2019-02-04

差別についての個人的アウトプット2019(長文)

最初Twitterのサブ垢で軽く呟こうかなと思って書いてたけど、テーマテーマなので、熱いお客さんを呼ぶと面倒だなと思った。

でもせっかく日頃考えていたことを言語化したので、この形で残しておくことにした。

元々は女性差別の流れから、「美人だという理由差別されることもある」という趣旨の文を見かけて、これは常々そう思っていたことだったので、差別について個人的に考えていたことを書き始めました。

(※私は美人ではない)

=====

私は性別による役割分担については、肉体の構造や脳の仕組みの違いがある以上、あって然るべきだという考え方だ。

ある程度人を見た目で判断区別するのも、生物本能から仕方ないことだと思っている。

それとは別に、人が決める枠によって自分ポテンシャルや意欲を阻害される体験をして、それをハンデだなぁと感じることもある。

私は結構いい年の女性だが、技術職なので年齢由来のハンデは受けにくい。それでも経験が長くなるにつれ、性別由来の固定概念の枠(ハンデ)を感じることも増えてきた。

枠に柔軟性がない人や、そもそも自体認識しておらず、自分が枠を設けて外を見ていないという自覚もない人もいて、そんな人達自分理解してもらえるようアピールしても、見えてるはずなのに認識されなかったり、スルーされたり、一時的理解されたと思っても、翌日には忘れ去られたりする。

そんな時は、性別や見た目という枠なしで見てほしいなぁと思う。

特に、枠外にあるもの自分本質に近ければ近いほど歯がゆい

人が慢性的不利益を受けたりストレスを感じるような枠組をつけられることを差別というなら、私も日頃、差別経験していると言っていい。

ほとんどはストレスを感じながらも、仕方ないことだと思えることなので、声にすることはないですが。

性別は枠の切り口の一つであって、もちろん男性差別されることがあると思うけど、女性のほうが、填められる枠が強固というか、本人の意にそぐわない、社会性も強い類の枠の種類が多い気がする。

それが感じる側の問題なのか、区別する社会側の問題なのかは意見が色々あるだろうけど、感じる側が我慢するより、受け入れる側を(可能な限り)柔軟にするというのが、社会が目指してる方向性だと思う。

なので、枠の存在を忘れがちな人にリマインドすることは必要だ。

多少うるせえなと思われても、度々リマインドされることで、枠の認知度は上がっていく。社会全体の方向転換に少しずつ繋がるだろうと思うので、活動家の方々の頑張りには意味がある。

個人レベルでいうと、各々自分が持っている枠を柔軟にしたり、枠を持ってるということ自体自覚して、意識することは、基本的不利益はないはずだ。人間関係は円滑になるし、相手だけじゃなく自分メリットにもなる。

少し話は変わるけれど、社会性が低めな事柄でも、枠に填められることで感じるハンデがあると思う。

劣っている側が、優れている側を差別するということも、間々あると思う。

例えば身分が違ったり、めちゃくちゃリア充だったり、凄い美人だったり、ハイパー洒落人間だったりすると、わかり合えない気がして距離を取られる。

またはやたら崇めて理想化する。

そうすることで、本当は似たもの同士なのに親しくなれなかったり、欠点もあるのになんでも簡単にできてると決めつけられたり、振る舞いを過剰に期待されたりする。

これを差別と呼ぶかは人によると思うけど、見てほしい本質が枠の外側にある人にとっては辛いことだろうと思うし、根本人種差別と同じだ。

美人であることで困ることなんて大したことじゃない」と決めつけるのはフェアじゃないと思う。

こんな偉そうなことを書いていると、まるで私が、誰にでも分け隔てなく接することができるかのようだけど、まったくもってそんなことはない。むしろ人をジャンル分けするのが好きな質だ。(語弊があるかもしれないけど事実そうだ)

単に枠組みで見た時には、リア充ハンサムも過剰におしゃれな人も苦手だし、外人も(たとえ日本語が喋れても)わかり合うのに障害があると思う。「男は」「女は」という切り口で性質を語ってしまうこともある。違いがある以上、多少のステレオタイプ事実存在する。

ももしも個人レベルでご縁があった時には、できるだけ自分の中にある枠をなくして、フェアに接することができるようになりたいとは思っている(できてるとは言ってない)。目下取り組み中だ。

====

余談だが、「(500)日のサマー」という映画で、私は初めて美人のハンデについて考えた。私はサマーがとても可哀想に感じたんだけど、フラれた主人公側に感情移入して、彼女小悪魔だ気まぐれ女だとレビューしてる記事も見かけた。(主人公視点ではそう見える)

もちろん彼女自由な基質だったけど、あんなふうにYesマンに崇められたら、そら付き合い続けることはできない。

結局彼女自分普通女性として扱ってくれる人のところに行った。

サマー差別されているとまでは言わないけれど、始終色眼鏡で見られたら、そこに相互理解は生まれないなと思う

記事への反応(ブックマークコメント)

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん