はてなキーワード: 上品とは
私はときおり家族と軽井沢に行く。何度も行っているので、めぼしい観光地はほぼ巡ってしまったかもしれないが、まだ行っていないところもそれなりにあり、それを目当てに足を運んでいる。それ以外はおいしいものを食べたり、宿で温泉に浸かったり、一人でふらふら近場を歩き回ったりと、各々が好きなように過ごしている。
別に、家族の仲が悪いわけではない。ただ、趣味が違う相手に無理して付きあうこともないし、その方が互いにいい時間が過ごせると思っているのだ。興味がないものにつき合わせてしまうと、こっちとしても心苦しい。それだったら、昼間は好き勝手に過ごして、夕飯時に一日の感想を共有する方が楽しい。
そうしたわけで、私は一人でふらふらとバスを乗り継いで美術館巡りをしていた。朝のうちだったのでバスの遅延もなく、目的地のハルニレテラス近辺についた。グーグルで調べたところ、目指す田崎美術館はそこから歩いてそれほどかからない。だから私は、ふらふらと美術館まで足を運んだ。
軽井沢は大小さまざまな規模の美術館がある。それぞれは離れていてアクセスがやや不便だとはいえ、私のように緑の中でぼんやりと絵を観るのが好きな人にとっては、都心の喧騒を忘れさせてくれる場所だ。小規模なところはすぐに観おわってしまうし、ほとんど同じ作品ばかり展示されているのだけれど、それでも久しぶりに同じ絵と対面するのは、旧友と再会するみたいな気持ちになる。
ただし、田崎美術館を訪れるのは今回が初めてだった。というのも、開いている期間が短いからだ。軽井沢の美術館は概して冬季は閉館していることが多い。ゴールデンウィークになってさえ、まだ閉まっているところが多いくらいなのだ。ここはやはり避暑地なのだな、と思われる。冬になると鬼押し出し園と絵本美術館くらいしか空いていない。
入るとそこは自然光が差し込むコンクリートの空間だった。作品保護のため直射日光は直接当たらないが、中で歩き回るには十分に明るい。私は田崎廣助の描いた山岳の威容を眺めつつ、自分は山に関してはまったくの無知だな、とつくづく思い知らされた。もしも私が山に詳しかったら、峰の形や周囲の地形からどこが描かれているのか、題を読むことなく知ることができただろうに。そして、どれほどその土地の雰囲気を伝えているかを感じ取れたはずだ。
環境省かどこかの国立公園の写真の小コーナーを見終わり、中庭を挟んだ向かいの建物をぼんやりと眺めた。もしかしたら、向こうの建物にも展示の続きがあるかもしれない。そう思ったが、向こうの建物の入り口らしきものが見当たらない。現に、中庭で困ったようにうろうろしている女性がいるではないか。
「すみません」
「私も入り口がわからないので、ちょっと係の人に尋ねてみます」
私はすぐにとって受付のベルを鳴らし、事情を説明した。係の人は親切に、道なりに行けばいいと教えてくれた。歩いていくと、確かにドアらしいものがあった。入り口がわかりにくかったのは、そこにカーテンがかかっているからだった。つまり、風呂場のカーテンのように磁石で留めるしくみになっていて、そこが扉だと遠目にはわからなかったのだ。珍しいタイプの入り口があるものだ。
私は女性を案内し終えると、ゆっくりと展示を眺めた。作品ばかりではなく、色紙や葉書もあった。中には欧州から出した手紙もあり、興味深かった。文体が私の祖父によく似ているのだ。田崎廣助は私の祖父よりも三十ほどは年上になるはずだが、戦前の教育を受けた人に特有なのだろうか、きびきびとして気持ちの良い文章だった。
そうして夢中になっていると、後ろから呼び止められた。振り返ると先ほどの女性である。
「先ほどはご親切にありがとうございました」
そう告げて一礼し、微笑んだ。
私は驚いた。というか、恐縮した。ただ係の人に道を聞いて案内しただけのことだ。それなのに、ここまで丁寧に頭を下げられるとは。いえいえ、と慌てている私に、彼女は重ねて感謝の言葉を伝える。女性にこんな笑顔を向けられたことなんて、ない。
