はてなキーワード: 加速度とは
2015年3月、兵庫の5人刺殺で逮捕された無職、平野達彦容疑者(40)が集団ストーカーにあっていたと供述したことから調べた方も少なくないと思う。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1832114.html
ここで集団ストーカーとぐぐってみると一番上にNEVERまとめが出てくる
http://matome.naver.jp/odai/2138428465175441201
標的となる人物(ターゲット)の感覚喪失、妄想、悪評、トラブル等を捏造または演出し、ターゲットの社会的評価を失墜させ、ターゲットの自信、自尊心及び評判を破壊し、ターゲットの人生を思い通りのレベルまで破滅させ、自殺に追い込むことまで出来るにもかかわらず、ターゲット自身が自滅したかのように見せかけることの出来る数々の手口、及びその段階的な計画の総称を「ガスライティング」と呼びます。
これは本当に行われているのだろうか。
実は本当に行われている。
もともと創価の脱退防止の相互監視の仏罰ビジネスだったが低所得者層の多い創価学会に在日が多く入り込むようになり、日本人憎しで一般人にも被害が及ぶようになった。
創価は警察や法曹界に信者を送り、何らかの事件が起こると総動員でいっせいに火消しを行ってひた隠しにしてきた。
安部政権に変わり韓国へのごり押しが効かなくなるにつれ在日朝鮮人も住みづらくなってきた。
その結果、裏切るものが続出した。
こういう一致団結しなければならない犯罪で裏切りが出ると致命的だ。
うわさがうわさを呼び、自分だけは助かろうと創価を抜ける人間が続出した。
しかしこの集団ストーキング、そんな生易しいものではない。対象となったものはかつては社会的に抹殺されるまで何が起ころうと続けられた。
24時間監視、仄めかし、オナニーの公開、会社での信者とのトラブル、etc etc..
最終的には自殺、統合失調症として社会的排除、今回の平野容疑者のように実際に犯罪を犯し逮捕のいづれかゴールは多くない。
そんなもののターゲットになりたくない信者は嫌々ながら続けている人も多い。
創価の名前を隠している信者たちが多いのはこの強力な仏罰ビジネスのためだ。
一番上の痛いニュースのリンクも信者たちが我先にと火消しを行っている様子が見れる
それは最近多くの集団ストーカーの実行犯が逮捕や消されているということである。
はてぶで火消しした人は皆マークされている。
警察の力が集団ストーカーよりも上回ったのは数年前、安部政権になってからは加速度的に力の差が開いてきた。
もちろん信者などに当たったりやる気がない人たちもまだ多い。
なるべく多くの警察を回り、真摯に聞いてくれる人を探すべきだ。
もとより正義の為に選んだ人が多く、親身になってくれることは多い。
これは自分より上位の集団ストーカーに用済みとして消されることが多い。
もちろん通常の人はそんなことはないだろうと思う。
しかしそこはもとより人の人生を壊そうとしている犯罪者、誰も守ろうとはしない。
もし上位の加害者から集団ストーキングを強要されたら真っ先に警察にその人間をチクることだ。
そうすればその人間に用済みとして消されることは少なくなる。
日本人が正しく生きられる世の中もそう遠くはない
初めてキメてきた。
ついに、念願の、サシ飲みからいきなりホテルへINが成功したのだ。
会うのは、初めての女だ。
この手のアプリで会ったり、クラブでナンパしてラインゲット後にサシ飲みなんてことは何度かあったのだが
いきなりホテルでチョメチョメなんてことはいつもできずに放流してしまうことが何度かあった。
いただいた画像を元に、同じ画像がネットに上がればそのリンク元を辿って情報を掴むことができる。
みんなに言えることだが、むやみにSNSなどにあげた画像などを渡すものではないぞ。
そんなこんなで、スタイルに期待できて顔もそこそこ可愛い女であることは把握していた。
実際にあったところ、多少写真よりは顔は劣るが、一般的にみれば上物といえる女ではないだろうか?(基準は人それぞれなので評価はあくまで個人的なものです
さあ、あとは飲みだ。お店はもちろんばっちりと予約済み。
日本酒が好きだということで、一般的な和風の居酒屋で、半個室の座席を予約しておいた。
初めて会うし、いきなりカップルシートだと引かれる恐れもあったし、対面座席ではあるが
この辺が無難だろう。週末だったので、半個室で2名予約できる店は意外と見つからない。
そういう使えそうなお店はいつもから調べておいた方がいいなと反省。
で、早速飲み開始
女は美味いものには目がない。
徐々にテンションがあがっていくのがわかる。
日本酒を飲みだした。
話も弾む弾む。
俺も酔っぱらう。
女は「席間違えてるよー!あっちあっち!」とかいって俺を避けやがる。
2、3度ほどこの流れを繰り返したが、女はガードを緩めない。
ここまでスキンシップは一切なし。
お店を出ることにした。
カラオケなんて俺がいくわけねーだろ。チャラい邦楽なんて聴くかよ。
と、内心思っていたが、最悪カラオケも考えてた。
お店に出て速攻、手をつないだ。
全く拒否する様子もない。
よし、いける!そう確信した俺は、事前に調べておいた近くのホテルまで引っ張っていく。
今までの俺は、女に同意を求めてから行こうとしていた真面目ちゃんだった。
普通に楽しくたわいのない会話をしながら、自然とホテルの前まで突き進む。
一瞬、女はいやいやと躊躇ったが、大丈夫大丈夫と酒の勢いを借りつつ華麗にホテルイン!
