はてなキーワード: 協議とは
昨年2023年ちょうど1月、婚活目的でマッチングアプリを使用し始めた。
それに加え、相談所を使う利点がないと判断した。理由は以下の通り。
言わずもがな。数十万する。
相談所の成婚率は10%〜20%とネットでは見るが、注意すべきは相談所の定義する「成婚」の概念は入籍ではなく、
成婚退会後高額な成婚料を払うことになるのだが、その後に婚約破棄することは十分にありうる。
そして、相談所は成婚退会後に婚約破棄したカップルのデータについては何ら公開していないのだ。
誰がどう調査して「相談所で結婚したカップルの離婚率は10%」という数字が出たのか、根拠がどこにもない。
宣伝文句と捉えてよさそう。
ところで、離婚理由に関する公的な統計はないけれど、司法統計では「性格の不一致」が離婚理由として最も多い。
(ただ司法統計は離婚調停のように法的手段に出た場合の統計なので、そこまでに至らない協議離婚の場合を含めた場合までは分からない)
仮に性格や価値観の不一致が最も多い離婚理由だとしたら(というか一番多い理由だと個人的には思っている)、
3ヶ月とか6ヶ月そこらで相手の普段の地の性格を理解して、自分が受け入れるには、短すぎる期間だと思う。
相談所でいい人見つけたと思ったけど破談したというケース、案外あるんじゃないの?
結婚相談所は3ヶ月とか6ヶ月で結婚相手を決めないといけない。
短期決戦であるゆえ、条件を明確にしないと成婚退会のゴールがはっきりしないから、どうしても条件先行になる。
ただ、人との生活なんて条件だけではないと思うのだよね。
だから、相談所で良い相手に巡り会えるなんて、ごく小数の人にしかできないと思う。
というか、3ヶ月とか6ヶ月で会員が成婚してもらわないと相談所しては商売が成り立たないのだろう。
もう書いた通りだけど、ネットの婚活情報なんて大半は結婚相談所のステマというか、宣伝だ。
結婚相談所は元手なしで出来る商売で、ネットで集客するようだから、そうなるよな。
なぜ、「2020年の離婚件数÷2020の婚姻件数」のように同年の数字で計算するの?
2020年に婚姻したカップルがその年に離婚すればその計算式でいいけど、違うでしょ・・・。
2020年に離婚したカップルはそれ以前(2000年かもしれんし1980年かもしれんし)に結婚してると思うけど、
少子化もあるのか婚姻件数は年々減少傾向にあって、分子は大きくなる傾向にあるのでは・・・? え、違う?
ペアーズを使った。
1年間で会った人数: 10人
そのうち交際に発展した人数: 2人
交際に発展した1人とは6月頃に婚約し、結婚指輪も買い、両親への顔合わせと式場選びまでしたものの、
重大な持病を婚約後まで隠したことが発覚し、その上、お相手の両親がやたらと二人の関係に介入する人たちだったので、我慢ならず関係を絶った。
お互い子供がほしいことで意見一致してたが、お相手の女性は子供ができにくい体質らしく、それを婚約後まで隠していた。
問い詰めると「だから何?」という横柄な態度で、悪びれる様子は一切なかった。
交際中はこんなふうじゃなかったんだけど?
あと、お相手の女性の両親が介入しすぎる件については、彼女(僕の婚約相手)が親の言うとおりにするだけで反論も親には一切せず、
配偶者になるであろう僕の想いは全然斟酌しない人だから、ああ、これは止めた方がいいなと。
まー、くせの強い人が多い。
あと、30代後半以上になると「男は女性に奢りなさいよ」オーラ満載の女性の割合が増える。
何で?
自分の気持ちを伝えて「いつも僕が出してるとお金がなくなっちゃうから、時折は出してほしいな」と伝えると、
それ以降は割り勘にしてくれるようになった。
まだ前途は分からないけど。
" アプリはなー、持病持ち、複雑な家庭事情、宗教の子が普通より多かった印象ある。相談所だと隠せないような地雷持ち率がやや高い"
"結局6か月で婚約まで行って合わない所を見抜けずに破談してたら増田の腐す相談所と同じじゃない?"
なら、自分の自由にできるアプリのほうに利点がありそうですね。
というか、大抵の相談所は3ヶ月だから(6ヶ月の延長期間を設けてるところもあるが)、相談所なら余計に分からんかっただろう。
アプリも相談所も同じとあなたが考えるのなら、ガチガチのシステムやルールがある相談所よりアプリのほうが良くないか?
"結婚相談所の成婚退会率が10〜20パーセントを低いという割にアプリのスコアは11パーセント(もう1人は進行中)"
計算の仕方がおかしいです。成婚退会率は「出会った人数」で計算するのとは違うと思いますよ?
"結果は同じでも、数十万円払わずに済んだことを正当化するのに必死な面が窺える。増田にとっていちばん大事なものはお金なんだね。"
思ってませんね・・・。
本文を読んでいただければ分かると思いますけど、カネだけ書いてるわけじゃないでしょう。
あと、相談所で婚活しても、婚約破棄は普通にありうることだと思うよ。
前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221404
本章は、マジメに仕事をしてる人にとっては厳しい描写がある。F君が4年目の頃で、福祉課では「コミュ障だけど実力者」という位置づけになっていた。いや、実はコミュ障じゃなくて、そういう演技をしてるだけなんだが、とにかく皆飲み会ではそんなことを話していた。
この頃、福祉課が所管となる新しい公共施設を作ることが決まった。立ち上げの意思決定は偉い人がやって、後は福祉課という単位で内容検討及び整理(企画、運営内容、スケジュール、職員体制、間取り、地元の関わり、国や県の補助金、外部識者を交えてのミーティングその他多数)をすることになってた。
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エピソードの前に話しておくことがある。
地方公務員の場合は、民間企業に比べて権限を持つのが遅い。行政権力を持つのはベテランになってからでないと危険、という考え方による。地方公務員の場合、物事を決裁する権限の最低役職は課長級である。民間でいう部長ほどの位置づけになるのは50代半ばか、早くても50代になってからだ(役職に年齢要件がある。課長は満45才など)。
民間だと、できる人は40才くらいで部長になるわけだろう。遅すぎるとは思うが、でも30代の人が生活保護適用とかの決裁権を有するのは怖いような気がする。正直何とも言えない。
ところで、当時の福祉課長(ハムスターの人)も、民間業界で例えると部長クラスだ。といっても、本人は会議で下の職位の人間が言うこと(各グループリーダーやF君の企画案を含む)を代弁するだけで、本人は大したことは考えてなかったと断言できる。
ただ、見た目は貫録があった。それで、偉い人が集まる会議でドーン!! と意見を言ってくれるのはありがたかった。しかし、難しい仕事になると部下に丸投げだった。課長としての実力はなかった。
ではなぜ、ハムスターに課長職というランクが充てられたかというと、平成の大合併の際に福祉課長がいた自治体が当市とくっついたのだが……市町同士の合併協定の中に「○○町の出身者は、別表に従って一定の職位に就かせる」というのがあった。ハムスター課長もその例により昇進していた。
例として、合併直後は十人以上を管理職に就かせる決まりで、合併から10年後は五人以上を管理職に就かせるみたいな感じだ。当市の共有フォルダの隅っこにあった合併時の協定書(スキャンデータ)に書いてあった。
このルールは、個人的にはアリだと思う。というのも、吸収合併されるくらいの自治体だから、力がないわけだろう。でも当市の一部ではある。放置はまずい。よって、その自治体出身の人を一定数昇進させることで、まちづくりの力がダウンするのを防ぐことを狙う意味では、妥当な措置だと感じる。
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話を進める。
