はてなキーワード: 規則とは
最近になってやっと落ち着いてくれたから良かったけど、少し前にクソみたいに湧いてたドSブームが大嫌いだった。
というのもあれこそ日本人の中年男性が勘違いしている「優しさ」をそのまま肯定するみたいなものだったから。
自分は以前アルバイトをしていた時に、職場近くに有機溶剤を使う現場があった。
自分の仕事は事務職だったので普段は立ち入らなかったのだけど、ある日ちょっとした用事でそこに行かないとういけなくなって付近をウロウロしていたら急に現場のおっさんに怒鳴られた。
「女がこんなとこに入るんじゃねえよ!」といきなり怒鳴りつけられて、最初は怖くてそのまま逃げ帰ったけどあとからじわじわと腹が立ってきた。
あとから他の人に「女性労働基準規則」で有機溶剤のある現場では女性の立ち入りが制限されているということを教えてもらったのだけど、現場責任者でもないおっさんにいきなり後ろから怒鳴りつけられるってどうなんだろうと思った。
そのことを教えてくれた事務系の上司さんは「あの人はああいう性格だけどさ。悪い人じゃないから」とフォローしていたけどやっぱり納得いかない。
他にも別の仕事で重たい荷物を持とうとしていたときに、近くにいたおっさんから「どうせ大して運べないなら持とうとするなよ」みたいなことを言われて舌打ちされつつ、黙って荷物を運んでもらったりした。
国民全員が『決まり』を守ることが当たり前なら、他人へ気配りをする必要が減って楽に生きられそうなのにな。
レジ打ちが、定時だからと商品スキャン中に居なくなっても次のシフトのスタッフが定時に就く。客はそれが当たり前だから失礼だなんて文句は出ない。引き継ぎが遅刻して初めて苦情となる。
歩行者信号も頑なに守ればよい。道路の斜め横断などもってのほか。車も日本国民全員が法定速度を守れば「車の流れ」に気を使ってスピード違反をする必要がない。
仕事に入る時、着替えは就業時間外の職場が未だに多いらしい。これらも法律違反だ。
他にも、エスカレーターは歩いてはいけない、道路で遊んではいけない、イジメはいけない、体罰もいけない、サービス残業いけない、ブラック部活動いけない。
ゴネて無理を通そうという輩も、法律や規則を盾に一切の融通を利かせなければ絶滅する。
以上の事柄が常識なら、決まりを守らない人間への目は厳しくなり自浄効果が期待できるのでは無いか。
とにかく国民みんなが他人に気を遣い『空気』を読んで勝手な判断で法律を犯すので、他人への気遣いやそれ等の違反について許容をしなければならないと云った精神的負荷が生まれる。法律や法律に基づいた決まりを守りたいのに守らせてもらない。更には融通が利かないと煙たがられ問題視され、決まりを守らない奴らが得をするのでたいへん憎たらしい。
d終わりが一番多い。-edで終わる規則動詞はもちろん不規則動詞にも多い。read,stood,found,laid,heardなど
tも割と多い。cut,built,met,felt,boughtなど
別の勢力としてnで終わる一群がある。known,shown,broken,forbidden,flownなど
これら以外は少数派と言ってよいだろう。
少数派のなかでも特殊な(しかし複数ある)ものに,eで終わるものがある。made,done,gone,comeなど
まだ出てきていないのは,途中の母音だけが変わり末尾は変化しない,というパターンだ。
どんな語尾でもこのパターンになれるわけではないらしく,末尾は限定されている。
既出のd,t,nのほか,
nk,ck : drunk,sunk;stuck,struckなど
残りはdugとswumなのだが,最後の一文字という観点ではdugはng組に吸収されてしまう。
というわけで,唯一末尾がユニークになる不規則な不規則動詞の過去分詞形はswumという結論に至った。
俺の調べ方が悪いのかこの事実が別に大したことないからか分からないがこの件に言及する資料は見つけられなかった。
そんなこともあり過去分詞形がmで終わるほかのディープな動詞が潜んでいる可能性はいまいち否定できていないが,ジーニアス英和辞典第4版の不規則動詞活用表に載っている限りでは存在しなかった。
横綱・白鵬が批判されている。九州場所11日目の嘉風との取組後の物言い、千秋楽の40回目優勝後の日馬富士と貴ノ岩をもう一度土俵に上げてあげたい発言、そして万歳三唱など。白鵬のこれらの行動については賛否両論あるが、批判する側の論理としては「品格が無い」というロジックだ。2010年に引退した朝青龍も同じように品格が無いと批判されていた気がする。優勝が決まってガッツポーズをとったり、休場中にサッカーをやっていたりと。