あとは、女も諦めたのか、酔ってるだけなのか、はじめから乗り気だったのか、ノリノリなテンションに豹変。
部屋に入ると猛烈に絡み合う男女。
乳を揉みしだき、おっぱいお披露目。
おっぱいフェチであった中学時代の俺がよみがえり、猛烈におっぱいに吸い付く吸い付く舐め回す
あとは、色んなところを一通り舐め回し、さあ挿入かなというところまできた。
勃ってない。。。
日本酒飲みすぎたカー!!
酒によるセックスの失敗は幾度となくしてきた
俺の息子は猛烈に酒に弱いのだった。。
結局、舐めてもらったり色々してもらうが、一向に駄目で、挿入は諦めることとなった。
まぁ、念願の巨乳をいっぱい堪能できたので、よかったし。
女は挿入大好きってわけでもないもんね...?
とりあえず、いつも以上、熱の入った愛撫という愛撫で事は終わった。
そして、ホテルへ出て、解散した。。
サシ飲みからいきなりホテルに入るだけでも達成するまで長い期間が必要だったのに
それをクリアしても、さらに、セックスには大きな壁があったのだ。
解散後、女にラインで連絡をとった。
2日経ったが、連絡はまだこない。
http://anond.hatelabo.jp/20141216032631
トラバ元とはあんまり関係ないが、アクロバティックに挿入する妄想をたまにする。
ゴールでは女が丁度いい高さに腰を浮かせてM字開脚で待っている。
加速度的に生気が失われていくその瞳に、しかしまだ仲間への信頼を感じる。
一発で決めなければいけないという不思議と心地よい緊張感が身を包む。
意を決して俺は全裸で走り出す。グリップが効かずいつもながら無様な走り出しではある。
だがこの種目において、速度は大した問題ではない。踏切位置まで残り5m。
大まかな進路調整を行い、白線を飛び越えると同時に挿入フォームへ移行する。
俺のスタイルは正座型だ。氷の飛沫をあげながら両膝で着地する。概ね成功だ。
ここからゴールまでの旅路はチームメイトに身を委ねることになる。俺はそっと目を閉じた。
俺がすべきことは勃起の持続である。チンポに全神経を傾ける。チンポの声を聞く。
膝の激しい摩擦によって一瞬集中が途切れる。流されるな。思い出せ、あの根源的欲求を。
鼻の奥に懐かしい匂いが突き抜けた気がした。
目を開けば目の前に女がいた。
慣性に身体を委ねながら、俺は高度調整を試みる。OK、必要挿入角度はクリアだ。
定められた運命のようにチンポは吸い込まれていく。ヒトの持つ、暖かさ。
「人工知能が人間の職を奪うについて」と日記をはじめると非常にSF的ではあるんだが、思考実験として一つやってみる。
実を言うとこんな人工知能、すでにある。適当なところからコピペして自分のblogに記事を転載するbotなんて、ちょっとプログラムをかじればすぐ作れる。
そしてこれはちょっと本腰を入れて研究すれば、すぐにかなり高性能になるだろう。
「どんなふうな記事がより注目(=ブックマークとかアクセスとか)を集められるか?」というのは評価関数を作るのがとても簡単なので、ベースとなるデータの巨大さと機械学習で順調に成長させられる。記事のまるパクリ問題も、何も真っ正直に「人工知能として本当に文脈を理解して人間的な意味で記事を書く」必要なんてない。
http://graphics.cs.cmu.edu/projects/scene-completion/scene-completion.pdf
この論文みたいなアプローチで記事を一つの画像だと見立てれば部分を差し替えることは可能だろうし、語尾や語彙の置きかけは、それこそ巨大置換でどうとでもなる。
人間が日ごろ、ほう、ふむふむなんて巡回できるblogの数なんてたかが知れているし、機械がクロールで回収できる記事の数は莫大だ。年末年始の記事やどこそこの店に行って何々がうまかったなんて記事は毎年のようにループしている(学習ネタとして最適だ)。
