はてなキーワード: ケアとは
入管がなかったら日本の治安悪化は確実だし、それを分かってか分からずか入管批判してる日本人が多いのが怖い。入管がヒールをしてくれてるから、日本人はスマホをカフェの机に放置してどっか行ったり平気でできる。
(この1年半の間、どうしていたのか?働いていたとしたら違法就労)
2021年3月、死亡。158cmで80kgあった体重が60kg代にやせ細ってしまっていた。
亡くなったのは気の毒だけど、いつでも帰国できたのに帰国せず日本に滞在した理由が理解できない。そこまで日本にいたいのになぜ真面目に日本語の勉強をしないでスリランカ人と恋愛して揉めてんの?努力はしたくないけど日本で暮らしたい、日本から益は受けたいけど日本の法律は守らない・・・?彼女が生きていたときは音信不通になってた家族も、亡くなったら日本にやってきて大号泣。彼女が生きてるうちに仕送りするか、彼女が素直に帰国してたら泣かずに済んだのにね。可哀想。
体調が悪いのが明らかなのに放置したのは入管が悪いけど、そもそも病院にも診療室にも複数回行ってるわけだし。彼女1人だけが収容されてるわけでもないし、入管の人が付き切りで彼女のケアをできるわけもない。そもそも退去処分が下された人間が収容される施設になんのサービスを求めてるのか。
自分も外国に住んでるしこっちの外人局も相当厳しいけど、外国人に厳しい理由もよく分かるしなんとも思わない。滞在許可切れる前に延長するし、延長してもらえなければ日本に帰るのみ。ありえないけど仮にうっかり滞在許可証が失効してて強制退会処分とかになれば当然すぐに帰国する。まあ、こういうこと言えるのも自分が日本出身だからなのも分かってるけど。。。日本に帰ったら、入管の中の外国人にハンストをやめて帰国を促すボランティアでもしようかな。
Wikipediaによると、DaiGoは幼少期にいじめられていたらしい。
彼はお金=社会的承認に飢えている一方で(あるいは飢えているがゆえに)、既存の倫理観に対してかなり挑戦的だ。
彼のこうした人格には、当時の経験がかなり尾を引いているのではないかな、と思っている。
いじめられるに至った経緯は不明だが、興味は無い。いじめの経緯なんていつも些細なことだし、どうでもいい。
道徳の授業で、暴力はいけない、揉めたらよく話し合おうと教えられる。相手の人格に問題があったとしても、暴言や暴力を向けていい道理は無い。いじめは許されない。法に触れていれば犯罪だ。
しかし、建前がどうあれ、学校というコミュニティにおいては往々にしていじめが発生してしまう。学校には何故か警察は介入してくれない。彼の場合、頼みの綱の先生も助けてくれなかったようだ。
社会に適応的な人間からすれば、虐められた原因を正して社会と和解すればいいだけのことかもしれない。
しかしいじめられっ子は、たまたま生贄に選ばれてしまっただけだ。仮にいじめられる側に原因があったとしても、どこを正せばよいのか伝えられないまま、突然暴力によって存在を否定される。いじめられっ子からしてみれば、理由はどうあれただ理不尽に暴力を向けられただけである。気に入らない奴に暴力を振るい、尊厳を踏み躙り、見て見ぬふりをするという社会の悪性を一身に向けられたいじめられっ子は、果たしてそんな社会の仲間でありたいと思うだろうか?
