はてなキーワード: 公立とは
はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館で作品6点が行方不明になる、という事件があった。
館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽の疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803
一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である。
たとえばこういう企画展。
https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991
堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカル、ジェンダー、福祉、ケア、老い、共同体、移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。
ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである。
個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。
しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽の美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。
その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である。
前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界からは擁護の声も出ている。
アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から、美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態を放置し問題に適切に対処してこなかった所管部署の文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である。
スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境に作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である。
これは大局的に見れば正しいかもしれない。
ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。
それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか。
まともな環境に作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである。
他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理に問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書の問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言の趣旨ではありません。
とはいえ、前橋市の報告書が住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員と行政職の党派性の問題なのではないかという感も否めない。
一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館の学芸員と行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである。
なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。
つまり、理想を求める学芸員とコスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから、対立するのは当然なのかもしれない。
両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である。
現状で言えば、おそらく行政職出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。
現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有な存在なのである。
行政職出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセントは現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。
今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。
後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家が署名活動
https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c
ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。
まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。
現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟が必要である。
だから、美術館の作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。
加えて、美術品のほとんどは温度・湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。
38度の真夏であっても、氷点下の真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。
当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。
つまり、美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。
地方の美術館に美術作品を寄付する人々というのは、たとえば地域の小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。
1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。
「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。
売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。
名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。
でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。