この種の(人工知能と呼べるほどに高度になった)botはそのべらぼうな処理能力にあかせて、アホみたいな数のサイトを運営できる。登校時間やバナーの位置やサイトデザイン、コピーの文章もリアルタイムで評価関数をぶんぶん回すbotは阿呆みたいな速度で自己進化できる。もちろんプロバイダやらが何らかの対処をする可能性もゼロではないけれど、しかしそれもほとんど意味がないだろう。回線の向こう側からは規制する根拠に乏しい。もちろんコピペもととなった記事を書いた人間からすればパクリであり著作権違反だが、それを証明するのは手間だし、照明をあきらめるほど飽和攻撃を行う処理速度がbotにはある。また、人工知能的な記事合成、変換、結論変更、文章アレンジは、しばらくすればパクリをパクリだと証明するのさえ難しくしてしまうだろう。何せblogの記事というのは画像と比べて10%とか5%以下の情報量しかないのだ。
まあ、とにかく、こういうbotはすぐ開発できるだろう。現在の技術でもほとんど可能だし、数年以内には実用化できる。
で本題なのだが、こういうbotができたらどうなるか? そりゃ、投入するでしょう。ちょっぴり初期投資をしてあとは寝てるだけで、阿呆みたいな数のアフィサイトを運営できるようになる。なんらかのステマサイトも似たような手法で運営できるようになる。ちょっとの技術でネオニート生活! 投入されないわけがない。
そしてひとたび投入されれば、それは加速度的に高性能になっていくだろう。機械学習の結果出力っていうのはだいたいサンプルにする学習母体データの大きさや質に左右される。Webに解き放たれたクローラーはありとあらゆる泡沫Blogまで咀嚼を始めるので、その出力の制度はどんどん上がっていくだろう。
PVを金に換えるビジネスというのは一時的に大好景気になって、次の瞬間に価格破壊されるだろう。人件費が限りなくゼロに近づいてゆき過当競争になるからだ。
その世界では「人間がblogの記事を書く」という行為の価値が果てしなく低くなるだろう。そこでははてなスター獲得競争の相手がbotになってしまうからだ。相手はたしかに人間よりも記事を書く技術が低いかもしれないが、無尽蔵の体力を持ってるし、blog記事なんてそもそも10本書いて1つが注目集めればそれでいいような世界なのだ。1万本書いて9999本はずれでも構わないやつが出てきたら、体力勝負で勝てやしない。
この状況が長引けば、アフィリエイトというビジネスモデルそのものも破壊されるだろう。いやそもそも、アマチュアが公開の場所で記事を書くという文化そのものが破壊される可能性もある。
Webの世界は会員制のFacebookやGoogle+みたいなもので分断され、今度はその内側から個人の記事をビッグデータにぬいていくBotが蔓延するだろう。
こういうBotは廉価なサーバーマシンで動かすことができる。実際作ってみないとはっきりとは言えないが、それこそ数百体動かせる可能性もある。性能が十分に周知されれば、「日本語のBlog記事を書く人」よりも「日本語のコピー合成記事を作成するBot」のほうが多くなることは、けっしてありえない状況ではない。
事ここに至って、人工知能は「あるジャンルの職を奪う」ことに成功する。奪われるのはアフィリエイトで暮らしていた人間のBlog書きだけではない。それを端緒に広報を生業にしている多くの人も職を奪われる可能性がある。状況はおそらく大混乱にちかくなるので、今の時点では、この種のムーブメントにおいて電通博報堂のような広告代理店が大きく成長する可能性もあるし、致命的な打撃を受ける可能性もある。成長するにした所で、今のような体育会系的営業の会社で居続けることはできないだろう。開発や分析の理系部署が今の10倍以上の大きさになるだろう。グループインタビューなんかやるよりも、匿名掲示板のログから消費行動の傾向を出したほうがよほど精度が高い企画が作れてしまう。
人間の職を奪う、というのはこういう光景を雇用面から減少を表現した言葉であって、実際に起きることは雇用の減少だけではない。文化や消費行動の破壊ともいえる変化だ。
付き合って7年。一緒に暮らして3年。ともに30歳を少し過ぎた。
結婚の話は出ているし、あらたまった場ではないがどちらの両親にも会っている。しかし、彼からのプロポーズはいまだない。
分かっている。務めていた会社が倒産し、3年間の非正規雇用、1年間の就活を経てようやく希望の職の正社員のポジションを得たばかり。貯金はとっくに底をついている。もう少し足場を固めてからと思っているのが顔に書いてある。分かっている。慎重で優柔不断なのは彼の長所であり短所だ。だから急かしていない。でもこの7年は、そうして過ぎてきたのだとも思う。
