はてなキーワード: 打ち切りとは
このへんのブコメ見て思ったんだけどさ、
野党支持者に腹が立つ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231215161822
窮地の国民民主・玉木氏 トリガー凍結解除、公明幹部が協議打ち切り示唆
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20231215-X5TYCZ3P3NOQVDPT7GVITBQSPY/
第1自民党がクソすぎるとは国民みんな思ってるんだよ。だから自民党の支持率はだいたいいつも2割を切っている。
「統一教会と無縁で、今ほどカネに汚くない、若干リベラルな、まともな自民党」の登場が待ち望まれているのではないか?
もしくは、自民党がクソな政策や舐めたことをやらかした時に、代替案として浮上するための、単純に「もう一つの自民党」でもいいのかもしれん。
維新が立憲より支持率が高いのは「うーん、まだ維新の方が第2自民党っぽいかな」と思われているからだよ。
かつての日本は、自民党内で第1自民党と第2自民党がお互いを監視し、自浄作用が働いていた。それでまあまあうまくいっていた。
野党のどれか、維新でも立民でもなんでもいいのだが、その野党が第2自民党になってくれれば、
政治に緊張感が出るし、腐敗もある程度食い止められるだろう。
はてブで自民党や維新に呪詛を吐いてる人たちは「愚民が洗脳されてネトウヨ化しているのだ」と思ってるのかもしれんけど、
自民支持者や維新支持者ってリベラルなんだよね。別にネトウヨでもなんでもない普通の日本人なわけ。諸外国の「極右政権」と比べたら自民党は極左政党だよ。
自民支持者 60・3%が賛成
維新支持者 86・9%が賛成
立民支持者 74・0%が賛成
自民支持者 57・2%が賛成
維新支持者 74・8%が賛成
立民支持者 68・1%が賛成
グッドガールゴーンバッド、及びそのエクストリームに似た香水を探したら、マンセラのワイルドパイソンとかバニラなんとかという商品が見つかった
サンプル品も楽天で売っており、個人輸入扱いで買えるが1.5mlで2000円ほど 高い
取り寄せてみるか、と思ったが、そもそも自分はグッドガールゴーンバッド、GGGB エクストリームを既に所有している
なんでこんなことしようとしてるんだっけ?
気に入ってるけどめっちゃ高いから、似た香りで気軽に使えるものがあればと探したのだった
でもサンプルに2千円で国内に販売店がないものは、そもそも気軽ではないな
一つは、明確な差別、侮蔑、名誉棄損は世に出てはならないという点
みんなあまり気にしないが、ジャンプなどの「打ち切り」も、大枠では表現の自由を侵害している
なぜ打ち切られるかと言うと、世間に受け入れられず、利益を産まないと判断されたから
このことについて、営利企業による選別は表現の自由を侵害しない行為だと宣う者もいるが
裁判をしたら勝ったろう
あの件でも、界隈は、「あれは権利侵害だから取り下げただけ」と嘯くが
ハッキリ言えばいいのだよ
「気に入らないものは消えて欲しい」ってな
実際、そういう風に消える表現は沢山ある
個人的には、エロ表現が嫌いだと言う人が居ても良いと本気で思っている
人によって是々非々はあろうが、私は歓迎している
ハッキリ言う
これに表現の自由で対抗するのは間違ってるとも思う
不快だという陣営と、表現されるべきだという陣営が意見をぶつけて、時には金(営業利益)で、時には圧力で意見を闘わせて
勝った方の意見で結果が出ればいい
お気持ちの戦場で表現を残したいのなら、共産党が何を言おうが残したい方が布教活動を頑張ればいいのだ
他者の人権を侵害するような表現は、世に出てはならないという物
こっちは根底に人権様がいらっしゃるので、差別・侮蔑・名誉棄損だとされた表現も世に出るべきだと主張すると、主張した側が人間性を疑われることになる
もちろん反論する側は、差別ではない、侮蔑ではないという形を取るのだが
規制したい側は世の中への演出として、差別を助長する〇〇達と露出させる
そのため、下品で悪趣味な表現に対して差別のカードを切られると、擁護する人が減る形になる
下品で悪趣味であり、それは侮蔑的で差別を助長するとなると、顕名で声高に擁護することが社会的評価に影響してしまうからだ
そのように強力な効果を持つカードだから、単に「不快だ」というお気持ちを差別として世に問う集団がいる
私はこれには断固として反対したい
差別というのは本当にシビアに評価されるべきで、月曜日のたわわのように「差別表現だが雑誌に掲載されたりしてよいし作品にも出版社にも問題はない」などと迷走すべきではない