ひとたび社会の強烈な不正義に晒された人間からしてみれば、適応は不正義への降伏に過ぎない。
彼がナタを投げるという脅迫によっていじめを克服し、しかも本人がそれを成功体験としているのも悲しい話である。
周りの大人や先生が助けてくれたなら、まだ世の中捨てたもんじゃない、正義だってある、自分には味方もいると思えたのだろう。そうした経験を欠いた彼の世界には、おそらく未だに愛も正義もない。自分の行動によって世界は変えられるという本人の言は、承認は行動によって勝ち取るしかないという不安の裏返しではないだろうか。
無条件の承認も社会への帰属意識も身につけられなかった人間は、自分に居場所があることを確認するため、社会的承認をかき集め続けなければならない。
これこそ彼が、目に見える成果が出るまで時間のかかる心理学研究でなく、すぐにお金を稼いで世間に自分の非凡さを思い知らせられる、うさんくさいパフォーマーとしての生き方を選んだ理由ではないだろうか。
私は、彼の信じられないほど酷薄な発言も幼少期のいじめに由来するのではないかと考えている。
非納税者を蔑視する発言は、相手にされないことへの不安から来たスタンドプレーという一面もあるが、既存の倫理観への不信からくる本音でもあるのだろう。暴力はいけないという一般論を教育されつつ暴力を振るわれた過去故に「口でいくらヒューマニズムを謳っても、本心は違うに違いない」と思っているのではないだろうか。
別に私はDaiGoも被害者だから哀れむべきと言いたいわけではない。理由はどうあれ、非納税者への福祉に関して無理解なまま、倫理にもとる発言をしたことは批判されてしかるべきである。
しかし「悪い奴だから懲らしめてやる!」と義憤に燃えている人は、自身が正義などではなく、気に入らない人間を積極的に排除しようとする側、いじめっ子気質の人間であることを認識した方がいい。
自分の非を認めていない人間に数の暴力でサンクションを与えたところで、暴力によって従わされたという心の傷が残るだけではないだろうか。
DaiGoの件に関して言えば、浮浪者への差別発言の問題点を大して理解していなそうな人まで「レイシズム=ナチス=悪」という借り物の価値観で脊髄反射敵に叩いているのも気持ち悪かった。Twitterで支配的な反レイシズムという規範に沿わないという理由で叩くのなら、クラスの空気に沿わない人間を吊るすいじめと大して変わらない。
DaiGoのように成功者になって世間を見返すのに躍起になり、果たしてそれが上手くいったとて、こんな風に問題行動を起こしてしまう。
逆に完全にいじけて人生を放り投げれば、黒子のバスケ事件の犯人のように社会の敵になる。
これらは元いじめられっ子の中でも極端な例である。しかし私には、帰属意識の喪失や社会の正しさへの不信、自尊心の低さ、自分の影響力を確認することへの執着といった、いじめによってもたらされる人格の歪みが遠因になっていると思えてならない。
手立ては色々ある筈だ。
これまでの話は全部私の臆測であり、一から十までこじつけである。どこかに論文があるわけでもないし、私は何の専門家でもない。
しかしDaiGo本人がオリジンとして語っている以上、暴力による自力救済でいじめを克服するしかなかった経験は、彼にとって大きな意味を持っていたのだろう。
DaiGoをいじめたりそれを傍観したりしていた同級生、彼を救えなかった教師、もしかすると「やっぱアイツ変だったしな〜」などと考えていないだろうか。
お前らが歪めたんだ。
自分で小規模ながら保護猫活動してみて、いかに保護猫を家猫にするのが大変か身に沁みた。
生まれたての子猫は2~3時間置きに休みなしに授乳し続けた。人間の赤ちゃんと同じぐらい手がかかった。
1~2ヶ月で離乳してくれるから良いけど、あれが何ヶ月も続いてたら確実にノイローゼになってたと思う。
ダニ、寄生虫、猫風邪、ワクチン、避妊手術、マイクロチップ……その他にも想像していなかったさまざまなケアが必要だった。