付き合ってしばらく、わたしの一人暮らしの住まいにいつの間にか彼が住み着くようになった。遊びに来ているだけという体で家賃も入れず、家事もしない。彼の荷物は加速度的に増殖しワンルームの部屋は窒息寸前だった。部屋の更新を控えて、出て行って自分の部屋を借りるか、もっと広い部屋に二人で住むか決めろと迫った。
そして同棲。親にも簡単ながら挨拶をした。彼はその時、結婚を前提にというようなことを言ったと思う。もう3年も前なので記憶も曖昧だ。そう、それから3年。
居候でなくなったことで家事もするようになった。家賃は折半。これまでの経緯を見ると殺伐としているようだが7年たっても仲は良い。好かれていると思うし、好きだと思っている。ずっと一緒にいられる人だと。もうここまでくると、籍が入っているかいないかの違いしかないような気もしている。
わたしは子供が欲しい。付き合い当初はなんとなくいつかはという程度だったが、20代後半から焦りを感じ、いま30代を超えてもう待ったなしなのは誰に言われなくても自分が一番分かっている。その話を彼にしてもいる。それでも彼から結婚の言葉は出てこない。待っていて欲しいとすらも。
同棲をはじめた時のように、またわたしから決断を迫るしかないのだろうか?土下座して結婚して下さいと。別れるか選べと。
7年付き合った人にプロポーズすらもしてもらえない。焦って約束をしなくても、奪うやつなんて誰もあらわれないと思われているのだろうか。その程度の女だと。惨めだ。もうほとんど意地になっている。分かっている。だけど絶対に、結婚して下さいなんて言えない。
9/18 追記
自分の中の不満を明確にしたり、いままでの整理のつもりで書き捨てくらいの気持ちだったので、たくさんブックマークがついておどろいています。厳しいコメントも、あたたかいコメントも、ありがとうございます。参考にします。ひとつだけ断っておきたいのは、女性からプロポーズすることに関して否定的な気持ちはないということです。これはあくまで彼とわたしの関係性においての話です。
それ以外にも、コメントを読んでいて書ききれていない事がたくさんあるなと思ったのですが、それはもう蛇足になるので省きます。結論から言うと若干進展しそうです。たぶん良い方向に。この期に及んでまだ若干かという向きもありましょうが、わたしにとっては偉大なる一歩です。その一歩も、わたしから再度せっついた結果ではありますが、土下座はせずに済みそうです。
それはそうと、キレイにまとまりすぎている、文章の完成度が高いなどのコメントにあさっての感動をしてしまい、ちょっとはてな、楽しいな…って思いました。以上。
①姉歯物件は大震災でビクともしなかった ⇒http://spotlight-media.jp/article/50466214100990319
②大震災で配管が断絶した(つまり、建物がそれなりに地震で変形した)ものもあった ⇒http://blogos.com/article/92808/
の両方の主張は、いずれかが全数調査を行っていない限り「ウソを言ってないというレベルでは」「自分が調査した範囲では、という但し書きの下では」同時に成り立ち得るが、あまり意味が無い。
東日本大震災は、地震そのものの揺れのレベルは非常に小さかった。ここで言う「揺れのレベル」というのは「一般的な建築物を揺らす能力」という意味だがこれは震度を意味しない。震度が高くても建物が全く壊れない地震もあれば、震度が低くてもメチャメチャに壊れる地震もある。この辺は高校か中学で習う「共振」を思い出せば何となく理解できるんじゃないだろうか。要するに地震そのものの持つ周期と建物が持っている周期が一致すればより建物は揺れやすくなる。建物と共振しやすさは、震度の計算にあまり加味されていない。これが東日本大震災で「揺れのレベル」が小さかった、と書いた理由だ。
この前の震災では地震の継続時間が長かったから超高層ビルがめちゃくちゃ揺れたとかニュースが流れたが、一般の建物を崩壊させるほどのパワーはほとんどなかったと見ていい。
もちろん局所的に地盤が軟らかい土地などでは大きな被害を受けた建物もあっただろうし、もちろんその逆もあっただろう。
