はてなキーワード: 歯がゆいとは
心がやけに急いている日がある。
だいたいそういう日は何かと失敗をする。基本的には勘違い、早とちりが多い。
午前中には「今日は急いている日」だ、と分かり、焦る。
落ち着こうと少し休憩を入れても、仕事に戻ってふと気がつくと、心が急いて乱れているのがよく分かる。
だから急いている日は他に影響のない失敗してもいいような仕事をする。
客にメールを送るなどもっての外、送った後は「今日は危ない日だけど大丈夫かな。」とかそんなことを考えてしまいさらに焦る。
そして大概やらかしていて、また焦る。そして思う。あー今日はほんと良くない日だな、と。
翌日になればなんてことなく、いつも通り要領よく仕事ができるんだ。
でも、どうしようもないない日がある。
どうすればいいんだろう。
最初はTwitterのサブ垢で軽く呟こうかなと思って書いてたけど、テーマがテーマなので、熱いお客さんを呼ぶと面倒だなと思った。
でもせっかく日頃考えていたことを言語化したので、この形で残しておくことにした。
元々は女性差別の流れから、「美人だという理由で差別されることもある」という趣旨の文を見かけて、これは常々そう思っていたことだったので、差別について個人的に考えていたことを書き始めました。
(※私は美人ではない)
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私は性別による役割分担については、肉体の構造や脳の仕組みの違いがある以上、あって然るべきだという考え方だ。
ある程度人を見た目で判断・区別するのも、生物の本能だから仕方ないことだと思っている。
それとは別に、人が決める枠によって自分のポテンシャルや意欲を阻害される体験をして、それをハンデだなぁと感じることもある。
私は結構いい年の女性だが、技術職なので年齢由来のハンデは受けにくい。それでも経験が長くなるにつれ、性別由来の固定概念の枠(ハンデ)を感じることも増えてきた。
枠に柔軟性がない人や、そもそも枠自体認識しておらず、自分が枠を設けて外を見ていないという自覚もない人もいて、そんな人達に自分を理解してもらえるようアピールしても、見えてるはずなのに認識されなかったり、スルーされたり、一時的に理解されたと思っても、翌日には忘れ去られたりする。
そんな時は、性別や見た目という枠なしで見てほしいなぁと思う。
特に、枠外にあるものが自分の本質に近ければ近いほど歯がゆい。
人が慢性的に不利益を受けたりストレスを感じるような枠組をつけられることを差別というなら、私も日頃、差別を経験していると言っていい。
ほとんどはストレスを感じながらも、仕方ないことだと思えることなので、声にすることはないですが。
性別は枠の切り口の一つであって、もちろん男性も差別されることがあると思うけど、女性のほうが、填められる枠が強固というか、本人の意にそぐわない、社会性も強い類の枠の種類が多い気がする。
それが感じる側の問題なのか、区別する社会側の問題なのかは意見が色々あるだろうけど、感じる側が我慢するより、受け入れる側を(可能な限り)柔軟にするというのが、社会が目指してる方向性だと思う。
なので、枠の存在を忘れがちな人にリマインドすることは必要だ。
多少うるせえなと思われても、度々リマインドされることで、枠の認知度は上がっていく。社会全体の方向転換に少しずつ繋がるだろうと思うので、活動家の方々の頑張りには意味がある。
個人レベルでいうと、各々自分が持っている枠を柔軟にしたり、枠を持ってるということ自体を自覚して、意識することは、基本的に不利益はないはずだ。人間関係は円滑になるし、相手だけじゃなく自分のメリットにもなる。
少し話は変わるけれど、社会性が低めな事柄でも、枠に填められることで感じるハンデがあると思う。
劣っている側が、優れている側を差別するということも、間々あると思う。
例えば身分が違ったり、めちゃくちゃリア充だったり、凄い美人だったり、ハイパーお洒落人間だったりすると、わかり合えない気がして距離を取られる。
またはやたら崇めて理想化する。
そうすることで、本当は似たもの同士なのに親しくなれなかったり、欠点もあるのになんでも簡単にできてると決めつけられたり、振る舞いを過剰に期待されたりする。
これを差別と呼ぶかは人によると思うけど、見てほしい本質が枠の外側にある人にとっては辛いことだろうと思うし、根本は人種差別と同じだ。
「美人であることで困ることなんて大したことじゃない」と決めつけるのはフェアじゃないと思う。
こんな偉そうなことを書いていると、まるで私が、誰にでも分け隔てなく接することができるかのようだけど、まったくもってそんなことはない。むしろ人をジャンル分けするのが好きな質だ。(語弊があるかもしれないけど事実そうだ)
単に枠組みで見た時には、リア充もハンサムも過剰におしゃれな人も苦手だし、外人も(たとえ日本語が喋れても)わかり合うのに障害があると思う。「男は」「女は」という切り口で性質を語ってしまうこともある。違いがある以上、多少のステレオタイプは事実存在する。