実際にかかるお金も凄いけど、このケアにかかった時間と労力は膨大だ。
それらのケアを受けてなお、後々障害が見つかったりエイズや白血病が陽性だとなかなか引き取り手もなかったりする。
保護猫団体の審査が厳しすぎるとか文句を言う人、今なら「当たり前だろ」って思う。
そこまで人々の善意で人が飼っても大丈夫な状態まで育てられた安全な猫を、わずかな医療費とかワクチン代だけで譲る。
そりゃ絶対にこの人なら大丈夫だと思う人に譲りたいよ。厳しくなるのも仕方ない。ここでヤバい飼い主や虐待犯に譲るとかわけわからないもの。やってる側も死にたくなるよ。
文句があるならお前が自力で保護して飼い猫レベルになるまで育ててみろと思う。
本来野生の動物を飼えるレベルにするってあらゆる意味ですごいことなんだよ。
(追記)
たしかに法規制して貰う方がいいね。マイクロチップから愛護動物の譲渡の動線が辿れるようにしてほしい。
これは個人の感覚だけど、年収証明とかアポなし家訪問とかはやりすぎだしあたおか団体だなーと思う。
けど、譲渡後に数回でいいからその後の様子を写真付きで報告することとか、その程度の手間すら「頭おかしい」とか言うやつは保護猫に関わらんで欲しい。
夫がEDでつらい。
よくある「妻だけED」じゃない。
朝勃ちもしないし、自慰もしてない。
当然だけど、出会った頃はしてたよ。できてたんだよ。
夫婦ともに30代前半。まだまだ元気だと思う。
仲良し。じゃあなんで?ってわたしが聞きたい。
レスになって1年、EDでは?と思い治療を勧めやっと薬をもらいに行くまでになって2年。
ぶっちゃけレス期間中、夫に風俗や女の影があるのは分かってた。でも風俗は生活費を切り崩すほどの利用頻度ではなかったし、女が何か私たち夫婦(当時はカップル)を脅かすようなことはしなかった。したとしても素性が分かっていたからどうにでもできるのはこっちだと思った、バレるようなことする夫にムカついたから釘は差したはものの、夫は仕事は激務。人間関係も正直良好じゃなくて、ストレス過多なのは分かってた。わたしもわたしで激務で、生活するのに精一杯。二人の仲も悪くはなかったからそのまま。
入籍とともに人間関係が変化したからか(よくわからないけど夫が自ら人間関係を断捨離していた)、どちらの遊びも夫はぱったり辞めた、だから尚更気にすることではないと思った。
だけど入籍して、改めてセックスをしようと向き合ってみたら唖然。夫は勃たなくなっていた。
明らかにおかしいから病院通院を勧めるも断固拒否。意味がないと言ったのに、元気になるドリンクとかいっぱい買って自分が勃たないという事実をなかなか受け入れられないようだった。体力作りの筋トレをして、激務でありながらも早帰りする日を捻出したり、頑張ってたけど勃たないものは勃たない。
わたしも夫も積極的に子供が欲しいとは元々思っていなかった。だから、このままではまずいのだろうが通院を勧めること自体にわたしは迷いがあった。
だけど夫婦なのにそこが出来ないのはやっぱり悲しかった。やっと本人も自分の状態を受け入れることができて、通院を始めた。
てことで、今は薬飲んでる。
薬すごいね、飲んでたら一応大きくはなる。
でも持続しない、すぐ小さくなっちゃう。
それが分かってるから夫は焦って愛撫もなしに挿れて来ようとする。ムードもへったくれもない、そして濡れないから痛い。
病院は薬を処方はしてくれても、相談には乗ってくれない。相談できる病院、何度もググったけど情報が出てこない。
今まで夜の生活してない夫婦が生活リズムに夜の生活を組み込むのほんとに難しい。
夫は飲酒や満腹だと絶対したがらない。ましてや平日もノーセックスの日々なのでわたしも急に盛り上がって…みたいなのはもうできない。
そしたら夫はすごく落ち込んでいて、その姿を見たときの自分の気持ちに自分でショック受けてる。
わたしね、
「ざまあみろ」って思っちゃってた。