上で述べた新しい福祉施設の関係で、福祉課メンバーが建築系の部署がある階に行くことになった。建築の部署(住宅グループ)に今後の施設設計の予定とか、議会説明用の視点とか、入札スケジュールとか、いろいろ打ち合わせる必要があったのだ。
戸籍課とか市民税課は市民でごった返してるけど、土木建築フロアはそこまで客がいない。市民というよりは業者がメインだ。
その話し合いの際、Dさんという建築専門職の人が打ち合わせに出てきた。50代前後の人で、役職なしだった。ここに来る前に聞いたところだと、建築職も事務職もできて、土木建築系のプロ資格をたくさん持っている。入庁3年目で一級建築士試験に合格したらしい。これまで市内の公共施設の設計をいくつも手掛けた、と本人が言ってた。
近年だと、自治体職員じゃなくて建築コンサルが公共施設の基本設計・詳細設計をする(※職員は最低限の図面だけを描く)ようになっている。そんな世の中の流れが悔しいと漏らしていた。
このDさんという人だが、これまでに見たことがないタイプの人だった。悪い意味で。この打ち合わせには、俺以外に総務グループリーダーと、そしてF君が施設管理部門の代表として来ていた。F君がいるグループのリーダーは、訳あって病気休暇に入っていた。一応犯罪がらみだ。詳細は述べない。
というわけで、まずは協議机に座ってF君が挨拶をすると、Dさんも話を始めた。
「お疲れさん。あんたとは初めてだのう」
「はい。初めてです」
「はい、ありがとうございます……」※何かを察して表情が曇る
「緊張すなよ。共通点を探しとるんだから。大事じゃろ。あんた、前はどこで働いとったん?」
「広告代理店です」
「ほー、うちの息子も広告業界で働いとる。どこの会社におったん?」
「電通です」
「電通!! やるのお。うちの子はアサツーよ。ちょっとは繋がりがあるのう」
「ADKは面白い会社ですよね。夢があって、挑戦的で。キャラクターや版権の仕事とかされてるんです? 息子さんは」
「それが教えてくれんのよ。親に仕事の話を。あんたは何をしとった?」
「キャラクタービジネスをしてました。日曜朝にやってるアニメとかの」
「早稲田です」
「そうか。ワシは○○で○○をしとった」※理工系
「第一志望です」
「ほうか。東大の滑り止めで入ってくるヤツも多いからの。これは……意外と繋がるのう」
「はい」※F君が照れ笑い
それから、公共施設の話はスムーズに進んだ。Dさんは頭の回転が速かったし、知識や教養もすごかった。含蓄に富んだ話をしていた。ただ、役職はなかった。いわゆるヒラだった。一応は主査級だったが、ここまでは年齢で自動昇進する。役所内だと主査はヒラ扱いである。
話はサクサクと進んだ。Dさんの上司も同席してたけど、口を挟むことは一切なかった。時間が経って、打ち合わせが無事に終わって雑談をしていると、同じ建築部署(住宅グループ)の年配女性職員がDさんが座っているところに来た。
「すいません、割り込んで。○○会社さんが急ぎということで電話を」
「あ……? 何を言うとるんじゃ。ワシが今何をしとるかわかっとんか?」
「先方に説明したんですが、急ぎということで」
「何をしとるかわかっとるんかっ!! なんで打ち合わせの時にっ!!」
※ここで、Dさんが持ってた筆箱で協議机をガンガンやりはじめた
「なんで邪魔をするんならぁっ!! お前、自分がなにしとんかわかっとるんかーー!!!!」
「……」
Dさんの上司が、「うん。Dさん。では、後でかけ直してください」と諫めたが、「あ!? かけ直すじゃと……? 協議が終わったんだろうが、じゃあ向こうが優先に決まっとろう、すぐ出るわ……おい、お前はアホなんか?」と、Dさんが上司に食って掛かった。
「すいません……」
「二度とすなぁよ」
「すいません」
そそくさと、席を立って俺達は帰ろうとしてたが、F君がDさんに「ちょっと。怒っても何にもならないんじゃないですか?」と言った。
「なにが、どうにもならんのじゃ!!」
「怒っても、Dさんの……」
「あ?」
「Dさんの」
「あぁ!? 若造が。なんならあ、お前。ボケじゃのう。おみゃあ、○○○でも○○○○でもなかろうが。まともにせえや。ワシは仕事をまともにやっとろうが」※差別的な言葉のため伏せている。
「話を聞いてください!」
F君がヒートアップしはじめて、Dさんがさらに激昂したところで、無理やり席を立って帰った。フロアを見渡すと、お客さんであろう業者の人は……ほかの部署でフツーに接客対応を受けてた。取り乱した様子はない。
また別の業者は、汚いものでも見るような視線でこっちを見ている。きっと、帰りの車の中で噂をするのだろう。
市営住宅管理システムと思しきパソコンを保守点検していたベンダー会社の人は、落ち着かない様子で「どうしよう……」とまごついていた。
少数いた一般市民の人は、「なにがあった?」とこっちの方を遠目で眺めていた。やはり、家に帰って噂をするのかもしれない。
それから何度も建築部署に行くことがあった。できれば行きたくなかったが。打ち合わせに行かざるを得なかった。
多くの地方自治体ではそうだと思うが、建築部署というのは花形のひとつだ。なんたって公共施設を作るわけだから。この部署で「まちづくり計画」とか「都市計画マスタープラン」とか「○○市総合計画」みたいなものの骨子が作られて、後は企画調整課みたいなところが関係課を周って肉付けして、最後に専門コンサルに投げて、その自治体の行政計画(プラン)が出来上がる。
そういうわけで、偉い人が承認した都市計画のひとつである福祉施設の着工にあたっては、この部署と話し合わないわけにいかない。絶対的に必要なステップだった。ただ、次の話し合いからはDさんは混ざらなかった。建築部署が配慮してくれたのだろう。
以後、建築部署に寄った際にDさんのヒドイ光景を何度も見ることになった。最低でも三度は見た。上司とか、同僚とか、市民(業者含む)に対してとんでもない発言をしていた。5つだけ抜粋する。
「私は出世はしなかったし、今後もしない。市が自分に一体何をしてくれたのか。私はヒラだから、ここに尽くす義理はない。それは出世した人間の仕事である」
(〃)
「この部署(住宅グループ内の一般住宅担当の意)は、どの職場でも相手にされない人間が配属される掃きだめである。箸にも棒にもかからない連中が集まっている」※真偽不明。俺に言わせると違う。
(上司の机の前で)
「ワシはやる気はないんじゃけ、もう難しい仕事とか振るな。時間の無駄よ。早期退職も考えとる。定年までゆっくりさせてくれ」
(連絡や報告をして、と言う同僚に)
「何を言うとる。自分で判断せえ。必要な情報はぜんぶお前らにやっとる。ワシが嫌いなら話しかけるなや……」
「なんで変更するんな。ちゃんと二次製品使えや!! 出入口にブイユー(?)だと車が通ったら潰れようが。このままだと建築確認下ろさんけえの。やり直しよ、こんなん……」「あ? 利益にならん? お前の会社の利益と、棲む人の利益とどっちが大事なんじゃ。言うてみい」
こんな醜い光景を、廊下で見てる人がいた。当市に部長待遇で採用された人だった。Dさんとそこまで年齢は変わらない人で、苦虫を嚙み潰したような顔で眺めてた。人事のプロらしく、以前に庁内回覧で読んだところだと、前はリクルートで働いてたらしい。それだったら多分すごいのだろうが、でも俺はこの人が嫌いだった。
というのも、Cちゃんが試用期間で切られたのって、この部長の人が関係してると思う。これまではそんなことなかったのに、なんであの年度になって、急に試用期間でクビなんてことが起こるのか? 当市は間違った方向に舵を取ってるんじゃないかと弱輩ながらに感じた。
ところで、やっぱりDさんも不思議だったよ。あの後、Dさんがキレた女性職員にも、F君にも、ほかの職員にも、ニコニコしながら話してるのを見た。「さっきはすまんのう。怒鳴ったりして、ごめんの!」とニコニコしながら言ってた。到底同じ人とは思えなかった。人間というのは、こういうものなんだろうか?
