたんだけど、効果が2時間くらいしかなくて。
結局次の日またその注射を打ってもらって、ゆっくり寝かせることになった。その注射を処方してもらって、しんどそうなら打ってくださいと言われた。
その日、法事があって、家族が実家に集まった。その日はうちの子も注射後で体調がよかったのか、元気な姿をみんなに見せてた。ご飯もバクバク食べてくれた!
あんな苦しそうな姿を見たら他の家族は泣いちゃうかもしれないな、と思ってたから安心した。
その日の夜、みんなが帰ってからまたしんどくなったみたいで、注射を半量だけ打ってあげた。
多分みんなを心配させたくないからいいところ見せようと頑張ってたんだろうな。
次の日、なんだか息がしづらそうにしてた。ゼェゼェ口を開けて息をしてる感じ?喉から変な音がしてる。
翌日がどうぶつ病院が休みの日だったので、その日のうちに見てもらうことにした。
しんどくなる=部分発作が起こってるということなので、抗てんかん注射を1日に3本打って、まずその発作をなくしてあげましょう。と言われた。
その日も注射を打ってもらった。でも息が荒いのはそのままで、寝てる間もずっと口を開けて息をしてた。お腹から息してる感じかな。
お昼に起きて息がうまくできずにしんどそうにしてる犬に注射を半量だけ打ってあげた。でもあんまり効果なくて。
唯一抱っこしてる間は寝れたみたいなので、家族で代わりばんこに抱っこしてた。置いたら起きるっていう赤ちゃん状態。
その日の夜中、またしんどそうにしてる犬に、注射を打つべきかどうか迷った。お昼は効かなかったし、息苦しいのと発作が本当に関係あるのかちょっと疑問だったから。
でも犬が苦しそうだから、少しでも寝れたらと思い、注射を打ってあげた。
母は苦しそうな犬を見て隠れて泣いていた。
夜中に何回も起きては息ができない犬を抱っこした。途中、晩御飯で食べたちゅーるを吐いて、ちょっと楽そうになったので、詰まってたのかもしれないな…。
次の日の9月14日、自分が一人で犬を見てた。朝から息がすごくしんどそうで、抱っこをしてもしんどそうだった。
体温がいつもより低く感じて、エアコンを止めて布団を何重にも着せて抱っこした。
息が苦しく口が閉じれないので、舌がだらんと垂れていた。朝ごはんのちゅーるもひと舐めもできなかった。
あまりにも舌が乾いてたので指で水をすくって濡らしてあげた。
もしかしたら今日か明日が山場かもしれないと思った。苦しそうな犬を見て、もう無理しなくていいんだよ、と思う自分と、もっと一緒にいたいと思う自分がいて、むちゃくちゃに涙が出てきた。
犬が寝れそうだったのでベッドに置いて仕事をしようとしたら、犬がキャンキャン!と吠えた。苦しいみたい。すぐに抱っこしてあげた。大丈夫だよ~と声をかけながら背中をさすってあげた。
そこから、犬の呼吸が今までにないくらい荒くなって、キャンキャン!と言ったあと、私の顔を見ながら荒かった息がスッと止まった。
私はパニックになって、声をかけながら、カイロで体を温めた、大丈夫だよ、大丈夫だよ、って。
そしたらこっちを見ながら、口がガクガクッと動いた。
多分「もういいよ」って言ってくれてたんだろうね。
朝からずっと苦しそうな表情してたくせに、最後は私の顔を見ながらめちゃくちゃ可愛い顔で死んでいった。
昨日から閉じれなかった口もすっと閉じて、くりくりした目でこっち見ながら、私の腕の中で逝った。
もちろん、覚悟はしてた。
でも耐えられない悲しみが襲ってきて、犬の体がびちゃびちゃになるくらいに泣いた。
最後まで頑張らせてしまった。十分頑張ってたのに。心配させないように可愛い顔で死んでった。
おっきくこっちを見てくれてた目を閉じてあげた。スッと寝れたみたいに、すごく穏やかな寝顔だった。
この2週間、薬なしではしんどくて寝れなかったから、やっと穏やかに寝れたみたいで安心した。
そこからベッドに寝かせてあげて、次の日の朝までずっと散髪してあげたり話しかけたり撫でたり匂い嗅いだりしてた。目の前でただ穏やかに寝てるみたいだった。
次の日、火葬に送った。大好きだったおやつをこれでもかってくらい入れてあげた。朝食べられなかったちゅーるもいっぱい入れてあげた。そこでは泣かなかった。ちゃんと送ってあげられた。
でもそのあとどうぶつ病院に挨拶にいったとき、いつもは犬を抱っこして連れていくから思い出して号泣してしまった。
昨日の夜、注射打たなかったら、もしかしたら、と思ってはあんなに苦しい思いをもうさせたくない、あれでよかったんだと色んな気持ちが葛藤して、涙が止まらなかった。
