はてなキーワード: 問答無用とは
私がドリフェスを知ったのはアニメからだ。そのあと、これが「若手俳優を使ったアイドルコンテンツ」であることを認識した瞬間、「あ、近寄らんとこ」と思った。
私は特撮が好きで、でも俳優そのものは好きにはなれないタイプのオタクだった。漫画も好きだけど、2.5次元舞台、ミュージカル的なものもどうしても好きになれなかった。そしてもうひとつ、私はとあるジャニーズアイドルの、Jrからのファンだった。男アイドルを下積み時代から追っかけていた。
これらの経験が、私にとって「どうしても5次元(2.5次元)アイドルコンテンツであるドリフェスを好きになれない理由」だった。そしては私は、それは好みだからしょうがない、と、ドリフェスを好きになれないことを自分に許した。だから、ドリフェスのファンの仲間入りが出来なくて、すぐにドリフェスから距離を置こうとした。
そんな時に、TwitterでAGFでのドリフェスのツイートがいくつかRTされてきた。どれも楽しそうで、でも私はもうドリフェスから離れる覚悟を決めていたので、他人事のようにそれを眺めていられた。2016年秋、ドリフェスに出会ってたった数週間目のことだった。
その時に流れてきたRTのひとつで、私は石原くんに興味を持った。俳優の活動まで追いかける気はさらさらなかったけれど、それでも、三次元のドリフェスまでなら応援してもいいかな、と思えるくらいには彼はアイドルとして魅力的だった。
二次元と三次元は別物として好きで、俳優(ここでは敢えて俳優と言おう)をキャラとしては見れなかった。TwitterのTLで「三次元みてないファン嫌い」とか「五次元分かってない」とか「三次元を二次元で見れないひと可哀想」って言われる度に自分のことだと感じてしまって、ドリフェスのこと呟くのやめた。確かに私はドリフェスを好きだったのに、そういう目線で、他の人と同じように好きにはなれなくて、他の人と同じ好きではないことを非難されるのが辛くて、結局は逃げた。それでも私は確かにドリフェスが好きだった。人とは違う好きかもしれない。そういうファンは受け入れられない、認められないかもしれない。それでも私はドリフェスが好きで、公式の言う「ドリフェスのファンの皆様」になりたかった。いつか、なれるんじゃないかって希望と夢をもって、円盤買ったり、アプリに課金したり、グッズ買ったりした。1人でライブ行って、1人でコラボカフェ通って、1人でシーパラダイスに行った。(1人で水族館行ったwww)
武道館2days、本当は1人で行く気だった。
仲間にされたくなかった。誰かに、勝手に、私の想いを、キラキラした綺麗事で飾り立てて欲しくなかった。
20日。
私は二次元は主に慎くんのファンで、でも三次元は慎くんに見れないから、たったの一度も慎くんのドリカを飛ばしたことは無かった。でも最後だからと思って、青いパンツに青いアクセサリーつけて、慎くんのドリカを用意した。一番好きなURホーリーナイトと、SRシュガーリーカルーセル。三次元の匂いがしないものを選んだ。
ライブに、慎くんはいたのか、と言われればやっぱり居なかったと思う。溝口くんは溝口くんで、及川慎くんを演じた素晴らしいキャストさんだった。慎くんそのものは、やっぱり私には見えなかった。
三次元が嫌いなわけじゃない。大好きなキャラクターを真剣に演じてくれて感謝しかない。それでも、私はアイドル及川慎のステージを見ることなく終わった。別に後悔はなかった。楽しかった。そして、それでいいと思っていた。
この日のラスト、石原くんは「ドリフェスはまだ終わらない」と言った。言い回しは明確には覚えてないけど、たしかに終わらないと言った。
私は嬉しくなってしまって、その日その足でレターセットを買って、次の夢を書いた。中国版アプリが出るから、次は中国ツアー行きたいです。その次はヨーロッパ、そして全米デビューだ!その時わたしは本気でそう思っていたし、ドリフェスというものがそれから先も続いていくのだと思っていた。そういう意味でその言葉を受け取ってしまった。
翌朝、恥ずかしくなってホテルに手紙を置いたまま九段下の駅へ向かった。その手紙は未来永劫、私の本棚に眠ることになるだろう。
21日、アリーナ。
一日目のような驚きは無かったけど、やっぱり楽しかった。ペンラを振るのも、ドリカを選ぶのも、昨日見た演出も、見なかった演出も、すべて楽しかった。でも、時間が経つにつれて、この次がこの曲で、これがあって、そしたらアンコールがあって、終わる。そういう気持ちが強迫観念のようにのしかかってきて、上手くペンラを振れなくなっていった。それでもアンコールが終わるまで、全力で楽しんだと思う。ファンになりきれなかった残念な私は、その時必死にファンを取り繕っていた。
最後の挨拶、石原くんは、ドリフェスが終わると言った。昨日は終わらない、と言ったのに、今日は終わる、と言った。
そして、ライブは楽しい100%だと言った。わかる。私もそう思う。ライブはいつも楽しい。アプリも楽しかったし、アニメも大好きだ。グッズも沢山買って家に置いてある。楽しかったし、大好きだった。
ドリフェスという作品が、こんなに大きな舞台で気持ちよく終わる。それはすごいことだと思う。でも、それでも、私はその時まだドリフェスのファンになっていなくて、ファンを名乗る自信もなくて、そして同時に私はドリフェスのファンになることが夢で、明日にはドリフェスのファンなれるかもしれないって思っていて、素直にすべてを受け入れて好きだ!って叫べるようになるまでドリフェスに終わってもらうわけにはいかなくて、最後を受け入れられなくて、挨拶の間ずっと唇かんで俯いてた。
昨日、「まだ終わらない」と言った石原くんは、今度は「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言った。
感情的には「無理っしょ!」って感じだった。絶対むり。無理っしょ!
それから直ぐに、一話の奏と純哉くんのシーンを思い出した。
無理っしょ!無理っしょ!言ってた純哉くんが、奏に「無理っしょ」って言われて、「イケるっしょ」って返したあのシーン。無理だった。どうしても無理だった。でも私は、全力で「いけるっしょ!」って叫んでいた。
叫んだあと、ショックで椅子に座った。
言ってしまった、ドリフェスがない明日を「いけるっしょ!」って言ってしまった。まだドリフェスのファンになってないのに。まだ何にも始まってない、まだ何にもなれてない、何も出来てない、なれなかった、辿り着けなかった、ドリフェスは勝ったかもしれないけど、私は負けた。1度も勝てずに負けた。ドリフェスのファンの皆様にも、ライバルにもおじいちゃんおばあちゃんにもなれずに、負けた。無力感でいっぱいだった。
そのあと、2度目のアンコールが起こった。
私はもう言えなかった。「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言ったのに、ここでもう一度ドリフェスを見たいなんて言えなかった。2度目のアンコール、1度も「いけるっしょ!」って言えなかった。何がいけるのか、分かんなかった。7色に変化するドリカ型ペンライトを見つめて、座ってることしか出来なかった。
石原くんが、あの時、いろんな感情渦巻いた武道館のファンを、問答無用で、終わらせた。しかも、ファン自らの手でドリフェスを終わらせるように、させた。
あの時、いけるっしょ!って言えなかった人も、きっといるんだと思う。そういう人は強いなと思う。私は、無理だった。「いけるっしょ!」って言われたら、「いけるっしょ!」って返すファンになりたくて自分を取り繕っていたから、本音を叫べなかった。だから、私はその時、自分の意思で、声で、ドリフェスを終わらせた。ドリフェスを好きになって初めて、自分の感情に嘘をついた。私は自分の感情に反した意思で、本当に、ドリフェスを終わらせてしまった。ファンにもなれず、夢も希望も何もかもあの瞬間に自分で終わらせた。
私みたいに、三次元から二次元を感じ取れない、取りたいとも思わない人っていたと思う。キャラが好きだからこそ、キャストに対してどうしても厳しくなってしまう人も、当然いたと思う。
ドリフェス追っかけている過程で、私はそれがすごくしんどかった。三次元のライブ行ったあと、二次元のキャラクターが「ライブに来てくれてありがとう」と呟くのが、耐えられなかった。私はどう頑張っても二次元のライブに行くことは出来ないことを実感した。他にも色んなことがあった。他の人たちにもあっただろうし、お互い理解できないところで苦しんでいたこともあっただろう。
その声はどんなに隠しても確実にキャストやスタッフに届いてしまっていたと思う。それが嫌で、Twitterでつぶやくことをやめた。不満怨み恨み、そんなものを感じるのも、口に出すのも嫌だった。それでも、確実に、キャスト達は知っていた。
ドリフェスは完璧なコンテンツじゃなかった。人にすすめるのを躊躇うくらい、不完全で不愉快なコンテンツだった。少なくとも、私にとってはそうだった。これを読んでいる人達の中にも、いるかも知れない。凡そ、少なくない人数がドリフェスに複雑な感情を抱いていたことだろう。
ドリフェスに関わった人達すべての心に感情があって、それはドリフェスが嫌い、憎い、というのも含まれてて、それ含めドリフェスだった。
こんな言葉を言わせてしまった、こんな言葉を言わせるまで追いかけなきゃ良かった。不満があるなら離れれば良かった。バレていた。こういうのがあるから、相手に認知されるのは苦手なんだ。
私はただの一度も胸を張ってファンです、と言えたことは無い。終わってしまった今、未来永劫言える機会を失してしまった。しかも、自ら終わらせてしまった。
ドリフェスを好きなフォロワーさんも居たけど、ただの一度も会えなかった。
行ってない、会えない、現場にはいない、と嘘をついた。現場で知り合ったファンの人からTwitterアカウントを聞かれても、一度も教えることは出来なかった。いつきのぬいぐるみを抱えたお姉さん、1月寒空の中上着をロッカーに入れた私を心配してくれた純哉推しのお姉さん、推し被りして慎様の方ですと訳の分からない言い訳をしてしまった溝口くん推しのお姉さん、クロスエコーを模したドレスをお召になられたプリンセス、他にもお話してくれた色んな人。twitterで楽しそうにドリフェスを楽しんでいた皆さん。ごめんなさい、私は仲間にはなれなかった。それでもご一緒させてもらった時間は楽しかったように思う。それも多分、ドリフェスだったのだろう。私は負けた。ドリフェスに負けた。ドリフェスの求めるファンになりきれないまま、終わってしまった。終わらせてしまった。