俺は下賤な法律家だ。
大学在学中に予備試験の合格を目指すも失敗し、法科大学院に進学してようやく司法試験に合格した。
判検任官もできず大手法律事務所に入ることもできず、新興住宅地や子ども園が次々と整備され人口を伸ばしている地方都市の事務所に入った。
当初は経験を積んで大手の事務所に移るか独立を目論んでいたが、事務所の居心地の良さや町弁としての仕事にやりがいを感じ今に至る。
町弁として交通事故、相続、共有物分割請求など手広く扱っているが特に多いのが離婚問題。年末年始は家庭問題で初回の無料相談に来る方が多い時期である。
以下、よくあるケースを紹介しつつ、家庭の問題で悩む方が一人でも少なくなるための個人的な見解を示す。
考え方や価値観、性格のズレが共同生活や出産によって顕在化し離婚に至るケース。相談には来るもののこちらの出る幕はあまりなく二人の話し合いにより解決することが殆ど。
大抵、夫にモラハラしている自覚は一切なく、自分は優しい夫であり家事にも子育てにも積極的な令和パパだと自認しているから厄介だ。
またモラハラ夫は家族や周囲を全面的に味方にしている事が多く相談に来る時点でパートナー女性は孤立し疲弊していることが多い。
粘り強く夫にパートナーの精神的被害を訴えて説得して納得してもらうことになる。
ちなみにモラハラ夫は離婚がいざ成立し一人になったり実家に戻ったりするとモラハラ夫としての自覚が芽生え深く後悔することが多い。元配偶者にとっては大変に腹立たしいかもしれないが、元モラハラ夫の再婚はうまくいく例が多いのだ。
モラハラ夫と離婚した女性が「再婚して家庭が上手くいっている元夫」の話を聞くことになっても「自分に至らない点があったのでは」と自責する必要は全くない。
大抵は夫に前科があり、それを許した過去があり、夫は「遊びくらいで愛する俺と本気で離婚するつもりか?帰れる場所があるから遊べるんだ!」と口には出さなくてもマジで思っている。
例え不貞の証拠があっても裁判にまで至ることはなく、ほぼ協議で片付く。
配偶者の離婚の意思が本気とわかると夫はすぐに納得して終わる。
妻の不貞発覚→妻のカミングアウト→夫の離婚拒否により相談に来るケース。
修羅場モノにあるような「夫が妻の不貞の証拠を用意周到に揃えて離婚の意思を持ち相談に来る」というケースは現実には殆どない。
大抵は不貞をカミングアウトし離婚を申し出たものの夫が拒否し、妻が一人で、或いは不貞の相手を伴って相談に来るケースが多い。
妻側に修復する気はなく慰謝料を払ってでも離婚したいと意思を固めていることがほとんどであり、双方が裁判を望まないケースが多いので徐々に提示する条件を引き上げていって修復意思がないことを夫側に伝え納得してもらう必要がある。
ちなみに大抵このケースでは夫側はモラハラを併発している。
不貞を擁護する気はない。ただ、10年近くの経験の中で既婚女性の不貞に夫側の非が一切無かったことはほぼなく、大抵夫に愛想を尽かした先に不貞がある。
独身で妻も子供もいない俺に言われても納得いかないだろうが、家庭が上手くいかない原因は大抵夫側にある。
「良い夫」や「良い父」であろうとするよりも、ましてやそれを家庭外の他人に披露して称賛してもらおうとするよりも、パートナーが何を求めているかを考えることが重要である。
仕事帰りに気まぐれを起こして妻に花やケーキを買って帰宅して得意顔になるよりも、妻が食事の支度で手が塞がっている間に子供の相手をし、妻が子供の相手で手が塞がっている間に洗濯物の取り込みでもした方が良い。
良いお年をお迎えください。
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231216182406
このトピックで最後である。そんな不愉快な出来事が、私が指導課長として勤めていた三年間ずっと続いた。多い時だと、週に二度も三度も、人間としてあまりにレベルが低い言動を間近で見ることになった。これなら中学生の方がまだマシだと思えるほどの。
三年目のことだった。腹に据えかねた私は、教育長や教育局長も交えての会議の折に、別件として提案したのだ。「社会教育課を本庁部局に移管できませんか?」と。2人とも賛成のようだった。だが、案の方は当然ながら私の方で考え、提示する必要があった。
次の人事異動を見据えると、部局レベルの人事案は秋までに固まる。それまでになんとかする必要があった。時間の合間を縫って、休日にも出勤して、社会教育課を教委事務局から出すための方策を考えた。
本来、こんなことをしている時間はない。本当にやらないといけない教育行政上の課題はいくつもあった。学校の統廃合案を考える必要があったし、文科省に上申すべき学校教育の新制度のこともあった。
そんな中、校内暴力という至急の案件が生じた。特に時間を食わされた。
あれは秋頃だった。全校集会の際、体育館の中で男子生徒同士が喧嘩になった。片方はいわゆる不良タイプで、もう片方は学級委員を務めるなど真面目な子だった。
後者の子が、整列の仕方や身だしなみについて注意をしたところ、不良タイプの方が激高してしまい、取っ組み合いとなった。そして、顔を蹴って下顎を骨折させたという。その場で教師が止めに入り、ケガをした子は病院に運ばれ、不良の方は別室に隔離して事情聴取をしたという。
ただ、そのケガをした子の父親が、「どうして警察を呼ばなかったのか?」と教委事務局の窓口に苦情を申し立てた。窓口で話を聞いた一職員で対応できるはずもなく、私を含めた指導課の数人で親御さんから話を聞くことになった。
