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はてなキーワード: ミクロとは

2017-08-20

嫁が「ネット人達って年がら年中争ってばっかりだな」って言うから

「それはミクロでは主語が大きいし、マクロでは主語が小さいんじゃない?」

などと折角ドヤって言ったのに

「いいから御飯さっさと食べなよ」

だって

こりゃあ争いはなくならんわけだ

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170817033705

TV雑誌等のメディア業界AKB坂道系の大手だけじゃなく、マイナーアイドルともある程度付き合って仕事を振っておく必要がある。マクロでは独占禁止法問題もあるしミクロではアイドルを抱える事務所と付き合いを持たずに急にオファーを出すと軋轢を産みやすいか

そういうのを嫌って、ある程度人気がでそうなマイナーアイドルも単体で使うんだけどそれを自分の人気と勘違いする奴が現れる

それがもがとかいアイドル

グループを離れれば、事務所の他の推しとの付き合いを持つほうがメディアとしては得

もがはあっという間にメディア露出なくなるよ

2017-08-10

https://anond.hatelabo.jp/20170810022728

賃金に差をつけるっていう小うるさい団体さえいなくなれば十分現実的可能な案まで出してやって何が不満なんだ

対案出せよ対案を

男と女が手を取り合ってどちらも幸せになれる案をよ

ミクロ例外が多いかマクロ視点で良いよ

2017-08-02

結局ワトソン嬢はあのスピーチで何が言いたかったのだ?

…というのが多くの男にとっての疑問となっているのが、昨今のジェンダー論界隈のgdgdさではないか、と思うわけだ。

いやだってさ、あのスピーチ、「フェミニズムを助けて!」て主張じゃなかったのだろうか?違うのか?

それが昨今の議論では「フェミニズムはお前のママじゃない」となっているのでよく分からない。

男にとっては、救済を求められたはずなのに、フェミニズム万能薬じゃない、という話に移行してるので、頭に疑問符しかかばないのである


要するに「具体的に男にどうしてほしいのだ?」と聞きたいのだ。

もっと具体的に。詳細に。できればミクロに。

(いやと言っても、短時間スピーチでそこまで詳細に語れというのが無茶だし、そこら辺ワトソン嬢を批判したいというわけではないが…)

まあつまりよ、ネクストが欲しいわけよ。男は。

ワトソン嬢のスピーチは分かった。で、男に対して仔細にどうしてほしいのだ?」と。

別にワトソン嬢でなくても、他のフェミニストの方々誰でも良いんだがな。

それこそ日本向けにローカライズしたりとか、な。

勿論別に絶対しろとは言わんし、しないことを糾弾なんてしないけど。

女性の皆さんは何となく実感できると思うけど「男は具体的に言わないと分からない」んですよ。

基本的朴念仁から

まあ「そんなこと一々言ってやらないからしろ!」と言うのも良いけど

それって正直至極非効率だと思うのですよね。

2017-08-01

https://anond.hatelabo.jp/20170801151836

その「敗者は救われない」というマクロ的な問題意識と、「こうすれば敗者から脱せるよ」というミクロ的な解決方法は、まったく違うものなんだよ。

そうか。そりゃそうだ。

キモおっさん問題」って、どこを問題として捉えるかも人によって違うんだね。

キモおっさん」がこの世から居なくなるという状況は、生存競争の直中にいる以上、起こりえない。

その「起こりえない」状況を何とかして、この世からキモおっさんが居なくなる彼岸の地を目指す、世界平和希求する非現実的方向性か、

キモおっさんが一人でも減っていけばと考える、残酷な(常に残留するキモおっさんが発生すると考えると現状維持しかないが)現実路線なのか、

それか、キモおっさんひとりひとりが、個々に生きづらさを少しでも減らせる方法を集めよう、とか、

まだほかにもあるかもしれないが、個人的には3番目のスタンスが一番しっくりくるんだよなー。

競争敗者が発生せざるを得ないなら、傷を浅くする撤退戦方法をを集めてカタログ化してくような。←ミクロ解決方法ってこと?