これからドリフェスにハマる人もいるかもしれない。それだけのコンテンツ力を持ってると、私は思う。アニメ見て、ライブDVD見て、楽しんで欲しい。
それで、武道館のDVDで石原くんが言った「渦巻いてるいろんな感情」には、私みたいな薄暗い、苦しい、醜い感情も含まれていること、ドリフェスはキレイなだけのコンテンツじゃなかったこと、それでも一切の妥協をせずに走り抜いたこと、知って欲しいな、と、少しだけ思った。
消えるべき存在だった私が、自分をファンと名乗ることを許せなかった私が、どうしようもなく、ドリフェスの一部になってしまっていたこと、知って欲しいような、絶対にバレたくないような、複雑な気持ちで今、あの日々の明日にいる。
ジェットコースターの頂点から落ち始めるときに自由落下感あるだろ?
あれがもっと長く続く。自由落下「感」じゃなく問答無用の自由落下。
でも、当たり前だけど落下速度は数秒で一定になるんだよ。
そうすると落ちている、というよりは「真下から強風が吹いている」感覚になる。
もちろん実際は猛烈に落ちているんだけど遠景で見てやっと分かるくらい。
大自然の造形美とか、そいうのを見ることだと思う。
一般的には3600m~4000mくらいから落ちて、1000mになるより手前でパラシュート開くけど、
この間が60秒~80秒位。最初の数秒除けばあとはずっと強風吹付け期間。
1000mでパラシュート開けば景色もゆったり見れるし、話もしやすくなる。
(落ちているときは風の音でインストラクターとも会話できない)
サービスがよいところだとあれはどういう山だ、とかあそこに何が見える、
大体は次のフライトがあるから早めに降りる場合がほとんどだな。
というわけで何度かやったことあるけど個人的には景色が綺麗なところでやるならまたやりたい。※「きれいじゃない」じゃない「きれいな」だった
そうじゃなければ高い金出してやるようなことではないと思う。
大失敗に終わった東京五輪から10年、日本の人口が3ヶ月の間に1割近く減った。
東京五輪の際、国内外のフェミニストたちによる精力的な活動により日本のオタク文化が世界的に批判された。初めはゾーニングの問題から始まったという。世界中から、そして国内から批判を浴びた業界人たち(すなわちアニメ、ゲーム、漫画、ラノベ、特撮、アイドル、声優等)はまず自分たちの正当性を主張した。ポルノではなく文化であり、芸術の一形式であると。しかし反論すればするほど批判の声は高まり、圧力に負ける形でゾーニングせざるを得なくなった。オタク文化は18歳以上のものとされたのである。
ゾーニングによってオタク文化は守られ、それ以上存続に関わるような決定的な批判を浴びることは避けられた、業界人たちはそう思った。しかし事件が起きた。20年代に頻発した女児殺害事件である。最初の事件はセンセーショナルに報道された。犯人がオタクだったからだ。犯人の家にはアニメキャラクターのポスターやタペストリーが飾ってあり、性器剥き出しのアダルトフィギュアが部屋中に溢れていた。フェミニストがこの事件に食いつかないわけがなかった。事件とともにオタク批判が盛り上がった。さらにオタクにとって不運だったのは似たような女児殺害事件が再び起こったということである。フェミニストはオタクという存在の危険性を主張しはじめた。この二番目の事件において犯人はオタクではなかったが、フェミニストたちの激しい主張により、いつの間にか世間の認識は「犯人はオタクである」となっていた。
悪意というものは一番弱いところに向かうものだ。東京五輪の失敗を受け、多大な負債を抱えた人たちが次々に女児を殺害していった。20年代の女児殺害事件は常軌を逸していたと言っていい。今一度確認しておくが、20年代の一連の女児殺害事件において犯人がオタクだったのは最初の事件だけである。しかし20年代の痛ましい事件はすべてオタクの責任ということになった。話がやや複雑になるが、中には「俺はオタクだ」と名乗った犯人もいたが、実際に捜査してみるとオタクではないというケースもあったようだ。精力的に活動する反オタク主義のフェミニストたち、彼ら彼女らに賛同する一般市民、自暴自棄になって事件を起こす犯人たち、国内のマスコミ、そのすべてが全責任をオタクに負わせようとした。