横綱審議委員会の規則では、「横綱は技量・品格共に抜群でなければならない」という一文があるらしい。技量についてはわかるが、では品格とは一体何か。前述の白鵬の万歳三唱にしても、品格が無いという意見もあれば、別にいいじゃないかという意見もある。つまり品格について明確な定義が無い状態なのだ。そこで、品格とは何かを分かりやすく考えてみた。
横綱に求められる品格とは何かを考えてみた時、それは天皇陛下が大相撲を観戦する「天覧相撲」の場面において、力士のトップである横綱がどんな所作や取り組みをするべきかで考えてみると、わかりやすいのではないか。立ち会い中の横綱の立場に立って考えてみる。自分は横綱であり、そばでは天皇陛下が観戦されている。陛下が見られている前で、張り出しやかち上げができるか? 不本意な負け方をしたとしても、物言いができるか? 優勝が決まってガッツポーズができるか? 土俵外に出た相手力士にダメ押しできるか? 私が横綱だったら絶対に出来ないよ。つまり、そういうことではないか。
日本人だったら誰でもわかっている。陛下が目の前におられるのに、今の白鵬のような取り組みをする横綱がいたらどう思うだろうか。常に陛下が見ておられることを意識しながら、横綱は全力士の模範とならなければならないということである。
人の心がない奴に当たったら高度な人工知能だと思ってルールを厳格に適用するのがいいと思う。厳格かつ抽象的かつカバレッジの広い規則を作って運用するってのもキチガイじゃない人には難しいのかもしれないけど。
具体的に例えて言うとどんな感じになる?
多分そうなんだろう。で、俺自身はともかくとして、サイコパスとかソシオパスとかアスペとか、そういう人の心がない奴に当たったら高度な人工知能だと思ってルールを厳格に適用するのがいいと思う。厳格かつ抽象的かつカバレッジの広い規則を作って運用するってのもキチガイじゃない人には難しいのかもしれないけど。
■Twitterは良すぎるのかしら? anond:20100423202625
この手のことに関する論考は何度も見聞きした覚えがあるのだけど全然身についてないや。
「間欠的不規則報酬」(the psychological principle of intermittent variable reward)というのがキーワードなのだろうか。
追記
「間欠的不規則報酬」も承認欲求と同じくはてな生まれの誤解による新語なのかもしれない。元となるintermittent variable rewardもブログ主のKathy Sierraさんが生み出した新語らしく、学問的な裏付けは無いらしい。
「間欠的強化」(Intermittent Reinforcement)という心理学用語は存在するので、深く調べるならこっちの用語からになるのだろうか。
DSか何かのゲームを、音出してやるのって注意していいの?親同伴てか親と一緒にゲームしてる感じ。
マリオかなんかのアクションゲームで、チャリンチャリーン(コイン摂る音) ビヨヨーン(ジャンプ?) プー(なんかアイテムに当たった?) ガンガン テッテレー ぴーーーひょろひょろ チャリーンチャリーンチャリーン みたいなSEとBGMが、5レツくらい離れた俺たちの特急列車の席にもノンストップで響いて、ストレスがやばかった。別に寝てたわけでもないし連れと話してただけだけど、それでもやばかった。
公共の場で子供のやることに文句を言うのはナンセンスだってわかってるけど、こういう場合ってどうしたらいいんだろうね。注意していいのかな。ちらっと横の列や斜め前、後ろにの人見たらやっぱりかなりストレスになってて、チラチラと親子のいるほうを見てはみんな注意するか悩んでた。規則性のない電子音がガヤガヤしてるのはほんとにやばい……けど、周囲は我慢すべきだったのだろうか。注意は子連れに厳しい大人になってしまうのか?わからないままいたら、親子の隣の列の人が、すみませんが音消してもらえませんんか?と言い、「あらやだ」といって母親らしき人はゲームを没収し、子供はえーなんでーーーと言ってグズリ、なんつかとにかく地獄だった
一年ほど前までは年末年始もなく接客業の仕事をしていて、正月も帰省できず1人きりで正月を過ごしてた。
義理の実家には申し訳なかったけど、私自身も侘しい正月だった。
義理の両親もいつまでも生きてるわけじゃないし、これではいかんと一念発起して転職。
稼ぎは減るけど、自宅で出来る仕事を受けることにした。
これなら自分で自分の進捗を管理できれば休日は自分で決められる。
その仕事の面接に行く前に子供から少し気になる話を聞いてはいた。
