はてなキーワード: 専門性とは
2023/1/2 part5を全体的に修正。出身会社について追記。
前職を辞めて1年以上が経った。そろそろ事業会社で働いてみようと決心したところで、キャリアの棚卸しをしてみようと思った。
私は、新卒で人材広告の営業会社に入った。その次は転職支援の仕事をしていた。いずれも管理職になって、いくつかのチームをマネジメントする立場になり、二番目の会社を数年後に退職してからは個人事業主になって、ひょんなことから地方自治体(市役所)に転職した。
そこを辞めてからは、幾ばくかの退職金を元手に、フリーランスをしながら自由な毎日を送っていた。今でも個人でコンサルの仕事を請けたりする。学生時代を懐かしんで、マクドナルドのクルーに応募して働いてみたりもした。
人生の休息はたっぷり取ったし、そろそろ本気で再就職を目指そうかと考え始めたところ、職務経歴書を書かねばならないことに気が付いた次第だ。
なお、当日記のタイトルは、問題社員の正しい辞めさせ方(Amazonのページに飛びます)という本から拝借している。
名著だった。今回の日記の投稿に至ったのはキャリアの棚卸しが主な理由だが、この書籍にインスパイアされたこともある。
前職の説明をする。とある地方自治体の特定任期付き職員として、人事政策の立案と運用を担っていた。役職は部長級。人事~~と名の付く長ったらしい名前だ。
かつて個人事業主だった頃、それまでに培った人材広告の営業や、転職支援のスキルを活かして個人コンサルをしていたところを当時の市長に拾われた。この人は、私が勤めていた会社のひとつで上級管理職をしていた縁があった。
私以外にも、いろんな組織から多くの人間を市に引っ張っていた。みな幹部としての登用だった。それぞれが民間等での専門性を活かし、刷新的な業務に取り組んでいたのを覚えている。
ここに綴るのは、地方公務員の端くれとして〇年間、人事の仕事に携わった諸々の実例だ。
始めに言ってしまうと、私の仕事は政策立案の本流ではなかった。それよりも、できがよくない職員、いわゆる問題職員や無能職員と言われる者たちのトラブル処理や、彼ら彼女らへの指導――のみならず、退職勧告まで含めて担当していた。
当時の市長(私の任期の途中に退職)は、私をそのために採用したに違いないという確信がある。行政経営における中核的な人事施策は、当然ながらプロパー職員に担わせるべきだ。私は、公務員が慣れていない型の人事業務(いわゆる肩たたき系)の企画運営を行い、後の人間に引き継ぐために採用されたのだ。何か問題が起こっても、私は幹部職員で権限ある人間ということになり、責任を取ることも可能というわけだ。
前の会社においても、人事責任者として様々な人間に接してきた。その経験を当時の市長は買ったのだろう。かくして勤めることになった市町(K市とする)が抱えていた問題を解消するために動くことになった。
実際、当時のK市には労働関係の指標に問題があった。3年以内離職率だ。私が赴任する直前年度の3年以内離職率は、30%を超えていた。地方自治体は、同規模の民間企業に比べて恵まれた労働環境にあるというのに、この数字はちょっと高い印象がある。
辞めていく人間の大半が査定の低い者、トラブルを起こす者ばかりであればまだいい。だが実際には、将来のK市をしょって立つと期待された職員が半数を超えていた。特に若手だ。
せっかく、まちづくり活動に携わる職場や、霞が関や、県の本庁にある部署や、県内市町から1人ずつ出して組織される団体(〇〇合同機構や、〇〇事務処理組合など)を経験させたというのに、辞められては元も子もない。
「全くの嘘は書かない」
というものだ。どういう意味かというと、例えば「A」のことを「アルファベット」と表現することはあっても、全く別のBと言うことはない。A´みたいな表現はするかもしれない。
当日記は、胸の痛くなる描写を伴う。しかし、私自身が次の転職に向けて準備をするために行っているので、赤裸々な事実まで含めてきちんと振り返ってみようと思う。死人は出ないので安心してほしい。
次に、この日記を書いたきっかけについて。何となくお察しかもしれないが、△年前に雇止めの通告を受けた。任期はその年度の3月末までだという。
結果を出したにもかかわらず、任期を更新されないという裏切りを受けた。私はそのように感じている。
当自治体に配慮する道理はないものと考える。書いてもいいこと、書くべきことは何でも綴ってやるつもりだ。
