はてなキーワード: 受診とは
マジレスするとホモセがおすすめ。ホモは男性なので性欲が(女性よりは全般的に)強く、貪欲。精神的なつながりを求める人も少なくない(女性よりは少ない)。
またホモは独占欲が高くないし、家庭持ち男性も少なくないので、不倫女と違って家庭破壊にくる可能性はかなり少ない(ゼロではないが明らかに少ない)。男性の肉体に詳しいので色々とうまい。楽しい。あと金もかからん。男同士でキスしたり舐めたりするのにそれほど抵抗がないのであればレッツトライ。
grinder等のアプリで「初心者です」と書きつつ探すのは敷居が高いと思うので、最初はお近くのクルージングスペースを検索して見学するだけでも。だいたい2000円以下だと思う。
どうしても男がダメなら、セックスレスの妻は、「セックスレスは離婚事由!」と割り切って証拠(セラピー受診なり)残したうえで先にセックスレスは危機的だと伝えた上で並行して不倫しつつ再婚するって手もあるが…。
なお風俗で虚しさを感じるのは、どういう理由から?相手のお商売っぽさが気になる?年齢差が?
そういう場合は不倫系熟女デリでラブラブ感を味わうなり、マッサージ系(メンズエステ)で癒やされ&性欲解消なり、色々試しては?
あるいは嫁に対して後ろめたさがあるなら、上述の通りセックスレスが問題であること、セラピーを受けること、(セラピーの場なり第三者がいるような状況で)「このまま、かつ夫婦生活を続けたいのであれば、私は風俗などを利用するしかない(今まで利用してましたとは一応言わない)」と通告する必要はあると思う。
個人的には性欲が問題ではなく、セックスレス夫婦生活が問題なので、セックスレスを解決する方向に相互に努力するように持っていき
、どうしても無理なら離婚するしかない(逆玉の輿とかなら我慢するしかないが)。
解決に向かって努力してる間、ストレス解消として自分にあう風俗を見つけるなどする。不倫は、離婚が確定しているないし夫婦生活の破綻が第三者が証明可能(セラピー受診記録等)でないと損害賠償リスクが高すぎるので、そのような状況になるまではコナかけくらいにとどめとけ。
・暇
・入館前チェックの手伝いが面倒
患者にこんなの不要だろとかバイ菌扱いかとかなんかいろいろ怒鳴られて疲れた
なんでこんなことのためにとか私はわざわざこの仕事についたんだろうとか考えることが多すぎて疲弊した
悲しかった
自分の仕事に誇りを持っていたので別部門のよくわからない仕事をすることが辛かった
用事等で検温にいけない日があったり面倒な患者に絡まれたりして相談しても上司はろくに取り合ってくれる感じがなかった
対応は日毎に二転三転するし熱があるのに振り切って入館する患者や保冷剤で下げてから入館する患者のせいで外来担当の事務や看護師から怒られた
・体調チェック 除菌 色々
細々したやらなきゃいけない事が増えて面倒 これはどこもありそう
・休憩室隔離
検温やってるから、外来のひとと関わったから、と休憩室というかお昼ごはん食べる場所を隔離された
地味に悲しかった
・毎日頑張っても楽しみがない
動けない方のために車椅子を持っていったり処方箋を持って走ったりなんか色々した
人の役に立っていると信じていた
でもどうしようもなく疲れるので楽しみが欲しかった
コロナ対応している病院で働いている知り合いからそっちは対応してないんだから大変とか言ってさあ、と言われた
どうしようもなかった
・ボーナスがすごく減る
すごくというか 元々カツカツ経営だったので今更だけれどコロナを理由にガクッと減るらしい
0.8か月分だって 出るだけマシでしょ、と言う人もおおい
・そうは言っても仕事があるとかお金が貰えるとか考えるのが嫌になった
嫌なものは嫌なのにまだマシ、と思い続けることが辛くなった
早く辞めたいです
大学院での苦しかった日々がおわり、新しい日々が始まろうとしていた矢先のことだった。
精巣腫瘍が見つかったのだ。幸いにも転移はなく、腫瘍部分を含めた精巣を除去すれば問題はない。
その後の病理検査で今後の治療方針が決まるが、生存率は他のガンに比べて高いので安心してほしいと医師に告げられた。
頭の中が真っ白になり、待合室でみたMADの音楽が空回りしていたのを今でも覚えている。
いけいりかこ選手の白血病ですら発症率は10万人に6.3人であるらしい。
これをたまた読んでいる読者が全員男性であると仮定して、10万人読んで初めて1人が罹患するような話である。
しかもこの精巣腫瘍、痛みもないため発見されにくい腫瘍なのである。
好発年齢は20代から30代(働き盛りに発症するのもタチが悪い)。
私はたまたま痛みとしこりがあったことと、学生時代から友人に金玉がデカいということで
いじられていたからこそ早期発見に繋がった珍しいケースであるが、発見が遅れて肺やリンパ節に転移するケースが多いようだ。
20代でガンになるなんて思ってもみなかった。
皆罹患した人はそういうだろう、私もその一人だ。
10月から新しい会社に入社し、バリバリ稼ごうとしていた未来もくすんでしまった。
これからは転移、再発を繰り返すのではないかと明日に怯えつつ、精一杯生きていくしかないのである。
辛い人生になったとしても耐えるしかないのは、いつの世も同じなのだろうか。
私は20歳の時にがんで父を亡くしている。
父も働き盛りの最高潮の時期に罹患し苦しみながら死んでいった。
最後までガンになった患者としての父の気持ちを分かってあげられることはできなかった。
今ガンに罹患し、初めて父が背負っていた未来への緊張、不安感、ストレスを
完全ではないとしても同じように感じれているのではないかと思う。
私は、このような形であるが父と同じ境遇を経て、思いを重ねて合わせることができて非常に嬉しく思う。
こんな駄文を最後まで読んでくれた読者らに感謝を申し上げると共に、
何か金玉にしこり、痛みを感じたらすぐに泌尿器科へ診察してもらうことを強く勧める。
早期発見により生きていける精巣腫瘍患者が一人でも多くなることを切に願う。
正直、こんなに反響があるとは思っていなかった。
最初に「死ぬわけじゃないのか」とコメントがついたときは、これぐらいの反響なのだろうと思っていた。
外出し、帰ってみると予想外の反響があった。質問等もあるのでここで言及しておく。
私は地元の親しい友人と露天風呂に行くのが好きで、何かと理由をつけては友人とお風呂にはいった。
