はてなキーワード: ケアとは
異性として見れない、スキンシップを取りたくないとまで言われたら、別れた方がいい気がする。
そもそも、夫婦どちらか一方が、セックスをする許可をあげるような関係になれば、そこから関係が良くなることなんてそうそうない。
「あなたの言葉遣いやお願いの仕方が悪いからそんなことは許可できない」に対して、お願いをしているのではなくて正当な権利の主張なので言葉遣いは関係ないです。ってやつや。
夫婦関係ではセックスはある意味義務。よっぽどのことがなければ応じる義務があると思うし、よっぽどのことがなければ要求する権利があると思う。
産後1ヶ月以内だとか、流産して3ヶ月以内とか、親や子が亡くなって…とか、交通事故で…とかはよっぽどのことだけど、勃起不全だって薬使って勃つなら応じろと思うし、性交痛だってローション使って出血しないなら応じろと思う。
無理やりするのはダメだけど、1ヶ月に1回も許可を出さないのって、双方同意の上じゃなければ別れられても仕方ないんじゃないかと思う。
ただ、拒否の原因にある身なり(服装)がどうとかより、だらしのなさは少し気になる。
何度言っても使ったコップを洗わず放置されたり、丸めた靴下をポイっとされたり、濡れたタオルを床に放置されたりを繰り返されて、徐々に注意の口調が強くなって、最終的に怒ってしまったら、「怒られたら萎縮する」とか言い出す人とはセックスしたくなくなるのは、理解できる。
そして清潔には気をつけてる、ってどのレベルなんだろう。
額が脂ぎってないか、毎食後デンタルフロスしているか、足や脇の臭いケアはしているのか(効果はみえているのか)、コーヒー飲んだあと口をゆすいだりしているのか気になる。
だらしのない人の清潔に気をつけてる、は普通の女性からすると足りないレベルだったりする。
とりあえず清潔さが足りているのかの確認で、もし不潔だと思うところがあったら改善するから教えてほしいってお願いしてみるといいと思う。
服がださい、に関しては他の人も言ってたように、嫁に選んでもらったらいいと思う。
今度キミをデートに誘いたいんだけど、恥ずかしながら服選びが苦手で、デートの時に着てもらいたい服選んでくれないかな?ってデパートでもユニクロでも一緒に行けば良いよ。
ちょうど爪伸びてたし
結論めちゃくちゃ良かった
爪の周りの皮を処理したり角質とったりして爪周りを綺麗に見せる
爪が綺麗になったから何?って思うじゃん?
すげーよ
爪が綺麗ってすげーよ
言語化できないのが悔しい
当方、高校卒業まで虐待を受けて死ぬか死なないかの瀬戸際で気を張り詰め続けてた人間なんだけど
反骨精神で大学入学して親から離れて生活できたはいいものの、大学の知人友人の家庭環境や生活環境との差に衝撃を受けたり、フラッシュバック、うつ病等の新たな弊害が発症。
「普通の家庭で育ち性格も普通の元気な子」になろうと努力し、実際に他人からはそう見られたので側から見れば普通の人間関係が築けてたと思うんだけど、
見てくれを気にしすぎてついに倒れた。
実家が貧乏なので大学4年間は生活費を稼ぐためにバイト+ゼミで忙殺(学費はもちろん奨学金だよ!)だったので体力的にも死んでたし、就活ではまともなアピールポイントもなく(生存には長けてたとは言えないし)、さらに倒れる。他にも諸々あるけど割愛。
数人のまだ信頼はおけそうな友人と教授、恋人には、さっき書いた軽く過去と現状を伝えたが、ずっっっっっっっっっとどこかで慰めや肩代わりしてくれる(というか一緒に背負ってくれる)ことを期待してたこともあり、思った反応と対応はこなかった。身近にそういう人がいなかったから衝撃がデカかったみたい。ちょっと絶望した。
まあでも、冷静に考えれば、そんな面倒ごとに首突っ込みたくないし、賢い人は自分ができることは限られてると知ってるし、明日の自分の生活や地位や金に影響が出ない人じゃなきゃ助けるなんてできないよなぁと実感。じゃなきゃ相手の心も引きづられてマイナスになるし、貴重な時間も潰れるしね。当たり前だけど。ただ自分が他人に支えてもらおうと考えたのがまずかった。
てなことがあったので、過去に死ぬ思いをした皆!!!助けて欲しいのはめちゃくちゃわかる!!!
褒めて欲しいし慰めてほしいしこんな地獄が世の中普通にあることを知ってほしいし!!!でも!!どれだけ親密でも他人は他人!!!自分自身の生活でカツカツな人が日本ほとんどだから!!!!真の意味で救ってくれるのは地位やお金、生活が脅かされない余裕のある金持ちだけだから!!!!まず助けとかないことを知ってくれ!!!自助団体とか精神科とかあるが根本的な解決に大きく期待しない方がいい!!他力本願は自分を永遠に苦しめるだけだから!!!過去を自分でどう精算つけるかを少しでいいから考えなきゃいけないから!、!!!マジで!!!!
しょうがなかったこととして過ごすか?復讐するか?それでも誰かに救いを求めて期待を裏切られてを続けるか?突然心入れ替えて前向きに進むのか?自殺するか?