(一部の原理主義者を除き)
反差別界隈が簡単に相手を侮蔑しレッテルを貼り社会的に葬ろうとする(構造的差別の構成要素を実践する)のと同じように
表由界隈も気に入らない表現は潰そうとする
理由は単純で、反差別も表由も、実際にそれを「目的」にしていないから
相手を攻撃する「手段」としてそのカードを使っているのであって
お互いがそれを攻撃し合ってるの
本当にバカみたいでさ
お互いが手段でしかない事を、白々しい美辞麗句で、それこそが自分の生きる理由みたいに語り出すわけ
これ自体は非常に滑稽な事なんだけど
でもだからこそ、そこから一歩身を引いてるみたいな立場の人間が
当たり前だよなぁ
京都の繁華街(中京区~東山区)で飲食業に携わってきた。もう二十年以上になる。独立してからは居酒屋をやっていた。
ワンピースがあるだろう。漫画の方だ。多くのキャラクターが出てきて、麦わらのルフィのメンツ(なぜか全員童貞に見える…フランキーは別だ)が色々いて、そのうち誰かとは気が合いそうな気が読者はするわけだ。そんな路線をめざしていた。多様性である。
今回は自分の考えを伝えてみたいし、お客さんへの接し方の哲学についてもご教示願いたいことがある。料理の作り方や仕入れ、広告宣伝とか、そういうのは自分なりの答えをもってる。が、こればっかりは答えが出ない。「嫌な客は出入り禁止にすべきか」という論題だ。
以下、うちの店でお客さんが取った問題行動+店側の対応という形で説明させてもらう。四人分ある。
50代ほどの男性だった。夜7時くらいにお店に来る。いつもスーツだった。小綺麗とまでは言わないけど、まあ整った感じだ。性格はおとなしいのか騒がしいのかわからない面があった。『壁』という小説に出てくるS・カルマ氏なんじゃないかと思える時もあった。
うちの店は、京都の個人居酒屋の標準的なメニューを置いていた。豆腐とか、焼き魚とか、季節の野菜の煮つけとか、湯葉のスープとか、柚子胡椒風味の鳥のから揚げなんかの、まあ京都って感じのメニューだ。みんなそれぞれ、お互いの店からメニューを盗み合っているという事情もある。俺も若い頃は祇園で修業してたけど、京都市内の飲食街はすべて巡って勉強した。「うちの店」というのも祇園の端っこにあった。先斗町や河原町寄りの。
どの業界でもそうなんじゃないか。週刊少年ジャンプだってそうだろう。漫画家同士、お互いに表現方法をコピーし合っている。半年以内で打ち切りになる漫画でもそうだし、鬼滅の刃みたいな大傑作でも変わらない(○○の呼吸はジョジョの波紋をリスペクトしてる)。
京都の飲食業でもそうだ。同業のお店に一般客として出入りし、美味しそうなのを見つけたら、調理法をこっそり見て、自分の店でも同じようなものを提供する。
うちの店では、とあるサービスがあった。お客が女の子の店員に飲み物を出すと、暇な時間限定で話相手になってくれるのだ。A氏は、いつも地元の高校に通っている女子店員にウーロン茶(400円。お客は2杯目から200円)や、イチゴミルク(500円)をごちそうしていた。それで、15~20分程度のお喋りに興じるのだ。そういうサービスが確かにあって、それを目当てに来るお客さんが何人もいた。40代過ぎのリーマンが多かったかな。
彼らは、女子高生や女子大生に限らず、自分の好みの子がいたら「一杯飲んでいいぞ」と声をかける。お気に入りの店員に飲み物をやり、わずかな時間の楽しみに興じる。
それで、店としては売上が立ち、女の子は注文金額の50%のバックがもらえて、お客さんも喜ぶというわけだ(損して得取れ)。だがある時だったか、猛者の女の子がいて、なんと誕生日にシャンパンを奢ってもらっていた。当店の一番安いシャンパンは二万円だったので、一万円儲けたことになる。いやぁ、あれには参ったね……(以後、一万円超の場合は25%バックに変更した)。
そんなある日だった。A氏が行動に出た。帰り際に、ドリンクを奢った女子高生に連絡先を聞いて、食事の約束をしようとしたのだ。女子店員は、「え~」といった表情でケータイを取り出していた。すぐさま俺が止めに入って、「お客さん。困ります」とひと睨みすると、「あんたの方がいけんで。こっちの自由やん」とアレな発言をしていた。
この人には二面性があった。このお店に居る時と、それ以外の社会とで違う顔をしていた。女の子には、「オレね、自分の名前がわからなくなることがあるんだ」とか、「世界の果てに行ったみたいなあ。世界の果てってどこかわかる?」とか「このグラスと君のグラスが、この間がね、オレとあなたの心の距離」など意味不明なことを喋っていた。