形式的には地方公務員だったかもしれないが、本当は違う。私はあくまで民間側の人間であり、自治体の人事運営の一部をコンサルティングする立場としてアサインされた。しかし、業務委託(準委任契約)の立場ではできない(例えば職員への直接の命令や指導)ことが多いため、致し方なく特定任期付き職員として採用された。それだけのことだ。
尤もらしいことを書いたが計算もある。以前、はてな匿名ダイアリーで、元公務員である作者が、かつて勤めていた組織の内情を(おそらく)包み隠さずに綴った日記を何点か読んだことがある。その中には、当然官公庁の内部事情に関するものもあった。「それ書いたらあかんやろ、捕まるぞ」と直感的に感じたものもある。
その人の日記では死人が出ていた。当日記では誰も死なないし、たとえどんなに面白い話であろうと、亡くなった人間をネタにするつもりはない。
例の日記は、今でも増田に残っている。魚拓と比べて、投稿後に何かを隠した形跡もない。私がこれから書く内容も赤裸々なものだが、あの日記の暴露レベルをラーテルとすれば、当日記はチンチラのようなものだ。ラーテルとチンチラが戦ったとして、多くの場合はラーテルが勝つだろう。
そこまで大した内容を書くつもりはない。挑戦してみるのも悪くないと思えた。
当然ながら、職員個人については特定がされないように最大限配慮する。特定の危険があると判断した場合は該当箇所を削除する。では、以下に1章ずつ綴っていく。
初めに言っておかねばならない。この日記はとても長い。全部で5万字はあるため、気になったところだけ読んでいくやり方は大いにアリだと思う。
かなりざっくりとした目次は以下のとおりだ。
第一章 更生が期待できない問題職員について Part1の途中~3,5~6
思い出に残っている職員を1人だけ取り上げる。
結びにかえて Part10
では、さっそく第一章に入る。
この章では4人分、問題職員への対処例を述べたい。私が採用されてから退職するまでの間に接した事例になる。
A夫さんは当時、50代後半だった。まるで絵に書いたような昭和風の地方公務員であり、私が若い頃に聞いた「公務員はこんな感じ」を地で行く人物だった。今では絶滅危惧種だと言っていい。
・毎日5時になったら帰り支度を始める。朝は始業2~3分前に出勤する。たまに遅刻あり。
・主任~主査級(※民間で言うと平社員の最上位。ここまでは自動的に昇進する)。年収は8本ほど。
・仕事量は少ない。勤務時間中はのんびり過ごしている。電話や窓口には出ない。
・台風待機や他課の行事があると積極的に手を上げて参加する(時間外手当がほしい)
ここまではいい。業界的には許せる範囲だ。生産性の低い人間には違いないが、問題職員とまではいえない。
この年代になると、彼らが新人職員の頃に先輩が行っていた(よくない)行為をすっかりと踏襲している。出張の帰りに公用車で自宅に帰ったり、家のごみを市役所のごみステーションに放り込んだり、イベントで余った飲食物を箱単位で私物化したり、市の取引先の〇△メーカーから私物としての〇△を卸売価格以下(店頭価格の約4割。同種の横領の誘発を避けるため伏字)で購入したり、机の下に焼酎やウイスキーを隠し持っていたり……。
重ねて言うが、ここまではまだ許せる。働く組織によって文化や慣習は異なるものだ。彼らや彼らの先輩が今までずっとそうしてきて、それで通用してきたのであれば、それは組織の責任でもある。
それに、若い職員には年配の職員が不幸である様子は極力見せたくない。「自分たちも将来は……」という希望を持っていてほしい思いがある。ほかにも理由はあるが、当日記を読んでいるうちにご理解いただけると思う。
罪を犯したのだ。職場の飲み会の帰りに酔っぱらって気が大きくなった彼は、とある罪を犯した。現行犯逮捕されたA夫さんが翌日に暗い顔で上司に報告したのが、私が赴任してちょうど一か月の頃だった。
新年度の第一例目ということで、私は総務部や人事課の職員(特に幹部クラス)がどう対応するのか見るつもりでいた。人事課の隣にある面談室で、A夫さんと、総務系・人事系部署の役職者が何人かと、私が同席していた。みな、それぞれソファに座っている。
その時のA夫さんの印象は、以下のようだった――と書こうと思ったが、そこまでの価値もない。一言でいえばこうだ。
『反省の色がない』
夜中にコソコソと他人の所有物を盗んだにもかかわらず、ヘラヘラと笑いながら、「すいません」と首をブラブラさせるばかりだった。シャツその他の衣服はよれよれで、ネクタイは曲がっていて謎のシミがある。
面談後、私は単刀直入に人事課長ほか数名に尋ねた。「免職ですよね?」と。
