はてなキーワード: 楽器とは
楽器に関しては昔は雑誌がその役割をしていたが今はほぼなくなった。
音楽のジャンルはテレビやラジオの音楽番組だったが今はそれも減った。
たとえばギターのギュインギュインってのを「アーミング(Armstrong)」って呼ぶらしいことを最近知った。
どうもギターには棒みたいなのがついててそこを腕で思い切りグリグリすると音がフニョ~~~ンってするらしい。
俺は小中高で12年音楽を習ったし小学校時代はピアノを習っていた(右手の小指と薬指はバラバラに動くけど左手の薬指と小指は半分ぐらい繋がっている)が、全くそんなの知らなかったぞ。
1 クラシック(電子楽器とかチャラチャラしたボーカルがない)
2 ポップ(ロックだろうがメタルだろうが昭和歌謡も含めて全部コレだ)
ビートルズはロックらしいが、ビートルズっぽい歌い方をしてる日本のアニメソングがJ-PoPでいいのかロキノンなのか分からんしぶっちゃけロキノンはなにがノンなのかも分からん。
まあそれでも全く困らないと思っていた。
たとえば俺が好きな曲に「 allegro cantabile /SUEMITSU & THE SUEMITH/のだめカンタービレ OP」と「グルッポ/茶太/Like a Butler OP」があって、この2つは音楽の感じか俺の中では似てるんだが、そもそも音楽ジャンル的に似てるのか、コードが近いのか、技法が近いのか、ぶっちゃけパクリに近いのか、そういったことさえ何も分からん。
ピアノ習ってたんだろ?って言われそうだけど俺の先生はとにかくコンクールに向けて丸暗記しろ以外のことはほとんど教えてくれなかったし、俺も親の趣味に付き合っていただけで微塵も興味ないし「いや~~俺もスターウォーズとかやりってっすわ~~」といった提案さえしなかったのでマジで「鍵盤叩くと音出る!頑張って覚える!」で全部終わってたからマジで何も分からんのだ。
音感は生まれつき皆無だったし、ピアノ教室に通っている最中も「鍵盤叩けば音出るんだから俺が知ってる必要あるか?」状態だったのでこのコードはこの音階でって言われてもマジで分からん。
なまじピアノやったせいで俺の中にある音楽の感覚が「右手でピロピロしつつたまに左手でペチッペチッと別の音を出す」の世界で終わっているし、それも和音が「よくわかんねーけど必殺技」レベルの感覚で人生に強烈に残ってしまったから、和音の一部を曲の屋台骨として使っていくなんて感覚がねーんだ。
生兵法はジッサイアヤウイと古事記にも書いてあるように、俺の音楽感覚は結果として楽器に半端に触れないで暮らしてきた人間と比べて最悪な形で歪んでいるからマジで音楽が分からねえんだ。
どんな楽器にどんな音の出し方があるのか、それがどういう効果として使われているのか、クラシックの名曲でどの楽器がメインなのかも分からん。
G線上のアリアでさえそもそもああいった音が出てるのが弦楽器だと認識できずにピアノの曲だと思っていたぐらいだ。
だって弦楽器ってギターみたいにギュイーンギュイーンだと思うじゃん?
それでどうやって普段音楽聞いてんだよって言われても俺にとってはそれが当たり前なんだ。
たとえば小学生がゲームやってて「あー当たり判定の設定が見かけよりデカイけど雑に四角形で取ってんのかな・・・それならこの辺が端か~~よっしゃよっしゃ有ってるっぽい」とか「ライティングの仕方がうめーな。マシンパワー節約しつつ程よく室内感出してんわ~」とか「あのNPCの視界判定がフラグになってるからそこ迂回したら良かったわけね~~~」みたいな感じの独り言いいながらゲームしねーけど普通に遊べてんだろ?
バンドの編成とか、どんなコードとか、どこから影響受けてきてるかとか考えてなくても曲って聞けるんだよ。
昭和のおばちゃんはTVの仕組み分かってねえしハンダなんて素材も知らなくても叩くと接触不良が治る可能性があることを直感と経験で知ってるのと一緒だよ。
でもそれだとどこかで限界が来るんだよ。
もしもハンダを知ってたら中の基盤ちょっと抜いてちょっとずつグリグリして抜けてる場所見つけて付け直したら終わったような修理でも諦めて捨てるしかねーのと一緒だよ。
でもおかしくねえか?