ある日、同じ会社の仲間数人と一緒にお店に来たことがあるが、まるで別人だった。大人しくって何も喋らない。黙々と飲み食いしている。女子店員が話に行っても変わりなしだ。借りてきた猫みたいだ。
かつて、A氏の「世界の果てはどこだろう?」という質問に対して、地元の高校に通ってる女子店員(※上で誘われた子)が、「うちの店も世界の果てのひとつですよ。地球は丸いんですよ」と答えたことがあった。でも、その子に話しかけられても黙っていたかな、確か。
で、A氏を止めに入った俺はイライラしていた。「すいませんけど、もう来ないでくれます? 次来たら、その場であんたの会社に連絡しますよ。警察は勘弁してあげますから」とタンカを切った。すると、A氏はそそくさと会計を済ませて出て行って、それ以来うちの店には来ていない。
その日、店員から感謝された。普段、俺に尊敬の念を一切抱いていないと思われる従業員ですら「マスター見直しました!」と言ってくれた。世界の果ての女子高生は、「やりすぎだったんと違います?」と言っていたが、その子の未来のためには正しい行動だった。
俺の考えが変わるきっかけだった。どんなお客さんでも受け入れるのが飲食店の正道だと思っていた。面倒くさい客はいるが、それが多様性の確保に繋がるという考えをもっていた。
二人目:B女史
B女史は大学生だった。同志社女子か華頂短期大のどっちかだった気がする。
この子は、いつも夕方に来て、安い定食だけ頼んでサッと食べて帰る。週に一回ほど来ていた。「高島屋の化粧品店でアルバイトしてる」と、B女史と店員が話しているのを聞いた。
ちょっと話は逸れるが、うちのお店には、居酒屋としてのメニュー以外に定食があった。安い値段で昼食を食べたい人に向けて、なんと800円でから揚げ定食(弁当)を用意していた。味は当然祇園レベルだ。先斗町や木屋町にある標準的な店とは比較にならない。
祇園にも、夜に高い値段で酒肴を出している居酒屋が、昼の時間帯にリーズナブルな価格で昼食を提供している例がある。それでも千円超えは基本だった。それを、原価計算を積み重ねた末に800円という価格を実現させた。しかもウーロン茶が一杯まで無料だ。二杯目からは200円。
お昼時に、店の近くの路上で弁当を売りに出すのだが、売り切れることが多かった。やはり、コスパがいいのがわかるのだろう。少なくとも毎日30食は売れていた。コスパでこの定食(弁当)に勝てる可能性があるといえば、近所だと長浜ラーメンかやよい軒くらいのものだった。安い店だと、松屋が近くにあったが、あの定食の味に比べればゴミかクズのどちらかだった。
※ここに書いてる話は、相当昔になる。今だと祇園レベルの味で800円のから揚げ定食など不可能だ。あと、今だと道路で売店とかやったらすぐに警察が来る。昔は、無許可のラーメン屋台などがよく営業していた。
経営は回転寿司のやり方に倣っていた。くら寿司とかで、いくらやウニが100円ほど(※当時の価格)で廻っているだろう。ああいう原価割れのメニューを提供できるのは、赤だしとかタマゴとかラーメンとかうどんとかデザートとかで黒字にしているからだ。撒き餌である。
祇園の寿司屋で出してるようなウニだったら、木箱ひとつで当時5万円(200円/g)はした。回転寿司がどんなウニを使ってるかは知らんが、卸値だと(5~10円未満/g)といったところか。祇園で出てくるウニの握りなどは1貫3,000円以上することもある。それでもサービス価格だ。
他流であっても、いいところは積極的に盗むべきだ。から揚げ定食が800円だと原価割れ寸前なのだが、そのお客さんが夜の時間帯にも来てくれたら投資は回収できる(弁当にチラシ入れてる)。そんな未来に賭けていた。
B女史に戻ろう。上のから揚げ定食は、昼の売れ残りの一部を再利用して夕方以降の営業時間にも提供していた。クオリティが落ちてる分は600円にしていた。そして、彼女はその定食しか注文しなかった。夜に来てくれるわけじゃなし、お酒を頼むわけじゃなし、友達と一緒に来るわけでもない。30分くらい居て、女子店員やイケメン大学生店員と軽くお喋りをしてアルバイトに出かけていく。
彼氏(同志社)と一緒に来たことは何度かあったが、なんと、二人でひとつのから揚げ定食をシェアしていた。一緒に食べていたのだ。ひとつの定食を。仲睦まじく。電線に留っているツバメのカップルみたいだった。
B女史は、ほかの男性客から不評だった。うちの店はコの字のカウンターだが、そんなに広いわけじゃない。常連同士、話をするのが基本だ。
