はてなキーワード: 公立とは
36歳男。
今朝、死ぬ夢を見た。
結婚もしてないし女性とお付き合いした経験もない。学生時代の栄光もなければ仕事で活躍したりもしてない。そして今コロナで職場を追われその日暮らしをしているが、それでも悪くはないなと思えることも多かった。
2年の時だったか、「お父さんの仕事についてお話を聞いてきましょう」という宿題が出て、俺は母親に聞くしかなかったからそれを発表したら「何でお母さんなの?」みたいになって、教師の大したフォローもなく大泣きしながらそのまま帰った。
その日から不登校になったが、あの宿題の出来は結構良かった記憶。
文化祭のタイミングで教師がうちに来て、文化祭は来ような、みたいな感じになって「ふじまる」という相撲取りの役をやった。あれはイマイチだったが全力は出した。
学校に行ったおかげで山下という親友ができた。読書やお笑いの趣味が合い、本や深夜の番組を録画したテープを貸し借りした。今でも仲が良い唯一の友達だ。
それから泣かず飛ばずの義務教育を終え、なんだかんだあって公立高校に行ったが、2年の時に母親が乳癌で亡くなった。あらためて、本当に育ててくれてありがとう。恥ずかしくて書けないが母親と出かけた記憶は本当に良い思い出が多い。
特に目立つようなことは出来なかったが、「お前飲み込み早いな」と褒めてくれた人がいたのは今でも覚えてる。
お金がある程度たまったので安いアパートに越してフリーター生活を始めた。
倉庫での仕分けの仕事だが、割と評価してくれたのか1年で正社員にしてもらえた。
いうても給料はそんなに上がらなかったけど、人生で初めて認められた実感を得た。
一眼レフを買って写真を撮りはじめた。原付で適当な場所にいってパシャパシャと撮って、たまに雑誌に投稿したりしていたら掲載してもらったことがある。この時も本当に嬉しかったな。創作を評価してもらえる喜び。
一回100ブクマ超えたけど「三大○○」というアンケート系であんまり満足出来なかった。
働いてたのは食品を扱ってる倉庫だったんだが、去年の緊急事態の時に大幅に売り上げが下がって切られた。
コロナの時代だからか、配達先で凄い感謝されることが多く、なかなかやりがいがある。
ま、文字にすると本当に些細なことしかないしこれを小さな幸せ()と笑う人もいるだろうけど俺には贅沢すぎるぐらいの喜びなんだわ。
豊かな暮らしや結婚生活に憧れがないといえば嘘になるけど、完全に俺好みにしたワンルームは最高だし俺が作るからあげはめっちゃ美味しい。
人を殴ったこともないし悪いこともしてない。
良くはないけど悪くもない。
コロナ禍のなかでコロナについて色んな人と話をして思ったんだけど。
理系の勉強してない人ってどんなふうに世界を理解してるのか?ってこと。
俺は高校でまともにやったのは物理と化学。生物はさらっとやった程度。
コロナが流行りだした頃に(ウィルスと細菌ってどう違うんだっけ?)って疑問に思ったり
ストーブに灯油移すときのポンプの仕組みが気になったりする程度だけど想像力が働く。
でも周りの人がコロナをけがれや祟りのように過剰に忌避するのが良くわからなかった。
残念な事件が起きてしまって気の毒なのだけど、地元民から見えてくることをなんとなく書いておきたい。
まず、被害者の学校とか加害者の名前や学校、親が誰かといった情報はほぼ特定されてすでに口コミで流れてる。いずれメディアあさひかわとか北海道経済が整理して書くだろう。インターネットの情報は爆サイも5ちゃんもほとんど間違ってる。特に指摘しておきたいのは教師の名前。全部間違ってる。
次に、文春の記事を読んだ感想。ウッペツ川という地元の人しか知らない小さな川の名前が出てくる。普段はほとんど水が流れていないけど豪雨や雪解けの時はそれなりの水量が流れる。遊水地にちかい運用がされている川。アイヌ語でウッは肋骨、ペツは川、肋骨のような川、要するに支流の小さな川、横川とか脇川のこと。住宅街からイオンモールの近くを抜けて近文で石狩川に合流する。
このウッペツ川の周辺は北門中学と北星中学の学区がある。地方都市の普通の住宅街で、北門中学側は上川アイヌが多い地域だけど今は普通に現代の暮らしをしていて貧しいとかそういうことはない。一戸建てが多く、高齢化も進んでいる。犬を連れて外を散歩していても登下校時以外に子供の姿を見ることはほとんどない。静かな地域。大島てるを見ても特別治安が悪いということはない。