でももしも個人レベルでご縁があった時には、できるだけ自分の中にある枠をなくして、フェアに接することができるようになりたいとは思っている(できてるとは言ってない)。目下取り組み中だ。
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余談だが、「(500)日のサマー」という映画で、私は初めて美人のハンデについて考えた。私はサマーがとても可哀想に感じたんだけど、フラれた主人公側に感情移入して、彼女を小悪魔だ気まぐれ女だとレビューしてる記事も見かけた。(主人公視点ではそう見える)
もちろん彼女は自由な基質だったけど、あんなふうにYesマンに崇められたら、そら付き合い続けることはできない。
俺はむしろ、古文を読み現代語について考察する度に、現代語の過渡期的性質、つーか、英語などの言語システムを取り込んだ近代以降の日本語の「成熟して無さ」をひしひしと感じて歯がゆい思いがする。
これは、単純に翻訳などのケースで生じる問題だけど、たとえば"You should die."をどう訳すかって時に、漢文なら「汝可死」だから、古文でも「(なんじ)死すべし」でOKなんだよね。ところが、これを現代語に翻訳するとなると、「死ねばいい」「死んでいい」「死んだらいい」「死んだ方がいい」「死ぬべき」「死ね」「死ぬ」…
と多彩な表現になってしまい、しかもそれぞれ微妙に異なるニュアンスで受け取られてしまう。ついでに言えば、ここに語尾が「よ」「ね」「の(ん)だ」「んだよ」「んだよね」「んだね」……等々付くと、更に表現の可能性やニュアンスの違いは増える。(※)
これは日本語が繊細で微妙な表現を可能にしているというレベルを通り越して(ほとんどの人はこのように多彩な表現を可能性として使いこなしたりしていない)、単純に相手に真意を伝えそこねるコミュニケーションリスクを生んでいる。このように現代語の表現がピタリと定まらない原因は、たとえば言文一致の推進、翻訳文体の流入、詩的言語の日常語化など様々な要因があると思うけど、いずれにせよ結果は見てのとおりだ。要するに、現代日本語は、言語として成熟していない、不完全な代物だ。
昨今、ケータイ小説から始まって、ネット文体、ラノベ文体やなろう系がかなり日本語をシンプルにアップデートするべく頑張っていると思うので、個人的にはそれに期待したいところなんだが、それでも一般化まではまだ百年単位で時間がかかるだろうな。そして、それ(新しい成熟した日本語)が成ったあかつきには、現在目にする多くの「日本語」は過渡期の産物として一部の古文研究家の独占するところとなり、地域、社会的位置や身分を問わない「2000年代初頭の日本語」が集積する増田は過渡期の日本語サンプルとして広く用いられる基礎資料となっているだろう。そのときこの文章を読む人にこそ、俺が言いたかったことが大体伝わるだろうと想像すると胸が熱くなるな。
大型タイトルにもメインスタッフとして参加するくらいで今ではサイン会も大賑わい。
サイン会の席が余り作家本人と常連のファンで笑い合いながら飲み会をしていたあの日々が懐かしい。
有名になってしまって寂しいという気持ちはこういうのを指すんだろう。ありふれた話だ。
作家の新作は面白くて斬新だけど、どこか過去作の焼き直しが見受けられる。
過去作が尽く打ち切りで歯がゆい終わり方だったことを考えると、売れなかった頃の方が面白かったなんてとても言えない。
言えないんだけど、遠巻きに作家自身に過去作品の否定を感じ取ったことがあって、あのときはただ苦しかった。
それでも僕は遠方の個展には行くし今後も作品やグッズを買うのだろう。
作家さんはとてもいい人だから僕が挨拶をすればまた一緒に飲みに行ってくれるに違いない。
かつて一緒に飲み会をしたファン達は互いにトラブルで縁を切ったり離れていったものの、今でも遠巻きにファンのままでいる。
コツコツ仕事したい。
そんな中、1月23日くらいに「若手研修会やるから増田さんも参加して」と上司に言われた。
えぇ……断れないやつじゃん……
「最近の彼氏(彼女)」と言うタイトルで、自分を客観的に見た話を書くんだけれど
何を勘違いしたのか、一人の先輩が「最近の自分の彼女」について書いていた。
なんとも悲しいことに、
「ふーん、そんなこと思ってるんだ。困ってるんだ」ということを共有するために
全員分にコピーされ、全員が読み込み感想をいう事になっていた。
先輩のは何とも歯がゆい感じというか、恥ずかしい感じでいっぱいだった。
はぁ。面倒だなぁ。
どうせ、「今の仕事○○に困ってます」っていう話を各自していって
昔からとはいえ、ここ最近は色んなサービスが発表される度にクレジットカードが必須な機会が増えてきた。
恥を忍んで言うと私は生活保護受けている人なのでクレカを作る事は出来ないし、将来的に作るのも難しい。
そうなるとちょっとした便利なサービスでも使う事が出来なくて歯がゆい思いをする事が多々あるので、プリペイド式のクレカがもう少し幅広く対応してくれたらいいな。