どれもどれも苦渋の決断すぎるけれど、他人の協力なんて悩みの根源に対しての効力は微々たるものすぎるから、他のことにも言えるけど最終的には自分でどうにかしなくちゃいけないよ。
世間は虐待で死んだ子供に対して悲しむし虐待を悪だと声を上げてくれるけれど、生き延びてしまった人のその後や元に受けてる人に関してはほとんど興味持たれないからね。虐待でも何でもいいけど、ニュース等で何か事件を知ってその時は真剣に考えても人間次の日は忘れてるもんだよ。私もそうだけど。
悲しいけど遠い未来でアフターケアが重視され、質の良いアフターケアが一般的に受けられる世の中を期待するしかないからね。
ちなみに私は復讐することを選びました!親には苦しんでこの世を去ってもらいます!
【追記】
プロは今のところ頼ってます!薬もらって元気になったんでまた頑張ります〜アドバイス感謝です
皆さんのおっしゃる通り、素人に何もかも求めるのはダメということを学んで自分でどうするか決めろよな!ってこと伝えたかった投稿でした。文章下手くそで申し訳ないです。
有能な和歌山県知事がホームページで良いこと書いてるのに、スマホに非対応で読みづらすぎる。ちゃんと読めるようにしといてよ。
最近における新型コロナウィルスの感染拡大ぶりは凄まじく、毎日全国のほとんどの県で2ケタの感染者が報告され、それも結構多くの県で3ケタを記録するなど、これまでになかったような感染状況となっています。救いはワクチンの接種が早かったからだと思いますが、高齢者の罹患が少なく、高齢者は重症化しやすいので、重症者の割合が過去に比べて低いということです。しかし、そのワクチンが国からの配分量が少なくなり、接種スケジュールが大幅に遅れています。また、若いからと言って重症化しないということはなく、かつ、(和歌山県は全国で唯一全員入院を死守していますのでいいのですが)自宅等でケアーを受けないで療養していると、一定の比率で重症化する人がいるわけですから、命も危険な状態になるところがどんどん増えてきていると思います。
和歌山県も、8月15日には51人の感染と、感染の抑え込みに四苦八苦している状況です。今のところ、強力な保健医療行政が頑張って、県民には、特定のリスクの高い行為への注意喚起はするけれど、一般的な外出、行動の自粛、すなわち一般的な人流抑制はしていません。ただ、これもこれ以上感染が拡大すると、発動しないといけないかもしれません。楽観はできませんが、科学的、合理的に必要な対策は迅速に打つつもりです。
その中で再び様々なデータも出てきましたし、現在、打っている対策の合理性の説明を県民にも改めて説明しないといけませんし、国全体の動向を見ていると誠に遺憾と思われるところがありますので、オムニバス形式でいくつかに分けて、最近時におけるコロナの状況と対策について述べさせていただきます。
8月2日、厚生労働省は、コロナの感染拡大に伴って病床、特に重症病床のひっ迫を防ぐためと称して、入院基準の見直しを行いました。本来なら、コロナは感染力の強い、かつ、重症化リスクのかなり高い感染症であることから、感染が確認された人はすぐ病院に隔離して、医療看護を行い、病状が悪化した時に備えてよくウォッチしながら、悪化した時はさらに高度な医療措置を加えるとともに、ほかの人にこれ以上うつして、感染拡大が起きることを防ぎ、さらに他の人との接触の履歴、行動履歴をよく聞いて、感染している可能性の高い人を割り出して、検査をして、万一感染していたらその人も隔離するし、濃厚接触者などはしばらく自宅にいてもらって他の人との接触を断ってもらうというような積極的な疫学調査をするわけです。また、この備えとして日頃から保健所の統合オペレーションができるようにし、病院にもお願いして各種コロナ病床を用意しておいてもらい、さらにはこの後詰めとしてホテルのベッドも確保しておくというようなことも行政がやるわけです。(なお、和歌山県ではホテルはコロナが治りかけてもう病状が悪化しないと判断される場合に、病院の出口として使用する方針ですが、幸いまだ一回も使わずに済んでいます。他県では感染者をいきなりホテルに収容する、いわば入り口として位置付けているところが多いようです。)和歌山県は、今に至るまでずっとこの本来のやり方を忠実に守っています。
ところが、今は、感染者があまりに多いため、東京などでは余程の重症者でないと入院はさせてもらえず、ホテルも満杯で、自宅で療養を余儀なくされている人が多数に上っています。このような状況で、厚労省は入院基準を改めると発表しました。あくまでも感染が爆発して、入院などがおぼつかない地域においてということでありますが、入院は「重症患者や特に重症化リスクの高いものに重点化。自宅・宿泊療養者の急変に備え、空床を確保。入院患者以外は自宅療養を基本とし、家庭内感染の恐れや自宅療養ができない場合に宿泊療養を活用。」というものでありまして、これに関して各方面から批判が出て大騒動になっています。
これまではどうであったかと言いますと、「重症化リスクの高いものを中心に幅広く、原則入院で対応。無症状・軽症患者は原則として宿泊療養施設で療養・健康管理。無症状・軽症患者のうちやむを得ず宿泊療養を行えないものを自宅療養で対応。」でありました。
しかし、現実は感染者が多すぎて、上記の「やむを得ず」に自宅療養を余儀なくされている人が圧倒的に多いのであります。したがって、どこが変わったかというと「やむを得ず自宅で」が「原則として自宅で」ということになったわけで、現状に原則を合わせたということだと私は思います。
私は、この改変には反対です。とは言え、現実に東京都などで入院やホテル療養をさせようとしたとしても感染者の数が多すぎてできないでいる保健所などの行政を責めようとは思いません。病院やホテルに入れたくても入れられないのだから、「やむを得ず」で違法状態とは言えません。しかし、それを原則を変えていわば正当化もしくは追認してしまうというのは別の話です。