もしかしてこれはチャンスなのではないか、と頭の片隅で声がする。一緒にお茶ぐらい飲めるのではないか。片隅にティールームらしいところがあるが。もう一つの冷静な声がする。彼女は単に育ちが非常に良いお嬢様なだけだ。私のような人間に、そんなチャンスがあるはずがないだろう。さらに皮肉な声がする。君は最近、美術館で現れる迷惑な男性の話をネットで読まなかったか。女の子に浅薄な知識を自慢をしたり、つきまとったり、そんな人間だと思われてもいいのか。美術館はナンパスポットではない。そして、私の引っ込み思案な性質が頭をもたげた。知らない人と話すのはつらい。ひとりになりたい。
そういうわけで、私は彼女と丁寧な会話の応酬をして、田崎美術館を立ち去り、セゾン現代美術館に向かった。徒歩だったが、想定していたよりも時間がかかった。歩きながらも、私は後悔していた。思い出してみれば、本当にきれいで上品な人だった。私は、丁寧な日本語を使える女性に弱い。はっきり言って理想のタイプだった。なのに、みすみす逃すとは。私はとんでもない馬鹿なのではないか。よく後輩の女の子が、旅行先でいつも親切な人にお茶をごちそうしてもらって嬉しい、って笑っていたではないか。
そんな思いも、セゾン現代美術館を一周し、テラスでサーモンサラダを食べているうちに薄れてきた。自分はいつも、そういうちょっとした親切心を行為と取り違えてみっともない真似をしてきたではないか。気にすることはない。これはいい思い出になった。それに彼女はせいぜい女子大生、対して私は三十を超えてしまった。釣り合うはずがない。
せいぜい、きれいな思い出としていつまでも覚えていて、どこかでまた会えたらいいな、と妄想するくらいにしておけば十分なのだ。テラスでナボコフを読みながら、そんなことを考えていた。
4日越しにあれだけど
元増田の言いたいことがなんとなく分かった気がするのでまとめた
Q.女は男の金が好きなのに、頭が一万円札になっているだとか金持ちを記号化した男性キャラクターがいないのはどうして?
A.5000兆円欲しい!と言ってる人は5000兆円に性欲や愛情を感じているわけではないので頭部が5000兆円になったキャラクターのイラストを見せられても誰も飛びつきません
Q.女はお金持ちの男が好きなんだよね?
A.それはリアルの話です
二次元のキャラクターはどれだけ財力があろうとこちらを養ってはくれません
円盤、グッズ、雑誌、リアルイベント……金はいつも一方的に出て行くのみ
このキャラクターは公務員であのキャラクターは大企業の社長の次男ですと言われても人によってはまったく魅力的に映りません
逆に言うとリアルならお近づきになりたくない無職男性でも二次元なら安心して推すことができます
Q.ひと目で胸の大きさが分かる乳袋のように、ひと目で経済力があると分かる表現が少ないのはどうして?
A.少なくありません 経済力を示す表現はごく普通に存在しています
高級車を持っていたり、高級なスーツや腕時計や指輪を身に着けていたり、持ち物で示すことが多いです
Q.二次元でもお金持ちキャラが好きな人はいる それならやっぱり頭が一万円札に置き換わっている異形頭キャラが存在していてもいいのでは?
A.乳袋は女性が胸を着た際に生じる膨らみを誇張した表現で、服の仕立て方によってはリアルでも実現可能です
乳袋は学園モノでも異世界ファンタジーでも自然に登場させることができます
が、頭部が人間でないというキャラクターが一人でもいればそれはもう完全にファンタジー作品になってしまい、下手をすると世界観がちぐはぐになってしまうので出せる作品が限られます
また、金持ちの男性キャラクターを描くなら首から上も重要になってきます 成功者特有の堂々とした表情、高貴な育ちであることが伺える上品な顔立ち、整えられた髪型などの表現はほぼ必須です
異形頭と金持ち表現を両立させるのは難しいので描きたいと思う人は少ないのではないでしょうか
Q.三角様だとか映画泥棒だとか異形頭のキャラクターは多数存在するけど、そういった物を好む人たちが頭がお金の異形頭をデザインしないのはなぜ?
A.異形頭はフェチズムの世界なので、頭が金に置き換わった姿にフェチを感じなければ描きません
Q.女性キャラクターの乳袋と、乳袋を喜ぶ男性が気持ち悪いです
「頭部が一万円札に置き換わっている」という風に男性の経済力を記号化してアピールする描写が乳袋並に広まったら男性はこの気持ち悪さを分かってくれますか?