B女史の近くの席になった男性客が話を振ることがあったのだが、B女史はいつも愛想がなかった。せめて演技くらいすればいいのに。ストレートに「気分が悪いです」とか「今話したくないです」とか、人が不快になる言葉を発していた。
このまま社会人になれば通用しないだろう。せめて愛想はよくするべきだ。ジェンダーとか多様性とか言われているけれども、保守寄りの価値観も大事にすべきだ。人間の本来的な感情に根差しているのだから。B女史は、せめて社会関係を保てる程度の『優しい嘘』はつくべきだった。
それである時、とある男性客のおじさんがB女史を叱ることがあった。「あんた、もう少し考えて行動しいや。いけんで。もっと仲ようせんと。就職しても通用せんで」だったかな。俺もそのとおりだと思い、フテ腐れているB女史をやんわりと宥めた。
すると、「だったら、もっとおいしい店を紹介してもらっていいです?」(※京都だと、いいです?↑とイントネーションが上がる)と、人を舐めくさった態度を取るので、俺も頭にきてしまった。
「前から思ってたけど、このお店は君には合ってないみたいや。もう、今日で来るの終わりにしとき」
と言ったら、B女史が席を立って会計をしようとした。すると、近くに座っていた若手社会人の常連さんが、「○○さんだっけ。あなた、まだほとんど食べとらんやん。俺も注文しとらんし、よかったらいい店教えてやろか。どうする、まだ時間ある?」と提案をして、それでB女史も同意して、二人で一緒にお店を出て行って、それから彼女が店に来ることはなかった。
三人目:C氏
さっきの若手社会人だ。当時30代前半だったが、人間ができていた。相応の男前で、体格もあった。すでに遠方に異動しているので言わせてもらうと、日本銀行の職員だった。ほかの常連さんには内緒にしていたが。会社名を聞かれると、彼はやんわりと『優しい嘘』をついていた。
ちなみに、後で聞いたところによると……彼がB女史を連れて行ったのは、京都で一番予約が取りにくいとされる伝説の居酒屋だった。グーグルマップに載っている。高島屋からも近い。C氏は、お店の扉を開けて、「今日入れますか」と店主に声をかけたところ、予約客がキャンセルしており入ることができたらしい。
だが、B女史の財布には非常に厳しい金額だった。C氏が「千円払ってくれる? 好きなだけ食べていいから」と言うと、B女史は本当に好きなだけ食べたらしく……C氏によると、その時に連絡先を交換して、またおいしい店を紹介する約束を取り付けたらしい。それで、その後はと言うと……これはまた別のお話、機会がある時に話すことにしよう。
※ここだけの話、『伝説の居酒屋』(食堂 おがわ)はバッファーを作っている。全席が予約されてるわけじゃなく、店主の気分次第では、予約なしで入れてくれることもある。後は、偉い人が来店した時くらいか。体感だと、5回に1回くらいは予約なしでも入れる。
とにかく、C氏は人格レベルが高かった。若い店員にも敬語だし、いろいろ注文するし、お店の周年記念にはシャンパンを入れてくれるし、テーブルは綺麗にして帰るし、飲み方も綺麗だ。
なぜC氏をここで挙げるかというと、彼もまたやってくれたのだ。どんな人間にも欠点はある。C氏の欠点は、完璧すぎることだ。完璧すぎて、ほかの仏―の人間からすると予想できない方向でトラブルを起こす。
事例①
女子店員がC氏に近づきすぎる。彼はモテた。見た目はそれなりで、清潔感があって、人当たりがよくて、自信に満ちた振る舞いをしていた。彼からいい扱いを受けたい女子店員の人間関係が悪くなった。
事例②
正義感が強く、営業中のトラブルに首を突っ込む。警察を呼びたくないのに彼が呼んでしまって、えらいことになった。特に暴力団や半グレの関係。体を張ってくれるのはいいが、清濁を併せ呑んでほしかった。
みかじめ料とか何とか言われても、払わねばならないお金だってある。俺に言わせれば、あれは税金の一種だ。あれで飲み屋街の平和が守られている面は確実にある。あの辺りの多くのお店は、おしぼり台や観葉植物のリース料として支払っている。たまに半端なやくざ者(半グレに近い)が現金を要求してお縄につく。
事例③
4人目に譲る
ある時、C氏にやんわりと警告をした。うちの店の課題に首を突っ込まないでほしいと。うちの店の課題は自分で解決する、と。行政に頼るのは最後の手段なのだと。
それからスッタモンダあって、彼はお店に来なくなった。後は風の噂で聞く程度だ。残念な結果になったが致し方ない。いいお客さんだったけど、これも運命だ。
四人目:D氏
時系列的には、C氏がまだ来ていた頃だ。
D氏は、障害者だった。軽度の知的障害で、あまりモノを喋ることができず、メシは食えるが手がおぼつかない。テーブルの上は汚い。いつも母親が一緒に来ていた。