https://anond.hatelabo.jp/20170801085508

金も技術もないから、コスプレ学芸会しかできない。

のを、逆手にとったヨシヒコと銀魂は良かったよ。

まぁ、ミクロで良かったって話であって、マクロでみれば工夫で乗り切ってるところを圧倒的物量で潰される感じだけど。

ありとあらゆる産業が国際市場からみると似たような感じやわ。

がんじがらめのなか小手先の工夫で頑張っているけど、国や商慣行などの産業システムのものの出来で終わってるというね。

現場最適化をしても、それ以前の舵取りがどうしようもない。東芝はひどかったね。

2017-07-31

エマ・ワトソン演説と「個人的なことは政治的なこと」

始めに言っておくと、私はエマ・ワトソン男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。

ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。

それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。


個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズム重要役割果たしてきた言葉があります

従来、個人的プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的関係のないことです。

という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一フェミニズムのあたり)

例えば選挙権に関して言うと公的ことなのできちんと女性の権利を向上させよう。

といった具合に。


ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるようになってきました。

「実は個人的なことって政治的な事にものすごい影響与えてない?」

とか

政治的にはこうだから個人的なこともこうなっちゃうんじゃないの?」

っていうロジックが出てくるようになったんですね。

これは具体例で言うと

女性ばかりが家事の分担をするのは、女性家事をするべきという公的目線が原因じゃないの?」

とか

仕事を任されないので時間がある女性ばかりが家事をしてしまっている。公平であるなら男女の仕事時間も同じになってその結果家事労働平等化されるはずだ。」

とかね。

当然その観点で見た性愛家族に関する議論もおこなわれました。

その中に

男性若い女性ばかりを性的目線で見るから女性がそういう行動をとるようになる」

といった意見存在しました。

今でもそういった議論の影響は強くて男性はそうした観点から有形無形の批判をあびてます

この考え方って経済学マクロミクロ関係性に似ていて

例えば、不景気なので個人個人銀行お金を預けないでタンス預金していたら

市場お金が回らなくなって結果的に全体で不利益を被る人が増えた。

っていう話が経済学関連にもありますね。

まり

「個々人で見ると小さなことなんだけど、それをマクロ視点で見ると社会に非常に大きな影響を与えてしまっている」

って言う話に繋がるわけです。

この理屈で行くと

「ある女性恋愛対象が誰なのか?」

という一見して社会的構造とはあまり関連性のないように見えることが議論の上で非常に大きな論点になってくるわけです。

女性意識的無意識的に強い男性を好むほど、男性女性から承認を得ようと強くなろうとする。その結果普遍的女性一人一人の選択が家父長主義的な社会構造を維持することに大きな影響を与えてしまう」

という話に当然なってしまうんですね。

もちろん男性側の選択もそういった家父長主義助長してしまう側面は大いにあって

若い女性を好むと、相対的に知恵も経験も薄い女性が選ばれがちになってしまって無意識的に家父長主義になってしまう、という側面があります(というか、フェミニズムなんだから当然こっちが主題だけど)

こういった人達が集合すればするほど社会に家父長主義的な風潮が増加しちゃいますよってことなんですね。

強い女性に指摘される「弱い男性無意識的に排除してしまうと結果的に家父長主義蔓延ちゃうだろうが!」

ってのが

フェミニスト個人的なことは政治的なことを無視している」→「フェミニスト弱者男性無視している」

というお話に繋がるわけです。

で、それを踏まえた上で「エマ・ワトソン演説」を見ると実は従来のフェミニズムに比べて大きく弱者男性に歩み寄った姿勢だと言えます

まりようやくフェミニズム弱者男性に目を向け始めた第一であると捉えられるわけです。

※もちろん以前からこういったことを言っている人は山ほどいるし、少し大げさな言い方ですけどね。でも影響力の強い人がこういったというのは本当に重要なことですよ。


なぜエマ・ワトソンが一部の女性から強烈に叩かれるのか、というのもこれで構図がわかると思います

なので、その歩み寄ったエマに対していきなり「弱い男性と付き合えよ」ってのは話を進めすぎだし性急に過ぎると思いますね。

議論もまとまりきってないし、女性から男性への個人的政治的な介入をどうすべきなのかについてはもっと違う方法があるかもしれません(強者女性がそのまま弱者男性を養うのが政治的にただしいこととするにはまだ理屈が弱すぎます)