何故ならば、このような正当化、追認によって、結果として次のような方向にインセンティブが働くからです。
まず、それでいいんだとなったら、行政にとって、病床やホテルをもっと確保しなければならないという動機がなくなります。また、ひょっとすると、本来なら入院して病状を経過観察しなければならない人なのだから、クリニックなどと協力して自宅療養をしている人のウォッチ体制をきちんと作ろうというプレッシャーもなくなるかもしれません。行政の行動原理は、どうすればクライエントである国民若しくは都道府県民の命や利益を守れるかということであるべきで、行政側が容易にできるかできないかではありません。
次に、自宅療養は、命を守るということからすると、かなりリスクの伴う方法です。和歌山県の現実のデータから見て、コロナ患者は発症から4~6日で肺炎になることがあり、その数日後くらいから酸素吸入を必要とするようになることがかなりあり(これを国基準では中等症と言いますが、命にかかわるものなので和歌山県では重症と称しています。)、その中には、ICUに入ってもらわなければすぐに命にかかわるような本当の重症になる人も一定割合いるからです。発見された時に無症状ないし軽症だからといって、それがずっと続くわけではありません。(だから命を守るため和歌山県は全員入院にこだわっているのです。)
行政が対応不能だからといって原則を変えるのは間違っています。それに対応不能なのは東京都など限られた都道府県です。和歌山県は現に全員入院ですし、他の多くの県も感染者の処遇は手厚くしています。少なくとも旧基準で十分でしょう。原則との乖離があまりにも目立っているところは、東京など首都圏とあと少しではないでしょうか。どうも国は東京都のことしか見えていないような気がします。東京都、首都圏など大変な所には、現状を追認してあげるのではなく、よりうまくいっている地方圏などのやり方を参考に、技術的に保健医療行政のやり方をアドバイス、指導するといった方法をとるべきでしょう。
1と並んで厚労省から退院基準の見直しが連絡されました。これも何度か変遷していますが、これまでは有症状の場合、「①発症日から10日間経過し、かつ、症状軽快後72時間経過した場合、退院可。」としていました。その基準を満たさなくても医師の判断で退院が可能になり、自宅療養・宿泊療養にうつることができるようになりました。これは賛成です。異論はありません。
さっそく、和歌山県では10日を7日に改め、「②発症日から7日間経過し、かつ、症状軽快後72時間経過した場合、退院可。」としました。また、無症状者の場合も、検体採取日から10日間経過した場合退院可であったものを、10日を7日に改めるということになりました。何故かというと、これまでのデータからこれは科学的に正しいと和歌山県は分かっているからです。和歌山県のこれまでの事例では、感染者が他者に感染させたと推定されるタイミングは、発症後最長7日です。むしろ発症前にも結構うつしていて、発症後は4日もあればほとんどうつさなくなりますが、変異株で一例だけ発症後7日というのがありました。それでも7日です。だからこれ以後はうつさないという判断をしていますので、国の基準改定は賛成です。むしろ、発症の4日前から他者にうつしている例もあるので、和歌山県の積極的疫学調査では行動履歴の調査でその辺を念頭に置いて前広に調べています。
今回の第五波の感染爆発において、高齢者の罹患率が著しく低いというのは明らかにワクチンのためだと思います。そういう意味で、もう少し政府の対策を評価してあげるべきところもあると私は思います。何故ならば、国は、今年の初めに3億回分のワクチンを確保したと発表し、まず県自身が医療従事者に接種し、次に市町村が65歳以上の高齢者に接種せよ、その後、60歳以上及び基礎疾患のある人、そして一般の人と順番をつけて接種を実施しました。
この第五波の猛威を考えると、もし、この政策なかりせば、現状はもっと阿鼻叫喚の地獄になっていたと思います。この国の政策を受けて、和歌山県は、早くから県と各市町村が緊密に連絡をとり、接種体制を整えスタートダッシュをしましたが、他県では医者が協力してくれないので接種できないなどと言って、中々その進捗がはかばかしくない所もありました。そもそも医療関係者は真っ先にワクチンを接種しているのに、かつ国民がそれを望んでいるのに、接種に協力しない医師が多いなんて信じられません。行政が理をもって頼めば協力するのは当たり前だと思います。現に和歌山県ではそうなっています。ところが進捗がはかばかしくないところがあるというので、菅総理が7月末までに高齢者への2回の接種を完了させよと厳命を下しました。そのおかげで全国的に接種が進んだと思います。
そういう意味では、いつも政府が無策だ、けしからん、コロナがこうなるのも悪いのは皆政府だというばかりでなく、専門家やマスコミもそして野党の方々は、このようによくやった所はよくやったと褒めて差し上げたらどうかと私は思います。
しかし、良いことばかりではありません。3億回分確保と言っていたのが、契約もしていなかったというお粗末ぶりで、今に至るまで量が確保できず、接種体制を整えて、そのまま突っ走れば、9月中には接種が全て完了するはずだった和歌山県でも、ワクチンの配分が無いために、各市町村が接種スケジュールを後ろ倒しにせざるを得なくなっています。すなわち、予約を制限せざるを得なくなっているのです。
この点は本当に政府の罪は重いと思います。無いものは仕方がないというかもしれませんが、それでも、次の2点は、もう少しなんとかしてほしかったと思っています。
