はてなキーワード: モニターとは
先日、学生時代の友人が上京したので晩御飯でも、となった。彼は県庁職員で独身、私は都内のしがないSI屋で公共系、それこそ彼の職場を客として、薄利多売を重ねる日日だ。毎日、毎日作業予定なんてものはなく、ただ12時間働いても終わらないタスクだけが積みあがっている。
そんな中、久しぶりなので振り切って定時に上がると彼と合流した。よく打ち合わせで訪れるその街での待ち合わせだった。当然だが彼はそこに用事があったのだ。ずいぶん久しぶりで、話し歩きながらもさて、どこで食べようかと物色する。
そこで私の中に黒い気持ちが燃え上がった。彼は独身で地方公務員で実家暮らし。こっちは底辺SI屋で妻と子供とマンションのローンを抱えている。めずらしくもない条件だ。私はこづかいせいで月18000円を支給されている。これで昼食、交通費、ほかいろいろすべてを賄わなければならない。なんとか考えて今日は3000円なら使っても耐えられるだろう、と目算をしていた。当然、それは彼の金銭感覚とは異なるだろうと自覚している。今だって店を探すのに彼はiPhoneをつかっている。私はもう6年物のガラケーだ。こういったちょっとした差がある。SI屋がどうしてスラックスとワイシャツなのか理解に苦しむのだが、イトーヨーカドーでつるしのスラックスのわたしと彼とではそこから違うのだろう、とひがんでしまう心を止められなかった。
結局、話を上手く持って行って、はやりのイタリアンレストランへと入店した。もうこまかく描写するのも心がみじめになるだけだが、当然名がら注文内容はぜんぜん違った。結局割り勘だったので、4000円ほどだった。正直今日から厳しい暮らしだと、店を出て空を見上げてしまった。
すこし前に「ほとんどの人が趣味がないことにおどろく。なにをしてすごしているんだ」とツイッターで話題になっていた。そういう彼らはその趣味に、どれほどの金をかけ、時間をそそぎ、1人で没頭できる状況にあるからできるのだと想像したのだろうか。大多数の、その趣味のない人は、金も、時間も、1人になる状況も、手元にないのだ。だからテレビを見るしかないのだ。そのまとめと論調を見ながら、モニターにむかって叫びたかった。ふざけんな、ふざけんな、お前ら、ふざけんな、と。そりゃ結婚を選んだのも、子供を望んだのも、マンションを買ったのも、決めたのは俺だ。しかし、周り、両親から言葉にできない圧力をうけ、それから逃げるように上京した俺の気持ちがお前らに判るのか。なにが趣味がない人間がいることに驚くだ。ふざけんな。ふざけんな。うらやましい。うらやましい。だから黙ってその趣味に没頭してくれ。こっちをみるな、攻撃してくれるな。それだけで俺はみじめになるんだ。
今、俺が何をして時間を、仕事をしなくていい時間をつぶしているかと言えば、昔買ったままのPSPのゲームを遊んでいるんだ。金なんてほとんどかからない。PSPなら家族からなにか頼まれてもすぐにやめられる。すばらしい。
ネットの連中が、自身のライフスタイルを誇示すればするほど、俺はみじめさを抱えて、丸くなる。独身の友人が、俺より稼いでいる友人が笑顔を見せると、心に黒い火がともり、みじめさを炙る。もうはやく死にたいのだが、家族がいればそれもできない。ただただみじめさを抱えて、なだめながら、テレビを見るしかないんだ。
みじめに。
大人が主役のラノベを紹介します。この場合、大人の定義は成人と言うことらしいです。
・
1.クリスクロス
初っぱなから推定で申し訳ないが、一人称で進む物語であり主人公の言動を鑑みるに成人であると推測される。また、体験型アトラクションのモニターなので未成年は選考されないとも思われる。