そしてオタク絶滅法(「オタクと判明した場合、即座に死刑に処する(その場での殺害も可)」)の登場である。世界的に死刑が廃止されていく中で信じがたいことだが、2030年代の日本は完全に狂っていた。東京五輪の失敗というトラウマからいまだ回復していなかった。日本全体が生贄を求めていた。何かに責任を負わせてすべてを清算したかった。ゾーニングによって世間の表舞台から消えていたオタク文化が再び掘り起こされていった。すべての業界関係者、業界を支えるファンたちが問答無用で連行され即日処刑、あるいは抵抗する場合はその場で殺されていった。多くの血が流れ、あっという間に日本からはオタクと名乗る者が消えた。フェミニストたちは最大の功労者として権力を握った。これで日本は復活できる……人々の熱狂は大変なものだったそうだ。
しかしこのゆがんだ悪法が人々を本当の意味で幸せにするわけがない。日本人が反オタク主義に慣れきったころ、一つの事件が起きた。ある会社で働く女性社員が上司に叱責された。同僚のインタビュー記事などによれば、叱責はどの会社でも日常的にあるような軽いものだったという。しかしその女性社員は叱責されることに慣れておらず、ものすごいショックを受けたらしい。鬱病になって会社をやめることになった。歴史的に大きな事件が起きるときには様々な要素が偶然絡み合うものだが、この場合もまさにそうだった。女性社員はフェミニストだったのである。
彼女はもちろんフェミニストの栄光を知っていた。誰もが絶望しきっていた東京五輪の失敗からフェミニスト主導のオタク絶滅政策によって日本が復活するという栄光の歴史を。無職になっていた彼女はある日会社を訪れ、自分を叱責した元上司に向かってこう言い放った。「この人、オタクです」
周囲にいた人たちは青ざめた。それが意味することを理解していたからだ。しかしまだ事の重大さを真に理解していたわけではなかった。彼はオタクではないのだから、そんな言いがかりだけでどうすることもできないだろう……。監視装置が「オタク」という言葉を感知すると自動的に通報され、すぐさま警察がやってきた。取り調べが行われ、元上司のスマホが調べられ、自宅に向かった捜査員はあらゆる端末のデータを調べた。数時間しても彼がオタクであるという明確な証拠が見つからなかった。警察はフェミニストの女にこの男が本当にオタクであるのかと確認する。そこで女はただこう言ったそうだ。
「私はフェミニストです」
その場で元上司は「オタクである」という理由で射殺された。フェミニストの女は死んだ元上司の顔に唾を吐きかけると帰っていった。
この一件はマスコミによってオタク絶滅政策の一環であると報道された。しかし職場の同僚たちは反論し、事件の真相はネット上で速やかに広がっていった。「オタクという明確な証拠がないにもかかわらず、フェミニストにオタク認定されただけで殺された」 フェミニストは理論上誰でも好き勝手に殺せる……
反オタク主義に固まっていた日本が少しずつ揺らぎ始める。それは反フェミニストという形で現れた反動である。フェミニストの大物が暗殺されると、オタクを名乗る集団による犯行声明が動画サイトに投稿された。地下に潜っていたオタクたちが立ち上がったのだ。オタク絶滅法の施行された30年代は高度な監視社会だった。だが監視社会はテロを防ぐことができず、フェミニストは次々に殺されていった。
やがて人々は東京五輪の失敗はオタクだけのせいではなかったと気付き始める。たしかに東京五輪を契機に世界的なオタク批判が巻き起こった。しかしオタク絶滅法は人道に反すると諸外国から批判を受けたことも事実であった。それでも当時の日本にはもう一度立ち上がるための生贄が必要だった……
私は日本州に生まれたことを嘆いてはいない。この島には悲しい歴史がある。私たちはそういった負の側面を背負っていかなければならない。オタク絶滅法以降、日本の少子化、人口減少はさらに進み、今や人口は3000万人程度だ。最近、愛国者たちによる独立運動が盛んで、毎日どこかで集会が行われているが、私たちはかつての日本国を美化するようなことがあってはいけないと思う。
なんだそうだ。男はハナから痛みを感じることができないからしょうがないが、
他でもない「女である自分が痛くない」のに生理痛くらいでそんなに痛がるなんて大げさだ、と責めてくる、
始まった時からなかった。
