はてなキーワード: 間抜けとは
お昼ご飯はだいたい一人になりたいから、
増田のこともやらなくちゃいけないし
で、だいたい一人なんだけど。
昨日は、ばったり出る間際で先輩と鉢合わせになっちゃったので、
お昼一緒に行きましょうって誘われたの。
それで、連れてってもらった定食屋さん、
「あんた、なに全部取ってんのバカじゃないの、好きなものだけ選んで取ればいいのよ」
「あ、そうなんですね!好きなやつだけ取るタイプの定食屋さんなんですね」
と、先輩と一緒で緊張しちゃってて間抜けなことをしてしまったわ。
でも、初めて行くラーメン屋さんとかで
食券式なのを知らなくて気が付かないで
店員さんに「食券買って下さい!」って
ちょっとキレ気味で言われるのって凹むわよね。
とほほ。
ミニトマトは切って入れてね。
あと、やっぱりブルーベリーって
いや、出てないかも!
うーん。
あれは飾り的なものかもね。
と、いまさら。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
『英語なんか話せないけど海外行って勢いとジェスチャーで何とかなった』
『言葉が違っても心は通じ合う』
みたいなのさ、何なの?
だいたいそれ心が通じてるんじゃないからね?
アホな日本人が間抜けなジェスチャーしてるのを優しい現地の人がお情けで汲み取ってくれてるだけだからね?
『英語なんか赤点だったけど意外となんとかなったわ笑』みたいなのもメチャクチャだせえわ。
なんとかなってんじゃねえんだよ。
なんとかして頂いてんだよ、現地の人に。
特に中学英語なんか普通に授業聞いてれば全員が100点取れるようにできてるわけだし
全員が英語教室のCMみたいにベラベラ喋れるようになれって言ってんじゃないよ。
『水を一杯ください』とか『バス停はどこですか』とか
教育を全員が受けてることを忘れてない?
あと『言葉は単なるツール』っていうのはサバイバル英語以上の語学力を
持つ人が実感を込めて言ってこそのフレーズだし、
『言葉が違っても心は通じ合う』も決してこの文脈で使われる言葉じゃなくて
母語の異なる者同士で建設的なコミュニケーションが可能な状況で
言われて初めて重みを持つフレーズなんじゃないの?
この英語への徹底された不信と蔑みは何なの?
どうして素直に「英語ができたらもっと楽しかったんだろうなあ」って言えないの?
実際に言葉がなくても気持ちがわかるケースもあるのは認めるけど
そういうことじゃなくてさ、
観光地の観光客向けのレストランで身振り手振りで無理やり注文して
食べたいものと違うのが出てきてこれもご愛敬♪とか言って虚しくないの?
それでいいの?
アホか
少し優しくされただけで善人と思い込むなど、相変わらずの間抜けぶりだな!
映画「進撃の巨人」見てきました。監督は「平成ガメラ」の特撮監督である樋口監督、脚本は「あの」町山智浩さん、ってことで、かなり期待して見に行ったんですが…
脚本というか、話は突っ込みどころ満載で、正直、調査兵団が間抜けの集団にしか見えない描写が多々あって、かなりキツかったです。
映画では、原作以上にエレンは「ミカサ!ミカサ!」とミカサに夢中です。たとえば、兵士がミカサの肩を掴んだだけで「ミカサに触れるなぁ(# ゚Д゚)!!(マジギレ)」と殴りかかるくらいミカサに執着してるんですね。
でも、「なぜエレンがミカサにこんな恋心を抱いているのか?」が劇中で全くといっていいほど描かれていないし、二人が絆を深めるシーンもないので、エレンが「可愛い幼なじみに盛っている思春期の童貞」にしか見えてなくて(実際にエレンは童貞設定だと思いますが)。
原作では、「共に人殺しをしている」という特別な関係があるから、ミカサとエレンの関係は特別なものになっていますが、映画ではそれをパージしています。パージする事自体は悪いことではないと思うのですが、「人殺し」にかわる何かの要素を入れないと、「何でこんなに執着しているのか?」がわからず、単に盛っている思春期にしか見えなくて、かなり残念な感じになっています。
エレンのミカサへの恋心はかなりしつこく描写されるんですね。でも、第一回目の巨人の襲撃でエレンと生き別れになった後、ミカサは、立体機動を教えてくれたシキシマ隊長(映画オリジナルキャラクター)と出来てしまっていて。
で、シキシマ隊長がエレンに見せつけるように、自分のかじったリンゴを「お前も食べるか?うまいぞ」とミカサに差し出して、ミカサもリンゴをかじるんですね。その間接キッスを見たエレンは「うわぁあああああああああああ!」と発狂。いや、お前は童貞か!調査兵団の仲間が巨人に踊り食いされてもそれなりに落ち着いていたのに、間接キッスで発狂する男、エレン。この男、童貞である。
で、このNTRシーンがその後のシーンのカタルシスにつながるなら、ありだと思うんですよ。でも、全くつながってきません。正直、まるまるなかったとしても話は通ります。