子供が新品のゲームソフトを探して色々な店を友達と一緒に回っていて、やっと新品を扱っている店を見つけ、ラスト一個だったそれをレジに出したところ、店員さん同士が揉めていて、何が気にいらないのかゲームソフトを地面に叩きつけたと言う話だった。
結局責任者が出てくる騒ぎになり、ラスト一個のソフトがもうキズものになってしまったわけだから丁寧に詫びられたと言うことだったが、これで子供は探し回ったソフトを買い損ねたわけで、当時接客業をしていた私からすれば「信じられない」と言う感想を抱いた。
接客業なんかしてればイライラすることもあるし、理不尽なクレーマーが来る日もある。
けれどそれをお客さんに対して出すのはあまりにも接客業に向いてないとしか思えなかったけれど、まあたまたま店員さんの機嫌が悪かったのだろうくらいに考えていたのだ。
ところが自分がいざその会社の仕事を受けるようになって、あ、この会社だめだわと言う結論に達してしまったのだ。
まず、物凄くご都合主義。
外注に対する規則が本当に会社側の要望しかなく、例えば月末までに納品書の提出を義務つけてるくせに、連休で忙しいから、年末で忙しいからと納品した仕事の査定を出さないのだ。
査定を出して貰えなければ月末までに納品書を出すことが出来なくなり、どうしても給料は翌々月の支払いになる。
月末までにと規則づけるなら査定も月末までに出さなければ筋が通らないではないか。
そして仕事の受注、納品、給料の受取りの度に会社まで出向くのに交通費の支給はない。
こんなわりに合わない仕事はやってられない。
今は着々と独立を考えている。
そしてとどめに納品したついでに私はその会社で買い物をした。
中古品も取り扱いのある会社なので、ちょうど欲しいと思っていた調理器具が未使用品で格安だったのだ。
ところが帰宅して早速使ってみようとしたら使えないのだ、
それで慌てて電話して返品を求めたところ、一度使用したものは本当に故障していたのか分からないから、返品出来ないと言うのだ。
一度使用してみなければ使えるかどうかなんて見た目では分からないではないか。
だからすぐに連絡したのに。大体中古品を売るなら動作確認してから品出しするべきじゃないのか。
本当にこの会社だめだわって思う。
やっぱクソだわ。
赤ちゃんを市議会に連れ込むことは、悪いことなのか?(駒崎弘樹) - 個人 - Yahoo!ニュース
で上位に来てるコメントはパフォーマンスをほめるブコメばっか。
なんなの?これはルールが正しくないと思うなら民主主義の原則にもとづいて変えればいいだけの話。
しかも本来はその民主主義の現場にいる人が規則を無視するなという本来はシンプルな問題なのに。
それなのに子育てに不寛容な議会がどうたらとかルールが正しくないのではとかいうそもそも論を持ち出しやがって。
正しさなんてお前だけがきめてるんじゃねーわ。なんだ、結局お前らの敵のアベと同じように思ってるじゃねーか。
もう一度いいます。「ルールが正しくないと思うなら民主主義の原則にもとづいてそれを変えればいいだけの話」
憲法とかの話になったら守れ守れとうるさいくせに急に子育てとか絡めたらルールが間違ってる。パフォーマンス賛成って。
聞いてあきれるわ。
やっぱりはてサって自分の感情で物事の善悪を決めてかかってルールとか決まりってどうでもいいんだね。
よくわかりました。
これを支持する表現規制反対は信用出来ない?逆だろ。
ゾーニングをきちんと行うことで長期的普遍的に表現を守っていきたいと考える人間からすれば
半裸女性に中出しだの潮吹きだのが堂々と書かれた雑誌をグレーだからと並べて、それを不快に思う人間の問題提起に
「法律的にセーフだからwwダメなラインを完全に明文化してみせろよww」と不真面目な態度を取り続ける奴らこそ敵。
そんなだから相手も「法律的にセーフだからww」な手段で圧力をかけてきただけのこと。
この期に及んでも反省せず、不快に思う人間の問題提起に耳を貸さず同じことを続けるなら、ゾーニングすら許されずに表現は叩き潰されるだろうよ。
はっきり言って現状は放っておけば表現はどんどん規制されていく、間違いない。規制したい奴らをいかに食い止めるかって闘争なんだよ。
「今の規則ならOKなんだから不快に思うお前らの方がルール違反な、だから市長を動かすのは一足飛びでズルい」なんて甘えた理屈が通る状況じゃないんだよ。
他でも言われているだろうけど、経験者として。
リワークプログラム的なのをやってくれてる病院連携のカウンセリングルーム的な所探すのはマストではないけれど、かなり優先度高いと思う。
リワーク:
