はてなキーワード: 機会損失とは
http://tokunoriben.hatenablog.com/entry/2014/03/14/134843
>>意識高い行為のほとんどは、傍から見ると費用対効果が一見釣り合わなそうなことで滑稽に見える。<<
自分でも言ってるじゃん。その滑稽さを笑ってるんだから哀れもなにもない
>>もう一度書くけれど、人生でずっとずっとダメージが大きいのは「気が付かなかった」ことによる機会損失である。<<
この人の価値観ではそうなのかもしれないが、もしかしたら他人は前提から
違っているのではないかと考えられないところが視野が狭い
文章の中で何度も何度も「~というのも間違いではない」と言い訳じみたことを書いているのが滑稽
事実二輪は18歳にならなくても運転できますし。じゃあ、恋愛などにも二輪に相当するステージなどを設けて、どんどんフリーにしていくべきですね。
車やバイクの運転は直接死につながるので、恋愛だとかそういうのとは別に、国がきちんと許可を与えてます。
ただし、一定の年齢までは判断能力、経済能力、責任能力などを考慮し、いくら知識技能があっても免許は与えられません。
また、これには、一方で、親の保護下にあるので、例えば移動には親が車等で面倒を見てくれて、
自ら大きな荷物を持って長く移動したりする必要がない、ということも言えるでしょう。
(持ちろんいくらでも例外はありますが、一般的には十分通用する話しです。)
小児愛についてもそう。一般的に、12歳程度では判断能力に欠ける。
それを許可して発生するリスクの方が、一斉に禁止して失う機会損失よりもはるかに大きい。
そしてその判断能力を平等に測ることは今の時点ではどうやっても不可能。
それは車の免許も同じ。
車の免許に対して、判断能力、と言った点で年齢以外にさらなる審査を入れようとすれば、それは同じこと。
年齢の部分では、直接的な技能などとはまた別の判断能力を測ってます。
それは実際に機械損失があるけど問題解決出来ないからしない、って思ってるの?
元増田が書いてる様に、既に漫画とかはそれぞれの国で翻訳されて出版されてる。
わざわざ現地の駐在員様に日本語のものをウェブで公開、なんてして駐在員の買う量なんてたかが知れてる。
てか、駐在員で余裕持って暮らしてる層はある程度の雑誌や本などは大都市なら日本からの取り寄せサービスをしてるところがかならずある。
だから、いまさら元増田みたいな雑魚のためにサービスをはじめても何も意味が無い。
それ以上にそれは日本でも買えるわけだから、それによる通常販売の低下のが怖いだろう。
その辺は時代の流れでやらざるを得ないかもしれないけど、海外のために、ということでやる問題では全く無い。
テレビ放送にしてもそう。もし、日本でやって利益が出るようなシステムであればやれば良いと思うし、やるだろうけども、
また、日本語のテレビその物は海外での需要なんてない。需要のあるアニメなんかのコンテンツはもちろん既に流れてる。
オンデマンドにすることは、他の増田も言ってるが出演者の権利についてきちんとしないといけない。
NHKではそれをやってるために一部海外に直接配信するような事ができるが、
これも利益になるからやってるわけではなく、国営として、海外の日本人へのサービスの一環として、というだけのことだろう。
そうでなければ民法も直ぐに始めるはず。いまはそこまでする意味がないと思ってるのだろう。
元増田が単に自分の海外での不便さをぶちかましてるだけ。クールジャパンとか全く関係ない。
むしろこんなクールじゃない元増田が海外で駄目な日本人像をまき散らしてる事のほうがよっぽどクールジャパンにとって脅威である。
なんか偉そうに書いてみた。
SFCには頭がおかしいプログラミング言語使いがたくさんいる。特に研究室に入ると、バイトでバリバリ書いている人間や、研究や趣味でライブラリを量産する人間に出会うこともあるだろう。彼らに惑わされてはいけない。最初は彼らの言っていることは一つも理解できないだろう、理解する必要は無い。彼らはプロダクションで安定するかどうかという縛りから自由だ。流行り廃りに敏感で、昨日言ってることと今日言ってることが違う。
これは実際に手を動かして使ってみて好感触かどうかささっと確かめられる人間だからできることで、プログラミングできない人がこれについていこうとしたら間違いなくプログラミングが嫌いになる。
こういう言葉に惑わされるな、コードを書くための勉強をするな、コードを書け。
できる人は概ね、できない人の気持ちがわからない。受動的になるな。積極的に書け。
「プログラミングなんて特殊技能で、少なくとも教養じゃないでしょ..」という認識が横行している今だけのチャンスとも言える。
webプログラミングができると「技術的には簡単だがアイデア一発で作ってみた」もので、ほんのちょっとだけ有名になれる可能性がある。論文を書いて学会に投稿したりニュースになったりするよりも、よっぽどお手軽に(一部での)社会的ステータスを高めることができる(かもしれない)。
↓ こういうのでいい(失礼だが)。
こう言っている人間を見て何を思うだろうか。
「いや少しずつでいいから今やれよ」とか「英語できたらもっと世界ひろがるのに..」とか「大学生なのにそれで恥ずかしくないの」とか思うかもしれない。
知らない世界を知らずにいることは大いなる機会損失である。プログラミングに金はいらない。金はないけど時間はある、時間を大量投入できる最後の機会、大学生である内に学んでおいた方が望ましい。