主人公を成長させるために主人公を精神的に追い込むのは、少年漫画ではよくある手法ですが、NTRで追い込んでも仕方ないだろ!個人的には、NTRてズタボロになった男が自分の使命に目覚める話、大好きなんですけど、それは日常劇の話で、進撃の巨人みたいな話でそれをやられても「人が死んでんねんで!」としか思えません。
脚本家の町山智浩さんは、早稲田大学時代に、彼女をサークルの先輩に寝取られた経験があるそうで、podcastでも何度も語っていたんですが、それが関係しているんでしょうか。
失意のエレン君。でも、すぐに調査兵団のシングルマザーのキャラクターが「あら、意外と子供なのね♡」「歳上は嫌い?」と迫ってきて、おっぱいを揉ませてくれます(この間、実に3分)
エレン君もなし崩しにおっぱいをもんでしまう。いや、緊張感ゼロか!人が死んでんねんで!
まず、このシングルマザーのキャラクターとエレン君の関係がそれまで全く描かれていないので、「歳上は嫌い?」と迫ってくるのが、かなり唐突です。なんですかね、巨人が襲ってくる未来では、人類全員発情してるんでしょうか、そのくらいの盛りっぷり。
で、誘われるままにおっぱいを揉もうとすると、そこで巨人襲来。シングルマザーは服をはだけたまま踊り食いされてしまう。もうね、調査兵団が油断しまくりの間抜け集団にしか見えないんですよ。
原作でも描かれていた「爆薬で開いてしまった穴を塞ぐ作戦」が映画の中でも実行されます。で、その爆弾は「人類最後の爆弾」とされていて、これがなくなると、永遠に穴をふさげなくなるってしろものです。
けれど、その爆弾を積んだ車を謎の覆面男(非武装)にアッサリ奪われてしまう。なぜ奪われたかって?兵士が誰も車にのっていないから!セキュリティどうなってんだよ!真面目に仕事しろよ
覆面男に車を奪われたことがキッカケで作戦を失敗してしまうんですけど、なんていうんですかね「詰めが甘いってレベルじゃない」ので、正直、見るのが馬鹿らしくなりました。
序盤の巨人襲撃でミカサとエレンは生き別れになってしまうんですね。で、再開すると、ミカサはエレンにそっけない態度をとる。
あと、脚本の問題をいうと、ところどころのシーンが死ぬほどダサい問題があります。
たとえば、壁に囲われたつかのまの平和に辟易しているエレン君が不発弾を何度も蹴り飛ばすシーンがあって。そこで、最後に不発弾を見てエレン君が「俺もこいつと一緒だ…」って言うんですね。いや、それ口で言わなくてもわかるよ!口で説明しなくても、意味ありげに不発弾にあたりちらす、現状に不満を抱えた男がいれば「俺もこいつと一緒だな」なんて言わなくていいから。こういう「説明過剰」の脚本を町山智浩さんは何度も批判してきたと思うんですが、忘れちゃったんでしょうか。
あと、悶絶したのがミカサとシキシマ隊長がリンゴを食べるシーン。シキシマ隊長はサタンを意識していると町山智浩さんがおっしゃっていたので、ミカサにリンゴをすすめるシーンは「エデンズアップル」のメタファーでしょう。(町山智浩さんは失楽園の構造で物語を語るのが大好きだから)
いやさぁ…いまどきリンゴを「エデンズアップル」のメタファーとして描くって、ダサすぎるよ!手垢つきすぎて垢太郎をつくりだせるくらいじゃないですか。そこをドヤ顔でリンゴをシャキッと噛むカメラ目線のシキシマ隊長が出てくるもんだから、もう悶絶ですよ。
事前にアナウンスされたように、原作とは「壁に囲まれていて、巨人が襲ってくる」「キャラクターの名前」くらいしか一致していないので、原作の「あのミカサ」「あのアルミン」を見たい人は、本当に行かない方がいいです。
エレンが巨人に変身できる理由などの重要設定も、原作とは大分変わっていて、原作真理教の人は「原作とちがう!」のラッシュで憤死すること確定なので、「巨人が出てくる映画」として見ることができない人は見ない方がいいと思います。
で、色々と突っ込んできたんですけど、上のようなことなんて、全部どうでもいいことなんですよ。リアリティの詰将棋をやっても映画が面白くなるわけじゃないし、矛盾がなければいい映画かっていうと違う。
突っ込みどころがあっても人の心を掴む映画はいくらでもある。たとえば、ブルース・リーのドラゴンシリーズなんて、映画としての出来はイマイチだけど、ブルース・リーのアクション一発で、世界中の男子の心を掴んだわけじゃないですか。
だから、どんなに突っ込みどころがあっても、映画としての「抜きどころ」があればOKなんですよね。
じゃあ、この映画の抜きどころはどこか?もちろん、「巨人の人間踊り食い」「立体機動装置のアクションシーン」「エレン巨人vsモブ巨人」じゃないですか。
この3つがよくできていれば、エレン君が嫉妬深い童貞野郎でも、調査兵団が職務中に乳繰り合う間抜け集団でも、何でもいいんですよ。この3つがよくできていれば。じゃあ、この3つはどうだったか?