9時とかから12時とかぐらいまで、平日の毎日、うつ病、うつ状態の回復期にある人が集まって、単純作業(塗り絵とか)とかディスカッションとか、論理クイズとかする会。
料金を抑制するためか、医者でもカウンセラー(臨床心理士)でもない、良くわからない人が仕切って4~6人ぐらいで。
うちのところでは100マス計算とか毎日やってて、決められたノルマ達成、頭の回転のリハビリ、対人能力の復帰みたいなのがバランス良く振り分けられてた気がする。
・うつが快方に向かってないと参加すること自体がかなり負担になる。
実際に復職に向けてリワークに通い出したはいいけれど、悪化している人が結構居た。
人との接触が嫌、毎朝の起床が辛いなど理由はそれぞれっぽいけれど。(こう書くと朝起きれないダメ人間みたいだけど、動き出すのにめっちゃパワー要る)
確か、補助出て、1日1500円ぐらいだったよーな。(場所によると思うけど)
・午前と午後の落差が酷い
午前中我慢して、午後はリラックスできてる環境から復職したら、午後がきつくて死んだ。
メリット:
朝起きるって本当に大事。
それほど嫌でもない一日が想像できるときに、朝から動き出せるのは復職への希望。
・コミュニケーションが取れる
無理やりグループで話し合って結論を出さないといけない課題とかある。
・頭が回り出す
これ意外と大事。散歩、小説、ブログだけでは実務に戻ったときに思考力というか頭の回転? 落ちてるので結構ダメージ食らうと思う。
・あいつよりマシと思える
いろんな人が参加してる。時には鬱になったきっかけとか語らされる(多分、微妙にそっち方向にも答えられる議題とかで誘導してたりするんだろう。話したくなければ離さないでもよかった)
だから、あのおっさんよりはよっぽど仕事できるし、対人能力もあるなとか思えて自信に繋がる
・似たような境遇の人と知り合える
仕切る人も参加してる人もだいたい優しい。
自分だけかも知れないけれど、一時はノルマ的なものに向き合うのがとても辛かった。
散歩は体にも頭にもいいので、3時間でも5時間でも平気で歩けたけど。
なので、散歩は良い事なんだけれども、制約ではない。
読書だったら、面白いか面白くないかわからない本を絶対に何ページ読むとか、ブログも一日3記事とか(雉数は徐々に増やす、テーマはあらかじめきめとくとか)
ちなみに私は、軽度のうつ状態だったので、1か月休んで、1か月リワークに通って、医師からOKでたので復職して2か月でダメになりました。
今から思うと、朝はリワークに通って行ける気になってたけど、午後から寝るまで、ストレスフリーな環境にしてしまっていたので、復職後のブラックな環境で耐えることができませんでした。
残業はほぼほぼ無しだったけど、ノルマ的なのと先輩からのプレッシャー、納期。
復職前に、中期ってほどでもないけれど、1週間とか2週間とか気にしないといけないノルマ的なのを課してみておいたほうが良いかもしれない。
まず、書籍・音楽・映像・ゲームといったコンテンツは、いまどきデジタルで買うのが基本だ。
そしてデジタルコンテンツの販売となれば物理通販と比べてAmazonの優位性はない。
(まあ「昔からAmazonのヘビーユーザーだから惰性でKindleやAmazonビデオを使ってます」というなら分かる)
仕事帰りに自宅近くのコンビニやスーパーに寄る程度のことを面倒がる理由が分からない。
元記事にも書いたが配達の受け取りのほうがよっぽど面倒だ。俺は遅配や再配達で発狂したくはない。
(元記事を読まずに文句を言う奴がいそうなので書いておくが宅配ボックスがあるならその限りではない)
(自宅周辺にコンビニやスーパーが存在しないという人はご愁傷様です)
この時点で、通販に頼る機会は非常に少なくなる。
個人的なことを言うと、直近ではPCとゲーム機を通販で購入したが、どちらも販売元の公式サイトを利用した。
「口座情報を分散させたくない」というのも分かるが、高額商品にまつわる個人情報はむしろその企業にしか渡したくない。
Amazonを経由すると変なトラブルに巻き込まれそうで嫌だ。
そもそも「信頼できないような企業の商品を買うな」ということでもある。
まあこれについては日本でもPaypalが普及すれば話は違ってくるのかもしれない。みんなでPaypalを使おう。
トップには「何とかの売れ筋」だの「何とかがセール」だのと毒にも薬にもならないような情報が並んでいる。
上から順に「Kindleストア」「Amazonビデオ」「デジタルミュージック」「Androidアプリ」「本」「洋書」…
これ、客が欲しいもんじゃなくてAmazonが売りたいもんだろ!?