どうも腫瘍がある左の精巣を包む陰嚢は陰嚢水腫らしく、お風呂に入るとテニスボールぐらいに大きくなった。(左:テニスボール、右:ウズラのたまご)
その金玉のデカさに友人たちも、「果実」、「太陽のタマゴ」、「大きすぎて実ってる」などのイジりをしていたのである。決して触っていたわけではない。
左側の精巣を摘出するので種無しにはならないが、今後の治療や残った右側に転移するなどによっては種無しになる可能性が大いにある。
誰もが爆笑問題の田中のように片玉でも子供が作れるわけではないので、安易に例として出すべきではないと思う。
私もその可能性を持つ一人だ。ただ精巣を失い、仕事を干されても人生は続いていく。やるせない世の中である。
多くの人が大病を患えば若くして簡単に死ねると思っている。私はこれは誤りではないかと思う。現にガンになったとしても
簡単に死ねるわけではない。様々な苦しみの段階を経て死んでいく。おそらく発想する人の多くは病気についての理解が乏しいと思う。
さっさと終わっていい人生なんてない。好き勝手して長生きする人生のほうが幸福度も高いと思うのでやりたいことをやってほしい。
ガナニースレは私も当時拝読し爆笑した覚えがある。ちなみにテニスボールほど肥大した陰嚢に性感帯はない。
パートナーは気付かなかったとのこと。
本当に恐ろしいことをいうが、私の場合は自発的な受診がきっかけだった。ここに寄せられた多くの
コメントの中にも精巣腫瘍についてのコメントやブログのURLを貼ってくださっているが、
オモコロのギャラクシーさんが書いている記事は精巣腫瘍になる前に読んでおり、
今回精巣腫瘍と診断されて再び読んだ。
一度読んでいたからこそ、今回の精巣腫瘍のことをある程度前向きに捉えられたのかもしれない。
金玉がデカいと一言で言ってもパターンがある。男性諸君らはお分かりいただけると思うが、
袋の中にうずらのタマゴのようなものがある。これが精巣である。
精巣を包む皮袋(陰嚢)全体を差して金玉がデカいと称している傾向がある。
私の場合はそもそも陰嚢水腫(袋の中に水がたまる)により外見上デカかった。
それを気にして定期的に左陰嚢全体を触っていた時に、内部の精巣にしこりを感じた。
このしこり、うまく表現できないのだが、正常な精巣の弾力をゆでたうずらのタマゴとすると
しこりの弾力は、固めのスーパーボール、昔のマウスボールのようなものである。
また全体がそのような弾力になるのではなく、私の場合は精巣の下半分にしこりが
あるようなパターンであった。
信じられない。
父はここひと月ほど微熱や倦怠感、食欲不振なんかに悩まされていて、その受診が切っ掛けでこの事がわかった。ちょっと早めの夏バテかな〜とか考えてた自分がアホみたいだ。
骨髄移植が必要で、ドナー適合者が見つからなければ、余命は半年だそうだ。この辺りはちょっとよくわかんない、呆然としてて聞き流しちゃったし、怖くて聞き返せなかった。適合率が最も高いのは兄弟間(約25%)で、父には兄と姉がいるため、まだマシ…みたい……………
わけわかんねえ。だってお父さんまだ42だよ?働き盛りの男盛りでまだバリバリ夫婦生活もあるんだぜ?(前間違えて営んでるところに直撃しちゃった)
最悪余命半年って、来年の私の成人式に間に合わないのかもって思い至ったら凄く怖くなった。一緒にお酒を飲むことも出来なくなるのかもしれないし、ウェディングドレスはおろか、晴れ姿を見せることも叶わないのかもしれない。(私は見せたい派の人間)
急すぎてわけがわからない。わかりたくもない。私が何したってこの状況は変わらない。辛い。 お父さんを見ていると涙が勝手に出てくる。頑張って本人には分からないようにしているつもりだけど、多分バレてる。私も怖いけど、お父さんの方がずっと怖いだろうに、本当に申し訳ない。
というわけで、ある1人のいい年した腐女子といぼ痔の戦いの記録です。
BLの性的な表現やシモい話、R18的な話にさらっと言及していますので、苦手な方はそっとこのページを閉じてください。
1:原因
というわけで、私は痔になってしまった。
いぼ痔である。
元々すぐに切れちゃうタイプだったが、ボラギノールのCMを見るたびに、
…とはいいつつ、痔になってしまった原因はいまだにわからない。
▼うんこ編
・生まれつき3ミリほどの肛門?の脱肛癖があり、大人になってから5回に1回くらい出るので戻していた
(この部分が今回、立派ないぼへと変貌した)
▼ストレス編
・当時、就活のために週2くらいバスで片道2時間のところへ通っていた
・祖母が危篤になり、ブッ生き返したところまだらボケHARDとなる
多すぎでは??
多分いろいろ重なった結果だと思う。
腫れて飛び出た、大人ダンゴムシサイズのいぼ痔はとっても痛かった。
2:通院
ウルトラ幸運にも地元には腕のいい肛門科があるので、迷わずそこに駆け込むことになる。
ここでダイマしておくと、愛媛県のいくつかの地域には、なぜか人口やら面積にやらに対して病院がめちゃくちゃあるという頭のおかしい(褒)ところがあります。
田舎に引っ越したい人で病院を重視する人はぜひ愛媛県を検討してみてください。
話を元に戻す。
診察室に入った私を待ち受けていたのは、やはり肛門の触診だった。
私もいろいろ躊躇ったのだが、潔く、診察台の上でパンツの後ろ半分を脱いだ。
なおケツ毛バーガーだったのでこの件と、これから2年後に行う子宮頸癌検診でVIOの永久脱毛を決意した。
話を診察に戻す。
先生はまず目で確認してくるのだが、その際に尻の肉を、よく肛門が見えるように広げる。
それがもう、ひどい激痛だった。
ヒギィ!である。
先生の、見た所よくあるいぼ痔ですねという言葉にここで少しだけ安心した。
潤滑のためのゼリーを患部に塗るんだろう。
そう思っていた私は、ここで初の衝撃体験を味わうことになる。
私「ぐっ!?」
ほんっと〜〜にこんな声が出た。
いやほんとマジで出る。
今思えば実に当たり前なのだが、診察器具を肛門内に入れるために、肛門とその中にに指?でゼリーを突っ込まれたのである。
もちろん、入り口にあるいぼ痔にダイレクトヒットするため、とんでもない激痛に見舞われた。
先生「う〜ん、中もまぁまぁ…」
よくない状態ではあるが、めちゃくちゃひどいわけではないのだろう。
なんとなくそんなニュアンスを感じながら、私はここで、痛みから思考をそらすためにある考えに集中していた。
よくBLの挿入シーンで内蔵が築き上げられるような〜的な描写のあれだ。
内蔵がぐっぐっするかんじがする!