レス期間中、夫が必死に誘うわたしを邪険にしてたこと、夫が自分の気持ち優先で通院を始めるまでに2年かかったこと、すごく根に持ってる。全然気にしてなくない。気にしなきゃいけないことだった。ついでにいうと夫が今挿れることにとても必死で、夫に性欲なんてないし(少なくとも私よりは)、セックス自体には意欲がないのだと知らされること、なによりわたしが必死に夫のこと説得した割には夫とのセックスが嫌になってることが辛くなってる。
その反面、夫がそんなに意欲的でないものに行動を起こしているのは少しでもわたしへの愛情があるからくるものなのかと信じたい気持ちもある。
子どもだって要らないけれども、それは作れるけど要らないという意味にしたかった。
なにより若い自分の身体が誰にも愛されず時を過ごすことに虚しさを感じてる。
大して夫に触れられてないのに、夫のこと男じゃなくて家族として見るようになっちゃいそうだよ。最近は体臭や口臭も気になるようになってきた。そのへんを夫も察してかそのへんのケアも始めたし、より一層筋トレに励んでる。
もうどうしたらいいんだろう。
入籍すればどうにかなる、薬を飲めばどうにかなる、そう思っていたわたしが一番馬鹿なのは分かってる。
もうこれ別れたほうがいい?
で?って感じ。
・作品を未読の、鴻巣評が「誤読だ」と言われていることを知らない(「うちの地元の高齢者」のような)朝日新聞読者にとって「読み」が閉ざされうることには変わりない。私小説である都合上、鴻巣の「読み」を人々が真に受けると本人および周囲へのダメージが大きいため、桜庭は「必死になって訂正をお願い」している。一方で「読み方の可能性を新たに開く可能性もある」のは当然の話で、それを指摘したところで上記の問題が相殺されるわけではない。
・「これは解釈である」とわかる様式や内容でもって「解釈が断定的に書かれる」ことはそりゃあるでしょう。例えば「これはケアをめぐる物語だ」とか。ふつう作品自体にそのままズバリ書いてあるわけないんだから。あるいは序文とかではっきり書いてあるなら、書いてあるのだと示した方が評者にとって得。「作品に書いてあること」についてなのか「著者の解釈」なのか、区別できるように書かれていれば断定で問題ないけど、今回はそうじゃないから大変ですねって話。事前情報なしに当該箇所を読んで「おお、ここは作品に書いてあることではなく、鴻巣の解釈が断定で書かれておるなあ」と確信できるとしたら超人でしょう。超能力者しか「文芸批評や研究」を読んではならないのか。
う~ん。
重症患者への対応能力の飽和が問題なら、未来の確率的な重症患者である現在の軽症患者をホテルに隔離して少ない医療資源の負担でケアする体制を整備する(むしろ5類化とは逆の)方が理に適っていると思うけどなあ。
つっても辛い想いはいくらでもしただろうよ。そういう辛い境遇の人の話を聞くと俺は甘えてるなとは思うわ…。俺程度のつらさは弾き飛ばすくらいの腕力を身につけるべきだったのだよなあ。
ただまあヤングケアラー気味というか、常に責任が分担されていて、自分の裁量が大きすぎたというか。増田氏もそういう部分があったのではと読んでいて思いました
うちは知的障害の兄弟がいるのでそれがきつかった。いや知的障害のままおっさんになってしまった今の方がつらいのだけど(介護が必要なレベルではないし色々無理なのでほとんど関わってないのだけど…)。
誰も悪くないからどうしようもなく、ゆえに誰かに言う意味もなく、そしてまた人に相談しない理由ばかりが積みあがっていくわけよね。
EUの文書がフェミサイドの定義を書いていると言っている人がいるので、そのメモを書いておく。
まず話に上げられていたフェミサイドの定義が書いてあるとされる文書はこちらのこの箇所。
Official Journal of the European Union/ISSN 1725-2423/C 227 E/Volume 51 4 September 2008/149page/E.