「Kindle」と「本」と「洋書」を分けるこの謎カテゴライズは何なんだよ。
普通は「Kindle」とだけ書いてあっても何のことか分からんぞ。知名度に胡座かいてんのか。
そもそもサイト自体の階層構造がカオスで、あるページがどのカテゴリに属すのかよく分からないし、そのURLに規則性もない。
検索オプションやソートもしょぼいからサイトを奥深くまで掘ることができない。
まあこれだけ巨大なサイトだから仕方ないのかもしれないけどね。
さて、俺は時計を買いたいです。
カテゴリから辿ると混乱するので検索ボックスに「時計」と打ち込んでみましょう。
https://www.amazon.co.jp/s/field-keywords=%E6%99%82%E8%A8%88
なになに。
「GanRiverスマートブレスレット タッチ操作スマートウォッチ 心拍計 歩数計 腕時計 多機能スマートリストバンドIP67防水 着信電話通知 SMS通知line通知 カロリー 目覚まし時計 長座注意 リモート音楽 紛失防止 日本語説明書 iphone&Android対応」
「FiBiSonic デジタル 置き時計 LED 目覚まし時計 大音量 アラーム 多機能 カレンダー付 温度湿度計 省エネ 音声感知 USB給電 電池 木目調 ナチュラル風(茶・白字)」
GanRiverってどこ? FiBiSonicってなに?
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XQYBL8K/
俺には無理だわ。
たとえセイコーやカシオの商品でも「Amazonで買えば何か間違えそう」感がパない。
「神話」と言われようが実店舗にはまだ「棚に置いてあるやつはちゃんと使えるんだろ」くらいの信用があるよ。
はい、次に俺はMacbookProが欲しいと思いました。
https://www.amazon.co.jp/s/?field-keywords=MacbookPro
https://www.apple.com/jp/shop/buy-mac/macbook-pro
これでAmazonのほうが分かりやすいとか言われたらさすがにショックを受けるわ。
「公式サイトはその商品に特化した作りなんだから分かりやすいに決まってるだろ」
あ、レビュー?
発達障害(ASD/ADHD/LD)に対する理解がもう少し必要。定型か非定型かにかかわらず、相手を理解しようとすることは大切。
コミュニケーションにコツがある。
例えばだけど、注意されるときに「ちゃんとしろ!」とか「なんで○○しないの!」とか言われて育った人は、友だち同士でもそういう伝え方をする。でも、非定型の人は具体的な行動を言われないとうまく理解できないことが多い。
「○○の席はここだよ」と伝えよう。
「どけよ」じゃ伝わらない。
「ここ俺の席なんだけど」でも伝わらない。
「自分の席もわかんねーのかよ」でも伝わらない。
あと、理由も聞こう。「俺のこと好きすぎて間接ケツチューしたかったの?」とか。
お互いに誤解の少ない方法でコミュニケーションを工夫する必要があると思う。
あと、五感が研ぎ澄まされすぎてて、情報過多のパニック状態の中で生活してる。人によるが。
感情的になったり攻撃的になりやすいのは、パニック状態での防衛本能なことが多く、本人にはコントロールが難しい。クラスメイトで一番ストレス多いのはたぶん本人だよ。
発達障害の子に多い特徴は、局地的に集中力が強い、概念的な思考能力が高い、規則に厳しい、勘が鋭い、記憶能力が高い、親切すぎる、などなど、真似できないような良い面もたくさんあるんだ、ボタン掛け違えてるだけで。良い友人になれると思うよ。
そもそも、なんで健常者様が二等市民の障害者に気を使わなきゃなんないんだって思った?