受けの尻を大切にしたい…。
やっぱりこれからも挿入じゃなくて素股ものばっかりになりそう…。
ラブ&ケツ&ピース…アナルセックスは負担高いなり…。
再び診察室に戻り、先生は口を開いた。
先生「う〜ん、薬で治しても切ってもいいんだけど。切った方がいいかな。切ります?今週できるけど」
私「エッ、今週ですか!?」
私「10分」
私「パチン」
そ、そんなばかなーーー!?
が、やはり手術は怖いので薬でとお願いした。
先生曰く、薬なら3ヶ月ほどで萎むよとのことで、先は長いな…と、このときの私は楽観視していた。
3:通院と注入軟膏
なんとか通いで済んだ!
というわけで、飲み薬と注入軟膏が処方された。
注入軟膏…すなわちボラ◯◯ール的なものを使うのは初めての経験だし、肛門はウルトラ痛いので慣れるまでに時間がとてもかかった。
余談ですが、うまく注入できたら、R18男性向け同人誌にある人工的におならをさせるための準備シーンてこんなかんじなんだろうか…という感覚がします。
話を戻す。
とにかくその時の心情はといえば、結構たいへんだなぁ、座るのも歩くのも痛いし、困ったなぁ。
でも切らずに済んでよーかったー!
というものであった。
そう思ったのもつかの間。
初診から5日ほど経った朝、尻に違和感をおぼえてトイレに行くと、無慈悲にもいぼ痔は1.5倍ほど膨れていた。
トイレに行くたびに風呂場でよくよく尻まわりを洗って清潔にし、薬もちゃんと飲む&注入していたというのに。
先生「確かに大きくなりましたね〜。まぁでも膨れることもあるものなんで大丈夫ですよ」
私「そうですか…」
私は考えていた。
実はこのとき、もう最後に持っている就職試験のコマも落ちてしまったと思っていた。
仮に受かっていた場合、手術を受けても術後にギリギリ問題のない最終試験ではあるーー。
私「あのー、切ってもらっていいですかね…」
なぜか先生は切らなくてもいいと思うけどねと初診の時と違うことを言ったが、手術を行うことになった。
約1週間後である。
血液検査、尿検査、肛門の圧力検査、そして手術費込みで3万5000円ほどかかる見通しだった、多分。
実はこの頃いろいろあって実家に頼っていたので、領収書を両親に渡したらどこにしまったか忘れたらしい…。
血液検査は、中性脂肪とコレステロール値が少し高いと言われ、とてつもなくショックを受けた…。
4:手術
手術当日がやってきた。
ジャージやスウェットなどの楽で脱ぎやすい服でと指示があったので、ジャージで颯爽と私は診察室にあがった。
この圧力検査も例にもれず、器具挿入時にはズドム!ときて苦しいが、入ってきたらあとは痛くなくて、時々先生の指示通りにケツを締めるだけである。
楽だった。
小さい頃によくしていたけど、何度やっても慣れない!
しかもがんばって最低我慢時間より1分くらいしっかり我慢したのに、前日夜にうんこしてたもんだからなにも出なくて草が生えた。
本当に、本当に、なにもでなかった。
かけらすら。
私の努力とは…。
そのあとは手術室にさらっと移動して、転がされた。
ついに台が上がり、先生がやってくる。
準備開始である。
ちなみに手術室には立派な木のスピーカーが据え付けられており、先生が好きな曲がかけられていた。
私(ほわ〜手術室ってやっぱスピーカーあるんや〜)
先生「今回録画なし!」
不穏!
でも録画されないからよかった。
なお録画モニターが見える位置にあったので、グロ苦手な私からすると本当によかったと思う。
うつ伏せになり、尻肉を養生テープらしきもの(医療用のはず)で左右に広げられ、肛門の消毒が始まる。
肛門の消毒は、冷たくてとても痛い。
いだっ、と声はでるけど、まだ耐えられる範囲だった。
「痛いっ…痛っ…いっ…いだっ…」
最初の3発くらいはまぁまぁで、ちょっと痛いな?程度だったのだが…。
その後から本当に、痔の治療始まって以来の傷みが訪れることになる。
あれと同じくらいのが、尻の穴という敏感で制御のきかない場所にバツバツされるのでめちゃくちゃ痛い!
1発1発なら耐えられるものの、連続して8回か10回くらいは本当にきつかった。
痛い、痛い、痛いとずっと呟き続けた。
途中、気持ち悪くなってきてもうダメだと本気で思ったくらいである。
先生「麻酔もう効き始めますからね〜。(3秒空白)はいっ、もう効きだしましたよ〜!」
そこからは本当に早かった。
ぐったりした私の尻に、プレートを3枚くらい載せて時々コツコツ叩いているような感覚がし始める。
ただ、ジョキッという音が聞こえたり、麻酔のきいていない尻の割れ目や膣口あたりにガーゼか綿らしきものが当てられる感覚がしたりする。
もちろんだが、血は出ているのだろう。
先の麻酔の痛みで血圧が高くなった下がっただかで、途中吐き気が出てきてそれどころではない状態だったものの、時計を見たら本当に施術自体は5分ちょいくらいで終わっていた。
全部で10分には収まっていなかったけど、それでも20分以下である。
術後は車椅子に乗せられ、病室まで移動させてもらう。
看護師「それじゃ、説明通り術後1時間、病室で安静にしてもらいます。帰りに診察してもらってね。痛み止めが処方されるからね」
私「エッ」
看護師「エッ?あれ、聞いてない?」
私「はい」
頼むぜ!
結局、ぐったりして連絡どころでない私は、術後ジャストあたりに迎えにきてくれていた母への連絡をすっぽかし、母があわてて病室へ駆け込んでくる事態を起こしてしまった。
とりあえずこの日は出血も止まり、何事もなかったので、無事に家に帰宅した。
痛み止めと麻酔が効いて痛みは感じなかったが、麻酔疲れで速攻で寝た。
5:予後
手術後も以前と変わらぬ投薬治療で、約1ヶ月ほどでだいたいの傷口は塞がった。
術後3日くらいは尻に痛みが走るのを恐れて痛み止めをしっかり飲んだので、そんなに痛みは感じなかった。
また、うんこをした際に今まで脱肛気味だった部分がヤッホーしなくなって本当に快適になった。
6:最後に
痔はほっとくとやべぇぞ!
今いぼ痔の手術に迷ってる人の参考になれば幸い。
というわけで、ある1人のいい年した腐女子といぼ痔の戦いの記録です。
BLの性的な表現やシモい話、R18的な話にさらっと言及していますので、苦手な方はそっとこのページを閉じてください。
1:原因
というわけで、私は痔になってしまった。
いぼ痔である。
元々すぐに切れちゃうタイプだったが、ボラギノールのCMを見るたびに、
…とはいいつつ、痔になってしまった原因はいまだにわからない。
▼うんこ編
・生まれつき3ミリほどの肛門?の脱肛癖があり、大人になってから5回に1回くらい出るので戻していた
(この部分が今回、立派ないぼへと変貌した)
▼ストレス編
・当時、就活のために週2くらいバスで片道2時間のところへ通っていた
・祖母が危篤になり、ブッ生き返したところまだらボケHARDとなる
多すぎでは??
多分いろいろ重なった結果だと思う。
腫れて飛び出た、大人ダンゴムシサイズのいぼ痔はとっても痛かった。
2:通院
ウルトラ幸運にも地元には腕のいい肛門科があるので、迷わずそこに駆け込むことになる。
ここでダイマしておくと、愛媛県のいくつかの地域には、なぜか人口やら面積にやらに対して病院がめちゃくちゃあるという頭のおかしい(褒)ところがあります。
田舎に引っ越したい人で病院を重視する人はぜひ愛媛県を検討してみてください。
話を元に戻す。
診察室に入った私を待ち受けていたのは、やはり肛門の触診だった。
私もいろいろ躊躇ったのだが、潔く、診察台の上でパンツの後ろ半分を脱いだ。
なおケツ毛バーガーだったのでこの件と、これから2年後に行う子宮頸癌検診でVIOの永久脱毛を決意した。
話を診察に戻す。
先生はまず目で確認してくるのだが、その際に尻の肉を、よく肛門が見えるように広げる。
それがもう、ひどい激痛だった。
ヒギィ!である。
先生の、見た所よくあるいぼ痔ですねという言葉にここで少しだけ安心した。
潤滑のためのゼリーを患部に塗るんだろう。
そう思っていた私は、ここで初の衝撃体験を味わうことになる。
私「ぐっ!?」
ほんっと〜〜にこんな声が出た。
いやほんとマジで出る。
今思えば実に当たり前なのだが、診察器具を肛門内に入れるために、肛門とその中にに指?でゼリーを突っ込まれたのである。
もちろん、入り口にあるいぼ痔にダイレクトヒットするため、とんでもない激痛に見舞われた。
先生「う〜ん、中もまぁまぁ…」
よくない状態ではあるが、めちゃくちゃひどいわけではないのだろう。
なんとなくそんなニュアンスを感じながら、私はここで、痛みから思考をそらすためにある考えに集中していた。
よくBLの挿入シーンで内蔵が築き上げられるような〜的な描写のあれだ。
内蔵がぐっぐっするかんじがする!
受けの尻を大切にしたい…。
やっぱりこれからも挿入じゃなくて素股ものばっかりになりそう…。
ラブ&ケツ&ピース…アナルセックスは負担高いなり…。
再び診察室に戻り、先生は口を開いた。
先生「う〜ん、薬で治しても切ってもいいんだけど。切った方がいいかな。切ります?今週できるけど」
私「エッ、今週ですか!?」
私「10分」
私「パチン」
そ、そんなばかなーーー!?
が、やはり手術は怖いので薬でとお願いした。
先生曰く、薬なら3ヶ月ほどで萎むよとのことで、先は長いな…と、このときの私は楽観視していた。
3:通院と注入軟膏
なんとか通いで済んだ!
というわけで、飲み薬と注入軟膏が処方された。
注入軟膏…すなわちボラ◯◯ール的なものを使うのは初めての経験だし、肛門はウルトラ痛いので慣れるまでに時間がとてもかかった。
余談ですが、うまく注入できたら、R18男性向け同人誌にある人工的におならをさせるための準備シーンてこんなかんじなんだろうか…という感覚がします。
話を戻す。
とにかくその時の心情はといえば、結構たいへんだなぁ、座るのも歩くのも痛いし、困ったなぁ。
でも切らずに済んでよーかったー!
というものであった。
そう思ったのもつかの間。
初診から5日ほど経った朝、尻に違和感をおぼえてトイレに行くと、無慈悲にもいぼ痔は1.5倍ほど膨れていた。
トイレに行くたびに風呂場でよくよく尻まわりを洗って清潔にし、薬もちゃんと飲む&注入していたというのに。
先生「確かに大きくなりましたね〜。まぁでも膨れることもあるものなんで大丈夫ですよ」
私「そうですか…」
私は考えていた。
実はこのとき、もう最後に持っている就職試験のコマも落ちてしまったと思っていた。
仮に受かっていた場合、手術を受けても術後にギリギリ問題のない最終試験ではあるーー。
私「あのー、切ってもらっていいですかね…」
なぜか先生は切らなくてもいいと思うけどねと初診の時と違うことを言ったが、手術を行うことになった。
約1週間後である。
血液検査、尿検査、肛門の圧力検査、そして手術費込みで3万5000円ほどかかる見通しだった、多分。
実はこの頃いろいろあって実家に頼っていたので、領収書を両親に渡したらどこにしまったか忘れたらしい…。
血液検査は、中性脂肪とコレステロール値が少し高いと言われ、とてつもなくショックを受けた…。
4:手術
手術当日がやってきた。
ジャージやスウェットなどの楽で脱ぎやすい服でと指示があったので、ジャージで颯爽と私は診察室にあがった。
この圧力検査も例にもれず、器具挿入時にはズドム!ときて苦しいが、入ってきたらあとは痛くなくて、時々先生の指示通りにケツを締めるだけである。
楽だった。
小さい頃によくしていたけど、何度やっても慣れない!
しかもがんばって最低我慢時間より1分くらいしっかり我慢したのに、前日夜にうんこしてたもんだからなにも出なくて草が生えた。
本当に、本当に、なにもでなかった。
かけらすら。
私の努力とは…。
そのあとは手術室にさらっと移動して、転がされた。
ついに台が上がり、先生がやってくる。
準備開始である。
ちなみに手術室には立派な木のスピーカーが据え付けられており、先生が好きな曲がかけられていた。
私(ほわ〜手術室ってやっぱスピーカーあるんや〜)
先生「今回録画なし!」
不穏!
でも録画されないからよかった。
なお録画モニターが見える位置にあったので、グロ苦手な私からすると本当によかったと思う。
うつ伏せになり、尻肉を養生テープらしきもの(医療用のはず)で左右に広げられ、肛門の消毒が始まる。
肛門の消毒は、冷たくてとても痛い。
いだっ、と声はでるけど、まだ耐えられる範囲だった。
「痛いっ…痛っ…いっ…いだっ…」
最初の3発くらいはまぁまぁで、ちょっと痛いな?程度だったのだが…。
その後から本当に、痔の治療始まって以来の傷みが訪れることになる。
あれと同じくらいのが、尻の穴という敏感で制御のきかない場所にバツバツされるのでめちゃくちゃ痛い!