現状だとVプリカのようなプリペイド式は使えない所が結構あるので地味に困ることがある。
別に何万もする事にお金を使いたいとかそういう訳ではなく、小額の金額を払うような事でも痒い所に手が届くちょっとしたサービスでもクレカ必須なケースが増えてきたので、プリペイド式も対応出来るようになったいいのになという話。
なので某会社の某氏とのつながりで某ご縁があるのですが、某有名ゲームメーカーと言えども某足を向けて寝られない某存在です。
某日に、某レストランで某食をともにしたのですが、某大手社長は某定食を頼むのでせっかく某レストランに来ているのにその某定食以下のものしか食べられず、某レストランの有名メニューである、ふわふわ某卵の某オムライスが食べられず歯がゆい思いをしております。
ですので、某大手社長は某定食ばかり頼むのではなく、某ランチコースや、もう一つの某定番メニューの某県産特級某肉の某ステーキとかを頼んでほしいです。
ドームライブに行った。声優が歌うやつ。この時点で察してほしい。察せない人は続き読んでも面白くないだろうから読まなくていいよ。
運のいい友人が2連番で当てたので連れていってもらうことになったのが理由だ。なぜ友人が私に声をかけてくれたかというと、その公演には私の応援する女の子の声優が出演するから。それに関してはひとまず置いておいて、披露されそうな曲はほぼ全部知ってるからわりと楽しみだった。
ここでとりあえず私が私の応援する女の子のことがどれくらい好きかっていう話をする。読み飛ばしてくれてもいいです。
まず見た目。圧倒的にかわいい。強い。美しい。のどの形容詞でも言い表せなくて歯がゆい。それでいて完成されてない。ミロのヴィーナスの美しさに近いかもしれない。
次に性格。性格を言葉で説明するのって難しいね。私からするとかっこいいなって思う。本人的には自由奔放に生きてるんだろうけど、私から見るとブレない一本の芯が通ってるように見えて。その芯っていうのはあの子のやりたいことをやっている、ってところなんですね。当たり前のようで、やりたいことをやり続けるって難しいじゃないですか。なんとなく何かに流されて、やりたくないことをやって、あとからなんか理由をつけて自分を納得させるみたいなことあるじゃないですか。私はそういうところがあって、自分のそういうところが嫌いなんです。そういう私から見ると、思うがまま望むがままに進んでいくあの子の姿が輝いて見えるんです。これ性格の説明じゃないね。
声。しゃべりも歌声も含めて、素敵。性格のところで書いたのは概ね文字情報から見出したあの子の脳内イメージなんだけど、それに全然負けてない。自由奔放で気楽な感じと、筋が通ってる強い感じと、ちょっと冷徹な感じと、あとあの子頭がいいんだけど、そういう知性がある感じとか、全部ニュアンスに入っててすごい。これは私の応援する女の子の声優さんがすごいんだと思う。ありがとう。
で。そのライブに出演する声優にはいろんなひとがいる。様々な役を演じてきた人もいるし、アーティストとしても活動してる人もいるし、このコンテンツくらいしか目立った出演作品がない人もいる。私の応援する女の子の声優は多分一番最後のグループだろう。
本題。私の応援する女の子の声優は、歌がそんなに上手くない。ダンスも特に目を引く部分はない。気の利いたMCもしてくれない。これって格差じゃないですか?
今のはさすがに冗談で、演者の実力に差があるのが格差だからどうたらこうたらって言い出すほど頭の中お花畑じゃない。でも私は納得いかない。
とりあえず誰が悪いのかを考えてみた。
(1)声優本人
ここをお前らオタクのせい!ってできたらよかった。お前らがなんでもかんでも歓声あげて、どうでしたかって聞かれたらよかったーとか最高とか叫んで、SNSで称賛するから、みたいな感じで。
でもそうじゃないと思う。さすがにあのレベルのパフォーマンスしてたら自分で気づくはずだ。気づいてほしい。気づかないならもうしょうがないのでいいです。
そもそも私そこまでこのコンテンツちゃんと追ってるわけじゃないけど、知る限りではこの人のパフォーマンスがなんというかダメなのは前からだ。私が何度かこの人のステージを見た感じだと、目を見張るような進歩はしてないと思う。でもこれは極めて主観的な話だから、もしかしたら私の脳内の完全無欠最強私の応援する女の子を重ねてしまっているせいかもしれない。もしそうだったらごめんなさい。でもあなたの仕事は私にあの子の幻影を魅せることじゃん。
ちなみにこの人より色々とひどかったけどわかるくらいよくなった声優さんもこのコンテンツにいる。だからなに。
私から見ると、本人にライブに対する向上心がないのかなあと思わざるを得ない。音域はボイトレで広がるし、ダンスが続かないなら基礎体力をつければいいんじゃないのかな。これは言いがかりだけど最後の挨拶とかいつもなんか浅いんだよなこの人。でも今回は演者として喋る機会が少なかったから比較的ボロ出てなかったんじゃない?