家に帰ってまだ犬の匂いがするブランケットを抱き締めて、いるはずの場所にいない虚無感に襲われて泣きながら寝てしまった。
起きたら犬は遺骨になって家に戻ってきた。
骨になった犬を見て、もう会えないんだなと実感した。
また涙が止まらなかった。
次の日もまた次の日も、仕事をしてたら大丈夫なんだけど、ご飯を食べてたり、テレビを見てたりすると、ふと最期が思い浮かんでは涙が出た。
犬を送って3日目、それが今これを書いてる今日。
昔の写真を整理しようと思って見てたら、2000枚以上あって、おバカなことしてる動画だったり、ご飯くれって吠えてる動画だったり、見てたらすっごく笑えて、色んな思い出が蘇った。
最後の1年間の介護生活の印象が強すぎて忘れてたけど、犬は17年間すっごい幸せに私たちと暮らしてきたんだった。
絶対に世界一幸せだったよね、ってくらいみんな犬のことが大好きだったし、犬も家族が大好きだった。
この辛さは多分人生で一番の辛さで、人生で一番の悲しみだけど、昔の犬の写真を見てるときだけが今唯一笑える時間。
天国では、自由自在に走り回って、大好きなおやつを食べまくって、グッスリ寝られてるといいんだけど。
もうきっと犬を飼うことはないけど、私が天国に行ったら絶対にまた一緒に過ごそう!
これから前向きに生きていくために記録として書かせてもらいました。
小学生のころからずっと一緒に育ってきた弟みたいな存在だったので、心にポカンと穴が空いてしまった感じで。最期腕の中で死んでいったのを思い出しては泣いてしまう感じです。
賛成 賛成 楽して大往生したい
今年の2月頃の話です。
なんとなく通販サイトを眺めていると、水産庁の事業(水産物販売促進緊急対策事業、もちろんもう終わっていますが)により、水産物の送料が期間限定で無料になる、とのお知らせがあるのを見つけました。
そして私は「せっかくだし、コロナのせいで会えてない祖父母にウナギでも送ろうか」とふと思い立ち、発送先を祖父母の家に設定しウナギを購入しました。
単なる気まぐれでしたが、祖父母は随分喜んでくれました。
さて、そんな祖父ですが、年齢も年齢だったためか、最近随分と体調が良くなくなり、そしてついに旅立ってしまいました。
まず大往生と言っていい年齢だったとはいえ、コロナで会えないまま終わってしまったのは心残りでした。
しかし、好物だったウナギを生前にごちそうしてあげられた事、そして祖母から聞いた「そのウナギを食べた時は随分喜んでいた」という話に、結構救われました。
もちろんそんな状況を想定してあの制度を作られたわけではないということは理解しています。あくまでも目的は事業者支援だったでしょう。
そしてその制度が適用されるよう努力された生産者や販売者の皆様も(客に喜んでほしいという意図もあったかとは思いますが)事業の存続のために努力なさったものと思います。
とはいえ、そのおかげで意図していた方向とはおそらく別な意味で救われた人間もここにいます。
農林水産省と水産庁、そして生産者と販売者の皆様、本当にありがとうございました。
庭に金木犀を植えたいと言って、苗木をホームセンターで買ったのは小学生の頃だった。テレビか本か、何かに影響を受けて憧れて買ったその苗木は、植えてすぐに虫がつき、葉はいつでも穴があいてひょろっとした実に貧弱な様子で、ただただ背丈だけを伸ばしていた。
葉付きも悪い病気持ちの金木犀につく花は僅かばかりで、正直植えて数年は自慢の匂いすら薄かった記憶がある。
そうして鳴り物入りで入ってきた若木の前に、我が家の小さな庭には外飼いのわんこがいた。飼い主の知識不足によって、若い頃からフィラリアにかかりずっと病気と闘っていた犬である。そういうと一見可哀想な様相だが、この犬は平均以上に丈夫な身体を持っていた。大きな身体と、ちょっとだけ荒い気性もあって外目には彼が病気でずっと薬を飲んでいるような犬には見えなかったと思う。
たまの発作で苦しむことはあれど、それ以外は概ね元気な子だった。
そんなわんこは持ち前の丈夫さで、大きい体躯ながら15年ほど生きた。
我が家のヒーローはある日突然階段を転がるようにいっきに容態を崩し、あっという間に天に旅立ってしまった。
そうして、彼がいなくなった頃から、帰宅する度に寂しい思いをしていた庭に大きな存在が目につくようになる。
あれほど何をしても貧弱だった金木犀がみるみるうちに枝葉を伸ばしはじめたのだ。薬をやめたにも関わらず、自分から病気を跳ね返し、翌年には幹を太くさせ、初めて大量の花をつけた。