URL:https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/PDF/?uri=OJ:C:2008:227E:FULL&from=EN
“E. whereas the term feminicide emanates from the definition of violence against women which is laid down in Article 1 of the Convention of Belém do Pará as follows: any act or conduct, based on gender, which causes death or physical, sexual or psychological harm or suffering to women, whether in the public or the private sphere; whereas the punishment and eradication of feminicide is an obligation and must be a priority for any state based on the rule of law,”
“E. フェミニサイドという用語は、ベレン・ド・パラ条約第1条に規定されている「女性に対する暴力」の定義に由来するものであるが、その定義は次のとおりである。すなわち、性別に基づき、公的領域であるか私的領域であるかを問わず、女性に死または身体的、性的、心理的な危害や苦痛を与えるあらゆる行為または行動である。”
URL:https://www.wikigender.org/wiki/convention-of-belem-do-para/
預託先 米州機構事務局(General Secretariat of Organisation of American States
女性に対する暴力の防止、処罰及び根絶に関する米州条約(通称:ベレン・ド・パラ条約)[1]は、米州機構(OAS)内で締結された国際人権文書であり、米州において女性の権利を保護・擁護するためのメカニズムを確立し、公私を問わず、女性の身体的、性的、心理的な完全性に対する暴力と闘うことを求めている。
この条約は、1994年6月9日にブラジル・パラー州の州都ベレンで開催されたOAS第24回総会で採択され、1995年3月5日に発効しました。2012年8月現在、OAS加盟国35カ国のうち32カ国が批准しています(カナダ、キューバ、アメリカ合衆国の男女共同参画は未加盟)。90年代半ばにベレン・ド・パラの条約が採択され、広く批准されたことは、女性の権利を守るための闘いにおける画期的な出来事です。特に、この条約は半球の人権に関する他のどの条約よりも多くの批准を得ており[2]、女性に対する暴力の問題を具体的に取り上げた歴史上初めての条約です。[3)条約の遵守を監督する機関は、OASの機関である米州人権委員会(IACHR)と米州人権裁判所である。
目次を見る
1 背景
2.2 各国の義務
3 米州における保護の仕組み
3.2 条約の実施をフォローアップするメカニズム(MESECVI
4 参考資料
5 参照
6 外部リンク
7 フィードバック
背景
ベレン・ド・パラ条約は、米州女性委員会(Comisión Interamericana de Mujeres:CIM)によって起草されました。1928年に設立されたCIMは、女性の人権認識を保証するために設立された最初の政府間機関であり、OAS内の各加盟国に代表者を置き、アメリカ大陸における女性の権利とジェンダー平等について議論し、政策を策定する主要なフォーラムとなっている[4][5]。
条約はその前文で、女性に対する暴力は「女性と男性の間の歴史的に不平等な力関係の表れである」と述べ、すべての女性が暴力から自由である権利には、あらゆる形態の差別から自由である権利も含まれると認識しています。これは、女性に対する暴力の問題の深刻さ、女性が歴史的に受けてきた差別との関連性、そして暴力を防止し、罰し、撤廃するための包括的な戦略を採用する必要性について、アメリカ大陸全体で感じられている一様な関心を反映しています[6]。 この条約のもうひとつの注目すべき質は、米州人権システムの他の文書に含まれる規範と創造的に組み合わせることで条約の強度を高めることができるという意味で、国連宣言が提供する領域を超える広範な戦略と執行メカニズムを提供していることです[7]。
