この場合の合ってるというのは
「チューナーで計ってもそんなにズレてないんじゃね」レベルで合ってるって話ね。
あるいは、その「音程だけ」に「先生から言われた通りの強弱をつけました」ってのが透けて見える演奏。
これが許されるのは、まあ大目に見積もっても小学校低学年まで?
要は十代になったら、そういうのは卒業してほしいわけよ。
児童・生徒が自立心を持ち始めるお年頃になってなお、そういう演奏をされると気色悪いことこの上ない。
「テメーの生徒は皆同じ弾き方すんだよ、気持ち悪い」
とほぼ一緒。
「すげー!!」「素敵!!」
って思わせることなわけじゃん。
そしたら、音程が外れていることよりも何よりも恐ろしいのは
「なんか、難しい曲弾くんだね」
これはもう、「指導者やリスナーの好き嫌い関係なくダメな演奏」じゃねーの?
その証拠に、こういう音程だけのやっつけ演奏で盛大にミスってみるといい。
思いっきり笑われない?つまり面と向かって笑われるくらいミスが悪目立ちするんだよ。
ミスったお前は評価どころか、恥をかいて変人ショー扱いされ、ステージの品位を貶めたという結果を残してしまったわけだ。
表現者として最低でしょ。
もちろん音程を無視していいわけじゃなく、最後は正確に合わせないといけない。
ただ、優先順位が高くないというだけ。
というのも、音程って何をどう表現したいかで、微妙に変わってくるものなんだよね。
そして表現を深めていくと、最初音程のズレが気にならなくても最後は正確なところに着地するというか、音程が合ってないと気が済まなくなって正されると。
だから、「何を表現するか」をすっ飛ばして音程だけ先に合わせたって、そんなの合わせたことにならないわけ。
てか先に音程合わせたところで、表現を深めていく過程で修正が必要になるんだから二度手間じゃんか。
それに、表現を深めた結果「これだ!」という気付きがないと自分の音程のズレを自覚できないし、自覚できないことがその人のレベルであって、これはもう仕方ないでしょ。
で、以上のことは歌だったら誰でもやってることなのに、楽器になるとそっから離れて、まず音程合わせるみたいな、口先・小手先に走るんだよなあ。
言いたいことはわかる。 音程ばかりにこだわっても感動を与える歌・演奏にはならない。 大事なのは音程より「何を表現したいか」。 うん。わかる。 ただ、一方で、こうも思う。 「...