要するに地震そのものに対する認識が雑だと、この種の議論はまったく空転するのである。いくら建物が強かろうと、それを上回る程度の「揺れのレベル」の地震が来れば壊れるだろうし、逆に弱小建物も「揺れのレベル」が小さければ壊れないのである。
長谷川豊が言っている、
当時、震度5か6でパターンと倒れると報道された姉歯元1級建築士が設計したマンションは果たしてどうなっているのか?!答えは…
ビクともしていなかった。
当時、姉歯氏はこう語っている。
「耐震に関してはかなりの強度を保っておりますし、震度7や8にも十分耐えられるはずです」
そう、関東地方にある姉歯物件は実はフジテレビ関係者も住んでいた。お台場にあるフジテレビ本社にはかなり交通の便の良い所に姉歯物件が存在するのだ。ちなみに、それらの姉歯物件だが、少なくとも僕の知る限り…
1棟もヒビ一つ入っていない。
国土交通省省の定める耐震強度がそもそも、あまりにも強すぎる設定になっているだけで、姉歯氏の計算通り、1000年に1度の地震が来ても、彼らの物件やマンションはビクともしなかったのだ。
は、まったく地震に対する議論が雑である。専門家ではないので仕方ないかもしれないが。地震に対する言及は
・1000年に1度の地震 ⇒ マグニチュードはその程度の頻度になるかもしれないが、マグニチュードは揺れの強さではない。「揺れのレベル」も表さない。
・そもそも震度8などない(最大で7。姉歯の言葉の引用のようだが。)
だけである。上でも書いた通り、震度7でもまったく建物が壊れない場合もある。
では逆に、震度5で姉歯物件は倒壊しうるか?と言われれば、「倒壊しうる」と俺は答える。
http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/kyoshin/kaisetsu/comp.htm
上記を参照すると、震度5強で周期1.0秒(建物の周期に近いところな)だと加速度は100gal~200gal程度だろうか?(重力加速度は980galなので重力の1/10~1/5の「地面の揺れ」)
建物に「地面の揺れ」が伝わると加速度は増幅される。その倍率を仮に1.5だとする。そうすると建物に作用する加速度は100gal~200gal×1.5で150gal~300galだとする。
通常建物は重力の0.5倍の加速度(490gal)で倒壊しないよう設計されるとして、それが耐震偽装により半分まで落とされた場合どうなるか?
490gal×1/2=245gal
これが耐震偽装された建物の耐えられる加速度だ。地震によって150gal~300gal程度の加速度が作用したら?
安全率、建物の劣化程度、局所的な地盤条件その他諸々条件を考慮したとしても、「倒壊し得る」という答えが妥当だ。100棟あれば少なくとも1棟くらいは倒壊する可能性が高い。
そんなような簡単な計算に基づいた推測からすると、姉歯は相応に叩かれるべきだったと思うし(叩かれ方は妥当ではなかったと思う。それは同意できる。)、姉歯物件は震度5強でも倒壊し得る。
長谷川豊は「あの姉歯物件は東日本大震災でビクともしていなかった。」とあくまで特定の地震に対する結果のみに限定しているとはいえ、姉歯物件が安全であるかのような書きっぷりにはやはり納得がいかない。
アベノミクスの成長戦略って、全般的に中央の大企業にばかり恩恵が偏重しすぎな気がします。
例えば農業の成長産業化っていうけど、方向感としては、たかじんのそこまで言って委員会で規制改革会議の中の人の長谷川氏が言ってたけど、兼業農家を排除して、かわりにこれまた規制改革会議のなかの人のローソンやら住友やら大資本が、今やっている農業法人の事業を拡大させようってことでしょ?
耕作放棄地もそうすれば解消するみたいな言い方だけど、大資本の株主は条件が不利な中山間地の耕作放棄地を耕作するなんて許さないでしょうね。
まして兼業農家の生活基盤は弱体化するわけですから、先祖代々の土地を捨て、地方を離れる人も出るでしょう。
ますます地方のライフラインは、維持困難になり、集落消滅の加速度は増すでしょう。
さらに農地の規制も緩めて、流動化がすすめば、平野秀樹氏が山林について提起しているように、中華資本などが、日本の国土をさらに買っていくみたいなことも歯止めが効かなくなるでしょう。
現状が減退傾向なら、農業の成長産業化は成長どころか沈没ってことに繋がりかねませんかね?