性教育の授業で生理は腹を絞られるような痛みを伴う、気分が落ち込む、頭痛がする、倒れる人もいると。
様々な「いずれやってくる生理への恐怖」を学んだ。
私はその理不尽に確約された痛みや精神の乱れを恐れて待っていたが、実際はあっけなかった。
痛みはなく、時々思いもしない時に股から出てくることもあるが座っていれば大抵はちょっとナプキンについているくらいだ。
最初の2日はさすがに量こそあるものの、休憩にトイレに立った時にまとめて便器に垂らすことができる。
5日くらいであっけなく終わる。
「これが、ノストラダムスの予言のように…私たちに課せられていた生理というものなのだろうか…。大したことないぜ…。」
漫画なら油断した主人公たちに強敵が襲い掛かるところだ。襲い掛からなかった。
しかし同年代の女子には次々と予言されていた恐怖が訪れていた。
多くの女子がこうだった。気の毒だった。痛みをわかってあげられないのは申し訳ないな、と思った。
「私は周期が乱れちゃって、いつくるかわからなくて怖い」
「生理が始まると痛くて何も手につかないよね」
答えに詰まりぼそっと答えたが、女子たちはエッ!!!!という顔をした。
「痛くないの?!羨ましい!」
「痛くなかったらどんなにいいだろうね~」
口々に羨ましがられ、私の体質はほめそやされた。別に努力して得た体質でもないので照れていいのかわからない。
へえ…すいやせんね…。へへっ…。
しかし時々チクリと言われるのだ。
「私も昔はそうだったけど、今は酷いよ」
生理痛がない、ということは少なからず理不尽に耐えている彼女たちの神経を逆なでるのだ。
そうなのかな。いつかやべえ腹痛が来るのかも。
私は26になっても、いずれ来るかもしれないノストラダムスの予言に怯えている。
いや、ノストラダムスの予言が的中し、痛みのさなかにいる彼女たちからすれば許せないことなのかもしれない。
自分たちが理不尽に苛まされている苦痛を感じたことのないヘラヘラパッパな女が存在しているなんて。
産むかどうかも分からないシュレディンガーの赤子のために勝手に体が準備しているなんて迷惑でしかない話だろう。
理不尽だ。最悪だ。毎月そんなものと闘っているのに、この女はそれを免除されているなんて~~!?
たいていの分別のある女性たちは思っても、万が一思ってもこのアマ、許せね~~!!お前も痛めぇ~~!!!!天誅!(万力で私の下腹部をつねる)とは言わない。
時々理不尽に耐えられない女性が、私にチクリと言いたくなるのだろう。
お前以外は、この痛みに耐えているのにと。
「増田ちゃんは生理痛がないから、私の気持ちなんてわからない」と言われたとき、
私は深い深い感情の断絶の谷を想った。
キンタマを蹴られる痛みもわからず、生理痛も知らぬ、私はちゅうぶらりんである。
苦しみを与えられないことを、分かち合えないことをこれほど後ろめたく思うとは。
大多数の人間が体験することを、自分が知らないことの恐ろしさ。
私には痛みが分からない。だから理不尽な苦しみに苛まれている彼女たちの真の苦しみは分からない。
いつかこの腹が痛むのかもしれない。痛んだ時、同じように痛みのない女を理不尽に恨んでしまうのかもしれない。
私に痛みが訪れないうちは闘うあなたたちの苦しみに思いをはせ、
できる限りの仕事を代わりに担いたいと思っている。
あなたたちが婦人科にかかるとき、その間代わりに働いていよう。
だから世の女性たちよ、生理痛のない女がいても、ちょっとだけ許してくれ。
これは生理に関わらず、はたからの目には見えない苦しみと闘っている全ての人に言えることだが。
自分が知らない苦しみを抱えている人を私たちは問答無用で気遣うべきなんだけど…。
生理は多くの女性が抱えている苦しみだから、男にもこの辛さをわからせたいとか、そういう話になりがちなのかもなあ…。
なんとなく生理が2日目なので書いた。
子どもに優しくしろよ。電車で騒いでもいいじゃん。子どもは子どもらしく楽しく生きさせろよ。
キーキー声がうるさいとか知らん。子どもを黙らせることはできないけど、お前が耳栓をすることはできるだろ。
海外に頻繁に行くと、この国(特に首都圏)のクソっぷりがよく分かる。どこの国も子ども第一主義だよ。日本死ね。
親が申し訳なさそうにしてたら許してやるっていう謎の上から目線オジサン(松本人志とかね)も日本と一緒に死んでほしい。
国の将来を担う子どもを大人しくさせて、もはやゴミ同然の中高年の不快感をなくしてあげることに意味ある?無いよね?