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2.ブラックロッド
主人公は古い吸血鬼であるので、数百歳から数千歳であると思われる。
・
主人公は大学生であるが、過去に軍事キャンプにいたことがあるので20歳以上であると推測される。
・
4.ラグナロク
主人公は歴戦の傭兵であるが、過去編等と読み合わせると成人であろう。
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5.龍盤七朝 ケルベロス
・
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ がなぜ糞なのか1話
・総評として、ギアスキャラと世界をガンダムへ混ぜて、アルドノア並に腐らせた糞アニメ。
・キャラデザがクソ。おばQみたいに、顔に目玉が貼りついてる。
目の周りの凹凸が一切ない。こんなクソキャラ絵は見た事がない。
なんだよあの角みたいな髪型はアホか。
ガッツと、ギアスのシュナイゼルと、昭和マンガのデブが混在して爆笑ものである。
・親しみの沸かない覚える気にもならない複雑で長いキャラ名地名。制作はバカ。
・アルドノアやバディコンと同じで制作にバカしか居ないのでSFアニメなのに
一切考察がされていない。火星の重力が対地球1であり、空が青く、大気がある。
・ラノベ並のガバ世界で、なぜか大人は全員チンピラヤクザみたいです。
・子供が奴隷で毎日暴行されて、基地そばで実弾大砲を撃ち合って練習します。
誤射で全員死んでもいいらしい。
・質量10トンはあるロボがあんなに動くならコンプレッサーのエアコンを付けない理由になりません。
付けないで気密があるなら水蒸気でモニター全部見えないじゃん。
ちょっとした破片や衝撃で全身血まみれだろ。アホか。軍人が素っ裸操作とか
腐向けだか知らねぇが勝手にガンダム世界をレイプするな。しねバカ制作。
・新潟デザイン専門学校卒の 長井龍雪 は何を監督してたの?矛盾だらけだろ。
デザインしか学んでないの?バカなの?だったら仕事受けるなよ。中学生以下のバカじゃん。
・監獄に軟禁されてるわけでもないのになぜ女の話が童貞キモオタ会話なのか?
・大人が居るのになんでキャンプで子供軍団が政府の要人警護をするのか?
本人が依頼しても通用するわけないだろ。
・どうやら民間人らしいが社員だの一軍だの社会構造が滅茶苦茶である。
・セリフも酷い。設定説明が9割で、わざわざ「マクギリストクサカンサツドノ」
とフルネームで呼び合う様は、視聴者に説明している感丸出しですね。岡田まりさん聞いてますか?
ていうか1話で全キャラ出す意味ないじゃん。構成の岡田って素人なの?バカなの?
・部屋で普通に座ってたのに、廊下に出ると無重力であるwバカwww
・セリフにセリフをかぶせるので何言ってるか聞こえません。死ね。
・整備ドッグでタバコを吸って火付いたまま地面に投げ捨て踏みつぶします。
岡田麿里と長井龍雪のバカコンビには学もなければ、常識もないんですね。
・握手のシーンがキチガイ同士にしか見えないのは常識がないから。
セリフ言いながら握手求める→男が汚れてる気付く→女が強引に握手する
これで3秒で終わる演出を、なぜ一分もかけて、わざわざキチガイ会話にするのか。
・超SF世界なのに、基地の夜間警備をマシンガンを手で持って兵士がやるバカさ加減。
赤外線センサーすらなく、スナイピングされるまで気付きもしない。
さらに照明弾があがって突然戦闘が始まります。なんで照明弾なんですかね?