基本的なスタンスとして、講義ではプログラミングを教えてはくれない。講義に期待するな。プログラミングに限らず、全ての講義は自習への足がかりであり、興味のとっかかりである。実際に意思を持って積極的にコードを書かない限りプログラミングのことは好きになれない。自分で考えながら手を動かしてコードを書かなければ覚えないし、初学者が配られたプリントを写経しても血肉にならない。
「今日から俺は!」という感じでプログラミング講義を受けると爆死は約束された未来である。「腕試ししよう」「これなら楽勝じゃろ」という意気込みで講義を受けると、意外に学ぶことが多い。完全な初学者の域は脱しておいた方が講義は有効的に活用できる。少なくとも、最初の2週間をインストールと環境構築のみで終わらせるスジの悪い講義を取得してはいけない。
また、講師によってはJavaScriptのことをJavaと呼称したり、JavaScriptはLispに比べて読解が平易であるためハッキングを受けやすいと言ったことを平然と言ってのける。選別にあたっては「講義名」と「講師名」を明言した上で「先輩に聞く」「Twitterを活用する」等の手段をとるべきである。十二分に注意されたし。
道具を選ばないのはプロだけである。初学者は多少高くても自分をサポートしてくれる良いマシンを入手すべきである。1行のコードを書くだけでも恐ろしい手数が必要なアーキテクチャを選択するのは愚行だ。
モデルは何でもいい、無理して上位機種を買う必要は無い。お金が余ってるならMacBookProを買えばいいし、勿論一番安いMacBookAirでも全く問題ない。特にweb系のコードを書く際、インターネットで検索して出てくる記事はだいたい「OSがUNIX系であること」を前提としたサンプルである。これをWindowsの開発環境に読み替えるのは、初学者に取ってつらいだろう。
また、Macならばパフォーマンスは多少犠牲になるがwindowsも起動できる。どうしても光学機器が必要になればCNSコンサルタントで外部接続式の光学機器を貸し出してくれる。Macが気に入らなくてもどうせ研究が射程に入る3年生に上がったぐらいのタイミングでPCを買い替えるだろう。バイトして稼いだ金で「俺の考えた最強のマシン」に買い替えればいい。それまではMacを使え。
OSに固有の使い方なんて学ぶ価値はない、覚える価値も無い、操作時間が短縮されるだけだ。「普通の会社はWindowsなんでしょう?」というくだらない理由でWindowsPCを選択肢の第一候補にするな。Windowsを買うなら積極的選択としてWindowsを買え。
SFCにおいて、PCは毎日抱えて通学し、毎日開いて講義を受け、苦楽を共にする相棒だ。消極的に選択するな。
SFCには「共同購入PC」という制度がある、これを利用してはいけない。
もし要件が変更され、Macがラインナップに入れば積極的に利用するべきである。
条件を示す。
見た目に変化が無いと楽しくないだろう、こんなのを実行しても何も楽しくないはずだ。
#include &lt;stdio.h> int main() { int a; a = 1 + 1; printf("%d", a); }
マイナーな言語を選択してはいけない。「ライトウェイト言語」と呼ばれるくくりから選択肢するのがいいだろう、以下のようなものがある。
中でもjavascriptとrubyは推薦できる、SFCでも書いている人間は多い。
phpとperlはおすすめできない。ドキュメントは多いが、不慣れであればロジック以外に割かれる労力が非常に多い。pythonは日本語のドキュメントが少ないため最初はつらいだろう。
最初にjavascriptをやるのは理に適っている。index.htmlというファイルを作り、scriptタグの中にコードを書き、ブラウザでindex.htmlを開けばもう実行されている。web上のドキュメント量も豊富だ。
rubyも推薦できるが、少なくとも「自分でHTTPサーバを立てる」という言葉にピンと来るようになってから使い始めた方がいいだろう。きっと何をしていいかわからないはずだ。
他にもProcessing(http://processing.org)などが推薦できる。ダウンロードに時間がかかるだけでインストール作業は必要ない。こちらに関しては旧プロダクト名である「proce55ing」をキーワードに検索すると記事が引っかかりやすいという暗黙のルールがあった、今はどうだか知らない。
最近ではnode.jsの採用事例も増えてきた(他に比べれば圧倒的少数、増加傾向にあるという意味)。クライアントでもサーバでも活躍できるjsは学習コストパフォーマンスが高いと思われる。
書ける言語は一つにしぼってはいけない。なるべくたくさんの言語を使ってみよ。ブログ記事を読みあさり、「その言語は何が得意なのか」調査しろ。不得意なことをその言語にやらせるな。
下記のような上達ストーリーが考えられる。
例えばpythonは音響処理や数学計算が得意だったりする。そういった特徴を徐々につかみながら書ける言語の種類を増やし、好きな言語を見つけて好きな言語のことをもっと好きになればいい。
自分が好きな言語のことを胸を張って自慢できるようになったなら、あなたは既に初学者ではない。