来客を断る意思はなかった。当然だ、お客さんなんだから。いつだったか、彼が口からご飯を吐き出す行為をマネしていた大学生(立命館だったと思う)には厳しく注意をした。「客を馬鹿にするな。お前、今度やったらクビにするで」と明言している。
が、お客さん同士のトラブルになると話は別だ。ある日の午後八時頃だったか、その母親とD氏が米類を食べていたところ、ゲフンゲフンとD氏がせき込んで、口の中から飛んだ米粒が別のお客さんグループのビールジョッキに入った。幸い、店員が気が付いてすぐに替えのビールを用意した。ほぼ満席で席移動は難しかった。
その日、同じようなことが何度も起きた。何度も何度も、D氏の口から飛び出したモノが、隣のお客さんのスペースに飛んで行った。ついにキレたお客の一人が、「おいあんた! そこのぎこちない感じの人(※京都人なりの婉曲表現)、家に帰してくれへんか!!」と母親に怒鳴った。
母親は「すいません」と謝っていたが、彼が譲る様子はない。「その人は外に出したらあかんのと違うんか。なにしとん。帰ってくれん?」と捲し立てる。
母親は何度も謝っていた。その間も、何がしかの物体がお客さんの方に飛んでいく。彼はさらにカッカして、これはいかんとなったところで、離れたところで呑んでいたC氏がこちらを見た。
俺はもう、余計なことは勘弁願いたかった。母親に向かって「お代はいいんで。今日は帰ってください」と伝えた。すると「すいません。堪忍してください。今日は誕生日なんです」と返ってきたが、今度はもっと強く「帰ってほしい」と伝えた。
すると、C氏が怒った様子でこっちに来たのだ。「増田さん。その対応で本当にいいんですか。自分がこの人の隣に行きますよ。五人くらいスライドすればいいでしょ」と。
俺はキレた。「お店のことに口を出さないでって言ったでしょ。俺が責任とりますから」と端的に返すと、C氏は憮然とした様子で自分の席に戻った。
母親と息子には、その場で帰ってもらった。お母さんには「ほかのお客さんのこともあります。お店が空いている時でないと今後のご利用は難しいです」と伝えて、お店の入り口まで案内した。
翌々日だった。京都市役所の福祉部署から架電があった。母子のことで、差別に該当するおそれがあるとの内容だった。C氏か、D氏の母親が京都市に連絡したのだろう。俺はこういう卑劣な行為が許せない。どうしてこんな惨いことができるのだろうか。「障害を理由に差別をすることは~」と電話口で喋る京都市の職員に怒号を発した。
「ええか、こっちは商売でやっとんのやぞ。お前らは公務員やんけ。民間の商売に口はさむなや。こっちがどんだけの思いで商売やっとんかわからんやろ。障害者も受け入れんといかんのくらいわかっとる」
みたいなことを言った。すると、福祉部署の職員は変わらず「差別はだめ」とオウムのように繰り返すだけだった。「公務員は楽でいい。頭の中が非現実で、お花畑で、お金や暮らしのことなんか考えなくてもやっていけるんだからな。羨ましい」そう感じていた。
「それは行政指導やろ。従うかどうか選べるんやろ。ウチは従いません。ええな、おい、おーーーーい!! わかったな」という具合で、受話器をガチャンと置いた。
これが商売の世界だ。勝った負けたの世界では、強く、強く自分の意思を強く主張できないと食っていけない。公務員やサラリーマンじゃないのだ。
結局、お客に接することの哲学というか、そういうのは何が正解なのだろう。どういう場合に出入り禁止にすべきなのか。未だに答えが出ない。
ところで、『うちの店』は、約二年前に閉店した。コロナウイルスに勝てなかった。飲食店組合から休業要請の通知があって、当初は休んでいたが、行政の対応が誤っていると気が付いて通常営業に切り替えた。うち以外にも、筋違いなことをしている行政には従わないという店舗がいくつかあった。
が、コロナウイルスは強すぎた。店を閉めざるを得ないほどに経営が追い込まれた。ほかにも、グーグルマップや食べログの口コミにあることないこと書くような卑劣な奴らがいた。自分を正義とでも思い込んでいるのだろう。
今でも飲食の仕事をしている。いつかまた、お金を貯めて店をやるのが目標だ。あの店は居抜き店舗で残してある。幸い、まだ借主は現れていない。いつかまた、店を開いてみせる。
今回は、そんな決意を新たにするために増田に投稿した。どんなお客を断るべきか、受け入れるべきか。何かアドバイスがあればいただけると幸いです。
Q:エロ(暴力)表現がダメなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンになぜ表現規制派は何も言わないんだ?