・校内暴力について、学校として警察に通報する基準を教えていただきたい
・再発防止策を教えてほしい
親後さんの主張は尤もだった。私はこの手の問題に対処したことがある。この案件においても、誠意によって説明した。私個人の手帳にメモが残っている。
「この度はこのようなことになって申し訳ない。お子さんには全力でフォローします」
「教育活動の一環だからです。なぜ暴力という罪を犯してしまったのか、保護司やスクールカウンセラーなども交えて加害生徒と話し合い、正しい方向に導くことが第一です」
「でも、犯罪ですよね。公務員には通報する義務があるんじゃ?」
「警察というのは、犯罪を捜査するための組織です。学校内でのことは、犯罪以前の段階であると考えます。まずは学校が、教育者という立場で解決に当たるのが本来の姿です。T区の警察の方とも、過去にそのような認識を共有しています」
「呼んでいただいてもかまいません。ただ、家庭裁判所への送致が必要な、いわゆる少年審判によらねば収まらない案件でない限りは、警察は教育現場に介入しません。私たちに解決を委ねます。経験上はそうです。当方としましても、警察への通報というのは、学校が教育理念に基づいた人間教育を怠ることだと考えます。暴力という結果だけで法律を適用し、犯罪事件として生徒が裁かれることがあってはなりません。2人とも、当校の生徒なんです」
「絶対に、以後このようなことがないよう、加害児童への指導を徹底します。お約束します。お子さんには誠心誠意、教育の専門職による面談・フォローをします」
「絶対に、再発だけはさせないでよ」
※ここで親御さんが退席
要約こそしたものの、この話し合いは午後八時~十時に及んだ。
「お約束します」と言ったが、むろん約束などできない。だが、ああ言わねばならなかった。教育者としての、教師としての『矜持』の問題である。
上の話し合いだけではなく、それに付随する学校への聞き取りや報告用の記録作成など、業務は多岐に及んでいた。事件から三週間が経つ頃には時間外勤務から解放された。あのような月日は久々だった。トラブル対応に心は踊って燃え上がるが、残念ながらこの齢になると身体がついていかない……。
しかし得られた成果もあった。社会教育課を放逐することについての気づきを得られた。事件性である。事件性があれば本庁人事部局も動く。それこそ、新聞沙汰やニュース報道されるほどのリスクがあると人事部局が認識すれば、事は進むに違いないと感じた。一般的に、社会教育というのは教育委員会にあるべき事務分掌である。覆そうと思えば大きな何かが必要になる。
それから時間は経ったが、二方向からのアプローチを採ることで教委内の意思形成が図られた。一応は、社会教育課にも本庁移管について話を通した。本庁の人事部局にこのような提案をしようとしていることを社会教育課長に協議したところ、「それで問題ない。私も基本的には賛成である。ほかの課を観察していても、ウチの課は異常である。残念なことだが……今の構造では、なにをしようが変わらない」という答えがあった。個人的な範囲であれば、協力もしてもらえるという。
【アプローチ1】
これまでの社会教育課の問題行動およそ30点ほどを報告にまとめる。趣旨は「教委事務局というのは、良くも悪くも縛りや監視が少ない。社会教育課を管理統制の取れた本庁に移すことで問題の芽を摘むべき」
【アプローチ2】
全国の自治体の例を調べたところ、社会教育に関する業務を首長部局に移管している例が見られた。学校教育以外の教育活動については、市長の指揮の元、自治体が一体として取り組むべき~という観点から全国的なトレンドになりつつあるようだった。社会教育課長からの応援もあり、こちらの方向をメインに据えた。
残念ながら、私が教委から異動して学校現場に戻る方が早かった。それから一年後、社会教育課は今時風の部署名になって市長部局に移管された。
望みが叶った。教委事務局にとっても、本庁にとってもこの方がよかったに違いない。それから何度か、本庁に寄って元社会教育課を眺めたことがある。心なしか、以前に比べると雰囲気が違った。いい意味でピリッとしていた。
周囲の監視の目があると違うということか。教委事務局の庁舎には、あまり多くの人が来ることはなかった。職員が伸び伸びとすることができるが、反面やりたい放題ということでもある。
相当の文量になった。これを書くのに丸一日かけている。始めは、この記事を書こうか否か迷っていた。当方は、40代の頃からはてなのブログサービスを利用しているけれども、このような内容は個人ブログで書けるものではない。書くとしたら、このはてな匿名ダイアリーしかなかった。
気分を害された人もおられただろう。申し訳ない。その場合は、容赦なくコメントにて叱責をお願いする所存である。ここまでお読みいただき感謝する。
このへんのブコメ見て思ったんだけどさ、
野党支持者に腹が立つ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231215161822
窮地の国民民主・玉木氏 トリガー凍結解除、公明幹部が協議打ち切り示唆
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20231215-X5TYCZ3P3NOQVDPT7GVITBQSPY/
第1自民党がクソすぎるとは国民みんな思ってるんだよ。だから自民党の支持率はだいたいいつも2割を切っている。
「統一教会と無縁で、今ほどカネに汚くない、若干リベラルな、まともな自民党」の登場が待ち望まれているのではないか?