実際、2011年に欧州評議会(CoE)で「女性に対する暴力及び家庭内暴力の防止及び対策に関する条約」が採択されるまで[8]、ベレン・ド・パラの条約は、女性に対する暴力の問題を具体的に取り上げた世界で唯一の国際条約でした。
しかし、2004年にアムネスティ・インターナショナルが指摘したように、この条約は女性に対する暴力の根絶に向けた国際的なコミットメントであり、アメリカ大陸で広く批准されているにもかかわらず、条約採択から10年経っても、この地域の女性に対する暴力行為は根絶されたとは言い難い状況にあります[2]。
ベレン・ド・パラ条約の第1章は「定義および適用範囲」と題され、女性に対する暴力を「性別に基づいて、公的領域であるか私的領域であるかを問わず、女性に死または身体的、性的、心理的な危害や苦痛を与える行為または行動」と定義し(第1条)、身体的、性的、心理的な暴力を含むと理解されています(第2条)。保護される権利」と題された第2章では、「すべての女性は、暴力から自由である権利を有する」(第3条)--あらゆる形態の差別から自由であり、女性が劣等感または従属感の概念に基づく固定的な行動様式および社会的・文化的慣行から解放されて評価され、教育を受ける権利を含む(第6条)--、および「地域的および国際的な人権文書に具現化されているすべての人権および自由を承認し、享受し、行使し、および保護する権利」(第4条)を定めています。締約国は、女性に対する暴力が、女性の市民的、政治的、経済的、社会的および文化的権利の自由かつ完全な行使を妨げ、無効にすることを認識する(第5条)。
第3章では、この章のタイトルに沿って、「国家の義務」を概説し、必要な国内法や行政機構の導入に特に重点を置いて、「あらゆる適切な手段により、遅滞なく、このような暴力を防止し、処罰し、根絶するための政策を追求する」ことを締約国の義務としています(第7条)。しかし、それだけではありません。続いて、プログラムを含む「漸進的に具体的な措置を講じる」という締約国の義務の概要と定義が述べられています。
b. 教育プログラムを通じて、男女の社会的・文化的な行動パターンや偏見、男女の劣等感や優越感の考え方に基づく慣習や固定観念を修正すること。
c. 司法行政に携わるすべての人々、特に警察官やその他の法執行官の教育・訓練を促進する。
d. 暴力を受けた女性に対し、シェルター、カウンセリングサービス、被害を受けた子どものケアと保護を含む適切な特別サービスを、公的機関および民間機関を通じて提供すること。
e. 教育を通じて、女性に対する暴力の問題とその救済策に関する認識を促進すること。
f. 暴力を受けた女性が、公的、私的、社会的な生活に完全に参加できるように、効果的な再適応プログラムや訓練プログラムへのアクセスを提供すること。
g. あらゆる形態の女性に対する暴力の根絶に貢献し、女性の尊厳の尊重を強化するために、メディアが適切なガイドラインを作成することを奨励すること。
h. 女性に対する暴力を防止し、処罰し、根絶するための措置の有効性を評価し、必要な変更を策定し、実施するために、女性に対する暴力の原因、結果、頻度に関連する調査および統計その他の関連情報の収集を確保すること。
i. アイデアや経験の交換、および暴力にさらされている女性の保護を目的としたプログラムの実行のための国際協力を促進すること(第8条)。
これらの措置を採用するにあたり、締約国は、特に人種や民族的背景、または移民、難民、避難民としての地位を理由とする女性の暴力に対する脆弱性、および妊娠中に暴力を受けた女性、障害者、未成年者、高齢者、社会経済的に不利な立場にある女性、武力紛争の影響を受けた女性、自由を奪われた女性の脆弱性を特別に考慮することが求められている(第9条)。
米州における保護の仕組み
締約国が条約に基づく義務を確実に果たすために、特定の保護メカニズムが設けられている。すなわち、(1)ベレン・ド・パラの条約自体に見られるメカニズム、(2)2004年に別個の法律によって創設された「条約の実施をフォローアップするメカニズム」(MESECVI)と呼ばれる追加メカニズムです。
ベレン・ド・パラ条約の第4章「米州保護メカニズム」に基づき、各国が条約を採択または批准すると、OASはこの引き受けた義務を、人権の促進と保護に関する2つの活動分野で監督します。1)米州女性委員会(CIM)、2)米州人権委員会(IACHR)と米州人権裁判所で構成される米州システム。
CIMの監督的役割は、2年ごとに発行される定期報告書[9]を通じて、「女性に対する暴力を防止及び禁止するために採用された措置、並びに暴力の影響を受けた女性を支援するために採用された措置、並びにこれらの措置を適用する際に観察されるあらゆる困難、及び女性に対する暴力の要因」(第10条)をCIMに更新する締約国の条約上の義務の結果である。このような報告書に基づいて、CIMは、そのマンデートと目的に沿って、女性の権利とジェンダー平等の分野で政策を策定し、締約国に勧告を行うことができます[10]。
米州システムの監督機能には2つの側面がある。第一に、このような機能は、締約国およびCIMが条約の解釈に関して米州裁判所に勧告的意見を求めることができる限り、米州裁判所の能力の下にある(第11条)。第二に、このような機能は、締約国が条約第7条で定められた義務に違反しているという苦情を受け取り、送信する権限を有する限りにおいて、米州機構の能力に該当する。このような苦情は、OASの1つまたは複数の国で法的に認められた個人、グループ、または非政府組織が提出することができます。「米州人権委員会は、米州人権条約および米州人権委員会の請願書の提出および検討に関する規約および規則によって定められた規範および手続きに従って、かかる主張を検討するものとする」(第12条)。
司法国際法センター(CEJIL)が2006年に発表したポジション・ペーパー[3]によると、条約の発効以来、CIMは条約に基づく締約国の報告書を受け取っていたが、限られた資源、報告書に関する十分な議論の欠如、報告書の独立した検証と詳細な評価の不実施などの理由により、条約から生じる国家の義務に対するフォローアップの影響は制限されていたという。この論文では、ベレン・ド・パラ条約の採択は、IACHRの機能に属する苦情処理手続きに関しても、最初の10年間でIACHRに提出された事例の数が限られていたこと、IACHR事務局長のリソース不足、米州システム機関の構成などの理由から、期待されたほどの影響を与えなかったと述べている。以上のことから、CIMとIACHRは、その任務を遂行し、ベレン・ド・パラの条約を批准した多数のOAS諸国が引き受けた公約の実現に貢献する上で、大きな困難を抱えていました。
このことは、条約発効後5年以内にCIMが調査を行い、条約の目的が達成されていないことが明らかになったことから[11]、ベレン・ド・パラ条約のフォローアップ・メカニズムの設立に必要な措置を講じることが委任された。
条約の実施をフォローアップするためのメカニズム(MESECVI
2004年10月26日、OAS事務総長が締約国会議を招集した際に、ベレン・ド・パラ条約実施フォローアップ機構(MESECVI)の規約が承認されました[12]。 MESECVIは、条約の目的達成に向けた進捗状況を検証するための、独立したコンセンサスベースのシステムです。MESECVIは、条約の地域への影響、女性に対する暴力の防止・処罰・根絶における締約国の成果、関連する公共政策の実施における既存の課題を検証するために、条約の締約国と専門家委員会(CEVI)との間で経験や技術協力を交換する場を通じて、体系的かつ継続的な評価を行うための方法論を提供しています[13]。”
↑のベレン・ド・パラ条約は”女性に対する暴力”の定義であって、フェミサイドの定義ではない。
また、”Official Journal of the European Union/ISSN 1725-2423/C 227 E/Volume 51 4 September 2008/149page/E.”はフェミサイドの定義を説明しているのではなく、ベレン・ド・パラ条約第1条を引用して”女性に対する暴力”にフェミサイドも含まれるということを書いている。
さらに、”Official Journal of the European Union/ISSN 1725-2423/C 227 E/Volume 51 4 September 2008”の中でもフェミニサイドとされているのは女性の殺人事件のみである