ただの偶然だったのかもしれない。それでも病気の割りに驚くほど元気だった犬を思うと、この木から生命力を分けてもらっていたのか?と考えずには居られない。誰に言っても変な顔をされるが、あの木もわんこを助けてくれていたのだ、と私は思うようになった。
そうして、いくらも間を置かずに生後間もない捨て犬が寂しい我が家に転がりこんでくることとなる。二代目は初代とはまるで違う性格で自由奔放な犬であった。我が儘しほうだいの彼女は、初期のワクチンも手伝い、大きな大病もなく育ったが、晩年は脳梗塞を数度起こし、幾度となく快復しながらも、最後には寝たきりのまま逝ってしまった。二代目を亡くして日が浅いので、つい元気のない時ばかりを思い出すが、そんな彼女は19年と半年を生きた。中型犬にしては大往生といえるだろう。脳梗塞から三年ほどは眩暈と痙攣を繰り返し、何度も獣医に後遺症が残るかもと言われながらきっちり後遺症なく復活する姿はとても逞しかった。倒れたときすら今度も、と皆が思ったけれど、流石に本人の体力も限界だったのだろう。最後までよく頑張ってくれた子だった。
しかし、二代目が息を引き取る3日前。家族が金木犀の枝の殆んどを切り落とした。あの日を境に元気になった木は隣の家に迷惑をかける程に成長した為、仕方のない剪定ではあったが、整えるというにはやりすぎな程すっきりした姿に絶句したものだ。ただの迷信。ただの偶然。それでも、金木犀が自分が生きるための力を注いだがために、二代目の不思議な元気の糸が切れてしまったのでは?と思うのを止められない。
無残に切られた金木犀は、一年程の花は見られないと言われながらその年には新しい枝を伸ばし、見事満開の花を開かせた。実に生命力の強い木である。
テレビドラマ「北の国から」や「新選組!」、映画「学校」など、数々の作品で存在感のある役柄を演じて親しまれた俳優の田中邦衛さんが、先月24日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。
田中邦衛さんは昭和7年に岐阜県で生まれ、昭和30年、劇団「俳優座」の養成所に入りました。
昭和32年に「純愛物語」で映画デビューし、昭和36年から始まった映画「若大将」シリーズでは加山雄三さん演じる主人公「若大将」のライバル「青大将」の役を演じて、存在感あふれるコミカルな演技で人気を集めました。
その後も、映画化もされた民放の人気ドラマ「若者たち」で両親を亡くした5人きょうだいの長男の役を演じたほか、ヤクザ映画の「網走番外地」シリーズや「仁義なき戦い」シリーズでは、悪役としても存在感を見せるなど、幅広い役柄を演じました。
中でも、昭和56年に始まった民放のドラマ「北の国から」のシリーズでは、北海道富良野市の大自然の中で息子と娘の成長を見守る寡黙な父親の役を20年以上にわたって演じ、温かみのある演技で幅広い年代の視聴者をひきつけました。
また、平成5年に公開された山田洋次監督の映画「学校」では夜間学校に通う中年男性を熱演し、日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞しました。
このほか、平成16年のNHKの大河ドラマ「新選組!」では近藤勇の養父、周斎の役を演じ、平成17年にNHKスペシャルで放送された終戦60年企画のドラマ「象列車がやってきた」では戦時中の動物園で象を守り続けた飼育員を演じました。
平成11年に紫綬褒章、平成18年には旭日小綬章を受章しています。
田中さんは、平成22年に公開された映画「最後の忠臣蔵」に出演し、平成24年に亡くなった俳優の地井武男さんのお別れの会に姿を見せていましたが、その後、俳優活動から遠ざかっていました。
家族によりますと、田中さんは先月24日、老衰のため、家族に見守られながら息を引き取ったということです。
葬儀は家族葬の形ですでに執り行われ、お別れの会などの予定はないということです。
田中邦衛さんの死去について、30代の会社員の男性は「大往生ではないでしょうか。北海道といえば『北の国から』。『北の国から』といえば田中邦衛さんだというイメージです」と話していました。
また、50代の女性は「とても有名な方なので残念です。それほど年をとられていたなんて、知らなかったので驚いています」と話していました。
田中邦衛さんが出演した民放のドラマ「北の国から」を手がけた脚本家の倉本聰さんは「気持ちの中に大きな穴があきましたね。とにかく人間的にも友人的にも無二の人です」と心境を語りました。