朗読劇はなんかサービスというか、こういうこと言ったらみんな喜ぶでしょ?みたいなアレでしたね。普通でした。
(2)オタク
ほぼ上述。でもこれはもうしかたないかなって思ってる。だってお前ら、本当は声優のパフォーマンスが良いとか悪いとか興味ないもんな?ライブに行って、ペンライト振って、周りと同じタイミングで声出して、終演後に飲み会かツイッターでどこがよかったとか適当なこと言うっていう行為自体で気持ち良くなってるみたいだから。ほんとは誰も私の応援する女の子のことも私の応援する女の子の声優のことも見てないもんな。いいよそれで。
(3)えらい人のディレクションとか
最近ようやく気づいたんだけどこれもよくないのかも。歌う人にあった音域の曲を歌わせてあげてほしい。ダンスがダメなら演出とかダンサーとかでカバーしてあげてほしい。本来ライブで歌う仕事じゃない人を歌わせて、踊る仕事じゃない人を踊らせてるんだから、そういうところはフォローしてあげてほしい。声優としての演技力、表現力で勝負させてあげたらもしかしたら違うものが見えてくるかもしれない。曲だってコンテンツの前例を考えたら遠からずライブで歌うことになるんだから、レコーディングでしか歌えないような曲を歌わせるべきじゃないのでは。私作曲家でも振付師でも演出家でもないけど、そういうもんじゃないの?
ここまで読んだ方は声優を褒めたりけなしたりなんなんだって思ってると思う。私が一番そう思ってる。
繰り返しになるけど声をあてる声優としての私の応援する女の子の声優の仕事は完璧なのだ。でもライブとかで出てくると、何かが違う。これは本当につらい。
もしかしてゲームで声あててる人とライブで出てくる人は同じ声帯の別人なんじゃないのかと思うくらい。
何が言いたいかっていうと、私も私の応援する女の子の声優を、まっすぐ応援できるようになりたい。もっとこのコンテンツを楽しみたいから。
そのためには、この感情をなんとか整理する必要がある。そしてそれは残念ながら私一人の力ではどうにかできない。
私の応援する女の子の声優が、なんとか、一つだけでもライブですごいところを魅せてくれたら、あの子を感じさせてくれたら、その姿で私を陶酔させてくれたら、それだけで全て決着が着くわけです。
圧倒的な歌唱力でも、度肝を抜くようなステージングでも、そこにあの子がいるような表現力でも、あの子に寄り添ってくれていると感じられるようなMCでも、なんでもいいから、なにかを感じたいんですよ。お願いします。
よく考えたら一つだけいいとこあった。時々結構刺さる表情するわ私の応援する女の子の声優。そこは好き。でもこれで許せてないってことはいいところ一つじゃ全然ダメだわ。全部やってください。
それにしても表情、よかったなあ。また機会があったらライブに足を運ぼうと思う。万が一パフォーマンスが化けてたら見届けないといけないし。私もすっかり奴隷だなあ。
あとこれはいまさら言うことじゃないんだけど個別衣装これじゃない感あるから白衣着て。
おわり
社会問題の類いはたいてい一概にこれが正しいと言えないから、考えるだけで消耗してしまう。
いまホットな女性の社会進出の話にしたって、力の差や身長差みたいに生物的性別でほんとうに男女に差が出るものとそうでないものがはっきりしない or 比較的はっきりしているものでも他のいろんな問題が絡み合って混沌としている。明確な定義がなくて答えが出せない場合は妥協点を探るしかないんだけど、結局みんな自分が可愛いから、いつのまにか個人的な手柄取りや利権争いに飲み込まれてしまう。そうした権力闘争さえ掌の上で転がせるような、ある種残酷なまでの策略家がいればいいんだけど、健全な使命感にその狡猾さを活かしてくれる頭のいい人はなかなかいないものだね。少年漫画だと時々いるけど、現実社会では世論に負けそう。
つらいことがあったとして、自分だけの問題だったら嫌なこと言ってくる人からは距離をとるなり、仕事やめるなり、海外に逃げるなり、なんでもできるけど、責任が伴うとなると途端に身動きがとれなくなる。覚悟だとか、受容だとか、結局個人の受け止め方の問題に帰結してしまう現状が歯がゆい。
最近の増田には2chの書き込みを転載しただけのものがよく投稿される。
内容としても元から釣り目的で書き込まれたのか?と思うようなものが転載されているため、ブコメを多く集めてホッテントリに入ったりしている。
他人の土俵でいいから目立ちたい人達の犯行なのだと思われているようだが、実は違うのである。
彼らが期待しているのは、まず第一に元スレにあるレスの転載で応じてもらうこと。
文学者や歌人が過去の名歌の応酬で意思疎通するがごとく、知っている者にだけわかるやり取りを介して過去を再現する。
それを終えてようやく、元スレにはなかった生まれたばかりの新たなレスがつくことが望まれる。
一度終わったはずの会話、一度決着を見たはずの結論。