もしくは、自民党がクソな政策や舐めたことをやらかした時に、代替案として浮上するための、単純に「もう一つの自民党」でもいいのかもしれん。
維新が立憲より支持率が高いのは「うーん、まだ維新の方が第2自民党っぽいかな」と思われているからだよ。
かつての日本は、自民党内で第1自民党と第2自民党がお互いを監視し、自浄作用が働いていた。それでまあまあうまくいっていた。
野党のどれか、維新でも立民でもなんでもいいのだが、その野党が第2自民党になってくれれば、
政治に緊張感が出るし、腐敗もある程度食い止められるだろう。
はてブで自民党や維新に呪詛を吐いてる人たちは「愚民が洗脳されてネトウヨ化しているのだ」と思ってるのかもしれんけど、
自民支持者や維新支持者ってリベラルなんだよね。別にネトウヨでもなんでもない普通の日本人なわけ。諸外国の「極右政権」と比べたら自民党は極左政党だよ。
自民支持者 60・3%が賛成
維新支持者 86・9%が賛成
立民支持者 74・0%が賛成
自民支持者 57・2%が賛成
維新支持者 74・8%が賛成
立民支持者 68・1%が賛成
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231212192423
一人目の職員である。この人は女性だった。勤務態度は、ありていにいえばやる気がない……ということになる。社会教育課は、当時約15人ほどの部署だった。T区の社会教育に関する機能がこの一部署に集約されている。
ところで社会教育というのは、「学校・家庭以外の広く社会で行われる教育」をいう。身近なところだと、公民館でのサークル活動(生け花、カラオケ教室、絵画体験、パン作りほか多数)や、少年自然の家などの公共施設での活動講座や、大学で行われる公開授業、民間企業による通信教育、カルチャースクールもこちらの仲間だ。
Aさんは、そういった社会教育活動のうちスポーツを主に取り組んでいた。児童向けの運動体験教室や、レクリエーション行事、各体育協会と共催するイベントを担っていたという。体を動かす仕事である。
Aさんは高齢だった。50代半ばほどか。過去にスポーツの経験はあったというが、足腰が弱っている印象があった。私の視点だと、彼女には体育活動の振興とでもいえばいいのか、そういう仕事に適性はないように思えた。
※熟練の増田読者であればおわかりだろうが、人事部局としてはAさんが早期退職するように仕向けている。
それにしても、Aさんは士気が低かった。私やほかの仲間が仕事に集中している時でも、Aさんの上司である係長とやり合っている声が聞こえた。ひとつだけ挙げるとしたら、Aさんが仕事が間に合わない旨を述べた場面だ。当時の手帳に控えている。口調は文語とする。
Aさん「イベントの準備が間に合わない。だが今日は帰らないといけない」
係長「状況はわかった。それでどうする?」
「私は午後6時に家に帰らないといけない。何とかしてほしい」
「あなたの仕事である。時間外勤務をしてでも、休日に出てでも終わらせる必要がある」
「定時になったら帰る。休日も出られない」
「何か理由があるのか」
「断る」
「そんなことができると思っているのか。これは上からの指示である」
「関係ない」
「何が関係ないのか」
「公務員は上司の命令に従う義務が法律で定められている。そんなことも知らないのか」
「知っているが、今この状況と何か関係があるのか?」
「たとえ頭に拳銃を突き付けられても、人には抗う自由がある(※1)。私は自分の責任でそうすると言っている。どうしても家に帰らないといけない」
「そんなものは屁理屈である。これから課長にも相談するがいいか?」
「どうしてもと言うなら、(労働)組合に相談する。組合の女性部に言って、あなたのことを組合新聞の記事にしてもらう。不当労働行為は許さない」
「好きにしろや、ボケッ!! 我儘言うならさっさと辞めろ。この職場から消え去れや。人間の屑が」
「労働者の権利である。次にそんなことを言ったら、組合があなたを許さない(※2)」
※1…夜と霧の著者であるヴィクトール・E・フランクルがアウシュヴィッツ強制収容所にいた時の矜持のひとつ。頭に拳銃を突き付けられて、「殺す」と脅されている状況でさえ、人間には命令を拒否できる(運命に抗うだけの)意思の自由がある、という崇高な喩え話。
係長が口汚い言葉を発した直後、ほかの女性職員が間に割って入った。その人は、係長とAさんの間を取り持つことに成功したようだった。社会教育課の数少ない『良心』だった(Aさんの仕事はこの女性が片付けた)。この人のおかげで、教委が恥をかかなくて済んだ場面がいくつもある。今でも感謝している。
あの連中は、指導課が普通に仕事をしている時も、オープンの協議机で話をしている時も、小中学校の校長や教頭が来庁している時ですらも、あんなやり取りをしていた。
Aさんに限らず、ほかの職員もそうだった。社会人とは思えないほど粗暴な物言いだった。職場の人間関係は悪かった。目の前の来庁者に対して申し訳なくなる。
実際、あなたが標準的なはてな民であると仮定して、公務員にはどんな人がなると思うだろうか? 「焼酎学校の中でも真面目だった人がなるのでは……」といったところか。
国や県の職員の場合はそれで合っているが、例外がある。市区町村の場合は、いわゆる不良やヤンキー、チーマーといった類の人間が公務員試験に合格することがある。筆記試験のボーダー点数が低いのと、地元出身者優先という原則があることによる。地元に思い入れのある人ほど内定を取る構造がある――と、T区の幹部職員から酒席の場でうかがったことがある。
Aさんのほかにも、50代後半の男性職員が社会教育課にいた。その人は、Aさんと比べると人格はしっかりしていた。が、数年前に脳の病気になってしまい、体の右半身があまり動かず、常に足を引きずるようにして歩いていた。認識も少し弱っている。元はちゃんとした働きをする職員だったらしいが、人事部局としても扱いに困ったのだろうか。早期退職制度を使って早く辞めてほしいとばかり、このような部署に異動させることになった。あくまで想像に過ぎないが。
この男性職員は、どこの方言かよくわからないしゃべり方をする(おそらく関西の何処か)。彼は、教委事務局に毎週出入りしているヤクルトレディがいたのだが、いつもその人から昼食の一部を買っていた。彼は右半身の一部が動かないので、財布からうまく小銭を取り出せないのだが……そのヤクルトレディは、彼をうまいこと補助しているようだった。
ある日の正午、社会教育課から私の方に聞こえてきた声によると、彼はカップヨーグルトを買ったようだった。いつものように、左手を使って小銭入れの中を仕事机にばらまくと、ヤクルトレディが必要な額を持っていった。その後のやり取りは、こんなだったか。
「おいAさん。俺、さっきのヤクルトの人からヨーグルト買ったんだけどの~」
「なんかあった?」
「ヨーグルトにのう、ストローを付けよったんよ! スプーンじゃのうて」
「なんで、こないなことをしよったんじゃ、あいつは。わからんのお」
「まあ、飲んでみたら。どうなるかは知らないけど」
「なんでじゃ。なんで、こんなことをしよるかのう。非常識なやつじゃ。で、このストローをヨーグルトに刺して……こういう風に飲むんかのう、面倒じゃのう。どうしてあのヤクルトレディはこんなことを……うん、これが……」
「うまいんじゃのう!」
「え、おいしいの?」
「うまい!」
「どんな味?」
「デザートを飲んどるようじゃ」
「へえ~!」
「やるの~、あのヤクルトレディは。ほんまにやるのう……今度ほめてやろう」