一点目は日本への供給量、供給スピードを増やす努力をもっとやる余地はなかったのかということです。既に一時は欧米でだぶつき感が出ていた中で、支払いが確実な日本に特別に先に回すということが、企業として本当にできなかったか、当事者でないので、とやかく言うのは失礼になるかもしれませんが、私の経験では疑問です。例えば、政府とファイザー社との交渉ぶりが報道に出たことはほとんどありません。外務省も経産省も厚労省も動いているという感はなく、唯一、菅総理が直接ファイザー首脳と交渉という報道が2回あっただけです。元役人として言えば、総理にだけ交渉させ、他の要人が一回も渡米すらしていないというのは信じられません。
二点目は本当に足りなくなった8月に入って、接種で今まで先行していた当県はじめ成績優秀県が大幅に配分を削られました。接種が遅い所に合わせて、終期を統一していこうという、日本人得意の悪習についに入ったかとしか言いようがありません。和歌山県などが接種が早かったのは伊達や酔狂でも偶然でもありません。それこそ全県をあげて皆で力を合わせてスピードアップに取り組んだからです。菅総理や河野大臣の掲げるワクチン接種の早期完了を達成しようと死に物狂いで努力したからです。それを先行している所はもういいだろう、遅い所が追いつくまで待っていろと言われたら、もう立つ瀬がありません。努力する者は報われるというエートスが壊れたら、人は皆堕落します。働いても働かなくても、勉強してもしなくても、練習してもしなくても、努力してもしなくても、最後は皆同じというのは人間の持つ向上心を一番破壊する行為です。私は時として日本人に現れるこういう何でも平等マインドがいずれ政府を覆うのではないか、そうして努力して先行している県がパニッシュされるのではないかということを常に恐れていました。そのため、常に河野大臣などに早くできる所は早く終わらせればいいではありませんか、早いからと言って絶対に不利に扱わないで下さいねと申し上げてきました。でも、ついにその恐れが現実になりました。日本でモラルが廃れた瞬間のように思いました。
ファイザーやモデルナのワクチンは95%と発表されてきました。とても優秀です。でもあんまりよく効きすぎて、私も含めて2回打ってしばらくしたら100%うつらないし、重症化しないと思い始めていました。
しかし、和歌山県でも1回目が終わった人はもちろん、2回目が終わった人もボツボツ感染が出始めました。和歌山県では私に全数報告されますから、結構いるものだなぁ、ひょっとしたら実はワクチンは効かないのではないかと思ったこともあります。しかし、そうではありません。和歌山県の調査によりますと、やはり、2回接種を受けた人のおおよそ95%は感染をしていません。または、ワクチンを2回受けた人の感染リスクはそうでない場合の5%になっているということです。また、重症化(又は中等症化)している人はもっと少ないように思います。8月12日、和歌山県はデータを公表しましたので、詳細はそちらへ。PDF形式を開きます新型コロナワクチンの効果等について(PDF形式 2,051キロバイト)
ワクチンがこれだけ効くのに、ワクチンを打ちたくないという人がいます。どうやら、副反応が恐ろしい、本当に効くのかよくわからない、実際に2回打ってもかかる人がいるではないか。そんな不安があるものは、まず他の人に打ってもらって、様子を見て、大丈夫だったら自分も打とうといった理由によるものと思います。
確かに1つ1つとると、ワクチンに伴うそういったリスクも0ではないかもしれません。しかし、人間の長所は、そういうリスクが0でない時でも、色々な状況から比較衡量でどうすべきかを判断できることです。それぞれのリスクがどのくらい1つ1つ重そうで、かつ発生確率がどのくらいで、もし、それを避けると別のリスクがこれこれの損害と確率で襲ってくるが、そうするとどっちの方が得かということです。2回打ってもかかる人はいるけれど、打たない時の感染リスクに比べて5%ぐらいだし、重くなるリスクはものすごく少ない。一方、打たない時は感染リスクが20倍で、感染したら重くなる可能性も高い。また、東京都などでは、感染が分かっても自宅でいて下さいと言われるだけで医療加護が十分できないこともあり得るから、ひょっとしたら命に関わる。どうも若くても症状が重くなる場合もあるようで、軽くても後遺症に苦しんでいる人がいるようだ…ということぐらい考えられないのかなぁと私は思います。
それに自分のことばかりを考えないのが人間の人間たる所以でしょう。ワクチンを打つということは、家族や同僚など、人にうつすリスクも少なくなるということですし、かかった時に必死で世話をしてくれる行政や病院の方々の苦労も大幅に減るということです。和歌山県のように保健医療行政がまだ頑張って持ちこたえていて、感染防止と感染者の医療加護を何とか出来ているところでも、行政や医療関係者の苦労は筆舌に尽くせません。ずっと働いてくれているのです。ましてや、保健所や医療機関があまりの数の感染者と次々に現れる重症者にほとんどマヒ状態になって苦しんでいる都道府県の関係者の苦労と心痛はいかばかりでしょうか。それを避けるように努力するのも立派な社会人の姿だと思います。
このところワクチン接種に対するテレビなどの論調は明らかに変わってきました。以前は打たぬ自由を強調して報道していたのが、感染の拡大とともに打たないと危ういという方向になってきていると思います。そうすると、そういうテレビを見ている人は今までよりもコロナ感染を恐れて接種を希望する人が増えるような気がします。でも少し遅いかも。これまでと違い政府のワクチンの配給が遅れがちになってきました。 Permalink | 記事への反応(2) | 09:51
どれとは言わんけどブコメを誤読って言われたから、言いたかったこと勝手に補足しよ。
一生恨むって内容としては「今一番近しく信頼するべきお前が積極的に裏切りを働いたせいで、おそらく死ぬまで続くお前の部分不信と、勝手にフラッシュバックする心理的ストレスを植え付けられたから、私はそれについていつでも謝罪と反省とケアを要求する権利を得ますよ」ってとこじゃない?