ならそれでもいいけど、俺は弱ったときに助けてもらえる社会の方が好きだから、発達障害のことを調べていろいろ工夫することをお勧めするよ。
前川喜平・前文部科学事務次官が加計学園の獣医学部に博士課程が設置されていないからけしからん!と怒っているので、
近年の新設された大学において大学院はいつ設置されたか調べてみた。
新設が非常に多いので結論から言うと、非常に数が多いため一部しか調べられなかったが、
調べた限りでは大学新設と同時に大学院が設置されているところはなかった。
新設された4年後に設置されるかといったら、そうでもない大学もあるし、そもも未設置の大学も多い。
また『短期大学』が『4年生大学』に転換したところが多いため、新設大学が多いように感じる。
【参考情報】 新設大学等の情報:文部科学省
■21年度開設
千葉県立保健医療大学 ⇒ 未設置
弘前医療福祉大学 ⇒ 未設置
日本赤十字秋田看護大学 ⇒ 平成23年度設置 ※大学院設置基準第14条特例の実施 (短大卒業者向け?)
東都医療大学 ⇒ 未設置
こども教育宝仙大学 ⇒ 未設置
びわこ学院大学 ⇒ 未設置
■22年度開設
東北文教大学 ⇒ 未設置
横浜美術大学 ⇒ 未設置
■23年度開設
日本映画大学 ⇒ 未設置
京都華頂大学 ⇒ 未設置
宝塚医療大学 ⇒ 未設置
<追記>
指摘を受けて追記。
・北海道医療大学 ⇒同時に設置
2013年 リハビリテーション科学部(理学療法学科/作業療法学科)開設
2013年 大学院リハビリテーション科学研究科リハビリテーション科学専攻修士課程開設
■私立獣医学部に関しての大学院設置状況
同条件である私立大学の獣医学部で確認した所、基本的に大学と院は同時設置されておらず、
博士課程に関しても後年に設置されている。
同時設置しなければならないと言う法律や規則が無い以上、後年に大学院が設置されても問題ないかと思われる
大学は届出設置制度である以上、大学設置時に大学院(修士、博士)もまた設置しなければならない、
という規定が無い以上、前川氏の「博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という発言には
認可してはいけないという根拠は薄いと思われる
・酪農学園大学 ⇒11年後設置
http://www.rakuno.ac.jp/outline/about/development.html
学部 1964年(昭和39年)設置
大学院 1975年(昭和50年)設置
※博士課程 1981年(昭和56年)設置
・北里大学 ⇒4年後設置
https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/about/overview/history.html
学部 1966年(昭和41年)設置
大学院 1970年(昭和45年)設置
※博士課程 1972年(昭和47年)設置
・麻布大学 ⇒7年後設置
https://www.azabu-u.ac.jp/about/history.html
学部 1950年(昭和25年)設置
大学院 1957年(昭和32年)設置 (院設置のみ?)
※修士課程 1960年(昭和35年)設置
※博士課程 1962年(昭和37年)設置
・日本獣医生命科学大学 ⇒歴史が古すぎるため参考。修士/博士同時設置
http://www.nvlu.ac.jp/universityguidance/002.html/
1881年(明治14年)設置 (日本最初の私立獣医学校・獣医学校)
大学 1949年(昭和24年) 設立 大学院 1962年(昭和37年)設置
※博士課程 1962年(昭和37年)設置
・日本大学 ⇒設置時期不明
院設置時期の記載が見当たらない
某スーパーで働いているんですけど、今日餃子を廃棄したんですよね。500個くらい。積み上げられたあのちっぽけだった餃子は、いまや横綱と同じくらいの大きさでした。襲われたら殺される。
調理室に入るやいなや目に飛び込んでくる餃子の群集に一瞬なにごとかって狼狽したんですけど、まあいうて賞味期限が切れたんだろうと推測したわけなんですよ。
で、なるほどね~とか思いながら餃子の裏に記載されてる賞味期限をみたら
明日じゃないの。いや流石にまだ食品として全く欠陥のない餃子をゴミ袋に詰め込むのは最高に気分が悪いというか、普通に勿体ないだろ。っと思いまして、これは店長が日を間違えてるな、あんないい年して大事な大事な商品をゴミ箱に入れようとするとはね、一体どれだけの損害が生まれるところだったかついでにお前もゴミ箱に入れてやろうか、と抗議しにいったわけなんですよ。
そしたら店長、ああそれねー、なんたらなんたらの規則で賞味期限が一日前だともう店に並べられないんだよねー、僕ももったいないと思うんだけどねー。とおっしゃいまして。
えっーマジかよ店長の独断じゃないの、規則!規則ならしょうがない破ると怖いし!というかなんだその規則は!!!賞味期限の意味なしてないじゃん!!そもそも賞味期限の意味もよくわからなくないですか?あれ過ぎてもいきなり毒の物質に変化するわけじゃないし、美味しく食べれるじゃん。誰だ賞味期限とか古くさいもの考えた野郎はお前をまずゴミ箱にぶちこんでやる
ということがありまして、タイトルに至ったわけであります。分かりましたか皆さん?