ヨーグルトにストローを刺して飲むとおいしい、というのは私が教育委員会で得た知見のひとつである。あれは確かにおいしかった。
実際、彼は漢だった。若い頃の努力は老人になって出る、という言葉がある。それを地でいっている。顔に刻み込まれた皺が、地方公務員としての歴戦を物語っていた。脳の病気にさえならなければ、本庁のどの部署出身なのかは知らないが、今でも活躍していただろうに。
実際、この人は可哀想だった。上司からは腫れ物に触るかのように扱われていたし、若い職員からは、わざと聞こえるような声で、「役に立たない」「障害だから仕事が出来なくても許される」「人事課もちゃんと引導を渡した方がいいのでは」などと噂をしていた。
体が動かないから、活躍しようにもできないのだ。その人がびっこを引きながら廊下を歩いている時、すれ違いざまに「無理しなさんな。あんたも早く辞めればいいのに」~と声を出す職員もいた。
私は、ここまでひどい連中でも――この区役所は採用をしているのかと、むなしい気持ちになった。T区役所がひどい連中を採用しているのか、それともまともな人間が入庁後にひどい連中に化けてしまうのか、そのどちらかだろう。
なんというか、社会人というか、同じ人間として情けなかった。なお、私は都道府県の教委に採用されて給料をもらっていた者である。T区役所に対する直接の恩義はない。当時感じていた義憤については、何の遠慮もなく吐き出させてもらう次第である。
さて。上のような劣悪かつ悲惨な状況について、誰が悪いのか、誰に責任があるのか? 組織レベルでいうとT区役所の人事部局である。問題のある職員を特定部署に集めるという作戦を採っている。だからこうなる。一番迷惑を被るのは区民だろうに……。
蛇足になるが、いわゆる問題職員というのは――汗水を流して働く部署や、窓口での市民折衝がある部署に集う傾向があるという(建設、農業、体育、福祉、収税、環境、支所など。私が直接見知っているわけではない)。真に優れた職員は、企画や調整を担う部署に配属される。これは、学校教育を司る立場である教育職でも同様である。
私の見立てでは、このT区役所における社会教育課約15名のうち、少なくとも5名が問題職員番付とでも呼べばいいのか、そういうリストに入っている人間だった。ただし、そんな人間ばかりでは仕事で大事故が生じる可能性がある。よって、上の『良心』のような人も1,2名ほどは配置してバランスを取っている。
Aさんについては、その後もトラブルが続いた。
本人は、なにしろ仕事に対するやる気がない。区民が窓口にやってきても、朗らかにはしているが、できるだけ手間のかからない方法を取ろうとする。そのために、ルール上は出来ることを出来ないと言うこともあれば、反対に、出来ないことでも出来ることにして通したこともある。
Aさんのようなタイプは、私が知る地方公務員の中では一般的な部類である(数はそれほど多くないが、見渡せば普通に存在している)。確かに、社会教育という行政分野は人を選ぶ。向いている人はとことん向いているし、向いていない人はとことん向いていない。
かくいう私も、別の市区町村の教委に配属された折、社会教育課(※便宜上の名。T区とは違う名称)に二年だけ居たことがある。主査~主幹ほどの立場で、絵画展や音楽演奏会など文化芸術方面の仕事に携わった。
スポーツの仕事も少しだけやっていた。大雨が降る中、区営の陸上競技場で泥んこ塗れの陸上競技会を開催したのは今でも記憶に残っている笑
私もそこまで社会教育に向いている方ではなかったが、それでもやっているうちに楽しくなってきたものだ。Aさんには、その姿勢があるかも怪しかった。すなわち、気が向かなかったり、やったことがない仕事に対しても、真摯に、愚直に向き合って、その業務を好きになっていくという姿勢である。
ただ、彼女は人柄が悪いかといえば、そういうわけでもない。スポーツ団体や取引先業者との人間関係に問題はなさそうだったし、実際に話し方を見ても朗らかだった。私も、職場や飲み会では何度か雑談をしたことがあるが、異常性は感じない。普通の人だった。
Aさんは結局、それから約七年ほど社会教育課にいたらしい。私が教委から異動して中学校長になった後も、職場で働いている姿を見ることがあった。昔のように声をかけてみたが、どうやら元気がない様子だった。疲弊しているのだろうか。明らかに不健康だった。心も体も弱っている様子だったが、それでもゾンビーのように働き続けていた。職場には、おそらく這うようにして出勤しているのだろう。
定年後はどうしているかわからないが、それでも数年間は一緒の事務所にいた仲間だ。多幸であることを祈っている。
(追記)
金曜日は終日外出先のため、土曜日に2本を投稿して〆とします。
(次part)
約三ヶ月前、社会人生活に区切りをつけた。当方は、はてなユーザーの中でも高齢である。一般的な定年はとうに過ぎている。社会人として40年以上生きてきて、得られた知見といえば……大したものはない。
ただ、今回どうしても書き綴ってみたいことがあり、筆をしたためることにした。書式については、ほかの増田の方に合わせるものとする。難しい漢字も、できる限り平仮名とする。
書き上げたのは本日12/12だが、推敲の関係で五回に分けて投稿する。土曜日には終わるだろう。
私の教員としてのキャリアは、都内にある中学校から始まった。大学を出てすぐだった。今思えば懐かしいが、あの時代に戻れたとしても今の方がいい。時代は進んでいる。
あの当時はアナログだった。電話はあるが、パーク保留(1機で複数保留ができる)といった機能はないし、パソコンは事務所に1台あるかないかだった。各学校にコピー機はあったが、今と違ってコピーされた物のコピーは悪手だった。印刷すればするほど色が薄くなる。濃淡調整機能などあるはずもなく。
学童についても、今に比べれば悪ガキがたくさんいた。今の子どもに比べると、暴言や暴力が明らかに多い。「人は教育を受けることで初めて人間になる」というのは、初等教育学のテキストにある基本的な考え方である。
さて、昔ではなく今の時代を観ていたいのだが、心がどうしても時代を遡ろうとする。この日記で表現したいことは、今から約十年前の出来事である。この度日記にまとめたのは、教委事務局に勤めていた時に最後に取り組んだ仕事のひとつである。残念ながら、教育そのものに関することではない。※当時の関係者は全員退職している。
要約すると、某地方自治体にある教育委員会の中に社会教育課というのがあった。その部署というのが、区役所の中のいわゆる問題のある職員が集まるところだった。区内の教員を指導する部門の長をしていた頃の私は、すぐ近くで醜い言い争いや、低次元な行為がなされているのを幾度となく目の当たりにした。
彼ら彼女らの言動には、ほかの教委職員も腹に据えかねていた。そして、ある年を境として、何度も本庁と協議・交渉を重ねた結果、教育委員会という組織から社会教育課を放逐することができた。
本当に苛々とした日々だった。その分、悲願が叶ったと知った時の喜びは至高だった。今でも解放感が脳裏に蘇ってくる。
これから私が話すことは、人によっては相当厳しい。負の次元に堕ちた地方公務員の姿を垣間見ることになる。それでもよければ、読み進めていただきたい。
私はもう経済社会を完全に引退している。書き綴る出来事もだいぶ前のことだから、元いた組織の迷惑にはならないだろう。何かあった場合は、私が責任を取る所存だ。
トピックについては、1.から6.まで用意している。具体的な職員のエピソードは2.~5.である。6.において、社会教育課との決着について書かせてもらう。