序盤のシーンで、人類の築いた壁が超大型巨人によって破壊されて、その穴から、巨人が侵入してきて、人類が踊り食いされます。
進撃の巨人といえば、このシーンですよね。このシーンはかなり頑張っていた
特撮とCGを上手く融合させた巨人のビジュアルは、原作の巨人が持っていた「妙なゆがみ」をしっかり再現できていて。人間ではあるんだけど、人間の理とは違う生き物である巨人の不気味さを、実在感を持って表現できていて、心を掴まれました。
あと、踊り食いですね。PG12指定なので、残酷表現には限界があるかな‥と思っていたんですが、しっかりグロをやりきっている。人間が噛みちぎられたり、引きちぎられる、原作の絶望感が映像でも再現されていて、持ってかれます。血もバンバン出るし、身体もバンバンちぎられるので、オジサン、大満足!
みんなだいすき、立体機動装置アクション。これはどうだったか?
個人的には「かなり残念」だと思いました。なんていうんですかね、「巨人のCGを背景にワイヤーで移動しています」感が凄くて、実存感や浮遊感が足りないというか。
製作陣は「スパイダーマン」の飛翔アクションくらいのクオリティを意識したそうですが、映画「スパイダーマン」の跳躍シーンほどの、躍動感、スピード感、開放感は全然ないです。
CG合成が上手くないのか、背景から動きが浮いていて、スパイダーマンのような「市街地を蜘蛛の糸でかけめぐってる!」ってリアリティが全然伝わってきませんでした。なんだろう、「ツィーーーー」と移動している感じ。
もちろん、邦画としては頑張っている方なんでしょうけど、満足のいくものでは到底ないと思います。
でもね、でもね、これだけDisってきて、僕がこの映画を嫌いになれないのは、ちゃんと抜きどころがあるからなんですよ。
この映画も原作のように、エレン君がハイパー巨人化してモブ巨人を駆逐するシーンがラストにあるんですが、このシーンが最高で。さすが平成ガメラの樋口監督、素晴らしい仕事ぶり。
エレン巨人も他の巨人も特撮中心に使ってとってあるので、「存在感」「重量感」がある。ここを安いCGだけでやってしまうと、どうしても「ペラい感じ」「ゲームのムービー感」が出ちゃうんですけど、特撮なので、パンチやキックの重み、衝撃がスクリーンを通じてビシビシ伝わってくる。
かつ、最新の編集技術で、とろくなりがちな特撮バトルがスピーディーになっているし、血しぶきのエフェクトもクール。それまでのイライラが溜まっていた分、「やれ!駆逐しろ!」とアドレナリンどくどくですよ。
重みだけでなく、スタイリッシュさもあわせもつこのシーンは、新しい和製怪獣映画の名シーンとして、平成ガメラの渋谷崩壊レベルには語り継がれるくらいの出来だと思います。ラストの怪獣映画としての出来はすさまじいので、特撮映画ファンなら絶対に劇場に足を運ぶべき。
たぶん、これから進撃の巨人について、「突っ込みどころ満載!」とか「原作崩壊!」みたいなレビューがわんさかあがってくると思うんですよ。でも、それで「ふーんクソ映画なんだ(鼻ホジホジ」とわかった気になるのは、人として本当にダサいし、やめた方がいいと思う。
あのな、オレは1800円払って見たから文句言ってんだ。貶してんだ。1800円も払わずに、ネットのレビューだけ見て、見た気になってこの映画を貶す奴は俺がぶっ殺す。あと、こういう特撮映画をDVDで見て「なんか迫力いまいちだったね」とか言う奴も俺がぶっ殺す。
進撃の巨人は若い人なら誰でも知っている超人気作品だし、「意外と健闘してた」でも「クソ映画だった」でも話のネタにはなるし、議論できるので、それだけでも劇場に見に行く価値はあると思います。ぜひ、劇場に足を運んでみてください。
二、三ページ読んで「あ、駄目……」と思った。
古い文豪を気取ってむやみに堅苦しい文を書いている又吉は見込みが無い。
太宰に影響を受けたというなら、そんなコスプレ文体を頑張るより、
読み手の生まれ育ちによって解釈がきれいに二分される騙し絵的な表現に挑んだらどうだ。
読まずに叩くなという意見があるが、読まずに叩いてもいいんだよ。
芥川賞は長らく有名無実のままであり、候補作がどれも低級なのは自明のこと。
わざわざ読む必要は無いし、読まなければわからないのはただの間抜け。