そもそも成長なんてパラダイムが今後成立するんですかね。
家族農業の延長における大規模化を促進させたり、産地単位での六次産業化による付加価値を高めたり、生活基盤の拠点が各地で維持させられる方式であることを優先すべきだと思うのですが。
増田なんかで、科学的にスタンダードになっている考え方を示しても(教科書載ってて誰が見ても了解できる内容)、まったく通じない奴がかなり居る。
科学的な世界でアカデミックに過ごしてるから当たり前に自分は分かることでも。それ以外解釈のしようがない事実に対しても、噛み付いてくる人が居る。
これは別に俺がどうとか、相手がどうとかで変わる話ではないのに、なぜか自分の結論が間違っていたり事実に反しているという理解にはならないらしい。
もっといえば、「重力は下向きに働いてます」というなんの疑問も無いレベルの話をふって、「いや俺はジェットコースターに乗って上への加速度を感じた、、、」等々とまったく論点がかみ合わない。
なぜこんなことが起こるのか最初は疑問だったが、本当に、「勉強していないことは根本的に論理的に考えることができない人もいる」んだなあと気づいた。
論理的に考える以外の思考方法なんてのがあるもんだなとビックリした。
でも考えてみれば当たり前で。俺だって完全に酔っ払ったら「酔ってないです」っていいながらおかしい行動するもん。
人間、まともだと思っていてもまともな行動できないことはある。
それが、常にそうだっていう人も多分いるんだろうなあと思う。
Portalの解説
謎の実験施設のようなところから脱出するのが目的のパズルアクションゲーム。
主人公は青い球と黄い球の二種類の鉄砲を打つことができ、青い球を壁に向かって打つと、青い壁が
そして、青い壁と黄色い壁は繋がり、空間を超えて行き来できるようになる。
例えば、部屋の向こうに行きたいんだけど、小さい穴しかなくて通れないみたいなときは、
その穴の向こうの壁を黄色で撃ち、手身近な壁を青色で打つと、部屋の向こうにワープできる、みたいな感じかな。
加速度とかも物理演算されてて、落下しながら、黄色と青色を打ち分けて、じょじょに加速度をあげながらジャンプしていくステージが僕はお気に入り。
好きなSF短編で打線組んだ(http://anond.hatelabo.jp/20140604175240)
が楽しそうだったので、便乗。短編に限らずに打線組んでみました。
フランチャイズ小国家、凄腕ハッカー、スケートボードに乗った運び屋、仮想空間上のAI人格等々、わかりやすいサイバーパンク的ガジェットを詰め込みつつも説明臭くはなく、スピード感ある展開で一気に読めるエンターテイメントSF。よくできたハリウッド映画みたいで素直に楽しい。粘り強いバッティングと走力に裏打ちされた出塁率の高さから、不動の先頭打者。
バチガルピは、個人的には長編だとちょっとダレる感があって、そういう意味ではこの短編集の方が好み。ねじまき少女の世界観濃縮版「カロリーマン」、文明がゆるやかに崩壊する恐怖「第六ポンプ」が好み。現代を代表する作家の一人に数えられますが、独特のディストピア・バイオパンクを突き詰める職人気質。2番ショートで起用。
現代と地続きの近未来からスタートして、加速度的に変容する社会と人類が技術的特異点を迎えるまでを描く大作。ストロスはコンピュータ関連のジャーナリストってこともあって、ギーク文化との親和性も高そうなディテールが満載で楽しい。抜群の守備範囲の広さ、打てば長打を量産する勝負強さで3番に定着。
イーガンは短編が無難と言われてますが、この「順列都市」は素直に面白いと思う。荒唐無稽なアイデアを、超力技で煙に巻かれてなんとなく納得されられてしまう快感。本書冒頭の、コンピュータ上でシミュレートされた人格のコピーが、目覚めて状況を把握してから辿る思考過程を描いたシークエンスが最高で、10回は読み返してる。イーガンほど投手にプレッシャーを与える打者はそういないでしょう。ネクストバッターズサークルにいるだけでも圧倒的存在感。