1発1発なら耐えられるものの、連続して8回か10回くらいは本当にきつかった。
痛い、痛い、痛いとずっと呟き続けた。
途中、気持ち悪くなってきてもうダメだと本気で思ったくらいである。
先生「麻酔もう効き始めますからね〜。(3秒空白)はいっ、もう効きだしましたよ〜!」
そこからは本当に早かった。
ぐったりした私の尻に、プレートを3枚くらい載せて時々コツコツ叩いているような感覚がし始める。
ただ、ジョキッという音が聞こえたり、麻酔のきいていない尻の割れ目や膣口あたりにガーゼか綿らしきものが当てられる感覚がしたりする。
もちろんだが、血は出ているのだろう。
先の麻酔の痛みで血圧が高くなった下がっただかで、途中吐き気が出てきてそれどころではない状態だったものの、時計を見たら本当に施術自体は5分ちょいくらいで終わっていた。
全部で10分には収まっていなかったけど、それでも20分以下である。
術後は車椅子に乗せられ、病室まで移動させてもらう。
看護師「それじゃ、説明通り術後1時間、病室で安静にしてもらいます。帰りに診察してもらってね。痛み止めが処方されるからね」
私「エッ」
看護師「エッ?あれ、聞いてない?」
私「はい」
頼むぜ!
結局、ぐったりして連絡どころでない私は、術後ジャストあたりに迎えにきてくれていた母への連絡をすっぽかし、母があわてて病室へ駆け込んでくる事態を起こしてしまった。
とりあえずこの日は出血も止まり、何事もなかったので、無事に家に帰宅した。
痛み止めと麻酔が効いて痛みは感じなかったが、麻酔疲れで速攻で寝た。
5:予後
手術後も以前と変わらぬ投薬治療で、約1ヶ月ほどでだいたいの傷口は塞がった。
術後3日くらいは尻に痛みが走るのを恐れて痛み止めをしっかり飲んだので、そんなに痛みは感じなかった。
また、うんこをした際に今まで脱肛気味だった部分がヤッホーしなくなって本当に快適になった。
6:最後に
痔はほっとくとやべぇぞ!
今いぼ痔の手術に迷ってる人の参考になれば幸い。
そう多分遺伝。私も両親も診断は受けてないんだけどなんかそれっぽくはあるんですよね。まあ全員現時点では困り感はそこまで強くないので特に受診してないんですけど。
初めに断っておくと「HPVワクチンは効かない」という話ではないです。
が結論なので、分かってますよという人はここから先は読まなくて良いです。
=====
30代後半、会社員、未婚、パートナーなし、子なし、一人暮らし
都知事選候補者が反ワクチンだとか某紙の反ワクチン報道が原因で接種率が下がった結果
最近になって対象世代に前がん病変が続出しているというSNSの投稿を見て
思うところがあったので
婦人科通い→治験に誘われる→協力(治験終了後に実薬接種が判明)→12年後に子宮頸がん検診に引っかかる→前がん病変で手術→経過観察中
要約するとこうなので、はいそうですかという人は次の大見出しに進んでください
私は元々生理が重かった。小学生の頃から塾の椅子を血で染めていたし、生理が重いというのは単に出血が多いだけではなく
授業中に身体をくの字に曲げながらトイレに行き、吐くわ下すわでそのまま保健室行きということもあった。
高校卒業後に自分の携帯を持ち、調べるうちにピルには月経困難症を軽減する効用があると知って、
ピル処方に力を入れていると評判の婦人科に行ってみることにした。
ピルは私にとっては魔法のように素晴らしかった。生理は軽くなるし、いつ来るかわかるから慌てなくて済む。旅行もライブも生理と重なることと無縁になった。
2007年、いつものように婦人科に行った私はHPVワクチンの治験をやるが条件に合うなら協力しないかと誘われた。
一番印象に残っている条件は「経験人数4人以下」
確か4人だったと思う。3人だったかもしれない。とにかく、HPVワクチンというのは本来初めての性交渉を経験する前に
接種してHPV感染を予防するものなので、治験参加者にもある程度の制約があるということだ。
私は2003年5月に3人目の彼氏と別れて以来何もなかったので条件に合致するということになり、協力することにした。
治験は30ヶ月にわたり、終了後に「あなたに接種したのは実薬の4価ワクチンでした」と知らされた。
その後も私は彼氏のいないフリーのまま、30代になってもピルを飲み続け婦人科に通い続けていた。
婦人科検診では何の問題もなく、世話になりはじめて10年を超えた婦人科医からも「ワクチン打ったしね」と言われていた。
ところが2019年のある日、検診の結果を早く聞きに来いとクリニックから電話がかかってきた。子宮頸がんの細胞診で引っかかっていた。
クリニックから連絡を受けた時点の細胞診結果は「ASC-H」というもので、追加の検査(組織診)が必要な結果だった。
ところが組織診では要治療の所見が出ず、3ヶ月後にもう一度検査することになった。
そして3ヶ月後、今度は細胞診でASC-Hより2段階進んだ「HSIL」という結果になり、組織診では上皮内がんを含めた可能性のある
「CIN3」が出たため、私は手術のため大学病院を紹介されることとなった。
子宮頸がんに関して、昔は前がん病変にあたるものを「0期」と表現していたが今はそれがない。
「子宮頚部上皮内腫瘍」=「CIN」として、CIN3は放置すると浸潤がんに進行する可能性が高いため治療の対象となる。
手術は「子宮頸部円錐切除術」といって、文字通り子宮頚部を円錐形に切り取る手術だった。
細胞診がブラシでこすった検体、組織診は米粒くらいに切り取った検体、円錐切除はさらに大きく切り取ってそれを病理診断に回すことになる。
幸いにして病理診断では悪性所見なし。私は現時点ではがんではなかったが、経過観察は続いている。
とあるアイドルが子宮頸がんを公表したらビッチ扱いされた話を聞いたことはあるだろうか。
これは私自身の誤解でもあったのだが、
・HPVはほとんどの場合免疫によって自然に排出されるが、持続感染した場合は前がん病変を経てがん化する
この「持続感染」、決して「セックスの機会が途切れない」ことではないのだ。
ワクチン治験のくだりに書いているが、私に彼氏がいた人生の最終地点は「2003年5月」である。
前がん病変が出たということはHPV感染していたということだが、感染の機会は2003年5月より前なのだ。
もっと言うと別れる前は数ヶ月に渡りレスだったので、人生で最後にセックスをしたのはさらに前ということになる。
2003年5月より前に感染したHPVが2019年にがん検診で引っかかるまで体内で息を潜め続けていた
前述の通り、HPVワクチンは初めての性交渉の前に打っておくものだ。
経験人数が少なくリスクが低いとみなされたものの、私が2007年にワクチン治験に協力した段階では、既にHPVに感染していたということになる。
つまり、感染してから打っても意味はないよということ。その結果が手術することになった私だ。
副作用報道のおかげで日本のHPVワクチン接種率は地を這うような数字にまで落ち込んでしまった。
どうしても打ちたくない、うちの娘に打たせたくないならまあそれでもいい。
ならせめて早期発見のために婦人科検診を受けろ、娘に受けさせろ
これを声を大にして言いたい。
ワクチン接種率が下がったからって婦人科の受診率は上がったか?上がっていないのだ。
初めに書いた「ワクチン接種率が落ちたことで対象世代に前がん病変が続出している」という(ソース不明の)SNS投稿、
「前がん病変」のうちに見つかるのはきちんとがん検診を受けている人だ。
この状態なら手術にしても円錐切除で済んで子宮を取らずに済むし、私の場合円錐切除の入院は2泊3日、手術の2時間後には点滴等々すべての管が取れて
退院後は自力で歩いて帰宅できたくらいだから、前がん病変で見つけておけば大ごとにならずに済む可能性がまだあるのだ。
それがどうだろう、婦人科に行く習慣のない人が我慢に我慢を重ねて色々な症状が出て初めて検査をしたら子宮全摘しか道がないとかいうことが本当にある。
セックスでうつるウイルスを防ぐワクチンなんて汚らわしいキーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!