もうスレッドが終わって口を挟めなくなった空間への、歯がゆい不快。それを塗り替えることが可能になる。
過去を再現し、付け加え、歴史を変える儀式。昔話が今の形になるまでに辿ってきた進化の道筋のように、ネットにこぼれ落ちた話もまた生まれ変わり続けるのだ。
・自分より仕事ができる人に一切反論してはいけない(でも、自分より格下だと思ったらすごく横柄な態度や発言をする)
・どれだけ理不尽な扱い(暴力暴言)を受けても耐える必要がある
という思考回路を持った部下がいて、本人の話によると幼少期から社会人になるまでずっといじめを受けてそうなってしまったらしい。
とはいえ職業上、専門職の立場で意見を言わないといけない場面もあり、どうしようかなーと思って調べていたところ、学習性無力感という言葉を知った。
大人になってから仕事の人間関係でそういう考えになってしまったのなら少しは力添えできるのかもしれないが、幼少期からというのならカウンセラーではない私には無理だ。
「働け」
今日も旦那が言う。でも無理。そんなの無理。だってゴミ捨てに外に出るのだってこわいんだもん。
1年前、私は都会で公務員をしていた。長いあいだ、ずっと復職と休職を繰り返していた。もう限界だった。
周りの目が怖くて、少しでも良くなったら復職していたし、転職もなかなか考えられなかった。
「公務員で恵まれているのに、ワガママだよ。我慢しろよ。私のほうが…」と恨みつらみをぶつけられるのが辛くて。でも、上司から声をかけられるだけで過呼吸になって、もう続けられないと思った。
知人の紹介で知り合った今の旦那にだけ素直に気持ちを吐き出せた。それは彼も一般的に「恵まれている」といわれる職業だったから。その彼が恋人ではなく、いきなり結婚を決意してくれたもんだから、有り難く生まれ育った都会を捨てて、地方都市にやってきたよ。
毎日ゆっくりと日々が過ぎていく中で、少しずつ私は良くなっていった。
でも、まだ、こわいんだ。
人の悪意がこわい。
私がかつていた職場は、市民を助けるような仕事だったのに、パワハラが横行していた。私はそんな中で、真正直にゆきすぎた。仕事を効率化して、空いた時間でいろんな人のフォローをしていた。仕事が早くなるし、市民の満足度も上がっていいだろうと思っていたけど、目立ちすぎた。
上司から小部屋に呼ばれて1日2~3時間は責められることになった。
「余計なことをするな」「マニュアルを一字一句覚えるまで読み返していろ」「この部署に来たばかりの癖に意見するとか10年早いんだよ」「常識知らず」「小学生からやり直したらどうだ」
私が正しいはずなのに、どんどん私がおかしいことにされた。昨日「A」と指示されたことが、指示を変更されないまま「B」になってて、そのとおりにできていないから使えないとされた。会話のメモもある、メールの履歴もある、録音だって録った。それでも、人事も、産業医も、「私がおかしい」と判断した。
そのくせ私がやった成果に首長が関心を持つと、上司たちは競い合うように「私が考えた」「私がやった」と言い張った。
公務員なので、形ばかりの組合は役に立たない。親戚に恩がある有力者に相談した。
「あのね、君以外にもいっぱいそういう人がいる。その中には体力があって裁判を起こす人もいるんだ。でもね、役所はお金があるから、少しでも風向きが悪くなると新しい弁護士に変える。4~5人は変えたかな。その時点でその人は諦めた。お金も時間もとてもかかる。でも何もかえってこない可能性のほうが高い。それでも君は戦い続けるのか?逃げてもいいんだよ。もちろん戦うと決意してくれるなら、僕は全力で助けるけどね。」
私は裁判所というものは間違っているものに鉄槌を下すものではないということを経験上知っている。かつてDV夫との調停離婚をしたときに、奴は精神を患っているからお金を払えないと言い張り、調停員はその言い分を飲んだ。奴の親が社長の会社の給料明細が証拠として採用された(出勤日数が少ないこととお金を持っていないことの証拠らしい)。親から月に100万以上のお小遣いをもらっているから払えないわけがないのだが、お小遣いの証拠を私が示すことができないので、涙をのむしかなかった。
だから今度はしっかり、逃げた。
そうして、はや1年。ここはいいところだと思う。
旦那だけじゃない。旦那の友達もみなホワイト企業だ。みんな定時で帰れるし、残業代もちゃんと出る。通勤時間も1時間以内が当たり前だ。体調を崩せば会社の人が心配をして、無理をしなくていいよと休ませてくれる。
女性のファッションに関しての考えかたや、長男教が盛んなところがかなり遅れているなあと思うけど、それ以外は文句なしだ。
分かってる。
それでも「もし」を考えて、前に進めないばっかりだ。