特に中高年男性はひどいので、やってTRY!みたいに、子育てを妻に丸投げしていた中高年男性が2歳前後のイヤイヤ期に四苦八苦するテレビ番組作って欲しい。
退職した時に教えてもらわなかったのかな?
役所で手続き必要な書類一式、職場で受け取るはずだけど(場合によっては郵送)。
まず役所に行け。
たまに「自分が年取っても年金もらえないから無視しちゃえ」って言ってる人いるけど、国民年金はそれだけじゃないからね。
障害を負った時の障害年金の受給資格も、国民年金保険料の納付有無で変わってくる。
障害年金は、65歳以前に障害を持ち、日常生活や仕事に支障がある人に対して支払われる生活補助金。
きちんと払ってないと、万が一障害を負った時、障害年金を受給できなくなる。
だが、どうしても国民年金保険料を支払えない場合は「全額免除」「半額免除」できる場合がある。
この免除期間の保険料は、ある期間内であれば後日全額支払いすることも可能だ。
この期間分は支払いがないことになる(とは言っても合法)ので、支給額が若干変わる場合がある。
加入していないと、風邪などで病院にかかった場合は100%の金額が請求される。
風邪くらいなら100%でも支払いできるだろうけど、重い病気にかかったり、検査が必要になった場合は、とんでもない料金を支払うことになる。
その時になって加入した場合、以前の保険を脱退した日にまでさかのぼって加入させられるため、当然、保険料も遡って請求される。
これは「国民皆保険」って言われている。
つまり、問答無用で国民が加入しなければならない保険ってこと。
これのおかげで、我々は3割負担で様々な医療を受けることができる。
もちろん、今の制度も完璧じゃないから、問題はあるわけだけど…。
住民税も踏み倒しているの?
住民税は身近なところだとゴミ収集とか、そういうものに使われているんだよ。
タダ乗りは許されないよ。
お金ないからって、手続きしないで無視し続けると最悪全財産差し押さえされる。
支払いできないんだったら、今すぐ役所に行って「支払う意思はあっても、お金がなくて支払いできない」って訴えるんだ。
そうすれば、全額免除や半額免除、分割などのいろいろな方法を教えてくれる。
手続きに来た人には手を差しのべてくれるけど、踏み倒そうとする人間には容赦ないよ。
あとさ。いくつか知らないけど。
一桁の年齢からホームレスしていたのは気の毒だとは思うけど、世の中のことは知る努力するべきだよ。
オリンピックや野球中継やバラエティ番組なんかで芸能人や記者やアナウンサーが一流アスリートに話を訊く場面はよくある。
その様子がテレビに映し出されると、俺の友達はいつもムスッとした顔になり、ピリついた雰囲気を出す。
「『どんなお気持ちでしたか?』じゃねえよカス。このバカ、ほんと死ねや!!」
「うわ、こいつありえねえわ……馴れ馴れしくしてんじゃねえよ、相手誰だと思ってんだよカスタレントのくせに」
俺が見る限り、いっつもこんな感じで怒りまくってる。
正直言って、一流アスリートと絡む側にこれといった粗相があるようには思えなかった。
仕事上当然聞かなければいけないお約束の質問を投げかけたり、笑顔を浮かべて朗らかに接したり、そういった全く問題のない言動や振る舞いを槍玉に上げて友達がブチ切れまくってるようにしか俺の目には映らなかった。
アスリートの側が最初から非協力的な態度を取ったり、機嫌を損ねてたりしてるのが画面越しでも見て取れるときなんかはもう友達は大爆発。
「偉大なるアスリート様を不快にさせるなんてとんでもないクソ野郎だ!!問答無用で無礼者だ!!」
(レッドソックス時代の上原にスポーツ番組が密着したときなんかがまさにこのパターンだった。
「シーズン真っ只中にわざわざ時間を取ってくださった上原を怒らせる最低のマスゴミ連中」と怒りまくってた。
ちなみに、その放送は俺も家で見ていたけれどあれは上原がとにかく酷かった。マスゴミだなんてとんでもない。
「記者がいるだけでムカつくんだよ」とでも言わんばかりにカメラの前で終始イライラし続けて、
ディレクターからのごくごく普通の質問に対しても「だから、そんなん〜に決まっとるやろ…」なんて痺れを切らしたように噛み付く。
その密着でどっからどう見ても横柄で胸くそ悪いのは上原だった)
どんな経緯があろうともアスリートを不快がらせたのなら、いや、アスリートとただ相対しているだけで、芸能人やマスコミ関係者を「無礼なカス!!」と顔を真っ赤にして糾弾する。
俺は内心でこの友達はなんかのメンタルヘルスを患ってるんじゃないかと疑っていた。
天皇への不敬を咎める右翼なんてレベルじゃなかった。理由もないのに怒りまくる。ほとんど通り魔的といってもいいくらいだった。
「遠いところわざわざご苦労さまです」
「遠いところわざわざご苦労って……てめっ、おめえいい加減にしねえとよお。まあいいや、早く鍵よこせや」