この地域には実はもう一つ中学校がある。国立の北海道教育大学附属旭川中学校だ。国立なので学生は受験して入る。名門とかエリートとか言われがちだが、学力はさほどではない。事実上の小中一貫。附属小は受験者のほぼ全員が合格する。3分の2は内部進学で入試組は3分の1。学生のおよそ3分の1くらいは歩ける範囲に住んでる。公立小学校の不良が嫌で受験するという話をよく聞く。そういう関係で附属には真面目な子どもと親が集まる。ひどいいじめや不良が事件を起こすといったことはまず聞かない。そういう意味で都会的な普通の学校だ。
その反面として附属のある地区の北門中と北星中はそれぞれ真面目な方から順に3分の1くらいの学生が抜けることになる。そうするとどうしても学校全体のモラルは低下して荒れやすくなる。結果、それぞれの中学校では数年に1回ペースで定期的に新聞に載るような事件が起きている。学生だけではなく教師も定期的に事件を起こしている。今回の事件もその一連の事件のひとつと考えて差し支えない。起きるべくして起きたというか、また起きたか、というのが正直なところ。
地方都市の国立中学校の周辺ではどこでも同じようなことが起きているのではないかと思う。学生を選抜することで生じる負の側面なのかもしれない。
28歳男
日系メーカー勤務
年収550万
車持ち
奨学金なし
週の半分程度が在宅勤務
身長182cm
小中と運動神経が悪いくせに無駄に成績だけはよく尊大な態度で生意気だったためいじめに遭っていた
中学で身長が伸びて見た目が垢抜けると同時にいじめはなくなった
中高は運動部
大学ではぼっちではなく文化系のサークルにも加入していたが今でも連絡をとる友達はいない(結婚式や年末年始に会う人がいる程度)
現在、一年近く付き合っている彼女がいるが職業や性格などを重視して見た目を妥協してしまった
セフレがいる
初対面の人とは上手く話せるが、だんだんと人と接するのが怖くなる傾向にある
あがり症でプレゼンなどで人前で話すのが非常に苦手だが、原稿を準備してそれ通りに話すのは問題なくできる
そんなに不幸じゃないはずなのに不幸を感じている
大学の学部の研究室が毎年一人は中退するような場所で私も一時期研究室に来れなくなった
どうにか卒業し、修士では研究室を変えたものの、精神が脆くなったようで少し嫌な事があると今でもたまに鬱病のような気分になる
たぶん今の死にたそうな気分も明日にはどうにかなっているはずだが、こんなものを書いて私は一体何がしたいのだろうか
わからない
32年の追跡調査でわかった「幸福な人生の秘訣」 | WIRED.jp
成人してからの幸福度に最も結びついていた要素は、若年期における「社会とのつながり」だった(その方面に詳しい人向けに言っておくと、相関係数は0.62)。これに比べて、「学業成績」は幸福度の予測因子としてはるかに劣っており、相関係数は0.12だった。
この研究では、「社会とのつながり」について、「社会的愛着の質」「組織的なクラブやグループへの参加」「主観的能力または長所」「生活への満足度」の4つの尺度で評価している。
第一に、十代の若者にとって、社会的愛着の大きな部分を占めるのは「両親との関係」だ。十代のころに両親との関係が良好であるほど、幸福度の高い成人になる可能性は上昇する。また、十代の若者にとって、自分の親を好きであることと同じくらい重要で、なおかつ同じくらい想像しがたいことは、彼らが学校を好きであることだ。
「毒親」なんて単語が入った記事で、3users以上のはてブを獲得しているものは3000件を超える程度あり、その関心の高さがはてなーには見られる。そして、その基本論調は語るまでもなく、ここぞとばかりに毒親を批判する。あまりに批判したい気持ちが先行していて、ブラック企業やカルト宗教のようなやり口に自覚なく手を出してしまうこともある(久しぶりにこんな胸糞案件を見た)。当たり前だが、はてなーで「10代の頃に両親との関係」が良好であることはない。
また、「公立中は動物園」と言い放ったブコメがトップで星を集め、それが問題視されても「公立中動物園」擁護ブコメが一番星を集めるのが、はてなだ(はてなリベラルやばすぎ)。学校をあまりにも憎んでいるので、地毛黒染め校則の件については保護者たちの強い要請や生徒集客、公立中の統廃合といった諸事情をろくに考慮することなく、ファビョってしまった(「子供を小学校に通わせなくてもよい」という意見に対して、元教育者として言いたいことは山のようにある)。校則だけでなく、エアコンデマにも引っかかる有様(はてなブックマークが学校のエアコンデマに対抗できなかった件について思うこと)。学校制度とは別の学校生活の方も、「教室アルバム」の反応からすれば、ダメダメなようだ(今どきの卒業式はこんなに進化している!「教室アルバム」が超楽しそうでグッとくる)。当然、はてなーは「学校が好き」なわけがない。