謝罪と補償を求める権利を手放すことで自身が楽になれるはずだから他のもので手を打てって言うけど、これから一緒に生活していく人間への不信と、同様の行動が今後も起こるだろう予期不安と、類似状況でフラッシュバックするのが治る代わりなんてそうそう見つからないし忘れられもしないから恨んでるのが分からんかなぁ。
自分だけの体じゃないとは良く言ったもんだけど、その状況でもうやっていけないと離婚するとして、堕胎とその罪悪感だとか、まして関係解消したい奴との子の出産するために身体的負担を一方的に負わされるのおかしいでしょ。
子供の事も考えて表面上家族でいるために、かなり合理的に判断した結果恨むくらいで済ませてるんではと思うけど。
そもそも妊娠出産にまつわる身体的負担の偏りに対して、夫は身重の妻の負担をできるだけ軽くして安心して気分良くいてもらうためにすべきことを考えるところで、まず今回みたいな合理的じゃない行動に出てるの棚に上げてなーにが合理的にだ都合が良すぎるわ、とも思うし。
増田は、それ以外のものを探さないで、そういうものだからと恨みに短絡してる女文化の模倣が異常とか言ってるけど、たしかにそういうところはあるなとは。
.
.
.
友人と遊んだあとすっかり辺りも暗くなったので家に帰ろうと電車に乗った。
電車に乗ると同時にちょっと独特なにおいがしたが最初はそんなに気にしていなかった。
おおよそ近くに乗っていた人はみんな気付いているといったレベルのにおいだ。
においがするだけならまだ良かったのだが、近くに座っていた女子高校生が何やら大きな声で陰口を叩き始めた。
それがまあ容赦がない。
聞いてるだけで胃が痛くなってくる。
さらに、多分その女子高校生たちは私が発しているにおいだと勘違いをしている。
さらに胃が痛くなってきた。
冷静に思考し、電車を降り、確認まで行った今なら言えるが私はにおいの主ではない。
ただその時はそれがわからず、ただただこのにおいが私のものかもしれないという不安に苛まれていた。
そのにおいはあたりに散布され、乗客に行き届いていた。
かたやにおいを振りまく謎の人物、かたやそれを受け呪いを撒き散らす女子高校生。
板挟みにされ、はやく時が過ぎてくれと願うばかりであった。
そんな時、転機が訪れる。
割と人が降りる駅に着いたのだ。
ここでにおいの主か、女子高校生が降りてくれれば私は救われる。
人が動き出し、においは一瞬なくなったかに思えた。
丁度人が降り、空いたスペースにおさまるとなにやら異常を感じる。
なんと、においの主は風上に移動したのである。
エアコンの風にのり、においがわたしにダイレクトにくるのを感じた。
だがそれだけならまだ良かった。
「ここやば〜い!」
(あ、終わった)と、確かにそう思った。
ここで完全ににおいの主が私であると彼女たちの中では決定されてしまったのだ。
彼女たちは散々大きな声で車内のにおいに文句を言った挙句、においが消えたのにもかかわらずさらに探そうとするのだ。
何が彼女たちをかき立てていたのだろうか。
それから一駅、生きた心地がしなかった。
続く陰口。俯くことしかできない不甲斐なさ。相変わらず謎のままのにおいの主。
女子高校生は私に「におってますよ」と教えるか否かの議論を始めた。
ここでの私はにおいの主がわからないため、指摘されたら素直に謝ろうと思っていた。
そして駅に着いてドアが開く。
その駅はかなり人が降りる駅だったので人々が波を作りながら降りていった。
私はその時はじめて心から息ができた。
.
.