芥川賞の長所といえば無名の新人作家を売り出してあげられることぐらいだが、
又吉はお金と知名度に恵まれた芸能人でありながら、インテリの箔を得るために
あの謝罪を見てブチ切れてたおっさんたちも、よくよく見りゃかわいい服着てるしおじさん応援しちゃうぞー☆となるのは間違いないよ!
教養ある記事書けないくせに、他人に対してはバカバカ連呼してるけど、本当に教養のある人からすりゃどっちもどっちだわバーカ。
ということで、今回もかわいい服着た女の子が正義!ってことでかいさーん
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追記:関係ないけど、日本経済ガーのおっさんたちは経済学でも学んできたのかな?消費が良くなりゃ経済が良くなる!と盲目的に連呼してるけど、制約や基礎的消費ーそれ以外の消費といった概念や、不要なものへの消費は間違ったシグナルを与え社会的費用を上昇させ資源や財の分配を阻害するという思考すら理解してないよね?笑
いい年してネットで見かけた言説を丸呑みしてそのまま吐き出した脳みそ腐ったマヌケにしか見えないんですが笑
さらに、個人の経済行動は自由でありインセンティブによって変容させるのが経済政策のあり方なので、お前の思想なんか知らないけど消費しろ!なんて言うバカはじゃあお前が破産するまで消費しろよお前の思想なんか知らんから自分でやってろバカと返されて終わりだということも理解できないんだろうな
そして、マヌケの言うことを鵜呑みにしてあれが正しいと思考停止してるのって恥ずかしくないのかな。教養がどうこう言ってるクソ間抜けどもは自分の脳みそを省みるほうがいいんじゃないのかな?本気で書いてるのか?とか頭悪そうとか思わせぶりなコメントつけるだけで反論できない自分の認知不協和を解消するだけの脳みそ腐ったマヌケばっかりなんだよなぁ。バカはまだ許せるけど調子に乗ってるバカほど惨めなものはないぞ☆
http://kyoumoe.hatenablog.com/entries/2015/07/12
どっちも教養ない→そのうちの教養がどうこう言ってる側は間抜け
つまり教養がないのに教養がどうこう言ってる連中のことを指してるので的ハズレもいいとこ。
ちなみにおまえのファンなんだけどよ、いつもより切れ味わるかったなぁおい。
ちょっぴりおしゃんてぃーなわかいねえちゃん見つけてうれしくなってんのはおまえじゃねぇのかおい。
かわいいとちょっぴり褒めるとすぐエロまで飛躍させる発想、それはおまえの願望の現れだろう。
原作が人気作なので期待
描画が丁寧で引き込まれる
話の流れもいい
出だしがすごく興味を引かれる話の作り方でおもしろそう
安定
良くも悪くもにじみ出るノイタミナ感
なんかいい
展開がイライラする
よくある日常モノでどうということはない
光が眩しい
当たると思ってるのだろうか
痛々しい
1期に3話くらいで切ったのでそれっきり
1期から興味湧かなかったのでそのまま
神話の怪物には、手の付けられない強さの一方、けっこう間抜けな弱点が設定されている事が多い。
ゲームに始まった話ではないのだ。
推理小説の売れる条件のひとつが、「間抜けなアシスタントがいること」らしい
推理ものの主人公は超絶頭が切れるという設定でないといけないが、それだけしかいないと読者は同じ目線でストーリーに入り込めないんだと
そこにちょっと間抜けなアシスタントみたいな別の登場人物がいると、的はずれな推理をしたときに「なわけねーじゃんばーか」とつっこみながら自分でもものを考えて読める
情報の受けっぱなしじゃなくて自分でも考えながら話を読むので、最後の主人公による謎解きの意外性がきいてくるというしくみ
で、考えたんだけど平凡ハーレムものの主人公のさえなさってのも同じようなもので
間抜けだったり取り柄がなかったりすることで、読者が自然に「こいつより俺のが勝ってんな」と思うんで
「そこはそうじゃねーだろばーか」と思いながら話に入っていくことができる
娯楽もののフィクションなんて読んだあとにいかに気持ちよくなれるかが話のできを決めるんだから
リアリティがあるかじゃなくて読者が妄想しやすい環境を提供できるかってことなんじゃね?と思うわけ