ただし、社会とのつながりや学校を好きであることが重要だからといって、その子どもが「人気者」でないと幸福な大人になれないということはまったくない。花形クォーターバックであることより重要なのは、「何か悩み事があったり、怒りを覚えたときに相談できる相手」を持つことだと、研究チームは述べている。また、所属するクラブはスポーツである必要はない。幸福につながるのは運動への熱心さではなくグループに属することだ。
「何か悩み事があったり、怒りを覚えたときに相談できる相手」は、はてなーにとってはてな匿名ダイヤリーを通じたはてブだろうが、鬱病の人をはてブでフルボッコするぐらいには凶暴だ(鬱病の人をはてブでフルボッコにしたら亡くなってしまったという事例)。あのネガティブで執拗に攻撃を繰り返す感じは、実社会で考えたら完全にパワハラ上司のそれ。ゴールポストを動かして、粗探しして、ひたすら攻撃を続ける様は、部下とかをメンタル不全に追い詰める有様とどう違うのだろうか。企業のハラスメント問題を最上段から批評しつつ、加害者という立場に片足突っ込んでいる人たちが相談相手として適切だとはとても思えない。
そしてもうひとつ重要なのは、32歳になったときの幸福度を予測する因子は、10代の若者が客観的事実としてどのような生活を送っているかではなく、その若者自身が自分の生活をどのように評価しているかだという点だ。その若者は、自分の将来について楽観的で、自立していて、おおむね忙しい毎日を送っているだろうか? もし答えがイエスなら、その若者は、西洋社会における若者のステレオタイプを覆す存在であり、かつまた将来、非常に幸福な大人になる可能性が高いということだ。
はてなーが10代の時に「自分の将来について楽観的で、自立していて、おおむね忙しい毎日を送っている」なんてちょっと想像ができない。移民やAIに将来仕事が奪われるんだと悲観的で、リタリンやネットに依存していて、帰宅部で暇な毎日を送っているんじゃないかな。
公立の小学校で働いているが、#教師のバトンなどで最近クローズアップされている教職を傍から見た所感。自分は非教職・非正規。地方都市在住。あくまで個人的な所感。
・クラス担任になるとその教師にクラス全員分のほぼ全部の判断や責任が委ねられるので教師一人あたりの負担が大きい。自分の勤務する学校では他の教師は生徒指導的な面ではほとんど関わらない。
・教師個人によって判断・傾向の差が大きくあり、平たく言えば当たり外れも大きくある。いじめが起きた時、真摯に対応するか否かもその教師の経験や価値観に基づいて対応が変わる。
・やる気があると際限なく仕事が増えてしまうのでほどほどで止めるしかない。教師の仕事は膨大。日中は授業と生徒の面倒をみなくてはいけないのでそれ以外の時間に授業準備などをこなさなくてはならないが、職員会議を終えた朝8時過ぎには登校してくる生徒もいるので教室で待機になる。そこから15時~まで生徒の面倒をみてからの授業・行事準備や採点や提出物チェックや研修や問題ある生徒の対応や・・・(エンドレス。
・ちなみに自分が働く学校ではいつも朝6時から学校で勤務していた真面目な若手の教師がいたが、クラスにどうしようもない問題児が二人いた年度の半年を過ぎたあたりで精神を病んで休職されてしまった。
・ただでさえ人数が多い学校の事務的なことを事務員と教頭の二人でこなさなくてはいけないのでこちらも仕事量がやばい。あまりにも仕事量が多いせいか教頭はやる気とガッツが果てしなくあるタイプか問題を見ないふりをしてできるだけやり過ごすタイプの二通りに分かれる。
・問題のある子どもの親はだいたいやばい。親に問題点を伝えても対応できない(しない)こともある。授業の妨害をする子どもの場合、授業中にその子をおさめるために教師の労力が割かれてしまい、ほとんど授業にならないこともある。
・数年ごとの教員異動の仕組みのせいで教師全般が学校業務の最低限をこなすことしかできない。それ以上の改革まで踏み込めるような仕組みになっていない。
・現在の公立小学校はやる気のある真面目な教師から精神を病むようなシステムになっていると感じる。とりあえず無駄な行事をどんどんそぎ落として業務をスリム化すべき。
私はそれなりの有名私大から有名国立大学院に学歴ロンダリングした。
元いた私大の大学院に進んでもよかったが、やはりとりわけ理系では、国立優位なことは認めざるを得ない。
貧乏だった人が裕福になることを目指し、何か問題があるだろうか?