・遠くから撃ってきたのになんか戦車だして滅茶苦茶に撃ち始める。
・もう戦争が始まってるのに、バイトがシフトの相談でもしてるかのように
・信号弾を撃ったら敵が全部そっちへ行く。そのバカさをキャラが必死に言い訳する。
・戦争中に素っ裸でずっと戦車の上に棒立ちです。完全にキチガイ露出狂。
・戦闘描写がいい加減すぎる。敵が奇襲して、なぜ味方の戦車隊が間に合うのか。
つまり、戦車でMSから普通に逃げて、ちょうどガンダムが出てきて倒す。
" イオンエンジンも眠る丑三つ時。墨を流したような暗がりの中に縞模様の宇宙服の男が歩いています。手には提灯もなく、月は雲で隠れているのにひたひたと日中をゆくが如く堂々と街道を歩いています。向かう先は町外れにあるNASAの酒蔵です。ご存知のように老舗の宇宙問屋であるNASAは宇宙燃料に、嗜好品に、と使い勝手のいい酒を自家栽培するようになり今日では「まるな印のNASAの酒」として市場を賑わせています。その酒蔵へ、男は吸い込まれるように入っていくのです。カードキーで施錠されたNASA鉄壁のセキュリティーも男の手にかかれば造作もありません。懐から取り出した木の葉を滑らせると「ピッ」という小気味良い音を立てて開いてしまいます。扉は油を引いたように滑らかな動きでスライドし、真っ暗だった通路に灯りが点ります。ぬっ、と入ってきた宇宙服の男は電灯の下ではまさしく異様な風体でした。六尺はあろうかという見上げるような宇宙服の大入道で、全身に黄色と黒のだんだら縞が入っています。奇矯奇怪な風体ですが不思議と品位を感じるのはそのゆっくりした立ち振る舞いからでしょうか。やおら男は歩を進めます。警備員はというと監視カメラに睨みを利かせていたのですがちっとも男の侵入には気づきません。煙のようなものがモニターを横切ったようにしか見えないのです。男は真っ直ぐ酒蔵に向かうと醸造樽をにハシゴをかけ、猿の様な勢いで一気に上りきるとそのままどぶり。酒の中に入ってしまいました。立ち泳ぎをしながら男のヘルメットが横一文字に裂けたと思うと大きく開きます。中から輝く白い歯列。どうやら口のようです。そのままごうごうびゅうびゅう音を立てて酒を飲み始めます。しばらくすると宇宙服が全体に赤みを帯び、満足したのでしょう大きな大きなげっぷを垂れました。ぐえーふ。そして滑らかな樽の表面に手を突くとヤモリのように登りきり、ふちから外に飛び降りました。流石に酔っ払っているのでしょう。尻からどっかと落ちてしばらく寝転がっていびきをかきます。しかしそれも寸刻のこと。ふらふらした上体を揺らしながら起き上がるとゆっくり出口へ向かって歩き出します。ここへきて警備員は物音から動き出すのですが男はすんでのところで逃げてしまって行方はようとして知れません。これが月に何べんもあります。
NASAの高官たちは寄り合いを開いて対応を協議することにしました。長官がぱちぱちとはぜる囲炉裏の火を見ながら語ります。「これは我らが神をないがしろにし、ロケットでただ宇宙を駆ることばかり考えた罪ではないのか」かぶりを振って「気ばかりのスティーブ」と呼ばれる翁が怒気混じりの声を上げます「こんなものは怪事でもなんでもない!ただの泥棒だ!警備員を倍増させ、捕まえてしまえば問題ない!」そこへ人事部のロジャースが鼻声で反論します「君、警備員を倍増させるのはいいよ。しかしね、その給料はどうするのかね。10人増やせば月に3万ドルの出費だ。それに泥棒を捕まえたらすぐクビにできるのかね?一ヶ月でクビ切り?おお、怖い。私は幽霊よりも労働組合が怖いね!」長官は二人のやり取りを呆けたような目で見て震えるばかり。とても裁定ができるような状態ではありません。先週妻と協議離婚をしたばかりなのです。親権も奪われました。涙ばかりがぽろぽろこぼれます。頭に浮かぶのは幸せだったころの自宅の庭。今では古タイヤがつまれているだけです。そこへ新役員のホプキンスが手を上げます「それならここにいる役員全員がかりで泥棒を取り押さえようではありませんか。幸い我々は一般職員と違って仕事をしていない。時間は十分にあります。それに私は我々の日本の友達、JAXAから棒を貰う算段をつけています。アジアに生える桃の木で作った棒は邪気を払うといいます。この棒で泥棒を叩きのめせば普通の泥棒なら死ぬでしょうし、怪異であっても無事ではありますまい」その後、閑をもてあました役員たちはそれでも命令を出すのに忙しいと文句を言って中々重い腰を上げませんでした。しかし、長官が人寂しさから全員酒蔵でキャンプをしようと訴えだし、その様があまりに哀れだったため無下に断ると死んでしまうような心持にさせられたため役員総出で寝ずの番をすることになりました。
老人たちの酒蔵生活が始まりました。杜氏は黙々と仕事をするだけで彼らを一瞥もしません。なぜなら彼らはロボットであり視覚センサーを備えていないためそもそも見ることができないからです。終業時刻を迎えそれぞれ酒蔵の目立たないところに張ったテントに戻ると全員それぞれテント内でちびちび酒を飲んだりマンダリンを弾いたり思い思いのことをしています。そんなことで泥棒が捕まるのかはなはだ疑問でありますが、彼らは仕事をしない生活が当たり前になっていたため全員目標を忘れていたのです。そんな生活が四晩も続いた頃でしょうか。ついにだんだらの宇宙服がやってきました。彼は既に見つからないことが当たり前になっていたせいでしょうか。宇宙服の表面は毛羽立ち、ヘルメットからは大きな舌が覗いています。鼻歌を歌いながら酒樽に近寄りハシゴをかけようとすると「ジュワッ」肉を炙るような音がして宇宙服の手袋が黒く焦げました。ハシゴを桃の木製に架け替えていたのです。あっ、とうずくまる大男に老人たちが殺到しました。堕落したとはいえ元はやり手のサラリーマンたちです。身のこなしが違う。久々の仕事に興奮した役員がやたらめったら男の全身を打ち据えます。ぼっ、じゅっ、叩く度に焼きゴテを押し当てたような音がします。きゅうきゅうという音を立て、身をくねらせる大男は徐々に身長が縮んでいき宇宙服もぼろぼろになり獣の毛皮のようになっていきます。狂乱の二分間が過ぎると長官が割って入りました「みな待ちたまえ。もうこの泥棒に盗みを続ける気力はあるまいよ」そこには大男だった痕跡もほとんど残っていない一匹の狸が傷だらけの全身を震わせ横たわっていたのです。不憫に思った長官が狸に尋ねます。ここは人間の酒蔵だ、一体どうして人間の酒蔵を荒らすのか、狸は目に一杯の涙を貯めて語ります。「つい先年、妻と協議離婚をしたのです。親権も奪われ自暴自棄になり、とにかく酒以外に救いがなかったのです。人間様にご迷惑をかけたのはわかっています。それも今日のように罰せられるのを期待していたのかもしれません」それを聞いた長官は膝から崩れ落ちて泣き出しました。おお、お前は私だったのだ。狸を抱き上げ介抱を始めました。もうこんなバカなことをするものではないよ。酒が欲しいのなら私に言いなさい。獣一匹が飲む量くらいはすぐに都合してやろう。「ああ、旦那様。人間とはかくも暖かいものだったのですね。いいえ、いけません。貰うばかりでは狸のプライドが立ちません。どうか私にもできることをやらせてください。そうだ、エンジンの出力を上げるくらいなら狸にとってはどうということはありません。これからNASAで打ち上げるロケットは全て狸の加護を加えましょう」それからというものNASAから打ち上げられるロケットの出力は全て30%増加することになりました。それによりNASAの宇宙開発は飛躍的に進み、今でもNASA本社の玄関には傷ついた狸を抱き上げるかつての長官の銅像が立っているのです。とっぴんぱらりのぷう。"
この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授の純丘曜彰氏である。
反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。
エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で
純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。
筆者の感じた純丘氏への疑問とは、
そして「独りよがりなデザイン論」「デザインに関する知識不足」である。
http://www.insightnow.jp/article/8591
瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である。
デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、
純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。
以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である。
ニーチェの独文の警句を英文で引用して、名前の綴りがコピー元のままに間違っていたり
(page:2 より)
Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、
その最後の名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、
すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。
Pinterest に綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。
ここで問題なのは「佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。
この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、
ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。
純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである。
最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。
「大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。
論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが
こんなお粗末な方法で文章を書いている人物が学生に論文の指導をしているのはいかがなものだろう。
あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。
およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。
まるでいやな気分にさせること自体が目的のひとつにもなってしまっているようだ。
純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。
だがそれは個人的な感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。
大学教授、美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。
識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。
騒動の中、感情のほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。
これ以降、掲示板でもエンブレムをゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。
http://www.insightnow.jp/article/8644
ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。
疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたものを
「超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、
デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。
むろんそれ自体は問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、
己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは
この一文の含まれる段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら
「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデアを否定するのが目的のようだが
9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?
さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、
黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス的悪趣味。
解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。
エンブレムを仮に芸術のひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。
しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザイン」である。
アートのように何ものからも束縛されない自由な意志で構成、配色したものではない。
見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレム」であるという情報とともに接する、
そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。
佐野エンブレムがスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。
が、「ナチスフラッグ」である、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは
エンブレムの出自、コンテクストを無視した悪意のあるミスリードでしかない。
ゴキブリの画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがりな解釈を
強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。
どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視のRGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷のYMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり
この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。
この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを
結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである。
純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。
発表されたエンブレムは RGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、
佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、
あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……
RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり
CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である。
RGB と CMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである。
ポスターやプログラムに印刷するなら CMYK のデータを用意する。
純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、
デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。
特色というのは印刷インクの一種で、
通常のプロセスカラー(CMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである。
エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこからの情報かわからないが
(筆者は見たことがないので、まずはそのソースが問題である)、
それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。
RGB/CMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用の現場に応じて「自然に」決まるのであって
雑誌のカラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである。
金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。
特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、
そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。
・特色番号(印刷用)
純丘氏の言葉を再掲する。
以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナーを想像できるだろうか。
すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定(CMYK 値)のない、
純丘氏の作為の産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。
このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも
デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。
「佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど
エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、
このペダンティックな解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、
芸術・デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、
この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、
己の求める結論「佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉と作為的イメージを用いて
流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。
TOKYOのTをロゴにするっていう発想自体は別に、悪くは無いと思うんですよ。
扇子や桜はわかりやすいモチーフだけど、それって凄く古典的で。
大正時代だったら良かったのかもしれないけど、今の日本人は洋服を着るし、東京はビルばっかだし。
かと言ってニューヨークのような、ザ・都会じゃないし、パリみたいに整ってるわけでもない。
「1964」から進化した「今の東京」を具体的なモチーフで表すのって至難の技。
海外から見た具体的でナウい日本文化といえば、アニメ、漫画、ファッション?
さすがにそれをモチーフにしちゃったらそれこそ国民に怒られる。
個人的には「円」って今も昔も日本っぽいよね、と思ってるけどそのへんはおいておいて、
で、東京。東京ってなんか、すっごい独特な場所だと思うんです。
海外の人たちの反応を聞く限りでは、他の国にはないような何とも言えない変な場所。
高層ビル群があるかと思えば、路地裏には小汚い定食屋が並んでて、
大きなデパートが並んでるのに、突然神社やお寺が現れて。場所によっては屋上に鳥居があったりして。
スクランブル交差点があって、うるさいモニターの下で演奏してる人達がいて、ちょっと歩けば広い公園があって。
日本人からしてみれば何てことはない日常の景色を外国人が珍しそうに写真撮ってて。
なんかそういう今っぽいカオス感が「TOKYO」ってものの中に内包されてる気がしてて
東京でもとうきょうでもトーキョーでもなくTOKYOだよなあ、みたいな。
だからまあ「TOKYOのTをモチーフにロゴを制作する」っていうのはアリだと私は思います。
欧文書体って一杯あるけど、その歴史みたいなのはすんごく奥深くてですね。
日本語と違ってとても幾何学的な字体なので、読みやすさ・美しさ・強さ、あらゆる観点で計算されつくしていて。
今から新しいフォントを作ったところで、昔からある伝統的な書体には何をどうしたって敵わない。
で、選ばれたのがDidotとBodoni。というか、「モダン・ローマン体」と呼ばれる種類の書体。
佐野氏が「これを元にしました」とか言っちゃうから話がややこしくなるんだろうけども、
DidotやBodoniを元にした書体なんかそりゃもう大量にあるし、
世の中の活字は手書きのものを除いてしまえば漏れなく「元ネタ」がある。
(遡りまくった先にあるのが2000年前にローマに建てられた「トラヤヌス帝の碑文」と呼ばれる石碑に書かれたTrajan)
美術というよりは数学みたいなもので、美しく伝統的な書体を元にしつつ、
その時代や使用目的に最適化された書体を「新たに作り上げている」のですね。
で、今回はそれがオリンピックのロゴであったと。言うことですね。
蛇足なんだろうけど、好みだけで言えばあのエンブレムは別に好きでもなんでもないです。
円を意識して右下に下げたセリフの片割れ、あってもなくても私には円には見えないし。
黒のインパクト強すぎだし。9分割が逆に気持ち悪いような気もするし。
パラリンピックと並べれば、まあアリかなあ、ぐらいの。これから先の展開に期待というかんじです。
私も招致の時の桜のマークは好きでした。あれを使えばいいとは言わないけど。
長々と失礼致しました。
[ト・タル][文][形動タリ]
1 虫などがうごめくさま。
「―として御玉杓子 (おたまじゃくし) の如く動いて居たものは」〈漱石・趣味の遺伝〉
2 おろかで無知なさま。また、そうした人が秩序なく動きまわるさま。
「―たる凡俗の徒輩」〈谷崎・神童〉
【閲覧は自己責任で】
サラリーマンは小遣いが貴重だ。
子供が夏休みに入ると同時に弁当をこさえることをやめてしまう嫁から、その代わりにと500円ばかりの昼食代を援助してもらっている。
学生時代から昼食代を切り詰めては遊興費に回すことは得意だった。
最近では家にある冷凍ご飯を持ち出し、コンビニのレトルト惣菜とインスタント味噌汁や粉末スープで300円前後に抑えるのがマイブームだ。
会社のレンジとポットを使えば、温かいスープと主菜、さらにサラダまで楽しむことができる。