とにかくどこかに吐き出したくて文章を書いたが、おもったよりもたくさん書いてしまった。
ここで声を大にして言いたいのだが、私はそういった「におい」のある人を貶したいわけはない。
かといって、女子高校生たちを責めたいわけでもない。
①まず炭酸パックで肌を柔らかくする。
本当は化粧筆で塗り込むのがいいらしいけど俺は道具使うとめんどくて続かないので指でやる。
(DUO ホワイトクレイクレンズは3,000円くらい。家にあるロゼットパスタでやりたい。)
④皮脂の分泌を抑える。
(キュレル 皮脂トラブルケア保湿ジェル 2,000円くらい)
⑤異常角化を抑える。
(ベアミネラルのオイルフリーモイスチャライザーも気になるけど高い。5,000円くらい)
まだイプサの化粧水買ったばかりだから保湿はこのまま、炭酸マスクと酵素洗顔だけ買おうかな。
その他
昨日は自宅療養の妊婦が受け入れ拒否で、新生児が死亡のニュースを、LINEで、Twitterで、テレビであちこちで見かけた。
そもそも崩れてきている医療現場と日々カツカツだろう従事者の皆様。
今後見直していくための症例になるだろう、と記者会見では語られていた。じゃあ昨日のニュースの新生児は死ぬ必要があった子なのかと悲しくなった。
野戦病院の話も見かけた。ビックサイトとかに臨時の病床を設けたらどうかというやつ。
「見慣れた祭の場の天井見ながら死ぬのか」っていうコミケ戦士たちのコメントがあって嫌だった。悲しすぎるでしょ。
でもビックサイトが病棟になったとして、それを看てくれる医療従事者は足りてるのかな。
野戦病院という非常事態下で働くことになる人達には特別手当とかを出してくれるのかな。
そういう補償もなく、働いてくれてる人達を、「仕事だから当然でしょ」と偉い人たちは思ってなかろうな?
小池さんの顔がまたやつれている。激務だろうし、いろんな対応に追われてるんだろう。それは大変だろうし、負けないで欲しいと思う。
ただ、こんな状況下でまだ自宅療養を推奨していて(というかそれしか方法がなくて)自宅療養の問題が吹き出してるのにこどもをパラリンピック観戦に参加させるのはどういう意図でそうしてるんだろう。
この間、自宅療養してた3人家族の母親だけが亡くなるニュースやってたぞ。家で母親が亡くなったこどものその後のメンタルケアどうするんだろう。
極端な言い方をするが、菅さんが「陽性者を皆殺しにします」と言ったわけじゃないし、小池さんが「都民は全員殺します」と言ったわけじゃない。
本当に手を尽くしてるんだろうか。こどもより高齢者のワクチンを優先させて、こどもを観戦させようとして、こどもの親が死んで、生まれてきたこどもが瞬間亡くなったこの状況が「手を尽くしてる」とは呼べなくないか。個人的には呼びたくない。
また今日もそういうニュースが流れるかもしれないと思うと、あるいは自分がそうなるかもしれないと考えると、金曜日なのにとても憂鬱。
とてもじゃないけど普段「被害者に寄り添う事が大事」とか「被害者の心理的ケアの重要性」を説いてる人間の所業とは思えねえよ
って…これ増田が男じゃなくて女なら「お疲れ様」とか「大変だったね」とか「相手の男が悪いよ」ってコメントで埋まる訳だろう
「そんなのどう考えてもお前の方が悪い、お前に非があったのは文章から伝わってくる」って苦しんでる人に対して言っちゃいけない事じゃないのか
女性を傷付ける事は絶対にいけないけど男の比を指摘する事は正しいしそもそもケアなんかする必要ねえよって思ってる人間が多いのか、どうなんだよ
元増田の子育て云々で事実と言えるのは男が妊娠できず母乳を出せないことだけで、他は全部感想か願望である。事実だと言いたいならば論文を出せ。
今のところ、"ジェンダーと関係なく"男女の育児能力の性差を示した研究は存在しない。
何故か?
どういう行動傾向や能力を示したら育児能力が高い/低いと見做されるのかのコンセンサスがない。
研究するならそういう曖昧な指標は使わず、もっとピンポイントで具体的なものにするしかないが、その場合は広く曖昧な"育児能力"の一側面を示しているに過ぎない。
育児能力を適切に定義しかつそれの男女差を総合的に示せない限り、男女の育児能力差は出せない。
「生物種としてのHomo sapiensのオスとメスの性差を、その社会性に由来する部分を除外して検出する」のは非常に骨が折れる。
理想的には十分な標本サイズの、社会的背景や人生経験が完全に同一な男女の集団を用いて"育児能力"の差を統計的に検定すれば、ジェンダー(社会的性別)と関係のない育児能力の性差が得られる。
可能かこれ?はい無理なので通常はある程度交絡要因を排除したうえで近似的に性差を求めます。
しかし1つ目の理由にもある通り、"育児能力"は曖昧かつ広範なので考慮すべき交絡要因が多すぎて研究のハードルは著しく高い。
例えば育児能力に関係ありそうな他者のケア能力なんかは、女性が社会的に刷り込まれるものなので(それこそ子供のころから)、これの社会的影響を除外するのはかなり厳しい。
なんかすごい叩かれてるけど別にそこまでおかしな話はしてなくね?
普段出産は命がけとみんな言ってるのに、ブコメはなんでこんなヒステリー調なの。
出産で命かけた側とかけてない側ではその後の意識は違って当然でしょ。
(断っておくが、これはマクロを前提にした話であって、個人の感覚の違いはまた別な話なのでご容赦願いたい)
(さらに、別に養子とか代理出産とか、もちろん父親側を否定したり軽視するわけじゃないよ)
育児の内容に個人差があるのは大前提として、根本的な性差を考えるのだって男女平等な育児を実現する上では大事じゃん。
極端な話、男女どっちが産むのか考慮しないままの出産支援とか頭悪すぎだと思うでしょ。
命かけたりホルモン値まで変化して適応する女性の方が育児に向いてるって、何もおかしな話じゃない。
その分逆に肉体的精神的ケアも必要だからこうした支援が必要〜とか、平等な育児につながる具体的な話もできるわけじゃん。
むしろそっちの方が問題をうやむやにして、結果的に女性に育児を押し付けるでしょ。
男女平等な育児って、盲目的に「男女平等〜!」って騒ぐことじゃなくて、女性の方が優れている点があるならそれを、技術とか意識の変化で男性側にも実現できるようにすることでしょ。
(逆もしかりだが)
そのいい例が、粉ミルクなわけじゃん。
「粉ミルクは母乳の代用にすぎない」に噛み付く意味がわからない。
ヒステリックなコメントがあったけど、同様に母乳が出ない男は、粉ミルクが母乳の代用にすぎないと言われても自殺したくならないし。
大事なのは「代用品っていうな!」みたいな反応じゃなくて、母乳出ない男と同じように「だから?」ってくらいの意識に女性も男性も社会も持っていくことで、それが女性の負担を減らすことに繋がるんじゃないの?