12年あって、俺はなんでそういうの知らねえんだ?
モーツァルトの名曲は「アイネクライネナハトムジーク」でライバルとの確執が演劇や映画になってなんかめっちゃ有名になったということは知っているけど、それがどういう曲なのか思い出せねえし音楽的にどういう意味があったのかは分からないままで「モーツァルトは、天才です。ウィーンはオーストリアです。オーストラリアじゃないです」だけを機械のように答えられるようになっただけで!終わってんだよ!それが音楽を聞く人間として何の意味があるんだよ!
結婚を予定していた相手がいるが、度重なる要求に心身疲れ切ってしまって別れたい。
というか別れないとこの先耐えられる気がしない。
以下辛いことを書き連ねていく。
特にネトストの傾向がひどく、自分の本名やアカウント名、メールアドレスなどでひたすら検索し、
使っていそうなサービスについてはまず登録していないかを確認する。
登録が確認できるとログインを試み、できない場合は自分の端末(iPhone, iPad)などから閲覧しようとする。
登録しているだろうと見当をつけたジャンルについて、片っ端からサービスの新規登録画面で自分のメールアドレスを入力し、
自分のiPhoneのgmailアプリにメールが届けばシロ、届かなければ登録済みとしてクロ扱いしていた。
家庭環境が荒れていたことが原因というのは理解できるが、それを自分に押し付けてくることが多く辟易している。
何か触るとすぐにウェットティッシュやアルコールで消毒するなど、日常生活において潔癖なことはまだ問題ないが、
以上についても異常な嫌悪感を持っており、一度病みだすと手に負えなくなることが多々ある。
自分がいるなら消すのが当たり前、とのこと。
LINEやiPhoneの連絡先は自分で消したが、消し忘れていたFacebookについては相手に消されていた。
浮気なんて微塵も考えていないし、連絡していない人がほとんどだったが、学生時代の友人を彼女の手で消されていたことはショックだった。
2次元の女性キャラクターが出てくるものに興味を持つことが気持ち悪くて耐えられない、とのこと。
相手は昔、そういった作品が好きな男性からストーカー行為を受けていたらしく、気持ちは理解できたので売るか捨てることにした。
自分がいわゆる「萌系」の作品を持っていたことも原因だが、処分した今でも、昔好きだったことについてあれこれ言われ続けている。
「そんなコンテンツが好きな人間だとは思わなかった」「気持ち悪い」
「そんなのが好きじゃない人と付き合いたかった」「好きならもっと早く言ってほしかった」
ならどうして今付き合ってるの?と聞いたが、
2次元が好きだったことは無理だけど、他にもいいところがあるのは知ってるから好きになろうと努力している。
と返された。どうやら今は好きではなく、好きでいられるように頑張ってくれているらしい。
ちなみにメトロイドドレッドが先日発売されたが、向こうにとってはあれも「女性が出てくるからダメ」らしい。はやくプレイしたい...