人に聞くとvimやemacsを推薦されるかもしれない。もしそれを使ったことが無いなら、あるいは「プラグインの導入方法がわからない」なら、やめろ。Terminalを開かなくても書けるGUIアプリのテキストエディタを使え。
具体的にはSublimeText(http://www.sublimetext.com/3)を使うのがよい、無料である。
ライセンスが必要だが、起動時に「買ってね!」というダイアログが出続けるだけで無料で使用し続けられる。信頼できるエディタだと思ったら買えばいい。
SublimeText3にPackageControlというものを導入すると、標準で備わっていない機能を拡張できるようになる。こちらのブログ(http://p.tl/Ev7b)の「インストール手順」セクションのみを実行する。たとえば「Jadeという言語を、文法に従って色付けしてほしい(SyntaxColoring)が、その機能が無い」という時に、「Jade用プラグイン」をSublimeText内で検索し、インストールすることができる。
もし使い方がわからないければ、回りにいる「プログラミングができる優しい人」に上の記事を見せ「インストールしてくれませんか?」と頼んでみろ。きっと戸惑いながらも正しい操作をしてくれるだろう、一挙手一投足を見逃さず学べ。
エロ画像を集め続けるツールが欲しいとする。どうやったらいいか考える。クライアントjsだけでは限界が来る。rubyなど別の言語を試すステップを踏む。
http://www.slideshare.net/shokai/ss-26387303
プログラマ同士じゃないと伝わりにくい用語が頻発すると思う。逐一人に聞いていてはラチが開かない。人に聞くな、適当に読み飛ばせ。
ブログ記事は本ではない、それを読解しなければならない理由はない。適当にはてブでもつけといて、次の記事を読め。たくさん読めば共通項が見えるだろう、コードが書けるようになるに従い読めるようになるだろう。
みんなが息をするようにコード書いてさ、みんなでしあわせになろうよ。
>これは明確な脂肪フラグ。 全部の通貨は関係しあっているから、3通貨で資産の2%ずつ投資したら、6%投資してるのと同じ。
1通貨で6%やるのとなんか違いあるの?それだと量が多いからダメと言ってるようにしか見えないが
>指標って、ほぼ毎日4,5回はなんらか出てるやろ?それ知らないのはさすがに勉強不足やで。
なんか勘違いしてるようだが、小さなものを含めれば毎日出てるのは知ってるが大きく動くのは滅多にない
だから「大型」でやると書いた
一般人が投資をする目的は資産を増やすためで正確な確率を求めるためじゃない
去年儲かった人も1月初めに買って丸一年放置して大晦日に利益確定した場合と比べてみると機会損失がある人が多いんじゃないかと思う
別にゆれるわけでも壁に穴があくわけでもないし飛行機客席内で枕投げしても問題ないだろ?
自転車ですら10数キロで「イヤホン危険」とか言われてるんだぜ?
自転車は擦違いの頻度が電車のような専用道と比べて高いので規制内容については比較できないが
有事に際して備えるという意味では必要性は大いにありそうだろ?
自分で乗車料金という現金を支払って乗ると選択しておいて乗車料金分のサービス提供者でもないのに「時刻表に2時5分と書いてあるのに3分も遅れやがった」とか言うのはおかしいだろ?
地下鉄に毒ガスが持ち込まれないように取り組んでる方法が「ポスター」なんだぜ?
バイク買えよ
時間を金で買えよ 昼からの予定にするとか 次の日の予定にするとか 買えるだろ?
人間寿司詰めにして100km近い速度で移動する乗り物とか頭おかしいだろ?
なんでそんなの選択するんだよ
もしそんなのに乗り合わせることになったら なんか備えろよ 対策しろよ
万が一のときに情報を取り逃がさないようにとか 他人の機会損失に関与しないようにとか 対策しろよ
携帯電話の話をしよう
おまえ電話で何してるんだよ 会話してるだろ
会話してる相手はそこにいないだろ でも会話してるだろ?
おまえに「うるさいから黙れ」と言った場合 その状態に関与している人間は二人だろ?
電話中に「黙れ」という干渉を与えるのは誰になる? おまえ1人だろ?
じゃあお前はなんていうんだよ その見えない相手を持ち出して「話をしている」だろ?
おまえら二人で話をしていたら いまその話をするところじゃないとか 話はあとからできるかどうか 後でしろと両者に確認とれるだろ?
「今しかできない」とか言い訳が 相手が居ないからと成立する状況があるだろ?
現場対応や状況対応するのに 現場にいる人間の行動が問題になるのに 遠隔地のだれかがそこに干渉をして現場を乱すのは その他の規律に従い安全を確保している人間の迷惑になるとか おまえ考えないか?
電話のむこうで「もっと大きな声で言って」と要求されて それに応えるべき現場が電車内で 子供や老人もいる状態でその内容が「アニメのあの台詞を言って」だったとしたらどうするんだ?
「爆破する」とか「みんな死ね」とか「いまから乗っ取る」とか ただの電話の会話だったとか 言い訳できるか? そんな言い訳するか?
そんなことはどっかの防音壁の中でしろよって思うだろ?
おまえが状態のわからない奇怪な行動を喚起する可能性がある端末を危険で閉塞的な空間に持ち込もうって事なんだぜ?
日本の話って言ってるがそれはそうだ 海外では普通とかそれ海外いけよと同感だね 海外では大丈夫なんだろ?
海外の電車は時間に正確か? 電車内のトラブルに鉄道会社が対応してくれるのか?