最初は私が落ち着くまで、と見守っていた旦那も「役所で働け」「ダメならどこかでアルバイトでもいいから」としつこく言うようになった。でもこんな、すぐ落ち込んだり、すぐ気疲れして動けなくなるような人、雇ったほうが困るよ。
昔はこんな風じゃなかったのに、と思って歯がゆいのは私のほうだ。いつになったら元に戻れるんだろう…。くやしいよ。私を追いやった人たちは今日も良い母や父を気取って、笑顔で日々を過ごしてるんだよ。
→単純に気になるから。ストーリが面白そうで、見たいとかも無くはないけど、サキイカが歯に挟まっているような、それがとても歯がゆい。
一年に一回くらいのペースで、思い出してはググる→わからない、というのをかれこれ5年くらいしています。
あと、キャラクタは現実寄りで、アニメっぽさは薄かった記憶(とはいえリアル調ではない。うろ覚えなので断定情報にはできないのですが、金髪とかピンク髪とか、そういう記号的表現はあまりなかったような…)。
アニメで画像検索してたらSHIROBAKOの感じが近いかもしれない?あれくらいアニメっぽさが薄い感じ。(とはいえこれもうろ覚えなので(略
→現実的な武装のみです。重火器メイン。剣や刀も無かった?服装は、緑っぽくて、迷彩服?プロテクターとか?そんなだったような。
予め宣言しておくと 皆が口を揃えて言う「雪質が最高だから」という理由は当たり前すぎて聞き飽きているだろうから、それ以外のことを書く。
自分はバックパッカーでアジアの遺跡や寺院巡りを中心にいろいろと旅している。寒いところは大の苦手だ。
その数々の旅の中で印象的で記憶に残っているのが5年くらい前にミャンマーかラオスかのゲストハウスのドミトリーで同室だったオーストラリア人との会話。
会話前略
豪人「Yeah! I went トーキョー アァンドゥ ヌィスィクォ」
ニセコが外人に人気だということは当時知らなかったし、確かまだ民主党政権下の円高で訪日外国人客もそんなに多くない時代だった。
(・・・・・逆にバックパッカーにとっては円高の恩恵を受けて非常に楽な時代だった)
東京はさておき、京都でも沖縄でも奈良でも広島でもなく謎のピンポイントの地名らしき名前を言われて混乱した。
最初は聞き間違えかと思ったが何度か聞き直した挙句、北海道のニセコという超マイナーなスキー場ということがわかった。どうやら雪質が良いらしい。
当時は「ほーん、雪質が良いってだけでわざわざ赤道超えてはるばる来るんやなぁ スキーヤー、スノーボーダーの熱意は大したもんやな」程度に捉えていた。
しかし、今年ようやく念願叶ってニセコに行くことが出来たことでほとんどの疑問が解決出来た。 これは確かにニセコに外人が押し寄せるわけだ・・・。
卵が先か鶏が先か、というツッコミを受ける話になってしまうのだが・・・・
スキー場スタッフはおろか 山小屋 レストラン 町中のタクシー ホテル 温泉 飲食店に限らないスキー場周辺の一般住民 ほとんど全てのに対して英語が通じる。
メニューや標識看板、放送などもほぼバイリンガル。 英語が公用語ではないアジアの他の観光地と比べても遜色ないレベルかもしれない。
そのへんのホテルの中にある売店(ビールとかおつまみを買うところ)でも使える
たしか、ゲレンデのレストランはSuicaだのEdyだのiDだのも使える機械があったと思う・・・けどちょっと曖昧。違ったらごめんなさい。
ゲレンデに適切に配置されたロッジの中に暖かくて清潔で広いトイレがあり、かつ十分に数があって全く並ばない。
個室の中もそれなりに広く、重ね着していても快適に用を足すことが出来る。
スキーウェアを着ながら用を足したことがある人にしか伝わらないかもしれないのだけれども・・・
うんこを愛する増田達にはきっとこの素晴らしさは伝わると願っている。
単に広いというと禿山に広がる広大な斜面を想像されるかもしれないのだが
独立した4つのスキー場がところどころで繋がっていてかなり自由に行き来することが出来る(特に東から2番めのヒラフは桁違いに広い。完全立ち入り禁止のとこも勿論あるので全部が全部入れるわけではない。)
コースとコース、スキー場とスキー場の間に生えている木々がちょうど良い塩梅の間隔でコース間滑走が楽しい。
この木々の間隔をうまく伝える語彙力の低さを強く自覚していて、非常に歯がゆい。死語だがボキャ貧。
全部が全部ではなく一部のリフト等は15時半あたりから終わってしまうのだが、かなりの広範囲のコースでナイターが楽しめる。
そして、友人曰く珍しいことなのだがリフトのみならずナイターでも一部ゴンドラが動いている。
朝に羽田から新千歳に飛んで、昼過ぎとかから20時半とかまで滑れる、しゅごい。
他にもフードが着いていて雨風を避けられるリフト(座ってても寒くない)をはじめとするスキー場のインフラ面が他のスキー場と比べて秀逸。
4つのスキー場を結ぶNIZEKO UNITED シャトルは、全スキー場共通のリフト券を持っていれば無料で利用可能。 時間もスキー場によっては23時過ぎまである。