友人に飲みに誘われて「行ってもいいかな?」と聞いても毎回「外に行って他の女を見るんじゃないかと不安になる。自分といるだけでは我慢できないのか。それなら付き合ってる意味がない」とメンヘラスイッチが入る。
毎度病むので治めることがしんどくなり、今はもう聞くことすら諦めてしまった。好きなら片時も離れたくないのが相手の恋人像らしい。
自分はそうではないので今でも友達に会いたいし飲みたいと思っている。
誘ってくれる友達に毎回断るのが辛くなってきている。
また、今のところ週5日でテレワークできているが、もし出社しなくてはならなくなった時のことなどは考えたくない。
性行為によって強く愛情を感じるタイプらしく、毎日できないと途端に不安がる。
同棲を始めてほぼ毎日行為をしているが、次の日に仕事があり、時間が既に深夜だった際にそれとなく断った時は大いに荒れた。
魅力のない自分が悪かった。もっと可愛ければ、あなたが好きだった2次元のキャラだったら断られなかったんだろうな。
こうなるともうひたすら自分への批難を含めた愚痴を聞くしかできず、少しでも反論しようとすると、
とねじ伏せられる。
仕事にも支障がでており、会社や副業先には申し訳ない気持ちしかない。
理由は2つある。
ひとつはこんな関係でも、メンタルが落ち着いている時は面と向かって好意を示してくれること。
それだけでこれまで挙げてきたことすべて我慢することができた。
彼女は6歳の子持ちのシングルマザーで、息子は自分のことを実の親のように慕ってくれている。本当にかわいい。
料理や掃除は自分が担当しているが、好き嫌いなどもなく「パパの料理、おいしくてだいすき!!」と言ってくれる。天使。
彼女は収入が安定しておらず、持病を患っていることから働けない期間がどうしても出てくる。
(彼女の実家の)家庭環境が荒れていたことから実家にいるだけでメンタルが削られてしまうため、去年から同棲しているが、
最近は自分が原因でメンタルが常に参ってしまっているらしく、ほとんど働くことができていない。
彼女が自分を好きでいてくれるかどうかはもうどうでもよくなっていて、息子のために我慢するしかないかな...と若干諦め始めている。
ただこの先彼女との関係が原因で自分が壊れてしまわないか、そして息子や知人に迷惑をかけてしまわないかがひたすらに不安である。
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
そりゃそうよ。
例えば原神というゲーム作品は、音楽ひとつとっても、モンド(中世ヨーロッパ風地域)ではロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、璃月(中国風地域)では上海交響楽団、稲妻(日本風地域)では東京フィルハーモニー交響楽団と著名な伝統楽器奏者を多数登用してBGMを録っている。
そうやってパーツにお金をかけて本気で良いものを作りたいんだってことを行動で示していくと、他のパーツ制作にもそれに見合うように優秀な人材が集まり、映像表現にしてもゲーム性についても洗練されていく、そういうモチベーションと好循環が生まれるわけよ。それを可能にしているのはやっぱりお金なわけで、もちろん企業風土とかもあるんだろうけど、ケチらんことは重要なんだろう。
結果として開発費に110億かけてもそれをリリース2週間で回収するヒット作を生み出し、年間の運営開発費に220億を追加でかけていても年間売上で2200億を超える作品となっているわけよ。
小さくまとまろうとしてはいい作品はできないし、ムーブメントを牽引するほどの力は生まれない。
例えばキズナアイだってそうだ。2016年、新しいスタイルで彼女がYouTubeに初登場した時点で、すでにかなり洗練された先端技術と企業をバックにして動いていた。その後雨後の筍のように生えてきた模倣者たちは、素人の趣味レベルのフルトラッキングや、Live2Dのような劣化技術で小さく狭い内輪向けのファンを獲得する方向に行ってしまったが、こうした流れ自体も最初の彼女がしょぼい作りで登場していたのなら、そして貪欲に日本の芸能界や世界の有名人に切り込みをかけていかなかったら、生まれなかった。Vtuberというスタイルは流行も定着もしなかったかもしれない。これも自身をスケールさせるためにカネに糸目をつけなかったからこそ得られた成果といえるだろう。
しらんけど。
仕事の後で、私用により往復200kmのうちの往路でハンドルを握り、
翌日の仕事は午前中にかなりイレギュラーな対応が急に舞い込むという、
そして午後になって程なく、軽い頭痛と肩こりを覚えたと思っていたら、