いる。
自分にとって、小中高と学校のテストは高得点を叩き出すゲームのような感覚であった。
それに加えて、アスペルガー気味の過集中と数字に対する執着がマッチして、常にトップクラスのスピードを有していた。
スピードというのは例えば、夏休みの宿題のドリルを初日の数時間で全部片付けたり、制限時間50分のテストを10分で解いてしまう、といった具合であった。
そういう意味では、詰め込み型の学習においては他人よりは優れた素質を有していたと思う。
放任+過保護のミックスであり、ものだけを与えて何も教えてもらうことはなかった。
家事の手伝いも全くしていなかった。そもそも、するように教えられておらず、掃除や洗濯、洗い物などを手伝うという概念が頭の中になかった。
後になって思い返してみると、教育というよりは養育であったように思える。
父から教えてもらったことは「風呂に早く入れ」ということくらいであり、歯磨きの方法も教わらなかった。性教育も一切なかった。
歯は虫歯だらけであり、社会人になって歯医者に通い詰めてようやく定期検診のみで済むようになった。
歯並びも激烈に悪かったので、こちらも社会人になって全て自腹で歯列矯正した。
歯だけでも200万円くらい投資している。両親は甲斐性なしなので金を出せとは言わないが、歯のケアくらいは教えて欲しかったと思う。
家庭が万事そのような調子であったので、テストの点は取れるが全くもって世間知らずの人間ができ上がった。
高校入学頃から人間関係に失敗(自滅)し、大学でも空気のような存在であったように思う。
結局社会に出て必要なことはほぼ全て就職してから学んだ。就職してすぐはすぐは報連相さえろくにできなかった。
途中転勤があり実家から離れて暮らすことになったが、家事が全くできなかったため、部屋が散らかり放題となり、誰も家に呼ぶことができなかった。
数年がかりで色々体得して、なんとか部屋の綺麗さを維持することができるようになった。
高校〜大学〜社会人の数年の間、主観的には苦しみ続けたのだが、それは両親の教育能力のなさによるものだと考えている。
もう少しでも社会に出ても困らないような何かを学ぶことができれば、その間の苦しみも軽減できたかもしれないし、
就職してからのスタートダッシュもできたのかもしれない、と思う。
竹田恒泰さん、二審も敗訴 「差別主義者」ツイートは名誉毀損にあらず「公正な論評」
https://news.yahoo.co.jp/articles/60913911deb09052f7ff16bf32a98d844fdc2524
このニュース記事について思うところがあったので投稿してみます。
ざっと関連ニュースをネットで検索した程度の知識ですが、この裁判にかかる大まかな流れは、
・2019年、富山県朝日町の教育委員会が竹田恒泰氏を講師とした講演会を計画
・山崎雅弘氏が「(竹田氏は)教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者」などのツイート。講演会は中止へ。
…というもの。
引っかかったのは、<差別主義者だ>とのツイートを、裁判所が<公正な論評>としたところ。
竹田恒泰氏が、これまでに「差別的と捉えうる発言をしていた」ことは否めないかと思いますが、それをもって「氏は差別主義者である」と断じること、そしてそれを裁判所が「公正である」と判断することは、果たして適切なのか。
今回の一連の流れは、「竹田氏は差別主義者であると裁判所が公式に認定した」と捉えられかねず、実際ツイッターではそうした内容のツイートが散見されます。
裁判所が、個人がとった「言動」について、法律に照らして是か非かを言うのはわかりますが、その個人の「性質」について言及するのは、司法の取り扱う範疇を超えているのではと思い、とても引っかかったのですが、どうなんでしょう。
例えば、「人を殴って怪我させたから傷害罪」というのはわかります。しかし「だからこの人は危険人物」と裁判所が論じたとしたら、それは言い過ぎなのではないでしょうか。
ニュース記事からはそう読み取れるというだけで、実際の判決文ではそのあたりの妙もちゃんとケアした内容で書かれているのかもしれませんが、どうにも気になったので投稿してみました。