A:アニメコナン開始当時(1996年)はフツーに新聞で「人殺しの番組」と叩かれまくっててPも監督も短期打ち切り覚悟だった。ただ『名探偵コナン』はアニメ化決定段階で、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンを省く防衛策を事前に取っていた。
レイプシーンのアニメ規制するなら、コナンとか毎回、人が死んでるアニメとかどうなんねん
21:49 2023/11/06 195万回表示
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
ーー2001年 小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』
「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」
ーーアニメ『名探偵コナン』プロデューサー吉岡昌仁、諏訪道彦(敬称略)/吉岡氏ツイッターより引用
(【追記】「男が意味もなく被害者になるのはいいのかよ」という反応が来ているので注記を付けるが、「無差別犯罪(女だから/男だから/むしゃくしゃしたから殺す)」描写がNGなだけでコナンでは男女平等に殺人事件の被害者にも加害者にもなってる。クズが怨恨で殺される場合もあれば善人が悲しい誤解や口封じで殺されてしまうケースもあるし、そこに性差は無い)
今の深夜アニメや萌え漫画が定期的に炎上しているのと同じく、放送開始当時のコナンは新聞などで「人殺しアニメ」としつこくバッシングを受けていたがTMSのアニメプロデューサー吉岡昌仁氏や読売テレビプロデューサー諏訪道彦氏などのアニメスタッフが矢面に立って戦い国民的アニメの地位を獲得するに至った。
Xにて「コナン 規制」でユーザー名検索を行うと先頭に表示される黒塗り犯人アイコンのアカウントを筆頭に「エロい表現が規制されるならコナンも規制しなくていいのか」論法が使われることが多い表自(アンフェ)界隈にもわかりやすい乱暴な言い方をすれば、コナンはアニメ開始前から“フェミに屈しまくっていた”事で親子二代分の視聴率と市民権をゲットして生き残ってる。
もっと雑に言うと、『金田一少年の事件簿』は過去の婦女暴行が事件の動機になったり、(殺人事件の被害者が美女の場合)遺体がやたら全裸だったりする描写オッケーで「バイオレンス込みのサスペンスでドキドキしたい」ニーズに応えることでドラマやアニメ、現行漫画シリーズ「37歳の事件簿」まで続く長寿作品となったが、
『名探偵コナン』の犯行動機に婦女暴行が出現することは無く、(過去の児童殺傷事件が犯行動機になった原作初期「スキーロッジ殺人事件」などの極めて稀な例外を除き)児童が殺人事件の被害者になる描写もほぼ存在しないことで「親御さんが子供とお茶の間で見れる謎解き」のニーズに応えて長寿番組になっている。
どちらが良い悪いじゃなくニーズと客層が違うだけ。
『名探偵コナン』を万年3〜4番手の弱小週刊少年誌・少年サンデーの「そこそこ売れてた漫画」から「国民的エンタメ作品」へ昇華するバランサーの役割をしていたのは実際のところ原作者の青山剛昌先生ご本人よりも、
『名探偵コナン』をゴールデンタイム全国放送アニメに抜擢した讀賣テレビ放送の諏訪道彦プロデューサーや東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)吉岡昌仁プロデューサー、こだま兼嗣監督をはじめとしたアニメスタッフの功績である部分が大きいように思う。
以下は名探偵コナン初期を支えたアニメ監督・こだま兼嗣氏の発言だ。
あとは、僕たち、映像を作るからには、より多くの⼈に観てもらいたいと思っていますので、じゃあお⺟さんにも観てもらう時にどうするか。
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』(2001年5 月発行)こだま兼嗣インタビュー
名探偵コナンはTV局のプロデューサーとアニメ監督が「女性視聴者が嫌がりそうな要素( =夕飯時に子供と一緒にアニメを見ている母親にチャンネルを変えられそうな要素)」を排除する防衛策を取った結果お茶の間に受け入れられ高視聴率を叩き出し、そのまま20年以上にわたって長寿番組の座を獲得してる。
悪い言い方をすれば 1996年のアニメ放送準備段階で、もう既に「(表自界隈が言うところの)フェミに屈した」生存戦略への舵切りが済んでいたことで、子供とその保護者両方の支持獲得に成功した作品が『名探偵コナン』なわけだ。
2013 年にトムス側のプロデューサー・吉岡昌仁さんもこだま監督と同様の発言を行なっているが、
吉岡さんの証言に基づくと、青山先生とアニメスタッフが『名探偵コナン』のアニメ化に際して取り決めたルールは「コナンは泣かない」「偶然はNG」「共犯は無し」「トリックは絶対に可能なこと」 「セクハラはしない」「不快なシーンは作らない。人の欠点や差別の話とか」 という内容だ。
コナンテレビ裏話#24
コナンをスタートさせたとき⻘⼭さんとルールを作った。「コナンは泣かない」窮地に⽴たされてもヒーローは泣いちゃいけない。
「偶然はNG」突然⾬が降ってきて⾜跡か⾒えるとか必然でなくてはいけない。「共犯は無し」何でもできちゃうから
コナンテレビ裏話#25
つづき
「セクハラはしない」不快なシーンは作らない。⼈の⽋点や差別の話とかね。「トリックは絶対に可能なこと」密室の鍵のトリックなどは全て出来る。(薬を使ったり危険なものもあるので絶対に真似しないで下さい)時間の有るとき過去の作品を観てみて。ホントだから
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-03-29 13:19:10
https://togetter.com/li/388239
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/317491095951011840
2019 年公開のこだま兼嗣監督によるアニメ映画『シティーハンター 新宿プライベートアイズ』インタビューでも「女性視聴者が嫌がるような表現をしない」という同様の発言があることから、これは原作者青山剛昌氏ではなく、こだま監督およびアニメスタッフ側が主導になった提案と推測できる。
インタビュアー:劇場版コナン、今回で2作⽬となるわけですが、いかがですか?
⻘⼭ いやぁ、原作を書きはじめた頃はこんなに続くとは思ってなかったですし、正直、アニメ化の話があった時も成功しないんじゃないかと思ってましたからね。
こだま それは私も感じてました。きっと俗悪番組になって、半年続いたらいいほうかなって(笑)。だって、1話⽬で⼈の⾸が⾶んじゃうんですから。
⻘⼭ 1話⽬で⾸を⾶ばしたのは、⼀番強烈なシーンを1番⽬に持ってきて、これで⽂句がいっぱいくるようだったらやめようと思ってたからなんですよ。
1998年4月発行 『14 番目の標的』パンフレット
12-13 ページ 青山剛昌・こだま兼嗣対談
初期の『名探偵コナン』原作漫画は、週刊少年マガジン『金田一少年の事件簿』のヒットの後を追う形で連載が始まったこともあり、ジェットコースター上で被害者の首が吹っ飛ぶ「ジェットコースター殺人事件」、バラバラ死体をトリックに使う「包帯男山荘殺人事件」、串刺し死体の「闇の男爵殺人事件」「美術館殺人事件」をはじめとして、視覚表現重視の過激な描写も多かった。
コナン原作単行本2巻を裏返すと、鍵穴に描かれたヒロインの毛利蘭がショーツ一枚のあられもない姿に脱がされているのも一昔前の少年漫画らしい「読者サービス」の名残だろう。
子供と一緒にテレビを見ている母親がチャンネルを変えかねない、それらのショッキングな表現をコナンワールドからオミットしたのがテレビアニメシリーズ『名探偵コナン』を立ち上げたスタッフ達だ。
血の彩色に赤を使わず、凶行時の直接的な描写をカットし、死者の遺体に敬意を払った。
テレビコナン裏話#14
コナンのスタートの頃は新聞によく、ある団体やある団体のコナンバッシングの記事が載った。
スワッチと理論武装(あの頃はこの⾔葉よく使ったなぁ)しようって⾔って「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」って戦った
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 10:04:45
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/287726363870380032
初期のコナンアニメは、複数の”ある団体”からのバッシングに狙われていたという。
最初期のアニメ内で描かれる被害者の遺体は原作と同じく目を見開いていたが、それら”ある団体”の外圧から作品を守る理論武装も関係してか、次第に瞼を閉じさせて描かれるようになっている。
こだま兼嗣監督が述べた「ゴールデンタイムでの探偵漫画のアニメ化にあたり、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンをまず省いた」という配慮だが、
これについては諏訪道彦プロデューサーもTBS発行『新調査情報passingtime』2001年7・8月号」にて、同様の発言を行なっている。
原作ではタイトルを「△△殺⼈事件」としたり「死体」という⾔葉を使ったりしているが、テレビでは視聴者を不快にさせないようキメ細やかな配慮をしている。
例えば、⼆年ほど前から「マンション殺⼈事件」は「マンション転落事件」と改題するようにした。「死体」は「遺体」という表現に。
⾚い⾎にしても、⿊い⾊にするなど、表現を⼯夫しているという。
また、社会情勢に合わせて、表現を考慮することも。例えば、「毒ガス」といったトリックは採⽤していない。
中略
被害者が刺殺された現場のシーンでは、凶⾏時のアクションは映像で⾒せることはしません。
しかし、捜査員が⽬暮警部に『刃渡り△センチの包丁で腹部や⾸を刺され、出⾎多量で……』と詳細に報告させるような展開にしています。
また、ロープで⾸を絞められた場合、縄⽬がヒントになって事件が解決していくこともあるので映さざるを得ないのですが、どう⾒せるかスタッフ同⼠議論することあります。
不快感を与えないという⼀⽅で、『ホンモノの捜査』には⼿抜きがあってはいけませんので、その間の判断が難しいところです」(諏訪⽒)
シナリオ、絵コンテ、アフレコ、最終試写の各段階で、プロデューサーだけではなく、監督や編集マンなども含め、チェックが続けられている。
新調査情報passingtime 2001年7・8月号 14-18 ページ
『名探偵コナン』諏訪道彦 読売テレビプロデューサー インタビュー
事件モノだけに、⼈が死ぬシーンはどうしても出てきます。
ボクたちが陥り易いのは、話に詰まると『誰かに死んでもらおうか』という安易な発想です。だからコナンでは出来るだけ、⼈が死なないで話を作ってもらう事をまず考えます。『死なずにうまく⾒せる⽅法はない?』と提案してみると、それなりに結構アイディアが出てくるもんなんですよ。それに、すごく頭を使う。それは、頭の訓練にもいいんです(笑)。