オフィスで何台も稼働しているパソコンの動作音のうち、低い音の成分だけが
「ボボボボ…」という感じで、右の耳の中だけでやたら響くようになった。
更には右の中耳の、そのまた奥の方で何かが詰まった感じが出てきて、
これが「いきなり聞こえなくなった」とかなら明確に突発性難聴の疑いがあるので、
仕事を即切り上げて病院直行だけど、そういうのじゃないみたいだし…
などと思いながら明日には良くなるだろうと、その日はなんとか仕事をこなして帰宅。
しかし、翌日になっても良くならなかったので職場には遅刻することだけ連絡して
耳鼻科に行ったら、なんと右耳の聴力が落ちていた。
具体的には、125~500Hzくらいの低い周波数の音に対する感度が、右耳だけ
有意に落ちていて、特に250Hzの感度が左と20dBも差があるという結果に。
一方、外耳にも鼓膜にも特に目立った変化はないとのことで、これから考えられるのは
もしくは
のいずれかだろうとのこと。
どっちなのかは、これから処方する薬がどこまで効くかでだいたい区別がつくそうで、
これを聞いて血の気が引いたことは言うまでもないが、それでも早く治療を始めたほうが
いいということで、処方箋と引き換えに薬局で薬を入手してすぐ飲み、
そうこうしているうちに目眩まで覚えるようになった中、どうにか帰宅。
帰宅後も、横になっている状態から起き上がるとクラクラする状態が数時間続いた。
そこでやっと気づいたのだが、確かに部屋のエアコンの音が、右と左で聞こえ方が明らかに違う。
ということは、もしこれが元に戻らなかった日には、軽度難聴の聴覚障害者になるのは確定だろう。
数日後に再度診察に行くことになっていたが、その時までにどこまで回復するのか、しないのか、
本当に恐ろしかった。
そして迎えた再度の診察。
結局、これはいわゆるメニエールの症状が特に聴覚方面に出たということなのだろう。
また、これがストレス性のものだとするなら再発可能性があるわけで、ちょっと勘弁して欲しい。
次こそ永久に聴力を失うのでは…と思うと恐ろしいことこの上ない。
これからはなるべく疲労と寝不足を避けるつもりだが、精神的に大丈夫と思っていても
体がついて行かないというのは、どこまで頑張れるかの予測が難しいし。
世の中をいろいろと騒がせている一世風靡したセピアじゃない方のやり手経営者とかいるじゃない。
メディアでよく見かけて本屋さんでも著書が並んで平積みになってる人。
そう言う人がさ
全部スマホで仕事ができる!勝たんしかスマホ!って言うもんだから
もしかしたら、
結論として私思ったのは
ああいう人は指示出してメールとかだけで仕事が出来ちゃう人だと思うのね。
きっとああ言う人が
物理的なそうねフィジカルな伝票や荷札シールを出したり貼ったりすることがない人たちの世界線は平行線交わらないから
そうそうにもうタブレットで仕事は出来ないかもって結論付いちゃったけど、
寝ながら仰向けになって動画を見ていてうとうとしていたら、
大ダメージを喰らいつつ角が刺さって
もう伝説の勇者しか抜けない剣ならぬタブレットになっちゃったもんだから、
これもしかしたら、
スポーツ新聞で女性タレントが始球式で絶対一面になってそうなノーパン始球式ならぬ
ノーバンで取ればセーフみたいなドッチボールシステムのルールを取り入れつつ、
いろいろと物色していたんだけど、
その副産物として
もしかしたらこれでしか勝たんタブレットで仕事を!って思ったのよ。
もういきなり初っぱなで、
さっき言ったフィジカルに接続された物理的なプリンターも接続することが出来ないし、
それリゾ!ラバ!って言いながら
いきなりしょっぱなで出鼻を挫かれたワケなの。
そう言った感じで全部スマホでお仕事ができちゃうなんて桃源郷の幻想のシャングリラのピーチツリーフィズなのよ。
要はあ・ま・い!ってわけ
私はあまーい!って言うよりも
手に持ったヴィブラスラップって言う楽器でガーって決めるところまでがお仕事だと思ってるから、
そうそうにそして
外に出て外出したらネットに繋がっていなかったという
結局私たちはLANケーブルの束縛から文字通り解放されたと見せかけて、
ダブルミーニングで上手いこと言っちゃったような気がして
抜けさせない問題があるのよね。
本当にああいう人たちって本当どんな仕事してんのかしら?って思うわ。
サザエさんに出てくる黒い家電話が出てきて一向に現実味がない!って批判があるけど、
あれはあれでもう時代劇としてみた方が
腑に落ちる感じがして格さん助さんな海山商事よ。
だから私結構意外とフィジカルなことやってるの多いんだなーって思っちゃって、