電車でのトラブルや電車利用に関する問題があくまで購入者の自己責任だったら電話だって自己責任でいいだろ そりゃもちろんいいだろ
おまえは電話で奇怪な行動を取ったりして迷惑を被ったら鉄道会社に訴えを起こすだろ
電話だけの話を取り出して海外比較ではないといったところで 使用リスクについては結局日本のメリットを利用してるだろ?
だとするとデメリットも日本特有のものが発生するだろ 海外での鉄道会社の顧客対応と日本でのそれとって比較が
日本の話で電話の会話で実際に自分がどれだけ迷惑を被ったかその行動を取った人間本人に対して訴訟を起す方法を知らないだろ?
日本では電車を使ったときに実際に費用が発生した それが損害に繋がった つまり200円とか800円とか損したってことで取り立てにいくわけだろ?
まあそんな行動も自由だ 勝手に訴えろよ でも鉄道会社もそれに対して「勝手に対策を練る」だろ?
そんなバカな行為で他人に迷惑を掛ける奴を容認して電車で迷惑されてその上で鉄道会社に責任取れとかいわれないように
ほかでやれよ 鉄道会社だって改札内で電話しなきゃ電話の話なんてしてこねえよ
鉄道会社が電車内マナーを歩道でも仕掛けてきて迷惑というなら それは訴えてやれよ
5分遅れたら大変なことになるのになんで電車利用してるんだよ 扉が閉まらず5分遅れる原因を作る駆け込み客の整理はお前がしてくれるのかよ
携帯電話いじりながらホーム移動していたらでっぱりに躓いたらお前鉄道会社に施設投資を要求するだろ
携帯いじりながら歩くのを注意されたり でっぱりに対応してくださいというアナウンスで充分対応できないか?
電車の問題って客同士のトラブルくらいしか起きないだろうって安心できる安全大国日本での話ってのはわかったよ
おまえらが電車関連で発生する問題は自分たちで解決するって意気込みもよくわかったよ
おまえらを低料金で箱につめて高速移動してる側なんだよ
こうしてほしいって能書き持ってるんだよ
電車ではいちいち言うのも何だけどさまざまな問題が発生する可能性があるって言ってるんだよ
できるだけ多くの場面について駅員が対応に出てくる場面を作らないで欲しいってお願いなんだよ
電話の会話でホームの段差に気付かずに路線内に落ちたとかいうのは「自己責任」だけですむんだったらだれも注意しないって話だよ
でもそれだけじゃ足りないだろ そういう言いがかりをつけてきて賠償要求してくるやつらや可能性もキップ代でおまえらが対応してくれるのかって事だよ
マナーが呪いで意味不明とかいいながら結局自分でマナーを再構築してるだけじゃねえか
僕たちが考えるとりくみ じゃないんだよ
べつに取扱説明に従わずへんな行動してもいいんだよ
まとめ
これまで経済政策論争として多くを占めたリフレ・反リフレの間の論争が結論が出る前に現実の方がリフレで固まり少なくとも数年は続けられそうになってしまったため下火になり論争の中心が財政政策、公共事業の方へと移ってくるようになった。そこでポイントとなる点を備忘のためにまとめる。
景気対策としての公共事業を否定しても全ての公共事業を否定することにはならない。また公共事業の価値を認めたからといって景気対策としても有効であると認めることにはならないし矛盾しているわけでもない。
公共事業に限らず金融政策にしろ何にしろコストがかかる。ここでいう公共事業のコストとは公共事業によって引き起こされるマイナスの出来事に公共事業をやったために出来なくなってしまった機会損失を加えたもの。国の債務を家庭の債務と同様に考えるのは永続性を無視した誤解であるが、かといって国の債務は国民の資産であるので拡大しても何ら問題ないというのもまた国民の異質性・多様性(世代など)を無視した誤解である。過去に積み上げた債務を高齢者に逃げ切られないうちに一部返してもらおうというのが原因となって消費税増税がゼロ金利が続くなか急いで決められたといった財政の自由度の低下も異質性があるがゆえの公共事業のコストの一つである。
どのような社会的効用関数を想定するかは人それぞれで当然だが最終的には効用に結び付けて考える必要がある。いいかえればGDPではなく消費こそが重要であり失業の削減なども消費が増えるからこそ大切。また、今期の消費だけでなく将来の消費も重要になってくる。
以上の3点が考えるための大前提。
この3つめの考え方にたった上で公共事業を考えるときに外せないのが小野善康先生の論文(Yoshiyasu Ono, Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis, ISER Disscussion Paper, 2006. リンクは
http://www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2006/DP0673.pdf)となる。(これはいわゆる小野理論として有名な貨幣の限界効用に正の下限があるというものとは別。)その中身は論文や小島寛之先生の解説(http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200707/200707241130.html)などによるとして、簡潔に言葉を借りると
「乗数効果は、国民の所得を増やすという意味での景気対策には全く効果を持たず、また、その実質的効果は政府が投じた金額ではなく、作られた公共物の価値に依存する」
ということになる。つまりよく言われる穴を掘って埋めるようなものの場合、GDPは増えるが所得や消費を直接には増やさない。GDPが増えるのは政府支出はその支出分と同じだけの付加価値を生んでいると仮定する以外に付加価値の算出が困難というGDPという統計作成上の制約による仮定の産物に過ぎない。無駄が増えるのも経済にとって有用というのは誤りである。