個別の皿に盛られて出てくるだけで3倍はかかると思うと、最近のコンビニはランチ産業までをも脅かしているに違いないとよく知りもしない畑の心配をしていた。
以前からもコーヒーはインスタントで楽しんでいた。缶やペットボトルなんぞは外で飲む以外に買う理由はない。
これらすべてを100円ショップで買ったどんぶりとマグカップで楽しんでいる。
ずぼらな私ではあるが、ここで使い捨てを選んでは元も子もない。
ランニングで考えれば洗剤のほうがはるかに安価なのは考えるまでもないことだ。
コーヒーの水面を揺蕩う湯気は、自分の経済観念を讃えているかのようだった。
そんな私だが、コーヒーと砂糖をすくい取るスプーンを入れるカップだけは使い捨てを使っていた。
濡れたスプーンはカビの原因になる。
そのためにすくい取る専用の乾いたスプーンを用意しておいたのだ。
そのスプーンを瓶に刺しておくのも棚に直接おいておくのも憚られたため、汚れたら捨てれば良いとプラスチックのカップを用意したのだ。
もともとがずぼらな私だけに、我ながらいいアイデアであると感心していた。
コーヒーやスープなどが置かれた棚に並ぶように、一枚のタオルを半分に折りたたんで敷いた上にそれら食器一式は置かれている。
洗ったのちの乾燥もそこで行っていた。
四六時中パソコンのモニターとにらめっこしては、そこに現れる問題点を潰していく仕事だ。
正義感も罪悪感もなく、ただただ単調に害虫を発見しては潰していくのだ。
そんなちまちました作業には、自律神経を緊張から開放させてくれる温かいコーヒーが不可欠だった。
さて、午前のノルマを終え優れた経済観念を楽しもうといつものように逆さに向けられたどんぶりを手にした時だった。
何の気なしに、安物と言えども丈夫な作りをしてくれているなぁとどんぶりを覗きこんで見たのだ。
そこで私は、クリーム色の陶器に反射する蛍光灯の光を遮る何かを見つけてしまった。
目を凝らして見ないとわからないほど小さな、それも一つではなく、数個の、どんぶりの色によく似た白い個体が、陶器に足を滑らすでもなく、自由自在に動きまわっていた。
蟲だ。
急いで流しに駆け寄ると勢い良く水で洗い流し、半ばパニック状態になりながらも洗剤も使って念入りに洗い直した。
動くたび鳥肌が衣服に触れ、まるで小さな蟲が体中を蠢くようなかゆみに耐えながらふと疑問が頭をよぎった。
「いつからか?」
普段ならどんぶりの中など気にもせず、レトルト食材を袋からどんぶりに移してレンジにかけていた。
ラップに包まれていた温め終えたご飯をどんぶりに加え、さらにサラダまで盛りつけて食べていたのだ。
加熱処理をしているから問題ないという言葉が一瞬浮かんでは見たが、それがなんの慰めにもならないことに気づいてかえって苛立ちは増して行った。
そんなことを考えながら食器の置かれていた場所に戻ると、コーヒースプーンの入ったプラスチックカップが目に飛び込んできた。
そこには、カップの底にわずかながらの、しかし暫くの間放置されたであろうコーヒー豆と砂糖のカスを見ることができた。
やつらはどこからかこの匂いを嗅ぎつけ、時間をかけてここに仲間を呼び寄せたのだ。
コーヒーはかれこれ半年ほどこうして飲んでいる。食器を買い込んで惣菜で弁当を食べ始めたのはここ1ヶ月くらいの話だ。
よもや期せずして昆虫からのタンパク源摂取の臨床実験を成功させていたとはなんという皮肉。
人付き合いが嫌いな(というかめんどくさい)性格なので、ほとんど外に出たり、人と話すことをせず毎日過ごしている。大手マスゴミが嫌いだからテレビも新聞も見ない。
こんな俺が世の中できちんと生きていくためにはネットでの情報収集・意見交換が不可欠。2chや増田でどうでもいいことをあーだこうだと言い争っている時間も、他の人が職場や友達と雑談している時間と同程度には貴重で、必要なものだ。
むしろネットの方が効率が良いと思う。話題を周囲の人間に苦労して合わせる必要がなく、話題に合わせて人間を選べるからだ。物理的に近くなる人間は偶然の要素が強いが、ネットでは絡む人間(コミュニティ)を自分の意思で選べる。
俺にとってこの箱(PC)を通じてモニターに映る情報が世界の知の集合の全てだ。これからも俺の姿形関係ない意識の活動だけが、他人の意識と絡み合って鍛えられていく。ネットの時代に感謝したい。
私は「戦う政治家」に裏切られたり、最近ですと世界文化遺産登録のグダグダ等を見ると、
安倍首相の主張を聞く時には、毎回眉に唾をつけ過ぎて肌荒れを起こすようで正直辟易していますが、
今回の
父親の危篤時に安部首相がゲームボーイしてた!? → 検証不足でした - Togetterまとめ
については、そもそも叩かれる様なことかなぁ?、と。
私は過去にゲームギアとTVチューナーパックを持っていたので、以上の特徴からゲームギアと判断しました。
参考:ゲームボーイの形状 http://www.nintendo.co.jp/n02/dmg/hardware/index.html
参考:ゲームギアとTVチューナーパックの形状 https://sega.jp/fb/segahard/gg/tuner.html
改めて叩かれている画像を見ると、私は藤本順一氏の「ゲームに興じていた」と言う言葉でバイアスが掛かっていたのは確かなので、
ゲームギアではなく、ただのポータブルテレビかも知れませんが、
少なくとも上記からゲームをしているのではなく、TVを見ている所なのではないか?と見えます。
私は15~20年ぐらい前の頃に、両親の祖父母四人が私の成人後に他界しています。
朝方に危篤状態に陥って、日暮れを待たず他界した場合もあれば、二日ほど続いた場合もあります。