例えばナイターのないニセコ花園リゾート近くの宿に宿泊していても、夜までナイターのあるヒラフで滑ってそこからバスで晩飯食べに行ってからバスで温泉行ってバスで帰ってくるみたいなことが可能。
あとは若干行動に制限が生まれて不自由ではあるが、スキー場とスキー場の間にある宿であってもだいたい近くに停留所はあるので宿の選択肢を広く持てる。
需要があるから供給もあるという話ではあるが、温泉や日帰り温泉を受け付けているホテルが多い。朝6時から24時までやっているところも。
私が行った温泉はすべて休憩室が完備されており、湯上がりにビールでも飲みながら暖かく快適に友人を待つことが可能だった。(仮眠も可能)
余談になるが、温泉が好きなのは日本人だけであって"西洋人は公衆の場で裸になるのに対して恥ずかしいと感じる"という思い込みがあったのだがニセコで完全にそのバイアスが崩れた。
あいつら温泉に酒持ち込んでめっちゃリラックスして楽しんでやがる・・・・もしかして日本に来る人は特別なのだろうか。
もう一つ余談。 温泉等に良く付いている有料のマッサージ機について。
私の観測範囲内では今まで国内旅行においてほとんど誰も使ってるところを見たことがなかったのだが、ニセコでは外人が凄い高い頻度で利用していた。 技術立国、クールジャパン!
コンビニのセイコーマートがあるヒラフ十字路近辺には流しのタクシーが高頻度で走っているし、電話したら各ホテルやレストラン、温泉まで来てくれる。
湯上がりに外を歩くと髪の毛が凍るレベルの外気なのだが、23時を超えて温泉から宿までのわずか数百メートルのためにタクシーが来てくれた時は有り難さで涙が出た(初乗り+割増の660円だけで申し訳ない気持ちだった)
「北海道なんだから当たり前だろ!」と思われるかもしれないが、スキー場から歩いて行ける範囲内で美味しい店が多いという条件って実は意外と難しい。
繋がってるスキー場を渡った上で、理由6のシャトルバス運行をうまく絡めると無料でさらに選択肢が広がる。
"「雪質が最高だから」という理由以外のことを書く" と言ったな あれは嘘だ
正直雪質が良いって言われても初心者だからそんなんたいして違いとかわかんないわー 関係ないわーって思ってたんス
でも、初心者こそパウダースノーで雪質の良いところで練習すべき! こけても全然痛くないし、痛くないからちょっと大胆なことも練習出来るし上達も早い!何より滑るのがチョー気持ちいい!
毎日大量に雪が振るからシーズン中(2月途中くらいから悪くなるらしい)は新雪でフカフカだし、朝に頂上まで行ってそこからヴァージン・スノーのみを使って下まで降りるのが至福の快感。
絶対に人生で一度は行ったほうがいい。凄い貴重な体験が出来る。超絶オススメ!!!!!!思いっきり背中押すから若いうちに行っとけ!!!!
http://tech.s-cubism.jp/blog/archives/3723
以下、ニセコに限らず日本全体に当てはまることではあるのだけれども理由追加。
10の理由と言ったな あれも嘘だ
オーストラリアとは2時間差、ニュージーランドは4時間差らしい。
たしかになーと納得。
日本人が軽井沢に行く感覚・・・というよりは夏にスイスやフィンランドに行く感覚?
自分の経験だけど、今シドニーとかメルボルン等の都市部ではランチでお高くない普通の店でも2000円を軽く超えてくる。(だからこそ日本のラーメンが1杯1000円超えてても人気だったり)
あとは本題と外れるけど、ホノルルのワイキキで丸亀製麺に行列が出来てたりで現在海外における日本料理の一部は所謂日本にとって一昔前のマクドナルド的な存在だったり。
日本人からするとスキー場のラーメン1000円とかカツカレー1500円って 「うげぇぇぇぇぇえ」ってレベルだけど、彼らからしたら安いのだろう。
らしいのでそうなのかな。他の観光地も組み合わせた上で、夏も寄ってみたいって思いました。
おそらく最大の理由。全ての理由を経て、来訪した経験者の満足度が高かったんだろうね。
その満足度の高さが、さらに客を呼び好循環を産み出している最強の状態。
台湾やタイ、マレーシア他東南アジア等暑い国々のお金持ちが涼みに来る とか
そういうのではなく、ニセコは本当に肌感覚として明らかに白人が多いんです。英語も超綺麗な発音でネイティブ。
純粋にスキー、スノーボードが大好きな欧米人が遊びに来てるな!!って今回の旅行で印象を受けました。
若干日本人と比べてマナー悪い部分とかも無くはないんですが(セイコーマートのコンビニの灰皿とかゴミが投げ入れられていて惨状だった・・・・) 文化の違いも体験出来るし素晴らしいところです。
重ね重ね、一度は冬のニセコに訪れて見ることを強くオススメ致します。
乱筆失礼致しました。
気付かぬ間に400近くもブクマが!!