また、このドラマでの配役について「さまざまな候補者がいてその中で誰がいちばん情けないんだろうという議論になって、邦さんになった」と明かしたうえで、「ドラマを通じてとても演技が成長していったと思う。彼の芝居は、本人はとても悲劇的なのに端から見ているとなんともおかしくなる。これが彼の神髄だと思う。情けなさの中に詩がある」と評しました。
そして「邦さんは亡くなったけれど、僕の中で、彼が演じた五郎は厳然と富良野で生きています。またあしたスーパーに行くと、『先生』なんて言われて肩をたたかれるような気がします」と田中さんをしのんでいました。
加山雄三さん「今は何もことばにならない」
映画「若大将」シリーズで田中邦衛さんと共演した加山雄三さんは自身のホームページでコメントを発表し「ショックです。邦さんに連絡をとりたくてとりたくて、ずっと気になってて、不思議なことに、2日前若大将のDVDで邦さんの姿を見たばかりだったんだよ。信じられない。今は何もことばにならない。寂しいよ本当に寂しい。邦さん本当にありがとう」とつづりました。
田中邦衛さんが亡くなったことを受けて、田中さんが出演した映画「学校」の山田洋次監督は「田中邦衛さんへ 善良が服を着て歩いているような人だった。一緒にいるだけで楽しい気持ちになるようなすてきな人だった。あんな俳優が、あんな日本人がいたことを誇りに思う」とコメントしています。
田中邦衛さんが亡くなったことを受けて、映画「最後の忠臣蔵」で共演するなど長年親交のあった俳優の役所広司さんは「邦衛さんには大変お世話になりました。ここ数年ずっとお元気なのか気がかりでした。スタッフにもキャストにも愛された、本当にすばらしい俳優さんでした。覚悟はしていましたが、悲しいです。邦さん、お疲れ様でした」というコメントを寄せました。
田中邦衛さんが亡くなったことについて、民放のドラマ「北の国から」の共演者がコメントを発表しました。
息子の役を演じた俳優の吉岡秀隆さんは「いつか、この日が来ることを心のどこかで覚悟しておりました。今は邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません。自分の覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」とコメントを寄せました。
また、娘の役を演じた俳優の中嶋朋子さんは「幼い頃から、今まで、何も変わることなく、人として、深く接してくださいました。田中邦衛さんという存在に出会い、見守っていただけたことは、かけがえのない宝ものです。役者として、人として、大切なものをたくさん教えていただきました。本当に本当に感謝でいっぱいです。大好きです。出会う人をみんな幸せにしてしまう少年のように無邪気な笑顔ばかりが胸に浮かびます。天国でも、たくさんの人を幸せにしてくださいね。ありがとうありがとうありがとう」とコメントしています。
「猫さんが死んじゃって、その次の日に私がコロナで入院しちゃってね…」
「私は大丈夫なの。でも、私のウイルスが猫さんに感染して、死んじゃったんじゃないの?って姉さんに言われて、もしかしたら、って思うと…」
とメソメソと泣き出し、おばちゃんも勝手なことを言うもんだとため息をつきながら
と強く、ゆっくりと話すと
「良かった。喉の小骨が取れた気分。ありがとう」
と、鼻をグズグズ言わせながら明るい声に変わった。
猫は、俺が中学生の時に拾って、今年の夏で20才、人間になおすと100才だ。
「猫さん、私が仕事から帰ってきたら玄関の真ん中で座っててね。小さい声で、かすれた声で、にゃー、にゃぁ、にゃ、って鳴いた後、そのままになっちゃった」
お互い看取り看取られの大往生じゃねえかよ、と、今度は俺が泣きながら言う番になった。
小型犬にしては長生きで元気だったのであと100年は生きるな~って思ってたけど今朝逝った
小さいころから一緒に遊んだり同じベッドで寝たりしてたけど、就職のタイミングで家を出た。
それからたまに帰って遊んでたけど、東京にいるので去年からコロナの影響で約1年間会えず。
親から送られてくる犬の画像を見ては帰りたいって言うだけで、もし誰かに感染させたらと思うと怖かったので帰らなかった。
で、結局死に目には会えず仕事中に親からの電話で犬の死を知った。
今思えば無理してでも年末帰れば、実家を出ず近場で就職すればよかったなとか色々思うけど、後悔先に立たずなのでこの選択が正解だと思うことにしてる。
犬 安らかに
コロナ はやくどうにかなって