うちの娘にそんなもの必要ないキーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!
という親のもとで育った娘さんが婦人科を受診する心理的ハードルはいかばかりだろうか。
私は高校卒業後、まだ実家に住んでいた学生の時分にピルを処方してもらいに婦人科に通い初めたが、
ピルのことは学校の授業でも親からも教えられたことがない。そもそも初潮も誰からも教えられる前に来て、
パンツを血で真っ赤にしたまま何の病気だろうかと震えて小学校に登校したような有様だった。
結局私が自分の親に婦人科に通っていることと月経困難症改善のためにピルを飲んでいることを話したのは
30を過ぎてからだったと思う。同じく30代の従姉ががんのため子宮全摘した話を聞いた時だった。
娘を持つ親御さんには他人事と思わず、「生理が重い・つらい」は婦人科受診の十分な理由になり得るので、
健康管理の一貫としてしっかりと向き合うことで娘の命を、娘が将来子供が欲しいと思っているならその機会も含めて守ってあげてほしい。
アトピー性皮膚炎の方のマスク着用に関する話がタイムラインに流れてきて、自分の肌の汚さを思い出した。
私はアトピーではないが、高校生のときに慢性的なニキビに悩まされた。それまでは色白を絵に描いたような顔立ちで、告白されたことも一度や二度ではなかった。
最初は市販薬を買っていたが改善の効果が無く、皮膚科に通い始める頃には5個以上の炎症ニキビが常在していた。
皮膚科の薬を何醜類か使ったが効果が無く、むしろ増え始めた。皮膚科を変えたが一切効果は無かった。レストランでバイトをしていたが、客の目線や立ち去り際の「あの人ニキビヤバくない?」という声は聞かないことにした。
「ちゃんと顔洗ってる?」「油分とりすぎなんじゃない?」「刺激物はダメらしいよ」「運動とかしてる?」「夜更かしは肌に悪いよ」
こうした周囲の声がつらかった。
周囲の浅いアドバイスなど、とっくに試していたし、続けていた。
菓子類は一切口にせず、20時以降は食事を取らず野菜中心に。毎日5km以上のランニングと2L以上の水分補給、枕カバーは毎日洗い、夜10時から朝6時までの睡眠を五年間欠かさなかった。
そうして努力を続けたが、5年経つ頃には全てを諦めていた。
目の周り以外で赤くない箇所は一切なくなっていた。顔中にクレーターができ、クレーターは色素沈着し、その上にまた新しいニキビが常にできていた。
全ての努力を放棄し、22歳になる頃に温熱アレルギーを発症。風呂に入るだけで顔だけでなく全身が真っ赤な蕁麻疹に覆われた。鏡で自分の体を見て「白人、黒人と続いて自分は赤人だな」と馬鹿なことを考えた。
病院に行くと、激務によるストレスが原因だろうと社畜御用達の(夕方~朝,土日終日開業している病院の)医者に言われた。体を労るのをやめた弊害か。
この病院は「簡単に強い薬を出す」と他の病院からの評判は悪かったらしいが、知らずに受診しストロンゲストのステロイド塗り薬(ステロイド塗り薬の中で最も強力なもの)を処方された。
何の気無しにニキビに塗りたくって寝ると,翌朝に顔のニキビの半分が消えていた。
ステロイドを用法用量を無視して顔中に使い続けた。1年経つ頃、私の顔からニキビは全て消えていた。
ニキビは無くなったが、クレーターと強い色素沈着は残っている。
周囲も大人になり、私の顔のことで何か言う人はいなくなった。目線は感じるが、直接は指摘されなくなった。
26になり、もう今更肌の治療を再開しても無駄だなと思うようになった。
自分は悪くないのに、レーザー治療という名で更に数十万、下手すれば数百万もの金と長い時間を費やすなんて馬鹿げている。
先日、妻が高熱を出した。
緊急事態宣言解除後であり感染者数も落ち着いた段階ではあったが、
しかし、仮にコロナであるならば、安易に医療機関を受診することで感染拡大に加担してしまう恐れがある。
どうしようかと右往左往しながら調べたところ、大阪市には「新型コロナ受診相談センター」という電話窓口があったので電話をしてみた。
結論から言えばコロナの診断ではなかったが、自分と同じように電話した人の体験談を見かけないので、参考までに記録しておきたい。
大阪市内在住。
増田・・・30代後半会社員。オフィス勤務。書類を扱う業務があるため緊急事態宣言中も週2程度出社。
子無し。
5月30日(土) 朝から体がだるいと言っていた妻が、午後になり発熱。当初は微熱だったがみるみるうちに上昇し、39度になった。
しんどそうではあるものの、咳や鼻水、喉の傷みなどは特に無し。本人曰く味覚も問題ない。便は下痢。
接客業のため緊急事態宣言中も出勤はしていたものの、マスクも着用しており、帰国者や陽性患者とも接触はなかったという。基礎疾患は無し。
素人目から見ても、「コロナではなさそう」とは思ったが、無症状の患者もいるというのだから判断がつかない。
土曜の午後ということもあり近隣のクリニックはやっていないし、連れていくわけにもいかない。
「この状態で4日待たないといかんのか、いや基準は変わったのか」と思っていたところに、大阪市のウェブサイトで「新型コロナ受診相談センター」の相談基準を知る。
https://www.city.osaka.lg.jp/kenko/page/0000490878.html
24時間の電話を受け付けており、相談目安に該当すれば電話してもよいのだという。
次の症状がある方は、新型コロナ受診相談センター(帰国者・接触者相談センター)にご相談ください。
1.息苦しさ(呼吸困難)、強いだるさ(倦怠感)、高熱等の強い症状のいずれかがある場合
2.重症化しやすい方(※)で、発熱や咳など比較的軽い風邪の症状がある場合
(※)高齢者、糖尿病、心不全、呼吸器疾患(COPD等)等の基礎疾患がある方や透析を受けている方、免疫抑制剤や抗がん剤等を用いている方
3.上記以外の方で発熱や咳など比較的軽い風邪の症状が続く場合
(症状が4日以上続く場合は必ずご相談ください。症状には個人差がありますので、強い症状と思う場合にはすぐに相談してください。解熱剤などを飲み続けなければならない方も同様です。)
とある。今回の場合、(2)は問題が無いし、発熱してすぐのため(3)でもない。(1)の高熱に該当すると判断した。