まあハーレムものとかにリアリティを求めてる時点で、「さえない俺がもっと自然に入れる妄想環境つくりやがれ」って意思表示だと思うし
普通のラノベ読者なんて根拠なくても自己評価の高い俺がモテるのが当然と思ってるから、リアリティなんてなくてもモテ妄想余裕よ
クロ現のアパート建築詐欺まがい営業の記事「バブルを忘れたのか」というちょっと間抜けなブコメに☆が集まってるけど
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3648_all.html
この問題の元は、「業者の甘言に騙されたバブルの夢を見る農民」なんていう上から目線の話じゃなくて、相続税と農業の後継者不足という構造的な話。
今年から相続税の基礎控除が下がって、課税対象者が今までの倍ぐらい(4~5%→10~15%)に増えると言われてる。
この税改正が発表されたのが3年前なので、このタイミングを狙ってハウスメーカーが、農協に営業攻勢をかけてたんだよ。
サブリースの契約条件改定は多くの業者が2~3年時点なので、表面化してきたんがちょうど今ごろ、ということだろう。
相続税が増税されて、休耕地を持ってる農家とか相続税払えなくなる人が増えるのではと言われてる。
子供が後を継ぐなら考える必要が無い。相続税や固定資産税を免除される特例があるから。
でも都市近郊農家、クロ現では埼玉の羽生市が例に出てるが、こういう都市近郊の農家は、子供の世代は営農する気が無い、
休耕地は増える、かといって土地の買い手はいない、賃貸市場が全くゼロとはいえない、相続税がかかったとしても、地面はあるけど金はない。という状態になりやすい。
それこそバブルの頃は、お上も土地の価値を高く見てたから「物納」といって土地を税金にしちゃうことができたが、それももう10年以上前から出来なくなってる。
なので、休耕地があって営農継続しにくい家は、トーチャンが死んだら相続税で資金繰りがマイナスになっちゃう可能性がある。
一方、近郊都市の農協は、営農事業者の組合員がどんどん減ってるんで、トラクター買う金を貸す先が減ってる。
まともに機能してるJAなら、新規営農者の受け入れを模索したりしてるが、都市近郊にそんな「まとも」な職員は来ない。
元々農業としては効率がよくない場所(都市部に近いほど、農業収入と土地の価値からくる収入が拮抗しやすい)ならなおさら。
で、金貸し先を探してる農協が、上の相続税の件に目を付けて、年寄りで後継者がいない組合員のところにハウスメーカーの営業を差し向けるんだよ。
ブコメにも出てきてる業者はこういう農家を集めて、ハウスメーカーと農協主催の「農地転用事例視察」という名目の接待旅行、コンパニオン宴会ツアーをやったりしてる。
農家って別に馬鹿じゃないから、ポッと出のその辺の都市銀行の営業が連れてきたハウスメーカーの言うことなんて聞かないけど、
なんで農協は農業じゃない事業にも無理やり金貸そうとしてんの、とか、なんで都市近郊農家は後継ぎに苦労するんだ、とか
もちろん、そういう個々の問題は当然あるんだが、一方で、「バブルの夢を見て騙されやがった」「業者は詐欺みたいなもんだな」という
関係ない外野の上から目線の批判話だけで切り捨てにくい、社会構造上の問題でもある。
ブコメなんていつだって外野の上から目線ではあるんだが、そうやって業者や騙された人を小馬鹿にしてるようなブコメに☆が付いてるのが、腹が立つ。
その事象の裏を類推する脳みそもないくせによくもまぁ上から目線で言えるもんだ。恥ずかしくないんか。
実は、相続税を上げて納税者を倍に増やしたところで、税収アップに与える影響はビックリするほど軽微だ。
この辺はシンクタンクや大手税理士事務所なんか試算してたのでググれば色んな数字が出てくるが、どれも、大した税収効果はないという結論は一緒。
むしろ、中小企業(町工場)とか都市近郊農家(上の例)が、増税対象者になりやすいので実体経済に悪影響という点では消費増税と変わらないという危惧も言われていた。
バブルがはじけて20年以上たったとはいえ、相続税の対象になる程度の人の(上場企業の事業創業者とかを除く)大多数の人は、総資産に占める土地の比率がとても高い。