それは、短い返答だった。「これから協議します。民間なら免職かもしれません」というものだ。
私は負けじと、あらかじめ調べておいた根拠を示した。人事院が発している「懲戒処分の指針について(平成12年3月31日職職―68)」というものだ。
国家公務員も地方公務員も、この通達に従って処分を決めるという。免職処分か否かで揉めて裁判になった場合も、裁判所はこれを基準として判決を下す。その中に、以下の文言がある。
(1) 放火
(2) 殺人
(3) 傷害
(中略)
A夫さんの場合は、(7)のアにあたる。免職処分にできるはずだ。だが、人事課よりも上の立場の人間(※その人は部長級で、私と同格だったが、新人だった頃の私に権限や権威などあろうはずもない)は、A夫さんを停職1ヵ月と減給で済ませるという。
ここが勝負どころだと思った。
私が最初に入った会社では、飲食店などをメインに、自社の求人広報誌に情報を載せてもらう飛び込み営業を十年近く続けた。その後に実績が認められて人事部署に異動となり、数多くの優秀な社員や問題社員と接してきた。次の会社でも、現場を経験後に人事畑に移っている。今、この経験を用いる時だ。でなければ私の立場は矮小のままである。職員からの信頼は得られない。
手を挙げた。次回のA夫さんの面談は、私が主担当となった。面談室のソファの中央に私が座り、右脇には人事課長、左脇にはそれに準ずる者がつく予定だ。後は結論と筋書を用意して、A夫さんをその方向にもっていくことになる。
その前に、市長に軽く相談したところ、「お前の好きにやってみろ。決着がついたら教えてくれ」とのこと。ならば好きにやらせてもらおうと思った。
(続く)
転職が活発になってきたと言っても、それまでの社歴や実績が評価される。
新卒でつまづくと取り返すのは大変だ。
大学時代は理系で勉強を頑張ろうと思ったが、就職に役立つスキルが身につきづらいところだった。というか講義より就活に専念することを目的とする学生が多いところだった。そのことに気づかず、ぬるい環境でのんきに過ごしてしまった。
就活に励んで学業が疎かになるのは本末転倒という意見もあるし、そう考えていたが、英語や理系の専門知識、コミュニケーション力などは大学の研究でも重要なものだ。
結果、学業も就活も上手く行く学生とどちらもダメな学生に分かれることになる。
就活のためにスキルを身につけることを意識していたほうが、モラトリアム的に自分探しをして役にも立たないことをするよりも良かったと思う。
学際性の高い学科に進んで、その浅さに絶望して、勉強も進まなかった。
自分が興味を持てる専門分野を見つけて、努力したが、それまでの積み重ねのなさから、成果を上げることができなかった。
今はそれほど専門性が高くない仕事をしているが、不安でしょうがない。
当時は、専門を突き進むと周りがみえなくなるのではないかと思って、多様な基礎を身につけるようと進学したんだが、カリキュラムがあまりにも虚無だった。到底、基礎が身につくはずのない内容だった。
個人のスキルの多様性は、一つの分野を極めて、それを基礎として他の分野に広げることで得られるものだろう。そうせずにやろうとして失敗してしまった。
別の選択肢で考えていた専門分野にも隣接していたのでそちらに進むことも考えていたが、やっていることのレベルに差がありすぎた。
俺は最近植物園の温室がすごく好きなので、その魅力について語りたい
なんかこう、お気に入りの公園とか、店とか、施設とか、各々のそういう好きな場所についての話も聞きたい
死んだらどうなると考えているか、死ぬのは怖いか、自分がいずれ死ぬということにどのくらい実感を持っているか そういう話がしたい
嫌いなものというよりは、恐怖・畏れの対象についての話がしたい
海洋恐怖症、集合体恐怖症、閉所恐怖症 そういう怖いものについて話す人の顔がけっこう好きだ
死生観の話にも関係するけど、一回怖いものの話をしてたときに「俺は死ぬことが怖い…すごく怖い!」と語り出されたことがあって、なんというか、すごく良かった ああいう話が聞きたい
行ったことの場所についての、無根拠で無責任な憧れの話が聞きたい
俺にとってのそういう憧れの場所はわりとベタなんだけどハワイで、なんというか、絵葉書みたいで、底抜けに明るくて、すべてが商業化されていて、めちゃくちゃ快適な場所だと勝手に思っている
実際には行ったことがないっていうのが大事だと思う 憧れの話が聞きたいから
普通に参考にしたい
俺はこういう陰気な話がしたい
酔っ払って陰気な話をしようぜ
恋バナなんてやめてさあ!