土曜の夕方に電話をしたが、待たされることなくすぐにオペレーターにつながった。相手先は「大阪市保健所です」と名乗ったと思う。
(あとから相談センターの電話番号をググったところ、大阪市の保健所の番号だった)
電話先の相手は30代くらいのはきはきとした喋り方の女性。口調は丁寧だし、応対には慣れしていた。
こんなことでいちいち電話するなよ、と塩対応をされたらどうしようか不安だったため、この点では少し安心。
最初に、妻が発熱をしており、コロナではないか不安である旨を伝えたところ、
発熱者のフルネーム、同居人である増田のフルネーム、年齢、住んでいる区を確認される。どちらか一方の連絡先を尋ねられたため、ひとまずは増田の携帯電話の番号を伝える。
そののちに症状を伝える。今朝から体調が悪かった、39度の熱がある。咳や味覚異常は無いなど。
オペレーター側からも改めて、「基礎疾患は無いか」「息苦しさはないか」「外国からの帰国者との接触はないか」「陽性患者との接触はないか」「風邪薬や解熱剤等を飲んだか」
などを確認される。いずれも該当しないと返答する。
その上で、今後どのように行動したらよいかを指示される。
「コロナであるか否かに関わらず、一度近くのクリニックを受診して、医者の診察を受けてほしい。
PCR検査は医師が診察し、コロナの疑いがあると判断した場合しか受けることができないため」
「土曜の午後で病院がやってないと思うので、受診は月曜日でよい」
「たしかに高熱ではあるが、息苦しさや陽性者との接触などの状況が無いことから、コロナかどうかは分からない。
しかし、若くて体力もあるため、熱以外の症状が出ていない場合もある」
以上を説明された上で、大阪市の24時間の相談窓口の番号を案内される。
(https://www.city.osaka.lg.jp/shobo/page/0000003501.html)
オペレーター曰く
「24時間救急病院を案内している窓口があるので、万が一以前として熱が下がらなかったり症状が悪化するようならば、
電話をしたうえで近隣の夜間診療対応の病院を受診してほしい。コロナ対応で救急医療も依然としてひっ迫している状態が続いているため、
と伝えられる。
説明は分かりやすかったし、内容を復唱確認したうえで、電話を切る。
一晩経過し、翌日(日曜)の熱は38度台~37度台後半で推移。
息苦しさや味覚異常なども無し。
念のため増田も自身の勤務先に相談したが、緊急事態宣言が解除されることもあり、増田本人に症状が無いなら出社してほしいとのことだった。
月曜の朝に妻の熱を測ったところ37度。熱は残っているが、体調は問題が無いとのこと。
午前休を取って病院に連れて行くことも考えていたが、結局増田は普通に出社した。
病院が開く時間には熱は下がった。待合室では隔離されたらしい。
医師の診察した結果は「下痢症状があるため、おそらく胃腸からの風邪ではないか」との診断だった。PCR検査は不要と判断される。
翌日から平常通り妻も勤務を再開する。
案内ややりとりもスムーズであり、安心感はあった。最終的にPCR検査は医師の判断が必要なため、「発熱=疑わしい。すぐに検査」という体制ではないらしい。
少なくとも「30代前半で39度の熱が出た程度では、ただちに検査する必要がない」という方針で運用されているようである
最終的にコロナではなかったからよかったものの、万が一感染していた場合は、平常通り出社した増田自身が無症状の感染者として、周りにウイルスをばらまいていたのではないかという不安はある。
実際、twitter検索で「大阪 検査数」「大阪 保健所 相談」といったワードで検索すると、発熱はあるが検査をしてもらえなかった人々のツイートが散見される。「検査数を絞って感染者を抑えているのではないか」という疑惑とセットではあるが、検査数も公開されているためそれはさすがに無いだろう。
医療リソースやこれまでわかってきたコロナ感染者の状況を加味した総合的な判断ではあろうことから、素人の増田が現在の大阪市の方針を批判するつもりはない。
だが、クラスタに関わらなかった無症状・軽症者については、もう当たり前に外を歩き回っているという前提で、これからも過ごしていきたいと思っている。
ちなみに大阪では「https://covid19-osaka.info/」で、陽性者数・検査数はもちろん、新型コロナ受診相談センターへの相談者数も公開している。
増田が相談した5月30日の相談件数は590件であり、検査数は390件だったらしい(相談・受診後、検査が実施されるまでのタイムラグがあるだろうから、この数字が相関しているわけではなさそうだが)
10キロ痩せた。すごいと自分でも思った。誰かに聞いて欲しかったので書く。
事の始まりは二年ほど遡る。健康診断でE判定を喰らったのだ。肝機能が問題だった。
わたしは二年前まで定職についていなかった。若さが健康の証だと思って健康診断も受けていなかった。大学時代の健康診断も一度行ったが二度目の記憶がない。定職について久しぶりの健康診断で、初めてE判定を喰らった。これには正直少し堪えた。「え、死ぬの?」って思った。
当時、E判定などがあると自動的に再検査があると思っていた。しかし実際は、自分で適当な病院に予約して受診すれば良いことを上司から聞いて、初めて知った。毎年健康診断を受けさせる義務が会社にはあるが、再検査に行くも行かぬも自己責任なのか、線引きがはっきりしているなと思って少し面白かった気がする。
診断結果が届いてから比較的すぐに再検査の予約をして受診した。身長が178cm、体重が78キロ程度、見た目もそこまで太っているわけではないのに肝機能の数値が異常に高いので、家族性 高コレステロール血症ではないかと診断された。体質的にコレステロール値が高くなってしまうとか、何人だかに一人の確率で発症するとか、治るものではないので薬を飲み続けるしかない、ただ死んだりするものじゃないとか言われた。根治不能なものに罹ったことがなかった人生で初めて「治らない」と医者から言われたのも結構堪えたかな。セカンドインパクトだ。その日は肝炎を発症していないかの確認のために再度血液検査をして終わった。そして、血液検査の結果からやはりということで、家族性 高コレステロール血症として薬を飲んでコレステロール値などを抑える生活が始まった。