ただし、エマ本人ではなく「女性一人ひとりの選択社会に大きな影響を与える」っていうのに無自覚だった女性はこの点について大きな矛盾を指摘されているのも事実です。

もしあなたが「家事労働男女平等に大きな影響を与えるので男性も考えるべき」と思っているのであれば

女性が強い男性を好む事に無自覚である」という部分にも大きな注意を払わねばなりません。

エマ・ワトソン演説というのはフェミニズムにおいて、そういう意味で非常に重大な、一つのポイント・オブ・ノーリターンであったわけです。

男女が平等になるには男性に全てを任せるだけでは駄目で、女性自身もそういった社会に対するコミットメントが求められます

女性無自覚に、強い男性ばかりを好きになり結婚してしまう」

というのは

不倫しまくって精子をばら撒く獣のような男」

の対比であり、厳しいことを言うなら

強者男性に媚を売る女性動物本能のままに生きている獣のような女性

と言うことに過ぎないわけです。


もちろん実際には全ての女性がそういった振る舞いをしているわけではありません。

というか一般的には色んな立場男性に対して優しく接している人も多いですし、好みの男性じゃないからといって職場ゴミのようにあしらうなんてことしてる女性はまずいません。

若い女性が部下にいるからといってすべての男性がその女性を明らかにえこひいきしているわけではないようにです。

環境で行動は左右されがちですし、男女どちらにも例外はいものですが。


ここでは女性をメインにした話をしましたが、男性も改めて「個人的なことは政治的なこと」とはなんなのか考えてみるといいですね。

2017-07-25

https://anond.hatelabo.jp/20170725002652

寧ろ前作より酷いぞ

前作は無敵あったから蛮勇も打開するきっかけになりえたが今作はそれを排除されたために

タイマンなら確実に張り合えなければならないし、戦線を上げるにしても結局ミクロとしてはタイマンをしていることに変わらないか

結局個人プレイヤースキルが問われる。

今作の環境で行われたのはガチマッチ環境e-Sportsとして適切なものに整えるためのものであり、誰にでも楽しく遊べることを重視したものではない。

S+近辺にいる人達に色んな武器を使ってもらうことでe-Sportsとしての魅力を引き出そうというのが主眼であり、それ以外のザコは何使ってもザコ。

サーモンランで万年いちにんまえバイトガールでもやってろってこった。

2017-07-18

メリットメリットミクロジンクピリチオン配合だろうが、と思ったらそれも今は入ってないのか

2017-07-15

https://anond.hatelabo.jp/20170714184542

増田立場には同情できるし、頑張って試験受けて合格して幸せ生活を送ってほしいし、報われるべきだとも思う。

しかしいっぽうで、増田のような善意非正規の人が現在搾取体制に(そんなつもりはないと思うが)加担して助けているというのも事実であって、増田は、自身被害者であるとともに、そういうブラック体制を存続させて数多くの同じ境遇非正規を生み出している加害者でもあるのだ。

ミクロ個人的感情増田には幸せになって欲しいと思うのと、マクロ解決のために増田には自己責任で速やかに離職してほしいしその業界は火傷をして現在体制に見切りをつけてほしいというのは、別に矛盾はしていない。どっちもその通りではあるのだから

コメント欄ではこの両者が互いを避難し合う構造になっているが、(多くの分断がそうであるように)それこそがもっとも虚しく避けるべき自体だ。

2017-07-08

けものフレンズ面白さの本質

けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観から抜け出しているところにある。

少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。

もうひとつの「ガイナックス的なアニメ価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場いぶし銀技術者ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。



私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーインタビューで語っている。


「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html

放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)

たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズたつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。

「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/

ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。

―― アニメはお好きなんですか。

たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。

―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?

たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りましたhttp://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html

本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。

話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。

たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。

そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だからけものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。

シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明から”。

ガイナックス庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。

新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギーク価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任野ざらしにされ担う者はいない。

2000年代2010年代アニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観のもの形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。

もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。

これは自由の味だ。

ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識のものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。

可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。

3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチ必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。

次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的ものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成脚本たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。

「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思いますたつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバー関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題

福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚ミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。

最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しであるたつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。

1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌え主人公エヴァギミックNARUTOアクションジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通オタク価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。

続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。

第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。

4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。

5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。

ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」であるたつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。

ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマシリアスからだ、という批判も予測されるが「ストーリーシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。

『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグテーマTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。


再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。

自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァけもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう

ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。

2017-06-28

https://anond.hatelabo.jp/20170628103847

ミクロ視点でみれば、皮脂にも流動性があるということだよ。

皮脂にまったく流動性が無かったら、皮脂腺の中から外に押し出された皮脂はそこに固まるだけだけど、

実際はそうではなく、皮脂腺の周辺にじわじわ広がってゆく。

当然、皮脂に溶かし込んだ薬物もゆっくりと皮脂と一緒に広がってゆく。

2017-06-13

俺には東京生活するのは無理だ

東京に住んでたこともあって

東京で働く人たちの話よく聞くんだけど

そのたびに「あー俺には東京で生きるのは無理だなー」と思う

だって当たり前のように深夜残業してるんだもん

早朝に出て深夜に帰ってくる(超満員電車で)

最近は働き方改革とやらで残業なくて21時くらいに帰れることもあるよ」

とか普通に言ってくる

それもよくわからんベンチャー企業とかではなく

誰もが羨む超大手社員

俺にはそんな生き方無理だなーと思う

最近思うんだけど

高卒地元にある大企業工場なんかに正社員で入るのが一番いいような気がしてる

あるいは大卒公務員地方銀行Uターンするとか

結婚して子供が二人

日中保育園に入れて

庭付き一戸建てに住んで

毎晩夕食は家族一緒に

みたいな(これを「いい生活」と思うかは置いといて)東京高学歴エリート様でもなかなかできないような生活

田舎では工業高校卒が余裕でできちゃう

そりゃあ仕事はクソつまらんが

そんなに仕事に「やりがい」やら「刺激」を求めてる人っているのかな

しろ増田にいるような人は特にバブル時の「窓際族」みたいなのに憧れるほうが多いんじゃないか

勘違いして欲しくないんだけど

決して東京生活してるやつは情弱みたいな

「まだ東京で消耗してるの?」

的なことを言いたいわけじゃない

しろ東京で俺と同じ状況(既婚子持家有)の生活できる人はマジでスゲエと思う

増田にこんな事を書くのも

就活に敗北し、地元Uターンすることになった無能負け組都落ちした俺」

自己肯定したいという気持ちもあると思う

ただ俺のようなやる気も能力も体力もない人間

普通」の人生を歩もうと思ったら東京拠点とするのはあんまり(極ミクロ範囲での)賢いとは言えないんじゃないかなあ

ってね

確かに田舎だとマイルドヤンキー的な文化に巻き込まれたり、地域行事への強制参加があったりなんてこともある

俺のような「三代目ナントカ」とか「湘南乃風」とか聴くだけで蕁麻疹でそうになる人間にはつらい環境かもしれないけれど

そんな月に一度あるかないかのことで

毎日の定時退社を捨てれるかと言われれば捨てられない



東京は極一部の超人特権階級以外が生活するには厳しすぎるんだよ




最も

これから地方は間違いなく少子高齢化崩壊していくと思う

今の現役世代ですら「逃げ切れる」かどつかは微妙なとこだろう

なので自分の子供にも地方で生きる道を勧めるかと言われれば

それはまた別の話

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170531203338

あの女を信用してるというよりは、お前の「地位のある男と食事枕営業OKサイン世間共通認識」っていう、キチガイ妄想おかしいって言ってる。

一個の事件っていうミクロな話をしているわけじゃなく、もっとマクロな話を俺はしてる

働き方改革労働者へのパターナリズム

2013年安倍晋三総理に就いた後、アベノミクスと呼ばれる大規模な金融緩和と機動的な財政出動によって、名目GDPは47兆円増加した。2017年第一四半期の経済成長は年率で2.2%と、潜在成長力の0.7%を大きく超えている。失業率も2.8%まで下がり、ほぼ完全雇用状態だ。20年間のデフレによる経済停滞で錆付いていたギアが徐々に回りつつある。ここ数年の日本経済政策成功を収めつつある。しかし、アベノミクス第2弾の中心にある働き方改革成功しそうもない。

1.働き方が問題

そもそも長期的な成長力を示す潜在成長力は、土地労働力資本ストック生産性の上昇率からなる。日本人口減少社会突入しているので、土地労働力資本人口減社会投資が集まらない)は停滞かダウントレンドにある。つまり成長戦略には、生産性を軸にするのは極めて正しい。ここで、具体的な課題として取り上げられてるのは、以下の問題だ。

a.正規非正規処遇の差(同一労働同一賃金

b.長時間労働

c.単線的なキャリアパス

お分りだろうか?働き方改革は、日本生産性の低さを主にミクロ労働現場に帰責している。例えば、人も金も突っ込んでいるのに儲からないのは、社員身分制のように正社員パートに分かれており、テキパキ働かず、無駄残業をし、ずっと同じ会社に勤めているからだという話だ。スタートアップが「日本生産性を上げたい」など言い、単なるSaaS提供するのとノリは近い。