とかいう事を考えながら、淡々と餃子を袋からゴミ箱に移す作業をしていました。これ作ってる人がみたらすっげえショックだろうなあ。
餃子職人が買い物ついでに、私の餃子は売れてるアルか~?いっぱい売れてるといいアルな~!って精肉コーナー見に行ったら、精肉の人、自分の餃子ひたすら捨ててんの、しかも真顔で。
うわあこれは落ちこむわ、というか普通に鬱になりそう。俺は一体なんてことをしてしまったんだ。こんな汚れ仕事をすることになるとは、嗚呼なんと功利主義な世界だろうか。せめて無理矢理でも生で食べればよかった。これ生でもいけますね~!つって。顔を顰めながら。無理してる事くらい餃子職人にはわかる。でも、ほんの少しかもしれないが、その気遣いが温かい、心にしみる。餃子職人の目に少しだけ光が灯った。なんて。もうやだ平和な世界に行きたい。廃棄ゼロの国とかないのかな。アンパンマンの世界みたいな平和な国。
ああでもアンパンマンの世界でも普通に廃棄とかしてたら嫌だな。
おにぎりマンが作ったおにぎりをジャムおじさんが真顔で廃棄してる回。うわあヤダそんなの絶対見たくない。そして偶然にもその光景をおにぎりマンが目撃してしまうみたいな鬼畜ストーリー。
毎度のように襲来してくる雑菌共を殺菌した後、お約束通りにパン工場前でパーティをするアンパンマン一行。雑菌共から街を守った凱歌として食品を提供する、アンパンマンワールドらしい振る舞いに町人たちはよだれが止まらない。最近ではバイキンマンが街に襲来するだけでパブロフの犬よろしく唾液が分泌されるようになってしまった者までいる。兎にも角にも、町人たちはこのパーティをとても楽しみにしているのだ。そしてそれは生産者にとっても同じことである。多くのバイヤーが集まるフェスなど、自分の商品を売りこむ、絶好のチャンスといえるだろう。そんなわけで、生産者は皆自慢の商品を売り込み、町人はそれを笑顔でほおばる。幸せが具現化した会場を写しつつフェードアウトし、エンディングのアンパンマン音頭に移るわけだが、今日は会場の中に一人浮かない顔の人物がいた。おにぎりマンである。彼のおにぎりが全く売れないのだ。この世界で食べ物が売れない生産者は、その人物の存在価値を否定されたといっても過言ではない。通貨や地位が存在しないこの世界では、レゾンデートルこそが唯一の資産であり、生きるための自信であり、絶対条件なのだ。故に皆必死になって商品を売り込む、そうしなれば生きていくことができないから。
「何故売れないのだ?」おにぎりマンは呟く。確かに、かつ丼や天丼には魅力で勝てないだろう。奴ら自慢の丼ものは、見るもの全てを魅了する。艶のある衣に包まれた果てしない弾力を想像させる海老。咀嚼という行為をただただ崇拝することになるであろう、分厚い肉、これらに米を掛け合わせたものが、ただ梅を入れただけの素朴なおにぎりと競い合うはずがない。まさに規格外の化け物である。しかし、純粋なコメの美味しさを求めるならば、確実にオニギリの方が勝っている。素朴ながらも、素材本来のうまみを嚙みしめる事ができる料理はそう多くない。恐らくオニギリと食パンくらいであろう。一定のニーズはあるはずである。所詮奴らの敷いている米など低価のインディカ米。こちとら厳選されたジャポニカ米、しんのすけよ。この戦い、負けるはずがない、そう思っていた。だのに、どうしてこんなー。
おにぎりマンは焦りで手元が震えていた。今やおにぎりすら握ることができない。嗚呼、手が冷たい。誰か買ってくれ、誰でもいい、誰か。
「こんにちは、おにぎりマン君」ハッと顔をあげる。そこに立っていたのはジャムおじさんだった。バイキン撃退から2時間、最初の来客者だ。
「どうだい、調子の方は、」無邪気な笑顔で私に問いかけてきた。突発的に殴りそうになるものの、残された理性で己を制御した。この人は何も悪くないじゃないか、何をやっているんだ私は。
「どうしたんだ、体調が悪そうだが」私は反射的に売れていないことが悟られないように取り繕う。売れていないと周囲に認知されるのはまずい。戦闘で少し疲労した、たいしたことではないと伝えた。