そしてその人たちの多くは、土地がないと仕事が続けられない・生活ができない人たちだし、その土地で働いている人以外にとっては、別に金出して買いたいとは思えない程度の土地でもある。
こういうデメリットも想定されるうえに、税収効果もない相続税を増税したのかといえば、消費税増税とのバーター取引というか、庶民の批判の矛先をかたちだけでも納めさせるため。
ちょっとまともな人なら、相続増税に関わる問題を指摘する人もいたが、ほとんどの人は相続税なんて庶民には関係ない、だから上がればいいざまーねえやと思ってただろう。
繰り返すが、これは、ハウスメーカーは詐欺師だとか、馬鹿がバブルの夢を見て騙されたという「だけ」の話じゃない。
もちろん、詐欺師のようなハウスメーカーの営業は少なくない、が、バブルの夢を見てる馬鹿は、ほとんど存在しないよ。そこまでの馬鹿はもう、ほぼ絶滅してる。
メディアは広告主には批判しないからなとか、薄ら間抜けのしたり顔ブコメだけど、CMに安心して騙されて、という要素より、
農協が薦めるからとか、ご近所の農家仲間も良いって言うから、という、これも構造的な問題の方がずっと大きい。
20代の頃から落ち着きたくて仕方がないアラフォーのオッサンが女関連でしくじった、そんなつまらない話。
見た目だけは雰囲気イケメンと言われるが中身はコミュ障、「誠実」といえば聞こえはいいが実態はいい歳こいて未だに直球勝負しか取り柄のない、馬鹿正直でしかない。
そんな俺がこのGW、またしてもコクって断られたと。
相手はちょい年下。
数年前に趣味の集まりで出会い、以来時々2人で遊んだり、最近はLINEで楽しく盛り上がっていたのだが・・・
結婚を前提にと俺が切り出した次の瞬間、彼女から言われた言葉を、俺は一生忘れないだろう。
「えっ!?来ると思わなかった」
明らかにここから逃げ出したいオーラ全開のまま、更に彼女の言葉は続く。
「増田さんとは何回か2人で遊んだけど、別にそれだけで、単なる友達だと思ってたし・・・」
「私も家で親から色々言われるし、だから増田さんが結婚焦るのも分かるよ」
ここまで聞いて「そんな事当たり前じゃないか!」と言ってやりたくなったけど、グッとこらえて
「わかった、わかったさっきのナシ!そしたら今までどおり友達としてやってくって事で」
と収めた。そうするしか無かった。脈無さ過ぎにも程があるだろ。
ちなみに彼女は来られることに慣れてないわけじゃなく、この間まで別の男と付き合ってた(そういう雰囲気を察せなかった間抜けな俺は確実にコミュ障)という話をされる展開に。
例によってその男は最初会った時からすごく感じが良くて、押しが強くて「それで来るだろうなーと思ったら来た」と。
まあ喧嘩もいっぱいしたとか言ってたっけ。
こんな話をされるとか、墓穴掘った感じである。
「増田さんはすごく話し易いんだよ、同じサークルの○○さんには話せないかなってことでも、増田さんには話せる」
と言ってきたが、それでなおかつ友達のままでいましょうというのは、正直な話
「あんたは都合のいい男だったよ」
と言っているようにしか聞こえないわけで。
以下は完全な愚痴。
コミュ障な俺の交際経験なんてそれこそ毛が生えた程度でしかないのだが、そうした経験から導き出される、俺の一番コミュ障な部分は「好きになった女をその気にさせられない」ことに尽きる。
要するにデートでも日常会話でもいいけど「お前は俺にとって友達以上の存在なんだぜ」という、良い意味でエッチなメッセージを、ドン引きしない塩梅で、相手に合わせて伝えていくということが、そういう「イケてる言動」が破滅的にできない。
つまり恋が始まった所で、どこまで行っても独り善がりの一方通行であり、間違っても想いを交わす、或いはお互いが想いを交わしたと勘違いするレベルには至らない。
一応、一回だけ上手く行ったことはあるけど、ほどなくしてその女は他の男に寝取られ、後処理で死ぬ思いをした。
そんな事もあり、恋愛が全く綺麗じゃないものというのは心底理解しているつもりだが、更に俺の場合、恋愛というのは得られるモノ以上に負担が大きすぎて、気持ち的に辛さしか残らない。
というわけで、俺にとっての結婚は完全に相性の問題、世間でいうところの「ご縁」、もう少し科学的な言い方をするなら「確率の問題」になってしまう。