このことが示すのはGDPが増えているからというだけでは公共事業には効果があったとは言えないということである。公共事業に効果があったというには、直接的に価値のあるものの生産が増えたか所得効果が働き消費を増やしていた必要があり、さらにそれらが公共事業のコストを上回っていないと望ましいとは言えない。
ここまでを踏まえた上で公共事業に効果がないという考え方、あるいは効果があるとしても小さくコストを上回れないという考え方について見る。財政政策に効果がないとする理由としてよく挙げられるのは
公共事業規模以外の影響を制御して考える必要がある。ただし公共事業の減少幅からすれば公共事業が雇用に主導的な影響を与えていたというのは難しい。
これは産業政策が平均的にはうまくいっていないのと同じ問題である。とりわけ景気対策として公共事業の総額が先に決まり事業の精査の時間が限られる場合にはより一層困難が高まる。
現在の状況においてマンデル・フレミング効果は公共事業の拡大に効果があるかないかの点であまり関係がない。
マンデル・フレミングモデルに基いても日本と海外の双方でゼロ金利が見られる状況では公共事業が金利を変化させ得ないので為替や純輸出は変化しない。ただ、これはいつまでも関係がないわけではなくさらにゼロ金利の壁があるために公共事業の拡張と緊縮ではマンデル・フレミング効果の発動は変わってくる。どこまでいっても金利が下がり得ないので緊縮をしても外需増加によるキャンセルアウトが得られない一方で拡張はある程度を越えると金利上昇予想にともなう円高で外需減少を招く。ただこの場合もマンデル・フレミングモデルを一部変更し公共事業の拡大・緊縮にかかわらず中央銀行は政策金利を一定にたもつというようにより現代的な仮定を導入するとゼロ金利を抜けてもいわゆるマンデル・フレミング効果は働かない。
土木建設業での人手不足や着工の先延ばし及び未消化工事残高の増加や公共事業入札の不調、あるいはその結果としての人件費や入札予定価格の引き上げの報道が相次いていることからすれば公共事業と親和性の高い業種で現実に供給制約が起きていると言える。
公共事業の規模や事業数が変わらなくても入札価格が上がっていけば上述のようにGDPは上昇するが雇用や社会厚生は直接には高まらない。マクロ経済への効果は単価の上昇にともない所得効果が働くことに依存する。しかし過去の給付金政策や租税変化の結果からすると所得効果はかなり小さい。(たとえば堀雅博, シェー=チャンタイ, 村田啓子, 清水谷諭, 90年代の経済政策と消費行動の研究1-地域振興券の消費刺激効果, ESRI Discussion Paper Series No.12. http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis012/e_dis012.html、あるいは渡辺努, 藪友良, 伊藤新, 制度情報を用いた財政乗数の計測, Working Paper Series No.28, Research Center for Price Dynamics, Institute of Economic Research, Hitotsubashi University, 2008. http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/16306。)株価や地価の大幅上昇といった大規模なものでないと所得効果は意味のある効果量となりにくい。
供給制約に面している時には公共事業のコストが上がる。それによって民間の他の事業が行えなくというコストが大きくなるため。
供給制約に面していない業種に対する公共事業を増やせば供給制約問題はなくなるが産業政策と同種の困難さが高まる。
財政拡張が機能しない理由が供給制約によるもののとき、消費税引き上げのような財政緊縮は機能してしまう可能性がある。
供給制約は長期的には解消され得る。専門化・技能化している土木建設に即座に従事するのは難しくても時間があれば技能を習得してから就業することも可能となる。問題は技能習得に掛かる時間と景気循環の時間の大小および技能習得が無駄にならず将来性があることの保証をどのように行うか。
最近の建設業従業者数は興味深い。GDPの上では公共投資が大きな寄与を続ける一方で建設業従業者数は前年比マイナスが続いてきた。しかし最近はそのマイナスがかなり縮小してきており技能習得などが進んでいるのかも知れない。
角が生えていて赤色で怖がられる存在、または青で気味悪がられる存在だったとしましょう。
容姿は 「 鬼 」 だけれども、異種である人間と共存したいと希望して、村人としての規格に容姿以外が適合できているとしましょう。
これだけの質問であれば、おそらく理不尽でしょう。 「 鬼 」 という種族だからこそ、村人に役立てることもあるかもしれないとも考えられるでしょう。
しかし、内面を理解する以前に外見は、状況に初めて接する人間には視覚認識によって状態を判断されることがあります。
その状態を管理する人間、村を収める役割にある人間は事情を理解する以前に、独自の判断によってまず改善を提示し始める事もあるでしょう。
往々にして物語は、事前調査で状況を把握した上での改善を試みて無事解決したことを議題にはしないものです。
意思の疎通が不足している等により総合的に不利益を講じる結果から、一つないしは二つ程度の情報価値を含ませるものです。
ここでは、心優しい 「 鬼 」 が村人の仕事を手伝っていたのに、役人が「状況を理解せず排斥行動に出た(概要の一般通例から異例の相互利益関係を破綻させた)」という鬼を迎え入れた場合に発生する可能性がある将来的な利益が存在するとした事柄についての機会損失を例にしてみましょう。
「 鬼 」 だからというだけで排斥に至る、これは相手側の利益を考慮しない愚策であることは既にある物語のいくつかから想像のつく知識でしょう。