現代人は殺されたい、終わらせてもらいたい欲求に飢えている。別に大勢からボコボコにされる必要は無い。ただ、たった一人によって闘いの末に大往生を遂げたいんだ。更に人間は低スペも高スペも等しく心に獣を飼っている。だが、低スペはその破壊衝動をかなえる術がないんだぜ。街に壊していいものはない。野生動物は人と闘わないから、自分と付き合ってくれるのは幻影ばかり。修練しても虚しいだけ。だからこそ、殺人ロボットを開発すべきだ。破壊衝動と希死念慮を満たし、孤独から人を解放してくれる。でも、そこには多くの課題がある。でも、人類の幸福のために解決すべきだと思う。
俺が思いつく課題は以下の通り
ロボットや兵器などが実物の人間に近づくほど戦闘力は高まる傾向にある。でも、ある程度近づくと戦闘力がグンと下がる。この現象を武神の谷現象と呼ぶ。そこを解決し、本物に肉薄できるようにすることが大切だ。更に肌触り、体温、匂いなども実物に近づけないと行けない。
・機械が"獣"を持てるのか
俺は感情を持った機械を知らない。ただ、こちらの言うことに反応して闘らせてくれるだけのロボットじゃ破壊欲求は満たせても、希死念慮は満たせない。だからこそ、外見だけでなく精神面も人間に近づけ、獣、あの恐ろしき獰猛さを理解できるロボットを開発すべきだ
・無条件で武人を破壊する様に設計されたロボットに殺されてうれしいのか
そんなのどんな音痴でも満点を出してくれるカラオケマシーンと同じだという意見があるかも知れない。正直、これは難しい問題だし、俺もどう解決すべきか見当もつかない。でも、それでも殺されないよりはマシだと思う。
人間は生物と無生物を区別し、前者を壊すことに歓喜をおぼえる傾向があるという。この心理をバイオクラッシャーと呼ぶ。だからこそ、人は獅子を狩ったり、食人植物を食らうのだ。最初から無生物と分かっている機械にあの高揚を抱けるのだろうか。これも難しい問題だ。俺も解決方法が分からないので優秀な増田に意見を聞きたい。
そもそも人間がこの世に必要だという保証がどこにあるのか。人間も所詮は偶発的に発生したに過ぎない。だからこそ、不条理に苦しめられるのだ。そんな苦しみを和らげるためにロボットは必要だ。機械に滅ぼされてしまうならそれもありじゃないか。苦しみながら存続するよりもいい。
殺人ロボットが開発されたら、現実の人間じゃ満たせない性癖も満たせるようになるぜ。全身の骨を折られたいとか、奇襲したいとか一般じゃ忌避される欲求だって満たしてくれる。理想の武人と殺し合うことも出来る。俺がもし殺人ロボットを発注するとしたら、身長1800cm、手足が長く、皮膚は合金製、拳が大きくて、腕の太くて、体運びのいいロボットをオーダーメイドで作ってもらおう。全員ではないにしろ、現実の武人は汚い。あいつら裏でネチネチ陰口言うし、暗器やWMD、ガスを平気で使うし、武士道的思考出来ないし、死体を家具にするんだぜ。殺人ロボットはそんなこと絶対にしないから、もし殺し合ったらやめられないはずだ。破壊や死に飢えてるみんな、殺人ロボットが開発されたら人生がバラ色に変わるはずだ
酒もタバコもやらず、食事も質素で論語を愛する真面目な人だったらしいが、女好きだけは生涯直らず、妾を何人も作って子供は20人以上、一説には50人いたとか、いないとか。花柳界ではモテ男として有名で、69歳でもなお子供できたそうな。
あの時代に古希を目前にして現役とは大したもんだ。体力も相当のもんだったんだな。91歳で大往生、晩年までかなりしっかりしてたらしいし。
現代とは考え方が違うから奥さんもそのへんは心得たもので、妾と3人で写ってる写真も現存。
奥さんは「『論語』とは上手いものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね」と語ってたという。
確かに、論語ってそのへんの話が出てくるイメージがない。いやごく一部しか読んだことないけど。
さすがに大河ドラマでは、そういう話はスルーするんだろう…と書いていて思い出したことがある。
その昔、自分が小学生の頃、大河ドラマで「春の波濤」という明治ネタをやったことがある。
主人公は川上貞奴という日本初の女優と言われる人(演じたのは松坂慶子)なのだが、もともとこの人は芸者さんで、伊藤博文(伊丹十三)に水揚げされるシーンがあった。
布団の上で、怯えるように横たわってる着物の松坂慶子の帯を解くところまで映像化されてて、そのシーンを親と見てて気まずかった覚えがある。
今どきの小学生と違ってオクテだったから、その先なにがおこなわれるのかはボンヤリとしか分かってなかったのだけど、これは詳しく親に聞いちゃいけないのは、本能的に感じたものだ。
話がずれたけど、渋沢栄一。
ある程度、女にモテたくらいの話はでてくるんだろうか?