〇〇県出身。上京し美術学校で西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校で美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。
こういうプロフィールの作家が面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。
しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。
日本の都道府県のほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸な地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。
そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである。
というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題が関係しているように思われる。
気が重い話である。
その他参照
https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf
https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view
県立高校の進学校が至高、私立は公立落ちたら行くところ、という田舎の自分の周りでは高専に行くのは大体が「県立トップ校にギリギリラインで受かるかどうか…でも私立は学費やら何やらで難しい…」という子がほとんどだった。
あとは勉強苦手ではないけど進学校に行けるほどでもないし高専が1番近いから、という子も多かった。あとはいじめられっ子タイプで、周りの同級生が少ない学校に行きたくてっていう人もちょっといた。
中には、高専から県立のトップ校に編入試験を受けて入る子もいた。
田舎だから、有名大卒に対する「すごい!」は、宇宙人って実在したんだ!みたいな「すごい」だし、それよりも地元のトップ校出身で地元の国立大に行った子の方が一目置かれる感じだったから地元のトップ校に編入する人の気持ちもわからないでもない。
気が向いたら上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的な地域マウンティングについて書くかも。こんな感じの内容の予定
え、浦和…
江東区はNTTデータのお膝下である豊洲を有し、高層マンションも多いエリアなので、北区荒川区と並べるのはおかしい。板橋区か足立区が妥当。
↑上記のような上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的な地域マウンティングについて気が向いたら書くは
浦和は、単純に便利じゃん、文教地区じゃん、以前に歴史的に年収1000万以上の割合が高いんだよな
たとえば、小学校区ごとに取ってる年収でも公立の常盤小学校あたりなんか 850万だよ。わーお
都道府県 所在行政区 学校名 平均年収 埼玉県 さいたま市西区 宮前小学校 694万 埼玉県 さいたま市北区 大砂土小学校 745万 埼玉県 さいたま市大宮区 桜木小学校 791万 埼玉県 さいたま市見沼区 七里小学校 692万 埼玉県 さいたま市中央区 上落合小学校 862万 埼玉県 さいたま市桜区 土合小学校 661万 埼玉県 さいたま市浦和区⭐️ 常盤小学校 850万 埼玉県 さいたま市南区 浦和別所小学校 784万 埼玉県 さいたま市緑区 大門小学校 701万 埼玉県 さいたま市岩槻区 上里小学校 593万 埼玉県 子どもの教育環境NO.1は旧浦和市?文教エリアに中高層マンション265棟。 年収の高い学区ランキング2016年版
https://www.sumai-surfin.com/lab/gakku-child/nensyu/11/
あと上京カッペに見下されがちな東京東の 足立区、葛飾区、荒川区 についても
まぁ正直、山手通ってる開成高校のある荒川区以外は無理して住むところじゃないとは思うけど、
『コスパコスパと騒いでる上京カッペ』、『まさかの徒歩20分でドヤ顔語りしている上京カッペ』がいるからな
家を買うとしたら今も何もないエリアだし立地的に発展も望めないので止めるけど、
国家公務員宿舎があるので、公立小学校の葛飾区立西小菅小学校辺りは 年収922万 を叩き出してる
なお、葛飾区立西小菅小学校は、タカラトミー・NTTドコモと連携してプログラム推進をやっている公立校なんだけど
国家公務員宿舎が近くにあるのたぶん無関係じゃないよなぁ・・・
[ロボスタ] 葛飾区とタカラトミー、NTTドコモがプログラミング教育で連携
https://robotstart.info/2019/11/21/katsushika-embot.html
1年生 国語「むかしばなしがいっぱい」話の順序に沿って簡単な構成を考える
2年生 生活「うごくうごくわたしのおもちゃ」おもちゅの動きを組み合わせる
3年生 音楽「ドラムで音遊び」リズム・パターンを組み合わせて音楽を作る
お友達に貸していたショック・ドクトリン(上)を回収した際に、「面白かったので下巻も読みたい」という話にならなかった。
リベラルな考え方の友人であれば、当然コロナというショックで何が変わったのかを議論してくるかとおもったが、そういう話は一切なく、
「この本、AmazonでみたらKindleになっているのですね」
としか言われなかった。
ちょっとまて、ショック・ドクトリンがKindleになっているかどうかが、何か問題なんですか?
そして話はみずほの障害のことになり、みずほのシステムのことなにか知らない私には何もいうことができず、
「トップがシステムに興味を持っていないからこんなことになるんだ」
というその人のご高説を30分ほど聞くことに。トップが悪い、で物事全てを終わらせることは、ショック・ドクトリンで戒められていた「思考停止」なのでは?
とその友人は主張するので、ググってでてきた留学サイトのまとめに州立で授業料だけで年間150万円以上になると書いてあるいう話をすると
「アメリカの(高額な)学費に日本が近づいているという話をしている」
とキレられた。なんで私が怒られなきゃいけないの?
ああ、これがブサヨってやつか、と実感し、もう二度と会わないと心に決めたのであった。
トランプ「はてブを解放して即退散とは とんだ腰抜けの集まりじゃのう はてな海賊団
はてブ「(ザッ!!)」
トランプ「!」
はてブ「ハァ…ハァ… 敗北者……?」
トランプ「?」
トランプ「………」
トランプ「家族、学校、会社、町内会、PTA、どこにも馴染めないでパソコンやスマホの画面に向き続けている永遠の敗北者が“はてな”じゃァ どこに間違いがある…!!
増田 増田とゴロツキ共に慕われて… 家族まがいの茶番劇でネットにのさばり」
はてブ「………やめろ……!!」
トランプ「……何十年もの間 ネットに君臨するも 「王」にはなれず…何も得ず……!!
終いにゃあ公立中地方ヘイト、ランサーズデマを撒き散らたはてサに刺され…!! それらを守るために死ぬ!!!」
トラバ「……!!」
はてブ「やめろ……!!」
お前にはてなの偉大さの何がわかる!!!」
“はてな”は敗北者として死ぬ!!! ゴミ山の大将にゃあ 誂え向きじゃろうが」
(おれを救ってくれたもんをバカにすんじゃねェ!!!)