いや、恋バナも楽しいけどよ
やっぱこう、普段はおちゃらけてる人が、マジメな顔して、死ぬことがすごく怖いって語りだしたときの、あのカタルシス(?)が忘れられないんだよな
ガチの趣味の話とかだと、専門性というか、深すぎてシンプルに何言ってるかわかんなかったり、興味を維持できなかったりする
俺はそういう話が聞きたいんだ
テレビで取り上げられて話題になったところで、北大を見捨ててあっさり京大に移籍。
大学間ではヘッドハンティングはない(はず)なので、これは西浦先生が積極的に希望して出ていったということである。
地方旧帝大のレベル低下が叫ばれる中、無情すぎて笑っちゃったよ。
GoToトラベルが感染蔓延に寄与したという主張の論文は、MDPIから出版された。
MDPIが何かわからない人はググってください。
まあ弟子の女の子を食いっぱぐれさせるわけにはいなかいから仕方ないんだろうけどさ、
そうやって苦し紛れに出した論文で自説を補強されても、市民の目はごまかされても研究者は騙されないよ。
3. 総論
西浦先生は高い専門性を持つだけではなく、非常にしたたかで、いかにも研究者として出世しやすいタイプだなー、と思った。
80%おじさんだっけ? そういう標語をさっと作れるのも頭良いよね。
【辞めると決心するまで】
先週、会社を行くのを辞めた。
厳密には来月が来職日なので、今は有給休暇消化期間だ。
辞めた理由は募集職種(社内SE)と実際の仕事内容が違っていたからだ。
これについては入社後に管理部3名(40代~50代)が1度に退職し、さらにもう一人(30代)も「私の仕事の負荷を減らさないと辞めてやる」という脅しをかけ、それを真に受けた会社側がビビッてそいつの負荷を減らしたため、なぜか入社したばかりの自分が管理部を兼任することになったという経緯がある。
しかし、兼任といっても割合は半々ではなく、管理部が9割以上、というか座席も管理部に移動したので、ほぼ全部管理部といっても過言ではないぐらいになった。
管理部で人事戦略とか高度なことであればいいのだが、段ボール運びとか誰にでもできる簡単な軽作業が多くなってきたため、これは今までの経歴と違いすぎるので転職を考えた。
配偶者に相談し、「専門が違うなら辞めてもいいが、次の仕事が決まってから」との結論になった。
【決心してから】
平日は仕事があるが、幸い有給休暇があったのでそれを利用したり、平日の夜や土日に面接をしてくれる会社もあった。
結果として内定が1社出た時点で直属の上司に退職届を提出(ただし就職活動自体は継続し、複数内定が出てから選択した)。
翌営業日には社長の手に渡ったと社長から直接口頭で言われたため、退職ができることがわかりホッとした。
実は就業規則では「退職の1か月前に退職届を提出すること」と記載があったのだが、提出日から退職日までは1か月に数日満たない。
実際には先述の有給休暇消化期間があるので退職届提出日から最終出勤日までは2週間ほどだ。
なのでこれを理由に何か言われる可能性があったこと、さらに新卒で入った会社で常軌を逸した引き留めがあったので今回も引き留められたらどうしようという不安があったのだが、杞憂に終わった。
仕事の専門性が活かせないのが転職の一番大きな理由ではあるが、実は社長のパワハラで何人もの人間が病院(精神科や心療内科など)送りやどうしようもなくなって退職などしている会社なので、その意味でも引き留めがなかったのは幸いであった。
正直言うと冒頭で述べた3名の退職者も社長のパワハラ被害で退職に追い込まれたり、精神科送りになっており、スケープゴートがいなくなったことで自分が新たな標的になっていたというのもある。
当然自分も精神的なダメージが大きく、このままだとやばいと思い、まだまともに動けるうちに転職活動をしよう、逃げられるうちに逃げようというのもあった。
具体的には、何の仕事もないのに自分だけ無駄に夜まで残らされる、誰がやってもいいはずの雑用を自分にだけ押し付けられるなどであった。
【最終出勤日まで】
自分が退職届を出したことは役員には伝わっていたが、社員では知っている者はいないようだった。