「 鬼 」 だけども役に立っている、しかしそれは利益を放棄しても守らなくてはならない事項があるため、利益を減少させてでも控えてもらいたいという全体が理不尽を理解したうえでの悲劇、往々にして悲劇を生み出す原因としての尊厳をどれほどのものかと考えさせる物語も近代には多くあると思います。
またどれほど全体が理解をして均衡を保っていても、自然の摂理として 「 鬼 」 という構造が結果利益関係を破綻させてしまうという物語も考えられます。
これらの物語の中で一番差別的であろうというのは最後の「構造的に無理がでる」で、そういうものだから結果何を努力してもうまくいかないという意図を組み入れた作者でしょう。
理解の未熟による軋轢は、未熟者の問題でありどこにも差別的なものはない、もしあるとすれば未熟な判断を養ってしまったその環境であろうとは思われますが作品に関与する部分が少なくそれは物語の範疇と成さずともよいでしょう。
これらの既にある文学等の情報を学ぶ機会があったと想像に難くない日本で、まず状況に不適合な状態をもつ個人が、望む現場においてどうあるべきかはすでにオチを含めて想像ができる材料は学んであるはずです。
村に合わない 「 鬼 」 は村人の役に立ちたかったけれども、去らなくてはならない。共存を許される場所へ移る必要がある。
スーツで週5出勤するオフィスに自分が適合しないのであれば、その他業務を考えなくてはならない。
「 鬼 」 で共存は望ましくないが相互利益を考慮すれば問題を充分に克服できるものである。
臭くて汚くてオフィスにいてほしくないけれども、いなくては会社の利益は何割落ちるかわからない。
「 鬼 」 であることを全ての状況で容認されているが、結果 「 鬼 」 であることが理由で状況を破綻させてしまう。
問題は充分に承知していて、それを現場レベルでは対応していくつもりもあり、利益と損失では利益が勝るであろうと誰しもが判断するけれども、社則や規則として禁止されている事項。
「 鬼 」 という形を維持しながらということであればこれらの例が想像できます。
その他の手段として 「 鬼 」 をやめるという手があります。
むかしは顔面を削ったり肉を切り取ったりすることが出来なかったため不可能であり物語には生まれなおしとか神による恩恵とかで具体例にはならず御伽噺、稀に当たる超ラッキーのファンタジーでしたが今では人の力で可能なことがあります。
肌の色をかえたり角を切り取ったりということで、村人になることもできるでしょう。
オフィスに適したからだに変える事も、おそらく可能なのではないでしょうか。
さて、これらの展開は、義務教育内で育まれる知識でしょう。これらを踏まえて、お悩みの件を考えてみると「自分が排斥されそうな立場にある」という「鬼がおりました、村がありました」だけのお話です。
じゃあどうするのか、読者の皆様村人を殺してください、鬼って不幸ですよね読者の皆様やさしくしてください、鬼と村人が住むところを同じにするよう決まりを作りましょう、その他どんな物語を作るのでしょう。
選択肢は充分にあるのに、自分はないて苦しみ問題は放置、という物語を皆に聞かせたかったのでしょうか。
臭い消すんですか、臭っても居てくれって人になるんですか、臭いは仕事と関係ないだろといいますか、臭うだけで「くさいくさい」と業務と関係ないことを言うなと業務的に訴えますか。
既に知っている話なのにわざわざ2度もみたくなることはそうそうない。
全部で5千円以下ぐらいなら買おうかなと思うが、万単位ではちょっと厳しい。普通の感覚じゃないよ正直言って。
なのでこちらとしては時間を消費するのが精一杯でテレビやニコニコで見れる分でかなりお腹いっぱいなのだ。
一昔前なら時間は暇という負債だったが忙しすぎる現代人にとっては資産になっている。
そういう風にライフスタイルが変わった時点で時間を必要とするコンテンツの価値は相当落ちたんだろう。
作品に対する愛とかオタクの矜持とかは置いておいてもっともコスパがよいのはテレビで初回放送分だけ見るということだ。
もうちょっと突き詰めれば、全部録画しておいて後から評価が高いのだけをみる。それが一番いい。
ちなみに半沢のブーム見てて思ったんだけど、なんで放映中にDVD出さないのかね?相当な機会損失でしょ。
途中から見ようと思った人が追っかけられないじゃん。
俺は、土日にハナクソの記事を書いた者だ(ハナクソの記事→http://anond.hatelabo.jp/20130824122536)
もうここに降臨することは無いかと思っていたが、はてな匿名ダイアリーのトラックバック君が仕事を投げ出したので、拾わずにはいられない。
【はてなブロガーズサミット(サイバースペースにて)を開催すべきだ!!】
http://anond.hatelabo.jp/20130825202707
お前な、トラックバック君よ。
これ仕事でも通じることなんだけど、アイデアの丸投げはやめろ。
いいか。
なんて考えるのは楽なんだよ。誰でも色々妄想するんだよ。
あんなこといいな♪
できたらいいな♪
ってな。
お前の場合はアイデアを出して丸投げして、煽ってるだけで何も仕事してねぇじゃねぇか。
いいか。
まず、こういうのをやるときは、最初に自分で苦労して調べるんだよ。
「ブロガーと読者の関係について」、そのブロガー達が過去に言及していないか調べるんだ。
後でちゃんとまとめるけど、最初に見つけたのが
「あざなえるなわのごとし」さんの、
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/13/123407
という記事。
ちゃんと書いてるじゃねぇか。「ブロガーと読者の関係について」
お前は少しでも検索して、こういう記事があるか調べたのか?