実家太くなくても30代前半で世帯金融資産5000万突破できた。
■前提
■資産内訳
仮想通貨は換金しちゃうとごっそり税金取られちゃうので、厳密にいうと準富裕層ではない気はする。
現金はちょっと持ちすぎなのでもっと投資した方が良いとは思ってる。
奨学金は一部免除になって借金残り200万くらい。それ含めて大体5000万前後。
■5000万の要因
ぶっちゃけほぼこれに尽きると思う。共働きで財布全て一緒の明朗会計。価値観が完全に一致してるのが強い。
お小遣い制などというものは無く、お互いが使おうと思えば全て使える状況。
でも2人ともそれほど物欲が無いので使わない。
別に極度の節制してるわけではない。共働きなので外食とかも割とするし旅行もしてたし。
一応自分の稼ぎを生活費に、配偶者の稼ぎを貯金と投資に、くらいのスタンスだけど厳密にしてるわけじゃない。
投資もこれが原資なので、独身だったら1000万貯めるのが関の山だったんじゃないかなと思う。感謝しかない
過去利確した分も含めるともっとあるかも。まぁこれは2016年で買って放置してたら増えたものでラッキーくらいに思ってる。原資はとっくに回収済みなので0になっても泣かない (泣くけど)
資産運用で 99 点をとる方法 https://hayatoito.github.io/2020/investing/ で十分だと思う
勝手にそのうち増える、たまにごりっと減っても泣かないくらいの気持ちで定期的に入れてる
コロナ禍で含み益が増えた。ほとんど優待や配当目的の長期保有。
何かにつけポイントサイトやクレジットカードで貯めていて、ポイント変換とかクレカの内容には詳しい。
例えば旅行とかはマイルでほぼ無料で毎回行っている。コロナ前は海外年2回、国内年2回くらい。
QRコード決済系の○○%還元も良く拾っている。でも毎日数円拾うとかのコスパ悪いのはやってない。
原資があまり無いならおすすめ。ここに紹介リンク張りたいくらい
色々調べて手を出しては細かく利益を積み上げている。
ちょっとバイトしてみたり、物を売ってみたり、Webサービス・アプリで広告費稼いでみたり。
一番割が良かったのは携帯MNP全盛の時代に無料どころか利益を出しながら携帯使えてたやつ。
あれだと半年に一度くらい+10万くらいの利益が出ていたので非常に良かった。
■貯めて何に使うか
で、5分座ってられない。
あと、知らない場所に行くとテンション爆上げで走り回りながら色んなところを見て回るので、発達支援の先生からは、満面の笑顔で
「うん!!1学期は15分座れるかなって感じ!」
と言われズッコケた。
で、体育倉庫の南京錠に目をつけて、ガチャガチャやってたら、校長先生とか児童とかが4〜5人集まってきて、しまいにゃピッキングの真似を始めるも皆は見守るだけで、校長先生が支援の先生に
「これってちゃんと閉まってるよね?」
あとは、鶏小屋とか支援教室のトランポリンやバランスボールで遊んで、放課後になったら何故か校庭に飛び出して、鉄棒やってる高学年の女の子の真似してみたり、突如男の子に背後から襲われ鬼ごっこが始まり、息子はテンション上がりすぎて男の子の腕をがぶっと噛んだ。
あああ、またやった、これでまた子どもに謝って相手の保護者と談判しなきゃならん、と心中一瞬でぐったり疲れたが、児童はケロリと
「せんせー、かまれたー」
「そりゃ君が追いかけ回したら噛むよ」
世界ではそれを他害って呼ぶんだぜ?
いいの?それでいいの?