祖母は夫を早くに亡くして戦後空襲の焼け跡に縄張ってバラック建てて子供を5人育てたような人。
私の母にはクソ姑だったらしいけどそれはご愛嬌。
それはそれは信心深くて、離れて暮らしてる私達が訪ねて行っても法話会だ報恩講だって出かけてしまってたり。
やっぱり娑婆の人間からすると身内の使ったお金は気になるもんで、御布施も結構してたんじゃないかな。バラック跡に建てた小さい小さい家で何の贅沢もせず、シワシワのくちゃくちゃになって最後は病院で看取られて亡くなった。
でね、私は新幹線の距離にいたんだけど祖母の葬式って事で駆け付けたのよ。やっぱりかそろそろだと思ってたってのと、もう一回くらいは会えるつもりでいたのになってのと半々。
どうしても気持ちが収まらなくて、通夜の夜に写経をしたのね。般若心経。初音ミクとかでブームになる前だったかな、でもこっちはそれなりにハマってたのよ。封筒に入れて、葬儀の前に導師の方と喪主の父が話す時に同席して、棺に添えて入れていいかって聞いたらさ。ダメだって。
なんかねーやるせなかった、祖母の影響も多少あって私なりに仏道とか色々と考えた上での般若心経であり、ひとつの見送るけじめだったんだけど。
黙って入れて宗教的に何かダメだったら祖母の信仰にミソがついたみたいで嫌だからさ。
でも遺族としての私の気持ちと、宗派の排他性と、導師の方の事務的な問答と、信心深かった祖母の預金は残り十数万円だったことと。
どうしたらよかったんだろう?
なぜネットユーザーは絶対正義であるかのように転売を叩けるのか?
少しでも考えれば転売を叩ける理屈などどこにもないと分かるはずだ。
このまま順当にいけば日本の格差社会はますます加速していくに違いない。
国民年金は年間80万円だが、厚生年金は一般的に国民年金の2倍以上の金額を受け取ることができる。
なお年間80万円という値は現時点のもので将来はもっと少なくなるだろうと予想されている。
年間80万円という金額でどのようにして生活していけばいいのか?
素直に考えれば年間80万円という金額で生活していくことは難しいだろう。
ではお年寄りは老後どのようにして生活費を稼いでいけばいいのか?
当たり前だが老後の体力の衰えによって体力を必要とする仕事は難しいだろう。
そうでなくとも雇用側の年齢制限によって採用される仕事の幅は狭められている。
「仕事の選り好み」以前の段階で雇用側の都合によって生活費を稼ぐことは難しいのだ。
膝の軟骨がすり減って、ちょっと動くだけでも激痛が走る。しかも膝の軟骨は修復しない。
ネットユーザーがいくらキーボードをカチャカチャしても、お年寄りの膝の軟骨は修復しない。
気持ちよくテンバイヤーを叩いているネット論客に膝の軟骨のすり減ったお年寄りを救うことはできない。
iPS細胞による再生医療が実用化でもされない限りお年寄りの膝の軟骨は修復しないだろう。
その点で転売は体力の都合や面接の必要のないという点でお年寄りが生活費を得るのには最適だと言える。
一日中ネットに張り付いているようなネットユーザーならテンバイヤーがホームレスを動員していることは当然ご存知だろう。
ネットユーザーはきっとそれを「ホームレスのような社会的弱者の足元を見る、悪のテンバイヤー」とでも思っているのだろう?
はたしてそうだろうか?たとえつまらない仕事でもホームレスにとっては貴重な収入源に違いない。
君らの職場にホームレスが「働かせてくれ」と頼み込んでも君らは「自己責任」と魔除けの呪文を唱えながら無碍に断るのだろう?