結局、最終出勤日の1週間前に、同じ部署のメンバー(自分にとっては部下に当たる)に伝えた。
良くも悪くもメンバーに動揺はなかった。
引継ぎも後片付けもさしたる困難はなく、むしろ最終出勤日の数日前からやることがなくてどうやって時間をつぶそうか困ったほどだ。
これまでの退職者がお菓子を配ったり休憩室に置いたりしているのを思い出し、自分もそれに倣う。
前回 https://anond.hatelabo.jp/20211127063143
死にたい?生きたい?
もう 死にたい でも生きたい
なにもかも投げ捨てられなくても?
うん なにもかも投げ捨てられなくても
世界全体が壊せるとしても?
うん 世界全体が壊せるとしても
自分が嫌い?
自分が嫌い
自分のままで生きていたくない?
自分のままで生きていたくない
でも生きたい?
でも生きたい
公務員ごときの癖してそれなりに専門技術を身に着けて現場で働く人もいる。
ただやっぱり、そういうのってお互いに競争してる民間の方がクオリティが高いわけで減ってきている。
そのスタートがOBの圧力だったり役人の手回しだったのかはもう分からない。
そんな人達から回ってきた仕事をありがたくやらせていただく仕事をすることになった。
準公務員ってやつだな!
競争しているのでクオリティが高いとさっきは言ったが、これは単に同じ金をかけた場合の話であって、当然安い価格でやらせれば安い仕事しか出来ない。
もしも安い仕事しかできない業者お断りとなれば、本当にクオリティの高い会社が残っただろう。
だが、専門性が超高いのだけ製造業者とかに頼むから軽いメンテはクソ雑魚でええわとなっているのが現状らしい。
つまりは我々のような落ちこぼれを安く雇って安く使う会社だけが生き残ったというわけである。
競争入札を重んじる小さな政府を国民が望むってそういうことよね。
淡々と日々が過ぎる。
思ったよりも忙しかった。
役所と同じように自分たちの所も人が減ってきているし、老朽化に対して予算ぐりが追いついてない。
アタリマエのことが出来なくなっていく日々が行政のレベルで進行していっている。
その行政から回ってくるはした金と、「金がないからギリギリのメンテで耐えて」な発注書。
それに従って首の皮一枚を二枚に増やし、一枚が吹き飛んでも耐えられる程度にする。
この国は老人なのだと痛感させられる。
健康な新陳代謝と呼ぶにはあまりにも新しく生えてくる機能がなさすぎる。
延命処置の技術だけが発達していって、病人につなぐスパゲッティ装置のコスパがよくなっていくだけだ。
死にかけの老人が若者に蘇る手術の予定はない。
どうしようもない人生の行き詰まりの果てに、同じように人生が行き詰まった奴らが、行き詰まった国の現状を直視しながら目を逸らしながら仕事をする。
精神を削る魔物を見つめるように、視線を交差させないようにしながら細部を見ながら、見すぎないように、覚えようとして、それでいてすぐに忘れるように。
「公務員なんてのは雇用のセーフティネットなんだよ」と馬鹿にする声を前に聞いた気がする。
そのとおりだ。
その網にかかって私は今、いつか、あのベランダの屋上からコンクリートにぶつけるはずだった頭を今でも頭に乗せて生きている。
生活インフラの整備をしていると、人の目につかないような場所にフラリと行くことがある。
それはどこか薄汚くて、嫌な匂いがする。
町を生かすために必死に動いているのに、それを見ていると気が滅入ってくるようだ。
こんなものを縁の下に引いて動いている町で、キラキラと働いていると思っている人がいると思うと滑稽だ。
誰かが便所掃除をするから、汚物を日々ブラシで削り落としているから、汚物の匂いがこびりついた便所で用を足さずに住んでいる。
子供の頃読んだ図鑑で、食物連鎖は結局の所、腐葉土の中にいる微生物によって支えられていると読んだことがある。
なれたのだ。
これでいいのか。
分からない。
ただ、世の中のためを思うなら死ななきゃいけないような、生きてるだけで迷惑な人間と言われるほどの筋合いはないだろう。
どこかで税金泥棒じみたコスパの悪い働き方をしている自覚はある。
その原因は本物の公務員様からやってくる仕様のせいだが、面倒だから逆らう気にもなれない。