それでも、どうしようもない時は誰かに死んでもらわなければならなくなるけど…(笑)。
トムス・エンタテインメント公式サイト こだま監督インタビュー
https://web.archive.org/web/20020403043852/http://www.tms-e.com/on_air/conan/special/0201index_b.html
(早期打ち切りの可能性と隣り合わせだった当時の大人の事情もあれど、)原作『10億円強奪事件』の最後に殺害されるはずだった宮野明美を「なるべく人を殺したくない」という理由でアニメでは生存させる事にしたのも、アニメスタッフによる判断だ。
コナンテレビ裏話#9
灰原のおねえさんが出てきた頃はなるべく⼈を殺したくないってことでラスト助かった話にした。暫くして⻘⼭さんが「吉岡さん怒るかなぁ原作で灰原を出しちゃった」。おねえさんが⽣きてると灰原は出られない。だから新たにおねえさんが死ぬ話を作ってSPで灰原が登場したんだ
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 16:42:18
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/286739248219045888
とまあ、マンガ・アニメの過激シーンやエロシーンが槍玉に上がるたびに引き合いに出されがちな「それなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンはどうなんだ」論法について、
名探偵コナン側のアニメスタッフがどのような配慮を取りながらゴールデンタイムの全国放送に漕ぎ着け、マスメディアのバッシング記事を乗り越え、アニメ打ち切りを回避しつつ20年以上国民的アニメの地位をキープし続けていられたのかの覚書を書きつけておく。
黎明期のコナンアニメを支え 「子供と一緒にTVを見ている母親がチャンネルを変えそうな描写NG」ルールの制定に寄与したこだま監督や吉岡プロデューサーがコナンの現場を去って久しい現在、コナンもコナンで佐藤刑事と高木刑事の「夜の激しい運動」セリフなどで定期的に物議を醸していたりするが、それはさておき。
もう愚痴みたいに書くけど。
ドッキリを二週連続でやってるんだけど、本当に辛い。
でも、強盗マフィアのアジトに芸人が侵入するドッキリって、今時やるか?
昭和なのか?
流石に芸人もわかってやってるだろ
あれがさ、ダウンタウンなら
「いやいや、キツいて」
とか言ってひっくり返すんだよ
ドッキリに乗ったフリなんてしないんだよ
2回とも視聴者にもドッキリを仕掛けるというパターンだったけど、それがウケると思うんだろうか?
まだ3回しかやってないから手探りなんだろうけど、早々に打ち切りになりそう
がんばってるのは分かるんだけどね…
でも第二話から数話かけて残飯投げ合った時点で大半の人がこりゃだめだってなってた
単行本派とか後から無料公開したのを一気読み派なら残飯投げ合いはすぐ終わるだろうが
ジャンプ読者は1話1話を1週間ずつ読むわけで、1か月残飯投げ合いを見せられたらそりゃ悪評も出る
そしてその後はありきたりな援交編だし、それもエロいシーンもないまま援交男があっさり引き下がって終了で拍子抜け
この時点で「衝撃シーンでSNSを釣る」ことすらできていなかったし話も進まなかった
このころにはもう叩くのも飽きられて終われとも言われてなかった
センセーショナルなタコピーヒットからの本誌連載という流れとその作風から一ノ瀬家には敵が多かった。
ジャンプ本誌は競争が激しい故に「自分の好きなxxは打ち切られたのになんでこんなのが続いてるんだ!」と読者がアンチ化しがち。
毎週月曜深夜のXでは「一ノ瀬家クソ早く終われ終われ終われ」みたいな呪詛が渦巻いていた。
そんなわけで打ち切りを契機に水に落ちた犬を叩くがごとく一ノ瀬家及びタイザン5はああだこうだと言われ放題になっている。
やれあれがダメだのこれが良くなかっただのの事後諸葛亮から「タコピーも今思えば…」のような手のひら返しまで。
なまじタコピーは読んだ読者が多いだけにいっちょかみで我も我もと群がり結果として「タイザン5叩き」の様相を呈している。
嘆かわしい。
一ノ瀬家という一風変わった漫画の本誌連載は明らかに実験的な試みでチャレンジだった。
オリンピックの体操やフィギュアスケートで世界初の技に挑戦したようなもの。
失敗すればメダルには届かない、だがもし上手くいけば手堅くポイントを稼ぐ戦い方とは違う新しい世界が拓ける。
果敢に戦った者に対し観客席で見ていただけの人間に石を投げる権利などあるはずがない。
週刊少年ジャンプという日本漫画界の頂点とも言える場で6巻も単行本を出せたのはオリンピックなら文句なしの入賞レベル。
ただ健闘を称え、お疲れ様でしたと言う他ない。