現代SF・ファンタジーの最右翼(本人は左翼だけど)。スキンヘッドにピアスのイカツイ兄ちゃんです。一見ありふれたハードボイルド警察小説?と見せかけて「重ね合わされる都市」というとんでもない舞台装置、どうやったらこんなもの思いつくのか。さらにそれを言語化できる力量もすごい。
ここまででお分かりの通り、増田は現代SF好きです。が、この「地球の長い午後」は入れざるを得ない。遠未来、自転が停止した地球。動物と植物の力関係が逆転した異常な世界で、食物連鎖の下層で右往左往する人類の、圧倒的無力感。ベテランならではの味わい深さと駆け引きの巧さ。
6番・オールディスの直接的な影響下にある、椎名誠のSF三部作。の中でも、この「武装島田倉庫」が一押し。奇妙な生き物が跋扈する文明崩壊後の世界を、さまよい、戦い、逃げ惑う人間たちの群像劇です。これも何度も読み返してるな。漬汁がなんか旨そう。
海外文学方面では、現代SFにおけるイーガン的大正義ポジションを占めておられますマッカーシー御大の手による、核戦争後と思しきポストアポカリプス世界をさまよう親子を描いたロードノベルです。沈黙の音が聞こえそうなくらいの静寂と、真綿で心臓を締め付けられるような絶望と哀しみ。大変地味ですが間違いなく大傑作。
ギブスンといえば「ニューロマンサー」でありそれに続くスプロールシリーズなんでしょうが、増田はどうにもこの「ヴァーチャル・ライト」が好きでして。何と言っても作中に出てくるベイブリッジ。閉鎖された橋をホームレスが選挙して好き勝手に増設を繰り返し、無計画・無軌道に成長してしまった構造物…すてきすぎる。
増田の中では「柔らかいイーガン」という位置づけにあるんですけどどうでしょうか。「実存」をメインテーマに据えながら、幻想的・宗教的な色彩の強い作品群。ワンアイデアをじっくり煮詰めて、これ以上ないくらい適切に料理した佳作集。死ぬほど寡作なのが玉に瑕。最近何してんの。
増田的には究極のSFはステープルドンになるんじゃなかろうかと思っています。20世紀から20億年後までを俯瞰する人類史。これほどのタイムスパンで書かれた作品は他にないんじゃなかろうか。しかもこれ1930年の作品ですよ。半端ない。
時間を止める妄想は俺も好きだけど、ずっと昔から抱いてる疑問が幾つかある。
自分以外のものは全て動きが止まってる。それは周囲の空気も同様のはず。
空気の動きが止まってる状態で息を吸ったり吐いたりしたらどうなるのか想像できない。
っていうかちゃんと酸素取り込めるのか?
時が止まってるのなら動かせられないハズなのに、なぜか動かせられるハズな事が多い。
というか動かせられないと最初の息の疑問で呼吸はおろか空気を動かせられず移動すら出来なくなるから大問題になる。
ブックオフに見に行ったら1冊もなかった。人気だからすぐ売れちゃうのかな。佐島勤先生すげえええええええええええ
ちなみに今日ブックオフで買ってきたのは、『新潮日本文学8 志賀直哉集』(『暗夜行路』しか読んだことないし、全然好きじゃないけど、とりあえず買っとくかあみたいな。短編は面白いのかなという興味)、アレクサンドル・デュマ『王妃マルゴ』上下(デュマは定価で買う気がしなかったからありがたい)、絲山秋子『沖で待つ』(絲山はつまらなかった気がするけど、芥川賞のこれ読んでなかったから一応買った)、星野智幸『俺俺』(星野も好きじゃないんだけど、まあなんかしょうもない義務感というか)の5冊。全部108円で540円。なんか最近ブックオフにろくな本がない。むかしはウンベルト・エーコ『薔薇の名前』が105円で売ってたりしたのに。
で、しょうがないから、本屋で『魔法科高校の劣等生』の新品を買ってきたよ! 少女小説以外のラノベを新品で買うなんて何年ぶりだろう。びっくりしたんだけど、これ「入学編」で上下巻構成なのね。上巻だけ読んで判断するのは申し訳ないから、しかたないから2巻まで買ってきちゃったよ。大冒険じゃん!
俺 T U E E E E ! ! !