A.頭部がお金モチーフのものに置き換わった異形頭表現が大流行して女性にキャーキャー言われる世界は来ませんが
もし来たとしても経済力のあるアニメキャラクターが女性に人気が出ることについて苦言を呈する男性はあまりいないのでは?
こち亀の中川が金持ちだからと男性に妬まれていますか?名探偵コナンは高級車を乗り回す金持ち男性だらけですがそのことで叩かれていますか?
「金持ちの男性キャラクターが人気だなんて不快だ。コミケ会場にいるオタク女性が自分の財布を狙っているように感じて寒気が走る。財布をスられるんじゃないかとか、逆ナンされて言いくるめられて奢らされるんじゃないかという恐怖がある。気持ちが悪くなる」と男性が思うことはないでしょう
Q.頭が一万円札になったキャラクターを描いたら叩かれますか?
A.叩かれないと思います
いっそ頭がクレカや一万円札、DMMカード等お金モチーフの異形頭ばかり登場するとかお札になった偉人を題材にした恋愛ゲームなんて作ったら意外と面白いかも?
ただし、「どうせ女は男のことを金としか思っていないんだろう、俺は分かっているぞ」「私は女だけど男なんか金蔓でしかないわ」という風刺で悪意を込めて頭部一万円札化異形頭表現を使えば反感は買うかと
A.金カムの男性の裸表現を気持ち悪がっている男性もいるようなので性的消費には性的消費をぶつけた方が効果的かも
女性の乳袋に対応するのはストレートに男性の乳袋がいいかと思われます
A.どんとこい
【初めに】
コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である。
【本文】
ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。
そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。
だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分の全裸、特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。
目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。
とはいえ、男女混浴が可能な場所は国内でも限られている。ましてや、近年は混浴のマナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしまう地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴が誕生した時代とは、私たちの羞恥心の感覚も変わってしまった。
そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツやオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。
もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂な人間ではない。
私は建築や美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムト、シーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである。
日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである。
駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄の香りがしている。そうしたところは我が国の温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルのレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。
ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。
ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。
まずは、せっかくなので水着エリアで温泉を楽しむ。とはいえ、水着エリアは温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である。
これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリーは温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。
他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップルや夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールでほとんど温まらない。日本の温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。
そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イスト・サウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。
なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。
サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである。
サウナの入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。
二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやりと天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。
ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナで読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。
しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本の温泉は露天風呂がメインで、サウナが複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプのサウナがあり、存分に楽しめた。
たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかわからなくなってしまうのだが。
ちなみにこの眼鏡、裸眼で転ばないように、日本でサウナ用の眼鏡をわざわざ購入したもののである。
【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである。
そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチがオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルでサウナの人々に熱風を浴びせるのである。
それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。
そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞の活用が無茶苦茶なドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルト・カルト」(寒い、寒い)などというものだから、思わずその場は笑いに包まれた。
私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。
その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰からも干渉されない時間だけそこにあった。
それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。
人間の身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現の規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたものは普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。
そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】
さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。
その一、スポーツマンタイプ。ものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分の身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアやローマの彫刻そっくりである。スポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。
その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。
その三、老夫婦。なんというか日本の混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気。ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。
その四、比較的若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。
ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。
で、こうして振り返ってみると、比較的若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。
混浴について、猥褻だとか下品だとかいう意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂とサウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそもお風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから、勝手な判断は差し控えるが。
というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。
それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉が気持ちいいのでどうでもよい。
そういうわけで、私はオーストリアの混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナーを一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴の文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。
プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。
個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。
もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。
ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。
最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。
【最後に】
本記事はカクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。
【付記】
ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?
【アクセス】
地下鉄U1の終点、Oberlaa駅
はじめて入れ墨の人に対する違和感とか、言語化してもらえた気分になった。
さすが刑事のお父さん(?)
刑事のイメージは同じくらいやくざな気質がある人だからこそ、同じような悪い人の魂胆は見抜いてるかんじ。
根はいい人 という表現が褒め言葉じゃないといわれてホッとした。
私自身 見た目とギャップがありすぎる人は好きじゃない。なんていうかラーメンの形のケーキを食べさせられた気分になる。
『ラーメン食べたかったのに騙されてケーキ食べさせられた‥』って気分になる。
それなら『これはケーキだよ』といわれてラーメン型ケーキを出された方がはるかに嬉しい。
もし私がお父さんに紹介するなら
『彼の入れ墨はとても綺麗なの。
悪そうなところがとっても素敵なの』
と言う。
入れ墨を入れたのに悪くみられたくない?という気持ちがよくわからない。
私はピアスが好きだけど、少なからず悪そうなカッコいいという印象を与えたいからつける。(最近は面倒くさくてつけてないけど)
最近はやくざみたいな格好をしているのに気のいい人だとみられたい、見抜かれたいという人によく会う。正直意味わかんない。何がしたいの?ってかんじ
いい人かどうかはこっちが判断するって。
そういうファッションだけが好きな人っていうことなのかな。見たまんまの人が私は好き。ちょっと口が悪いとか思ったより上品くらいならいいけどね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1993213.html
commecco 本人は否定してる https://twitter.com/konotarogomame/status/1164319919212642304?s=21
hanbey64 日本語の判らない韓国の記者の書いてるフェイクニュースです。
この3人はフォロー推奨。以下の人間はミュートやブロック推奨。
pptp 皮肉とか頭良いとか言ってる奴ら本気か?小学生でも思いつく幼稚な嫌味だし、そもそもこの記者団は不買賛成派なのか?不買は日本経済にも不利益って認識があるのか疑問だし、これじゃ一般市民と同レベルの喧嘩だよ
london3 下品
abikenkon 本当に品がなくて恥ずかしい。
flowing_chocolate 韓国製部品が入ったスマホを使ってる奴には笑う資格がないぞ。わかってんのかこいつら。
hatemate 品がないな。
x988 日本の民度が極限まで落ちた瞬間だな、まともな大臣ではない
dededidou さすが知恵遅れの安倍を筆頭に知性も品性も倫理もない
kagecage 頭回るとかいってるけど、普通に数週間前からツイッターやらネットやらで嘲笑としてよく言われてた内容だから、それをそのまま煽りに使ったとしか思えないんだけど…。同じレベルにならないで欲しい
tomoya_edw 不買運動の成果を確かめただけ。ん?まさか黙ってされるがままにされろと?一国の顔?韓国が国をあげて何をしているか振り返ることはできますか?皮肉とも本気とも取れる余地を残したのは見事だけど本気でもええやろ
suusue このくらいアホなこという奴じゃないと韓国に住めないのだろう…。すごい国だわ…。
sadn 相手方が無茶苦茶な事ばっかりしてくるから、これくらいの皮肉を言ってもバチは当たらないのでは
surume000 このくらいの皮肉は全然言っていいだろ。むしろ上品なもんだよ
jtw やるじゃないか。
mayumayu_nimolove この人こんなにユーモアある人だったんだ
natumikoko これくらいおもろいジョークだろ。韓国人を黒人みたいに丁重に扱うべきっていう考え自体が韓国人を下に見てる
ringlaw これに怒る人達は、官製の不買運動している韓国市民にはダンマリ。ほんと気持ち悪いな
yunoka0314 官製不買運動やってるのに大丈夫? って気になっちゃったんだろうな。
smartstyle 煽るなw
chocolaterock 皮肉が効いてるけど、悪いやつとは思わないやつ…こういう時に頭の回転が早い人は咄嗟に出てきてすごい。
よく東京は冷たい、なんかよく言われる。けど場所によって結構性格が違ってくると思う。
上品で金持ち、プライドが高い。服装は金をかける。京都人に近いかも。
俗で喧嘩早く、若い人が多い。プライドはちょっとある。人情の無い大阪人。
服装が派手。
・練馬あたりに住んでいる人
個性的で我が強く、プライドが高い。ヤンキーっぽい服装。競争心が高い。
・世田谷区あたり
ちょっと俗で金持ち、プライドが高い。パタゴニアとかそういう高いアウトドア製品を着るイメージ。マイルドな京都人。
・浅草あたり
下町という感じで、江戸っ子。人情もあるし、早口の標準語を喋る大阪人みたいな感じ。
いつもぼーっとしている。服装は糞地味。鹿児島県民に近いかもしれない。埼玉県民に敵対視、ライバル視される。
・奥多摩
俺の一番古い記憶は,キチガイのような金切り声をあげる母親とそれを頑なに無視する父親.
そんなオレを父親は捨てた.ある日から,帰ってこなくなった.オレが7歳,兄が11歳のころ.
母親を宥めるのがオレの役目だった.なぜここまで喧嘩するのか分からなかった.
オレは何も知らなかった.どちらかの親についていかなきゃいけない.幼いオレは母親を選んだ.
マンガもインターネットも大好きなゲームも,兄貴が何でも知っていた.
頭もよくて,顔も整っていた.自慢の兄貴だった.
兄貴は高校に入るころ,オレと喋らなくなった.オレは遊んでほしかった.
兄貴は頭がよかったが,勉強をしなかった.それでも小中高大と私立の上品な学校に通った.
大学に進学し,兄貴は遠いところに行った.それから7年ほど,珍しく実家に戻ってきた1,2回を除いて,兄貴とは,会わなかった.
高校生のころから,オレは友達ができなかった.オレは喋り方がわからなかった.
イケてるものがわからなかった.俺は少なくともイケてなかった.
オレは一人になった.オレには何もなかった.
大学4回生の時に,偶然,兄貴と話す機会があった.それからネット通話でたまに話をするようになった.
俺は喋るのも書くのも苦手だ.自分の気持ちをはっきりと口にすることもできない.
俺はもう23歳だ.会社の人間関係は上手くいかない.俺はイケてない.
悔しいし,悲しいし,どうしようもないモヤモヤっとした諦念があたりを包む.
はじめまして。普段はそこらへんにいる何の変哲も無いオタクをしています。
今回、Twitterで見かけたお気持ちnoteについて書きます。
この投稿では、自分という一個人のオタクが、何を考え、どう思い、この投稿をしたのか、順を追って記していきます。
匿名ですので、ご本人には届かないでしょうし、相手にもしてくださらない御様子ですので、まあスッキリしないし、某さん的に言えば私で怒ってるので、したためます。書ききれるのか?わからん……
(ここまで真似したけど、長くなるのでやめます)
自分も第何章とかにすればいいかなって思ったけど、そこまでやってらんねえからなるべく読みやすく、なぜ、怒っているのか()なるべくわかりやすく簡潔に上品に、まとめます。
自分は消費するだけの界隈の人間で、こういう言い方はあまり好きではないけど、わかりやすくいうなら.5俳優が好きです。今回の騒動でちょっと巻き込まれてるのでは…?という方の人です。カツラの髪の短い方です。色々と長言い方でやると面倒なので「推し」と言います。
今回の騒動、最初は燃えてるなあ〜〜あ、この人ルールとかそういうのわかってないんだなあ 見るとダメだから距離置こう で遠巻きに見てました。
ただちょっとイラっとしたのでちょろっとツイートはして、そっからは忘れました。
そして、今回のお気持ちnote。最初の「怒ってるんです!」でもう的外れで読むのやめようって思ったけど、頑張ってみました。通勤長いし。でも、クソ長くて途中から流し読みでした。ごめんなさい。ちゃんと読んでない人間が文句言うのは、こんなこと書くのはまた琴線に触れてしまうかもしれないです。なにせ匿名だし。身分証を出さずに匿名でネットで書いて、卑怯なんですから。まあでも一生懸命検索しないと引っかからないし、某さんが必ず読む訳じゃないから、いいですよね。だって本人もそういってたし。何かしら引っかかるワードを入れて、必死に探さないと、気になる内容じゃないとみないんですもんね。
それは置いといて、
なぜ自分がこれを書いたかというとお気持ちnoteのなかで「演者が腐に寄せた発言をしてたり、距離感の近い写真をあげていた。それを受けての発言なのになぜ私だけ叩かれなければならないのでしょう?」というようなことが記載されていたからです。
気が抜けてる時に読んでいたら普通に声に出して「はあ?」といってしまっていたと思うほどに何をおっしゃっているのか一ミクロンほども理解ができませんでした。
その発言を見て、「叩かれた発端はご自分にあるのに、演者に責任転嫁するのか」ととても憤りました。
眩暈〜〜〜
片方ずつのイヤリングも、東西で別れた時のエスコートも「そういう演出で、そういう商売」です。たしかにワァ〜〜!?って思った。写真も嬉しかった。でも「ただエスコートした」だけであって、そういう意味じゃない。イヤリングも。友達とお揃いとか色違いのピアスやイヤリング、キーホルダーを買って付けるのと一緒じゃないんですかね。仲の良い友人との写真って距離感近くなりませんか?ツーショット写真撮りませんか?自分はやりますよ。フィルター何枚かかればそういう思考になるんですか?理解できない。
何遍も匿名で「役者さんの立場を考えてください」と言われたと記載がありました。もっと考えてください、思考止めないで、もっと、考えて。
彼らは役者ですよ。役を演じることが「商売」なんですよ。わかってますか?
燃えなければ、ここまでの騒ぎにならなければきっとスルーされてた事案でしょう。でも燃えてしまった。もしかしたらどこかの関係者の方の目にも入ってしまったかもしれない。「瑣末なこと」と受け止められるかもしれない。でもそうじゃなかったら?
「あの役者のファン(ではないんだろうけど)は厄介だしな…」というお偉いさんがいるかもしれない。仕事がなくなるきっかけになっていたとしたら?
ナマモノを扱うということは、そういうことですよ。だからきちんと考えなければいけないのです。「誰の話をしているか」を見定めなくてはいけないんですよ。
これからも作品は続いていくし、人口も増えれば多様性が生まれる。人の考えは一つではないから「ルール」があるのですよ。
それを分からない人は来るな出てけどとは言わない。理解して、一つの作品を、役者の未来をダメにするかもしれないってどこかで思っててほしい。まあ守れない、理解のない人はくたばって欲しいですけどね。
ちなみに夢小説について言及してらっしゃったので、いろんな界隈のオタクを長いことしてきた身から言えば、簡単なものから本当にきちんと調べないと分からないものまであるけど、みんなきちんとパスワードかけてるますよ。これが鍵垢と同じような取扱いになるんじゃないですかねえ。
こんだけ燃えてしまったんだから、もうお気持ちnoteを書かれた方がわぁっとなったら写真やら演出は無くなるかもしれませんね。ドンマイ!
結論を先に言うと
私は疑似恋愛したいわけじゃないし
結論、この界隈は私の行き着きたいところではないことに気付いてしまった
私は元々演劇を見るのが大好きだった
人に誘われたりしたらなんでもホイホイ見に行っているタイプだった
頻度は月に1、2回だろうか
その中で2.5を見る機会があって、最初は「なんか金はかかってるのに演者のレベルが低い」と正直に言うと思った
(もっとかけられる予算が少ないけど演じている人の熱意が強い作品もあるじゃないですか?)
でもしばらくした後に映像でその公演を見かけて、その時に彼らは見違えるように成長していた
私は(あ、これが面白いんだ)って気付いて2.5に通い始めた
演劇を始めたばかりの新人だった子たちが通う度に成長していく様子に楽しさを覚えた
この感覚は2.5以外の演劇ではあまり感じられない機会だった(おそらく2.5以外で演劇やってる人達ってその大半が「演劇がやりたい」って強い気持ちでやってるから技術的な不足を感じることが少なかった。2.5の俳優のほとんどは元々は演劇がやりたいという動機でこの世界に入ってないんじゃないだろうか?技術的な不足があることが新鮮で面白かった)
めきめきと成長をみせる彼にいつも感動させられ、その姿勢に人間的に尊敬できると思った
そんな彼の個人イベントがひらかれることになった。同じ人が好きなまわりがみんな行くというので行きたいかもしれないと思って行ってみたんだけど
(サラっと行ってみたと書いたがチケットはかなりの争奪戦で、転売から買ったわけではないがなんやかんやでそこそこの金額を払った)
その前から彼の出演する他の劇場には身綺麗にした女の子たちがたくさんいて
それ自体には良い印象を抱いていた
でもその会場にいた女の子たちは「身綺麗」ではなく「華美」で、なんかその着飾り方が下品で安っぽくてアホみたいだった
ロリータ1歩手前のどこで買ったのかわからない3800円くらいで売ってそうな安っぽいワンピース(後述するが服が安っぽいのが悪いんじゃないからそこは誤解しないでほしい)
それを知った時、私はこのアホみたいな女子とチケット戦争してたのかと思うとばからしくなってしまった
このアホみたいな着飾り方した女の子は俳優と繋がりをもって彼女になりたいと思ってるのかもしれないけど
当たり前だけどすでに彼女はいるだろうし、この中から彼女を探すとは思えない
(とくにその俳優さんは真面目でファンの女の子に手を出さなそうタイプだった。実際にもそういう「繋がりをもってくれない」「硬い」「同性の友達でも普段から付き合う人を選んでいる」と“繋がりたい”ファン界隈から噂があった。私はそういう生真面目なところに好感を抱いていたし、魅力を感じていた。絶対にファンに誠実でいて欲しいと思っているわけではないが、たとえ見せかけだけだとしてもそういう姿勢でいてくれることに人として尊敬できると思った。たとえばアルバイト店員に置き換えたら裏で客の悪口を言っていたとしても、表で真面目に接客していたら、私は店員として優秀だと判断する。裏で悪口を言っているのを知っても、店員としての職務を十分に果たしてくれているなら私はそれでかまわない。それと同じだ)
そのためにするのが3800円の下品なワンピースで数万するチケット(何割か、結構な割合で転売に出されていたのに席は満席だったから何割かは10万近くの金を出していたのだろう)を買うこと??