ネットユーザーは「年金で生活できないのなら、生活保護を受給すればいいじゃないか」などと安易に発想するかもしれない。
生活保護バッシングや水際作戦の厳しい現状では生活保護を受給できずに餓死するパターンもあるのだという。
生活保護を受給するにはノーガードであることが求められ持ち家を手放すだけでなく保険をも解約することが求められる。
生活保護と転売についてだが生活保護を受給する際には贅沢品は手放さざるを得ない。
転売可能なグッズはケースワーカーによってことごとく強制的に二束三文で転売されるのだ。
いくら口では転売を憎んでいると言っても社会的なパワーによって有無を言わさず転売することを強いられる。
転売を叩いているものは、恐らくは富裕層で将来は十分過ぎるほどの年金を貰えるに違いない。
まさか、将来年金が年間80万円しか貰えないフリーターが転売を叩いているなどということはあり得ないだろう。
富裕層は自分自身の安定した生活を確保した上で「最後は大好きなグッズに囲まれて大往生したいなぁ」などと企てているのだ。
転売によって大好きなグッズが手に入らないくなるから転売は悪なのだ。
いや、あるいはすべてを見通した上で「下々の者達の生活など知ったことか!」とまで考えているのかもしれない。
だが現実には純粋に悪意なく「転売は悪いことだから悪いんだ」などとトートロジーを浮かべて悦に入っているのだ。
ところでグッズを欲しがっているのが将来になんの不安もない富裕層だけなのかというと、どうやらそうでもなさそうである。
実際には富裕層よりも年間80万円勢が後先考えずに刹那的にグッズに浪費しているのだろう。
マジレスすると年間80万円勢はグッズをゲットしようとテンバイヤーとバトってるような場合ではない。
年間80万円勢が身の丈を考えて将来のために貯金するようになれば民草は転売に怯える日々を過ごす必要もなくなる。
一般的には90年台にフリーターというライフスタイルが登場したとされる。
あと、20年もすればこれらフリーター世代が年金受給者となるだろう。
そうなれば年金格差という「現実」が重くのしかかってくるわけだ。
お年寄りの賢いライフハックとして転売が今まで以上に盛り上がることはまず間違いない。
年金格差が解消されていれば話は別だが、それは希望的観測でしかない。
今、街を歩いている老人はなんだかんだで正社員で終身雇用だったから十分な額の年金をもらっているのだ。
本当の年金格差時代、ひいては本当の転売時代はまだ訪れてはいない。
転売(TENBAI)が世界語として通用する日もそう遠くはないだろう。
世界中の人々に日本が誇るTENBAIの名を知らしめてやるのだ。
今、転売を痛烈批判しているもの(アンチ・テンバイヤー)も、いざ自分自身が経済困窮に陥ったら、まず真っ先に転売という発想が脳裏をよぎるのではないか?
今は良くとも、70代、80代になったらどうか?
まさかせっせとかき集めていた大切なグッズを転売するなどということはあるまいな?
どうせ、いざという段になったらマッハで手のひらを返すに決まっている。
いや、それどころかアンチ・テンバイヤーほどテンバイヤーとなる素質を備えているのだ。
人々の想像するであろうテンバイヤーVSアンチ・テンバイヤーという構図は誤りであると言える。
テンバイヤーになる素質のない人々は、テンバイヤーを敵視してはいない。
テンバイヤーへの敵意には少なからず嫉妬も含まれているのだろう。
ちなみに「仮想通貨で老後資金を得ればいい」などという甘言を囁くものもいるかもしれない。
だが、考えなしにこのような甘言に乗ってしまえば待っているのはより一層悲惨な末路だ。
仮想通貨では税金が発生することに気づかずに高額な税金を支払えず自己破産するパターンがあるのだ。
さらに自己破産した場合でも税金は非免責債権なのでチャラにはならない。
読者のみなさんは紀元前の哲学者ディオゲネスをご存知だろうか?
貨幣偽造の罪で奴隷の身分とされてしまった、あのディオゲネスだ。
自己破産でも取り消せない負債を負ったものはさながら現代のディオゲネスとでも言うべきだろう。
下手に仮想通貨になど手を出してしまえば国家の威信をかけて嫌がらせされてしまう。
よほど知識に自身があるのなら話は別だが素人が触れるべきものではない。
インターネットで甘言を囁くものは、ただ情弱を養分に還元したいだけなのだ。
それで「君らは転売しないつもりなのか?」というところに話を戻そう。
転売行為を批判しているものも「金に困ったときはグッズを金に換えよう」そして「それは転売ではない」とでも考えているのだろう。
表向きは転売を批判しているようで内心では手持ちのグッズにプレミア価格がつくことは満更でもないのだ。
つまり「誰も手放さないからめったに市場に出てこない伝説のコレクターズアイテム」となることを期待している。
さも社会正義のような体を装っているが、やれやれ結局は損得勘定でしかない。
自分が「転売脳」でものを考えていることすら自覚していないのだ。
しかも未練がましく後生大事に抱えて長年に渡って死蔵した上での転売だ。
金目当てでさっさと手放す転売よりも、よほどたちが悪い転売ではないか?