なんかすごいどきどきしてる。こんなに読むのが楽しみでわくわくしちゃってるのっていつ以来だろう。
いまちょうどジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』が岩波文庫で出たから、なつかしいなあとか思ってゆっくり精読するように読み直してるんだけど、全然わくわく感はないんだよね。ジャン・ジュネの『花のノートルダム』の新訳が光文社古典新訳文庫から出たときも相当うれしかったけど、でもなんかわくわくって感じではなかった(まあなんども読んでるからだけど)。大好きなドゥルーズの『差異と反復』が文庫になったときもひゃっはーって感じだったけど、やっぱりわくわくって感じではなかった。『魔法科高校の劣等生』のわくわく感ははんぱない。相当すごい。
この感覚っていつ以来だろう。ゲームに関していえば、小さいころは年に数本しか買えなくて、ひとつのゲームを買うのが大事件だったんだよね(『ドラクエ6』にするか『ヨッシーアイランド』にするかで死ぬほど悩んだなんていったら年がばれるかw)。でもいつからか毎月のようにゲーム買うようになって、買ってはすぐにクリアしての繰り返しで、少年時代のわくわく感ってだんだん薄れてきちゃうんだよね。『魔法科高校の劣等生』のわくわく感はすごい。なんだこれ。懐かしい感覚だ。涙が出てくる。
はじめてAV買ったときの、はやく帰って家でDVD再生したくてたまらず、例の芸術的とも卑猥ともいえる海綿体の先端に咲き誇る透明の液体が震えに震え、行き場を失ったエネルギーがいまにも爆発しそうで、猛禽類の力強い羽ばたきにも似て通りすがりのひとにとって致命的ともいえる旋風を巻き起こすものすごい加速度をもって走り出しそうな、でもいい年して街中を全力で駆け抜けるのはアホだからと必死に気持ちを抑えるがどうしても早足になってしまう、耳は赤いし、心拍数は上がってしまう、あのときの、ああいう感覚なんだよ!(謎)
っしゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ
新しい時代が来た。その謳い文句に何度心踊らされたことか。そもそも時代とはなんなんだろうか。新しいとはどのような感覚なのだろうか。日常を退屈に生きる僕たちには「新しい時代」という言葉にあまり慣れ親しみがないのではなかろうか。昨日と今日、今日と明日。なにが変わって行くのだろうか。この加速度的に進んでいくしかない日常をどう変えてくれるのだろうか。流動的でかつ加速度的に進んでいくしかない日常、それでもなお日常だ。その「日常」から抜け出ていくことはできないのだろうか。僕たちはまだ新しい日常をなにも経験していない。仕事に追われ勉強に追われ何かに追われながら生きている。「新しい時代」は日常なのか。そうでなかったら僕たちは悲しい。新しい時代なんていらない。僕たちは新しい時代よりも新しい日常を生きたい。
横からだけど。「UNIXをパクる」って言い回しはUNIXのオープンな思想に反してるように思う。単に言い方の問題だったらごめん。
……まーでも結局のところ設定を変えて与えられる自由度もそのパラダイムを壊すものではないわけじゃん? たとえばマウスカーソルの加速度を変えるって言ってる時点でマウスカーソルを使うことが前提されているわけで。AppleだかMicrosoftだかまあ具体的な企業はどこだっていいんだけどその手のアレが偉いところは、(多少強引なやり方であれ)タッチパッドみたいな形できっちり新しいパラダイムを提示してくるところだよね。そうやって示されたものの良し悪しはおいといて。いやまあ発想レベルで新しい枠組みを提示する人はもちろん論文書くなりなんなりした人なんだけど。現実的に実現してそれをエンドユーザに提示するのはこの手の企業だよね。
んでそうやって新しくしたものを提示するには多少強引になっても仕方ないんじゃねーかなーとか思う。実際OSS文化圏で実装したスゴい新技術とかもこの手の企業を介してユーザに提示されるまではアーリーアダプターが「スゲエ!」って言ってるだけだったりするもんね。そーいう意味であの手の企業は機能としてかなりクリティカルなとこを担ってると思うんだよなー。だからそこまで嫌ってやらなくてもいいんじゃないの。まあ生理的なレベルで嫌いとか言われちゃうとどうしようもないんだけど。
レスどうも。でもやはりなんとなく歯切れが悪いな。
Appleという会社の、UNIXをパクるなどして自分らの利益にしながら、ユーザーには設定の自由度すら与えず「こう使え!」と押しつけてくるみたいのが気に入らない。
マウスの加速度だって、単にOFFにできればいいだけじゃねーか。でもAppleはあれがクールだと思ってるからOFFにさせないんだろ?何て傲慢なんだ。
MBAにしろMBPにしろ、あのスペックであの薄さ、ってのが偉いもんだけど、
これはもう慣れ、としか言いようがない。Macで慣れたらWindowsが使いづらくなるだろうし。
フリーソフトでWindowsみたくするものならいくつかあるけど。
Mavericksからは両方に表示(同時に表示、じゃなくて、カーソルとかを移動させると移動する、って感じだけど)出来るようにもなった。逆にキモいから使いづらいけど。
DockにApplicationフォルダでもおいておけばいい。
UNIX系と言えばそうだけどLinuxではないのであくまで「似てる」ってだけで実利は無いと思う。パッケージのインストール方法も違うし。
Linuxの中でだって違いは結構あるし、"実利"はあると思うけど。
てか、「似てる」っていみは、「Unix系」とかそういうレベルじゃなくて、単にすぐにBashとかが使えるかどうか、ってレベルの話だと思いますが。