教育委員会(≒教委事務局。教委。以後は同じ意味として扱う)とはどんな組織か? というと、早い話が地方自治体の学校教育に関する意思決定と事務(企画・調整・一般的な管理行為)を行う組織である。
第180条の8 教育委員会は、別に法律の定めるところにより、学校その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、並びに社会教育その他教育、学術及び文化に関する事務を管理し及びこれを執行する。
教育長が責任者となって所掌事務や教育改革・首長への提言その他を総理し、教育委員が集まる会議(議会のようなもの)で可決された教育内容が自治体内の学校において実施される。
かつての戦争の折、行政の暴走行為によって学校教育が歪められてしまった経緯がある。地方行政の主体から教育の機能を切り離して、教育活動全般に関する権限を有する行政委員会としての役割を与えた。
実際のところは、市区町村の本庁舎の一部を間借りしている教委が大半である。役所の中に多くある部署のひとつとして位置付いている。
(指導課)…都道府県教委が教員の中から高査定者を人事異動させる
(学事課)…指導課のような教職員出身者と市区町村職員による合同チーム
(学童クラブや児サポ)…教委が有望者の中から採用・選定をして運営
そういうわけで、私の場合は上記でいうところの指導課(各学校の指導方針を所管)や学事課(学校事務を所管)に籍を置いていた。あれは、新卒で教育現場に配属になって十年少々だったか。ある年の人事異動で、そろそろ別の学校に異動になるかと考えていたところ、教委事務局への配属を告げられた。
それから数十年、学校現場に戻ったのは二度だけだ。一度目は中学校の教頭として、二度目は校長として。その前後にも、私はやはり教委に籍を置いていて、より高い視座から教育活動のあり方を見直すことや、新しい学校を作る、あるいは廃止するといった仕事に取り組んだ。
最後は課長級職員としてキャリアを終えた。その後は、いわゆる名誉職といった扱いの教育の仕事に数年だけ取り組んで、先日正式にこの仕事から引退した。
タイトルにある出来事は、社会人生活の中でも相当後半にあたる。都内にある中学校で教頭としての務めを果たした後、ある年の人事異動で教委事務局に課長職として配置された頃の話である。期間としては三年間だ。
教委事務局の中でも、ほぼ真ん中あたりの奥側に指導課長である私の席があった。「ようやくここまで来たか」と思いつつ、課員全員が見渡せるデスクに腰掛けようとした時だった。言い争う声が聞こえるではないか。何時かは忘れたが、おそらく正午前だった。
社会教育課の事務スペースで、複数の職員が言い争いをしていた。若い子と、中年ほどの男性・女性の職員だった。どういう構図かは全く覚えていないが、低い次元の話をしているのはすぐにわかった。公務員以前に、社会人として使うべきではない語彙や、極めて高圧的な物言いが見て取れた。
話し合い(口論)を少しばかり眺めていたが、最後は男性職員が女性職員から詰問を受け、ちょうどかかってきた電話を取る形で逃げて終わった。若い職員は、舌打ちをしてその場を後にしつつ、コピー機が設置してある台を蹴っ飛ばして事務室を出て行った。
『なんだ、こいつらは?』
心の中でそう思った。これまで配属された教委事務局の中に、こんな連中はいなかった。この市区町村の教委事務局で働いていた時もあったが、社会教育課は別のオフィスにあった。
社会教育課、という部署名は伝統的である。霞が関にも同名の部署があるほどだ。本来であれば、歴史と実績のある部署のはず。では、なぜこんな連中が……? と思って気になったが、その時は時間の無駄であると考えた。
だが、そういうことにならなかった。社会教育課は、私のいる課長机から10mも離れていない。しかし、毎週のように何度も何度も、大きい声で怒鳴るわ、悪態をつくわ、イベント行事で問題を起こすわ、用事で来られた区民を怒らせるわで、こちらとしても仕事がやり辛かった。
私と同じ教職員サイドの職員に詳しい者がいた。この教育委員会(T区とする。豊島区は関係ない)の社会教育課について聞いたところ、なんとなく経過がわかった。
・その場所ではひとつの課として独立していたが、不祥事が多かった
・監視の意味も兼ねて、本庁総務部の人事課が教委事務局の中に移した
といったところだった。この時は、まさかこの連中のためにあれほど頭を悩ませることになるとは思わなかった。
ここから先は、個別職員の話になる。2.以降に譲りたい。長く詳細に書いても読者が不愉快になるだけだ。できれば各三千字以内でトピックを終わらせたい。
話があちこちに逸れることも多々あろうが、何卒お許しを願いたい。
(次part)
例の塩村議員の発言、萩生田議員もしてるじゃないか!とか、萩生田議員には何も言わないのか!などのブコメが多い。(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.njpw.co.jp/459726、https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2264252)
まず揶揄された側、差別された側が全てについて批判しなければならないわけではないことは当然だ。リベラルの忌むWhataboutism(そっちこそどうなんだ主義)の典型例だと言える。
というか、当時萩生田議員を批判して今回塩村議員を批判しないのはもっと批判されるべきになっちゃうよ?(立憲民主党とか共産党とか、ちゃんと塩村議員を批判するのかなぁ)
萩生田官房副長官の発言について4野党の足並みを記者団から質問されると「共産党の穀田委員長と会い、(社民党の)照屋委員長、(自由党の)玉城委員長とも連絡を取り合っているが、今回の副長官発言が許せない、とんでもないということは一致している」と述べた。
さらに、萩生田議員は政治家やプロレス関係者から袋叩きにあって審議拒否まで通告され、謝罪撤回している。プロレス関係者(今回の当人からではないが)からの批判もあった。
今回の塩村氏は一応謝罪撤回しているが、その前にこんな発言もしていて真意が問われている。
プロレス芸はエンタメの世界ではよく使う言葉です。放送作家の会議ではよく出てました。お決まりですが、私とアンチ塩村のガチ芸。
少し話題になっているようなので。
https://megalodon.jp/2023-1124-1504-30/https://twitter.com:443/shiomura/status/1727705244484960263
(削除済みなので魚拓)
しかも萩生田議員の発言は七年前だ。たった七年前とは言え、当時と比べたら明らかに誹謗中傷や揶揄、差別発言に対する批判は強くなっていると言っていいだろう。
塩村議員が男性だったら、自民党議員だったら、こんな擁護がわいたか?
こういった批判は網羅的にしなければならないものじゃなく、気になったら声を挙げる、ってので良いんだよ。そうしないと差別反対なんて一切できなくなるぞ。
というか気軽に声を挙げていいとしてたのはむしろリベラル側じゃなかったっけ?
もちろん一般性(法的安定性)が重視される立法行政の世界なら別だが。
つまり
どれでもいいんだよ。
◯萩生田発言に民進党が抗議したのは「野党の対応は茶番だ」という内容に対してであって、プロレスという言葉の使い方ではない。萩生田発言の内容を批判したのであれば、塩村発言は擁護してもダブスタではない。
プロレスに対して失礼って読めないの?