若者のスノボ離れとかウィンタースポーツの国内人口現象とか言われてるけど、なんだかんだ皆さん興味はあるということでしょうか
(それともはてな村の平均年齢が・・・・・ おっと誰か来たようだ)
https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0227.html
やっぱ資本の力が大きいんですね。やや不動産価値がバブってるってのも含めて理解が深まりました、URLの紹介、有難うございます。
他の方が指摘されてるように、日本人にとってのハワイみたいな位置付けがオーストラリア人他外人にとってのニセコなのかもしれませんね。
>超マイナーうんぬん
釣るつもりは全くなかったのですが、寡聞に付き大変失礼致しました。
当時まだ若く、関東からちょっと足を伸ばせる範囲の群馬長野新潟のスキー場数個(白馬、湯沢、水上など)くらいしか知らなかったので完全に無知でした。
あとなんか積雪量の関係で新潟とか日本海側が最強で北海道は劣るとか思い込んでました・・・・。
無理に他のスポーツに例えるならばサーフィンをほとんどやったことない人が「青島?どこそこ?」みたいなレベルの話です。
完全に東京中心の悪い意味での中華思想でした、お詫び申し上げます。
釣るつもり・・・・・といえば逆にトイレの項目で、はてな村の皆さんが大好きなうんこネタを振ったのに誰も食いつかなくて寂しいです(`;ω;´)
やはり漏らさないと駄目なのか。
各集積所を回っては“お目当て”を探し抜いてゆく。
ここ最近、資源ゴミと不燃ゴミの日(指定袋に入って持てるなら大型ゴミで出すものも不燃ゴミになる地域)になると、必ずといっていいほど、同じ地方に属するナンバーをつけた回収業者が来る。
朝6時半とか7時に。市の回収業者が10時以降にしかこないのでそれまでに。
知ってる限り2台はいる。
以前、不燃ゴミの収集日で、仕事の出発前に集積所に出すため、自宅敷地内の玄関先に朝出しておいた金属ゴミが入っている不燃ゴミを置いていた。それを外から見つけたのか、インターホンわざわざならしてくる輩。
強い口調で、いや眠くて不機嫌ながらに、『あなたは市の業者じゃないだろう』というとふごふごいいながら、立ち去った。
周辺のご近所さんところでもインターホン鳴らしては要らない原付などの“お目当て”を回収してた。
不審者は通報するしかないかと思い、通報だけはして自分の不燃ゴミはもちろん集積所にちゃんと出した。
集積所から私の金属ゴミやら、余所様の金属ゴミの入ったもののみ抜き取ってすたこらさっさと消えた。
この前に通報した警察官から、また不審者が居たら通報してくださいと言われ通報。
そのときの会話では、
・もちろん自宅内にあるゴミを勝手に持って行かれたら窃盗になる。
・集積所の中に入ったゴミは回収自治体の持ち物となるため、自治体が被害届を出さないといけない。
という話だった。至極当然な話ではある。
たぶんインターホン押してきたのはもしあとからもめて窃盗にならないよう同意を取ろうとしたのだろう。
集積所の話となると、自治体側に聞かなければならない。
・違法回収がひどい地域にこちらから収集日の朝などにパトロールなどは行くようにしてる。
・集積所に出してるのは住民の方々だが、集積所に出た時点で自治体側になるのはわかってるのでせっかく回収したゴミが適切に回収されず、申し訳ない。
ということだった。
税金納めているから、なんでもやれ、それくらいやるのが普通だろ!という極端クレーマー理論は展開する気はない。
ただ思うのは指定ゴミ袋をきちんと買って、日や時間を守ってだすのに、ルールもモラルもない輩にもってかれ、どう処分されてるかわからない。
むしろ都合のいいとこだけ抜いて知らない場所に投棄されてるかもしれない。
仮にも事件になったとして、ゴミを適切に出す側には何の落ち度もないし、疑われる話すらないが、ただ自分の出したゴミが輩のせいで、事件後に迷惑をかけて他人様にまた回収してもらうゴミになってしまうのが嫌なのだ。考えすぎかもしれないが。
しかも指定ゴミ袋だってわざわざ買うのに焼却処分されずにわからないところへ行ってる。
何のために袋買ってるんだよ。
よくわからない勝手に無料回収の輩を見つけた瞬間に警察に不審者として通報するか、はたまた状況証拠を抑えて自治体に知らせるしかないのか。