そして輪をかけたように彼女たちは語り始めた「私たちみたいにオシャレしてきてない人たちなんなの?ダサい。そんなんじゃ認知されない」(お前の方が勘違いでダサいわ!)
好きな原作アニメタイトルが好きで2.5からその俳優のイベントに来た人が言った「オシャレしてないオタクがちらほらいる〜」(お前もたまたま2.5に行き着いただけの元2次元オタクじゃねーか!)
もうみんなバカじゃねーかと思った
いや、バカなんじゃないんだよな
なんか“幼稚”
オタクを脱してオシャレに目覚めたとたん(それも勘違いオシャレ)普通のカジュアルな格好の人をdis
いや彼女たちのファッションをそんなにdisりたいわけじゃない
(正直なところ数万のチケット買ったりグッズを買い漁るならそんな安い服じゃなくて1着5万前後の上品で華やかなワンピースくらい買えよ!と思うけどファッションをメインに叩きたいわけじゃないからこの件は終わる)
でも俳優くんがアホな男だったらこの若くて3800円ワンピの女の子に簡単に落ちてしまうのかなと思うと
なんかも〜男も女もレベルが低いというか
私はきっとこの子たちとかなり年が離れているせいかそのレベルの遊びに興味示せないというか
ってことに気付いてしまった
(非ガチ恋勢をdisするのも意味わかんない。ガチ恋したいならそういうダサいと感じる人はライバルになり得ず都合のいい存在なのではないか?結局恋に恋しているのだ。推し俳優のために努力する自分が好きなのだ)
あんまりそういうことしなさそうな真面目そうな俳優さんにも、こういうリアコまがいの勘違い女がたくさん沸くことにげんなりしてしまった
この子たちは彼の何が好きで来ているんだろう?
どこに目をつけて見てたら真面目に仕事する彼に、覚えてもらいたいとか繋がりたいとかそういう感情が出てくるんだろう
どこに魅力を感じているのか?
それが判明するのはイベントの後だった(イベント自体は楽しかった。推しくんは今日も頑張っていた)
イベントの中で彼が言っていた。2.5俳優ではない別の本来の夢を叶えたいと。
そのことに触れて彼女は言った
「はやくあきらめてほしい」
するとその席にいた私以外の全員が同意し始めたのだ
(え)と私は思った
続けざまに他の子が声を上げた
私の違和感は強くなった
私は彼の人間的な部分に感銘を受けて好きになった
彼が望むなら、今は2.5俳優で経験を積んで、ゆくゆくは本来の夢が叶えてほしかった
その同調の流れに私は黙り込んだ
2.5の深い部分は、3次元の男を知らない女たちの幼い恋愛ごっこなのか
若手俳優たちに求めるものは、彼の幸せではなく、自分たちのコスプレオモチャでいてくれることなのか
もちろんみんながみんなこうではないと思うけど
なんて残酷なんだろう
遥かにアイドルを「人間的に尊敬して推している」人たちが多かった
ましてやアイドルの先にある本当の夢を「あきらめてほしい」なんて言う人はいなかった
あーあ。
どうしようかな