そこでは恋愛感情や、ましてやキスやセックスなど、かなり優先順位が低くなる。
それくらい割り切らないと、多分俺は一生結婚できそうにないから。
それに、くっついた後で芽生える想いは必ずあると思うし。
そう考えるとお見合いっていいよな、独力で女をハントするのに比べたら殆ど据え膳上げ膳だもんな。
俺はもう少し独力で頑張ってみるけど。
とにかく、今後は紳士的に会話をした結果のフィーリングとか、第三者の「増田と△△さんは合いそうだよー」とか、万に一つではあるが相手から近づいてきたりとか、そういう数少ないチャンスを狙う方向で行こうと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150429005010
アニメーターが貧乏なのはアニメ市場に金が入り込まないから。その理由は機械との競争が現実化しつつあるから。
言うまでもなくこの機械とはインターネットとモバイルのことだ。AIではない。
インターネット上には、表現したい欲求を持つ誰かによる無償のコンテンツで常に溢れかえっているし、
モバイルにはフリーミアムな見かけ上は無償のコンテンツが溢れかえっている。
アニメの市場が拡大しないのは、こうした無償のコンテンツと競い合うはめになっているから。
そしてアニメーターの低賃金は、無償のコンテンツの供給過多によるデフレーションによるものだから。追い打ちとしてグローバル化にともなう賃金の均衡化もある。
これはインターネットの性質からすると必然であり、対岸の火事と思っているおまえらの食い扶持だっていつこうなるかわからない。
これにやがてAIによって自動生成されたコンテンツが加わる事になる。
そしてそれらはコピーされフォークされ低コストにあるいは自動的に改変され情報生産コストは限りなくゼロコストに近づいていく。
kawangoはコンテンツは出し惜しみしろと言ったが、人間の欲求(消費したい/表現したい)がこれを許さない。
コピーや改変によって無償の富が溢れかえるのはインターネットの本質なので、アニメ業界を潰せみたいな考えを推し進めると
やがて情報に関わる全ての市場は無償の富か自動化されたシステムに代替されていくんだろうし、CGMをうながす機械やコンテンツを生成する機械を専有する資本家や事業者が富を独占するんだろう。
というか市場というもの自体が一種の人工的なシステム(機械)なので、我々はもうシステムを制御しきれず支配されて駆逐されつつあるといっても良いんではないだろうか。
その胎動みたいなのが、アニメーターみたいなコンテンツ生産者の貧困なんだと思う。
言えるのは、労働法のようなルールは、テクノロジ由来のこの動きに比べ動作が遅すぎるので無力だし、ナイーブに市場原理に任せて潰せはディストピアまっしぐらなので間抜けだということ。
やるべきことは、自動化されすぎた世界における富の分配というグランドデザインを早急に議論し検証し実装することなんだと思う。
そうしないと強いAIなんかが現れるよりずっと前に、世界は貧乏人で溢れかえるだろうし(すでにニートは6億人くらいいる)、貧乏人の中から出現するinsaneな人々が暴れまわる暴力の時代が出現すんだろうね。
久谷女子って、パブリックイメージが、どちらかと言うと知的とか洗練の方面にポジショニングされてたようだけど
今回の件で、下衆さや、社会性のなさ、実際の処理能力の低さあたりが露呈された。
メンバーも読者もそういうパブリックイメージにプライドがずいぶんおありで、大切だったんだろうけど、
結局あんまりレベルが高いわけじゃなかった人の化けの皮が剥がれただけだったのかもね、
なんかこの増田読んで思った。
この増田が、メンバーや関係当事者の誰かだったとしても、シンパだったとしても、どっちにしてもイタすぎる。
私は、下衆な内容満載の同人誌を買う趣味はないので、増田を一旦信用してこの増田の引用を正しいものとして扱ったうえで色々突っ込むけども。
1 名誉棄損とは
その後に別のホテルに行ったとか行ってないとか、そういうことは一切書いていない。
その前の引用文を読むと、メメがデリヘル嬢に見えたからホテルに入れなかった、と解釈できるけど、