しかも!そういうやつらに限って自分が手放すときはテンバイヤーによる市場価格を参考にするのだ。
いや「思い入れが深い」「手放すのは惜しい」などと言いながら値段を釣り上げるまである。
「(金目当てで愛のないテンバイヤーと違って)大事に使ってました」などと悪のテンバイヤーにマウントを取りながらいけしゃあしゃあと値段を釣り上げるのだ。
常識的に考えて商品に無関心でノータッチで倉庫に眠っていたテンバイヤーの品のほうがコンディションはいいのでは?
ところで「グッズを手に入れたい」という一点だけを重視するなら、テンバイヤーのいない状況は理想的ではない。
テンバイヤーさえいれば、金に糸目をつけない覚悟を持てばとりあえずグッズは手に入る。
「本当のファンなら周辺情報を常にチェックしてるから、限定グッズなどを見逃して買い逃すことはありえない」とでも反論されるかもしれない。
その分野にテンバイヤーは一人もいないというような状況は果たして本当に理想的だろうか?
金目当てで手放すものがいるから、新人がその分野に新規参入することができるのだ。
逆説的ではあるがテンバイヤーのいない分野はおのずと新規参入のない閉じコン(閉じたコンテンツ)となる。
テンバイヤーの有無でそれが決まる。
ここまでで普通に生きていれば転売は避けられない定めだと分かったはずだ。
そこで「俺は上位1%の上級国民だから転売などとは無縁の人生だ」という人々もいるかもしれない。
よしんば鉄の掟によって一生転売しないですんだとしよう。
金持ちほどマンションなど転売していそうなものだが、この際それもないものとする。
グッズの持ち主が死んだあとは、どうする?
死後の世界にグッズは持ち込めない。
遺族によって転売されるか?あるいは遺品整理業者によって転売されるか?
ただし価値があることに気づかれずに捨てられるということはありうる。
勝手に転売されることを防ぐには転売に追い込まれる前に捨てるか、無償で贈与するかしかない。
なお贈与する場合は贈与税を支払わなければならない点に注意しなければならない。
その点、グッズと違ってチケットは消耗品だから気楽で気ままではある。
ただ転売が悪という前提がそもそも間違っているのであってチケットは文字通り無駄金だ。
そして貧困層ほどチケットのような後に残らない刹那的な用途に金を使うという負の連鎖がある。
いままで「転売」と大雑把に扱ってきたが、転売にも種類がある。
転売の話題がこじれるのは転売と聞いてイメージするものに差がある側面が大きい
ネット上で話題となるのは大きく分けて「せどり」「ダフ屋行為」だろう。
他にも「プレゼントとして受け取ったものを転売する」行為の善悪が問われることもなくはない。
まず少なくともせどりに関しては「可」としていいのではないか?
せどりは中古販売なのだから古物商営業許可が必要だという議論になることもある。
しかし古物商営業許可の意味合いを考えるに「盗品販売を防止する」という意味合いが強いのではないか?
さて転売の中でもチケット転売に限ってはダフ屋行為であり犯罪であるとされる。
「ダフ屋行為が反社会勢力の資金源となる」というのがよく聞く決まり文句だ。
しかし「芸能界はそれほどクリーンなのか」という疑問が新たに湧く。
「反社会勢力の資金源となる」というまったく同じ理屈でショービジネス自体の正当性が危うくなるのだ。
反社会勢力云々という言い分はそれほど有無を言わさず通用するような絶対的なものか?
それにやろうと思えば適当な分野と反社会勢力を結びつけることはさほど難しくはない。
例えば「仮想通貨は反社会勢力のマネーローンダリングに利用される恐れがあるから全面禁止とすべきだ」と言うことができる。
でもショービジネスは文化だから保護しなくちゃならないというわけだ。転売とて同じこと。
転売ヘイターはこれら文章を読んで、何か思うところはあるだろうか?
否。おそらくは逆ギレして「じゃあ転売を法律にて完全禁止すればいいじゃん」などと言い出すに違いない。
よしんば法律にて転売を完全撲滅できても背景が変わらない限り待っているのはより悲惨な世界だ。
転売はあくまで金目当てであって悪意があるわけでも嫌がらせでしているわけでもない。
そこで全面的に転売を一律禁止としたところで転売or死という図式は微塵も揺るがない。
転売ヘイターは「転売するくらいなら潔く死ね」とでも思っているのだろうが。
なぜ転売ごときのことがまるで大罪であるかのように扱われ禁止されねばならぬのだ?
転売文化によって人々の目利きのセンスが磨かれるという側面もある。
人の心を持たない冷たい機械による仮想通貨のマイニングによって地球温暖化はますます加速する。
転売か?仮想通貨か?良心ある人々ならどちらを選ぶべきかあえて言うまでもない。
インターネットでは転売は絶対悪であるかのように扱われているが擁護しようと思えばこのようにいくらでも擁護できる!というお話でした。