しかし、これが下がらないんだ。薬さえ飲めば一発でグーンって下がってホッとするみたいな急転直下の展開を期待していたのに、定期的な血液検査では常に微減。だいたい横這いのエブリデイ。当初は怯えていた不治の病にもだんだん慣れてきていた。薬を飲む以外に方法はなく、薬に副作用はなく病による体調の悪化もない。実感がないから緊張感もない。これをずるずると引きずると合併症などを併発してきっと大変なことになるんだろうとは思いつつも、しかし、ここまで何もないと気の引き締めようもない。
そして、昨年の健康診断。やっぱり肝機能の数値が高かった。比較すると若干数値は低くなっていたが、gptなんて正常値なんて4倍近い(前年は6倍)。服薬の成果が全く現れずにゲンナリした。
事態が動き出したのは健康診断の結果を再度かかりつけの医者に見せた時だった。「脂肪肝かも知れませんね。一度、大きな病院で検査してみますか?」と聞かれた。紹介状を書くとのことだ。わたしは嫌だった。大きな病院というのはやたらと待たされる。待つのはよくても待たされるのは嫌いだ。だが、こうも数値が変化しない状況が続いているのも困るので仮に脂肪肝だった場合、何をするのか尋ねた。「食事療法とダイエットですね」とのこと。
わたしは思った。検査なり調査をして原因を明らかにして問題にアプローチをすることは正しい、しかし、食事療法とダイエットなら別に原因が不明でもいいじゃん、と。だって、食事のガイドラインなんてググればいくらでも出てくるし、ダイエットも正しい方法が必要とはいえ結局は適切な食習慣と適度な運動だ。薬や手術などの医学的アプローチが必須というわけじゃない。たかだかダイエットをしましょうと言われるために、大きな病院で待たされるのは想像するだけで辟易する。それにあれを食べろとかあれはやめろとか動けとか指図されるのも嫌だった。ということで医者には考えておきますとだけ伝えて、一人ダイエットをすることにした。
ここでわたしは自分の体重を減らすことに自覚的に考えるようになった。
運動週間だがわたしは定期的にランニングしていた。だいたい週末に10キロ程度。年明けにハーフマラソンに出場しているから、大会が近くなるともう少し走る。初めて健康診断でE判定を喰らった時からずっと続いている。だから運動しているし、脂肪は燃焼しているだろうと思っていた。だが、体重が減る原理とは細かい数式とかはさておき、結局は摂取カロリーよりも消費カロリーが大きい場合に体重は減る、これに尽きる。ランニングを10キロ走ると、だいたい700キロカロリーを消費する。20キロ走ると概ね倍。1キロ痩せるためには7000キロカロリーの消費が必要らしい。つまり1キロ落とすために、100キロ走らないといけない。ダルすぎる。
しかしわたしは気づいた。カロリーを消費する方法は別に運動だけではないことに。つまり日々の摂取カロリーを控えて、基礎代謝(だいたいわたしくらいの体格の成人男性なら1800〜2200キロカロリーくらい)を下回り続ければ、走らなくても勝手に痩せるんだ。ということで日々の食事を見直した。
まず朝食は食べない。というか食べられない。出社のギリギリまで寝ていたいのでいつも食べていない。
昼はコンビニでサラダとチキンとスープを買って食べる。「洗わず食べられるカット野菜」みたいなやつ。お腹にたまらないから2パック食べる。袋のままで箸を突っ込んで自席で食べていたので、最初のうちは奇異の視線を浴びたが、1週間もすると周囲がわたしに慣れた。
夜はご飯と肉か魚と野菜とたまにキノコ類。野菜は主にリーフレタスとかとサラダほうれん草の葉物類に、赤パプリカやミニトマト、ブロッコリーなどをあわせる。だいたい毎回これ。
※コロナで在宅になってからは、夜食べていた野菜を昼にも食べるようになった。
これの食事を続けると摂取するカロリーがだいたい1000〜1600程度になる。わたしにとってこれは革命だった。10キロ走らないと得られない消費カロリーが毎日飯を食っているだけで勝手に得られる。なんて楽なんだと思った。何よりいいのはサラダの楽さだ。元来物臭な性格をしており、一人暮らしの料理にも飽きていた。外食や冷凍食品もあまり好きではなくなんとなく作るが美味くないし美味くもならない。しかし、その点サラダはいい。切って洗えば盛り付けるだけ。味チェンはドレッシングで思いのまま。超楽。しかも健康にもいいらしくてカロリーも抑えられる。いいことづくめ。日持ちがしなくて、エンゲル係数に打撃を与えがちなのは厄介だが、まぁ上述の利点には替え難く致命的というほどではなかった。
さて、そうこうするうちに目に見える変化があった。お腹周りがなんだかスッキリし始めたのだ。学生時代に痩せていたため、いまだ痩せているという自意識から抜け出せないわたしはスッキリ目のズボンを買ってしまう。苦しいと思いながら、座るとさらに苦しいと思いながら、履いていたのだが、全然苦しくないのだ。おや?と思い確かめると、スーツのベルトも穴を一つ減らせることに気づいた。体重計がなかったので買ってみると、10キロ痩せていた。このときは5月の頭頃だった。野菜を食べていたらいつの間にか痩せていた。
定期検診で件の医者のところへ行き、血液検査をしてきた。つい先ほど結果を取りに行ってきた。一部、正常値よりはまだ高いものはあるが、ほぼ全ての数値が正常値に収まっていた。一時期は180とかあったgptが今は40台だ(正常値は40以下)。体重に加えて、目に見える成果が出て嬉しかった。
そんなこんなで10キロほど痩せました。やっぱりいろんなブログとかで書いてあるように痩せようと思ったら食事は大事だね。
それでは
当事者のもんです。どーも。
病院、もっかい行ってみたらどうかなって思います。IQってあんまりアテにならない。
それに精神科って結構当たり外れがあって、自分は大人んなってからようやくグレーに近い発達で診断おりました。
受診してくれる先生は三度変わりましたがそのうち一人はわたしの診断結果に不服そうでした。
別の病院行くか、なんなら親御さんに頭を下げてみるのも良いでしょう。
もう変な気遣いされてるくらい諦められているならいっそスネまでしゃぶり尽くして、生きて、なんとかなった時にありがとうっていったらOKです。
それでもだめなら自死も選択肢です。死ぬときは誰だって迷惑かけるんですから気にしなくて良いです。
あなたの命くらい好きにすりゃあ良いですよ。だってあなたの人生なのだから。
以上です。