「そうか、でも、それにしては酷く困憊してるじゃないか。みんな元気な君がみたいと思っているよ。まだまだ祭りはやっているんだし、ここでバテていたら勿体ないだろう。少し街で休んできたらどうだい」全く、この人には頭が上がらない。確かに今の状態ではまともな商売などできないだろう。それに商売は、売ることだけが全てじゃない。皆の笑顔が大切なのだ。危うく大切なものを失うところだった。焦っていてもどうしようもないし、少し休憩しよう。用を足してきたら、また元気に呼び込みをしよう。丼ものには劣るかもしれないが、私だけがつくり出せる笑顔をみんなに届けよう。
承した。休憩仕る。とジャムおじさんに別れを告げ、私は近くの茂みに入り込んだ。
それからほどなくして、おにぎりブースに戻ってきたおにぎりマンは驚嘆した。おにぎりが全て無くなっているのである。売れたのか?否、違う。米をたく釜や予備の米、ましてや商品を置く机すらなかった。おにぎりマンは最初から存在しないかのようになっていたのである。おにぎりマンはひどく狼狽した。一体何があったのだ。どうすればいいのだ。そうだ、ジャムおじさんなら。あの方なら何か…。私は工場に向かって走り出していた。そして、窓から我が工場長の存在を探し始めたその時、今世で最大の、自分の目を疑うような出来事に出くわしたのである。
ジャムおじさんがおにぎりを真顔で捨てていた。そしてあのおにぎりはまごうことなき私のおにぎり。私は一瞬何が起きているのか理解できなかった。私の頭が考える事を拒んだ。
一連の行為には無駄な動きが一切なく効率よく行われていた。そしてその行為は感情すら感じさせない。手はおにぎりを廃棄していても心は別の事を考えている。もはや食べ物への敬意など一切なく唯々無機物を移動させる作業のようであった。この人は最初から全て知っていたのだ。私に休憩を提案したのは私をどかしておにぎりを廃棄するため。この人に、私は、私は。
おにぎりマンに残された選択肢は二つ、見なかったことにしてこの場を立ち去るか、腰に収めたその刀を使い今ここで切腹か、否、いっそのことジャムをこの手でー。
それから先の事はよく覚えていない。気がついた時にはすでに赤い私の手があった。周囲には廃棄されるおにぎりが血を吸いながら分散していた。これでは赤飯ではないか。だがこれでいい。これが勝どきというものだ諸君。私は周囲に微笑み、おにぎりに囲まれながら腹部に刀をあてた。おにぎりとして生を受けたことを誇りに思いながら。
日本の統計上、新規免許取得者の少子高齢化している「はず」の二輪車界隈の若年層ユーザーをよく見かける。しかも年々件数が増加しているように見える。二輪車の免許取得や所有者数は地方の底辺や大学生に多いが、なんと都市部の中堅の高校生まで利用しているという話だ。日本では2012年まで建前上禁止されているそうだが、なかなか予防もできずにいて数が減る気配もない。
日本以外の例えば韓国や台湾でもたまにどう考えても中高年の中流以上のような人が自転車に乗っているのをしばしば見るが、二輪車に乗る10代とかはどの程度いるのだろうか…。
昔からこういったものは絶えずあるのだろうが、脱管理社会になって減ったのか増えたのか…。
こうした問題はどこの国にでもあるため論じるまでもないという意見もあるだろうが、日本の公共交通はほとんどが衰退傾向である。
公共交通を待ち受ける悲惨な未来、しかもそれに追い討ちをかける若年層の車社会参加。これはなんとしてでも歯止めをかけなければならないだろう。
韓国のみならず日本でもあらゆる分野で機能不全が起きているのは言うまでもない。最近の企業のスキャンダルに対する国民の反応を見て驚いた。
これはもう社会的圧力によって厳しく制裁するしかないだろう。結局法律云々だけではなくて、そうしたものによってしつけていくしかないのだ。
社会が許さないと脅して抑止する他ないのだ。結局日本の暴力団も社会的な制裁を厳しくして数が減った。所詮人間そういうものだ。
そうして様々な方面で厳しくなれば、法律や条令や規則で取り締まらなくても規律が生まれてくるのである。しかし現実はそれでも抜け道ばかり生まれるのかもしれないけど。