この内容では、セックスしたかどうかの事実認定よりもむしろ名誉棄損の対象になるよ。
普通のホテルは、予約人数以上の人を客室内に入れるのを目撃したら止めるのは社会通念上も当たり前だし宿泊約款にも書いてある。
連れて行った女がデリヘル嬢に見えようが深層の令嬢に見えようが変わらない。
だから、デリヘル嬢という形容詞自体が「ホテルに連れ込めなかった」という内容"だけ"を伝えるには不要であるし、
その表現がなければ伝えられないことがあるとしたら、「メメは風俗嬢」と執筆者が言いたかったということになる。
なので、このくだり自体が、すべてまるっと名誉棄損として扱えるし、執筆者だけじゃなくて編集者も当然責任を負うべきだよ。
2 内容証明について
内容証明とは郵便局が行っているサービスで、法的な拘束力などは何もない。久谷女子はメールを読んで返事をしているのだから、内容証明郵便で同じ内容のものを送られても意味がない。何がどう気の毒なのか。女性が内容証明を理解してないことが気の毒なのか。訴状と内容証明を混同しているものと思われる。
民民で名誉棄損についての対応について交渉を行いたい、でも相手が面会してくれない、住所等の連絡先も開示されていない、という状況な訳だから、
「相手に到着していることが送付者が把握できる」という内容証明の機能は、メールでは補完できないよ。
BtoBの取引で、メール文面のやりとりが法的拘束力を持つことはもちろんあるけれど、双方が「メールにて取引成立でオッケーです」と合意している場合や既に取引実績がある場合が一般的だよ。
そうじゃなきゃ、しょっちゅうくるスパムメールの謎の金銭請求がすべて拘束力を持つことになってしまう。
訴訟にまで至らずとも、交渉を進めるには、相手がこちらの要求を読んでいるかを知っておく方がスムースだし、住所も電話も知らず、今のところ不誠実な対応しかしていない相手であれば
「ちゃんとメールくだされば読みますから」なんて、信じにくいのが当然だろう。
このご時世、文章を集めて並べて本にするぐらい、にわとりにだってできる。
本来「編集者」というのは、執筆者の書いたものをチェックして、執筆者に相談し、より良い文章を作ってもらうために、そして何か問題が発生した時に対応するために存在している。
「より良い文章」とは当然「どういう本」なのかで基準が異なる。たとえばオヤジ向け週刊誌なら今回のような内容は「セーフ」だろう。実話ナックルズなら「ゆっくりセーフ」かもしれない。
そういうのから遠い場所に居たいはずだった(であろう)、久谷女子が、実は中身は下衆なオヤジ雑誌と同じだったとか、
ワタシ、シゴトデキル女です、といった様子で経営者やフリーで仕事している人もいるようなのに、「うわー社会人としてありえねー」という対応をしていくという化けの皮の剥がれっぷりとか
otuneの間抜けな下半身事情も含めて、面白すぎるのは確かで、今まで面白すぎるweb事件簿に対して、嬉々として発掘してブコメしてた人たちが何も言わないってのも含めて、
嘲笑の対象になっちゃってるのはしょうがないだろうなぁ。それが「世間の反応」ってやつだ。
岡田育については、今まだログが残っているのか知らないが、twitterのつぶやきで「私がどんな思いで書いたと思ってんだ」みたいなのがホッテントリ入ってたから、その辺でやり玉に上がってるんだろう。
個人的には、モノを作るの人が言ったら負けなセリフナンバーワンが「私がどんな思いで云々」のくだりだと思っている。どんな思いかを伝える力量が足りなかったことの裏返しでしかないからだ。
本を書いても売れなかった著者が、「私がどんな気持ちで書いたと思ってる」って言うの、コントぐらいだろう。そのコントすごく面白くなさそうだが。
現に、まともな編集者が居れば、こんな下衆な企画は通らない可能性だって高かったはずだし、
少なくともこんなことに巻き込まれないような内容に修正するために著者と打ち合わせをするのは編集者の仕事であり、力量の差が一番多く現れる部分だ。
同人だからそんな労力かけてられないし、同人だからこそ好きにやらせてよ、というのなら、所詮その程度の覚悟の人が、なぜ「どんな思いで!」なんて言うんですかねって話だしね。