立場が弱かった人が権利を主張し、責められることがあるだろうか?
いや、ない。むしろ何もせず怠惰である方が恥ずかしいとされる世の中だ。
しかし、学部から異なる大学院に進む話になると、学歴ロンダリングだ!!!と喚き出す人間が存在する。
なぜ。。。
どれも努力した (そして今後もするだろう) という点で、本質的には同じはずなのに。
しかも面白いのが、学歴ロンダリングを叩く人々は、中々の割合で地頭信者なのだ。
彼らの言い分は大抵こう。
大学入試の問題 (特に数学、物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試は簡単で誰でも解けるから、バカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!
少し自分語りをしたい。私は大学に入るまで、勉強というものが嫌いだった。
多少賢い方だったので、小学生時代に学習塾で受けた模試でよく冊子に名前を連ねていた。中学受験を勧められていたが、家庭の事情で地元の公立中に進んだ。
小中と勉強しなくても学校のテストの点はよかったので、勉強しない癖がついた。好奇心は強い方だったと思うが、私は怠惰な人間なので、目先のゲームの方や部活の方にばかり気持ちが寄った。
その後進学校と自称進学校の半ばくらいの高校に、そして某私大に進学した。私はやはり怠惰だったので、高校受験も大学受験もさして勉強はしなかった。
勉強嫌いは治らなかったが一般受験というものを経験してみたかったので、大学受験は推薦などは取らず一般で受けた。
高校受験は舐めてもなんとかなったが、流石に全国規模の大学受験は思うようにはいかず、諸々の大学に不合格を貰い某私大に進んだ。
勉強関連で大した失敗経験がなかったので、困らないくらいの学歴は手に入るだろうというバカな考えがあった。まあ正直今でもそう思っているし、有難いことに一応はそうなった。
この某私大は一般的に M*RCH と同程度か超えるくらい難しいところだと思う。ネット上では M*RCH は 3 ヶ月!などと暴論をかます人がいるが、私に言わせればまだ甘い。M*RCH も某私大も 0 ヶ月だ。
そしてこの某私大は、私の感覚的に、研究員になれる最低ラインの大学なのである。この大学に合格していなければ、恐らく研究の道に進もうとは思わなかっただろう。
もっとも、出題によっては、M*RCH にも落ちたりした。運のよさだけが取り柄である。
念のため付け加えると、上記をみれば明らかなように、私は学歴などには大して興味はない。大学受験で努力できた人の方が、人として私よりも圧倒的に優れていると思う。努力した人をバカにする意図はない。
また、自分を稀代の天才などと思っているわけではない。だいたい研究の道に進めば自分より優秀な人なんて山ほど出会うし。入試だって東大 0 ヶ月を主張する者さえいる。
この某私大で、転機が訪れた。大学の勉強が楽しいのだ。なんということだろう。
私は情報系の学生である。小学生の頃にゲームを改造するという形で情報技術に興味を抱き、高校まで趣味でプログラムを弄っていた。
高校までの授業は、特に普通科高校などでは、まずやっておけば間違いない (悪く言えば当たり障りのない) 教科ばかりで構成されている。生徒が卒業後どの分野にも進めるように組まれているのだから当然だ。
大学は研究機関であり、かつ専門教育を行なう機関なので、高校までとは毛色が違う。
大学の講義や研究は私の興味に合致した。このまま進みたいと思うようになった。楽しいから仕方ない。この後の進学までの流れはどうでもいいので省略するが、結果、学歴ロンダリングの道を選択した。
自分に限界を感じて諦めるかもしれないが、それならそれでも構わない。ロンダロンダ煩くされるなら、院の名前は出さず某私大の名前だけで生活してみせよう。学歴自体にはさして関心がないのだから。
少し話が逸れてしまったが、したがって、
大学入試の問題 (特に数学、物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試は簡単で誰でも解けるから、バカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!