自分で汗を流したのか?
それが大事なんだよ。
※調べた分は下の方にまとめる。まずはトラックバック野郎に説教しないと気がすまん※
あとな、ついでに言うと、鉄は熱いうちに打て。
意志も熱いうちに動け。
人の気持ちって、冬の体育みたいなもんなんだよ。動かないと体が冷えてくるだろ。
まず、動いてみることが大事なんだ。そうじゃないと、どんどん冷めてく。
じゃねぇよ。怖いとか言ってるうちに周りも冷めてんだよ。
ごまかしてんじゃねぇよ。スベったときは、スベったことを受け入れろ。
「負けたことがある」ということが、いつか大きな財産になるんだよ。
で、次。
次にやることは、自分なりに考えてみることだ。
ここから少しの間、「ブロガーと観客について」俺なりの意見を書く。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブログってのは特殊なもんだ。
何に比べて特殊かっていうと、TwitterとかFacebookとか、昔流行ったmixiなんかと比べて、だな。
ブログの向こうには、たしかにその記事を書いた1人の人間がいるんだけど、どうもそれが意識されにくい。
要は、「書いている人間がいる」ってことがあまり意識されないんだな。
やまもといちろう氏とかイケハヤみたいに、顔出して書いてる人はまた別だぞ。
顔が見えないブロガーのことだ。
で、俺が考える「観客のあるべき姿」ってのは一言で言える。
コメントをつけたら読む人がいる。
ブコメというハナクソをつけても見る人がいる。
Twitterでつぶやいても書いた人は見ている。
そこにはたしかに「人」がいるんだよ。
なのにだな、「観客」の一部からは、「人」に対する敬意とか愛情とか、そういうのが全く感じられねぇんだよ。
とにかく「けなしたい」
とにかく「馬鹿にしたい」
とにかく「見下したい」
そういう気持ち、わかるよ。優越感、感じたくなるよ。
初期のドラゴンボールで、透明人間にボコボコにされてたヤムチャみたいに、弱い人間もいる。
そういう奴らを見えないところから殴るなよ。
記事の向こうにいる「人」を意識すること。
「人」が書いていることを忘れないこと。
それが、俺が思う「観客」のあるべき姿だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それに加えて、他のブロガーがどういう考え方をしているのか、まとめてみる。
まず冒頭で紹介した「あざなえるなわのごとし」さん。
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/13/123407
以下、簡単な内容の紹介(訳者:俺)
「知識もないし、何も語れもしないクセに偉そうにコメント付けるのだけは一人前」が多くてウンザリする。
ブロガーは言いたいことがあるから書く。そういう人が長く続く。確かにその通り。
でも、「読んで欲しい/いかに読まれるか」と「何を書きたいか」はイコールじゃない。
書きたいことを書いていると、夏のゴキブリのように次々湧いてくるバカは早くいなくなってほしいわ。
次、「かみんぐあうとっ」
【ブログは多くの人が読みたくなるような内容じゃないとダメなのか?読む価値がないのか?】
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20130811/p1
記事の紹介(訳者:俺)
ある人に、「あなたのブログは多くの人が読みたいような内容じゃないよ、それじゃダメだよ」というようなことを言われた。
それ以来、
「ブログは多くの人が読みたくなるような内容じゃないとダメなのか?読む価値がないのか?」
ってことにずっと悩んでいる。
答えは出ない。私に価値はあるの?
次、「Hagex-day info」さん
【Hagex脳の恐怖!】
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20101019/p4
Hagexさんは、読者(ファン)との関係を「Hagex脳患者」と呼んでいる。
Hagex脳患者には以下のような特徴がある。
・年収1000万円を超える人間がでてくるとエピソードは全て創作(と思う)
・2ちゃんねるや発言小町で文章が上手いエピソードは全て創作(と思う)
・配偶者は基本的に敵
【BLOGOSへの掲載をやめた理由】
http://hatena.fut573.com/entry/20130612/1371027920
BLOGOSへの掲載をやめた。
yahoo newsのコメント欄みたいなノリは個人的にはちょっとダメなんだ。
楽しくないからあまり読まなくなる。するとだんだんコメント読まないんだったら、わざわざ転載する意味あるのかなぁという気になってきて、最終的に寄稿をストップした次第だ。
次、「gothedistance」さん。
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20101224/1293172379
自分の記事が誰かの役に立ったり、悩んでいる人の助けになったりするのは基本的に結果論。
役立つ or 役立たないといった二元論に思い悩んで「アウトプット熱」が下がってしまうのは大きな機会損失なので、そこについて考えたい。
僕は、誰かの笑顔が見たくてブログを書いたことは一度もない。でも。特定の相手を意識して書いたことはある。
誰かの笑顔を思い出しながら、書いたこともある。
(随時追記・・・)
・・・でだ。
お願いするんだよ。プライド捨てて頭を下げるんだ。
他の人のパワーをもらうときは、まずは自分で闘わなきゃダメなんだ。
そして最後に、「オラに元気を分けてくれ」って頼むんだよ。
【追記】
数日見てなかっただけで、投げんなよ!!ですかw どんだけ早漏なの?バカなの? 今日までに、返事が来るか待とうと思ってたんだけど、いいや。
久しぶりに見たらこんなトラックバックが。消えてたけど。
情けない。本当に情けない。なんなんだこいつは。こんなにダメな奴なのか?