2.日本のテキパキ度と生産性

実は日本労働時間は、「24時間働けますか?」と言っていたバブル時代と比べても20%ほど減少している。つまり20年間経済停滞したものの、単位時間あたりの付加価値は上がっている(テキパキ度上昇)。しかし、OECD生産性ランキングは落ち続けている。生産性購買力平価ベースGDP就労人口で割って出す。つまり分子の売上が一定なら、いくらテキパキ働いたところで全く影響がない。有名な話だが、日本祝日は16日あり諸外国よりも多い。テキパキ働き、休みを取らせることを強制すると、使用者労働コストが上昇するので、結果的給与が減額されるのを恐れたサラリーマン有給を取らないどころか、休日返上で働き出す(パソコンの電源を切って働く、退勤打刻をした後に働くなど)。結局、今の労働環境の延長線上にある光景ではないだろうか。※もちろん、労働法的な論点重要だが、成長戦略とは別途取り扱うべきだ。

3.責任があるのは雇用者産業政策

当たり前だが、高い生産性というのは、同じ労働力でも、より高い付加価値を生み出す。つまりビジネスモデル問題で、ここで帰責されるべきは、個々の労働者ではなく、労働集約的なビジネスモデルを維持している雇用者と、うまく生産性競争する環境チャレンジを促進するセーフティネットを用意できない行政にある。マクロ的な(ケインズ的な意味ではなく)産業育成構造問題があるのに、ミクロ労働者責任転嫁してきたのが、バブル崩壊以降の日本現場だ。ワークライフバランス議論は定期的に盛り上がり、クールビスだの、プレミアムフライデーだの国辱的な施策が残る。日本人ビジネマン自分で着るものも、働く時間自分管理できない。そのような古い産業を残しているのは誰?

何故、このような労働者に帰責する生産性議論が延々と続くのかと言うと、政労使に、社会を変えるインセンティブがないからだ。

政治家:大企業との繋がりが深く、新興企業との競争を促進することが難しい。労働者に飴を与えれば票が入る。

労働者:企業の中にいるうちは、新たな競争に晒されることを望まない。労働時間短縮の飴がもらえる。

使用者:略

これでは、全く自浄作用が働かない。

興味のある方はこちらもどうぞ。

不安個人、立ちすくむ国家違和感の正体

http://anond.hatelabo.jp/20170521174022

2017-05-30

ミクロな議題でマクロなこと持ち出されてもなぁ。

2017-05-29

安倍晋三経済政策に誰も対抗できないシンプル理由

安倍晋三政権崩壊経験から国民バカからマクロものは見ていない」という前提で考えており、失業率を減らしてとりあえず金を持たせておけば国民は満足すると考えている。

一方他の政治家官僚国民は十分かしこいかマクロ経済指標特に財政が安定していないと不安に陥って消費が減ると考えている。

実際問題マクロとはミクロ集合体に過ぎないかミクロ改善無視した政策は成立しない。しか安倍晋三以外の政治家官僚国民バカにすべきでないという信念から財政改善という政策を捨てることが出来ない。こうして「他に人がいないから」が完成する。

2017-05-23

俺の中で1stガンダムの偉大さは

ロードムービーとしての完成度にある。

拡張と同時にディティールがクリアになる世界出会いと別れ、繰り返しつつ前進していく日常、ある日唐突に訪れる転機、何もかもを明確とはしない終着点。

巨大ロボやメカニック戦争というのは移動を引き起こすための装置だし、世界観リアリティというのは移動の結果もたらされるディティールのダイナミズムのことだ。

ロードムービー形式はどこに比重をおくかで世界ミクロな部分とマクロな部分どちらにも焦点を合わせられる。1stガンダムはその上で、ミクロ世界マクロ世界の両方と、その間にある空気説得力をもって描きだしている。

こういうことを有効提示するには週に1話放送されるテレビアニメというメディアは最適だっただろう。

最近そもそも旅をするアニメがない。さびしいなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20170523113050

まず前提からして間違ってる

「ムカつくやつは殺したい」と「思わない人間」も普通にます

そこ自分基準で考えすぎ

 