状況を改善するには今この界隈にいる人間よりも一回り有能な人がいるだろうが、こんな所に有能な人は転げ落ちては来ないだろうし、転げ落ちた時点で才能を使い切ったあとの出涸らしだろう。
コスパが悪いことを自覚しながら、それに自分で苛つきながら働くことと引き換えに、身分と給与を保証された腐った匂いのする微生物としてこの社会の下で蠢いていく。
私の人生にもこんな惨めな気持ちにならずに暮らせる可能性はドコかに合ったはずだ。
ただ、それを選んで幸せになれるだけの才能があると信じられなかったのだろう。
そして、実際ソレが正しくなる程度の才能しかなかったんだろ。
私は、自分に与えられた人生を社会に対して最低限ここまでは出してくれと願った価格よりは少しマシ値段では売り払えた。
もうこれで十分だ。
いろいろしくじってきたが、その後のことも考えると、人生で一番大きなしくじりだったと思う。
を検討していた。
コンピュータと人工知能に関心があったということが候補を選んだ理由だった。
当時、LinuxやFirefoxなどのオープンソース活動に興味を持っていた。
また、脳科学や認知科学、人工知能など人間の知能に関する分野にも興味を持っていた。
研究分野としてはOS・コンパイラなどのコンピュータの基礎研究という印象を受け、
工学の方が自分の嗜好に近いと考えて工学部の学科を検討することにした。
工学部機械情報学科はロボティクスを中心とした情報を扱っていて、
ロボットのハードウェアへの興味が低かったことから優先順位を下げた。
そして、
を候補として考えた。
機械系のカリキュラム・研究も含まれていて、2つの学科が扱っている分野が共通していた。
違いとしては、システム情報工学では応用物理系の内容を中心に扱い、
知能社会システムでは機械系から社会工学・経済工学まで扱っているという違いがあった。
そして、次の理由から知能社会システムコースを候補として考えた。
私は教養学部での講義からゲーム理論やシェリングの分居モデルなどの話題に触れ、
また、当時行動経済学や経済への物理学の応用などの書籍を読み社会科学系にも興味を持っていた。
人工知能やマルチエージェントや進化計算などの複雑系にも興味を持っていた。
また、自分の関心がある講義が他学科にも分散していたことから、
講義を取りやすいことも良いと考え、自立して科目を選択できると考えた。
また、製造業や電器メーカーの不調から従来の工学系学科に進んでよいのかと悩んでいた。
できて数年の学科だということで新しいことができるのではないかと無根拠に考えていた。
そうして工学部システム創成学科知能社会システムコースに進むことにした。
そうして、システム創成学科知能社会システムコース(PSI)に進学したが、
思うようにはいかなかった。
幅広い分野を扱いつつ、講義数が少ないということで全体的に内容が薄く、未消化気味だった。
また、講義間の関連性が薄く、体系的に学べることが少なかった。
などの工学の基礎となりうることは扱うのだが、基礎に留まっていた。
また、講義を受けてのレポートが中心で理工学の演習は少なかった。
工学部だから機械や電気ではなくても理数系を基礎として扱うのだろうと考えていたが、
予想とは違い少なかった。
統計は理工系でも社会系でも重要なものだからもっと力を入れて欲しいと思う。
そのため、ディスカッションやプレゼンテーションなどの機会があったが、
幅広い分野を扱っているということもあり、学生層が広かった。
その分、興味が合いそうな同級生を見つけにくかった。
カリキュラムが少ない分、就職活動を頑張って学部で外資などに就職しようという
学生も多かった。
全員が全員そうだということはなく、修士も進むことを考えている学生もいた。
他学科聴講は思ったよりもできなかった。
受けたいと思った講義の時間が被っていたり、前提知識が不足していたりして、受講が難しい場合があった。
学科での講義に関心が持てず、モチベーションが下がっていたということもあった。
研究室には学部3年後期に配属される。カリキュラムの少ない分をそこで補う想定らしい。