などと爆発しかけたことがあった。オーナーは呆気にとられていた。
部屋につくなり俺は、なぜ突然怒り出したのか理由を問いただしたのだけれど、5分以上かけて意味不明な説明をされた覚えがある。
「こっちが予約して金を落としてやってるのに『遠いところわざわざ』だなんて、俺たちが突然やって来て驚いた、想定外の客だみたいなリアクションしやがって。人間失格」
みたいなことを言ってたような気がする。
とりあえず、意味不明で独りよがりな俺ルールを振りかざして、いかに自分の怒りが正当で礼儀に則っているかをずーっと熱弁していたことは強く覚えている。
正直、友達がこういう老害性が強烈な男であることはもう嫌というほど分かっているから、アスリート万歳が転じた無差別激怒も、ひとえに彼のキチガイ性の表れの一つだろうと納得していた。
でも、この友達レベルの奴がどうやら世の中にはかなりいるようなんだよね…。
アスリートを天皇みたいに神聖視して、インタビューや対談や番組出演となったら「どこが失礼なの?なにが問題よ?」っていうようなことでタレントや記者を叩くツイートしてる奴の多いこと多いこと。
どうやら、アスリートに笑いかけるだけでも、心境を尋ねるだけでも、打ち解けて盛り上がるだけでも不敬の極みに思えるようで。
俺の友達と完全に同じ。
アスリートを戦時中の天皇くらいに崇め奉って、あらゆる絡みも問いかけも無礼だといきり立ってるようなキチガイって意外と多いようだ。
頭が痛くなる。
俺の友達と同じタイプだっていう自覚がある人はどうか精神科の診察を受けてみてほしい。
「優勝した大坂なおみにセレーナに関する質問ばかりするなんて!って批判が殺到してるけど、
あんなもん世界的に注目されてる出来事なんだから記者がそれにまつわる質問するのは当然。文句言ってるやつはおかしい」
って怒ってたけど全く正論。
さて、ポイントとなった「作品利用の件について」「どちらから降板の申し入れがあったのか」について考えていく。
福原氏がツイートした「12.1話は委員会へ報告の上制作」「コミケにおける同人誌についても吉崎先生からの許可」との表現について、「12.1話は報告しただけでなく、正式な許諾やチェックは受けたのか」「8月のコミケの『こないだの仕事』ではなく5月のコミティアで頒布した『きょうびのいろどり (コンセプトアートを加工した表紙。内容はイメージボード・設定資料等)』 の許可は取っていたのか」との質問が複数のTwitterユーザからリプライされた。そして、普段ならば一般のアカウントからの質問にも答える福原氏はこの質問に回答していない。
もちろん、リプライが殺到して目が通せなかっただけということもあり得るだろう。しかし、実は福原氏は半年前の「けものフレンズ」最終回見逃し上映会で12.1話について既に触れている。
テレ東細谷P「作るってことはなんとなく聞いてたけど、まぁ無声のgifアニメ程度の物かって思ってたら本編じゃん!って」
凡用人型兵器 16:30 - 2017年4月15日 https://twitter.com/bonyoh1/status/853148399457062912
細谷P「やりたいとは聞いていたけど、音もなく、まあGIFアニメみたいなものかと思ったら……音声もあり、音響効果もあり、ダビングもされていて……何だコレと」
「冗談で13話待機とかやってるじゃないですか。そしたら何か上がったというので、え、ほんとに?という感じだった」
mohno 23:09 - 2017年4月15日 https://twitter.com/mohno/status/853248940174589955
細谷P「なんだよあれ…声までついてるし「しゃべった!?」って本気でビックリした…あんなのいつ撮ったんだよ…たつきこわい…」
細谷P「あれこっちの許可取ってないからね!?なんなら権利関係の申し立てできるからね!?w」
けものフレンズ最終回上映会トークパートのレポみたいな:あーるのブロマガ - ブロマガ http://ch.nicovideo.jp/rgrey-siga/blomaga/ar1237533
個人の書き起こしであるため表現に細かい差はあるが、「なにか作る程度の『報告』はしていたが、情報共有はしていない」ことを福原氏が認めている点では一致している。また、制作費用についても「たつき監督の私財で制作したものか」との質問に「いやいや笑」と回答 (https://twitter.com/fukuhara_ystd/status/853204451548577792) しており、ヤオヨロズの資金から作成されたことを示唆している。