両親は兄弟姉妹がそれぞれ3,4人いて、その連れ合いの人も含めて交代で見守り、
長かった時には私も同席しましたが、病室の外や待合室で出来る事は、待つこと以外にもう何も有りませんでした。
ただ無言で待つ人、交代で食事に行く人、気を紛らわす為に雑誌を読む人、待合室のモニターをただ眺める人と、様々でした。
その実体験から、「隣の病室でTVを見るぐらいはありではないでしょうか」と言えます。
以下は余談です。
藤本氏の主張は、
安倍晋三の父晋太郎が順天堂大学病院で闘病中、隣の病室に詰めていた秘書は、
すでに秘書官であった二男の晋三の忘れられない振る舞いについて述べている。
「父親の死期が近づき、無念の臨終を迎えるという時期に、隣の部屋でゲームに興じていた。
もちろん時間潰しというのもわかるが、何かしらやるべきことはあるだろうと思った。
彼が後継者なのかと思うと、どこかしら頼りなさを感じた。」
「本当はやりたくないんだよ」
父や父の秘書に監視されている状態の中での労働は確かに辛いかもしれない。
だが、周囲の秘書がすべてをやってくれる労働環境自体は申し分ない。
実際、安倍は時間つぶしに漫画を読んだり、ゲームをしたりしていた。
----引用ここまで----
安倍首相の最初の総理大臣就任の2006年に出版された「美しい国へ」と言う著書は、ほぼ母親と祖父 岸信介首相との思い出話で、
安倍晋太郎氏については「30代は政治家修行の為に秘書をしていた」程度しか触れておらず、
何らかの心情的な物が有ったのかも知れませんが、上記のソースについては、上杉氏と安倍首相との間のこれまでの経緯を見るに、
ゲームに興じていたと断定する根拠としては、いささかの疑念を挟む余地があると思います。
藤本氏の主張が
なのか、
なのかは分かりかねますが、
前者だとしたら、素人が「いやゲームでは無いでしょ」と判断出来るよう画像を証拠とするのは弱いと思いますし、
後者でしたらば、私の実体験から、病院に着いてしまえば、その程度をする(その程度しかできない)事が、取り沙汰される事なのか疑問に思います。
私は「戦う政治家」に裏切られたり、最近ですと世界文化遺産登録のグダグダ等を見ると、
安倍首相の主張を聞く時には、毎回眉に唾をつけ過ぎて肌荒れを起こすようで正直辟易していますが、
今回の
父親の危篤時に安部首相がゲームボーイしてた!? → 検証不足でした - Togetterまとめ
については、そもそも叩かれる様なことかなぁ?、と。
私は過去にゲームギアとTVチューナーパックを持っていたので、以上の特徴からゲームギアと判断しました。
参考:ゲームボーイの形状 http://www.nintendo.co.jp/n02/dmg/hardware/index.html
参考:ゲームギアとTVチューナーパックの形状 https://sega.jp/fb/segahard/gg/tuner.html
改めて叩かれている画像を見ると、私は藤本順一氏の「ゲームに興じていた」と言う言葉でバイアスが掛かっていたのは確かなので、
ゲームギアではなく、ただのポータブルテレビかも知れませんが、
少なくとも上記からゲームをしているのではなく、TVを見ている所なのではないか?と見えます。
私は15~20年ぐらい前の頃に、両親の祖父母四人が私の成人後に他界しています。
朝方に危篤状態に陥って、日暮れを待たず他界した場合もあれば、二日ほど続いた場合もあります。
両親は兄弟姉妹がそれぞれ3,4人いて、その連れ合いの人も含めて交代で見守り、
長かった時には私も同席しましたが、病室の外や待合室で出来る事は、待つこと以外にもう何も有りませんでした。
ただ無言で待つ人、交代で食事に行く人、気を紛らわす為に雑誌を読む人、待合室のモニターをただ眺める人と、様々でした。
その実体験から、「隣の病室でTVを見るぐらいはありではないでしょうか」と言えます。
以下は余談です。
藤本氏の主張は、
安倍晋三の父晋太郎が順天堂大学病院で闘病中、隣の病室に詰めていた秘書は、
すでに秘書官であった二男の晋三の忘れられない振る舞いについて述べている。
「父親の死期が近づき、無念の臨終を迎えるという時期に、隣の部屋でゲームに興じていた。
もちろん時間潰しというのもわかるが、何かしらやるべきことはあるだろうと思った。
彼が後継者なのかと思うと、どこかしら頼りなさを感じた。」
「本当はやりたくないんだよ」
父や父の秘書に監視されている状態の中での労働は確かに辛いかもしれない。
だが、周囲の秘書がすべてをやってくれる労働環境自体は申し分ない。
実際、安倍は時間つぶしに漫画を読んだり、ゲームをしたりしていた。
----引用ここまで----
安倍首相の最初の総理大臣就任の2006年に出版された「美しい国へ」と言う著書は、ほぼ母親と祖父 岸信介首相との思い出話で、
安倍晋太郎氏については「30代は政治家修行の為に秘書をしていた」程度しか触れておらず、
何らかの心情的な物が有ったのかも知れませんが、上記のソースについては、上杉氏と安倍首相との間のこれまでの経緯を見るに、
ゲームに興じていたと断定するには、いささかの疑念を挟む余地があると思います。
藤本氏の主張が
なのか、
なのかは分かりかねますが、
前者だとしたら、素人が「いやゲームでは無いでしょ」と判断出来るよう画像を証拠とするのは弱いと思いますし、
後者でしたらば、私の実体験から、病院に着いてしまえば、その程度をする(その程度しかできない)事が、取り沙汰される事なのか疑問に思います。