に対する私の答えはこうだ。
「地頭」で能力の伸び方は変わるかもしれないが、上限は関係ないと思う。
現役 MARCH 全落ち 1 浪東大の人とか知ってるし。なんなら多浪高学歴 YouTuber とか何人もいるし。
逆に、浪人して俗に F ランなどと呼ばれる大学に行った人も知っている。でも彼らも伸びが遅いだけで、特別知能で劣っているのではないと思っている。
もちろん言うまでもなく、難関大学に合格する人は凄いです。私にはできなかったことなので、その賢さと努力は素直に尊敬します。
まあ確かに、確かに東大生を主張していた人が学歴ロンダだったら、あれ?って感じるのはわかる。明らかに元いた大学を隠しまくってたら私もうーんって思う。わかる。
全く誰からも批判されない人など居ないので、批判したければ常識の範囲ですればいい。でも、主語を大きくしてロンダは全て悪!は間違っている。
例えば気に入らない中国人がいたとしても、すべての中国人をバカにすべきではないだろう。
中国人は採用しない!とか発言して東大から解雇された某最年少准教授の例とかあったじゃん。
なんだか、人を叩いて気持ちよくなりたいタイプの方々が、若い芽を摘んでいるだけな気がしてならない。
しかもそれが割とスタンダードな考え方なことに、失望を隠せない。
前述の某最年少教授の処分にあたってそれとなくロンダをバカにする反応をしていた東大教授さえいたし。
帰宅して聞いたのが信じられない話。
なんと制服→ジャージへの着替えが男女同室で行われるというのだ。
そのため常に、男女とも、半袖短パンを制服の下に着用せよという。
事前にそういうお達しがなかったため、今日だけは「特別に」別室で着替えたらしい。
おそらく、スペースと移動する時間がないという理由だと思う(後々事情を学校に聞いてみることにする)。
校舎は数年前に建て替えられたため、その時スペースを作ることは可能だったはずだ。
同じ市内の小学校の時でさえ着替えは別々だった。
追記から「市内の公立」とは読み取れるが、これが私立だろうが23区だろうが地方だろうが似たようなことをやるカスは絶対いるはずなのにね。
あまりに恐ろしい内容だから「自分の属する集団にこんなことをするバカは存在しない。よそのバカの仕業だ」と思いたいんだろうしその気持ちもわかるけど「絶対にいじめのない学校は存在しない」みたいな話で、「貧乏な公立のバカ親が」とか「暇な専業主婦ばっかりの学区が」とか切断処理してると足すくわれると思う。
愛子内親王すら小学校時代はいじめにあって不登校気味だったやで。子供学習院に通わすハイソ層にすら皇太子(当時)の子供をいじめるように仕向けた命知らずの不敬クソ親が存在するんだから、どこにだってクソはいるし皆で見つけ次第潰してかなきゃいけないものだと思うんだけどね。
ブラック校則の問題が取り上げられるたび、学校も先生も頭おかしい!おかしいルールは即撤廃すべき!って吠える人多いけど、どういう世界を望んでいるんだろうか。
子供たち自身が、自分たちで決めたルールに則って学校生活送る世界?それともすべての頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限を撤廃した上で、個々の子供と家庭に任せる世界?
自分が過去、学校生活で味わった理不尽さを思い出して憤り、「現在の学校や先生」に八つ当たりしてんじゃないかと思うことがある。
わたしは、子供の頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限、学校側が頭ごなしに決めるのは問題だと思うし、どれもなくていいと考える方だけど、
たとえばだけど、小学校卒業式の服装。とくに女子で和装の流行が問題となってきて、実質規制する学校もある。
着崩れ問題とか着慣れない服でトイレいくのが難しいとかいう、児童一人で始末付けられない問題のせい。
誰が始末をつけるかったら、それは保護者じゃなく先生になるわけよ。
じゃあ一人で始末を付けられる服装という制限だけにしたらどうか。
それならと、和装着たい子のすべての家庭がきちんと練習して着用させるかったら、あやしいものだよね。
じゃあこの規制は「合理的理由」かったら、不合理と考える人だっているでしょう。うちの子は着付け習っててちゃんと着られますとかね。
合理的理由って一言でいうけど、線引き考えてルール決めるって本当にむずかしいよ。理由づけなんていくらでもできるから。
もちろん、下着着用問題、下着色問題とかは、明らかに不合理だし、女子もちでこのルールあったら学校にねじ込んでると思うけど。
なんかまあ、全部学校のせい!先生が悪!教育委員会はクズ!みたいな論調に違和感覚えるんだよね。
ルールを撤廃したり、子供に決めさせる、家庭に任せるにしても、実際の学校現場で子供たちに対応するのは先生たちだからね。
保護者が責任持って現場でサポートしてくれるわけじゃない。子供の学校外行動に、管轄外ですから!って割り切って電話切れる学校はない。
服装、頭髪どんな表現で登下校していても、個性的ねーってみんながみんなあたたかく見守ってくれる世界に生きてる?