なお、福原氏の「一同人作家としての二次創作作品である」との主張だが、けものフレンズの「二次創作に関するガイドライン」では「「けものフレンズプロジェクト」に帰属する素材(イラスト、動画、音声、楽曲等)を直接二次利用すること」を禁止している。12.1話を仮にirodoriによる二次創作作品と見なしても、ロゴ・劇伴・OP・EDの利用には問題がある。
「事前連絡できないならお願いできません」「そのスタイルではirodoriは仕事できないので降ります」というやり取りが、求める側は「辞退された」と解釈し、一方で求められた側は「降ろされた」という解釈になるのは自然なことだろう。
(追記)
割とはっきり書いたつもりだったので「つまりどういうこと?」みたいな反応がチラホラ出るとは思わなかった。「ヤオヨロズ福原氏の巨大なやらかし (自白付き) があるので、KFPもそりゃあ文句言うだろうし改善要求の一つも出るだろう。福原氏が悪い」です。
たつき監督補正でピンと来てない人もいるようだけど、例えばアニメポケモン制作会社のOLM社やワンピース制作会社の東映アニメーションが、勝手にロゴ・劇伴・OP・ED・声優使ってポケモン特別編やワンピース特別編作ってYouTubeに上げた上で開き直ったら大騒ぎでしょう。今回は許すけど次からは言ってねの改善要求で済んだのは温情とも言える。
(追記ここまで)
Q. 「ざっくりカドカワさん方面」とは何を指していたのかの謎が残っているね
A. 分からない。たつき監督は契約交渉に立ち会っておらず、福原氏とたつき監督の間で伝達ミスがあったと考えるのが一番自然だと思うが……
Q. ヤオヨロズの無断利用が事実らしいのは分かったけど、それは口実で他の「本当に降ろしたい理由」がKFPにあった可能性はあるのでは
A. 完全には否定できない。ただ、何らかの理由で降ろしたかったのならば「この条件が呑めないなら2期はお願いできません」ではなく「無断利用があったので2期はお願いできません」と主張するのでは
Q. 吉崎が嫉妬でムクムクムクッなんじゃないの
A. ゴシップネットメディアの無記名記事の匿名の「関係者によると」しかソースが無いため信頼性は低い。KADOKAWAが吉崎とヤオヨロズではなくKFP構成企業とヤオヨロズの間で調整した点、降ろすことを決めた時期より後にコミケの特別許可を出している点、問答無用で降ろそうとしたのではなく条件を出した点等と矛盾する
Q. なんで「ばすてき」がダメでしたって直接書かなかったんだろう
A. 分からない。ただ、あのタイミングでそれを書いたら「ファンサービスの鬼のたつき監督と頭の固いうるさい大企業ども」というアングルになって火に油を注ぐ結果になったのは間違いない
Q. KFPが我慢してヤオヨロズが好きに作品利用するのを認めれば少なくともその場は丸く収まったんじゃん
A. そうだよ。しかし、それを外部から権利者以外が強要することはできないし、版権をノーチェックで利用されて準公式のごとく振る舞われるのは受け入れがたいリスクだろう
(追記2)
Q. 「12.1話」は消されてないし、「Japari Café」のオーディオドラマの設定にも組み込まれてるから無罪なのでは
A. KFPの要求は「使うのは絶対に許さない」ではなく「情報共有を求める」なのだから、「今回は仕方ないけど次からはやめてください」となるのは自然。情報共有さえしてもらえれば引き続きお願いしたい段階で、いきなり法的手段を振りかざして消すほうが違和感がある
(追記2ここまで)
id:kamm 『求める側は「辞退された」と解釈し、一方で求められた側は「降ろされた」という解釈になるのは自然なことだろう』まだこんなレベルで書いてる人いるんだ。その後何回も話し合ったことは増田はどう理解してんの?
交渉決裂を両者がどう解釈するかと、その後何回も話し合ったことって関係なくない……?
id:mohno 細谷Pが「たつき監督の2期を見たいと製作委員会一同が思っていた。その方がビジネス的にもうまくいく」って発言してるんだよ→ https://twitter.com/5biohazard/status/947452122185871360/video/1 製作委員会以外で権利行使できるのは誰?w
2017/12/31の「けものフレンズ 年末特番」でのコメントだね。好きにさせた方がビジネス的に上手くいくがそのリスクは普通呑めないという話で……、つーかFAQぐらい読んでくれ。
id:hiduru_k ヤオヨロズ視点で、「好き勝手できないから降ります」って言うもんかなー、って疑問は残るような。柱だった「てさぐれ」を失って、その代わりに手に入れた大ヒット作をその程度で手放そうと思うもんかね。
福原氏は「オリジナルを作らないと儲からない」「オリジナルをやる」って主張をアニメ!アニメ!のインタビューやアニメ・ビジネス・フォーラム+、デジコレ8、アニメビジエンス Vol.14等で主張しているし、たつき監督自体にファンがついたのでその辺やれると踏んだんじゃないかなあ。