その後、高学年女子とじゃんけんやったり、けんけんやったりして、ご満悦で帰宅した。
普通の支援級のある公立小学校だが、私もここならこの子も多少は安心して学校通わせられるな、と思ったのだ。
「私から見れば息子くんが入学前だから大目に見てもらえたとしか思えないし、増田が子どもをどう躾けてるかとか、アクシデントの時にどんな対応するかとか観察してると思うよ。学区にその学校しかないから選べなかった子とか迷惑でしかないだろうし。大体子ども同士は仲良くしてたところで、保護者が増田と増田の子を受け入れてくれるかは別だから」
と、世の中の障害児観としてのド正論を突きつけられ、結局のところ、また保育園の時と同じく、学校に謝罪し子に謝罪し子の親に謝罪して私は生きるのだろうと覚悟しなおした。
親子ともどもこの世からいなくなりたい。
重厚長大産業の研究職入社2年目。ネガティブ思考の吐きどころがないので、ここへ。
今まで学生の時分に散々ネットで見てきたけど、実際に働き始めて、なるほー!となった。
氷河期世代にあたる中間管理職がいなくて、マネジメントもクソもない。形だけの残業規制と働き方改革によって、教育も経験蓄積の時間もなくて30代以下の仕事レベルがガタ落ち。
体育会系尚且つ、独身または子なしでバリバリできるタイプだけ踏ん張れてる感じ。
小二の授業内容は2割程度しか理解していないが、修了証も貰ってきた。
修了どころか終了してる。
二年の勉強理解してないのに三年に進級させる日本の公立小すげーわ。
学習障害児の行き場は無し。
教えても覚えられないのに、知的障害がないから通常学級にしか在籍できない。
我が子ながら、こいつ死んだ方がいいんじゃないかと思ってる。
国公立の二次や上位私立の世界史で、教科書だけってのはちょっと弱いからな。(山川詳説を本当に完璧に抑えてるなら戦える気もするが)
世界史については上位大出身者が多いクラスタでは実態以上に常識扱いされやすい。東大文系受験生or東大文系が普通に視野に入る高校の文系学生は双方抑えてるケースが結構あるので。あそこは二次が世・日・地から二科目必要だからね…(地理選ぶケースもかなり多いけど)。
どれだけ社会人という演技ができるかというテストでしかないから
逆に下手に真面目に志望理由があるとか、生きる目標がある方が周囲にも敬遠される、みんなそんなのないから
仮に大企業に就職しても希望の配属が叶う人なんてほとんどいないわけで、
大学とかもそういう学科も選んで、専門性を身に着けて、自分のキャリアプランがある人であっても、
企業はそういう人に営業をやらせたり、生産管理や資材管理をやらせたりする可能性があるので、
(明確にやりたいことがないけど、働きたい、誰かに従いたい、という人は生きていきやすいと思う
GIGAZINEだったかでも紹介されていた、IT企業にいがちな邪悪な人のタイプで、
自分の出世とか自分の損得しか考えない人というタイプがあって、
その中に、プロジェクトが成功するかは意外とどうでもいい、という項目があった気がするのだけど、
逆に、人間関係とかを犠牲にしてもプロジェクトを成功させる、企業の利益に貢献する、
そうなると、真面目にプロジェクト成功を考えてるスタッフは完全に損をすることになる
上司に「〜ということになると、プロジェクトが失敗しかねない。いいんですか?」みたいに質問しても、
「いや、それでいいんだよ」みたいに平気で答える人は意外と多くて、
なんでそうなるかというと、その上司の中では自分の損得で完結して考えて発言しているわけだけど、
その下々のメンバーとか後継を育てるみたいなことは考えてないんだよね
だから、その人は出世するけど、他は置いてけぼりになる、プロジェクトはコケる、
結局はその出世する人が、仕事をしているフリをしたい、プロジェクトに挑戦したという経歴だけがほしい、のであって、
そうなると、逆にプロジェクトに成功されても困る、という人までいたりする
下手にプロジェクトに成功すると、自分がその新規事業の責任者にされてしまうから
だから、わざと自分で成功しない新規事業を社内ベンチャーみたいな公募で打ち出して、
わざと失敗して、しかしながら挑戦者として人事評価される、それを最初から狙う、みたいな人は意外と多い
大企業になるほど多い
この手の人に、まあ自分の場合は両手で数えられるかどうかぐらいだけど、振り回されることは寧ろ普通と思った方がいいぐらい
どんな世界的大企業だろうが、田舎のブラック中小企業だろうが、クソみたいな動物園であることが多いわけで、