嘘つかないでもらえますか?
「民進党の山井和則国対委員長は24日「国会審議に対する侮辱」「私もプロレスファンの一人だが、プロレスに対しても田舎に対しても失礼だ」と、撤回しなければ今後の審議の日程協議に応じない意向を表明。」(https://www.huffingtonpost.jp/amp/entry/rural-pro-wrestring_n_13214784/)
◯塩村あやか議員への誹謗中傷コラ https://twitter.com/Nou_YunYun/status/1728184664731578799 の他に、「ホストの借金を肩代わりする法案」みたいなデマが蔓延してて、クローズドサークルの構成員は騙されてるのに気付けないものだなあ
そんな話してねーだろ
◯逆に「塩村が男性だったら、自民党議員だったら、こんな稚拙な難癖はされてない」って話だったはずのものを、まるっと倒錯させて擁護と言い出し批判それ自体を差別呼ばわり、ありがちな難癖テンプレ。
当時萩生田議員がどれだけ批判されて、擁護されなかったか覚えてないの?覚えてないだけならまだしも知らないなら調べろよ眼の前の箱と板は飾なのか。
萩生田議員のときは野党だけじゃなく自民内部からも、プロレス関係者からも批判されまくってたろ。
このままだとリベラル政党よりもよっぽど自民の方が自浄作用が働く組織だぞ
〇“塩村議員が男性だったら、自民党議員だったら、こんな擁護がわいたか?”湧くに決まってんだろウンザリする程無理筋擁護見てきたわそんなん
萩生田議員の事例だと身内の自民党議員にすら批判されてたろ調べてみろや眼の前の箱か板が泣いてるぞ
そりゃSNS上での個人での擁護は(今回と同じく)あるだろうが大々的なのは批判一色だ
〇この「相手を差別者認定すれば勝利条件達成」という謎ルールの信奉こそ差別をおもちゃにした考え方。どうせ杉田水脈にはだんまりなんでしょ。
人の言ってもいないことを持論に都合のいいように読み解く点、差別は網羅的に批判しなきゃいけないとする点で論外
萩生田議員の事例だとプロレス関係者もファンも批判してたっつーてるだろうが
〇プロレス、少なくとも新日、のオーナーは日本保守党を応援しているし、有本や百田が「プロレス」を似たような文脈で使っていてもなんら反応すら示さなかったってさ。はい、党派性、党派性
例えばてめーは共産主義者(何が入っても良いが)だから差別されて当然だとでもいうのか、俺はそうは思わねーぞ
差別された奴は網羅的に反論しなきゃいけないわけじゃないってのは本論に書いた通り
ブコメ見て、何とかして差別とかダブスタを正当化したいって奴が多くて辟易する
〇煽りとかではなく教えてほしいんだけど、俺は「差別とまでは言わない言葉をダブスタで差別だと過剰反応している」のが本件だと思っていた。それで「これも差別ならなぜ反応しないのか、党派性で恣意的に差別だと主張していないか」を確かめるためにみんな批判しているのだと。
それを差別あるいは蔑視と取られたからこその騒ぎだったんだろ?だったら今回も同等(時代を考えればそれ以上)になるのは当たり前だろ
宮川元判事における弁護士任官の位置付けは、ブコメでも紹介されているインタビューに現れている。
── 弁護士出身の最高裁判事として,どのような思いで職務にあたられましたか。
一つは,「弁護士の職務というのは,法を秩序の側からみるのではなく,人間の側からみることにある。 だから,最高裁判事としても,論理・秩序からのみ考えずに,人間の側からも考え,判断していきたい」と述べました。このことは,任期中,貫いたと思います。
https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2012_06/p20-23.pdf
ここでは、弁護士出身判事は弁護士的なものの見方を裁判所に持ち込むべきだという意識が示されている。
したがって、弁護士から任官し弁護士的な見方を持ち込むことを使命とした宮川が認める「価値」というのは、「この特殊日本的な状況」によって裁判所に「人間の側から」の視点を持ち込むことにあるということができる。少なくとも、元増田が言うような「出身母体間や推薦者間に軋轢を生じさせないために事前に調整している」という意味合い
であると推測できるような根拠は何一つない。
上記の、職業裁判官以外の視点を持ち込むべしとする問題意識は、弁護士任官制度の導入について最高裁と日弁連が語っているところと共通する。弁護士任官の意義は下記のように説明される。
弁護士任官の意義
大部分の裁判官は,司法修習生から判事補として採用されたものである。単一な給源による者のみで組織が長期間構成され続けるならば同質化により制度疲労に繋がるおそれがあることは裁判所とて例外ではあり得ない。それを防止するためには,多様な社会的立場にもとづく多様な価値観を有する国民の期待に応え,質の高い判断ができる優れた裁判官を,給源を多様化することによって確保する必要がある。裁判官の他職経験制度と共に,弁護士任官の制度はその目的を達するための極めて重要な意義を有する制度である。
https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2017_11/p02-21.pdf
上記は弁護士会の担当者による説明であるが、最高裁と日弁連が共同で出した「弁護士任官等に関する協議の取りまとめ」における下記の記述は、上記の考え方を前提としたものである。
最高裁判所と日本弁護士連合会とは,裁判官の給源の多様化・多元化を図り,21世紀の我が国社会における司法を担う質の高い裁判官を安定的に確保するため,弁護士からの裁判官任官を大幅に拡大することが極めて重要であるとの基本認識の下に,任官することの魅力と任官しやすさを増し,弁護士任官制度を実効あらしめるための具体的方策について,本年 4月から,おおむね月2回のペースで協議を重ねた結果,当面講ずべき措置について,以下のとおり協議が整った。
https://www.courts.go.jp/saikosai/vc-files/saikosai/file2/80616013.pdf
っていうかさぁ、最高裁判事を務めるような人間が「出身母体間や推薦者間に軋轢を生じさせない」みたいなものに価値を見出すと思ってる時点で、なんつーか、志の高い人と話をしたことがないんだなーって思うわ。
①玉木が言っているのは、収支報告書の数字だけ見て下げろとイーロン・マスクを真似てやってるだけで、頭で考えて言っているわけではないことは理解した方が良い。
②国民皆保険によって劣悪だった健康が是正され、健康への意識が高まり、低所得者であっても高度医療を受けられるようになり、難病者は本来なら数千万数億の治療費を自腹で払うこと無く受けられるようになった。その恩恵は計り知れない。
ただ国民皆保険は1922年に施行されて何度か改正されているものの抜本的な制度改革をやってきてない。このことについてツッコミを入れるべきで、国民皆保険(国民健康保険)を無くせば解決する話ではない。
③労働改善は会社(病院)と医師である労働者が協議して解決すべきこと。国民皆保険と同列で話すべきではない。
④北米型の医療制度に変えると決まってもそれは10年や20年かけて段階的に変えていく話になるはず。