しかし、私が所属していた研究室では、学部就職する学生が多く、
他大学からの院生やポスドクが中心であまり教育が受けられなかった。
システム創成は機械情報学科や計数工学科と違い、情報理工学系研究科ではない。
進振り時点ではそこまで差を考えていなかったが、講義の内容やPCなどの設備が違っていた。
大学院でより専門性を高めたいと考えて情報理工学系研究科に進んだが、
実力の不足から、大した実績を上げることができなかった。
学部では幅広い内容を身に着けて、大学院で専門性を高めるということを考えていたが、
他の研究室に進学するならば、その研究室と密に連絡を取って、院進学前から
必要な勉強・研究計画作成をしないと、講義や就活で研究に必要な時間が取れなくなる。
このようなことから、大学院では成果を出せず、就職活動もあまりうまくいかなかった。
振り返ると、それまでの人生で初めて大きな意思決定をする機会だったが、そのことを十分に認識できていなかった。
取捨選択するということができず、幅広いカリキュラムがあるということから選択肢がありそうな道を選んでしまった。
安易に考えず、具体的にメリット・デメリットを書き出して、検討すべきだった。
それまでどれかができるということではなく、どれもできるようになろうとしてきたことがあり、
立花隆さんの影響を受けていて、文理ともに学ぶことに憧れていたが、
その難しさを分かっていなかった。
意思決定をするために必要な情報を集めて、裏を取るということができていなかった。
まあ、サークルに工学部の先輩がほぼいないという事情もあった。(普通工学部は忙しいからな。)
もう少し聞けていれば、進学先を再検討していたと思う。
自分が目指すような幅広い分野を学ぶということを行うのであれば、基礎を幅広く身に着けることを
念頭において進学先を選ぶべきであった。
そう考えると、情報科学科や計数工学科に進むことを考えるべきだったと思う。
理学部情報科学科については小中高からプログラミングを扱っている人が多いと聞いていて気遅れしていた面もあった。
独学で学ぶようにはしていたが、学科に進学した方が教育や同級生など成長できる機会は多かった。
学部で情報系の基礎を身に着けて、大学院で応用に広げることも十分考えられたが、当時はその想定ができなかった。
あと、当時情報科学科や電子情報学科が進振りの最低点(底点)が非常に低く、避けた方がよいかなと思っていたところもあった。
進振りで高い点のところを目指していたわけではないが、つい点数に左右されてしまった。
今の機械学習やディープラーニングは自分が当初やりたかったことに非常に近かった。
大学院でそちらに進もうとしたが、実力不足から挫折してしまった。
情報科学科や計数工学科に進学していれば、その分野に進むチャンスが大きかったと思う。
教養学部時代に自分がやりたいことについて、教授に相談したり、一般書籍ではなく学会誌を読むなどしていれば、
進路を明確に決めて、進振りでの失敗も避けられたのではないかと思う。
進振りでは点が足りなくて進学できなくて失敗したという話を良く聞くが、
これは進学先の選択を誤ったという話である。その分、あの時選んでいればという後悔が大きい。
システム創成について、自分の失敗から悪い面ばかり記載してしまった。
私の進振りでのしくじりを具体的に書くことで何か参考になればということで書いたものである。
自由度が高い分、自分で計画を立てて行動できる人にとっては良い面もあると思う。
私自身は進路・キャリアを良く決めないまま進学してしまったため、うまくいかなかった。
など学科の色がはっきりしてきて、その方面に目指す人にとっては良い学科と思う。
(カリキュラムはあまり変わっていないらしいという話も聞くが。)
失敗したと思っても、将来どうなるかは分からない。
現に情報系学科は過去は非常に底点が低かったが、今は高騰している。
システム創成ではないが、大学院で他分野に進んで研究者として業績を上げている知り合いもいるので、
あまり後悔せず、前を向いて進んで欲しい。
学際的な学科を選択したが誤りだった。これまでの人生で最大の失敗だった。