そしてなぜ実行しないのかというと単純な話、それをやると自分不利益になるから

社会ルール公益性っていうのはちゃんと個人総体的利益に直結するようにできている

じゃなきゃ民衆否定するから維持なんてできない

信号を渡らないようにすることは結局自分らが得するから守ろうとする

生活保護とか刑務所更生施設とかも結局やったほうが全体が得する=個人にとっても得するから

倫理的に良いとか悪いとかはそういうマクロミクロ的な利益客観的説明する教育者存在しないのと

こどもには理解しづいから「どうとく」の授業で教え込まされる、それが親の教育しつけであったり

日本には宗教がないっていうのは道徳形成に神を使わないか

元来宗教っていうのは社会ルールを浸透させたいけどお前みたいなバカにも分かりやすツールとして使われてきた

でも日本には神がいないから代わりにそこは「世間様」になってる

世間様に悪いと思われることはすんなってことで教え込まされてる

 

ちょっと脱線したが要するに意識無意識で理性が利己的な判断をした結果が

「ムカつくけどこいつを殺さないでおく」

という判断になる

まり結局のところ利己的に判断しているにすぎないから理性で抑えられる優しい人ではない

それは法律道徳そいつの凶暴性に勝利しているだけでそいつ自身の凶暴性はちゃんと担保されている状態

から信じて送り出した法律道徳が負けた瞬間にアヘ顔になってそいつ包丁で暴れたり首をしめて殺したりする

人間の本性は絶対に変わらないからこそ対抗するために法が生まれ

薬であり飴である法を舐めてる限り大人しくしていられる

それが統治社会

戦争が起こるのは異なる統治社会同士だから相手を殺してもオッケーになる

同じ飴を舐めてる奴同士で殺し合うのは法が保障している利益を損失するからNG

 

ちなみに法、集団間での決め事やルール、しきたりの歴史は古く

マンモスを食べ歩きしてる時代から埋葬する=弔う習慣が確認されている

動物にしたって集団行動するものボスがいてそいつが法になる代わりに

所属する個体はその恩恵を受けるから逆らわない

それと全く同じ

他の動物ボスに逆らわないように大人しくできてるのにボスに逆らう猿はそれが本性

逆説的に言えば本性を隠せない時点でそいつ人間性が露呈しているのであって

理性=その人の本性だとしても第三者に元の性質が露呈した時点でお前の主張も覆されてる

まり酒に酔って暴行暴言してる時点でそいつの理性が本性だとしてもそいつの理性はくそってことになる

本当に理性あるなら酒をほどほどにしておくとかできるだろ

2017-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20170516234047

みんなが乗るのやめたら満員電車もなくなるんだから

合成の誤謬の起きないミクロでもマクロでも正しいアドバイスだと思うが

意図的につく嘘に「言わされてる感」を感じてる人は

褒め殺しとかしたことないの?

自分の本当の性癖を隠した方が社会は円滑にまわるんだよ

実は他人も同じことしてんのに自分だけおかしいのかなとか悩むのはミクロすぎ

みんな頭おかしいところあるけど隠してるのが前提だからそれが社会

2017-05-10

違うんだよミスチルさん

配信ベスト出してどーするよ

手元にパッケージ残るからベスト買うんだろ?

データだけならすでに手元にあるからそれを各々組み合わせればいいんだよ

デビュー25周年記念日で告知なくサプライズのつもりだったんだろうけどさ

ジャケット森本千絵アイコラだし

しかもツーパターンとも同じデザイン

肉と骨、マクロミクロから意味があったんだろ?

ほんとコバタケいないとこうも迷走するかねぇ

スタッフも誰かツッコンでやりなよ

新曲とかつけないと売れないんじゃないすか?」ってその一言でいーじゃん

リフレクション以降のミスチルブランドがズタズタになってくの悲しい

マジ悲しい

スタジアムツアーチケット捌けてないんじゃないの?

マジ心配

あーエンジンに入りてえ

改善ポイントめちゃあるのに

マジ助言してあげたい

2017-05-08

フランスの結果に思うこと

マクロだかミクロだかが勝ったのはいいけど、あいつら大戦前の人民戦線みたいなもんで

根本的には思想の違う奴らの寄せ集めだからなあ

残念ながらそのうち内部で折り合いがつかなくなると思う

しか人民戦線場合、中心のはずの共産党内ゲバを煽ってたりしたし

しかしなんで相手が年上のババアだと男が持ち上げられる上に、

当のババアの方は「気持ち悪い」とか社会的攻撃されないのかわかんねーわ

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