企業紹介のパンフレットとか脚色されてるだけだから、綺麗な社屋とか、実際は何の縁もなかったりするから、
だから、志望動機云々なんてどうでもいいぐらいの気持ちでいいと思うんだよね
雇用側が、相手が喜ぶ美辞麗句を散りばめつつ、かと言って、下手に本当の志望動機なんて書かない方がいいぐらいかもしれない
保身だけの人が上を占めてるのは日本の政治でも同じだし
と、厭世感で書いて終わりにしようと思ったけど、
ただし、ただしだけど、
保身だけの政治家が牛耳ってたら、国難に対しては弱かったことが近年のように皮肉にも証明されてしまったわけだ
これが東日本大震災やコロナだったからまだ良かったとも言えて、
マジで国難が戦争だったら、この国は本当に駄目になってしまうんだろうなあとさえ思ってる
巨大な組織が腐敗するというのは必ずしも悪いことではなくて、
例えば、競争入札が出来レースだったとしても、出来レース、八百長だからこそ道路ができたりシステムが開発される、
というのは否めないところがあって、でも、それは平時というか、右肩上がりに成長する日本では問題なかった
でも、そういう安定とか平和を前提にしたシステムは、対衝撃に弱い
だから、黒船から一発砲弾を食らっただけで、国家というレベルのシステムから崩壊しかねない
そうでありながら、日本はトップからボトムまで、そういう昭和モデルというか、慣性の法則というか、
これまでのシステムに固執してしまっているわけで、これは変えられないと思うんだよね
一度焼け野原に戻るのもありかもしれないと思うぐらい
仮にまた世界大戦レベルの戦争とか、そういう時代が来て、もう一度日本が焼け野原に戻るなら、
前回はGHQにあまりにも逆らわなかったので、日本の社会システムやインフラを変えられなかった
変更するにはお金もかかるわけで、そんな金はおまえら黄色いサルには勿体ない、問題がある戦前のシステムでも我慢しろ、
だから、また焼け野原になる未来があるなら、今度こそは侵略者側とちゃんと交渉できる政治家なりトップでいてほしいなあ、
と思うわけだけど、それもまあ無理なのかもなあ…
普段から「日本には多様性が足りない」とか「LGBTQの受容が足りない」とダイバーシティーあふれる台詞を好んで使う女性の人事部の同僚と
最近ランチに行ったところ、どうやら子供を中学受験させることを考えているそうでなんでも都内の私立の女子校に通わせたいそうだ。
理由を聞くと「一緒に学ぶ生徒のレベルが高いからおかしな方向に進まないはず、公立中学なんて変な生徒がいっぱいいるし」と言っていたのだがそこに違和感と偽善性を感じた。
自分の子供をよい教育環境で育てたいという気持ちはもっともだが
普段から多様性だのダイバーシティーだのLGBTQだの声高に叫び人々に倫理性を問うている人が
自分の子供には本物の多様性や性別の異なる人の交わる公立の共学中学に通わせず
均質性の高い一つの性別しかない学費の高い私立学校に通わせるというのはあまりに偽善的だと感じる。
僕自身は公立中高を経て東大を卒業した身だけど、公立中学というのは学者の息子もヤクザの息子も発達障害もゲイっぽい男子も男勝りの女子も中国人もポルトガル人もごちゃまぜで学び運動し合唱し喧嘩し
そしてそこからおそらく一生交わることのない世間へそれぞれ旅立っていく環境なわけで、僕はあそここそが多様性のかたまりであり、多様性の良さも悪さも本質も詰まっている環境だと思うし、割と好きだった。
しかし、そのような真の「多様性(縦の多様性と誰かは呼んでいた)」からは自分の子供を守る一方で、綺麗にコーティングされたリベラルな「多様性(横の多様性)」だけを享受させたいという態度はあまりに偽善的だと感じる。
「LGBTQを受容しよう」と叫びながら、自分の子供は一つの性別しか存在しない学校(これって前時代的では?)で学ばせる。
そんなのは男女平等を叫び人々を糾弾する一方でデートでは男性に多く出させる自称フェミニストと同じだし、そんな人はフェミニストを自称する資格はない。
公立中学を動物園だと呼ぶのは結構だが、一生「多様性を大事にしよう」などと同じ口で叫ばないでほしい。
ダイバーシティーが大事だと皆に押し付けるなら子供にも真のダイバーシティーを味わわせるべきだし、
男女平等が大事だと声高に叫ぶなら女性だろうが自分の身銭も平等に切るべきだ。
人権問題に熱心な企業なら自分たちの権益にも関わる真の重大な人権侵害にも声を上げるべきだ。