家庭の問題だろっていうけど、制服着てる以上、学校に登下校する様子見てる以上、どうしたって評価は学校の方についてしまう。
規制がない私立の学校説明会で聞いたけど、生徒の「華美」な服装でイチャモン電話があったら、うちは生徒の自主性に任せる学校ですって応えてると言ってた。
公立小中、公立高校、すべての学校がこういう覚悟を持てるだろうか?
まあ一度、頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限とかなくしてみたらどうかとも考えるけど。面倒を考えると踏み切れんだろうね。
自分の子供が通う予定の小学校でこんな事あったらマジで怖すぎるんで自治体だけでも教えて欲しい。こんなのブラック校則と同じじゃん。担任の先生と一部の子供や保護者に対するハラスメント、人権侵害が起きてるじゃん。
特に給食試食会がひどすぎる。親が来ない子供晒し者にして泣かすとか、これ考えた奴人の血流れてんの? そこにホイホイ行って、泣いてる子供の友達横目に他の保護者もよく平気で飯食えるね。よその子を泣かせながら食う飯は美味いか? 誰も学校に抗議しないの?
うちの子供が通ってる保育園でも保護者会が終わるといつもより少し早くお迎えになるけど、親が保護者会に参加してない子は必ず、友達が親と一緒に帰っていくのが見えないよう、別の場所で過ごすように園が配慮してくれているよ。
そういうの一切ないのマジで? この共働きのご時世に、平日の昼間に仕事休んで学校来られない親が悪いって言われるの? 馬鹿じゃないの?
もしほんとに各地の保護者グループでこんなことが起きてるなら「ブラック保護者グループ」とか何とか名前つけて社会問題にしないとダメだよ。
そういう、母親達の人脈で情報回していくのは何かとトラブルになるから、最近はそういうのが意味なくなるように、学校側は情報を出し惜しみしないし、「何か分からないことがあれば学校に電話してください」ってめっちゃフレンドリー。
それでも遭遇してしまったトラブル(私がろくにママ友付き合いをしない・LINEグループに入ってないせいで)、自分は当事者ではないけどあったトラブルをあげとく。
ママ友LINEで担任の悪口がガンガン回ってしまい、最終的にはクラスの子供達まで担任を馬鹿にするという事態に。ただし、担任が案外子供あしらいの上手い人で、自分が馬鹿にされていることを逆手に取って子供達の自主性を伸ばすという、良かったこともあったのだけど。それは無かったことにされた。別に懲戒になるほどの不祥事をした訳でもないのに、担任は一年で学校を辞めていった。
「給食試食会」という名だけど、子供と保護者で向かい合って給食を食べるという、親子交流イベントなのだ。
「任意参加」という体で参加申込書が来たので、私は素直に「不参加」に丸を着けてしまった。そしたら数日後、子供が号泣しながら帰宅したのだが、子供は「給食試食会ーっ!!」と泣きわめくばかりでさっぱり事情がわからず、学校に問い合わせて発覚。
もちろん、毎年家庭の事情で保護者が来ない子も一人か二人はいるんだけど、そういう子は号泣しながら独りで給食を食べることになる。そんで「◯◯ちゃん、お母さんが来ないって泣いてたよ」などと来れなかった保護者を態々面と向かって詰るとか、井戸端会議やLINEグループで吊し上げるということが、毎年行われている。それが続くうちに、子供の孤立や自身のママ友コミュニティでの吊し上げを恐れて、なんとしてでも都合をつけて参加する母親が増えていった為、毎度参加率90%超えのイベントと化していた。
担任にそう聞かされたあと、ママ友ってほどでもないが連絡先を交換してる知り合いに聞いた。そのイベントだけは不参加だと物凄い攻撃を受けるので、絶対出てこいと言われた。参加してみると、本当にほとんどの保護者が参加していた。不参加だったのは外国人のお母さんだけで、そこの家の子は号泣しながら担任と給食を食べていた。