その代用品は「育児に有利な女性的な能力」を考えたからこそ実現したものでしょ。
だから別に、女性の方が育児に向いてるって話を毛嫌いする必要はない。
元の増田もどうかと思う部分はあるけど、それ以上にブコメの「男女平等っぽいけど、実は女性に負担を強いてる感じ」がすごく気になったので書いた。
自分自身は両親祖父母健在で全員特に問題のないかつそこそこ裕福な環境で育ってきたけど、家庭環境が複雑な人間はこと恋愛関係になるとそのトラウマを一緒に背負わせようとしてくる気がする、自分はあまり性格が良くないのでそんなケア労働は無償でしたくない。別れるしかないんだろうな。
以下は小山田圭吾さんの辞任騒動をきっかけに、SNSの問題やマスコミの姿勢についての疑問、虐めの本質とは何かを私なりの視点で考えた物です。
本来はTwitterで呟くつもりでしたが、かなりの長文となってしまいましたので、こちらで書く事にしました。
基本私はTwitterであまり呟く事はないのですが、ファンである小山田さんの擁護をきっかけに今回の炎上の渦中に入りました。
そんな私のツイートにリプして来た人の殆どが汚い言葉を使い、怒りの感情をぶつけて来ました。私はそれを〝攻撃〟と呼び、ミュートやブロック等でスルーしましたが、冷静に対話出来ると感じた人とは出来る限りやり取りしていました。
そうしたリプの中に、障害者と直接接触する機会がなかったのか、TVドラマによくある表現に影響されたのか、「障害者は純粋である」とか、障害者はとにかく「被害者となる対象(弱く可哀想な人)だから優しくしろ」と思い込んでる人が多い印象を受けました。「障害者が小山田の音楽を聴く訳がない」と言う人もいました。
しかしそれこそが私は差別的だと常々思っていて、それを今回の辞任騒動で再認識しました。
障害者の中にはして貰って当たり前の態度の人もいれば、席を譲る等の声かけに強く拒む人もいるし、嘘をつく人もいます。多様な人格や価値観があるのは健常者と一緒です。
(その点ではQJを見る限り、小山田さんは障害者である沢田さんを事細かに観察し、〝探究心〟で接しています。先入観なく人を知ろうとする姿勢そのものは、虐めはともかく差別はしていないと思います。)
それを想像せずに叩いて来るのは〝正義感〟ではなく〝傲慢〟であり、自己中心的な価値観の〝押し付け〟でしかありません。
そもそもSNSにおいて、なぜただの擁護者までも攻撃するのでしょう。それはまるで、殺人犯の家族まで同罪のように扱うのと同じ事です。
いえ、元々そう言う思考を持っている人達が攻撃しているのかもしれませんが。
攻撃は問答無用で人を傷付ける事ができます。その武器が言葉なら、傷が目に見えない分だけどこまでも攻撃でき、相手が死のうとする迄のダメージを与えていても気付かないのです。その行為こそが「虐め」そのものなのに。
誰かを虐める理由のひとつとして、相手と同じ立場に立った時の想像力が欠けている〝経験の浅さ〟があると思います。それだけなら大抵は躾や注意で改善されるでしょう。
それが駄目なら実際にその立場に立った時にしか気付けないかもしれません。
他には承認欲求が満たされないストレスがその行為に繋がっていると見られるパターン。
劣等感は内に向く人と外に向く人とがいて、内に向く人は自分に自信がなく自分を責めて病む。外に向くと他人を見下したり攻撃的になりやすく、虐めに発展しやすくなる。
劣等感の元は無意識下にあるので、罪悪感が伴わないのではないでしょうか。
最近になって本当にケアが必要なのは虐める側だと言われていますが、そこに本質があると思います。無意識にストレスが存在したままの人は、今回のような出来事がスイッチとなり、ヒステリーを起こすのでしょう。
虐められる側には理由がなく、仮にあったとしても虐めていい理由にはなりません。だから世間は虐めを許さないと言う。学校や会社と言う限られた世界でそうならば、今回の件は異常なまでの規模での虐めです。
しかも真実の検証も本人の説明の時間もない完全に不利な状況で始まっているのです。
それをマスコミはこのまましれっと終わらせようとしている空気になっていますが、私自身は謝罪しない限り許す気はありません。何が出来る訳でもありませんが。
煽られた攻撃者は個人なので、私が何かを要求する義理はく、真実が世に出た時は黙っていればそれでいいと思っています。ただ、最初に誤情報を拡散した人は別ですが。
ここまでで私が言っている事は虐めを容認している訳ではないと解るはずですが、そうでない人は読解力が足りないと言っておきます。
どんな場合でも相手を理解しようとする姿勢で対話しなければ、お互いの考えや価値観を知る事はできません。その上で解り合えなかったとしても、認め合う事はできます。
いきなり断罪しては真実も何もあったものじゃ無い。まだ「真実」には辿り着いていないのだから。