理系だったが、文系科目にも興味があり、文理融合の学科ということに興味を持って選択した。
情報系学科と迷っていたが、その学科でも情報系を扱っており、別に興味のあるカリキュラムもあり、
理念やカリキュラムはよかったが、実際の講義の内容が古かったり、初歩的なものにとどまっていたりした。
情報系もあるということだったが基本的な内容しかやらなかった。
他の学科の同様のカリキュラムと比較しても、あまりに貧弱な内容だった。
講師と話していて、理系科目が好きな人はうちの学科をあまり選ばないからと言われたこともあった。
そんなこともあり、数学もろくに教えていなかった。
他学科と比較してカリキュラムが少ない分、他学科の講義を聴講して自主的に学ぼうとしたが、その基礎が不十分だった。
その学科は人気があったが、留学やインターンに力を入れる学生を中心とした人気だった。
研究室でも放置気味で、研究のために必要なスキルが身につかないまま、何の価値もない論文を書いていた。
その後、やりたいことが見つかった。何とかやろうとしたが必要な実力がついていなかった。
今でも大学で身に着けるべきことが身につかないままだということに負い目を感じている。
今思えば、人生でも初めての大きな選択で、そのための判断、情報収集が十分ではなかった。
周りの雰囲気に流されていたところが大きかった。自分の実力を見誤っていた。
幅広く教養を身に着けようと志していたが、結局何の専門性も身につかない虚無な時間を過ごしてしまった。
理系として失敗してしまった。数学や物理、情報などの基礎を身に着けることを優先するんだった。
その時の流行の講義などを受けたが、今となっては価値がないものばかりだ。
転科するなり留年するなりして進路を変更していれば、もっとよい将来を歩めていたかもしれないが、
その決断ができなかった。
先日ふと、クソみたいな会社の中で専門性が伴わない仕事をしてるのに、大卒以上かどうかで応募できるできないが分かれてしまうのは何故なのだろうかと、考えていました。
もちろん高い専門性を発揮する会社はあります。ただ、世の多くの(レガシーな)会社は大学で学んだ専門知識など必要としておらず、若く活き活きした人間に入社後(前もあるけど)研修を経て、あとは実務で覚えていけ、というスタンスだと思います。
大学での専門性が発揮されないのであれば、4年前後若い高卒を雇ったほうがいいんじゃないかとすら思う。
年功序列、先輩後輩といった縦社会もクラブだったり部活に入っていれば学べる。そこに大学と高校の差は無い。
ところで、会社入って4年ほど経ちますが、想像していた以上に「いろんな人がいるなぁ」と実感しました。
めちゃくちゃ仕事のできる人、真面目な人もいれば、いかに責任取らないようにするか、いかに自分が不利益にならないように動くか、というか自分さえ良ければ周りなんてどうでもいいという人、今やっている仕事が何も変わらなくていい人、これ以上の豊かさはいらないという人たち。
そういえば、こういう実感を前にも味わったことがあります。それが大学でした。ここで冒頭の「先日ふと、」と繋がってきます
新卒採用の時期に毎年「今年も就活生に求められるスキルとしてコミュニケーション能力の高さが1位となっています」というニュースが流れる。
どの会社もそれぞれ別々のスキルが必要とされているので、こんな汎用的なスキルが上がってくるのは当たり前なのだがそれはいい。
会社に入ってからいろんな人がいることを実感したが、その「いろんな人たちと納期や予算が決まった仕事をこなす能力」が必要とされる。これこそがコミュニケーション能力なのではないかと思う。
ではそのコミュニケーション能力が大学で養えるかと言われると、おそらく高校よりは養えるのである。
大学は一般的な高校と違って、服装もルールも勉強内容も住んでた地域も、あらゆるものが人によって違っている。そういうなかでサークル活動や部活動をすることは、「いろんな人たちと何かをこなす能力」を養っていることと言えなくもない。
これを味わうかどうかは、会社に入ったときのスタートラインとして、そこそこ差が出る部分なのではないかと、私はふと思ったのであった。