ということが分かった。
会社を家族と同一視しているからこそ、外注=血のつながっていない他人、のような見方になって、見下したようになる。
実際は外注も内注(?)もなくて、
貨幣経済システムの上になりたつ、契約関係上のビジネスパートナーしかないわけだが。
それをあたかも血のつながった家族のように錯覚させるのが、日本的経営者の手腕というわけである。
メンバーシップ型雇用とはつまり、家族型雇用ということなのだろう。
さて、家族の中でどんな働きが求められるかというと、家事育児である。
それはそのまま社内手続きだとかほうれんそう・雑務であり、人材育成である。
家族の発想を会社にもちこめばよいのだから、特別なスキルはいらない。
家族の一員が、突出したスキルをもってしまったら、家庭のバランスが崩れてしまう。
つまり適度に、平均的に馬鹿で、ノースキルであることが求められるのだ。
それを令和まで引きずっているかどうかは、経営者次第ということである。
正社員の人が「外注」だとか「派遣」「バイト」という言葉に込める区別意識とはつまり、
「オレは家事のプロだ。家族を守るためのプロだ。」というプライドなのである。
しかし、残念ながら会社は家族ではない。経営者にそううまく思わされている奴隷なのである・・・。
会社がつぶれない、解雇されない、同僚のことを嫌いにならない、仕事が自分に合っている、っていう前提であればメンバシップ型でもいいけど、そんな人、現代では稀じゃね。幸せと...
若い人を中心に、そういう人が増えているんだろうね。 だからジョブ型雇用が本格化している。 メンバーシップ型もあと5年ってとこかな。