見えない奴に期待すると、こんな気持ちになるのか。情けない。
お前は本当に馬鹿だ。
まずな、返事が来るのを「待とう」なんて時点で、終わってるんだよ。
お前は学生だとしたら、うだつのあがらない地味で退屈なヤツで、社会人なら窓際だと思うが、そんなお前が待っていて、誰か誘ってくれるか?
こねぇだろ。
雑魚は自分で動かなきゃ、誰も雑魚のために動いてはくれないんだよ。
人に注目されたくて色々とはしゃいでみたものの、ダメ出しされたら悔しくて言い訳する。
言い訳し続けて機を逸して、いつまでも何もしなかった結果が、お前そのものだ。
どうだ?自分を見て、自分が情けないと思わないか?ネットの世界で考えるなよ。
リアルなお前を見つめてみろ。
今回の件はもういい。
しかし、お前は社会に出るまでに一度、自分を見つめ直すことだ。
一度ひねくれたら終わりだぞ。指摘されたらそれをチャンスだと思え。年をとれば取るほど、リアルでは誰も注意してくれなくなるし、誰も相手にしてくれなくなる。
そして、このままだとお前がそうなる未来が見える。
あとな、「純粋にキモいわ」とか「ムカツクわ」とか、そういうのが通用するのはネットの中と、学生中だけだぞ。
筋を立てなきゃダメなんだよ。キモい、ウザい、腹が立つなんていうお前の感情には何の価値もねぇんだ。
そこ自覚してないってことはたぶんまだ働いていないんだろうけど、お前は仕事をする前に俺に説教されてよかったな。
子供に仕事を教えてやるつもりで頑張ったんだが、響かなければ空回りだな。
残念だ。実に残念だ。
今回学んだことは、スカスカな奴に情熱をぶつけても、肩透かしにあうということだ。
スカスカには何も響かねぇんだよ。
同じ土俵に立ってると思うなよ、観客風情が。
お前もまずは舞台に立って、矢面に立ってみるといい。
そこがお前の成長の舞台だ。
おまえ、やる気だけが空回りしてるって言われるだろ?w
お前、やる気があるやつを馬鹿にするなよ。
お前はリアルでもそういう態度を取っているのか?恥ずかしくないのか?
この文章を読むことがあったら、胸に手を当てt自分を見つめなおしてみてくれ。
自分に胸を張れるのか?
その採用方針では、落とす人材の中に機会損失となる優秀な人材もいるだろうに。
自社の採用方針への危機感がなく、あくまで自分たちが選ぶ側って考えは、さすが大企業だなー。
高専卒のエンジニアは優秀だったりするし専門卒でも探せばとんでもない人材もいるので、
大企業と同じやり方は採らず、学歴でスクリーニングしないことが採用戦略だったりする。
(もちろん誰でも応募OKだとコストがかかるので、学歴以外の選考手段で採用効率化を計ってる)
個人的には、
元増田の記事を読んで「このノウハウで大企業に潜り込んでやろう」って学生が増えるよりは、
はてな匿名ダイアリーで記事を書いてる途中、書いた直後に
「あれ、これはてブもらっちゃいそうだなぁ~(・∀・)ニヤニヤ」
と思っていたけど、
記事を公開してみたら全然伸びてなくて、ちょっと落ち込んじゃう人向けに書いたかも。
はてブされそうな記事が思ったより伸びなかった原因
・おもしろくなかった。
・文章力が低かった。
・タイトルに魅力が無かった。
・読みにくかった。
・公開した時間帯が悪かった。
・文章が長すぎた。
少し曖昧ですが、今考えられるのは以上のような原因で、書いた記事がスルーされる原因がいくつもあることが分かった。
「読まれなかった」「人の目に止まらなかった」という感じで、機会損失になってしまったものだと思われる。
そういうことで、
「記事が思ったより伸びなかった原因」「読まれなかった原因」「伝わらなかった原因」などを考察していくのが書き手のmission!
俺たちの戦いはこれかららぁ!
単独投資と分散投資で単純な比例関係にはないかもしれませんが。
分散した方が振れ幅は小さいです。その代わり利益も小さいです。
同じ額を、全額1つの株に投資するか分散するか、と言うのではなく、
そのほうが余剰金は他に使えますし。
分散投資はある意味、物凄く潤沢なお金があるときに使えるものなので。
勿論、国債とか、より安全な物と分けるのは意味があると思いますが、
同じ株であれば個人が分散投資をする利益は少ないどころかむしろ機会損失さえも生んでいるのでは?と。
上がる確率の方がほんの少しだけ高い株がたくさんあって、値動きが割とバラバラなら、できるだけ分散投資したほうが得なんだぜ。
勿論、全ての銘柄の情報を充分に得られて常に監視出来る様な環境なら分散した方がリスクを抑えながらチャンスを見逃さないようにする事は出来ると思います。