よくさテレワークテレワークだワーイ!って在宅で仕事してる人って
私だったら絶対カレー煮込みながらお仕事しちゃう自信あるもんね。
においは仕事先にバレないから絶対にカレー煮込みながら仕事していても分からないもんね。
在宅で完全にテレワークで仕事が出来ちゃう以外の仕事もあるんだなーって
今日はそう思ったし、
うふふ。
すっかり定番もうちょっと本当はタマゴ成分が欲しいところだけど、
ほどほどにした方が良いかもしれないわね。
そうかもね。
いい朝ですね!言いたくはなるわね
ならないけど。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
久しぶりに京都の街を歩いた。
ちなみにこんな音が出る。
千と千尋の神隠し「あの夏へ」 https://www.youtube.com/watch?v=OyOUaDy9_LU
その前にこのTikTok動画を見てた。カリンバではないが、これもいい。
https://www.tiktok.com/@enbiggen/video/7013546281284996357
お店に中に入る。
店員さんに聞くと、探しにくいところにひとつだけ在庫があった。
ただ箱に入ってるので、試し弾きができない。
諦めて店を出た。
家に帰ったが、やはり欲しくなった。
GECKOというメーカーのカリンバを3300円くらいで購入した。
今から楽しみだ。
今さらって感じもするが、8月くらいにセールだったのでサクナヒメ買った。
買うときにサントラ付きのデラックス版にするか悩んで、ちょっと調べてみたら作曲担当が曲の解説してるっていうんで、
彼の世間的な知名度がどんなもんかしらんけど、15年くらい前にBMSやフリーゲームをよくやっていた私からすると
BMSで「虚無への黙祷」をやったり、muzieで「天路歴程」をダウンロードしたり、RPGツクール作品でも曲を聞くことがあったり、
当時大変印象的な作曲家の1人だった。
大変懐かしく、(こっちが一方的に知ってるだけだけど)久々に同級生に会ったような気持ちになった。
さっきゲームもクリアし、ネタバレを恐れず楽曲解説を読めるようになったのでざっと読んでみたけど、
「虚無への黙祷」のケルト風楽器に触れてたり、田植唄とNinja Action TeamのBornの共通のルーツについて語っていたり、
いや増すばかりの懐かしさでちょっと泣きそうだ。
この場合の合ってるというのは
「チューナーで計ってもそんなにズレてないんじゃね」レベルで合ってるって話ね。
あるいは、その「音程だけ」に「先生から言われた通りの強弱をつけました」ってのが透けて見える演奏。
これが許されるのは、まあ大目に見積もっても小学校低学年まで?
要は十代になったら、そういうのは卒業してほしいわけよ。
児童・生徒が自立心を持ち始めるお年頃になってなお、そういう演奏をされると気色悪いことこの上ない。
「テメーの生徒は皆同じ弾き方すんだよ、気持ち悪い」
とほぼ一緒。
「すげー!!」「素敵!!」
って思わせることなわけじゃん。
そしたら、音程が外れていることよりも何よりも恐ろしいのは
「なんか、難しい曲弾くんだね」
これはもう、「指導者やリスナーの好き嫌い関係なくダメな演奏」じゃねーの?
その証拠に、こういう音程だけのやっつけ演奏で盛大にミスってみるといい。
思いっきり笑われない?つまり面と向かって笑われるくらいミスが悪目立ちするんだよ。
ミスったお前は評価どころか、恥をかいて変人ショー扱いされ、ステージの品位を貶めたという結果を残してしまったわけだ。
表現者として最低でしょ。
もちろん音程を無視していいわけじゃなく、最後は正確に合わせないといけない。
ただ、優先順位が高くないというだけ。
というのも、音程って何をどう表現したいかで、微妙に変わってくるものなんだよね。
そして表現を深めていくと、最初音程のズレが気にならなくても最後は正確なところに着地するというか、音程が合ってないと気が済まなくなって正されると。
だから、「何を表現するか」をすっ飛ばして音程だけ先に合わせたって、そんなの合わせたことにならないわけ。
てか先に音程合わせたところで、表現を深めていく過程で修正が必要になるんだから二度手間じゃんか。
それに、表現を深めた結果「これだ!」という気付きがないと自分の音程のズレを自覚できないし、自覚できないことがその人のレベルであって、これはもう仕方ないでしょ。
で、以上のことは歌だったら誰でもやってることなのに、楽器になるとそっから離れて、まず音程合わせるみたいな、口先・小手先に走るんだよなあ。