これは幼稚園での話で、うちの子よりも2歳上の子のいるお母さんから聞いた話。彼女は幼稚園にママ友が全くおらず、子供もバス通園なので、幼稚園の様子を知ることが出来なかった。それで、運動会のお知らせに「子供がお遊戯の道具などを入れるために、段ボール箱を用意してください」とあったのを読み、文字通り、ただの段ボール(しかもスーパーで貰って来たヘタレてるやつ)を子供に持たせた。運動会当日になって初めて、我が子の箱だけが浮いているのに気づいたそうだ。
「うちは男の子だから『そんなもんか』って感じで本人は平然としてたけど、女の子は周りをよく見てるし気にするから気を付けてね!」
というアドバイスをもらったが、うちの子が入園した年には、園からのお便りに「色紙やシールで飾ってあげるといいかと思います」と注釈が書かれていた。数少ないママ友に聞いたところ、たまにただの段ボールを持たされて大泣きしてる子がいるから、お便りに書くようになったんだろうね、とのこと。
たぶんこれ、学校で問題になってることうけ合いだから、うちの子供が六年生になる頃には何かしら対策が取られていそう。
小学校の高学年女子の間で、なんか特定の子供ブランドが流行しているらしく、修学旅行二日ぶんの衣服をそのブランドで揃えると四万円は軽くかかるということ。
という情報がママコミュニティで共有され、我が子がいじめにあったりハブにされたら大変!と、ほとんどの女子が同一ブランドで服装を統一することになった。女子ら本人の好みも当然無視である。噂では、ブランド好きグループはごく一部でしかないのだが、その中心にいる母親が相当問題のある人なんだという。
給食試食会が開かれたのはうちの子の学年までで、翌年からはなくなったらしい。理由は知らない。私が担任に「実質強制参加になってるのに、なんで参加申込書は任意っぽく選択肢が書かれてるんですかー?」とのっそり質問したのが原因だったら笑うけどw
いや、今時は共働きで簡単に休みを取れない保護者が多いからじゃないかなあ。
なお、新型コロナウイルスの流行よりも前の話なので、感染予防とは関係ない。
市内の他の小学校でも給食試食会があるらしいけど、確か参加した人の話では、完全任意で親だけで集まって食べるスタイルだとか。まあ、その人んちのお子さんは私の子供とは干支一回りぶんくらい年が離れているんだけれども。
トラバ読んで思い出したけど、高学年女子の間で流行ってるブランド、メゾピアノだ。私はブランドなんかさっぱり分かんないので、知らなかったけど。
卒業式に女学生袴で合わせる小学校というのを、ネットニュースで読んで、対岸の火事だと思ってたら、まさかの修学旅行お揃い参加事件が起こるとは盲点過ぎてびっくりした。
うちの子の小学校の卒業式は、男女とも進学する中学校の制服での参加が義務なので、袴地獄はまぬかれられそう。だけど、年々近所の公立中ではなく遠くの名門私立中に進学する子が増えているらしいので、またなんか一悶着起こるのかなあ……。
その噛み合わなさに強い違和感を感じていたけど、メロンダウトの記事を読んで、その違和感が決定的なものになった。
https://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2021/04/05/093629
フェミニストが求める女性の政治家や管理職比率の是正と、弱者男性が訴える結婚や仕事での救われなさの救済とは、雑に恋愛が~と言って同じテーブルに乗せていい物じゃない。
だが、いずれも第三者が他人の選択を強制することは許されないという一点でのみは同じだと考える事も出来るだろう。
現状の女性の管理職比率を是正しようと思えば、アファーマティブアクションのようなことをしなくてはならないだろう。
アファーマティブアクションというのは、アメリカの大学で黒人の学生が白人よりもアジア人よりも入学しやすくなっている、という有名な不公平の権化だが、社会的には
「黒人は差別の歴史によって文化的な背景から家庭において十分な教育を受ける機会に恵まれないケースが多くみられる。黒人が白人と同じ得点をテストで獲得するには、より多くの努力を必要とする。」
なんて言って正当化されるわけだ。
現在においては、貧しい白人学生は、豊かな黒人学生よりも幼少期の学習環境にハンデを背負っているはずで、もう黒人優遇にたいして意味はないと思うが、
アファーマティブアクション自体、アメリカにおける黒人奴隷の歴史等を考えれば強く異議を言えるはずがない、という強制力のある不公平で今や誰も抗えない。
だが、そんなことを言ってる一方で、同じ基準で選べば楽々とテストをクリアするアジア人学生には通常より高い壁が与えられている。
こんな試験に公平も糞もないんだが、大学は自分たちの意志で自分たちが必要とする学生を選ぶし、その基準は選考者である大学が定めるものだと考えれば
ちょっと前に医学部の試験で女性は合格しにくくなっていた事が問題となったが、それも同じことだ。
「現場は、より体力があり出産などで離職しない男性医師を求めている」
という理由で、選考者である大学が恣意的な選択をしたに過ぎない。
医師の数に対して異様に多い病床数によって医師の過重労働が続いている事と、医師の数が充足してない地域があるという医療行政上の問題を、現場が選考の基準でいなそうとしてるというだけにしか俺にはみえない。
これに対して女性に対する差別だ、などと吹き上がる向きには、黒人も白人も全く同じ基準で選ばれるべきだと思うのか?と問いたい。
医療現場が男性医師を求めているという理由と、歴史的な理由で黒人は環境にハンデが残っているという理由
どちらも選考する権利を持っている大学が、試験結果に加えて加味する理由としては、十分に理解できるものだし、誰かにとっては不公平だと感じても、納得しておくしかない。
同じ様に、弱者男性が女性に選ばれない。女性は下方婚をしない、なんていう非難も、女性には自分が好きになる相手を選ぶ自由がある、という一点で考えて意味がない。
全ての人間に、自分が好きでもない人間とは結婚しないですむ権利はある。
人事考課が同程度の男女がいれば、ちょっと劣っても女性を積極的に管理職にしろ。
成績が許容範囲内であれば、ちょっと劣っても黒人を積極的に合格させろ。
年収学歴などが近しければ、より恋愛弱者の経験に乏しい男を伴侶に選べ。
俺から言わせれば、どれもこれも同じで、どんな理屈で正当化したとしても、ただの迷惑極まりない押し付けに過ぎない。
女性が、同じ年収のイケメンとKKOが選択肢にある中で、KKOを選び取らされれば人権侵害だと荒れ狂うと思うし、それは応援したくなる怒りだが
大学教授が、優秀なアジア人と成績の劣る黒人とがいて、成績が劣る黒人学生を研究室に当てがわれて怒ってはならんのだろうか?
俺はどっちも、本来は選べたベストな選択肢を不当に奪われたという理由で、怒っていいと思う。
弱者男性が言う不平等ってのは、要はこういうことなんではないのか。
女性は女性であると言うだけで、アファーマティブアクションによって有利にすべきだと、能力もないのに社会における競争相手である男に強制しようとする。
ならば、女は恋愛や結婚において、魅力もない弱者男性を積極的に選ばされるとしたら、どう思うんだ?と、こういうことなんじゃないのか。
女性は歴史的に不当な扱いを受けてきたら、そもそも競争の減資となる力がまだまだ男に劣るし、そういった偏見が社会にある。
多少は強制しなくては社会は変わらないと、フェミニストは叫ぶ訳だが、医療の現場に男性を必要としてる病院にとっては迷惑でしかないだろうし
女子高が多すぎるがゆえにやむなく公立高校では男子学生を増やすしかなかった学区の担当者にとっては、怒りすら湧いてくる存在だろう。
弱者男性側の理屈を見ていると、自分の境遇に対してはとっくに諦観を持っていて社会に対して救えと言いいたい気持ちもないが、
お前は男だ自助努力が足りないだけだと、弱者男性を踏みつけながら、能力がなくても管理職になったり救われるべき存在だと主張してるフェミが目に余るだけなのだろうと思うよ。
そんなことを言うなら、まずは弱者男性に女をあてがってみろ、と皮肉もいいたくなるってもんではないか。
女性の管理職比率だなんて言っても、他社にそれをやれとさかんに報道したがるメディアからして、女性の管理職比率は低い。自分たちですら使えないと分かってるものを押し付けるのは不条理すぎるだろ。
フェミニストの皆さんは、不公平で他者に不利益を押し付ける社会的正義を、一緒になって社会に押し付けて抑圧しようと、弱者男性を誘ってみてはどうだ。