現時点で検証しているのは擁護側(しかも個人)だけで、本来は攻撃側もしなければなりません。QJ全文を読んだけど印象は変わらなかったと言う人がいますが、それは検証ではなく文字通り〝印象〟で留まっているだけに過ぎません。
しかし、双方が検証をしてもやはりまだ〝検証〟の段階でしかなく、何割が、どこが嘘か真実かは
それら全てが揃って始めて〝真実〟と呼べるのではないでしょうか。
こういう事を書くと「汚名を晴らしたいなら本人が会見すればいいじゃないか」等とよく言われましたが、普通に考えればパラリンピックが終了しないとタイミングとして難しいと思います。
オリンピックは終了したと言っても今回の発端が〝障害者を虐めた〟である以上、パラリンピックではより過敏にならざるを得ず、水を差す事になりますから。
私はまずそこまでは待ちたいと思っています。
会見が行われた場合、雑誌社からの証拠の提出やライター本人の釈明がなければ、小山田さんの発言が全てとなります。
そして世に出た情報が嘘であった場合には、彼がこれまでと同じ活動が行えるようになるレベルでの、マスコミやコメンテーターの謝罪を含まなければ終了にはなりません。
逆に、証拠が全て揃わなければ言い訳としか取らない人がいる事は容易に想像できますが、その場合は雑誌社を追及するのが正しい姿勢です。
会見がなかったなら、被害者とされる人が虐められたと思っていたとしても、謝罪文を出していれば本来は〝社会的〟には終了する話であり、これ以上叩く必要はありません。
本人に謝らなければ意味がないと言うならば、謝罪文には〝本人に連絡を取り直接謝罪したい〟と書いてあります。連絡が取れて受け入れられなかったとしても、後は当事者同士の話であり、外野が口を出す事ではありません。会えなかったとしても同じです。
本人に連絡を取っても傷口を広げるだけだと言う人もいますが、それも当事者の問題です。何故なら
その点について言及する人を少なくとも私は見た事がありません。攻撃者が常に小山田さんが〝許されない〟事を前提で話しているのには疑問が残ります。
また、この件について同じ経験のある人を刺激したという声もありますが、それは小山田さんだけが悪いのでしょうか?
確認しておかなかったJOC、沈黙したままの当の雑誌社、問題になったブログ、検証なく報道したマスコミ、間に受けて拡散・コメントしたタレントや識者、それに煽られた一般人。
無闇に人の目に入るような形にしたのは決して小山田さんだけのせいではありません。その点は責任転嫁ではないかと思っています。
本来マスコミは、検証、取材、時代背景、あらゆる面からひとつの物事を捉えてからでないと報道するべきではありません。憶測がひとり歩きするような今回の事態は普通ならあり得ないのです。エンタメ的な雑誌やワイドショーならともかく、公的なニュースを慎重に考察した上で伝えるはずの新聞や報道番組でさえ、エンタメ化しているようにしか私には見えませんでした。
しかも著名な識者までもが感情的にコメントしていた事には愕然としました。連続殺人事件のような大きな事件ですら、冷静にコメントしているのにです。
国民の半数が反対していた五輪だったからなのか、コロナ禍でのストレスが噴き出したからなのか、とにかくどこでも爆発的に感情が横行していた事に唖然としました。
敢えてTwitterの炎上に飛び込みましたが、その異常さを目の当たりにして、文字にここまでの殺傷能力がある事に恐怖を感じました。
木村花さんの出来事が遠い昔でも無いのに、こんなにも簡単に忘れてしまうのかと。
また内容の是非はともかく、その後に起こったメンタリストのDaiGoさんや、アーティストの大森靖子さんの騒動は、ご本人の口から出た確実な証言です。
それを考えると、小山田さんの場合は本来、ここまでのバッシングを受ける物であったのだろうかと違和感を覚えます。
ここまで書いて、ただの擁護という印象を持たれる方もいるかもしれませんが、一度冷静に考えて欲しいのです。「小山田」と言う主語を、貴方の敬愛する誰かに当て嵌めて。
そしてそれを守る為にその時、自分はどうするべきなのかを〝想像〟してみて下さい。
傷つける人、傷つく人が一人でも減る事を祈って。
何でもしれくれるし買い与えてくれるし悩んでいたら相談してなくてもケアしてヨシヨシしてくれるし
常に褒めたたえて他の女とか存在位階が違うと他の女を馬鹿にしつくしてくれる
と醜い願望の詰め合わせハッピーセット
「そのパパ理解のある彼君奴隷」の彼女への褒め方も発情の仕方も
恋が難しそうな品性下劣なフェミや婚活の行き遅れ女にとってのホモポルノ用素材へのそれだったりするし
まぁ仮にそんな奴が実在したとして、それ絶対何らかの犯罪目的で近づいている詐欺師かロシアとか中国とか北朝鮮の工作員じゃないのかなって思うんだが、そこらへん言及したら歯むき出しにして狂った猿のように怒り狂って発狂するよな、彼女たちって